金本位制とは? わかりやすく解説

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金本位制

 金を通貨価値基準とする制度中央銀行が、発行した紙幣同額の金を常時保管し、金と紙幣との兌換保証するというもの。1816年に、英国が1ポンド金貨鋳造はじめたのが金本位制のはじまりと言われている。日本では1897年明治政府が金本位制を採用1929年からの大恐慌主因で主要各国は金本位制を離脱し始め、金の保有量とは関係なく通貨発行する管理通貨制度へと移行

金本位制

読み方:キンホンイセイ(kinhon’isei

金と通貨兌換と金輸出入自由な貨幣制度


金本位制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 00:46 UTC 版)

金本位制(きんほんいせい、: gold standard)とは、狭義には、一定量の金を標準的な経済単位とする通貨制度であり、広義には、一国の貨幣価値(交換価値)をに裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という[注釈 1]

概要

1900年に発行された日本紙幣兌換紙幣であり、と交換可能なことが明記されている。

狭義の金本位制は、その国の貨幣制度の根幹を成す基準を金と定め、その基礎となる貨幣、すなわち本位貨幣金貨とし、これに自由鋳造[注釈 2]、自由融解を認め、無制限通用力を与えた制度である。これは特に金貨本位制という。つまり、金そのものを貨幣として実際に流通させることである。実際には、流通に足りる金貨が常備できない、高額になりがちな金貨は持ち運びが不便、使用により磨耗するなどの理由により、金貨を流通させられない場合が多い。そこで、中央銀行が金地金との交換を保証された兌換紙幣(だかんしへい)および、本位金貨に対する補助貨幣を流通させることにより、貨幣価値を金に裏付けさせることが行われた。これを金地金本位制(きんじがねほんいせい)という。

一般には、金貨本位制と金地金本位制を含めて金本位制という。さらに、自国で金本位制を実施できない場合でも、これを行っている他国の通貨と自国通貨との一定の交換性が保証されている場合には、為替を通じて間接的に金との兌換が行われていると考えて金為替本位制(きんかわせほんいせい)と呼ぶ。広義では、この金為替本位制も金本位制に含める。しかし、金為替本位制は第二次世界大戦後のブレトン・ウッズ体制を別として植民地政府で実施された例が多く、この場合本国の都合で現地の金融活動は多くの点で犠牲を強いられた。

均衡のプロセス

金本位制には、国際収支を均衡させる効果があると考えられている。複数の国が存在していて、それらの国が金本位制を採用している場合、流通している通貨が異なっても事実上「金」が世界共通の通貨であることになる。

例えば、経常収支の均衡しているある国がある。

  • 設備投資が活発になり好況になったとする。
  • 国内の貯蓄がそれまでと変わらなかった場合、経常収支は赤字となる。
  • 経常収支の赤字は輸入による自国通貨(金)の流出が、輸出による自国通貨(金)の流入を上回ることである。
  • このことは国内の通貨残高減少を意味する。
  • 通貨減少により国内の金利は上昇し設備投資が減少する。
  • 景気は経常収支が均衡するまで沈静化し、やがてバランスをとる。

このプロセスにおいて、金利上昇時に国外からの資本流入が起きると、設備投資は減少せず、経常収支も均衡しない。経常収支と資本収支の合算が均衡している限り国内の金は増減せず国際収支は均衡する。

逆のプロセスとして不景気に陥った際も金の流入がプラスになれば景気が回復する。

一方、輸出入だけに着目した説明もある。こちらは初学者でも分かりやすい。

例えば、国内の物価が上がれば輸出減・輸入増となる。輸入超過分は最終的に自国の正貨で支払う。正貨が減ると通貨の発行額も減り、不況となって物価が下がる。この下落によって輸出増・輸入減となる。こうして正貨は回収される。

不況レジームとしての国際金本位制(金の足かせ)

金本位制というのは、固定相場制の一種としてとらえることができる。各国がいったん自国通貨と金との交換比率を決定すると金平価も自動的に決定され、各国通貨当局は金平価を維持させるために、国内の金融政策が追随する形をとる。

金本位制はほかのドルペッグ制などとは違った固定相場制としての特質を持っている。それは金流出国と金流入国との間の金融政策の非対称性である。例えば、自国において金流出が起こったとする、その国では民間の兌換請求によって金を買い戻していることになるから、必然的に自国通貨のマネーサプライの減少をもたらし、均衡に至る。しかし、金流入国においては金流入によって民間より金を買い入れて、マネーサプライの拡大をすることになるが、当該国がマネーサプライの拡大を嫌った場合、他の資産を民間に売却することによって自国通貨供給の拡大を阻止するという操作が可能であり、このような金不胎化政策はかならず他の国に金融引き締めを強いることになるため、金本位制というのは本質的に強い引き締め圧力を持ち、拘束性を持つ政策レジームである。

ジョン・メイナード・ケインズは1923年の著書『貨幣改革論』で金本位制を「未開社会の遺物」と喝破し、金の足かせから自由な管理通貨制度への移行を説いていた[1]

歴史

イギリスで金本位制を確立した、1817年銘の最初のソブリン金貨

金本位制の理念は古くからあった(東ローマ帝国の経済、後に$マークの由来にもなったソリドゥス金貨)と思われるが、金貨は貨幣として実際に流通させるには希少価値が高過ぎ、金貨を鋳造するための地金が絶対的に不足していたため、蓄財用として退蔵されるか、せいぜい高額決済に用いられるかであった。

歴史的には、金本位制よりも銀本位制金銀複本位制の方が一般的であった[2][3]。 金本位制に基づく国際通貨制度への移行は、事故、ネットワーク外部性、経路依存性を反映している[2]

金本位制は金鉱豊かなロシアでの採用が早く、法形式ではイギリスのものが早い。金本位制のグローバル化は大不況期に進むが、それはそのときに工業が発展したからである。特筆すべき例は次のようなものである。アルミニウムの精製に必要だったナトリウムが、ホール・エルー法により無用のものとなった。カストナー・アルミニウム株式会社は、そこでシアン化ナトリウムを製造した。この会社は自社製造で飽き足らずに、ドイツ金銀分離工業所デグサへもナトリウムを供給した。このようなシアン化ナトリウムは、金鉱石をシアン化法で処理するのに使われた[4]

イギリスでは1717年、当時の王立造幣局長であったアイザック・ニュートン卿が銀と金の交換レートを低く設定しすぎたため、銀貨が流通しなくなり、偶然に事実上の金本位制を採用した[5]。金本位制が法的に初めて実施されたのは、1816年イギリスの貨幣法(55 GeorgeIII.c.68)でソブリン金貨(発行は1817年)と呼ばれる金貨に自由鋳造、自由融解を認め、唯一の無制限法貨としてこれを1ポンドとして流通させることになってからである。

19世紀にイギリスが世界有数の金融・商業大国になるとヨーロッパ各国が次々と追随し、19世紀末には、金本位制は国際的に確立した[5]。さらに、19世期後半の大不況期に採用が進み、1870年代から1920年代前半、1920年代後半から1932年まで[6][7]、また1944年から1971年の米ドルの金兌換停止し、ブレトンウッズ体制を事実上終了させるまでは国際決済銀行ブレトン・ウッズ体制による国際通貨制度の基礎となった[8]。 1971年以降は以降、先進国のほとんどは管理通貨制度に移行したが、それでも多くの国が多額の金準備を保有している[9][10]

近代日本の金本位制

日本では1871年(明治4年)に「新貨条例」を定めて、新貨幣単位とともに確立されたが、金準備が充分でなかった上に、まだ経済基盤が弱かった日本からは正貨である金貨の流出が続いた。1871年に法律を改めて暫時金銀複本位制としたが、実質的には銀本位制となった。日清戦争後にから得た賠償金3800万英ポンドの金[注釈 3]を準備金として1897年には平価を半分に切り下げた貨幣法が施行され、実質的に金本位制に復帰した[11]

第一次世界大戦による金本位制の中断

1914年にはじまった第一次世界大戦により、各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行した。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。また戦局の進展により、世界最大の為替決済市場であったロンドンのシティが戦災に遭い活動を停止したこと、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなども影響した。例えば日本は、1913年12月末の時点で日銀正貨準備は1億3千万円、在外正貨2億4,600万円であり、在外正貨はすべてロンドンにあり、外貨決済の8〜9割を同地で行っていたが、大戦勃発後の1914年の8月に手形輸送が途絶した(当時はシベリア鉄道で輸送していた)。

第一次大戦後の金本位制への復帰と大恐慌による離脱

その後1919年アメリカ合衆国が金本位制に復帰したのを皮切りに、各国も次々と復帰したが、1929年世界大恐慌により再び機能しなくなり、インヴァーゴードン反乱でポンドが大暴落していた1931年9月のイギリスを契機として1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。このことについてアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)議長を経験したベン・バーナンキは、「金本位制から早く離脱した国ほど経済パフォーマンスが良いことの証明だ」と述べた[12]

日本では、一次大戦後に金本位制復帰の機会をうかがうも、関東大震災などの影響で時期を逸し、1930年昭和5年)に濱口雄幸内閣が「金輸出解禁」を実施したが、多額の貿易赤字に伴い多量の金流出が起り、翌年犬養毅内閣が金輸出を再禁止した[13]

1933年金融恐慌を期にルーズベルト大統領は大統領命令6102号を発令し、アメリカ市民に対し保有する金を平価(1オンス=20.67ドル)で強制的に搬出させ、市民の金保有を禁じた。これは、当時金本位制の下で紙幣が金保有高に制限されてしまうため、インフレ政策が取れなかったための措置であった[14]1934年に、アメリカは金の買上げ価格を1オンス=35ドルと定め、この価格で外国通貨当局に対し金を引き渡す措置をとるようになった[15]

ブレトン・ウッズ体制の創設

第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制を中心としたIMFによる体制、所謂「ブレトン・ウッズ体制」が創設された。他国経済が戦災で疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国は1オンス=35ドルの平価で金と結びつけられた米ドルとの固定為替相場制を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。

ニクソンショック

しかし、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は、金と米ドルの兌換が停止される。同年12月にスミソニアン協定で1オンス=38ドルとドルの平価を切り下げつつも、金本位制の性格を維持しようとしていたが、各国の通貨も1973年までに変動為替相場制に移行する形で、先進国の通貨は金本位制が有名無実化する形で離脱することになった。同年に1オンス=42ドル22セントと再び平価を切り下げとなり、1976年1月にキングストンで開催されたIMF暫定委員会では、変動相場制と米ドルの金本位制廃止が確認され、1978年4月に協定発効に伴って先進国の通貨における金本位制は完全に終焉した[15]

日本の本位金貨(旧1,2,5,10,20円、新5,10,20円)も、太平洋戦争後は形式化していたが、依然として現行貨幣であった。1987年昭和62年)制定、1988年(昭和63年)4月1日施行の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により、同年3月31日限りで漸く通用停止になり、名実ともに管理通貨制度へ移行した[16]

文献情報

脚注

注釈

  1. ^ 日本では1871年、新貨条例が定められ、この時金平価は1円=純金1.5グラムとされたが、その後1897年の貨幣法施行で金平価は半減され、1円=純金750ミリグラムとなった。
  2. ^ 個人あるいは政府造幣局に金地金を納入し、その量に応じて金貨の交付を受ける制度。すなわち手持ちの地金を本位貨幣に鋳造することを政府に請求できる制度。
  3. ^ 下関条約で合意した賠償金は銀2億テールであるが、実際には相当額の英ポンドで受領し、その大半は在外正貨としてロンドンにおかれた。
  4. ^ 世界的観点と研究蓄積の網羅に努めて書かれた研究の手引きであり、おびただしい文献が紹介されている。
  5. ^ 「2.幣制改革に至るまでの中国の通貨・金融事情」1935年5月に合衆国が銀本位制を部分的に採用したことが、大不況で価格の下落していた銀を昂騰させ、中華民国をデフレに陥れた。民国からは銀が大量に流出し、幣制改革を経て、翌年5月の米華協定により合衆国政府が直接銀を買上げて民国がドル建ての売上げをナショナル・シティー銀行へ預けることになった。

出典

  1. ^ 岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、38-39頁。
  2. ^ a b Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. pp. 5–40. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  3. ^ Esteves, Rui Pedro; Nogues-Marco, Pilar (2021), Fukao, Kyoji; Broadberry, Stephen, eds., “Monetary Systems and the Global Balance of Payments Adjustment in the Pre-Gold Standard Period, 1700–1870”, The Cambridge Economic History of the Modern World: Volume 1: 1700 to 1870 (Cambridge University Press) 1: pp. 438–467, ISBN 978-1-107-15945-7, https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-economic-history-of-the-modern-world/monetary-systems-and-the-global-balance-of-payments-adjustment-in-the-pregold-standard-period-17001870/0FC7DA2F9137FE2A274D8F4063BD9074 
  4. ^ 柏木肇 訳編 『技術の歴史』 第12巻 筑摩書房 1981年 p.345.
  5. ^ a b Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. p. 5. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  6. ^ Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. pp. 7, 79. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  7. ^ Eichengreen, Barry; Esteves, Rui Pedro (2021), Fukao, Kyoji; Broadberry, Stephen, eds., “International Finance”, The Cambridge Economic History of the Modern World: Volume 2: 1870 to the Present (Cambridge University Press) 2: pp. 501–525, ISBN 978-1-107-15948-8, https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-economic-history-of-the-modern-world/international-finance/69BA1D520B1CACCB1A4B69AAE8ED4367 
  8. ^ Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. pp. 86–127. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  9. ^ Gold standard Facts, information, pictures Encyclopedia.com articles about Gold standard”. Encyclopedia.com. 2015年12月5日閲覧。
  10. ^ William O. Scroggs (11 October 2011). What Is Left of the Gold Standard?. http://www.foreignaffairs.com/articles/69483/william-o-scroggs/what-is-left-of-the-gold-standard 2015年1月28日閲覧。. 
  11. ^ 大蔵省編纂 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省、1939年
  12. ^ 高橋洋一『日本経済の真相』
  13. ^ 大蔵省編纂 『昭和財政史(第9巻)通貨・物価』 東洋経済新報社、1956年
  14. ^ ニューディール政策と金没収
  15. ^ a b 久光重平『日本貨幣物語』毎日新聞社、1976年
  16. ^ 造幣局125年史編集委員会編 『造幣局125年史』 造幣局、1997年

関連項目

外部リンク


金本位制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 07:54 UTC 版)

世界恐慌の原因」の記事における「金本位制」の解説

世界恐慌の金本位制理論によれば恐慌原因は主に、第一次世界大戦後西側諸国戦前値段に基づく金本位制に復帰しようとしたことにである。この説によれば、これによって金融政策デフレ志向になり10年間にわたってヨーロッパ多くの国の経済健全性害し続けたという[要出典]。 この戦後政策先駆けてインフレ政策がとられていた第一次世界大戦中には、多くヨーロッパ諸国戦費激増より金本位制を廃止せざるを得なかった。この結果新しく作られた金の供給インフレ中和させる生産性への投資ではなく戦費使われたため、インフレ起こった。この説は、大量に導入された金の量によってインフレ率決まりそれゆえインフレへ導くことが、破壊的消費であって経済成長導かない目的のために造られた新貨幣総量減少させるというものである戦後アメリカヨーロッパ諸国が金本位制に復帰した際、多くの国は戦前水準金-通レートをとった。例えイギリスでは1925年金本位法が国会通過し、これによって金本位制に復帰した際、当時外国為替市場戦前よりもずっと低い価格ポンド取引されていたにもかかわらずスターリング・ポンド戦前等価設定するという致命的な決定行った当時ジョン・メイナード・ケインズらは、政府はそうすることによって釣り合い取れてないよう賃金再設定強いているのだと主張してこの決定批判したウィンストン・チャーチルが金本位制に復帰させたことに対すケインズの批判はこれを暗にヴェルサイユ条約結果比較するものであった戦前等価にしようという傾向生まれた理由として一つは、デフレは危険ではないのに対してインフレは、特にヴァイマール共和国見られるインフレは耐え難い危険であるという当時優勢であった意見があった。もう一つ理由として、額面価額貸し付けている者は自身貸し付けたのと同価値の金を回復できる期待があったというものがある[citation needed]。フランス支払なければならない巨額賠償金支払うための外貨獲得するのに十分な商品輸出販売するために、ドイツ信用犠牲にした成長時代入った世界の金の溜まる場所としてのアメリカ合衆国ドイツフランス償還するための基盤として産業化するための資金貸し付けフランスイギリスおよびアメリカ償還した。この流れドーズ案明文化された。 非常に高利借金をして再融資できない状態にあるか、低利率ではないときに資本財融資するための貸し付け依存している場合農業のような産業分野にとってデフレは辛いものとなりうる。負債実質的価値増加しているのに対して物価デフレ浸食されていく。資産現金保持している者や、資産投資購買充てたり資金貸し付けたりようとしている者にとってはデフレ有益である。 ピーター・テミン、ベン・バーナンキバリー・アイケングリーンといった経済学者によるより近年の研究は、世界恐慌時に緊縮政策がとられていたことに着目している。この考え方によれば戦間期の金本位制下での緊縮最初経済的ショック拡大し恐慌食い止めるあらゆる行動に対して大きな障害となったという。彼らによれば最初不安定化させる衝撃アメリカ合衆国ウォール街大暴落起因するが、外国問題伝播させたのは金本位制であるという。 彼らの出した結論によると、危機の時代政策決定者たちは金融政策財政政策緩和しようとしたが、そのような行動が、契約上の率で金を交換する義務維持する国家能力脅かしたという。外国資産を金で買おうとする国際的投資家引き付けるために、金本位制は高利率を維持することを要求する。そのため、金本位制を廃止しない限り政府景気急落にも手をこまねいているほかない。金本位制をとる全ての国の交換比率修正することで、外国為替市場利率平衡を保つ事だけは保証される恐慌悪化する多くの国が金本位制を廃止し始め、より早く廃止した国々はより少なくデフレ影響受けてより早くデフレから回復する傾向があった。 自由銀行制派経済学者にしてミルトン・フリードマン弟子のリチャード・ティンバーレイクは自身立場を『アメリカ合衆国金融政策みられる金本位制と実質手形原理』で明確に説明したが、この論文での彼の主張によると、連邦準備制度は実は金本位制化においてかなりの余裕持っており、そのことニューヨーク連邦準備銀行総裁ベンジャミン・ストロングによる1923年から1928年物価安定政策によって証明されたという。しかし1928年後半ストロング没すると、ニューヨーク連邦準備銀行支配権引き継いだ派閥が、全ての金は実際商品によって代表されなければならないという実質手形原理唱道した。ドル30%のデフレ強いて当然合衆国経済損害与えたこの政策恣意的で、避けられるものであって、金本位制はこれなしに存続できたとティンバーレイクが述べている: 金の管理におけるこの移行決定的であったストロング前任者に従って金本位制という足かせ頓着せず物価安定政策実行し実質手形原理支持者自身理想とする政策実行する上で同様に束縛受けず済んだ1928年-1929年のシステムポリシーは結果的に物価安定から受動的な実質手形移行した。「この」金本位制はそれが再出現するのに好都合な時を待つ形式的な見せ掛けしかない場所で残存した。

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