し‐だい【次第】
読み方:しだい
[名]
3 物事の、そうなるに至った理由。わけ。事情。「そんな—で明日は伺えない」
4 能や狂言の構成部分の一。七・五、返句、七・四の3句からなる拍子に合った謡。シテ・ワキなどの登場第一声として、また曲舞(くせまい)や乱拍子の序歌としても謡われる。
5 能や狂言で、シテ・ワキなどの登場に用いる囃子事(はやしごと)。大鼓・小鼓に笛があしらい、続いて4が謡われる。
6 歌舞伎囃子(ばやし)の一。5を取り入れたもので、能がかりの登場音楽として用いるほか、「関の扉(と)」などの幕開きにも奏する。
[接尾]
1 名詞に付いて、その人の意向、またはその事物の事情のいかんによるという意を表す。「あなた—でどうともなる」「この世はすべて金—」
2 動詞の連用形に付いて、その動作が行われるままにという意を表す。「手当たり—に投げつける」「望み—に買い与える」
3 動詞の連用形または動作性の名詞に付いて、その動作がすむと直ちにという意を表す。「満員になり—締め切る」「本が到着—送金する」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 05:20 UTC 版)
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関連項目
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 00:22 UTC 版)
修法は、合計21ヶ座行われる。勧修寺流(金剛界法)と西院流(胎蔵界法)の両界を1年置きに交互に修し、息災・増益の護摩と五大明王、十二天、聖天法などを併せて修する。 前日の7日、修法に出仕する供僧が、東寺の集会所で習礼を行う。 初日(開白)の1月8日には、宮内庁より、天皇の御衣を納めた唐櫃を捧持した勅使を東寺・灌頂院に遣わして、御衣を東寺灌頂院道場の内堂の瑜伽壇上に安置する。 11日(中日)・14日(結願)は勅使が、東寺・灌頂院の道場において焼香し、参拝をされる。同日14日、勅使に御衣奉還の儀式を東寺灌頂院の前堂にて行い、後七日御修法は成満する。 修法で使用する念珠・五鈷杵・袈裟などは、空海(弘法大師)が唐(中国)より持ち帰った法具である。以前は、東寺長者が大阿闍梨を務めていた。 結願後に限り、東寺灌頂院道場への一般参拝が許されている。 構成(真言宗各派総大本山会所属の各宗派より選出された者)法務法印大阿闍梨(1名) 御手替(1名) 息災護摩供(1名) 増益護摩供(1名) 五大尊供(1名) 十二天供(1名) 聖天供(1名) 神供(1名) 二間観音供(1名) 舎利守(1名) 咒頭(1名) 伴僧(4名) 事務局別当(1名) 大行事(1名) 小行事(1名) 局長(1名) 総務(1名) 用度(1名) 承仕(16名) 随行(17名) 従弟子(2名) 定額僧 御修法事務局員
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 03:28 UTC 版)
シギスムンド・ペイン・ベスト(英語版)大尉が著書『The Venlo Incident』(『フェンロー事件』)で回想する、拉致に至った秘密会合の概要は以下の通りである。 ベストはフィッシャーと、1939年9月の初めにオランダ国内の不詳の場所で面会した。 2度目の会合に、フィッシャーはベストに引き合わせるためゾルムス少佐を同道した。ベストはゾルムスがドイツ空軍の少佐であると信じた。彼らはフェンローの街の小さなホテルで面会した(日時は不詳)。 ベストは1週間後、フィッシャーとゾルムス少佐と面会した(場所と日時は不詳)。ゾルムスはベストへ、ヒトラーを権力から排除する陰謀が存在し、数名のドイツ国防軍の最高位将官がそれに関わっていると告げた。「首謀者」がベストと直接の形でのみ交渉を行うとして、ゾルムスはそれ以上の詳細を明かすことはできなかった。しかしながら、彼らが会見する前に、ベストが真正のイギリス諜報要員である確証を求め、BBCのドイツ語ニュース放送で特定の文章が放送されるべく彼が取り計らうように依頼した。10月11日にこれが2度に渡って行われ、同じ頃にベストはゾルムス少佐から、自身がゲシュタポの監視下にあるのではないかと恐れており、「低く伏せている」必要があると告げられた。 10月20日、フィッシャーやスティーブンス少佐、クロップ中尉とともにベストは、フォン・ザイドリッツ大尉とグロシュ中尉という2名のドイツ軍士官と、ベストの友人がアーネムに所有していた個人邸宅で面会した。会合はオランダ警察に遮られ、ほとんど進展を見なかった。「2名の『フン人』は度を失うほどに怖がっているようで、帰りたがっているという点を除いて、彼らから何かを引き出すことは非常に困難であった」とベストは回想した。 10月30日、ベストとスティーヴンス少佐、クロップ中尉は3名のドイツ軍士官、グロシュ中尉とマルティニ大佐、そしてシェンメル少佐とデン・ハーグで会見した(クロップは3名のドイツ軍人を、彼らが国境付近でオランダ警察に拘束された後にディンクスペルロ(英語版)付近で迎えていた)。ドイツ軍人を代表して話したシェンメル少佐は、ドイツの現況、ポーランド戦役における人員と物資の損失、そして戦争の早期終結の緊急性を概説した。シェンメルはさらに、ヒトラーは参謀幕僚からの助言を受け入れないであろうし、排除の必要があるものの、彼の暗殺は大混乱に繋がるであろうと述べた。狙いは彼を拘束下に置き、軍人の指導集団へ和平の交渉を始める権限を付与する命令を出すよう強制することである。「我々はドイツ人であり、我々自身の国家の利害を第一に考えねばなりません。ヒトラーに対して何らかの手を打つ前に、イギリスとフランスが公正でありまた栄誉ある和平を我々に認める用意があるかどうかを、我々は知りたく思います」とシェンメルが会合で述べたと、ベストは回想する。さらなる対話を容易にするために、1揃いの無線送信・受信機がドイツ側に提供された。スティーヴンスはシェンメルの質問をロンドンへ照会し、1日ないし2日後に、言質を与えない返答が戻ってきた。さらなる伝言が無線で毎日のように交換され、次いで新たな会合が設定された。 11月7日、ベストとスティーブンス少佐、クロップ中尉は2名のドイツ軍士官、グロシュ中尉にシェンメル少佐と会合を持った。フェンロー市の外延にある「カフェ・バッカス」で会合を持つにあたって助力したのがクロップで、この現場は国境越えの場所に近く、ドイツ側にはより好適であった。ベストとスティーヴンスは、ドイツ軍人に彼らの質問に対するロンドンの返答の概要を口頭で述べた。その返答は彼らの期待に見合わなかったようであったものの、ドイツ側はそれを「上官」に伝えると述べ、また当人はヒトラーに対する陰謀が失敗した場合の保護手段として、ベストとスティーヴンスに「秘密書類」を託したがっているとして、翌日に当人と会見するよう提案した。 11月8日、ベストとスティーヴンス少佐、クロップ中尉はカフェ・バッカスで、シェンメルのみと会った。来ることになっていた将軍は、オランダ女王とベルギー王から行われた和平の呼びかけについて考慮するべく、ミュンヘンでの緊急会合のためにヒトラーから呼び出されたとシェンメルは述べた。シェンメルはベストとスティーヴンスに、将軍が出席できるように同じ現場で翌日に再び会合を行うことを求め、ヒトラーに対する「企て」は土曜日(11日)に行われることとなるので、翌日が会合の最後の機会であろうと付け加えた。 11月9日、16時に会合が計画されていた。最後の会合に関して、クロップはオランダ警察の警備が国境に詰めているように取り計らった。これまでの会合とは異なり、ベストとスティーヴンスは自分たちもブローニング自動拳銃で武装して、不測の事態に備えた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 04:38 UTC 版)
以下は灰寄の次第の一例である。 黙祷 世話人挨拶 喪主御礼挨拶 菩提寺住職法話 代表者献杯 遺族による参列者見送
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/26 14:30 UTC 版)
祭りの主体は田ノ口区である。 午前中に田ノ口区民によって長さ約100cm・幅約70cmの草鞋と草履が編まれる。昼過ぎになると、足の神「サエノカミ」が宿るとされるスギに吊るされ、神主によって祝詞の奏上がされる。 草履と草鞋は2本のスギにくくり付けられるが、必ず向かって右に男紙とされる草履が、左に女神とされる草履がそれぞれ吊るされる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/26 14:27 UTC 版)
当日は8時ごろから堂の飾り付けや松明・角麩などの準備が始まり、昼までに広井区から荒川区までの農道に12.5mずつ5区間に分けて針金が張られる。 19時過ぎになると、堂に男性が集まって松明を持ち、灯油に漬けて点火したあと農道へ移動し、太鼓の合図で一斉に角麩に点火する。 針金の総延長は約500mとも、約375mともいわれる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 08:39 UTC 版)
「日出神社の千本餅つき」の記事における「次第」の解説
当日は18時から21時頃まで餅がつかれる。 4人一組で長さ約130cmの杵で臼に突き刺すように「ホイホイ」とかけ声を出しながら餅をつき、ある程度餅がつきあがったところで4人が呼吸を合わせて杵を高く持ち上げる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 00:36 UTC 版)
4月13日 西の極楽堂(会式中のみ、本堂をこう称する)と東の娑婆堂との間に、参道のホゾに柱が立てられ、来迎橋が架けられる。 4月14日 午後2時、真言宗方(中之坊・西南坊)の僧が、極楽堂に入堂し、勤行を開始する。 浄土宗方(奥院)の僧が、娑婆堂に参内し、中将姫像前で勤行を始める。 僧衆の読経の声が聞こえ始めると、天人2人に先導された二十五菩薩が、極楽堂を出発し、来迎橋上を娑婆堂に向って進む。 シテ役の観音菩薩は、蓮華座を捧げ持つ。勢至菩薩は合掌し、両菩薩とも、身を左右によじり、蓮華座に姫をすくい上げる様を表しながら進む。 普賢菩薩は天蓋を持し、常に身を左右に振りながら、二尊とともに娑婆堂内に入る。娑婆堂内では、姫の像を、観音菩薩の持する蓮華座にお迎えする。 帰途は、中将姫を捧持した観音菩薩が先頭を進み、勢至菩薩・普賢菩薩が続く。龍樹菩薩・地蔵菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩など、聖衆の諸菩薩が続き、最後に天人が従い、極楽堂に戻る。
※この「次第」の解説は、「聖衆来迎練供養会式」の解説の一部です。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 01:17 UTC 版)
竹と茅で作った高さ5mの「すずみ」二基に火がつけられ、「福地」と「乾地」のふたつの地区に分かれた神男と、かぶる頭巾の形から「ネコ」と呼ばれる奉仕者が「すずみ」の中に飛び込んで神木と十二縄を競って取り出す。その勝敗により、その年の天候と豊凶や作物の出来具合を占う。 毎年2月第2日曜日に開催される。西尾市立一色学びの館には鳥羽の火祭りに関する常設展示がある。
※この「次第」の解説は、「鳥羽の火祭り」の解説の一部です。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:03 UTC 版)
現在の「大饗の儀」においては、天皇皇后の御座の後に屏風画「錦軟障」が立てられる。これは高さ12尺(3.64メートル)、幅30尺8寸4分(9.35メートル)で、その図は千年松山水の図、大正の大嘗祭に際して今尾景年の筆により絹に揮毫された墨絵である。また、両側上座壁面には「悠紀地方風俗歌屛風」(皇后出入口脇)、「主基地方風俗歌屛風」(天皇出入口脇)が布設され、大嘗祭において悠紀国(京都以東以南)・主基国(京都以西以北)に選ばれた各々の地方の四季の名勝を題材に、屏風は二曲一双で画紙雲肌麻紙に描かれた。更に同じくそれぞれの和歌が宮内庁の依頼を受けた歌人によって詠まれ、万葉仮名で色紙に揮毫され、二枚あてその屏風の左右両上隅に張られた。また、天皇皇后の御前には両地方の風景を取り入れた意匠で立体的な飾りつけをした純銀製の「洲浜台」が置かれた。 悠紀国、主基国において農林水産物15品が県や関連団体の推薦によって選定され、それぞれ献物(けんもつ)として正面に陳列され、式部官長がその色目を奏上した。これは、古来の節会で両国の産品を「多米都物」(ためつもの)として献上、弁官がこれを奏上したことに倣ったものである。 饗宴に際して、歌舞が披露される。 久米舞が奉納される。 悠紀国、主基国による「風俗舞」が奉納される。これは大嘗祭の都度新作されるもので、両国の地名を入れた歌を歌人が作詞し、それに宮内庁式部職楽部がその地方の謡や郷土舞を参考に作曲、振り付けしたものである。 五節舞が奉納される。前例では京都在住の旧公家華族の子女が奉仕したが、平成以降は楽部の楽長楽師の子女が奉仕した。 最後に、天皇皇后が挿花を供し、また諸員に賜った。
※この「次第」の解説は、「豊明節会」の解説の一部です。
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「次第」の例文・使い方・用例・文例
- それは彼女次第だよ.なんといっても彼女がそれの所有者なんだから
- 次第に彼女は私の真意を理解するだろう
- 何年か経つうちに二人の友人は次第に疎遠になった
- 我が社の製品の需要は次第に減った
- 答えがわかり次第お返事致します
- 依頼があり次第パンフレットを送付します
- 要請があり次第
- 不法侵入者は見つかり次第射殺されるだろう
- 金がものを言う;地獄の沙汰も金次第
- それはあなた次第だ
- 何を選ぶかはジョン次第だ
- 彼が次第に人に心を開きます
- 議論が次第に熱を帯びる
- 京都市にも次第に開発の波が押し寄せた
- 例外の場合は、残業しなければならないとわかり次第、上司の承認を得て、人事部に報告しなければなりません。
- 給与に関する情報は、履歴書と推薦状を受領次第、お伝えします。
- 御社から修正版をいただき次第、契約書に署名して返送いたします。
- 講座が定員に達し次第、登録を締め切ります。
- 彼は手当たり次第にディスラプターをぶっぱなした。
- 次第に弱く演奏する
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