西院
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西院(誕生院)
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廿日橋 - 昔は毎月20日にのみ通行できたということから。 弁天社 - 1867年建築。極楽堀の中に建つ。 仁王門 - 1889年再建。金剛力士像は南北朝時代・応安3年(1370)の製作。 御影堂前回廊 - 1915年建築。全長9間。十二支の動物と鳳凰の彫物が上部に、空海の生涯を表した17枚の絵が。 御影堂(大師堂)拝殿・奥殿 - 1831年建立、1937年改修。「弘法大師御誕生所」とされている。 奥殿:本尊・目瞬大師画像(50年に1度開帳の秘仏で厨子内)その前に木造弘法大師像、堂内には四天王像・稚児大師像・佐伯善通像・玉寄御前像。 地下:「戒壇めぐり」真っ暗な先に、金剛界大日如来と稚児大師像・佐伯善通像・玉寄御前像を祀る空間。 産湯井 - 空海が誕生の折に用いられた産湯の井戸とされている。 宝物館 - (8〜17時)500円、戒壇めぐりと産湯井の拝観と共通で拝観できる。昭和48年建築。 御影池(みかげのいけ) - 大師立像・弥勒菩薩石像・両親の石造を中央に、向かって右に不動明王二童子・文殊菩薩石像、左には七ヶ所参りの布袋石像。寺伝では、空海が唐に渡るとき母のために自画像を描いた際に我身を写したという池。 聖霊殿 - 昭和15年(1940年)建築。 五百羅漢 - 金堂内から移された。 ほやけ地蔵堂 - 1940年建築。あざや病気の平癒に功徳があると信仰されている。 護摩堂 - 昭和15年(1940)建築。不動明王坐像を拝顔できる。 閻魔堂 - 昭和33年(1958)再建。閻魔王など13体は宝永2年(1705)北川運長によって製作。 親鸞堂 - 昭和28年(1953)建築。法然は当寺に来たが親鸞は来れなかった、その親鸞を祀る。『鎌田の御影』と呼ばれる親鸞像を拝顔できる。 鐘楼 - 昭和53年(1978)作。吹放し型式。自由につける。 納経所 勅使門 - 1936年再建。 大玄関及び小玄関 - 1907年建築。 宸殿 - 1907年建築。南北各四室からなる八間取で、北面に畳廊下を付設する。 光明殿 - 平成21年(2009)建立。納骨永代供養施設、大師像や十三仏を安置。 聖天堂 - 平成16年(2004)再建。歓喜自在天を祀る。 遍照閣 - 昭和59年(1984)建立。一階玄関に釈迦如来坐像と十大弟子立像、奥に八十八ケ所本尊と等身大の大師立像、二階は大師坐像が祀られ大広間で講演会などに利用される。無料で拝観可能。 十二支守り本尊石仏・七福神石仏・和合蛙 パゴダ - 昭和45年(1970)8月15日建立。金色の釈迦像が鎮座している。 正覚門 - 昭和53年(1978)建設。 済世橋 - 昭和53年(1978)建設。欄干に真言八祖の名号をあらわす種子ある。 空海記念碑 - 昭和58年(1983)建設。中国西安市の青龍寺跡に建てられたものを縮小復元したもの。 句碑歌碑 - 高浜虚子「咲きみちてこぼるゝ花も無かりけり」、高浜年尾「お遍路の美しければあはれなり」、 稲畑汀子「風少しあり梅の香を運ぶほど」が御影池の横にある。与謝野鉄幹「善通寺秋の夕にわかたつも 大師若くてふみませる土」が遍照閣の中にある。また、法然上人逆修之塔の案内石板の側面に「月影の至らぬ里はなけれども 望むる人の心にぞすむ」「寒くとも袂に入れよ西の風 弥陀の国から吹くと思えば」が刻まれている。 仁王像 御影堂奥殿と涅槃桜 金堂から移された五百羅漢 親鸞堂 遍照閣と十二支守り本尊 正覚門 済世橋 空海記念碑
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