正史とは? わかりやすく解説

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せい‐し【正史】

読み方:せいし

国家などが編纂した歴史。→外史(がいし)

中国で、最も正統認められた、古代から明代の各時代紀伝体歴史書南宋時代には十七史明代には二十一史清代には二十二史二十四史認められた。また、二十五史とする数え方もある。


正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 06:35 UTC 版)

正史(せいし、特に後述する「断代史」の形式をとる正史)とは、


  1. ^ 乾隆帝勅撰『四庫全書総目提要』史部正史類叙。活字本は張舜徽『四庫提要叙講疏』雲南人民出版社、2005
  2. ^ 高島『三国志 きらめく群像』ちくま文庫、2001
  3. ^ 『二十二史箚記』廿二史箚記小引より。原文は「間有稗乘脞説,與正史岐互者,又不敢遽詫爲得閒之奇。蓋一代修史時,此等記載,無不蒐入史局,其所棄而不取者,必有難以徴信之處。今或反據以駁正史之訛,不免貽譏有識。是以此編多就正史紀傳表志中,參互勘校,其有牴牾處,自見輒摘出以俟博雅居子訂正焉。」
  4. ^ 詳しくは欠史八代参照。津田『古事記及び日本書紀の新硏究』 (洛陽堂、1919年、復刊は2018年毎日ワンズ)・岡田『日本史の誕生』ちくま文庫2008
  5. ^ 岡田『世界史の誕生』ちくま文庫2001、原本は1992年、筑摩書房
  6. ^ 山根幸夫「批評と紹介 鄭樑生『明史日本伝正補』」東洋学報、1983
  7. ^ 乾隆帝勅撰『四庫全書総目提要』編年類叙。活字本は張舜徽『四庫提要叙講疏』雲南人民出版社、2005、P50-51
  8. ^ 布目『つくられた暴君と明君・隋の煬帝と唐の太宗』清水書院、1994
  9. ^ 鄭樵『通志 二十略』中華書局1995、P4
  10. ^ 岡田『世界史の誕生』ちくま文庫2001、原本は1992年、筑摩書房、P115-117
  11. ^ 杉山正明『世界の歴史 (9) 大モンゴルの時代』中公文庫、小林高四郎『元史』明徳出版社。
  12. ^ 吉川編『中国散文選』筑摩書房・筑摩書房世界文学大系72の「解説」P370より。執筆は吉川幸次郎。
  13. ^ 岡田『世界史の誕生』ちくま文庫2001、原本は1992年、筑摩書房、P114-115
  14. ^ 中國觀察:未通過政審 《清史》觸礁2023-11-07 18:37:00 公開
  15. ^ 原田 2020, pp. 15–16.
  16. ^ 原田 2020, p. 15.



正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/05 00:35 UTC 版)

出水市立野田小学校」の記事における「正史」の解説

1878年明治11年)- 野田小学校として開校1978年昭和53年)- 創立100周年記念式典 2006年平成18年)- 出水市高尾野町野田町合併により出水市立野田小学校改称

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正史

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文徳天皇」の記事における「正史」の解説

六国史第五として文徳一代治世記録した日本文徳天皇実録』(通称文徳実録」)が編纂されている。

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正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 00:25 UTC 版)

佐賀県立鹿島高等学校」の記事における「正史」の解説

旧制中学校 1896年明治29年4月 - 「佐賀県尋常中学校鹿島分校」として開校これをもって創立年としている。子爵鍋島直彬から旧「鎔造館」建物器具一式寄贈される1897年明治30年5月 - 同窓会鹿城会」が発足1898年明治31年4月 - 「佐賀県第二尋常中学校」として分離・独立。旧鹿島城内に校舎設置し創立式を挙行1899年明治32年4月 - 「佐賀県第二中学校」と改称1901年明治34年6月 - 「佐賀県鹿島中学校」と改称高等女学校 1906年明治39年4月 - 「北鹿島村四ケ村立組合立女学校」が開校校舎は南鹿島尋常小学校現在の鹿島市立鹿島小学校)に併置1909年明治42年3月 - 「北鹿島村四ケ村立組合立鹿島高等女学校」と改称1911年明治44年4月 - 「藤津郡鹿島高等女学校」と改称1920年大正9年4月 - 移管により、「佐賀県鹿島高等女学校」と改称。 商農学校 1926年大正15年3月 - 「鹿島立公民学校」が開校(のち「鹿島立実業学校」と改称)。 1947年昭和22年3月 - 移管により、「佐賀県鹿島商学校」と改称新制高等学校 佐賀県立鹿島高等学校旧校1948年昭和23年4月 - 学制改革に伴い鹿島中学校鹿島高等女学校鹿島商学校の県立3校が「佐賀県立鹿島高等学校」(現校名)に統合された。下記三部制に改組された。第一部 : 男子普通科(旧・鹿島中学校第二部 : 女子普通科家庭技芸科(旧・鹿島高等女学校第三部 : 農業科商業科(旧・鹿島商学校) 8月 - 野球部甲子園大会初出場1949年昭和24年4月 - 部制を廃止し男女共学総合校となる。普通科農業科商業科家庭技芸科の全日制4学科塩田分校定時制 家庭科)を設置1953年昭和28年4月 - 家庭科課程および嬉野分校定時制普通科商業科)を設置1955年昭和30年4月1日 - 農業科商業科家庭課程塩田分校が、佐賀県立鹿島実業高等学校として分離・独立これに伴い鹿島高等学校現在の体制普通科校)となる。 1956年昭和31年4月1日 - 嬉野分校佐賀県立嬉野高等学校定時制)として分離・独立創立60周年記念として校歌制定1960年昭和35年8月 - 野球部甲子園大会2度目出場1965年昭和40年)- 旧制鹿島中学校第1回卒業生田中鐵三郎より、校地隣接する生家600坪の土地寄贈される1966年昭和41年この年 - 新校舎完成8月1日 - 山口喜久一郎により校旗寄贈される10月7日 - 田中鐵三郎より寄贈され生家を「田中記念館六洲荘」と名付け記念碑除幕式挙行1977年昭和52年) - 田中記念館六洲荘を財団法人化する。 1979年昭和54年9月9日 - 同窓会館完成1986年昭和61年3月10日 - 柔剣道場新築9月13日 - 創立90周年記念として校訓至誠自立創造」を制定1995年平成7年4月1日 - 理数コース設置2012年平成24年4月 - 理数コース募集停止2014年平成26年3月31日 - 理数コース廃止2018年平成30年4月1日 - 佐賀県立鹿島実業高等学校統合し佐賀県立鹿島高等学校新たに開校。なお従来在校生1896年設立佐賀県立鹿島高等学校そのまま在籍する2020年3月 - 1896年設立佐賀県立鹿島高等学校閉校

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正史(1944年 - 1949年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/25 17:47 UTC 版)

樺太青年師範学校」の記事における「正史(1944年 - 1949年)」の解説

1944年昭和19年4月1日 - 師範教育令一部改正により、樺太師範学校附設青年学校教員養成所樺太庁立の「樺太青年師範学校」に改組される(従来通り樺太師範附設)。 1945年昭和20年4月1日 - 樺太内地編入に伴い樺太医専樺太師範と共に文部省移管される。 8月11日 - 同日以後ソ連軍樺太侵攻占領により、樺太青師教育活動停止し、また新たに発足した南樺太民政局教育行政師範教育実施認めなかった。ただし、法令上は1949年昭和24年)の国立学校設置法制定まで名目的にだが存続した。 1947年昭和22年1月以降 - 校長以下の学校関係者が樺太から正式に引揚げ樺太師範樺太青師教職員および生徒北海道以南各地師範学校移籍した樺太青師生徒多く北海道青師転入した1949年昭和24年5月31日 - 国立学校設置法公布施行により正式に廃止される

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正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:26 UTC 版)

福岡県立小倉高等学校」の記事における「正史」の解説

1908年明治41年3月18日 - 同年4月から開校することを認可される5月22日 - 「福岡県立小倉中学校」として開校式を迎える。 1925年大正14年4月1日 - 県令により福岡県立小倉中学校を「福岡県小倉中学校」と改称1842年昭和18年4月1日 - 福岡県企救中学校夜間中学校)を併置1948年昭和23年4月1日 - 学制改革により、「福岡県立小倉高等学校」(男子校)となる。 1949年昭和24年4月1日 - 学制改革により男女共学実施。「福岡県立小倉北高等学校」と改称OB市民の大反対により1年旧名称復す5月19日 - 昭和天皇九州御巡幸本校運動場小倉市現在の北九州市小倉北区および小倉南区奉迎場となる。 1950年昭和25年5月1日 - 旧小倉商業高校県立移管の上本校統合し商業科とする。 1957年昭和32年5月 - 逍遙歌発表1960年昭和35年4月1日 - 商業科福岡県立小倉商業高等学校として分離1964年昭和39年11月30日 - 講堂落成式1968年昭和43年5月23日 - 60周年記念応援歌発表1985年昭和60年3月31日 - 定時制課程閉校1998年平成10年4月1日 - 65授業開始2005年平成17年4月1日 - スーパーサイエンスハイスクール指定2006年平成18年4月1日 - ふくおかスーパーハイスクール指定2007年平成19年4月1日 - 第二学区第三学区統合門司区校区に加わる。 2008年平成20年)- 創立百周年記念。明陵会館建築(明陵学院建て替え)。 2014年平成26年)- 新南校舎完成2016年平成28年)- 新北校舎完成

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正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 02:42 UTC 版)

ライトセーバー」の記事における「正史」の解説

ライトセーバーはいくつかの型が存在しており、正史作品言及されているのは第三の型と第四の型のみだが、第一から第七の型までが存在するとされている。ただし、レジェンズにおけるものと完全に同一なものかは不明第一の型シャイチョーとも呼ばれる基本フォームで、ジェダイ・オーダーによって考案された、最も古く初歩的な型。他の戦闘技能開発され後では、他に打つ手がない場合使用されるようになった第二の型マカシとも呼ばれる優雅な戦闘スタイル。主にシスとの戦闘の際に使用されるまた、シスの暗黒卿ダース・ティラナスが主に用いている。 第三の型ソレスもしくはマイノック戦法とも呼ばれるメイス・ウィンドゥ弟子デパ・ビラバはこの型に拘っていたとされ、その弟子であるケイナンもまたこの型を踏襲している。理由不明だが、尋問官はこの型に拘ったビラバと、それを踏襲するケイナン愚かと罵っている。他の著名な使い手オビ=ワン・ケノービがいる。 第四の型アタルとも呼ばれるアクロバティック戦闘スタイルで、ブラスターへの防御長け開けた空間での使用適する。アナキン・スカイウォーカージェダイ聖堂で他のジェダイたちに手本見せていた。第三の型よりも攻撃的かつアクロバティックで、かつてはオビ=ワン・ケノービ使用していた。他にもヨーダもこのフォームでの戦闘を得意とし、シスの暗黒卿ダース・シディアスも主にこの型を用いている。 第五の型シエンもしくはドジェム・ソとも呼ばれる放たれブラスター相手向けて跳ね返し防御攻撃転じさせる。古くアソーカ・タノのように逆手持ち利用されていた。 第六の型ニマンとも呼ばれるダブル=ブレード・ライトセーバーフォース組み合わせた戦闘スタイル第七の型ジュヨーもしくはヴァーパッドとも呼ばれる。最も攻撃的かつ予測不可能フォームで、「フェロシティー・フォーム(獰猛なフォーム)」の異名を持つ。そのためダークサイダーが主に愛用していたが、一応ジェダイにも使用されてはいた。攻撃のみに集中し守備には気を配らないが、使い手スピード両刃ライトセーバーによって補われている。著名な使い手ダース・モールメイス・ウィンドゥ

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正史(1944年 - 1951年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 16:57 UTC 版)

北海道青年師範学校」の記事における「正史(1944年 - 1951年)」の解説

1944年昭和19年4月1日 - 師範教育令一部改正により、北海道庁立青年学校教員養成所官立国立移管の上、「北海道青年師範学校」に改称1949年昭和24年5月31日 - 国立学校設置法公布により、新制北海道学芸大学 学芸学部発足青年師範学校新制大学包括され、「北海道学芸大学 北海道青年師範学校」となる。 青年師範学校としての生徒募集停止され、この時の入学生は北海道学芸大学 学芸学部所属となる。 在校生卒業するまで、青年師範学校存続される。 北海道学芸大学札幌分校岩見沢分教場設置される1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し青年師範学校廃止される

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正史(まさし)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:22 UTC 版)

グランマの憂鬱」の記事における「正史(まさし)」の解説

杣人一番の力自慢若い男性命がけ危険な仕事だが懸命に働いている。

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正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 14:06 UTC 版)

美津島町」の記事における「正史」の解説

1955年昭和30年5月 - 万関橋架け替え工事完成1956年昭和31年4月 - 大山小学校内海小学校改称町立鶏鳴幼稚園発足1958年昭和33年4月 - 大船小学校緒方分校開校10月 - 木造2階建ての役場新庁舎完成1961年昭和36年7月 - 美津島町商工会結成1962年昭和37年7月 - 辺地係る公共施設総合整備のための財政上の特別措置に関する法律に基づく辺地地域指定される1964年昭和39年4月 - 町章制定5月 - 旧対馬空港竹敷地区水上空港オープン7月 - 中央公民館開館1965年昭和40年2月3日 - 役場庁舎全焼4月 - 鴨居小学校浦浜分校独立し、浦浜小学校となる。 1966年昭和41年3月 - 鉄筋コンクリート造3階建て役場新庁舎完成1971年昭和46年4月 - 過疎地域対策緊急措置法に基づく過疎地域指定される8月 - 住吉大橋開通し沖島対馬島結ばれる1972年昭和47年10月 - 国民宿舎対馬」がオープン1975年昭和50年3月 - 万関瀬戸航路拡幅工事完成10月 - 対馬空港現在の空港)が開港1977年昭和52年4月 - 竹敷小学校鶏鳴小学校統合1978年昭和53年8月 - 役場庁舎増築工事完成1980年昭和55年4月 - 養和小学校・浦浜小学校内海小学校統合し北部小学校とする。 5月 - 赤島大橋完成し赤島沖島結ばれる9月 - 美津島町文化会館開館1982年昭和57年7月 - 町民体育館開館10月 - 町木・町花・町鳥キャッチフレーズ「海が光る、緑が燃え美津島町」を制定1984年昭和59年4月 - 養和中学校鴨居中学校統合し浅海中学校とする。 1988年昭和63年3月 - 町営採石場跡地に対馬グリーンパーク美津島町総合公園)がオープン1992年平成4年4月1日 - 町営ケーブルテレビ局「MYT-3ch(美津島町有線テレビ)」開局1993年平成5年7月 - 太田海水浴場(現、美津島町海水浴場一部オープン 1994年平成6年5月 - 町民体育館で『NHKのど自慢』が収録される。 6月 - 浅茅ベイパーク浅茅湾海浜公園オープン11月 - 浅茅パールブリッジ開通し島山島対馬島結ばれる1995年平成7年3月 - 大船小学校緒方分校廃校1996年平成8年9月 - 万関橋架け替え工事完成三代目万関橋開通1998年平成10年7月 - 国民宿舎対馬跡地に「対馬グランドホテル」が開業1999年平成11年8月 - 対馬グリーンパーク勝見海水浴場オープン大田浦、勝見一帯を「美津島町海水浴場」と改名10月 - グリーンピア対馬美津島町総合福祉保健センター開所2003年平成15年5月 - グリーンピア対馬に湯多里ランド対馬オープン12月 - グリーンピア対馬対馬ふるさと伝承館オープン2004年平成16年1月 - 二代目住吉橋開通

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正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 08:06 UTC 版)

佐賀県立唐津東中学校・高等学校」の記事における「正史」の解説

佐賀県唐津中学校(旧制) 1896年明治29年) - 佐賀県尋常中学校唐津分校開校1899年明治32年) - 佐賀県尋常中学校から分離独立し、佐賀県第三中学校として設立これをもって創立年としている。 1904年明治37年) - 佐賀県唐津中学校改称1924年大正13年) - 旧校歌宇宙のみ生命制定1948年昭和23年4月1日 - 学制改革により、佐賀県立唐津第一高等学校男子校)となる。全日制課程普通科設置佐賀県立唐津高等学校 1949年昭和24年) - 佐賀県立唐津第一高等学校佐賀県立唐津第二高等学校統合し佐賀県立唐津高等学校男女共学)となる。旧制中学流れを汲む一高校舎東校舎女学校流れを汲む二高校舎西校舎呼ばれる全日制課程普通科通信制課程定時制課程設置1950年昭和25年) - 校歌天日かがやき制定校章バッヂ制定1951年昭和26年) - 厳木分校設置定時制普通科商業科家庭科1952年昭和27年) - 西校舎家政科設置本校定時制課程募集停止通信制課程佐賀高校移転1年生定員全日制普通科520名、家政科80名、厳木分校定時制100名。 佐賀県立唐津東高等学校 1956年昭和31年) - 佐賀県立唐津高等学校佐賀県立唐津東高等学校(現校名)と佐賀県立唐津西高等学校分離厳木分校は西高に移管)。全日制普通科設置第1回鶴城祭を開催1960年 (昭和35年) - 女子制服制定 1976年昭和51年) - 生徒会広報誌輪」創刊1978年昭和53年) - 耐寒訓練始まる。 1999年平成11年) - 創立100周年校訓制定2006年平成18年) - 佐賀県立唐津東中学校開校現在の時制導入2007年平成19年) - 現在地移転新校舎落成記念式典2008年 (平成20年) - 併設中高一貫教育 全6学年27学級完成中学校 一年定員120名(3学級) ・高等学校 一年定員240名(6学級2011年平成23年) - 同窓会館現在地新築落成2013年平成25年3月27日 - 東経130度子午線モニュメント除幕式2019年 (令和元年) - 創立120周年記念式典

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正史

出典:『Wiktionary』 (2021/04/17 14:17 UTC 版)

名詞

(せいし)

  1. ある国において、その時点の政府公認する自国歴史事実又は歴史観。または、それに基づいて記述され歴史書
  2. 中国及び東アジア諸国において、中国伝統的な歴史思想に基づき朝廷など政府において執筆された歴史書

対義語

発音(?)

翻訳


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