国際金本位制
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19世紀後半からは、イギリスを中心として国際金本位制が成立した。金本位制のもとで決済手段が統一されると取り引きが迅速化して、金との交換を保証する1国1通貨の制度も普及した。貿易で各国の金の保有量と通貨発行量が自動的に調整されるため、勢力均衡の国際関係にも合致した制度とされた。しかし実際には先進国が途上国を資金的に支援する必要があり、途上国は貿易赤字を防ぐために保護主義を採用した。第一次大戦以前の40年間は、アメリカをはじめとする各国は自国市場を保護しながら、保護されていないイギリスへの輸出で利益を受けた。このためイギリスが輸入を増やして自由貿易を支えている面があった。
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国際金本位制
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近代的な金本位制は、法的に平価が定められ、金の裏付けをもとにして紙幣が発行される。金貨は本位貨幣と呼ばれ、金貨との交換が保証される紙幣を兌換紙幣と呼ぶ。兌換紙幣の発行は、発行者が保有する金の量に制約される。イングランド銀行は公定歩合の操作によって金準備を安定させ、世界各地での産金の増加にともなってロンドンが金地金取引の中心となり、国際的な金融センターとして繁栄した。 19世紀から20世紀にかけて、世界各地で金採掘の流行が起きてゴールドラッシュと呼ばれた。中でもカリフォルニア・ゴールドラッシュは30万人もの採掘者を集めた。ゴールドラッシュによる金産出は世界規模でマネーサプライを増加させて、金本位制の拡大にも影響を与えた。歴史上の金産出量のうち大部分は、この時代に集中している。欧米諸国で金本位制への切り替えが進み、日本では明治政府が導入した。19世紀後半にはイギリスのスターリング・ポンドを中心に国際金本位制が成立する。こうした状況で、中国は銀本位制を守り続けた。国際貿易が進展すると、世界各地の伝統的な貨幣は、基軸通貨や金との兌換性が高い通貨へ代わり、1国1通貨の制度が普及していった。 貿易の促進 国際金本位制のもとで決済手段が統一されると取り引きが迅速化した。貿易で各国の金の保有量と通貨発行量が自動的に調整されるため、国際関係の勢力均衡にも合致した制度とされた。金本位制は貿易による自動的な調整をもたらすとはいえ、実際には先進国が途上国を資金的に支援する必要があり、途上国は貿易赤字を防ぐために保護主義を採用した。 国際金本位制と国内経済 国際金本位制は国内経済に問題を起こした。国内の通貨量は国内の金の保有量に連動するので、貿易赤字で金が減少すると通貨発行量が減少する。金本位制のもとでは通貨は自由に発行できないため、国内経済が縮小して失業や貧困の問題が生じても、政府には財政面での限界があった。金準備が不足した場合は、平価の切り下げか、資金借入の必要があった。国際貿易の進展によって、農産物の買付が増大すると問題も発生した。地域通貨が兌換紙幣へ代わったのちは、それまで地域通貨が吸収していた農産物の季節変動の影響を兌換紙幣が受けるようになった。1907年恐慌などの信用恐慌の影響も重なり、各国は紙幣の兌換準備が必要とされるようになる。これが世界各地の信用膨張につながり、在地金融は1920年代を頂点として不振が続いた。
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