くうかい【空海】
くうかい 【空海】
空海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 04:34 UTC 版)
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。諡号は弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の開祖。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお[1])[2]。
注釈
- ^ 太陰暦(旧暦)による西暦(太陽暦)との誤差も含めて773年説もある[3]。
- ^ 「玉依御前」「阿古屋御前」など諸説ある[4]。
- ^ これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅した日で、頼瑜(1304年没)の『真俗雑記』などで「空海が不空の生まれ変わり」とする伝承に拠っている[5]。それを出典として空海が6月15日生誕と明記されている空海関係書も多い[6]。
- ^ 空海の出生月日が6月15日であることを裏付ける史料は確認されておらず、「付会の可能性が高い」と多くの空海関係書でも言及されている[7]。
- ^ 『聾瞽指帰』は、序文と巻末の十韻詩が『三教指帰』とは異なるが、本文は同一。
- ^ 太政官符の得度年については延暦22年が多いが醍醐寺の聖賢『高野大師御広伝』写しでは延暦23年としている[10]。
- ^ 安然『真言宗教時義』は「薬生」との記述もあり[12]、中国語の能力の高さ[13]との関連は厳密には不詳。
- ^ 空海が朝廷に献上する経典の目録「御請来目録」に「闕期の罪、死して余り有りと雖も、ひそかに喜ぶ得がたき法を生きて将来せることを」 と書いてり、規則違反で「闕期の罪」に問われたともあるが[19] 、遣唐使判官の承認での経由と唐朝短縮許可という正規の手続きを経ての謹慎の扱いでもある。これを謙譲的な文言とする見方もある[20]。
- ^ 真済に仮託して10世紀ごろ書かれたとするのが通説となっている。
- ^ 映画の制作に当たり、十八派に分断されていた真言宗が「祖師のもと一致団結すべし」という機運が盛り上がり、宗派を縦断した映画制作委員会が結成される。
- ^ 『経国集』の全20巻中、伝存するのは梵門(仏教詩部門)を収めた巻十を含む6巻しかなく、全容が不明であることを考慮しても、空海の詩は仏教詩だけでなく、雑詠の巻十一、巻十三にもある。
- ^ 史実としては、南側の複数の門を担当している。東側の諸門は嵯峨帝自身が、北側を橘逸勢が、西側を(三筆に数えられていない)小野美材が担当。
出典
- ^ “弘法大師の誕生と歴史”. 高野山真言宗 総本山金剛峯寺. 2019年1月18日閲覧。
- ^ 得度の延暦24年太政官符も俗名「眞魚」とする。
- ^ 『沙門空海』(筑摩書房)、『空海辞典』(東京堂出版)、『真言密教の本』(学研)
- ^ 『続日本後紀』承和3年(836年)2月紀。
- ^ 佐藤良盛『わが家の宗教 真言宗』、大法輪閣、1988、p.38
- ^ 八尋舜右『物語と史跡を訪ねて 空海』、成美堂出版、1984、p.11(本文)、p.214(年表)。
- ^ 上山春平『空海』、朝日新聞社(朝日選書)、1992、p.49。竹内信夫『空海入門』、筑摩書房(ちくま新書)、1997、p.79。
- ^ “007 平城京の寄宿先「佐伯院」|空海誕生 -エンサイクロメディア空海-”. 密教21フォーラム. 2019年1月18日閲覧。
- ^ 頼富 2015, p. 76.
- ^ 頼富 2015, p. 78高木訷元校訂
- ^ 頼富 2015, p. 77.
- ^ 東野治之 2007, pp. 111–118.
- ^ 石田実洋 2011, pp. 222–223.
- ^ 空海「遍照発揮性霊集」。
- ^ 渡辺照宏、宮坂宥勝『沙門空海』筑摩叢書 1967年 pp.69、242
- ^ 一条真也『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)6ページ
- ^ a b 渡辺照宏、宮坂宥勝『沙門空海』筑摩叢書 1967年 pp.87-92
- ^ 平山徳一『五島史と民俗』(私家版 1989年)[要ページ番号]
- ^ 松長有慶『空海・心の眼をひらく - 弘法大師の生涯と密教』 大法輪閣 2002年 p,106、高木訷元, 岡村圭真『密教の聖者空海』<日本の名僧4> 吉川弘文館 2003年 p.72 など
- ^ 宮坂宥勝『空海の人生と思想』春秋社 1976年 p.26
- ^ 入澤宣幸『ビジュアル百科 日本史1200人』(西東社)35頁
- ^ 阿部龍一「『聾瞽指帰』の再評価と山林の言説」『奈良平安時代の〈知〉の相関』根本誠二・秋吉正博・長谷部将司・黒須利夫編、岩田書院、2015年。 ISBN 978-4-87294-889-9[要ページ番号]
- ^ “高野山奥之院御廟 〜1200年間続く弘法大師空海の食事〜|わかやま歴史物語”. 2020年5月18日閲覧。
- ^ 「高野山真言宗壇信徒必携」新居祐政 高野山出版社[要ページ番号]
- ^ 伝説では、『拾遺往生伝』によると「土佐の金剛頂寺十一世住職・蓮臺が承徳2年(1098年)6月7日に高野山からの帰路「南無弘法大師遍照金剛菩薩」と唱えたのが最初という」
- ^ 東寺の僧・亮禅が嘉元4年(1306)に唱え東寺を中心に広まったとされ、一方、八字の宝号は室町時代中期に高野山の印融らにより作られ、六字の宝号をしのぎ広まった。(印度学仏教研究45巻2号平成9年3月日野西真定/著による)
- ^ 「本朝伝法灌頂師資相承血脈」(『大日本古文書』家わけ19、醍醐寺文書之一、279号)所載。
- ^ 「弘法大師影像図考」水原堯栄 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 高野山開創1200年「高野山の名宝」リーフレット 2014~2015年 あべのハルカス美術館・サントリー美術館
- ^ 森正人『四国遍路の近現代-「モダン遍路」から「癒しの旅」まで』創元社、2005年。[要ページ番号]
- ^ a b 木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)P.18 - 21
- ^ 鈴木翠軒・伊東参州 『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年11月、ISBN 978-4-8195-0145-3)P.212
- ^ 空海・酒麻呂の関係については、『日本三代実録』貞観3年11月11日条に記載されている。
- ^ “日本文理大学・河野研究室 名水の部屋”. 2011年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月18日閲覧。弘法水の水文科学的研究
- ^ a b 湯山賢一 著「後醍醐天皇宸筆天長印信」、西川新次; 山根有三 編 『醍醐寺大観』 3巻、岩波書店、2001年、解説部87–88頁。ISBN 978-4000089180。
- ^ a b “狐 - 讃岐丸亀地方の伝承” (日本語). 怪異・妖怪伝承データベース. 国際日本文化研究センター. 2021年6月10日閲覧。(発行昭和6年。「1936年」とあるが「1931年」の誤記。)
- (引用元論文(未検証):立花, 正一「讃岐丸亀地方の伝承」『郷土研究』第5巻第7号、郷土研究社、1931年12月1日、 45-47頁。)
- ^ 四国四県町村会、四国四県町村議会議長会 編「3. 四国アラカルト(1)四国のお話から 狸と狐とお大師さん」(日本語)(pdf) 『笑顔満開ふるさと四国 : 四国57町村共同情報誌』四国四県町村会、2012年1月3日、2頁。NDLJP:11338759 。2021年6月10日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “『護摩の灰』”. コトバンク経由. 2020年4月1日閲覧。
- ^ “染谷将太がチェン・カイコー監督作「空海―KU-KAI―」で主演”. 映画ナタリー. (2016年10月17日) 2016年10月17日閲覧。
- ^ “空海の旅”. NHK (2020年6月25日). 2021年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月27日閲覧。
空海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 04:00 UTC 版)
佐伯真魚(空海の幼名)は15歳の世間知らずな少年で、一族の期待を背負い、勉強にいそしむ毎日だった。彼の唯一の楽しみは身分が違う少女ヨモギと会うことだった。
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空海
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詳細は「空海」を参照 中国では五筆和尚、日本では入木道の祖と仰がれ、その書流は大師流、また嵯峨天皇・橘逸勢とともに平安時代初期の第一の能書家として三筆と称された。まさに日本の王羲之ともいうべき不世出の能書家である。 書は在唐中、韓方明に学んだが、唐の地ですでに能書家として知られ、殊に王羲之の書風の影響を多く受けた。また顔真卿、徐浩の書を習ったといわれるが、その当時の中国の素晴らしいものを迅速に消化して、これをさらに日本的な姿に発展させている。入唐前の24歳の著述『聾瞽指帰』は王羲之風ながら、帰国後の『灌頂歴名』、『風信帖』などは顔真卿の書風も看取される。 篆書、隷書、楷書、行書、草書、飛白のどんな体にしてもそれぞれ他に類のない逸品を残し、『風信帖』はその完成された書風の一頂点を示すものとして名高い。
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空海(くうかい)
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日本に真言密教をもたらした大阿闍梨。拳志郎が見る過去の時代のビジョンにおいて登場する。唐における密教の修行を終えた時、空海は師の恵果の命によって、北斗神拳の使い手である三兄弟を伴って日本に帰国する。
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空海
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平安時代初期の仏僧。唐に渡って密教を学び、日本に帰国後、真言宗を開いたことで知られる。紀伊国の高野山を真言宗の道場に整備し、また庶民のための学校を設立するなど、一僧侶に留まらない幅広い活躍の結果、仏法を弘めて衆生に利益を与えたとして“弘法大師”と尊称されるに至った。また“大師流”と呼ばれる書流を生んだ能筆家で“弘法、筆を選ばず”など、今に伝わる慣用句の中にも名を残す。守護霊は朱雀。
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空海
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本作の主人公。真言宗の開祖。讃岐国多度郡の郡司を務める佐伯氏の出身で、俗名は「佐伯真魚」(さえきのまお)。幼い頃より利発さを謳われ、官界で栄達することを期待した両親に望まれて桓武天皇の皇子伊予親王の侍講であった叔父の阿刀大足の薫陶を受けて大学寮に入学するが、己の生と世界の成り立ちへの探求心の強さから学業を放り出して私度僧となり、遊行を始めてほどなく密教を知る。超自然現象に感応する呪術者的な体質とともに、それとは相反する高度な理論を構築する論理的才能を併せ持つ。既存の仏教を宇宙の本質を穿っていない「顕教」と断じ、宇宙の胎内に入って真理との一体化を目指す密教こそが真の仏教と考え、仏教の呪術分野として多分に雑多な状態にあった密教を教義の矛盾を解消して狂いのない結晶体にまとめ上げ、インドにおいてそれぞれ個別に成立した智(精神の原理)を説く金剛頂系と理(物質の原理)を説く大日経系という二つの体系を融合させ、本家のインドや中国にもなかった独自の思想体系を作り上げた。
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空海(そらうみ)
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「DOG DAYS」の記事における「空海(そらうみ)」の解説
フロニャルドの上空、雲の上にある。浮島と雲の間にあるその空間には生き物や精霊たちが居り、独自の生態系が存在する。 到達するには厚い雲の層を突き抜ける必要があり、シンクたちはシャルが乗ってきた火竜にロープを固定し、それに掴まって行くこととなる。 星鯨(ほしくじら) 空海を浮遊する、山脈より大きい空飛ぶ大精霊。国も領土もない空海の平穏を司る存在で、人間や神竜たちよりも以前からフロニャルドに生きている。年に数度程度、地上からも泳ぐ姿が見られる。 口を開けたときの吸引力は、火竜でさえも抗えないほど。 体内には空の巫女、空人(そらびと)と呼ばれる小柄の精霊、そして星の民がいる。 星鯨は、空海に漂う悪い成分を含む空気(瘴気)を飲み込んで体内で浄化する働きがある。空の巫女は星鯨の声を訊き、星の民が癒しの歌や祭りの歌を歌うことで星鯨の体調は保たれ、体内の環境も豊かになる。瘴気は星鯨の体内で病魔という形で現れ、通常は星の民の歌の力により浄化される。しかし、病魔を浄化しきれず体外に溢れ出てしまうと、空海の島々や地上にまで災厄が及ぶ可能性がある。 かつてアデライドたちも空人の里を訪れている。 ファリーヌ 声 - 高垣彩陽 星鯨の中にいる、星鯨と地上を繋ぐといわれる空の巫女。元々地上にいた土地神の一族で身体がとても大きい(正座したとき膝までの高さがシンクたちの身長とほぼ同じ)。右手には打撃部分に棘がついたメリケンサック様の武器を、左手には数珠を装備している。 普段は水鏡を使い、星鯨の体内だけでなく体外や地上も観ている。千切った自身の髪の毛から小さな分身を生むことができ、シンクたちの誘導や火竜の捜索を担う。 グリ ファリーヌに使える黒いマスコット。シャルの使いであるペガと仲良し。巨乳好きかもしれない。(ジェノワーズ3人を乳比べしてベールの谷間に飛び込んだ)ファリーヌの分身とともにシンクたちを星の民が住む里へ案内する。騒動終了後は地上と空海の友好の証として三国連合に贈られ、ガウルに託される。幻獣と呼ばれるペガと同種の生き物で、真の姿は羊の角が生えたグリフォンのような姿をしている。
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空海(くうかい)
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弘法大師の賜号で有名な日本仏教界の偉人。ショムジョの代表選手の一人。ブッダとイエスがショムジョを引退した後入滅したため、2人がショムジョをプレイしているところを見たことがなかった。
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空海(そらみ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 09:20 UTC 版)
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空海
出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 12:49 UTC 版)
人名
- 《日本史》 平安時代初期の密教僧で、真言宗(wp)の教祖(開祖1.)にして真言八祖(wp)の八祖。774年(宝亀5年) - 835年(承和2年)。俗名(wp)は佐伯真魚(さえきのまお)(うち、真魚は幼名(wp))。法号が空海。灌頂(wp)名・密号は遍照金剛。諡号・弘法大師の名でも知られ、一般に「大師」「御大師様(おだいしさま)」「お大師さん」といえば、空海を指す。「弘法様」「弘法さん」とも呼ぶ。能書家としても著名で、中国では五筆和尚(wp)の一人、日本では入木道(wp)の祖とされ、三筆(wp)の筆頭にも挙げられる。
- 《日本史》 室町時代(wp)・戦国時代(wp)の茶人。東山流。通称は島右京。
由来
室戸岬の御厨人窟で修行(wp)に励んでいた24歳の彼の口に、明星が飛び込んできて、そのとき悟りを開いたといわれるが、洞窟の中から見た景色は空と海だけであったため、それ以後、空海と名乗るようになったと伝えられる。
諺・格言
関連語
「空海」の例文・使い方・用例・文例
空海と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
平安時代の人物 | 藤原濱雄 菅原文時 空海 藤原敦基 徳一 |
映画作品 | 四つの終止符 天狗党 空海 セクシードリンク大作戦 神様のくれた酒 HELL ヘル |
日本の僧 | 幡随意 顕智 空海 安田暎胤 徳一 |
思想家 | シャンカラ 孟子 空海 フェルディナント・ラッサール ベネデット・クローチェ |
教育関係人物 | 孟子 ジェサップ 空海 フリードリヒ・フレーベル 福澤諭吉 |
日本の能書家 | 細井九皋 上田聴秋 空海 呉北渚 福井端隠 |
神秘思想家 | シャンカラ ダイアン・フォーチュン 空海 カルロス・カスタネダ サティヤ・サイ・ババ |
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