総督としての後期とは? わかりやすく解説

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総督としての後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 06:56 UTC 版)

ジョン・エンデコット」の記事における「総督としての後期」の解説

1641年、エンデコットは副総督選出され、この役職にあったので「マサチューセッツ自由の主文署名者1人となった。それは植民地全てが使うことのできる多く個人権利列挙したものであり、権利章典前身となったその後数年間は静謐であったが、インディアンとの戦争の噂があったので、1643年ニューイングランド連合結成することとなり、ニューイングランドの各植民地が共通の外敵に当たることと、逃亡奴隷法の執行からの逃亡者扱いなど内部的事項共同して行動するよう考案された。 1643年ウィンスロップ総督が、隣接するフランス領アカディア続いていた権力闘争で、味方する側の資産に関する論争巻き込まれるようになった。エンデコットはフランス人闘争イングランド人巻き込まれることなく、彼らの間のことにしておくべきだと指摘し、またその闘争関係する双方弱めるものだと言った1644年総督選挙は、ウィンスロップ政策に関する住民投票となった。エンデコットが総督選ばれウィンスロップ副総督になった。エンデコットはその1年間任期で、植民地4つの郡、すなわちサフォーク郡エセックス郡ミドルセックス郡ノーフォーク郡分け手続き監督したセイラム地盤とするエンデコットが総督昇格したことで、セイラムの他の住人植民地首都持ってようとする動き促すことにもなったが、総督補佐官委員会によってその動き拒否された。 イングランド内戦1642年開始)からの影響も、エンデコットの任期中ボストン現れるようになった王党派船長動かした船と、議会派船長動かした船の2隻がボストン到着し議会派王党派の船を捕獲しようとした。多く審議が行われた後で、エンデコットの評議会基本的に議会派立場支持することになった。もしイギリスの議会が「今後悪質な精神であるならば」独立宣言できる権利残した議会派王党派の船を捕獲することを認められ植民地は港に入ってくる王党派の船の捕獲始めた1645年トマス・ダドリー総督選ばれウィンスロップがその副総督となった。エンデコットはその慰安として植民地民兵隊の指揮任され総督報告することとなった。また再度総督補佐となり、1646年位はイングランド連合対す植民地の代表に選ばれた。隣接する植民地でのインディアンとの紛争恐れによって、マサチューセッツ防衛的側面高めることとなり、エンデコットがその指導的役割果たした1646年ウィンスロップ総督再選されたが、1649年死去しその後はエンデコットが総督引き継いだその後毎年再選され死去する1665年までほぼ連続して総督務めることになった1650年から1651年1654年から1655年2つの期間のみ副総督だった。 1639年、エンデコットはセイラムの北にある数百エーカー土地払い下げられ、そこが現在のボックスフォードとトップスフィールドになっている。この土地正式に区画割りされたのは1659年になってからだったが、1651年には既にその土地隣接する採掘見込まれそうな土地300エーカー」を払下げられていた。エンデコットは、近くリン鉄工所立ち上げ行ったことのある初期開拓者リチャード・リーダーを雇ったが、そこで開発しようという試み失敗した全ての植民地貨幣の不足が続いており、マサチューセッツでは1652年造幣所設立し、銀の保有分の中から貨幣鋳造始めた。この動き実際的な問題解決したが、植民地王室から貨幣作る権限与えられていなかった。エンデコットが総督務めている間、このことは問題にならなかったが、その後王室との論争の源となり、1862年頃には造幣所操業止めた。 エンデコットが総督である間、主に1650年代植民地領域幾らか広がった現在のコネチカット州ストーニントンをピクォート戦争戦利品と公式に主張したことに加え植民地北側の境界線確定しようとした。1652年植民地認証状は北側境界メリマック川の北3マイル (5 km) と定義していたので、川の最北端決めるために、測量士と共に委員会派遣した。この測量士たちはインディアンガイド導かれメリマック川の水源だとそのガイド主張したウィニペソーキー湖出水口に行ったその場所で、測量隊は現在もある岩に碑文刻んだ。それは現在ニューハンプシャー州小さな州立公園置かれている。この測量線が東に延ばされると、境界線カスコ湾海岸線伸ばすように決められ、それが現在メイン州最南端とニューハンプシャー州境界となった

※この「総督としての後期」の解説は、「ジョン・エンデコット」の解説の一部です。
「総督としての後期」を含む「ジョン・エンデコット」の記事については、「ジョン・エンデコット」の概要を参照ください。

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