植民地
しょくみん‐ち【植民地】
植民地 colony
植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 19:22 UTC 版)
植民地(しょくみんち、殖民地、英: colony)とは、本国からの移住者によって経済的に開発され(植民・移民)、本国に従属する地域[1][注 1]。統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。古代ギリシアやローマ時代には、新しい地域に移住して形成する社会を意味した[1]。
注釈
- ^ 18世紀末から20世紀末に至る約200年間に例えば、アメリカ合衆国がイギリスから独立したのは1776年であり、仏領ルイジアナをフランスからアメリカが購入したのは1803年である。アルゼンチンやパラグアイは1810年代にスペインから独立している。一方、多くのアフリカ諸国は1960年に至るまで植民地として残っていた。西サハラからは1975年にスペインが撤退しているが、2004年現在も独立できていない。グリーンランドとフェロー諸島も2018年現在デンマークの自治領である。カメルーンやナミビアなど、200年間に宗主国が変化した地域については、ほとんどの場合、最初の宗主国を示した。古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。
- ^ 古代中国の朝鮮半島での楽浪郡等漢四郡(それ以前の箕子朝鮮、衛氏朝鮮を含めても考えることができる)の設置、ベトナムでの日南郡、交趾郡など南越九郡の設置も一種の植民活動である。
- ^ エリック・ウィリアムズやジョン・ケネス・ガルブレイスの見解。また世界システム論・世界経済の項目を参照。
- ^ この例として、明治維新前年1867年にハワイ国総領事を名乗る男が幕府の免状を得、明治元年に日本人を移民させたことをめぐる問題(ハワイ日本人出稼人召還事件)、あるいは「苦力貿易 (coolie trade) 」と呼ばれる人身売買ケースにまつわる外国公使からの各種通報、1872年(明治5年)のマリア・ルス号事件[9]などがある。
- ^ 政務のすべては総督に委任の上、内閣総理大臣の監督を受け(台湾総督府官制3条)、あるいは内閣総理大臣を経て天皇に直接上奏すれば良い(朝鮮総督府官制3条)とされたが、実際の実務は拓務省や内務省など内地行政機関の依命通牒(直接の権限はないが、上位職の指示命令により通知(アドバイス)する文書)に従うことが多かった。また総督府令により1年以下の懲役もしくは禁錮、拘留、200円以下の罰金または科料の罰を課すことが認められていた(台湾総督府官制5条、朝鮮4条)が、それ以上の罪過あるいは総督府令によらない法令については日本内地の制定法による必要があった。
- ^ 「植民地」なる用語への評価としてはたとえば『(植民地の)文字の我国で用ゐられ初めたのは、極めて最近の事で、~中略~明治以前の空気に多く包まれた人の頭には、植民地と云ふ文字が、非常にハイカラな文字になつて響いて居る。隨て、植民地がどうの、植民政策がどうの、拓殖局がどうのといつた所で、虻が鼻の頭を刺した程の感じもない。新領土といふ文字にせよ、其れは二十七八年、三十七八年に於ける、二大戦役の賜物で、此戦役以前、新領土といふ文字は、あまり繰り返されて居ない。何れにしても、植民地といふ文字は、現代人に未だ耳新しい文字である。先ず植民的知識をいへば、其れは北海道開拓の其れであつたらう。北海道開拓は、我日本国民に、植民の意味を、朧気ながらも、先づ敎へた所の鐘の音であるのである』[19]。
- ^ 韓国紙『朝鮮日報』によれば、「アメリカの世界史の教科書には中国と韓国の間の朝貢秩序を拡大解釈し、韓国を中国の従属国と見なしたり古代日本が韓国から多くの文化的影響と接触を受けたにも関わらず日本が直接中国を通じて文物を伝承したという内容もあった。韓国教育開発院の李讃熙(イ・チャンヒ)博士は『韓国の歴史を主体的に扱っておらず、中国、日本などの歴史叙述のために付随的に挿入されているケースが多い』」と指摘する[24]。
- ^ ジョン・ロスらの「チェロキー国への州法適用差し止め」訴訟と連邦議会への工作はジャクソン大統領による「大統領にインディアン強制移住の権限を与える法律」制定提案と圧倒的多数による可決をもって報いられた。また裁判所への提訴はチェロキーたちの提訴権の否定(門前払い)によって報いられた。黒人奴隷の裁判提訴権の否定についてはドレッド・スコット対サンフォード事件。
- ^ 「奴隷解放論者」と「解放奴隷」によって進められた、アメリカ植民協会によるリベリア入植は実にアメリコ・ライベリアンらによる新たな植民地であった。赤狩りによって非合法化されるアメリカ共産党には黒人に主権をという主張もあった。ただし必ずしも黒人の支持があった訳でない。
出典
- ^ a b 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “植民地とは”. コトバンク. 2022年2月17日閲覧。
- ^ 三訂版,デジタル大辞泉, 日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典. “半植民地とは”. コトバンク. 2022年2月17日閲覧。
- ^ “3つの大海に浮かぶフランス海外領土”. jp.france.fr. 2022年9月11日閲覧。
- ^ プエルトリコの住民は、米国市民権を持ち米全国への旅行や移住は自由だが、大統領選挙や上下両院議員選挙での選挙権はない。米国大統領がプエルトリコの国家元首とされ、米国が外交、防衛権を持つ。民選で選出されたプエルトリコ自治政府は米国内法と抵触しない範囲での内政自治権を持っている。
- ^ “プエルトリコにつく「自治領」とは?”. www.jcp.or.jp. 2022年9月11日閲覧。
- ^ https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_20-3/RitsIILCS_20.3pp.47-55Nishikawa.pdf
- ^ Aim'e, C'esaire 著、砂野幸稔 訳『帰郷ノート/植民地主義論』平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2004年5月1日。ISBN 4582764983。
- ^ 山本真鳥 2002.
- ^ 山本忠士 2005.
- ^ a b 石村修『植民地法制の形成』(レポート)、(PDF)専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム、2006年3月26日。[リンク切れ]。
- ^ 山本有造 2000, p. 60.
- ^ https://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/bun45dict/dict-html/00276_CommonwealthofNations.html
- ^ 水野直樹 (2002年6月13日). “日本は朝鮮半島を植民地支配し、何をしたのか-戦前”. 2010年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月26日閲覧。
- ^ 上杉慎吉『新稿憲法述義』(第四版)有斐閣、1925年8月5日。doi:10.11501/952413。国立国会図書館書誌ID:000000567551。
- ^ 石村修 2007, p. 181.
- ^ “北海道殖民地ニ於ケル道路橋梁排水工事ノ請負随意契約ノ件・御署名原本・明治三十一年・勅令第三十七号”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1898年3月18日). 2020年8月6日閲覧。
- ^ “予算外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スヲ要スル件・御署名原本・昭和七年・予算外国庫ノ負担トナルヘキ契約九月三日”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1932年9月3日). 2020年8月6日閲覧。
- ^ “万国郵便条約・御署名原本・昭和五年・条約第四号”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1930年6月26日). 2020年8月6日閲覧。
- ^ 西村才介 1912, p. 2.
- ^ a b 矢内原忠雄 1926, p. 36.
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- ^ Columbia University Press (2013年). “Korea”. The Free Dictionary. The Columbia Electronic Encyclopedia®. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 柳洪烈(監修) 1996, p. 1819.
- ^ 梁根晩 (2010年8月10日). “米教科書にも韓国関連誤記多い”. 朝鮮日報. 朝鮮日報. 2002年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月6日閲覧。
- ^ 木原隆司 2009, p. 33.
- ^ 猪木正道 1967, pp. 7–8.
- ^ 施錦芳 2010, p. 29.
- ^ “海外食糧基地の確保計画を策定、李明博大統領”. WoW!Korea (2008年4月16日). 2020年8月6日閲覧。
植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 06:02 UTC 版)
「スウェーデン領黄金海岸」の記事における「植民地」の解説
植民地は、ギニア湾海岸沿いのカボ・コルソ(現在のケープ・コースト)の周りに点在するいくつかの砦と交易所(商館)で構成されていた。これらの施設は、最初にポルトガル人が築いた物もあればオランダ人が築いた物もあり、スウェーデン人自身が築いた物もあった。また、植民地はオランダ領になった後で、さらにイギリス領黄金海岸となった(植民地の東部はフランス領トーゴランド(現在のトーゴ)になった)ので、その時に放棄されたり逆に大規模に拡張されたり、改名されたりしたものもある。ともかく、スウェーデンが保持していた主な施設は以下の2つの商館と6つの砦である。 アカラ商館、カールスボルグ砦の東にあった カールスボルグ砦(カールスボルグとケープ・コースト城)、現在のセントラル州ケープ・コースト、1650年4月22日-1658年1月/ 2月、1660年12月10日-1663年4月22日 ウィリアム砦(またはアンナマボ)、現在のアノマブ(セントラル州)、1650年 – 1657年 バテンステイン砦 (またはBatensteyn)、現在のButri(ウェスタン州セコンディ・タコラディの付近)1650年 - 1656年 クリスチャンズボルグ砦(オス城)、現在のガーナ、アクラのオス地区、植民地の首府、1652年 – 1658年 ウィッセン砦(またはTaccorari)、現在の(ウェスタン州セコンディ・タコラディ)、1653年 - 1658年 アポロニア砦、現在のベイン(ウェスタン州)1655年 – 1657年 ジェモリー商館、カールスボルグ砦の東にあった
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植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:30 UTC 版)
ドイツが放棄した植民地については、国際連盟に指名された国が統治する、委任統治に移行した。 ルアンダ=ウルンディ(旧ドイツ領東アフリカ )(受任国・ベルギー:現在のルワンダとブルンジ) タンガニーカ(旧ドイツ領東アフリカ)ロヴマ川以南のキオンガ三角地帯(英語版)(受任国・ポルトガル:現在のモザンビーク北部) ロヴマ川以北→タンガニーカ地域(英語版)(受任国・イギリス:現在のタンザニア大陸部) ドイツ領トーゴラント西部三分の一→イギリス領トーゴランド(受任国・イギリス:現在のガーナ東部) 東部三分の二→フランス領トーゴランド(受任国・フランス:現在のトーゴ) ドイツ領南西アフリカ→南西アフリカ(受任国・南アフリカ連邦:現在のナミビア) ドイツ領カメルーン(旧ドイツ領西アフリカ)北部カメルーン→イギリス領カメルーン(受任国・イギリス:現在のナイジェリア東部) 南部カメルーン→フランス領カメルーン[要リンク修正](受任国・フランス:現在のカメルーン) ノイカメルーン (旧ドイツ領西アフリカ)→ フランス領赤道アフリカに統合 ドイツ領ニューギニアマリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ、マーシャル諸島→ 南洋諸島(受任国・日本) ソロモン諸島→ イギリス領ソロモン諸島(英語版)(受任国・イギリス) カイザーヴィルヘルムスラント(英語版)→ オーストラリア領ニューギニア(英語版)(受任国・オーストラリア:現在のパプアニューギニア北部) ナウル→ 三国共同統治領ナウル(受任国・イギリス、オーストラリア、ニュージーランド) ドイツ領サモア[要リンク修正]→ ニュージーランド領西サモア(英語版)(受任国・ニュージーランド)
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植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:38 UTC 版)
詳細は「植民地」を参照 植民地(英: colony)は、原義としては植民によって獲得した領土のことであるが、近現代においては本国に対して従属的地位にある領土を指す。 20世紀初頭の西洋列強による支配統治下にあった、国力の劣るアフリカ、アジアなどに多くみられた。
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植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:02 UTC 版)
「ポルトガル・エスクード」の記事における「植民地」の解説
エスクードはポルトガル本国、アゾレス諸島、マデイラ諸島で使用されたほか、アフリカ旧植民地においてもポルトガルで発行された通貨が流通していた。一部においては地方硬貨や、ポルトガル銀行券よりも大西洋銀行券が多く流通し、アンゴラ・エスクード、カーボベルデ・エスクード、モザンビーク・エスクード、ポルトガル領ギニア・エスクード、サントメ・プリンシペ・エスクードとして植民地から独立するまで使用された。このうちカーボベルデだけは現在もエスクードを通貨としている。 アフリカ以外の旧植民地においては、マカオが植民地時代から今日に至るまでパタカが使用されていた。東ティモールがポルトガル植民地であった間、当初はパタカ、のちにエスクードが使用された。ポルトガル領インドがインドに併合される以前、エスクードを通貨としていた。
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植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 17:08 UTC 版)
「ロシアによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「植民地」の解説
詳細は「ロシア領アメリカ」を参照 ロシアによる最初のアラスカ植民地は1784年にグリゴリー・シェリホフが設立した。その後ロシア人探検家や開拓者がカムチャツカ半島のペトロバブロフスクを起点に、アリューシャン列島、アラスカ本土、ハワイおよび北カリフォルニアに交易拠点を築いていった。
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植民地
出典:『Wiktionary』 (2021/07/31 13:38 UTC 版)
名詞
- (歴史的意義)ある民族などが、もともと居住していた土地を保ちつつ、その一部を、従来居住していなかった土地に移民させ、同一の支配ないし文化等を共有させることとなった土地。古代ギリシアや古代ローマ、又は、大航海時代以降の新大陸殖民地がこれに当たる。
- (近代的意義)排他的で、唯一の支配に属する土地のうち、そこに定住する者の当該支配に参加する権利が、著しく制限されている領域。
異表記
翻訳
- アルメニア語: գաղութ (gaġut')
- イタリア語: colonia (it) 女性
- 英語:colony, plantation
- エスペラント: kolonio (eo)
- オランダ語: kolonie (nl) 女性
- カタルーニャ語: colònia (ca)
- ギリシア語: αποικία (el) (apoikía) 女性
- クルド語: mêtingeh (ku) 女性, kolonî (ku) 女性
- スウェーデン語: koloni (sv) 通性
- スコットランド・ゲール語: tuineachas (gd) 男性
- スペイン語: colonia (es) 女性
- セルビア・クロアチア語: kolonija (sh) 女性
- チェコ語: kolonie (cs) 女性
- 中国語: 殖民地
- 朝鮮語: 식민지 (ko)
- デンマーク語: koloni (da) 通性
- ドイツ語: Kolonie (de) 女性
- ノルウェー語: koloni (no) 男性
- ハンガリー語: gyarmat (hu)
- フィンランド語: siirtomaa (fi)
- フランス語: colonie (fr) 女性
- ブルガリア語: колония (bg) 女性
- ベトナム語: thuộc địa (vi)
- ヘブライ語: מושבה (moshava) 女性
- ポーランド語: kolonia (pl) 女性
- ポルトガル語: colônia (pt) 女性
- マケドニア語: колонија (mk) (kolónija) 女性
- ラテン語: colōnia (la) 女性
- ロシア語: коло́ния (ru) (kolónija) 女性
「植民地」の例文・使い方・用例・文例
- 植民地政策
- 直轄植民地
- 植民地を建設する
- 議会はその植民地の独立を宣言した
- 植民地を創設する
- 彼はアフリカの反植民地主義運動の英雄です。
- ヨーロッパの植民地主義者たちは世界を自分たちの間で分けようとした。
- その作家は植民地主義的視点を持っていると批判された。
- 植民地開拓者は、先住民族を彼ら本来の領土から強制的に移動させた。
- 1901年、6つの植民地が連邦となってオーストラリアの国を形成した。
- その国は植民地主義の強圧的な支配下に置かれていた。
- 多くのアフリカの国が第二次世界大戦後に非植民地化された。
- スペインがキューバを植民地化した。
- 沢山の植民地が独立を勝ち取った。
- 彼らはアフリカに植民地を作った。
- 戦争後、イギリスは多くの植民地を得た。
- 数年後、ヨーロッパ人たちは沿岸の植民地に住み着いた。
- 古代ローマ人はヨーロッパ中に植民地を設立した。
- 英国は多くの植民地を設けた。
- フランスはアフリカにたくさん植民地を持っていた。
植民地と同じ種類の言葉
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