貝原益軒とは? わかりやすく解説

かいばら‐えきけん〔かひばら‐〕【貝原益軒】

読み方:かいばらえきけん

[1630〜1714]江戸前期儒学者本草学者福岡藩士。名は篤信薬学学び朱子学奉じた。教育歴史・経済の面にも功績が多い。著「養生訓」「慎思録」「大和本草」など。


かいばらえきけん 【貝原益軒】


貝原益軒

読み方かいばら えきけん

江戸前中期儒者福岡藩医官貝原寛斎の四男。名は篤信、字は子誠、通称助三郎、のち久兵衛別号に損軒・柔斎。父や兄存斎に医学漢学を学ぶ。のち藩医となり京都遊学学問初め陽明学好み、のち朱子学を、晩年にはその朱子学批判する至った。その探究するところ極めて幅広く子女教育法説いた和俗童子訓』等著書も多い。正徳4年(1714)歿、85才。

貝原益軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 03:47 UTC 版)

貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日寛永7年11月14日) - 1714年10月5日正徳4年8月27日))は、江戸時代本草学者(現代で言う薬学者[1])、儒学者。 50年間に多くの著述を残し、経学、医学、民俗、歴史、地理、教育などの分野で先駆者的業績を挙げた[2]


  1. ^ 男の更年期は貝原益軒『養生訓』の叡智で乗り越えられる
  2. ^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,精選版 日本国語大辞典,旺文社日本史事典 三訂版,デジタル大辞泉,367日誕生日大事典,世界大百科事典. “貝原益軒とは”. コトバンク. 2022年2月23日閲覧。
  3. ^ 貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫、1961年昭和36年))p.282、『口語 養生訓』(日本評論社、2000年平成12年))pp.379-380
  4. ^ 福岡市の文化財を見に行こう”. 福岡市経済観光文化局 文化財活用部 文化財活用課. 2022年4月8日閲覧。
  5. ^ 藤浪剛一 (1936-07-20). 医家先哲肖像集. 刀江書院. p. 100. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222715/63 
  6. ^ a b 吉田忠 (2013-02-03). “本草学”. 東京人 (都市出版) 321: 40-45. 
  7. ^ 『養生訓』と貝原益軒⑦”. 協通事業 (2018年10月2日). 2019年6月27日閲覧。


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