フィールドワーク
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フィールドワーク(英: field work)は、ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である。地学や地理学では巡検ともいう。
- ^ a b c d e f g 前野浩太郎 (著) バッタを倒しにアフリカへ 光文社新書 2017年
- ^ Malonowski,B., Argonauts of the Western Pacific, London : Routledge and Kegan Paul, 1922.(寺田和夫ほか訳 「西太平洋の遠洋航海者」、泉靖一・増田義郎編訳 『マリノフスキー・レヴィ=ストロース』、中央公論社<世界の名著59>、1967年)。
- ^ 佐藤郁哉 『暴走族のエスノグラフィー』、新曜社、1984年。
- ^ Evans-Pritchard, The Nuer, Oxford : Clarendon Press, 1940.(向井元子訳 『ヌアー族』、岩波書店、1978年)
- ^ Raymond Firth, We, the Tikopia, London : George Allen and Unwin, 1936.
- ^ 九学会連合編 『漁民と対馬 - 共同研究』、関書院、1952年。
- ^ 中根、1987年、22頁以下。
- ^ 佐藤、1992年、123-128頁。
- ^ 佐藤、1992年、140-145頁。
- ^ その一例として、経済学者・中西徹によるフィリピンのスラム経済に関する研究(1991年)、を参照。
- 1 フィールドワークとは
- 2 フィールドワークの概要
- 3 参考文献
フィールドワーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 16:49 UTC 版)
「シナ・チベット語族」の記事における「フィールドワーク」の解説
シェーファーとベネディクトが使用した無文字言語の記述は、多くが宣教師や植民地政府の統治者によって記録されたものであり、言語学的にみた正確さに問題がある。小さなシナ・チベット語族の言語の大部分は近づきがたい山間地で話されており、その多くは政治的・軍事的に敏感な地域であって、調査が禁じられている。1980年代まで、もっともよく調査されていた地域はネパールと北部タイであった。1980年代から1990年代にかけて、ヒマラヤと中国南西部の新しい調査が公刊された。中でも特に興味ぶかいのは、新しい語派である四川省およびその隣接地域で話されるチアン語群の発見である。
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フィールドワーク
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「開智未来中学・高等学校」の記事における「フィールドワーク」の解説
他校での、遠足や修学旅行などに相当する行事。単なる観光旅行とは違い、目標と課題を持ち「探求」することを目的としている。
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フィールドワーク
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「開智日本橋学園中学・高等学校」の記事における「フィールドワーク」の解説
「調査観察→疑問の発見→仮設を考える→検証→考察発表」という一連の流れを繰り返すことにより、思考力及び課題解決能力を育成する。正しい「解答」や「結論」を出すことよりも、どのように考え、調査、実験、検証したかの方法や過程が重要視されている。
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フィールドワーク
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十代から、鳥居は徳島をはじめ、四国各地、後、東京帝大在職中も、日本各地のフィールド・ワークを行い、その度に展示会・講演会を開催、人類学・考古学の普及に努めた。 鳥居が「アジア大陸を歩かれた旅程は恐らく幾万キロを突破したであろう」といわれる。「現在のような飛行機の便はなく、船・車・馬を利用し、又徒歩であった。しかも丹念に学問的観察をなし、その成果を発表した」「彼の足跡は当時、台湾・朝鮮・シベリア・蒙古・満州・シナ西南部・樺太等の各地に及んだ」。
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フィールド・ワーク
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瀬川がその生涯で訪れた調査地は、300箇所近くにのぼり、その数は同時代の民俗学者の中でも群を抜いている。全国山村調査、海村調査で得られた民俗資料も瀬川の調査に依っている部分が大きい。海村調査は3箇年計画で実施される予定であったが、第二次世界大戦の影響により2年で助成金が打ち切られた。軍事施設の多い海浜地帯の調査はスパイの嫌疑をかけられるといった事情から困難を極めたが、瀬川は15の海村を訪れ調査を行っている。1939年(昭和14年)段階において調査を行ったのは海村調査のメンバーの中で瀬川1名のみであった。
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フィールドワーク
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