立憲君主制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/04 02:29 UTC 版)
立憲君主制(りっけんくんしゅせい、英: constitutional monarchy)とは、君主の権力が憲法によって規制されている政体[1]である。
注釈
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「君主」の原文:
- ^ 『日本大百科全書』「立憲君主制」の原文:第一次世界大戦前のドイツや戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは、君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱かったから、立憲君主制といってもそれは名ばかりで、とうていこれらの国々は民主主義国家とはいえなかった。このような立憲君主制は外見的立憲主義とよばれ、イギリスのような立憲君主制は議会主義的君主制とよばれる。
第二次世界大戦後も君主を擁する国々――その数はいまや十数か国にすぎない――が存在するが、そのほとんどはイギリス型の立憲君主制をとっており、ベルギー、ルクセンブルクなどのように憲法上、国民主権主義を明記している国もある。戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう。[9][10] - ^ 榎原猛『君主制の比較憲法学的研究』有信堂、1969年、46頁以下。ただし榎原の分類においては、君主主義的立憲君主制度と専制君主制度(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を通じず直接行使すること)との区分が、やや明白ではないように思われる。榎原は、1960年代のサウジアラビア、ネパールを「専制君主制度」とし、同年代のモナコ、エチオピアを君主主義的立憲君主制度としている。しかしネパールについては、一応は憲法典が存在したのであり、「外見的立憲君主制度」の君主主義的立憲君主制度の国と分類できなくはないはずである。また榎原自身、モナコは「専制君主国に数えることも法理的に無理ではないであろう」(同書125頁)とし、エチオピアは「われわれをして、『立憲君主制度』といいきることに、若干のためらい与える」(同書147頁)として、分類に迷いが見られる。
- ^ 憲法および他の法令には「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はなく、日本政府の見解としては立憲君主制とみなしても差し支えないとしている一方で、学説として議論がある。なお明治以降、大正・昭和・平成・令和期現在に至る天皇の地位の解釈及び学説は#日本を参照。また、象徴天皇制及び日本国憲法第1条も参照。
- ^ 国王が首相を兼任し、閣僚、裁判官、立法評議会議員の任免も国王が掌握しているなど、事実上の絶対君主制にある。
- ^ マレーシアの国王は正式にはアゴンと呼ばれ、各州の君主による輪番制である。象徴的存在であり実権を有さない。象徴元首も参照。
- ^ サモア独立国の国家元首(大首長またはオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー)は世襲の4人の大首長から選出されることが慣例となっており敬称も殿下であるなど君主制の性格を有している一方で、その選出は議会が行い、任期(5年)が定められているなど共和制の性格も有しており、国によっては同国を共和国とみなしている場合がある。なお日本の外務省は同国の政体は「選挙により国家元首を選ぶ制度」としている。
- ^ 儀礼的な行為も含め全ての政治的権限を失い、称号のみ存在する形のスウェーデンの立憲君主制は「象徴君主制」とも評される。
- ^ アンドラ公国は、「公国」と冠しているものの世襲の君主は存在せず、実態はフランス元首(大統領)とウルヘル司教の2名の共同大公を戴く議会制である。憲法で国民主権が明記され、また元首の職務も大公使の接受、法律・条約の認証など儀礼的であり、実際の外交権は内閣が、条約の締結は国会が行使する
- ^ 君主号は、1957年に「スルターン」(Sultan) から「国王」(King) に変更された。
出典
- ^ 吉岡 著「立憲君主制」、下中直人 編(改定新版)平凡社、548頁。
- ^ a b c 北原保雄ほか 著「立憲君主制」、久保田淳ほか 編『日本国語大辞典』JapanKnowledge、2016年。
- ^ 家永三郎 著「君主制」、小学生 館 編『日本大百科全書(ニッポニカ)』JapanKnowledge、2016年。
- ^ a b c d フランク・B・ギブニー編 『ブリタニカ国際大百科事典:小項目事典』、ティビーエス・ブリタニカ、2016年。
- ^ 松村明編 『デジタル大辞泉』 小学館、2016年、「君主」の項。「くん‐しゅ【君主】世襲により国家を治める最高位の人。天子。王。皇帝。帝王。」
- ^ 松村明編 『大辞林 第三版』 三省堂、2016年、「君主」の項。「くんしゅ【君主】世襲的に国家を代表し,統帥する最高の地位にある人。帝王。天子。皇帝。きみ。」
- ^ 畑安次 著「君主主権」、小学館 編『日本大百科全書(ニッポニカ)』JapanKnowledge、2016年。
- ^ 有斐閣 著「立憲君主制」、法令用語研究会 編『法律用語辞典(第4版)』JapanKnowledge、2016年。
- ^ a b c d e f g h i j k l 田中 2022, p. 「立憲君主制」.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 田中浩 (政治学者) 著「立憲君主制」、小学館 編『日本大百科全書(ニッポニカ)』JapanKnowledge、2016年。
- ^ 『君主制の比較憲法学的研究』、56頁以下
- ^ バジョット『イギリス憲政論』中公クラシックス、11月10日 2011、92頁。
- ^ 竹田, p. 91.
- ^ 竹田, p. 202.
- ^ 竹田, pp. 203–208.
- ^ 竹田, pp. 212–215.
- ^ “マッカーサー三原則”. 2020年6月27日閲覧。
- ^ “GHQ草案”. 2019年9月4日閲覧。
- ^ “マッカーサー三原則 原文”. 2020年6月27日閲覧。
- ^ “Richard A. Poole”. 2019年9月4日閲覧。
- ^ a b c “第147回国会 参議院 憲法調査会 第7号 平成12年5月2日”. 2020年6月27日閲覧。
- ^ “第71回国会 参議院 内閣委員会 第16号 昭和48年6月28日”. 2020年6月27日閲覧。
- ^ 清宮 1979, p. 184.
- ^ a b c d e f 清宮 1979, p. 185.
- ^ 佐藤 2001, p. 35.
- ^ 佐藤 2001, p. 36.
- ^ 佐藤 2001, pp. 36–37.
- ^ 佐藤 2001, p. 37.
- ^ 平成12年「改革者」5月号 2000年 p10-11
- ^ 安田浩 2016, p. 「天皇制」.
- ^ 家永三郎 2015, p. 「天皇」.
- ^ 下條芳明『象徴君主制憲法の20世紀的展開 - 日本とスウェーデンとの比較研究』(東信堂、2005年)
- ^ a b “Japan - The World Factbook”. www.cia.gov. 2021年8月2日閲覧。
- ^ a b c 小林章夫 『女王、エリザベスの治世 先進国の王政記』 角川oneテーマ21 2012年5月 P3以下
立憲君主制(1975年 - )
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 17:25 UTC 版)
「スペインの国章」の記事における「立憲君主制(1975年 - )」の解説
1975年にフランコ総統が死去し、遺言によりフアン・カルロス1世が即位した。1978年には新憲法が承認され、立憲君主制に移行した。1977年には国章のマイナーチェンジが行われたが、1981年には鷲と弓矢を取り除き、盾の紋様を簡略化した現在の国章が制定された。 スペイン国章に使われてきた紋章一覧 金羊毛騎士団の勲章 エルサレム王国の国章 シチリア王国の国章 オーストリアの国章 ブラバント公国の国章 ブルグント王国の国章 ファルネーゼ家の紋章 メディチ家の紋章 チロルの紋章 フランドル伯の紋章
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立憲君主制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:31 UTC 版)
機務六条の締結と大日本帝国憲法の制定により、日本は立憲君主制になったとされる。大日本帝国憲法を起草した伊藤博文も、天皇に絶対君主の役割を期待するようなことはなかった。法文を素直に解釈すると、“万世一系の天皇之を統治す”、“神聖にして侵すべからず”など、大日本帝国憲法においての天皇は大きな権力を持っていたように読めるが、明治以降も、天皇が直接命令して政治を行うことはあまり無く、明治憲法制定後も当初は、藩閥政府が天皇の権威の下に政治を行っていたのが、後には議会との妥協を試みるようになった。この点について「君臨すれども統治せず」という原則をとる現代の日本やイギリスなどの近代的立憲主義とほぼ同じであったという意見がある[誰によって?]。また、大日本帝国憲法の制定時の状態から考えるに、近代以前の日本には、時代が進むごとに「君主(=法人としての「所有者」あるいは宗教・主権者的存在としての「天皇」)」としてのと「元首(=法人としての「機関」あるいは政治・権力者的存在としての「将軍」)」とによる二元性による分離性が平時「通常」の政治体制が存在していたことからも考えても、近代以降「天皇」に宗教的政治的な統合をしていったことは、天皇が「君主=元首」になったことを考えることはできる。 一方、統帥権をはじめとした軍について、議会、内閣の関与が受けられない他、議会の関与を受けない枢密院の力が巨大であること、憲法上にない元老、内大臣が天皇の権威によって、政治に介入できるほか、解釈上法律で基本的人権を無制限に侵害することが可能とも読める(留保を定めた「臣民の義務に反せず法に定める範囲内で」の文言が各所にある)ため、憲法学者の間[誰?]では外見的立憲主義でしかないとする意見が@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}通説である[要出典]。
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