正受院 (東京都北区)とは? わかりやすく解説

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正受院 (東京都北区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 13:38 UTC 版)

正受院
所在地 東京都北区滝野川二丁目49番5号
位置 北緯35度45分5.3秒 東経139度44分1.5秒 / 北緯35.751472度 東経139.733750度 / 35.751472; 139.733750座標: 北緯35度45分5.3秒 東経139度44分1.5秒 / 北緯35.751472度 東経139.733750度 / 35.751472; 139.733750
山号 思惟山[1]
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来[2]
創建年 弘治年間[1]
開山 学仙房[1]
正式名 思惟山正受院浄業三昧寺
別称 赤ちゃん寺
札所等 上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場4番札所、北豊島三十三ヶ所霊場23番札所
法人番号 3011505000159
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正受院(しょうじゅいん)は、東京都北区滝野川二丁目にある浄土宗寺院

歴史

伝承によると、室町時代弘治年間(1555年 - 1558年)に、大和国(現在の奈良県)で修行をしていた学仙房という僧が、霊夢によって同地を訪れ、正受院を開いたと言われている[2]

同院には、蝦夷地探検で著名な江戸時代後期の探検家近藤重蔵の石像がある[3]。同像は、近藤が正受院の隣に「滝野川文庫」と名付けた書斎を建て、居住していたことによるものである[4]

本堂裏には石神井川が流れているが、そこにはかつて不動の滝という滝があったことが『江戸名所図会』にて説明されている[5][6]

また水子赤ちゃんを供養する納骨堂があることから、同院は「赤ちゃん寺」とも呼ばれている[7][4]

不動堂には、学仙坊が川からすくい上げたと言われている不動明王像(一説によると弘法大師作とも言われている)が祀られている[4]

主な施設

石造近藤守重坐像
  • 本堂
  • 慈眼堂(納骨堂)
  • 不動堂
  • 山門 - 1902年の竣工。
  • 近藤守重像
  • 不動の滝跡
  • 墓地

アクセス

脚注

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 滝野川村.
  2. ^ a b 北区教育委員会(1988) pp. 25-26
  3. ^ 歩きたくなるまち東京都北区.
  4. ^ a b c 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年、20-21p
  5. ^ 北区教育委員会掲示板 不動の滝
  6. ^ 江戸名所図会.
  7. ^ 納骨堂である慈眼堂には、かつて観音像が祀られていた。赤ちゃんなどの供養をするようになったのは、戦後になってからである。

参考文献

  • 北区教育委員会編『北区文化財案内』1988年
  • 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年
  • 正受院”. 歩きたくなるまち東京都北区. 北区地域振興部観光振興担当. 2020年11月12日閲覧。
  • 「滝野川村 正受院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ18豊島郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/18 
  • 斎藤幸雄 編「卷之五 玉衡之部 松橋弁財天窟 石神井川」『江戸名所図会. 第3』有朋堂書店、1927年、350-351,352頁。NDLJP:1174157/180 



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