カンボジア【Cambodia】
読み方:かんぼじあ
インドシナ半島南東部の国。正称、カンボジア王国。首都プノンペン。メコン川流域にあり、米作地帯。1世紀末ごろクメール族が扶南(ふなん)を建国。6〜15世紀アンコール王朝の繁栄を経て、1863年フランスの保護領となり、1953年王国として独立。1970年ロン=ノル政権がクメール共和国を樹立したが倒れ、1976年ポル=ポト政権が民主カンボジア政府を発足。その後、1979年樹立のヘン=サムリン政権のカンボジア人民共和国と1982年樹立のシアヌークを大統領とする民主カンボジア連合政府が並立し、前者は1989年カンボジア国に、後者は1990年カンボジアに改名。1993年統一選挙が行われ、シアヌークを国王とする立憲君主国となった。2004年シハモニ新国王即位。人口1445万(2010)。カンプチア。
[補説] 「柬埔寨」とも書く。
カンボジア王国
カンボジア
(カンボジア王国 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 23:11 UTC 版)
カンボジア王国(カンボジアおうこく、クメール語: ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា)、通称カンボジアは、東南アジアのインドシナ半島南部に位置する立憲君主制国家[8]。東南アジア諸国連合加盟国であり、通貨はリエルである[8]。人口1671万人、首都はプノンペン。
注釈
出典
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月5日閲覧。
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月5日閲覧。
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “World Bank Open Data” (英語). THE WORLD BANK. 2021年11月6日閲覧。
- ^ a b “カンボジア基礎データ”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2022年3月5日閲覧。
- ^ 石澤 2013, p. 125.
- ^ 石澤 2013, pp. 175–176.
- ^ 石澤 2013, pp. 38–39.
- ^ 岡田知子「インドシナの枠組みの中で」/ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 173ページ
- ^ カンボジアの人口は七百七十六万人『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月18日朝刊、13版、7面
- ^ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 205ページ
- ^ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 207ページ
- ^ 大虐殺の審理始まる 2009年2月18日『しんぶん赤旗』
- ^ キュー・サムファン大虐殺罪で訴追『しんぶん 赤旗』2009年12月19日(土曜日)版
- ^ ここまで上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 217ページ
- ^ “カンボジアで見たしなやかな、強権政治に対する抵抗”. 2019年3月10日閲覧。
- ^ 宮崎朋紀「各国法整備支援の状況-カンボジア」
- ^ カンボジアが新しい民法を公布 | プレスリリース(2007年) | ニュースとお知らせ - JICA
- ^ カンボジアで民法の適用開始 | トピックス(2011年度) | ニュースとお知らせ - JICA
- ^ 高橋美和「季節のリズム」/ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 78-80ページ
- ^ “Cambodia Clearing House Mechanism Species Database”. 2022年6月3日閲覧。
- ^ Reptile Database, accessed 3 March 2013
- ^ “カンボジアの国土政策の概要”. 国土交通省国土政策局. 2020年2月4日閲覧。
- ^ “カンボジア住所の日本式表記について”. 在カンボジア日本大使館. 2020年2月4日閲覧。
- ^ カンボジアのGDP World Economic Outlook Database, April 2015
- ^ アジア開発銀行 Poverty in Asia and the Pacific: An Update
- ^ 外務省 後発開発途上国
- ^ 天川直子「米をつくる」/ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 344ページ
- ^ IMFの2014年の各国のGDPデータ
- ^ 「特集 法整備支援の課題」『法律時報』2010年1月号(日本評論社)
- ^ 特集 日本の法整備支援
- ^ Valerie Ooka Pang & Li-Rong Lilly Cheng. Struggling to Be Heard: The Unmet Needs of Asian Pacific American Children. SUNY Press (1998), p51. ISBN 0-7914-3839-2.
- ^ 「砲弾などを鐘として使わないで」 カンボジア政府、各学校に指示AFP、2018年7月30日閲覧。
- ^ “カンボジア 危険・スポット・広域情報”. 外務省. 2022年6月3日閲覧。
- ^ 世界で最も腐敗している国 ワースト29 | BUSINESS INSIDER JAPAN
- ^ 岡田知子「ウサギの裁判官」/ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 52ペー
- ^ インドの『ラーマーヤナ』のカンボジア版で「リアム」(ラーマ)王子の栄光という意味。
- ^ 最終話第547話「布施太子物語(モハーウェサンドー)」、釈迦前世の物語
- ^ カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマーにのみ残る
- ^ 岡田知子「天界の喜びから農民の苦しみまで」/ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 58ペー
- ^ 転倒現場で追悼式=死者347人に修正―カンボジア 朝日新聞 2010年11月25日
- ^ ユネスコ世界遺産センター カンボジア
カンボジア王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:42 UTC 版)
「世界遺産の一覧 (アジア)」の記事における「カンボジア王国」の解説
詳細は「カンボジアの世界遺産」を参照 画像登録名登録年分類登録基準ID備考 アンコール遺跡 1992年 文化 (1), (2), (3), (4) 668 危機遺産(1992年-2004年)。無形文化遺産のカンボジアの王家の舞踊(英語版)と関連。 プレアヴィヒア寺院 2008年 文化 (1) 1224 登録がタイとカンボジアの国境紛争を引き起こした。 古代イシャナプラの考古遺跡 サンボー・プレイ・クックの寺院地区(英語版) 2017年 文化 (2), (3), (6) 1532
※この「カンボジア王国」の解説は、「世界遺産の一覧 (アジア)」の解説の一部です。
「カンボジア王国」を含む「世界遺産の一覧 (アジア)」の記事については、「世界遺産の一覧 (アジア)」の概要を参照ください。
カンボジア王国(第一次)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 01:46 UTC 版)
「カンボジア君主・国家元首一覧」の記事における「カンボジア王国(第一次)」の解説
1434年 - 1970年 国王 ポニャー・ヤット(1434年 - 1462年) ニヤリヤイ・リヤミヤトゥバティー( - 1467年) 以下の3王による国内分裂(1467年 - 1474年)、アユタヤ王朝の介入でトゥモーが勝利。スレイ(1467年 - 1474年) スレイ・ソリヨテイ(1468年 - 1474年) トゥモー(1471年 - 1498年) スレイ・ソッコンポット( - 1505年) コン( - 1515年) オンチャン1世( - 1555年) バロムンタラ(バロム・リヤチヤ1世、 - 1567年) サター1世( - 1575年) チェイチェター1世( - 1594年) リヤミヤ・チューンプレイ( - 1596年) ポニャー・トン(バロム・リヤチヤ2世、 - 1597年) ポニャー・アン(バロム・リヤチヤ3世、 - 1599年) ポニャー・ヨム( - 1600年) スレイ・ソリヨポー( - 1618年) チェイチェーター2世( - 1628年) ポニャー・トー(サムピヤレア、トマリヤチヤ1世、 - 1634年) ポニャー・ヌー(アントン1世、 - 1640年) アンノン1世(ボトムリヤチヤ1世、 - 1642年) アンチャン1世(ボトムリヤチヤ2世、ムハンマド・アンチャン、イブラーヒム、 - 1658年) ポニャー・ソー(ボトムリヤチヤ3世)( - 1672年) チェイチェター3世( - 1673年) アンチェイ( - 1675年) アンノン2世(1675年) チェイチェター4世( - 1701年) アンエム( - 1702年) チェイチェター4世(1702年、2度目) トモリヤチヤ2世( - 1704年) チェイチェター4世( - 1706年、3度目) トモリヤチヤ2世( - 1710年、2度目) アンエム( - 1722年、2度目) サター2世( - 1738年) トモリヤチヤ2世( - 1747年、3度目) トモリヤチヤ・アンエム(1747年) スレイソリヨ・アンイン(1747年) アントン( - 1749年) チェイチェーター5世( - 1755年) アントン(1756年 - 1758年) ウテイ・アントン(ウテイ2世)( - 1775年) アンノン3世( - 1779年) アンエン( - 1796年) チャウヴィア・ポック( - 1806年) アンチャン2世( - 1834年) アンメイ(女王、 - 1841年) アン・ドゥオン(1845年12月(清による承認) - 1859年11月) アンヴァデイ・チュラロウン・ノロドム(ノロドム、1860年 - 1904年4月24日) - ノロドム家 アンサル・シソワット(1904年4月27日 - 1927年4月9日) - シソワット家 シソワット・モニヴォン(1927年8月9日 - 1941年4月22日) - シソワット家 ノロドム・シハヌーク(1941年10月 - 1955年3月2日) - ノロドム家 ノロドム・スラマリット(1955年3月3日 - 1960年4月3日) - ノロドム家 国家元首 ノロドム・シハヌーク(1960年4月3日 - 1970年3月18日、王子の地位のまま称制。殿下と呼称される) シソワット・コサマック・ニヤリリヤット(国母。憲法で元首と並ぶ象徴と規定) - シソワット家
※この「カンボジア王国(第一次)」の解説は、「カンボジア君主・国家元首一覧」の解説の一部です。
「カンボジア王国(第一次)」を含む「カンボジア君主・国家元首一覧」の記事については、「カンボジア君主・国家元首一覧」の概要を参照ください。
カンボジア王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 19:23 UTC 版)
詳細は「カンボジアの栄典」を参照 フランス植民地時代に、フランスなどの欧州の栄典に基づいて創設された。カンボジアの独立後に改革され、1975年4月17日のクメール共和国が崩壊とともに一時停止したが、1995年10月5日にノロドム・シハヌーク国王の勅令により再施行される。 カンボジア国家メリット大勲章(英語版) カンボジア王室勲章(英語版) - 1864年創設 国家独立勲章(オランダ語版) - 1963年創設 セナ・ジャヤセド章(オランダ語版) - 1928年創設 国家防衛章(金・銀・銅メダル) 王室冠章 統治章(スペイン語版) アヌサラ王室記念章 カンボジア王国友好勲章 - 1948年創設、外国人に下賜 ロイヤル・モニサラポン勲章 ソワタラ勲章(オランダ語版) プリヤ・コソマック・ニアリレア女王勲章(オランダ語版) プリヤ・ヴェサンダル勲章(オランダ語版) - 1966年創設 労働勲章(オランダ語版) 忠誠勲章(オランダ語版) - 1994年創設 産業勲章 (カンボジア)(オランダ語版) 国家建設勲章(オランダ語版) - 1966年創設 サトレイ・ヴァタナ章(オランダ語版) - 1948年創設、女性に下賜 ケマラ・ケラリス・スポーツ章 カンボジア王室勲章(英語版) ソワタラ勲章(オランダ語版) プリヤ・コソマック・ニアリレア女王勲章
※この「カンボジア王国」の解説は、「勲章」の解説の一部です。
「カンボジア王国」を含む「勲章」の記事については、「勲章」の概要を参照ください。
「カンボジア王国」の例文・使い方・用例・文例
- カンボジア王国の旧称
- カンボジア王国のページへのリンク