総督とは? わかりやすく解説

そう‐とく【総督】

読み方:そうとく

全体まとめて率いること。また、その官。特に、軍の総司令官

植民地などで、政務軍務統轄する官職

中国明・清時代地方長官


総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:33 UTC 版)

総督(そうとく)は、集団や領域の統率者(特に軍権を持つ者)を指す。日本語での原義は中国史における代の地方長官の職名に由来するが、ローマ帝国の "rector provinciae" や 大英帝国の "governor" など、占領地や植民地における最高指揮官の定訳として用いられることが多い。以下、日本語で総督とされるものを挙げる。


  1. ^ この節の主要参考文献:ポール・ルメルル著『ビザンツ帝国史』白水社文庫クセジュ(2005年)、ISBN 4560058709 および 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国の政治制度』東海大学出版会〈東海大学文学部叢書〉(2005年)、ISBN 978-4-486-01667-0



総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 03:08 UTC 版)

シルヴィーとブルーノ」の記事における「総督」の解説

総督は後のフェアリーランドの王にして、シルヴィーとブルーノ父親であり、アウトランド英邁な君主である。総督は皇帝皇后長官らの陰謀陥れられるかに見えるが、実際は全ての出来事彼の手内にある。

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総督

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サイモン・ブラッドストリート」の記事における「総督」の解説

1679年初期、総督のジョン・レバレット死亡し副総督だったブラッドストリートがその地位承継した。レバレットは国王要求入れることに反対しており、対応主義指導者へ変更あまりに遅すぎたブラッドストリート当初植民地認証の下では最後の総督となることになった副総督トマス・ダンフォース民主路線派だった。ブラッドストリート任期中国王代理人エドワード・ランドルフが植民地居り植民地関わるある種貿易違法とする航海法強制しようとしていた。ランドルフによる法執行試みは、ブラッドストリートランドルフ対応しようとしたにも拘わらず植民地商人階級とそれに同調する役人双方から活発な抵抗受けた。法に違背したと告発され船舶について陪審告訴拒むことが多かった。ある場合など陪審判断変えさせようブラッドストリート3度試みたことがあった。ランドルフ航海法執行させようとした試み最終的に植民地議会がその執行を図る独自のやり方創造することが必要だ確信させることになった1681年には海事問題を扱う部局創設法案活発に議論され民主路線派が優勢な議会下院はそのアイディア反対し、中道派がそれを支持した最終的に成立した法は民主路線派の勝利となり、法の執行難しくし、報復的訴訟に訴えることになったブラッドストリート実際のその法が実行されることを拒みランドルフ公開異議申立て状を発行したブラッドストリート1682年に総督に再選されたときにある程度正当化されたので、その司法権限を使って法の効力落とした植民地議会強硬路線ランドルフ本国報告する脅したことで、植民地言い分を通すためにイングランド代理人派遣することになった。しかし、その権限限られていた。1682年遅く代理人ロンドン到着した直後貿易委員会植民地に対して最後通牒発行した。その代理人認証修正交渉できる権限など広い権限認めるか、認証無効にする危険を冒すかという選択迫った議会代理人強硬路線を採るよう指示を送るという反応をした。1683年法的手続き続いて1684年10月23日認証無効となった

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総督

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フランス領コンゴ」の記事における「総督」の解説

コンゴになるまでに、4人の総督が務めた1883年1月1897年ピエール・ブラザ 1897年1898年Louis Albert Grodet 1898年1901年Henri Félix de Lamothe 1901年1903年:エイミール・ジェンティール(英語版

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総督

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ダルマチア王国」の記事における「総督」の解説

ダルマチア王国におけるオーストリア帝国政権の長は「帝国および王国総督(イタリア語IR Governatore Provinciale 、クロアチア語ck Guverner )」であり、皇帝によって任命された。 1852年から総督は「帝国および王国中尉イタリア語IR Luogotenente 、クロアチア語ck Namjesnik )」として知られていた。 以下は歴代総督の一覧である。 フランニョ・トマシッチ(1815–1831) ヴェンツェスラウ・リリエンベルク・ヴァーテル(1831–1841) イヴァン・アウグスト・トゥルスツキ(1841–1848) ルートヴィヒ・フォン・ヴェルデン(1848) ヨシップ・イェラチッチ(1848–1859) ラザル・マムラ(1859–1865) フランニョ・フィリポヴィッチ(18651868) ヨハン・ヴァグナー(1868–1869) ゴットフリート・アウエルシュペルク(1869) ユリウス・フルク・フォン・ライデンクロン(1869–1870) ガヴリロ・ロディッチ(1870–1881) スティエパン・ヨヴァノビッチ(1882–1885) ルドヴィク・コルナーロ(1885–1886) ドラグティン・ヴラツェコヴィッチ(1886–1890) エミル・ダヴィド(1890–1902) エラスムス・ハンデル(1902–1905) ニコラ・ナルデリ(1905–1911) マリオ・アテムス(1911–1918)

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総督

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ニュージーランド王国」の記事における「総督」の解説

詳細は「ニュージーランドの総督を参照 ニュージーランド総督は、ニュージーランド王国内において、国家元首ニュージーランド女王としてのエリザベス2世)の代理務める。基本的に、総督は、国家元首有するあらゆる地位留保された政治的権限英語版)を引き受ける。2017年現在の総督は、デイム・パツィー・レディである。

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総督

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ラブアン直轄植民地」の記事における「総督」の解説

詳細は「ラブアン総督(英語版)」を参照 ラブアンブルネイ帝国から割譲されて直轄植民地設置されると、島の統治ラブアン総督が担うこととなった。第6代総督のジョン・ポープ・ヘネシー(英語版)は、ダブリン都市警察英語版)を引き連れて町の清掃行い任期中島民健康増進努めた1880年以降石炭産業失敗からラブアンに対する直轄植民地としての期待失われていき、北ボルネオ海峡植民地管轄権2度ほど移行している。イギリスによる統治末期には、イギリス政府利益に基づいているにも関わらず当局によって現地先住民たちによる政治参加推奨された。

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総督

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ビクトリア州総督」の記事における「総督」の解説

代数氏名就任退任1 チャールズ・ホサム 1855年5月22日 1855年12月31日 2 ヘンリー・バークリー 1856年12月26日 1863年9月10日 3 チャールズ・ダーリング 1863年9月11日 1866年5月7日 4 ジョン・マナー・サットン 1866年8月15日 1873年3月2日 5 ジョージ・ボウエン 1873年7月30日 1879年2月22日 6 ジョージ・フィップス 1879年4月29日 1884年4月18日 7 ヘンリー・レイク 1884年7月15日 1889年11月15日 8 ジョン・ホープ 1889年11月28日 1895年7月12日 9 トーマス・ブラッシー 1895年10月25日 1900年3月31日 10 ジョージ・クラーク 1901年9月28日 1903年11月24日 11 レジナルド・タルボット 1904年4月25日 1908年7月6日 12 トーマス・ギブソンカーマイケル 1908年7月27日 1911年5月19日 13 ジョン・フラー 1911年5月24日 1913年11月24日 14 アーサー・スタンリー 1914年2月23日 1920年1月30日 15 ジョージ・ラウス 1921年2月24日 1926年4月7日 16 アーサー・サマーズ=コックス 1926年6月28日 1931年6月23日 17 ウィリアム・ヴァネック 1934年5月14日 1939年4月4日 18 ウィンストン・ダガン 1939年7月17日 1949年2月20日 19 ダラス・ブルックス 1949年10月18日 1963年5月7日 20 ローハン・デラコム 1963年5月8日 1974年5月31日 21 ヘンリー・ウィネック 1974年6月1日 1982年2月28日 22 ブライアン・マレイ 1982年3月1日 1985年10月3日 23 デイヴィス・マコーヒー 1986年2月18日 1992年4月22日 24 リチャード・マクガーヴィー 1992年4月23日 1997年4月23日 25 ジェームズ・ゴボー 1997年4月24日 2000年12月31日 26 ジョン・ランディ 2001年1月1日 2006年4月7日 27 デイヴィッド・ド・クレッツァー 2006年4月7日 2011年4月7日 28 アレックス・チャーノフ 2011年4月8日 2015年6月30日 29 リンダ・デソウ 2015年7月1日 現在 ウィキメディア・コモンズには、ビクトリア州総督関連するカテゴリあります

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総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 19:32 UTC 版)

ウマイヤ朝」の記事における「総督」の解説

征服が行われるにあたりカリフ任命された遠征軍司令官進路作戦行動などを全て一任され政府基本的にこれに干渉しなかった。また、それぞれのミスルの軍の征服地がそのままミスル行政徴税範囲となり、行政州が形成された。司令官が行政州の総督となり、ミスル行政州の首都となったこれによってウマイヤ朝各行政州単位地域連合となった各州の総督はカリフにより任命されたが、シリア州のみは首都州としてカリフ直轄地となった。総督はカリフ代理として集団礼拝指導遠征軍派遣カーディー任命治安維持などの任についた。 総督はアルメニアイエメンイラクエジプト、キンナスリーン(英語版)、ジャズィーラパレスティナヒムスマディーナマッカヨルダンなどに置かれたマディーナや、アルメニアといったビザンツとの国境地帯の総督にはカリフ親族重用されたが、アブドゥルマリクワリード1世時代除くと総督にカリフ親族重用されることはほとんどなかった。

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総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 15:33 UTC 版)

ロバート・ロジャーズ」の記事における「総督」の解説

ロジャーズアメリカに戻ると妻を伴ってミチリマキナック砦の毛皮交易基地移動し総督として任務に就いた。ロジャーズ留守にしていた間、アマースト代わってトマス・ゲイジが北アメリカイギリス軍総司令官地位に就いていた。ゲイジは、アマーストにとっては宿敵であり植民地嫌悪していた。ロジャーズアマースト忠実な友人であり、植民地好んでいたので、さらにゲイジ憎まれることになったゲイジ官僚であり政治的には策士だったので、ロジャーズ植民地成り上がりものと見なしアマーストロジャーズの仲が良かったことで、その新しく得た権力に対する脅威考えた当時ロジャーズイギリス軍の中ではまだ休暇給の大尉であり、ある意味ではゲイジ軍事的指揮権下にあった。しかし、ゲイジ国王から指名された者であるロジャーズ対抗できなかった。それなりの攻撃理由見付けられなければ国王がそのお気に入りを救うために法的な手続対抗してくるはずだった。これが分かっていたゲイジ王室干渉を防ぐことができる方法で、総統としてのロジャーズ排除する普遍的な正当性見出すことに積極的に動いたロジャーズゲイジ策謀知らずかなりの熱心さでその管理任務遂行し続けていた。ジョナサン・カーバーとジェイムズ・テュートの下に伝説北西航路探させる遠征隊派遣した失敗終わった。その航路発見されるのは1793年アレクサンダー・マッケンジーによる遠征成功した時だった。 ロジャーズ一体感があり強い政府必要性認識しインディアンと交渉し、フランス人活用してミシガン植民地を総督と国王報告義務がある枢密院によって管理される計画を策定した。この計画ジョージ3世によって支持されたが、イギリスの議会が国王の権限増やしたくなかったので採択され可能性はほとんど無かった一方ゲイジロジャーズ貶めるあらゆる機会を使いロジャーズのことを戦争裕福になったが、浪費家としてその金を蕩尽してしまった楽観主義者として印象づけるようにしていた。このような陳述どれくらい真実であり、またゲイジ真実である信じていたかは不明であるゲイジ明らかにロジャーズをその忠誠心問題がある者とみなした確かにロジャーズゲイジに対して忠誠でなかったので監視必要だったロジャーズインディアン対処するやり方ゲイジ悩ませアメリカ居た他のイギリス軍士官多くインディアン当てにならない社会害悪見なすようになっていた。

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総督

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ビーストウォーズリボーン」の記事における「総督」の解説

とある惑星統治するリーダー

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総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 16:46 UTC 版)

史上最強の弟子ケンイチの登場人物」の記事における「総督」の解説

新島 春男にいじま はるお) 声 - 山崎たくみ 新白連合総督。周囲からは「宇宙人」、「地球外野郎」等の蔑称呼ばれる16歳17歳。7月8日生まれ身長172cm。体重62kg。 長い耳や割れた舌が特徴的なまるで悪魔宇宙人のような風貌しており、強い者には媚び諂い弱い者踏み潰すという心身共に悪魔のような男であるが、時には筋も通し情に厚い側面のぞかせるバーサーカーによって連合員が傷つけられた際に怒り露にした。常人とはかけ離れた嗜好習癖持ち周囲の目も憚らず個性的な本質包み隠そうはしない三枚目的な一面を持つが、本来の性格は冷静かつ現実主義者で、分析能力情報戦権謀術数詐術などに長けている自作ウイルス各国諜報機関でさえ難しい"闇"についての情報収集したり、計画立案などの才能にも優れた天才であり作中屈指のIQを誇る(しかし、学校の成績は「中の下」と称した一以下)。達人級とも言える危機回避能力を持っており、武術経験全くないもののかなりの高精度標的強さ計測できる上に超人的な聴覚走力備える。服の下に催涙スプレーロープなどの非常用用意を常に携帯している。中盤以降時折妙なカリスマ性まで発揮して大局動かした勝利のためならば非情徹する覚悟持ち勝利のためには味方をも切り捨てるが、必要とあらば自分犠牲組み込む所が筋が通っている)、その戦術・戦略敵味方を問わず賞賛せしめることがしばしばあり、軍師としての天賦の才能各方面から高く評価されている。その知能は敵の情報すばやく把握し巧みな話術洗脳して敵のチームワーク分断、ときに味方引き込み戦い有利に展開させるある意味では一に匹敵する成長遂げた男。初登場時自分自身で語っていた「強いものに媚び諂う能力」は、特に新白連合結成以降彼には全く見受けられないYOMIとの戦い一通り終えたら"闇"とうまく折り合いをつけて、新白連合を格闘技団体として財団法人にしようと目論んでいる。教会神社に入ると気分が悪くなる体質で、自力で歩くことさえもできなくなる。著書に「ケンカ理論」がある。また、隠れた特技として水泳ピアニカがあり、ジーク曰く水泳では「河童」の異名取りピアニカの腕は彼を深く感動させるほど。 父は悪魔で、母は宇宙人。家は貧乏で病弱な弟がいる。

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サンドラ・メイソン」の記事における「総督」の解説

第7代総督のエリオット・ベルグレイヴ(英語版)は2017年7月1日退任し12月27日フローンデル・スチュアート政権メイソンを新総督に指名した2018年1月8日に就任式が執り行われ第8代バルバドス総督に就任した同時に伝統のっとって聖マイケル・聖ジョージ勲章授与された。 2020年9月16日メイソン国王演説の中でバルバドス共和制移行宣言した演説原稿作成したのはミア・モトリー英語版首相)。共和制移行する元首国王および総督は廃止され新たな元首として象徴的な大統領職設置されることになる。2021年8月21日モトリー首相初代大統領メイソン指名し本人承諾したことを公表した

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総督

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トマス・ゲイジ」の記事における「総督」の解説

フランス軍降伏すると、ゲージモントリオールの総督に指名された。1761年ゲイジ少将昇進し、第22連隊指揮官となった1763年8月アマーストイギリスに戻ると、ゲイジアメリカイギリス軍指揮官となったイギリスフランス停戦したが、ゲイジ西部辺境進行していた北米インディアン反乱直面することになった1763年5月オタワ族ポンティアック酋長デトロイト砦を攻めポンティアック戦争と言われるものの最初の戦いとなったゲイジは、外交的に事態収拾しようと考え、ジョン・ブラッドストリート大佐とヘンリー・ブーケット大佐遠征隊任せ一方でウィリアム・ジョンソン卿に和平交渉行わせた。ブーケット大佐1764年10月名ばかりの休戦こぎつけたそのときでも、ゲイジオタワ族奪取した9つの砦の中2つしか取り返せなかった。1765年ゲイジキャベンディッシュ砦を取り返したことで、第42英国陸軍スコットランド高地連隊指揮を執ることになったゲイジ西部南部北部3つの辺境統括することとなった同じ年の夏、ゲイジポンティアック使者を送るようジョンソン命じた。このときはまだ紛争が解決していなかったが、ポンティアック自身オンタリオ砦まで出向き1766年7月ジョンソン正式に条約調印したゲイジ辺境から軍隊引き揚げニューヨーク市ボストン市のような大都市防御向けた都市駐在する兵士増えるにつれて食料宿舎の手当て緊急の課題となったイギリス議会1765年宿舎法を可決しイギリス兵が民間住宅宿泊することを認めた1768年ゲイジ自身ボストン出かけて6週間過ごし新し兵士宿舎の手配をした。ボストンでの軍隊駐留結果として1770年ボストン虐殺事件引き起こすことになったこの年の夏、ゲイジ中将に昇進した。 1773年6月ゲイジ家族連れてイギリス戻ったので、その後12月起こったボストン茶会事件の時は現地にいなかった。この紛争結果植民地の者達が投棄した茶の葉1枚までも補償できるまで、イギリス軍ボストン港を封鎖することになった当時マサチューセッツ知事トマス・ハッチンソン62歳、副知事のアンドリュー・オリバーは67歳であったゲイジ50歳代前半であり、軍隊経験豊富なので、この危機乗り切るには自身最適だ思っていた。1774年5月ゲイジ文民知事替わりマサチューセッツ戒厳司令官指名された。その地位ゲイジボストン封鎖法を実効移せるものと見なされていた。ゲイジ戦争遂行必要な物資の押収厳格に進めた1774年9月ゲイジマサチューセッツサマービル火薬押収作業行ったゲイジはこの作戦には成功したが、他の捜索失敗した。このことはポール・リビア自由の息子達の裏工作によっていた。自由の息子達この後ゲイジ行動注意深く監視しゲイジ捜索の手伸ばす前に先回りして警告発して回った自由の息子達をのさばらせてしまったので、ゲイジ内部からも批判された。彼の部下士官であるヒュー・パーシーは、「将軍慈悲深さ穏健なやり方ではやつら(アメリカ人)を大胆に横柄にもしてしまう」と指摘したゲイジは、「もし軍隊使えばかなりの兵士を必要とし、外国の兵を雇わねばならなくなる。小数でやれば反攻助長するばかりで脅しにはならない結局と金で購わねばならなくなる」と記したゲイジイギリス政府に「イギリス人他のイギリス人奴隷にするには向いていない民族である」と告げて議会との摩擦作ってしまった。

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総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 06:16 UTC 版)

老年期の終り」の記事における「総督」の解説

ラグラング星の総督。意識回復したイケダ面会する

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