寄進
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寄進(きしん、英: Contribution)とは、物を「寄せまいらせる」の意であり、寺院や神社などに土地や金銭、財物を寄付することである。
寄進の類義語に「勧進」があり、「勧進」が人に勧めて金銭や物品を奉納せしむる行為であるのに対し、「寄進」はみずから進んで奉納寄付するという点で違いがある。寄進の趣旨や品目などを書いた文書を寄進帳という。寄進される財物は寄進物とよばれ、日本では太刀や甲冑、弓矢などの武具や馬、米、銭貨などが寄進物となった。なお、中世日本では「寄進されたものは悔返や徳政令の対象にならない」という慣習があった。
歴史的にみて重要な寄進物は土地であり、土地を寄進する行為は、しばしば世俗の権力と宗教権力とをとりむすぶ役割を果たしてきた。
寄進地系荘園
日本の歴史において、寄進の行為は、荘園制度が広く普及する要因となった寄進地系荘園を生み出した。寄進地系荘園は、11世紀前後から、田堵と称された古代後期の有力農民層が中央貴族や大寺社に田地を寄進する動きのなかで登場した。
永平寺
寄進された土地に建てられた仏教寺院は釈迦の時代の祇園精舎など多数存在するが、日本での著名なものとしては曹洞宗の本山永平寺の例がある。鎌倉時代中期、越前国志比庄(現在の福井県永平寺町)の土豪波多野義重は、領地の一部を道元に寄進した。道元は、寛元2年(1244年)の夏、この地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を開創し、のちに吉祥山永平寺と改めた。
ピピンの寄進

フランク王国の国王でカロリング朝の始祖であるピピン3世は、ローマ教皇ステファヌス2世によるフランク王位承認の見返りとして、755年、ランゴバルド王国のアイストゥルフスと戦って勝利し、この戦いで獲得したラヴェンナをローマ教会に寄進した。これを、「ピピンの寄進」(英: Donation of Pepin , 伊: Promissio Carisiaca )といい、ラヴェンナはのちの教皇領(羅: Civitas Ecclesiae )のもととなった。
なお、教皇領については、4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教皇シルウェステル1世に寄進したという「コンスタンティヌスの寄進状」(羅: Constitutum Donatio Constantini )という古文書があったが、のちに教皇ステファヌス2世とその側近による偽書であることが判明している。
バカラ
クリスタルガラスで知られるフランスのバカラ(仏: Baccarat )は、1305年、サルム家のブラモン領主アンリによるメッス司教座への寄進地をもととして発展した。ガラスの製造はフランス国王ルイ15世の勅許による。
ワクフ
ワクフとはイスラム法において、ある者が宗教や慈善、その他公共のための目的を達成するために、自己の財産の権利を放棄して第三者に管理・運用を委ねることを指す。
脚注
関連項目
寄進
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「リザ (キリスト教)」の記事における「寄進」の解説
貴重なオクラドやリザをイコンに「着せる」ことは、なにかの首尾が上手くいったあとで神へ奉献をし、感謝する習慣にちなんでいる。いまではこの伝統は失われてしまった。聖堂のイコン画は長老に寄進するため幾枚もがリザで覆われた。また次第に一般の来訪者による進物でもそれがなされるようになった。 イコンが描かれたならすぐにきよめの儀式がおこなわれる。それをおさめた聖堂は、そのままリザの資金を捻出するために奔走する。それまで…イコンには顔と手があるだけである。そのままで不足しているものの価値は、白銀の質とそれを彫りあげる職人の腕前にかかっている。ロシアの聖堂という聖堂におかれた、夥しいほどのそれらの作品群は、異国の旅人にも衝撃的な印象を与えた。そのうちの一人はこう述べている:。 「 生神女や聖者たちの聖像画には、たいてい顔と手が描かれているだけだ。しかし、その装いたるや黄金のリザなのであり、イコンとともに崇められている。リザの一面に真珠や宝石がちりばめられ…トロツエの大修道院ひとつとっても、そこにある真珠は他のヨーロッパ全土からかき集めてもまかなえないだろう。 」 生神女のイコンの装飾は、非常な人気を博した。ロシアで最も絢爛たる黄金のオクラドの一つは、ウラジーミルの生神女のためにアンドレイ・ボゴリュブスキー公が特注したものである(文献によれば彼女のために黄金だけで5キログラムが費やされた)。初期のオクラドは、あわせて1プード(およそ16キログラム)もの金が使われているが、これも上流社会の成功者のみが成せることであった。ドンの生神女のために17世紀につくられた(現存していない)オクラドについての記述は有名である。これは1680年に福音大聖堂が写本のわずかなページにまとめたものであった。 「 …真珠飾りのついた冠は、エメラルド、サファイヤ、ガーネットがしつらわれている…大ぶりの宝石と真珠が黄金の星にはめこまれ、やはり黄金の肩口に重ねられている。イヤリングはサファイヤだ。主と生神女に感謝するための12の祭日?を表現するためにオクラドの地には金版がつかわれ、黒金で仕上げられており、大きな貴石がちりばめられている…聖像画には、2枚の真珠のウルブース(頭飾り)、2枚の黄金のツァーティ(後光を表す半円盤)がはめこまれた。銀箔のおされたすべやかな「板」は瑠璃とエメラルドで飾られ、枠にそって真珠があしらってある。生神女と幼子イエスの、ほかに類を見ないほど貴重なリザの胸元には、宝石と真珠のついた黄金の十字架が5つくくりつけてある。そのパナギアの一つは「聖十字架」であり、その他の十字架とパナギアも聖遺物である。 」 君主政治のもと、尊ばれるべきイコン画をオクラドで飾りつける伝統は、さらに時代が下っても保たれていた。1768年には女帝エカチェリーナ2世が、生神女福音大聖堂にあるカザンの生神女に自らの金冠でもってそのオクラドの一部としている。あるいは反対に、1722年1月にはピョートル1世が次のような命令をだしている。「今後、ロシアにおいて聖画像をかかげるあらゆる教会は、つまりは金貨、銀貨、銅貨、その他舶来品を掲げているものと思わねばならない。これを禁止する」。命令は長老や民衆の不興をかったが、にもかかわらずあわゆる奉献品がイコンから取り外されることとなった。
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