総督として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 17:43 UTC 版)
「ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス (第5代ランズダウン侯爵)」の記事における「総督として」の解説
1883年から1888年までカナダの総督を務めた。彼の総督在任中のカナダはジョン・A・マクドナルドが2期目の首相を務めている時期だったが、鉄道建設をめぐるスキャンダルが発生し、経済も悪化、さらに1885年に北西部でルイ・リエルの反乱が発生するなど危機的状況にあった。ランズダウン侯はカナダの民心の安定を図るために1885年には西部カナダを巡る旅を行い、カナダ先住民とも触れ合った。また米国との漁業問題をめぐる交渉に尽力した。1884年に英国科学振興協会の会合の主催するなど科学のパトロンとしても活動した。カナダに安定を取り戻すことに貢献した優秀な総督と評価されている。 ついで1888年から1894年までインドの総督を務めた。ルピーの減価でイギリスの対印投資が減少している現状を踏まえて、1893年6月にルピーの変動相場制を停止し、1ルピー=1シリング4ペンスの固定相場制へ移行させた。また金本位制導入のため銀貨自由鋳造を停止させた。これによりルピーの交換レートは上がったものの、インド国内の通貨供給が減少し、経済活動の規模は小さくなった。外交面ではアフガン国境の小国フンザとナガルを併合し、シッキム王国やチトラルのカラートを保護国にするなど拡張政策を取った。
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