自由貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 00:29 UTC 版)
自由貿易(じゆうぼうえき、英: free trade)は、関税や、数量制限などの国家の介入や干渉を排して自由に行う貿易を指す。学説としては、重商主義にもとづく保護貿易に対して、イギリスのアダム・スミスやデヴィッド・リカードやオマンティス2世らによって唱えられた。貿易が利益になるというのは経済学における最古の命題の一つであり、自由貿易はこの命題にもとづいている[1]。また、営業の自由をはじめとする経済活動の自由や移動の自由と密接に関係している[2][3]。通史は、貿易史#近世・近代および貿易史#現代を参照のこと。今日、主流経済学では、自由貿易は保護貿易よりも各国の経済発展に役立つと一般的に評価されている。
注釈
- ^ ジョン・メイナード・ケインズのように、自由貿易と保護貿易の支持を時代によって変えた経済学者もいる。1920年代は自由貿易論者として保守党の関税に反対し、大恐慌後には保護主義を主張したが、1945年にはアメリカの政策変更を知って再び自由貿易論者となった[5]。
- ^ エリザベス1世は、当初はスペインとの摩擦を避けるために海賊や密貿易の監視もした[13]。
- ^ 東南アジアは、多島海の入り組んだ地形、季節風、おだやかな海、豊富な木材などの条件に恵まれていた[16]。
- ^ 移動の制限や組合制度は残っていたが、国内の営業の自由はあった。この点で、ジャン=バティスト・コルベールによるフランスの重商主義政策とは異なる[18]。
- ^ アダム・スミスはスコットランド出身であり、グラスゴー大学で教えていた。スミスは『国富論』で重商主義や植民地貿易の独占、特権会社を批判した[20][21]。
- ^ マルサスは、イギリスでは高い穀物価格のもとで農業投資が進んだ点を評価したが、それはフランスとの戦争がもたらした状況であり、終戦後の農産物価格低下で崩壊した[28]。
- ^ 穀物法を批判したのはデイヴィッド・リカードの他に、リチャード・コブデン、政治家のジョン・ブライトらのマンチェスター学派の学者もいた[27]。
- ^ 第3回の国際通貨会議(1881年)までに、オーストリア=ハンガリーとロシアをのぞく欧米主要国は金本位制を採用した。中国は清から中華民国にかけて銀本位制であり、日本は1897年に金本位制となる[36]。
- ^ イギリスには自由貿易を拡大したいという目的があり、フランスはオーストリアとの戦争が予想されたためにイギリスと関係を改善するという目的があった[37]。
- ^ この保護主義は、フリードリヒ・リストが唱えた工業化のための保護主義ではなく、確立した独占的製造業の保護という面があった[40]。
- ^ 金本位制で貿易収支が赤字になった国は、財政収支均衡のためにデフレ政策が必要となる。金保有量の不足が深刻となった場合は、金本位制の停止・平価の切り下げ・他国からの資金借り入れのいずれかが必要となる[41]。
- ^ イギリスの輸入は特に一次産品が多かった。1860年にはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの全輸出品の半数、1880年は甘蔗糖・茶・小麦の国際取引量の半数、1881年には全世界の食肉輸出の半数を輸入していた[42]。
- ^ 1906年から1910年は、赤字は1億4200万ポンド、黒字は1億3700万ポンドだった[44]。イギリスはインドや中国との貿易で黒字を得た。中国にはアヘンを中心に輸出して1300万ポンドの黒字となった。インドも中国へのアヘン貿易で利益を得ており、アヘンの収益は1300万ポンド以上で対中国貿易黒字の3分の2に達した。そしてインドの黒字はイギリス製品を買うために使われた[45]。
- ^ イギリスは1840年代から植民地への優遇関税を廃止して自治領に関税自主権を与えた。フランスは植民地を国内と同様に扱って最恵国待遇を与えた。ドイツ、ベルギー、オランダなども植民地の関税を低くした[47]。
- ^ 1885年から1910年にかけての貿易拡大を国別にみると、イギリス・フランスが1.9倍、イタリア2.2倍、ドイツ・ロシア・アメリカ2.6から2.8倍、カナダ3.6倍、日本13.9倍となる。貿易額の対GNP比率は企業勃興期に14%、日清戦争後21%、日露戦争後25%と上昇した。当時の日本の輸出は紡績の軽工業が主体だった[51]。
- ^ ブラジル・コロンビア・エクアドル・中米のコーヒー・砂糖・バナナ、アルゼンチン・ウルグアイの羊毛や食肉、メキシコ・ペルー・チリ・ボリビアの鉱物資源、ブラジルやメキシコのゴムなどがある。モノカルチャー貿易は、オリガルキアと呼ばれる寡頭制の勢力によって進められた[54]。
- ^ インド・中国・日本の綿布、タイ・イギリス領ビルマ・フランス領インドシナの米、イギリス領マレーの天然ゴム、フィリピン群島政府の砂糖、オランダ領インドネシアの天然ゴム、コーヒー、砂糖などがあった[57]。
- ^ 中国はアヘン貿易をはじめ各国との貿易で赤字を計上しており、その貿易赤字は海外からの送金によって埋められていた可能性がある。中国人は、19世紀には東南アジア、アメリカ、キューバ、ハワイ、インドなど各地に労働者として渡っていた[59][60]。
- ^ 日清戦争後に日本は清から割譲された台湾を統治し、朝鮮の貿易は輸出額の80%から90%、輸入額の60%から70%が日本との取引となった。日本は工業製品を輸出しつつ台湾や朝鮮から食料を輸入し、のちに朝鮮を植民地化する[63]。
- ^ アビジット・バナジーとラクシュミー・アイヤーの研究による。イギリスが導入した地税制度は3種類あり、地主ベースのザミーンダーリー制、小作農ベースのライーヤトワーリー制、村ベースのマハルワーリー制だった[65]。
- ^ 国際連盟への不参加の他に、1924年移民法による移民制限、国外への投資の減少などにも孤立主義がみられた。アメリカ国内から見ると、貿易がGDPに占める割合は輸出5パーセント、輸入3.4パーセントと低かったことも理由だった[68]。
- ^ 貿易の機会がなければ、各国は経済ナショナリズムや、より攻撃的な政策を選ぶとハルは考えた。自由貿易を平和と結びつけ、第二次大戦後のアメリカとイギリスによる自由貿易推進にも関与した[69]。
- ^ 共和党が高関税による保護貿易政策を主張して企業の支持を失ったことも影響し、民主党のローズヴェルトは1936年の大統領選挙で再選した[72]。
- ^ 自由貿易を進めるにはヨーロッパ諸国の戦後復興が必要だったため、アメリカはマーシャル・プランによる復興支援を行った[77]。
- ^ ハリー・トルーマン政権は自由貿易の推進を意図したが、国内産業への影響を理由に議会から反対された。ITOの積極的な賛成者だった経済学者ケインズの死去やコーデル・ハル国務長官の辞任も影響した[80]。
- ^ その後のドーハ・ラウンドは、それまでのラウンドで製造業の障壁が大幅になくなっていたことに加えて、残っていた農業に関する合意が取れず、事実上の停止となった[90]。
- ^ IMF体制下の時代(1945年-1971年)と、金融のグローバル化が進んだ時代(1973年-1997年)を比較すると、後者で金融危機の発生が増大しており、年平均でみると新興国(3.80件)が先進国(1.76件)よりも多い[93]。
- ^ 生産によって規模の経済を実現する[95]。
- ^ リカードの比較優位(比較生産費説)に対して、アダム・スミスの説は絶対優位(絶対生産費説)と呼ばれる[31]。
- ^ 物理学者のスタニスワフ・ウラムが、「社会科学分野の中で、真理であり、かつ自明ではない命題を教えてほしい」とポール・サミュエルソンに聞いた。サミュエルソンは比較優位を例に出し、これが論理的に正しいことは数学者の前で言うまでもなく、これが自明ではないことは何千人もの優秀な人間に説明しても理解できなかったことから確かめられると答えた[99]。
- ^ 日本の外貨収入のうち朝鮮特需の割合は1951年に26.4%、1952年は36.8%、1953年は38.2%で外貨不足を補った。1966年には輸出増加額のうち80%近くがベトナム周辺地域とアメリカ向けとなった[108]。
- ^ 1950年代までの中国はソヴィエト連邦(ソ連)をはじめとする社会主義国から技術援助を受け、貿易も行っていた。しかし1960年代にソ連と対立し、国内だけで経済発展を目指す自力更生の政策となる[112]。
- ^ タイの伝統的な輸出品だった米は1990年には5%まで減少した[124]。
- ^ 1991年までのインドは輸入関税が平均90%で最高300%と高く、輸出入には許可制をとっていた[129]。
- ^ カリブ海諸国の額が大きいのはタックス・ヘイヴンやオフショア金融による直接投資が含まれているため[132]。
- ^ 植民地時代の影響で国境線が入り組み、55カ国の中で総人口が2000万未満の国が40カ国、GDPが200億ドル以下が38カ国にのぼる[135]。
- ^ 構造調整の手段には、(1) 政策条件、(2) 政策対話、(3) マクロ部門経済調査がある[140]。
- ^ ナイジェリアのように政策が変化した国もあり、イブラヒム・ババンギダ政権は構造調整プログラムを事実上受け入れたが自由化政策は進まず、のちのムハンマド・ブハリ政権で保護主義的な政策がとられた[143]。
- ^ 世界経済の政治的トリレンマのもとになった理論として国際金融のトリレンマがある。
- ^ 1930年初頭は大恐慌の時期にあたり、特にスムート・ホーリー関税法(1930年)でアメリカの関税率は39パーセントから59パーセントに急増した。経済学者1000名が、この法案について大統領は拒否権を行使するべきと勧告をしたが、ハーバート・フーヴァー大統領は採用しなかった[160]。
- ^ 関税との違いは、政府歳入にならないという点にある[162]。
- ^ 交易条件とは、輸出品の価格を輸入品で割った値を指す。この数値の上昇は輸出量に対して輸入量が増えることを表しており、交易条件の改善と呼び、その国の経済厚生が増えることになる[163]。
- ^ 産業育成のために使われた輸入制限、為替レート統制、ローカルコンテンツ要求などはコストが高い。代替した輸入品と比べて生産費用が3倍以上の産業でも存続できるほど保護されていた国もあった[168]。
- ^ 過去50年間のアメリカを例にとった場合、失業と輸入額は負の相関を示している[173]。
- ^ ロナルド・レーガン政権はこの支援制度を削減し、民主党政権でも引き継がれた[175]。
- ^ ペティア・トパロヴァ(Petia Topalova)の研究による。結果がストルパー=サミュエルソンの定理とは反対の現象を示したため、論争を呼んだ[177]。
- ^ エリック・マスキンの研究による。この現象は特に輸出企業に当てはまる。メキシコの輸出企業の労働者は非輸出企業に比べて60%高い賃金、インドネシアでは外資系企業の社員は国産企業の社員より70%高い賃金を得ている[180]。
- ^ 消費者は域外の安くて関税が高い輸入品ではなく、域内の高価な品を買わなければならない可能性がある[186]。
- ^ 黒人は南北戦争では共和党を支持したが、のちの大恐慌で民主党のローズヴェルト政権が黒人の権利向上、連邦政府の黒人雇用、農業保障局の南部黒人への恩恵などを行ったために民主党支持へと変わっていく[191]。
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自由貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 16:28 UTC 版)
「日本のTPP交渉及び諸議論」の記事における「自由貿易」の解説
川崎研一は「日本でEPAの議論が活発になった背景は世界的なFTA競争では出遅れ、主要な輸出産業の競争力の低下が懸念されたからである。貿易自由化によって産業別の勝ち組、負け組の差はより大きくなる。農産物は輸入が増え国内での生産は大きなマイナスになり、自動車は輸出が増え、国内生産もプラスになり、電気機械は海外での現地生産が増加することになる。貿易が活発化するため、運輸や流通、商社を含めた貿易に関連する産業にとっては追い風になる。更に重要なのは『国を開く』というメッセージを海外に伝えることで、海外から資金や人を呼び込むことの方である」「貿易を自由化する国々の間では貿易が促進されるが、第3国にとっては自国との貿易がその他の国々の間に転換される可能性がある。従って、この貿易促進効果と貿易転換効果のトレードオフの関係次第では、必ずしも貿易自由化の参加国の範囲が広くなればなるほど経済効果も大きくなるとは言えない。それぞれの国にとってベストの地域的な枠組みが存在する可能性が示唆される点は、政策当事者にとっては重要な関心事となるだろう」と指摘している。 田中秀臣上武大学教授は「日本はアメリカと比べても貿易の自由度は高い。それは国際的な統計からも出ている。日本はとっくに『開国』しており、戦後ずっとその恩恵を受けている国である」と指摘している。 中野剛志は「『国を開く』という強い意志を示すメッセージ効果」があるとされるが、そのようなメッセージをアピールすることは、TPP交渉における日本の選択の幅を著しく狭めてしまうとしている。また、日本はTPPのルール作りで主導的役割を果たすことができないため、日本の国際的な影響力や交渉力は全く強化されないどころか、TPPへ参加することで、EPAやFTAの交渉との矛盾が生じてしまい、TPP以外の貿易交渉において、日本の交渉範囲を狭め、選択肢を極端に減らしてしまい、むしろ日本の国際的な影響力や交渉力は低下の方向に向かうとしている。 中野はTPPにおける経済産業省の基本的な関心は、欧米中の市場において、韓国との競争に勝ち残るということの一点に集中しており、TPPとは韓国との国際競争に勝つための手段であるとしている。しかし、グローバル化した世界において、国際競争力には、関税よりも通貨の影響が大きく、韓国企業の国際競争力の原因も通貨にあるとしている。また、EUやアメリカの不況は深刻化・長期化しており、高い失業率や需要縮小に悩んでいるため、日韓ともに欧米市場で輸出が伸ばせない可能性も十分にあるとしている。このような世界市場の情勢の中で、韓国が輸出を伸ばそうと努力しているのは、韓国がGDPの4割以上を輸出に依存する外需依存国だからであるが、日本はGDPに占める輸出の割合の比率は2割にも満たないという内需大国であり、韓国とは事情が異なるとしている。さらに、経済産業省の見立てによれば、日本がTPPへの参加を表明すれば、念願のEUとのFTA交渉への道がひらけるとし、TPPはEUとのFTA交渉の手段に過ぎないとしている。 ジョセフ・E・スティグリッツコロンビア大学教授は、東京都内での講演で「TPPは期待するほど役に立たない、悪い影響をおよぼすかもしれない可能性もある。TPPのすべてが明らかになっているわけではないが、医療や知財についても議論されており、イノベーションが失われる危険性もはらんでいる」と指摘している。 高橋洋一は「貿易自由化が望ましいとの理論は経済学の中でも200年程度の長い歴史で実証されており、世界共有財産ともいえる英知である。貿易自由化によってマイナスはあるがプラスのほうが長期的に多いことがわかっている」「自由貿易でメリットを受ける輸出関係者、消費者がいる一方で、デメリットになるのが輸入品と競合する国内生産者である。自由貿易の恩恵というのは、このメリットがデメリットを上回る」「TPPで不利益を受ける人は必ずいる。そうした人に損をさせないように最大3兆円の所得移転をしても、国全体では3兆円のメリットがあるというのが、自由貿易である」と指摘している。 若田部昌澄は「市場の拡大が望ましいのは、それによって多数派が得をするからではなく、少数派の損を上回るだけの得が発生するからである。貿易自由化は典型的なプラスサムの世界である。厄介なのは、TPP推進派の側にも、反対派の側にもかつての重商主義的な、あるいは戦略的通商政策的な、つまるところゼロサム的な世界観が見え隠れすることである」と指摘している。 原田泰は「TPPに参加するのは日本が自ら国を開き、世界の中で重要な国であり続けることを宣言するものである」と指摘している。 伊東光晴京都大学名誉教授は「TPP交渉に参加している10カ国は、地域的に拡散しており、産業特性、制度、伝統、発展の度合い、所得も異なっている。そんな中で、あらゆる規制をともにできない。一律にしたら、世界は先進国は工業、後進国は農業だけになってしまうからである」と指摘している。 国際政治学者の浅野貴昭は「TPP加盟によって農業のみならず、医療、金融、通信、政府調達等々の分野が国際競争にさらされ、海外からの単純労働力流入によって雇用は脅かされる上に、社会としてのアイデンティティーすら危うくなる、と懸念する向きもある。それに対して、TPPによって日本の医療体制が崩壊したり、移民が流入することなどありえず、そうした懸念こそ無知の産物であるとして、賛成派は反対派の声を退けるのだが、そうした懸念は、グローバル化が進む中での、国の医療システム、ビジネス環境、食品安全、人材活用といった諸分野の将来像を問う声でもあると考えるべきである」「本来、通商貿易政策とは、国際社会との関係を取り結ぶための手段の一つである。グローバル化は今や国際社会全体を一定の方向に押し流す潮流であり、日本だけがその流れから逃れることはできない。市場の自由化・統合はもはや世界規模の現象であり、少なくとも一律に国境の周りに壁を積み上げるような措置だけで何かを守るようなことは難しいと認識すべきである」「自由貿易協定は一義的には経済政策でありながらも、同時に外交ゲームの有力な手段であることは否めない。その点においては、日本のTPP交渉参加をいかに積極的に、主体的に位置付けることができるかが、今後の交渉に向けた重要な文脈となる」と指摘している。
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自由貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
工業化と植民地の拡大は産業資本家、商人、投機家だけでなくイギリス国民に支持され、自由貿易が推進された。東インド会社のような特権を持つ企業は、自由貿易を支持するアダム・スミスによって批判された。その一方で他国からは、イギリスが自由貿易を進めるのは強い経済力を背景とした利己的な政策であると批判された。また、イギリスはいち早く工業化を達成した地位を利用して他国を搾取しているという意見も存在した。ナポレオン戦争が終わる1815年には、物流ではハンブルクとロンドンの競争でロンドンの優位が明らかとなり、金融ではアムステルダムとロンドンの競争でロンドンが優位となった。ナポレオン戦争中は食料品が値上がりをして地主の利潤が大きく、戦後も高値を保つために地主の働きかけで穀物法が制定されると、経済学者デイヴィッド・リカードはこの法律に反対し、リチャード・コブデンやジョン・ブライトは反穀物法同盟の運動を行う。やがて穀物法や航海条例など保護貿易のための法律は廃止された。1860年には、イギリスとフランスの2国間通商条約としてコブデン=シュヴァリエ条約(英語版)が結ばれる。大陸ヨーロッパでは自由貿易がイギリスに利益を与えるものと考えられたが、実際には大陸からのイギリスへの工業製品の輸出は増加しており、イギリスは貿易赤字国となっていた。イギリスの赤字は、植民地のインドによってまかなわれた。
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自由貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 09:07 UTC 版)
イギリスは、主な競合国であるアメリカやドイツが(カナダがしたように)高い関税に変更した時でも、自由貿易政策を堅持していた。 アメリカの重工業はイギリスよりも速く成長し、1890年代にはイギリス製の機械やその他製品が世界市場から押し出されていた。ロンドンはしかしながら、その投資の多くがアメリカの鉄道に向けられていたとはいえ、世界の金融中心地であり続けた。アメリカ側は国際海運と保険の面でイギリスにだいぶ遅れをとっていた。 イギリス国内市場へのアメリカ経済の「侵略」には対処が求められた。関税は、盛んに検討が行われたものの、1930年代までは課されなかった。そのため、イギリスの事業者はその市場を失ったり或いは再考して業務を近代化せざるを得なくなった。製靴産業はアメリカ製履物の輸入増加に直面し、アメリカ人が製靴機械の市場を引き継いだ。イギリスの企業はこの競争で肩を並べる必要があることを理解し、仕事の伝統的なやり方、労働力の活用、労使関係を再検討し、流行の需要という観点から靴を販売する方法を再考することとなった。
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自由貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:56 UTC 版)
「イギリスの欧州連合離脱」の記事における「自由貿易」の解説
ロンドン市長ボリス・ジョンソンは、EU離脱により英国の貿易の優位性が高まると主張した。「わたしたちが恐れなければならないのは、恐怖そのものだけだ。大きなチャンスがあると思う。自由貿易をしましょう、わたし達自身を信じましょう」と彼は訴えた。離脱派は、離脱が英国がヨーロッパやその他の国々と新らたな貿易協定を発展させることにつながると主張する。Vote Leaveは、EU加盟下において英国が「自分自身の貿易取引を交渉する」ことを許されていないとした。 「英国は現在、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどの主要同盟国、あるいはインド、中国、ブラジルなどの重要な成長国との間で貿易協定を結んでいない。(現状では)英国にとって最善の取引をする代わりに、他の27ヶ国が合意するのを待たなければならない」 さらに「EU外では、英国は世界貿易機関での独立した発言権を持つだろう」と同組織は付け加えた。
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自由貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:51 UTC 版)
自由貿易は第3条で定められているが、ハリスにとっては最重要の項目であった。草案では専売制度や倹約令の撤廃も求めていた(何れも内政干渉に近いとされたためか、条約には含まれなかった)。幕府は急激な貿易の拡大は国内の混乱を招くとして、日蘭追加条約に準じた内容を希望したが、ハリスはこれを拒否し、最終的には幕府も自由貿易を認めた。幕府側からの希望で、軍需品は幕府にのみ販売すること、日本からの米・麦の輸出は行わないこと、銅は余剰がある場合に幕府の支払いとしてのみ輸出できることが加えられた。第4条では阿片の禁輸が定められているが、これはハリスの方から申し入れたものである。
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自由貿易
出典:『Wiktionary』 (2021/06/19 00:03 UTC 版)
名詞
発音(?)
- じ↗ゆーぼ↘ーえき
翻訳
- アラビア語: تجارة حرة (ar) (tijāra ḥurra) 女性
- イタリア語: libero scambio (it) 男性
- ヴォラピュク: lelivated (vo)
- 英語: free trade (en)
- オランダ語: vrijhandel (nl) 男性
- スウェーデン語: frihandel (sv) 通性
- スペイン語: comercio libre (es) 男性
- タガログ語: malayang baliwasan (tl)
- 中国語: 自由貿易 (cmn), 自由贸易 (cmn) (zìyóu màoyì)
「自由貿易」の例文・使い方・用例・文例
- 自由貿易
- 北米自由貿易協定は1994年に始まった。
- 日本はガット自由貿易体制における最大の受益者の一つだったということができる。
- 私達は自由貿易には反対である。
- 高関税が自由貿易への最大の障害になっている。
- その会社は自由貿易を支持している。
- サミット参加国は、自由貿易問題を協議事項のトップにおいています。
- あの候補者は自由貿易の擁護者である。
- 自由貿易.
- 自由貿易は好ましいことだ.
- 自由貿易派.
- 彼らは反旗[自由貿易の旗印]を翻した.
- 自由貿易の道を開く.
- 自由貿易は自由競争
- 自由貿易港
- 自由貿易とは自由競争のことである
- 帝国主義者の国は2つの小さい国の間の自由貿易を阻止したがっていた
- 米国、カナダ、メキシコの間の自由貿易のための合意
- 自由貿易と保護貿易主義の間の古典的な議論
自由貿易と同じ種類の言葉
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