西院伽藍
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西院伽藍は南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置する。向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の廻廊が囲む。廻廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた廻廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっている。廻廊の途中、「凸」字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵がある。以上の伽藍を西院伽藍と呼んでいる。金堂、五重塔、中門、廻廊は聖徳太子在世時のものではなく7世紀後半頃の再建であるが、世界最古の木造建造物群であることは間違いない。金堂・五重塔・中門にみられる建築様式は、組物(軒の出を支える建築部材)に雲斗、雲肘木と呼ばれる曲線を多用した部材を用いること、建物四隅の組物が斜め(45度方向)にのみ出ること、卍くずしの高欄(手すり)、それを支える「人」字形の束(つか)などが特色である。これらは法隆寺金堂・五重塔・中門、法起寺三重塔、法輪寺三重塔(焼失)のみにみられる様式で、飛鳥様式とされる。 金堂(国宝) - 天智天皇9年(670年)の火災後の再建。解説は既述。 五重塔(国宝) - 天智天皇9年(670年)の火災後の再建。解説は既述。 大講堂(国宝) - 桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺き。平安時代の延長3年(925年)に焼失後の、正暦元年(990年)に再建。薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重要文化財)を安置する。 経蔵(国宝) - 奈良時代の楼造(二階建)建築。観勒僧正坐像(重要文化財)を安置するが、内部は非公開。 鐘楼(国宝) - 経蔵と対称位置に建つが、建立時代は平安時代。 廻廊(国宝) - 金堂などとほぼ同時期の建立。廊下であるとともに、聖域を区切る障壁でもある。ただし、大講堂寄りの折れ曲がり部分より北は平安時代の建立である。当初の廻廊は大講堂前で閉じており、大講堂は廻廊の外にあった。 中門(国宝) - 入母屋造の二重門。正面は四間二戸、側面は三間。日本の寺院の門は正面の柱間が奇数(3間、5間、7間等)になるのが普通だが、この門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が特異である。門内の左右に塑造金剛力士立像を安置する。日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものであるが、風雨にさらされる場所に安置されているため補修が甚だしく、吽形(うんぎょう)像の体部は木造の後補に代わっている。門は現在、出入り口としては使用されず、金堂等の拝観者は廻廊の西南隅から入る。 上御堂(重要文化財) - 大講堂の真裏(北)に建つ。鎌倉時代の建立。釈迦三尊像(国宝)、四天王立像(重要文化財)を安置。通常非公開だが、毎年11月1日 - 3日に限り堂内を公開。 総社 西円堂(国宝) - 西院伽藍の西北の丘の上に建つ八角円堂。伝承は県犬養三千代の建立とするが、現存のものは鎌倉時代の建立。堂内の空間いっぱいに坐す本尊薬師如来坐像(国宝)は、奈良時代の乾漆像。本尊台座周囲には小ぶりな十二神将立像(重要文化財)、千手観音立像(重要文化財)を安置する。大和北部八十八ヶ所霊場第51番札所。 鐘楼 薬師坊庫裏(重要文化財) - 西円堂の背後に建つ。 地蔵堂(重要文化財) - 西円堂の東側石段下に建つ。地蔵菩薩半跏像(重要文化財)を安置。 三経院(国宝) - 西院伽藍の西側、聖霊院と対称的な位置に建つ。鎌倉時代の建立。阿弥陀如来坐像(重要文化財)持国天・多聞天立像(重要文化財)を安置。 西室(国宝) - 三経院の北に接続して建つ。 弁天社 西大門 西園院 - 法隆寺の本坊(住職の居所)。南大門を入って左側、築地塀の内側にある。客殿(重要文化財) 新堂(重要文化財) - 持仏堂。薬師三尊像(重要文化財)、四天王像(重要文化財)を安置。 庫裏 寺務所 上土門(あげつちもん、重要文化財) - 上土門はここ以外には法輪寺にしかなく、貴重である。 唐門(重要文化財) 大湯屋(重要文化財) - 西園院の西方、築地塀の内側にある。大湯屋表門(重要文化財) 鵤文庫 護摩堂 - 南大門を入って右側の子院・弥勒院に接して建つ。不動明王及び二童子像(重要文化財)、弘法大師坐像(重要文化財)を安置。 聖霊院(しょうりょういん、国宝) - 西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立。この建物は本来は東室の一部であったが、保安2年(1121年)にこれを再建する時に南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像を祀った。現在の聖霊院は弘安7年(1284年)に改築されたものである。聖徳太子及び眷属像(平安時代、国宝)、如意輪観音半跏像(重要文化財)、地蔵菩薩立像(重要文化財)を安置。太子の命日の旧暦2月22日を中心に(現在は3月22日 - 24日)、法隆寺最大の行事であるお会式(おえしき)が行われる。 東室(ひがしむろ、国宝) - 聖霊院の北に接続して建つ。後世の補修・改造が多いが、基本的には奈良時代の建築で、当時の僧坊建築の遺構として貴重である。 妻室(つまむろ、重要文化財) - 平安時代建立。東室の東に建つ細長い建物。 綱封蔵(こうふうぞう、国宝) - 聖霊院の東に建つ。奈良時代から平安初期に建てられた倉庫である。 食堂(じきどう、国宝) - 奈良時代建立。西院伽藍の東方北寄りに建つ。食堂本尊の薬師如来坐像(重要文化財)は奈良時代の塑像だが補修が多い。本尊以外の仏像は大宝蔵院に移されている。 細殿(ほそどの、重要文化財) - 鎌倉時代建立。食堂に並んで建てられている。 大宝蔵院 - 1998年(平成10年)完成。解説は既述。百済観音堂 - 1998年(平成10年)建立。 東宝殿 - 1998年(平成10年)建立。 西宝殿 - 1998年(平成10年)建立。 中門 - 1998年(平成10年)建立。 工芸収納庫 収蔵庫 大宝蔵殿 - 大宝蔵院とは別の建物。1939年(昭和14年)の建築で、大宝蔵院が完成するまではこの大宝蔵殿で多くの寺宝が公開されていた。現在は、春・秋の観光シーズンのみ開館し、大宝蔵院に展示しきれない様々な寺宝を公開している。中倉 南倉 北倉 - 北倉は倉庫として使われている。 東大門(国宝) - 西院から東院へ向かう道筋に建つ、奈良時代の八脚門。 古材収納庫 聖徳会館 旧富貴寺羅漢堂(重要文化財) - 西院から東院へ向かう道筋の南側、築地塀の内側にひっそりと建つ。元は奈良県磯城郡川西町の富貴寺にあり、荒れ果てていたのを細川護立(侯爵、美術史家)がその部材を引き取って保存した後、法隆寺へ寄進。平安時代の三重塔の初層のみが残ったものと思われ、初層のみが再建されて羅漢堂とされた。 南大門(国宝) - 西院伽藍の南方、境内入口に建つ。入母屋造の一重門。室町時代の永享10年(1438年)に当時の西大門を移築したもの。建築当初は切妻屋根であった。
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