イデオロギー
「イデオロギー」とは、「社会のあり方などに対する考え方」や「人の行動を左右する考え方や信条」、場合によっては「偏った物の見方」という意味で用いられる言葉である。
「イデオロギー」は、基本的には、「社会はこうあるべきだ」という理念が理論的にまとめ上げられたもの、特定の理念や観念が体系としてまとめられたもの、などを指す意味で使える表現である。
今日においては、イデオロギーは「政治に関する思想・信条」あるいは「政治理念のよりどころとなっている立場や考え方」といった意味の語として用いられることが多い。そして「特定方面に偏向した(歪曲を含んだ)思想」という否定的な意味合いが込められることが多い。
例文:「この新聞の社説は特定のイデオロギー色が強い」
政治思想・信条という意味におけるイデオロギーは、特定の見解に基づく理論の体系である。それ自体は理路整然としており、この理論を実践すれば理想的な社会が実現できるという確信をも抱かせ得る。しかしこの確信は、イデオロギーの外側にあってイデオロギーと対立するような見解や立場とは相容れない場合も多い。そのためイデオロギーは社会的・政治的な対立の根本要因となり得る。
イデオロギーの対立に起因する争いを「イデオロギー闘争」と呼ぶことがある。一般的には「イデオロギー闘争」といえばマルクス・レーニン主義において提唱された社会階級間のイデオロギーの相違に基づく闘争を指す。新日本プロレスでは「価値観や理念・美学の相違による敵対関係」というような意味で「イデオロギー闘争」の語が用いられている。
イデオロギーは「思想」と言い換えられる場合も多い。観念の体系という意味ではイデオロギーも思想の一種である。ただし政治思想としてのイデオロギーは往々にして実践や言論としての表出を伴う。そして排他的な言論、排他的な行動として受け止められがちである。
イデオロギーの語が政治思想の意味で用いられる場合、大抵は、そのイデオロギーに懐疑的な立場の者によって、ネガティブな意味を込めて用いられる。その意味でイデオロギーという呼称はある種のレッテル貼りである。
極言すれば、イデオロギーとは、あるイデオロギーに立脚している者が対立する(相容れない)イデオロギーを指して用いる語である、とすら表現し得る。
イデオロギーという呼称がある種のレッテル貼りである以上、どのような思想や立場がイデオロギーに該当するのか、しないのか、という判断基準が厳然としてあるとは言いがたい。
見方にもよるが、共産主義も、資本主義も、民主主義も、帝国主義も、いわゆるリベラル思想も、戦後日本のいわゆる自虐史観も、イデオロギーの一種として扱われ得る。
「思想」と「イデオロギー」の違いは、イデオロギーが「社会・政治・歴史観に関する」「行動や生活に結びつきやすい」思想体系という意味で用いられやすく、思想はより広範かつ実践に直結しない形でも用いられやすい、という点でおおむね使い分けられているといえる。
イデオロギー
イデオロギーとは、社会や政治に関する根本的な価値観や信念を体系化した思想である。一般的には、個人や集団が持つ世界観や行動原理を指し、特定の政治的立場や社会的目標を支持するための基盤となる。イデオロギーは、歴史的に多様な形態をとり、それぞれの時代や地域において異なる特徴を持つ。
主要なイデオロギーには、リベラリズム、保守主義、社会主義、共産主義、民族主義、宗教主義などがある。これらのイデオロギーは、政治的なスペクトルにおいて左右や上下に位置づけられることが多い。また、イデオロギーは、政治家や政党、運動、国家などによって採用され、政策や法律、制度の形成に影響を与える。
イデオロギーは、個人や集団のアイデンティティを形成する要素の一つであり、同じイデオロギーを共有することで連帯感や共同体意識が生まれることがある。しかし、異なるイデオロギーを持つ者同士では、対立や摩擦が生じることもある。このようなイデオロギー間の対立は、歴史的に多くの政治的な争いや戦争の原因となってきた。
ideology
「ideology」とは、「観念形態」といった言葉で表されるように特定の社会集団における思想や行動の在り方を根底で制約している考え方の体系をさし示す英語表現である。
「ideology」とは「ideology」の意味
「ideology」とは、ものごとに対する根本的な考え方をさし示す意味の英単語で、「観念形態」「意識体系」「思想」「イデオロギー」などと表現される言葉である。「観念形態」という意味で用いられる場合は、特定の社会集団や社会的な属性、社会的立場の中で、その考え方や行動、生き方などの全ての面を堅固に制約している観念の体系をさす。すなわち、特定の国家や社会的な階級、性別に属する集団が、それぞれ政治や道徳、哲学、芸術、宗教などの分野でどのようにふるまうのかを厳密に規定する観念や信条の知識の集積である。この中で、特に政治的立場に基づく考え方や思想の傾向を切り取って「イデオロギー」ということもある。「ideology」という言葉は、18世紀から19世紀にかけてフランスの政治家で哲学者デステュット・ド・トラシーがその著書の中で使用したのが初めてとされ、当初は観念の起源を論点の中心に据え、その先天性・後天性を解き明かそうという学問的立場に立脚するものであった。トラシーらの学究勢力は政敵であったナポレオンから「イデオローグ」と呼ばれ、「空論家」と揶揄されたが、このエピソードから「ideology」は「空理空論」という意味もあわせて持つようになった。
「ideology」が学問的な観念論から離れて政治的な意味を持って使われ始めたのは、マルクスとエンゲルスの共著である「ドイツ・イデオロギー」が出版されて以降である。この中で階級社会におけるイデオロギーの分析という立場で改めて「ideology」が規定し直され、政治的思想の在り方を論じるさまざまな視点を「イデオロギー」とする見方が定着するようになった。
「ideology」は、文法的に名詞の用法に限られるため、「観念的な」のように形容詞として用いる場合は「ideological」、「イデオロギーに関して」などのように副詞的に使う場合は「ideologically」を使用する。
「ideology」の発音・読み方
「ideology」の発音記号は「àidiɑ'lədʒi」となり、日本語読み風にカタカナ表記した場合は「アイデオロジー」と読む。なお、「ideology」に「イデオロギー」という日本語をあてるのは、これがドイツ語風の読み方であり、マルクス主義の思想とともに日本に輸入された言葉であったことによる。このことから、「ideology」を日本語読み風にカタカナ表記する際は「アイデオロジー」、「ideology」の訳語としては「イデオロギー」という使い分けをするのが一般的である。「ideology」の語源・由来
「ideology」の語源は、フランス語の「ideologie」である。また、「ideologie」は、ギリシヤ語で「観念」という意味の「idea」と「言語」という意味の「logos」が組み合わさった言葉に由来している。「ideology」を含む英熟語・英語表現
「political ideology」とは
「political ideology」とは、「政治イデオロギー」という意味を表す表現である。
「political ideologyの種類」とは
主な「political ideology」には、国家権力や宗教などあらゆる政治的権威や権力を否定する「無政府主義」、「マルクス主義」に代表される「共産主義」、従来の伝統や習慣を重んじる「保守主義」などがある。また、女性解放思想に基づく社会運動の総称である「フェミニズム」、自由と平等の権利に基づく政治姿勢を中心にすえる「リベラリズム」、国家という独立した共同体で所属する民族のもとに価値観を形成する「ナショナリズム」、個人主義や自由主義の弊害を排して、より自由で平等な社会体制を目指していこうとする「社会主義」なども「political ideology」の一つである。「ideology」の使い方・例文
「ideology」の使い方・例文としては、「Communitarianism is an ideology that is counter to liberalism.(共同体主義は、自由主義に対抗する政治思想だ)」、「It goes without saying that the ideology is behind the times.(言うまでもないが、その思想は時代遅れである)」、「The fundamentalist ideology was not imposed by foreign countries.(原理主義思想それ自体は、外国から持ち込まれたものではない)」などを挙げることができる。イデオロギー
「イデオロギー」とは・「イデオロギー」の意味
「イデオロギー」とは、観念と思想を合わせた言葉で、日本語では「観念形態」や「思想形態」と呼ぶ。SNSやYahoo!知恵袋などでは「政治や社会に対する考え方」を指して「イデオロギー」とする使用例が多い。なお、考え方を表現する語としては「アイデンティティ」というものがあるが、これは「イデオロギー」とは大きく異なる語だ。「イデオロギー」が示すものは、人間の行動を決定づける根本的な考え方、あるいは考えの体系のことである。対して「アイデンティティ」が示すものは、自分が何者か確信させるための考え方のことである。日本語における「イデオロギー」の元となった言葉はドイツ語の「ideologie」。「ideologie」の語源はギリシャ語の「イデア(観念)」と「ロゴス(言語)」だ。英語では「ideology」とつづる。「イデオロギー」という概念の初出は、フランスの唯物論者「デステュット・ド・トラシー」の著作「観念学原理」だ。この本が出版された後、「イデオロギー」の概念は世界へと広がっていった。だが、現在においても「イデオロギー」には決まった定義があるわけではない。考え方や主義によって、さまざまな定義が存在している。
例えば、マルクス主義からみる「イデオロギー」は、社会的な上部構造を維持させる観念であると説く。階級社会においては、特定の階層が利益を得つづけることで、イデオロギーが優勢的に構築されていく。その結果、上部構造と下部構造を作りあげ、構造の相互作用によってイデオロギーを必然的に正当化させていく(虚偽意識としてのイデオロギー)。そのため、階級闘争(階級間に生まれる社会的格差の打破を目的とする闘争)が社会成長に必要であるとするマルクス主義において、イデオロギーの批判は最重要の事柄となった。マルクス主義における「イデオロギー」という言葉の使用は、1845年に出版された「ドイツ・イデオロギー」(著者:カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス)が初出である。
マルクス主義以外の「イデオロギー」の定義には、次のようなものがある。
・「イデオロギー」は世界観を指す言葉だ。
・先入観を持った偏った考え方を意味する。
・「イデオロギー」は闘争的な観念である。
・政治理念と政治目的が結合した考え方。
・政治的あるいは宗教的な観念を指す。
何が「イデオロギー」で、何が「イデオロギー」に含まれないのかも、立場や時代によって大きく異なる。「イデオロギー」という語が何を意味しているかは、文脈から判断して理解するしかないだろう。
「イデオロギー」の熟語・言い回し
政治イデオロギーとは
「政治イデオロギー」とは、政治に関する思想形態を指す。「政治イデオロギー」は多数存在している。無政府主義・共産主義・保守主義・ナショナリズムなどは、代表的な例であるといえるだろう。また、環境主義・フェミニズム・リベラリズムなど、政治とは直接関係がなさそうに見えるイデオロギーも、「政治イデオロギー」の一種である。なお、仏教・キリスト教・イスラム教といった宗教が「政治イデオロギー」と密接に結びつくこともある。
「イデオロギー」の使い方・例文
・国家が用いる社会システム自体がイデオロギーを正当化させるための装置なのだ。・20世紀初頭はイデオロギーが社会を支配した時代だといえる。
・議論をすることは大切なことだが、イデオロギーに染まり過ぎるのはよくない。
・科学もまた、従来の政治や宗教と同じく、イデオロギーとなり得るのだ。
・報道には何らしかのイデオロギー性が含まれている。
・私が伝えたいことは、決してイデオロギー的なことではありません。
・彼らの論争は罵詈雑言ばかりで、もはやイデオロギーの争いとはいえない。
・政党は政治主張やイデオロギーによってまとまった団体といえるだろう。
・イデオロギーに振り回されてはいないかと自身の考えを省みる。
・急進的なイデオロギーを持った団体が市民の支持を集めている。
イデオロギー
英語:ideology
イデオロギーは、物事に関して歴史的・政治的な自分の立場によって構築された考え方のことである。
イデオロギーの語は、考えをまとめた集合体としての意味を持つ。主に政治や経済、歴史などの分野で使用されるが宗教や哲学、芸術などの分野でも用いられている。どちらかというと偏った思想というイメージが強く、否定的な意味で用いられることが多い。
民主主義や資本主義もイデオロギーの一種である。社会主義、共産主義、独裁主義もイデオロギーである。イデオロギーは、語尾に「主義」が付くケースが多い。
イデオロギーの語源
イデオロギーの語源はフランス語のideologie(イデオロジー)である。ideologieは、「観念」を意味する「idea(イデア)」と、思想を意味する「logos(ロゴス)」を組み合わせた語である。デステュット ド トラシーの「イデオロジー原論」(1804年~1815年)で初めて見られた。その後、マルクス・エンゲルスの「ドイツ・イデオロギー」(1845年~1846年)でイデオロギーという言葉が知られるようになった。日本には、ドイツを経由してイデオロギーの語が入ってきたとされる。そのため日本では、ドイツ語由来の「ideologie(イデオロギー)」が使用されるようになった。ちなみに、英語圏では「Ideology(アイディオロジー)」と表記される。
イデオロギー闘争とは
イデオロギー闘争とは、2つ以上の考えの違う集団同士で主張を繰り広げ、闘争に発展することである。世界的な歴史を見ると、アメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の冷戦である。自由な商売ができる中で貧富の格差が生まれる資本主義(米国)と、全員が平等な世の中を目指す社会主義(ソ連)という異なるイデオロギーによって起こった戦争であった。イデオロギーの類義語、イデオロギーの対義語
イデオロギーの類義語は理論体系や主義、思想、ドグマなどが挙げられる。理論体系とはその人が信じている物の大まかな考え方(全体像)を指す。思想は類義語であるが、イデオロギーとは使い分けられることが多い。イデオロギーは、政治の分野でよく使われるが、思想は政治の分野以外でも使われている。イデオロギーの対義語は個人主義である。
イデオロギー【(ドイツ)Ideologie】
イデオロギー
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イデオロギー(独: Ideologie, 英: ideology)とは、観念 (idea) と思想 (logos) を組み合わせた言葉であり[1]観念形態である。思想形態とも呼ばれる。文脈によりその意味するところは異なり、主に以下のような意味で使用される。意味内容の詳細については定義と特徴を参照。
通常は政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。
- 世界観のような物事に対する包括的な観念。
- 日常生活における哲学的根拠。ただ日常的な文脈で用いる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含むこともある。
- 主に社会科学の用法として、社会に支配的な集団によって提示される観念。
歴史

イデオロギーという用語は初め、観念の起源が先天的なものか後天的なものかを中心的な問題とする学の名であった。この用法はデステュット・ド・トラシー(Destutt de Tracy)『観念学原論』(1804-1815)に見られる。
彼に代表される活動家達はイデオローグ(idéologue)と呼ばれ、1789年のフランス大革命以降、怪しげなものとして見られていたアンシャン・レジーム時代の思想のなかで啓蒙主義的な自由主義を復興させようとし、革命期から帝政にかけてフランスリベラル学派の創始者、指導的立場となった。こうした国家の在り方を決めるイデオロギーを政治イデオロギーと呼ぶ。
当初は人間の観念に関する科学的な研究方法を指していたが、やがてその対象となる観念の体系そのものをいうようになった。
20世紀は政治イデオロギーの対立による世界的な戦争が数多く発生した。特に冷戦は自由主義・資本主義と社会主義・共産主義の対立構造が極端に顕れた事例である。21世紀に入ってから国際協調の進展によって世界的な戦争は沈静化したものの、中国や北朝鮮等の社会主義国とその他自由主義国の対立構造は存続している。また、経済においても、新自由主義の弊害から修正資本主義が注目され、両者の間で対立が起きるなど、イデオロギーの対立が起こっている。
定義と特徴
イデオロギーの定義は曖昧で、また歴史上その定義は一様でない。イデオロギーの定義には認識論を含むもの、社会学的なものがあり、互いに矛盾している。しかし、それぞれが有意義な意味を多数もっている。そのためディスクールや同一化思考などの類似概念と置き換え可能ではない。以下イデオロギーの定義の重要な意味内容について、主に認識論や社会学的成果をもとに解説する。

- イデオロギーは世界観である。しかしイデオロギーは開かれた世界観であり、対立的な世界観の一部を取り込んでいることがある。イデオロギーは何らかの政治的主張を含み、社会的な利害に動機づけられており、特定の社会集団や社会階級に固有の観念である。にも関わらずイデオロギーは主張を正当化するために自己をしばしば普遍化したりする。またほかのイデオロギーに迎合したり、それを従属させたりする。イデオロギーは極めて政治的である。
- 同時にイデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。イデオロギー的な見方をしている人は何らかの事実を歪曲して見ており、その主張には虚偽や欺瞞を含んでいることがある。イデオロギーは非合理的な信念を含んでいるが、巧妙にそれを隠蔽していることが多い。また事実関係や社会状況の一部を偽り、自己に都合のいいように改変していることがある。
- イデオロギーは闘争的な観念である。イデオロギーは何らかの立場を社会において主張、拡大しようとする。また実際ある政治理念が違う立場に立つ政治理念を批判する場合、相手の政治理念が「イデオロギー的である」と指摘することがおこなわれる。イデオロギーはその意味においても何らかの価値観対立を前提としている。またあるひとがある種の政治理念を「イデオロギー」として定義している場合、そのひとはその政治理念とは異なった立場に立っていることが多い。
- ある政治理念がイデオロギーであるかそうでないかは多くの場合、理念の内容それ自体よりもその理念が拡大しようとしている立場やその理念の社会状況に対する評価の仕方によって判断される。大抵の政治理念はイデオロギーになりうる。またある政治理念に「イデオロギー的である」という評価を加えた場合、それはその政治理念がある種の問題解決において本質を誤った見方をしていることを示す。
日本において戦前はリベラルな思想とされ、リベラリストから支持されていた天皇機関説は、戦後天皇主権を認めるその立場が同じリベラリストの側から保守主義を擁護するイデオロギーであると批判された。戦前は天皇主権であることは当たり前であったから、国体論や軍国主義といったイデオロギーに対抗する上で天皇機関説は正当でリベラルな思考様式であるとされたが、戦後天皇主権が自明のものでなくなったとき、天皇主権を前提とする天皇機関説によって天皇制を擁護することはイデオロギー的行為とされたのである。
以上のことから、イデオロギーは表面上中立的な政治理念を装っていることがあるが、実際は政治理念それ自体とは別個に隠蔽された政治目的を持っていることがある。イデオロギーは政治理念と政治目的が何らかの形において結合したものということができる。中立的な政治理念とイデオロギーはこの限りにおいて明確に区別される。また何がイデオロギーか何がイデオロギーでないかは立場や時代状況により一定ではない。
マルクス主義による定義

以下はイデオロギーの定義で代表的なものと考えられるマルクスの定義をあげる。
マルクス主義におけるイデオロギーとは、観念そのものではなく、生産様式などの社会的な下部構造との関係性においてとらえられる上部構造としての観念を意味している。マルクスは最初、ヘーゲルとその後継者たちによって示された観念の諸形態について、社会的な基盤から発しながらあたかも普遍的な正当性を持つかのようにふるまう、と批判したことからイデオロギーの階級性について論じるようになる。
マルクス=エンゲルス共著『ドイツ・イデオロギー』(1845年)においてはじめてイデオロギーという用語が登場し、階級社会におけるイデオロギーの党派性が分析された。すなわち、階級社会では特定の階級が利益を得るための特定のイデオロギーが優勢になり、上部構造と下部構造の相互作用が生じて、必然的に自らを正当化するというのである。マルクスはイデオロギーのこのような性質を虚偽意識としてのイデオロギーと呼び、階級的な利害に基づいて支配体制を強化するものであると考えた。
この分析に従えば、階級制度は必ずイデオロギーを伴うものであるから、イデオロギーを批判することは階級闘争の中で最も重要な活動である。
その一方で、旧ソ連には、軍隊にはイデオロギー担当将校、議会にはイデオロギー担当議員が配置されていた。
科学技術とイデオロギーの関係

ユルゲン・ハーバーマスは、現代社会では科学技術が個人の思想とは関係なく客観的に体系化されており、目的合理性において科学技術の体系は絶対的な根拠を持っているとした。ゆえにあらゆる政治行為の価値はまず目的合理性において科学的あるいは技術的に正当なものであるかどうかの判断抜きには成立せず、イデオロギーが何らかの制度を社会に確立するときに目的合理性に合致しているかどうかということは大きな影響を持つとされた。ときにはこのような目的合理性がそれ自体で支配的な観念となり、人間疎外をもたらすと指摘した。すなわちこのような目的合理性が支配的な社会では、文化的な人間性は否定され、人間行動は目的合理性に適合的なように物象化されていくと警告したのである。これは後述のシュミットに通じる考え方である。
しかし一方でトーマス・クーンのパラダイム理論が示唆するように、歴史的には科学理論も技術的に十分検証可能でないときは、必ずしも目的合理的でない、思想的な理論信仰によって主流な科学理論 —したがって科学の方向性も— が決定されてきたということが指摘されている。
このような見方に従えば、歴史的には科学とイデオロギー(と呼びうるような思想信条)の間に相補的関係が成り立ってきたということもできる。たとえば天動説はキリスト教信仰と密接に結びついていたし、地動説についても太陽崇拝であるヘルメース信仰との関連性を指摘する説がある。技術的な進歩によって地動説の正しさが裏付けられたが、技術的に完全な検証が不可能な段階では、どちらの説をとるかは思想信条によって判断されたという見方である。実際にダーウィンの進化論を否定して、聖書的な創造論を学校で教えるべきという運動がアメリカ合衆国で広汎に存在するが、これは進化論が技術的には必ずしも完全に検証されているわけでなく、たとえばパウル・カンメラーによるサンショウウオやサンバガエル、ユウレイボヤの実験[注 1]のように、現在のダーウィン的な進化論で説明がつかないとされる実験結果が報告されていたり、宇宙物理学や心理学の立場からダーウィン的な進化論と対立するような目的論的な見解(サイバネティクスによるコンプトン効果の説明[注 2]や心理学的な目的論など)が提示されていることによる。もちろんこれらの事実はダーウィンの進化論に懐疑を促す事実であっても、創造論を積極的に支持するような内容ではない。とはいえ、科学理論に対して技術的に検証不可能である場合、思想信条により科学理論が選択されうることは、多くの科学史家が認めるところである。
したがってあらゆるイデオロギーが科学技術のような、客観的な目的合理性の上に成り立っているならば、その次元での正当性を論じることによってイデオロギー的政治行為と正しい政治行為の間に判別が可能であると考えられる。目的合理性において明らかに欺瞞を含む政治行為が、正当な政治行為であるわけはないから、社会的なコミュニケーションのレベルでのイデオロギーの摘出には十分効果を期待できる分析であるといえる。
このような見方の欠点は、イデオロギーが目的合理性に則った社会的なコミュニケーションの場のみで成り立っているかという点に盲目なことである。上述したように、イデオロギーの核心をなす信条や信仰は目的合理性とはほとんど関係ないから、イデオロギー的政治理念が目的合理性に則った政治行為を主張するということも成り立つため、このようなイデオロギーの分析にはあまり有効ではない。
また技術的発展によってイデオロギー的な観念支配から脱却できるかという問題がある。
1933年にナチスに入党したカール・シュミットは、右派的なイデオロギーを持っていた[2]。シュミットは、ハーバーマスが目的合理性と呼んだような、技術を中立的で、したがって中性的であると見なす考え方を技術信仰と呼んで非難している。技術信仰の立場に立つと、中立で中性的な技術の進歩により、あらゆる思想的な対立は解消されていくとされる。シュミットによれば、このような技術は中立的であるがゆえに、さまざまな政治理念に武器として奉仕することができる。
シモーヌ・ヴェイユは技術のもたらす生産性の発展が必ずしも約束されたものではないこと、ある種の濫費形態が排除されても別の濫費形態が生じてくることを指摘している。ヴェイユは具体例としてエネルギー源をあげ、石油や石炭が枯渇した場合、代替されると予想されるエネルギー源が生産性において石油や石炭に勝っているというようなことは簡単に予想されず、社会がエネルギー的に優れた方向へ進化し続けるということを疑問視している。社会の生産力の発展が抑圧を必然的に解消する —なぜならマルクスによれば階級社会が消滅すればイデオロギー的抑圧なるものは存在しなくなるから— というマルクスの見方にも否定的である。またヴェイユは抑圧を批判しているはずのマルクス・レーニン主義が抑圧を生み出していることを指摘し、このことは抑圧がどのような政治体制のもとであれ存在していることを表しているとした。したがって社会発展がどんなに進んでも抑圧は存在し、その抑圧の根拠となるイデオロギーは常に存在することになる。ヴェイユによれば抑圧の形態に対し常に注意を払い、研究を怠らないことでイデオロギーの潜在を明らかにしていくべきだと述べている[要出典]。
日本におけるイデオロギー研究
日本におけるイデオロギー研究の先駆としては幸徳秋水の『廿世紀之怪物帝国主義』が注目される。この著作において幸徳は、当時の政府の膨張政策を愛国主義と軍国主義の産物であると分析し、おもに道徳的立場から批判している。当時の膨張主義が非合理な野性に発していること、国家生存の原因を領土の広狭であると偽っていること、挙国一致の名のもとに政治闘争を封殺していることなど、そのイデオロギー的性格を指摘している。
大正期の哲学者である左右田喜一郎は『文化価値と極限概念』のなかで当時の官僚的な政府の哲学を宗教的非合理的であると批判し、あらゆる文化価値を同等に尊重する文化主義・人格主義を主張した。すなわち日本の独自性という欺瞞を掲げ、学問・政治の自由を抑圧している藩閥政府イデオロギーに対して大正デモクラシーを擁護した。しかし同時にプロレタリア独裁を掲げる「社会民主主義」を階級主義的な「限られたる民主主義」と定義し、イデオロギー的に抑圧した[注 3]。
戸坂潤は『日本イデオロギー論』を著し、日本におけるイデオロギー批判を初めて体系的にまとめあげた。日本の特権階級のイデオロギーを哲学的観念論にあるとし、その社会的適用を通じて復古主義的な日本主義が出現し、ファシズム的軍国主義と結びついて日本イデオロギーが形成、発展してきたとする。また自由主義思想がたやすく日本主義に転化しやすいという点を指摘し、自由主義を中間的な勢力とみる当時の風潮を偽りであるとした。彼はイデオロギーを客観的現実(すなわち下部構造)の歪曲された模写であり、独自に発展法則をもつと指摘している。
丸山眞男は『日本の思想』のなかで、日本社会においては伝統的にイデオロギー批判が理論的・政治的立場でおこなわれることがなく、現実肯定という形で既成の支配体制への追従が繰り返されてきたと述べた。この現実肯定という形である種の理論を無価値化することを丸山は「実感信仰」とよび、西洋の「理論信仰」と対置させているが、これは論理より感覚を重視するという意味での単なる感覚主義ではない。「実感信仰」は事実主義や伝統主義を含み、「理論信仰」は科学主義あるいは理論主義的な立場を念頭に置いていると考えられる。
藤田省三は『天皇制国家の支配原理』において、天皇制を支えたイデオロギーとしてヨーロッパ的な社会有機体説と東洋的な儒教政治論が矛盾しながら結合した「家族国家論」を措定した。この「家族国家」は内面的には政治・学問の分野において官僚主義的立場を徹底させ、外面的には「家」の拡大という形での膨張主義を伴うとされた。またこのような「家族国家論」は天皇制国家を家と同質に自然的なものと見なす非政治的な本質を持っており、このことによって天皇制それ自体は日本社会のあらゆる利害を中和する象徴としてイデオロギー的に祭り上げられたと説いている。
現代への課題
冷戦の終結後、イデオロギーの終焉を説く声が強まっている。社会民主的な中道・福祉政党が世界の大勢を占め、かつてのようなイデオロギーをふりかざすことなく職業的・専門的な政治家・官僚によって純粋に生活向上が図られる世界に向かっているのが現代である、という分析である。また思想の面からは主に構造主義者によってイデオロギーはディスクールに還元可能であるとされた。また、統計的な多文書分析は、イデオロギーの政党構成と政策成果との間に相関関係がないことも示している[3]。しかし、これらの事実はイデオロギーの終焉を必ずしも意味しない。以下代表的なイデオロギー終焉論について簡単な内容を記すとともに、その問題点を指摘する。
マルクス主義的な見方の限界
資本主義社会はその経済論理をすべての階級に及ぼし、同化吸収的に階級社会を消滅させたと説かれた。ゆえにこのような社会では階級闘争は終結し、それに伴って深刻なイデオロギー的対立は解消したとされた。
しかしマルクスの見方には大きな欠陥がある。階級的な利害がイデオロギー的であることはもちろんであるが、イデオロギー自身は必ずしも階級的な利害を必要としない。つまりイデオロギーは何らかの階級制度や階級闘争を前提としない。前述のヴェイユの立場からも階級社会が解消されてもイデオロギー的抑圧がなお存在するであろうことはおそらく確実であると思われる。そもそも社会を階級闘争的にみる見方でさえ、社会的抑圧の形態を偽っているという意味でイデオロギー的であるといえる。
構造主義によるイデオロギー終焉論
またフーコーら構造主義の哲学では制度や権力に結びつく言語表現としてのディスクールによってイデオロギーは置き換え可能だとされた。彼らは実際生活上あらゆる言語は意識的にしろ無意識的にしろ権力や政治と結びついていない言語はないし、またあらゆる言語は政治的になりうることを主張し、そのような言語ないし言語的コミュニケーションをディスクールと名付けた。
構造主義者のディスクールに対しては定義でも記述したように、イデオロギーはただ政治的なだけではない。なんらか固有の見方、世界観を含み排他的である。意味的に中立的なディスクールとは代替不可能であり、イデオロギーはディスクールに還元できない固有の意味を持つ。
経済学におけるイデオロギー終焉論
さらに冷戦終結後、国際経済における資本主義の影響力が完全なものとなったため、意識的に資本主義の根本システムを改変することは事実上不可能なものとなっており、無条件で受け入れざるを得ないものとなっている。全ての経済・社会上の問題は資本主義的全体の一問題とされ、イデオロギーを介在させずに技術的に解決可能とされる。たとえば南北格差問題や紛争問題を経済上の利害に還元し、市場経済の範囲内でさまざまな調整をすることによって解決可能だとする見方である。この立場では資本主義的経済原理をすべての人が受け入れている以上、イデオロギー闘争のような根本的な思想対立はありえないと主張された。
しかし民族的な問題や宗教的な問題がしばしば国際紛争に発展することを見ても明らかなように、たとえ資本主義の原則を全ての人が認めたとしてもイデオロギー対立は存在しうる。イデオロギーの根本は信条や信念、あるいは党派的利害であって、経済原理や社会問題から出発してその思想を形成するのではない。
多元主義的立場からのイデオロギー終焉論
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるこの都市は、古代の時代から民族問題、宗教問題などのイデオロギー闘争にさらされてきた。エルサレムを巡る問題はいまなお解決されていない
最後に現代のような価値の多様化を認めている時代状況においてはイデオロギーは相対的に合理化して眺めることが可能で、政治的正当性の根拠は不毛な観念論争ではなく現実生活に即した実利にあるという主張がある。現代の知識人は自己のイデオロギーを諧謔的に意識化することで偽りの信念を見抜くことができ、それが行動に結びつくことはないと説かれた。
これに対しては主に二つの観点から誤りを指摘することが出来る。まずイデオロギーは語られていることだけにあるのではなく、行動や社会状況にも含まれている。つまりイデオロギーは人々がどう考えるかという問題ではなく、現にある社会状況に刷り込まれ事実関係を偽っていることがあり、イデオロギー的信条を実際は信奉していないのにもかかわらず、イデオロギーに奉仕していることがある。たとえばある種のイデオロギーを掲げた政策にそのイデオロギー性を認識しつつも実利を優先して迎合することはイデオロギー的目的に奉仕していることであり、イデオロギーから自由になっているとは言えない。また実利を最優先するこのような考え方それ自体がイデオロギー的である。実利や観念、社会状況、経済原理などはそれぞれ別次元の問題である。たとえばイデオロギーの含む世界観、倫理観は現実生活の実利とは関係ない場合が多いし、実利を優先するかそれとも他の何らかの観念を優先するかは個人のイデオロギー的な問題である。イデオロギーが価値の多様化の中でほかの何らかの価値の間に埋没するという主張は正しい見方ではないといえる。
現代の国際情勢を鑑みても民族紛争などが激化しており、戦争や紛争の問題点を明らかにするためにイデオロギー的背景を明らかにすることは有意義であると考えられる。現代社会のイデオロギーはより複雑で感知しがたいものとなっていると考えられているため、時代に即したイデオロギー分析が必要とされている。
年譜
- 1801年 - デステュット・ド・トラシー『観念学要理大綱』
- 1841年 - ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
- 1844年 - カール・マルクス『経済学・哲学草稿』
- 1846年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
- 1867年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『資本論』
- 1895年 - エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』
- 1916年 - ヴィルフレッド・パレート『社会学大綱』
- 1922年 - ジェルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』
- 1929年 - カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』、V・N・ヴォロシノフ『マルクス主義と言語哲学』
- 1947年 - テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』
- 1975年 - ミシェル・ペシュ『言語、意味論、イデオロギー』
- 1979年 - ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』
脚注
注釈
出典
- ^ “「イデオロギー」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書”. www.weblio.jp. 2022年7月18日閲覧。
- ^ Klee, Ernst (2007). Das Personenlexikon zum Dritten Reich. Wer war was vor und nach 1945. Frankfurt-am-Main: Fischer-Taschenbuch-Verlag. p. 549. ISBN 978-3-596-16048-8
- ^ Imbeau, Louis M.; Pétry, François; Lamari, Moktar (2001-08). “Left–right party ideology and government policies: A meta–analysis” (英語). European Journal of Political Research 40 (1): 1–29. doi:10.1111/1475-6765.00587. ISSN 0304-4130 .
参考文献
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- テリー・イーグルトン著、大橋洋一訳『イデオロギーとは何か』平凡社ライブラリー、1999年、ISBN 4582762816
- 長尾龍一著『争う神々』信山社叢書、1998年、ISBN 4797251018
- 藤田省三著『天皇制国家の支配原理』未來社、1966年
- カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス著、古在由重訳『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫、1956年
- 戸坂潤著『日本イデオロギー論』岩波文庫、1977年
- 『岩波講座 開発と文化4 開発と民族問題』岩波書店、1998年、ISBN 4000108670
- 丸山眞男著『日本の思想』岩波新書、1961年
- ディルタイ著、山本英一訳『世界観の研究』岩波文庫、1935年、ISBN 4003363728
- 古在由重著「上部構造としてのイデオロギー」(『古在由重著作集第二巻』所収)、1970年
- ユルゲン・ハーバーマス著、長谷川宏訳『イデオロギーとしての技術と科学』平凡社ライブラリー、2000年
- シモーヌ・ヴェイユ著、冨原眞弓訳『自由と社会的抑圧』岩波文庫、2005年
- カール・シュミット著、田中浩、原田武雄訳『合法性と正当性 付「中性化と非政治化の時代」』未來社、1983年
- アーサー・ケストラー著、石田敏子訳『サンバガエルの謎』岩波現代文庫、2002年
- コリン・ウィルソン著、中村保男訳『オカルト 上下』河出文庫、1995年
上記参考文献以外のイデオロギーを扱った文献
日本語に翻訳されているもの
- カール・マンハイム著、高橋徹・徳永恂訳「イデオロギーとユートピア」(高橋徹編『世界の名著68 マンハイム、オルテガ』所収)中公バックス、1979年
- ダニエル・ベル著、岡田直之訳『イデオロギーの終焉』東京創元社、1969年
- ジェルジ・ルカーチ著、城塚登ら訳『歴史と階級意識』白水社、1987年
- アドルノ、ホルクハイマー著、徳永恂訳『啓蒙の弁証法』岩波書店、1990年
- パウル・ド・マン著、大河内昌ら訳『理論への抵抗』国文社、1992年
- フリードリヒ・ニーチェ著、原裕訳『権力への意志』ちくま学芸文庫、1993年
- ルイ・アルチュセール著、西川長夫、伊吹浩一、大中一彌、今野晃、山家歩訳 『再生産について』、2005年
海外の文献
- マーティン・セリガー『イデオロギーと政治』(Martin Seliger,Ideology and Politics,1977)
関連項目
- 哲学
- 政治哲学
- 観念学
- 観念論
- 宗教
- マルクス主義関係の記事一覧
- 知識社会学
- ディスクール
- イドラ (ラテン語: idola、ラテン語イドルムidolumの複数形)
- カール・マルクス
- カール・マンハイム
- テリー・イーグルトン
- ユルゲン・ハーバーマス
外部リンク
イデオロギー(19世紀以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 08:23 UTC 版)
「さまよえるユダヤ人」の記事における「イデオロギー(19世紀以降)」の解説
18世紀の初めまでに、伝説的な人物としての「さまよえるユダヤ人」の姿は、ディアスポラし世界をさまよったイスラエルの民の象徴とみるのが一般的となった。この見方への異論としては、民衆版画での描かれ方がキリスト教の巡礼者に極めて似ていることや、さまよえるユダヤ人が敬虔なキリスト教徒である事との矛盾が指摘されている。 世紀末のナポレオン・ボナパルトの台頭と、ナポレオンとユダヤ人(Napoleon and the Jews)の政策に関連したヨーロッパ諸国の解放改革の後、「永遠のユダヤ人」はますます「象徴的、かつ普遍的なキャラクター」となり、プロイセンおよびヨーロッパの他の地域におけるユダヤ人解放のための継続的な闘争は、19世紀の間に「ユダヤ人問題」と呼ばれるものを生じさせた。 カウルバッハの『ティトゥスのエルサレム攻略』の壁画レプリカが1842年にプロイセン王からベルリンの新博物館に依頼される前に、ガブリエル・リーサー(Gabriel Riesser)のエッセイ"Stellung der Bekenner des mosaischen Glaubens in Deutschland (ドイツにおけるモザイク信仰告白者の立場について)"は1831年に出版されており、ジャーナル"Der Jude, periodische Blätter für Religions und Gewissensfreiheit (ユダヤ人、信仰と思想の自由誌)" は1832年に創刊されている。 1840年、カウルバッハ自身が、キリストを拒絶したことで追放者として逃亡する永遠のユダヤ人を含む、彼の絵画に描かれた人物を特定できる説明用小冊子を発行した。 1843年にブルーノ・バウアーの著書『ユダヤ人問題』が出版され 、カール・マルクスは『ユダヤ人問題によせて』という論文を書き反論した。 1852年にフランスの出版物に最初に登場した風刺画は「額に赤い十字架、細長い脚と腕、巨大な鼻となびく髪、そして杖を手にした」伝説的な人物を描いたもので、反ユダヤ主義者によって採用された。 1937年から1938年にドイツとオーストリアで開催されたナチスの展示会"Der Ewige Jude"で展示された。その複製が2007年にヤド・ヴァシェムで展示された(画像参照)。 この展覧会は、1937年11月8日から1938年1月31日までミュンヘンのドイツ博物館の図書館で開催され、ナチスが「退廃芸術」と見なした作品を展示した。これらの作品の画像を含む本が「永遠のユダヤ人」の題で出版された。これに先立ち、マンハイム、カールスルーエ、ドレスデン、ベルリン、ウィーンで他のそのような展示会が開催された。これらの展覧会で展示された芸術作品の大部分は、1920年代に著名となり高く評価された前衛芸術家によって製作されたが、展覧会の目的は、賞賛に値するものとして作品を紹介することではなく、それらを嘲笑し非難することだった。 1940年には、ヨーゼフ・ゲッベルスの指示で反ユダヤのプロパガンダ映画『永遠のユダヤ人』が公開された。
※この「イデオロギー(19世紀以降)」の解説は、「さまよえるユダヤ人」の解説の一部です。
「イデオロギー(19世紀以降)」を含む「さまよえるユダヤ人」の記事については、「さまよえるユダヤ人」の概要を参照ください。
イデオロギー
「イデオロギー」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はマルクス主義イデオロギーの信奉者だ。
- 法のイデオロギー
- これが私の固執しているイデオロギーだ。
- この国ではイデオロギーや宗教が人としての人格形成に役立つ例があまりに少ない。
- この関連で、西欧イデオロギーの韓国の文化への影響について考えてみよう。
- イデオロギーの相違.
- 対立するイデオロギー.
- 彼らは自分たちのイデオロギーのために祖国を売り渡した.
- 理論のイデオロギー的応用
- 政策路線からのイデオロギー上の変節(特に正統派共産主義からの)
- イデオロギーに関して
- ナチ・イデオロギーから解放するか、ナチ忠誠から離れる
- 彼女の行為は彼女のイデオロギーと互換性があった
- だれかの原因、イデオロギー、習慣、方法を始める、自分自身のものとしてそれを使う
- 独創性が不足している想像力のないイデオロギー
- 私たちの外交政策をイデオロギーから切り離して下さい
- 政治的な、宗教的なあるいは自然のイデオロギー的な目的を達成するために一般人に対する暴力(あるいは暴の脅威)の計算された行使
- イデオロギーではなく、実践的な政治
- 派閥のイデオロギーの否定−シドニー・フック
- 共通の目的、動作、あるいはイデオロギーのため、または共有される状況のために団結させる
イデオロギーと同じ種類の言葉
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