総督とレヘンテンの緊張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:10 UTC 版)
「プロイセンのネーデルラント進駐」の記事における「総督とレヘンテンの緊張」の解説
18世紀末のネーデルラント連邦共和国。 アメリカ東岸のイギリス植民地。13植民地は赤色で、ケベック州(英語版)はピンク色で示されている。 18世紀末のグレートブリテン王国。 ネーデルラント連邦共和国(左の前掲図を参照)は18世紀末、多大な政治的緊張下にあった。アメリカ独立戦争(1775年-1783年)によって、国家分裂の危機が迫っていたのである。ジョージ2世の孫でホラント総督のウィレム5世はイギリス国王に味方し、13植民地(中央の前掲図を参照)の反乱鎮圧を支持していた。諸都市の指導層、いわゆるレヘンテン(英語版)はこれに対し、アメリカの植民地に味方してイギリスの宿敵、フランスと同盟していた独立派にカリブ海のシント・ユースタティウス島から武器と弾薬を供給したのである。本件と、アメリカ及びネーデルラントの共和派が1780年に表明した条約に挑発されたグレートブリテン王国(右の前掲図を参照)は同年12月、ネーデルラントに宣戦した。こうしていわゆる第四次英蘭戦争(1780年-1784年)が勃発したのである。
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