寄進地系荘園とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 寄進地系荘園の意味・解説 

きしんちけい‐しょうえん〔‐シヤウヱン〕【寄進地系荘園】

読み方:きしんちけいしょうえん

開発領主国司収奪から逃れるため、その所有地を中央の権門勢家寺社寄進することによって成立した荘園11世紀ごろから多くなり、寄進者はそのまま現地支配権認められ寄進受けた者は国から不輸・不入特権得た。→自墾地系荘園


寄進地系荘園

読み方:キシンチケイショウエン(kishinchikeishouen)

地方豪族寺社貴族領主権寄進することによって成立した荘園


寄進地系荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/22 22:07 UTC 版)

寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)とは、11世紀後半以後に寄進行為によって成立した荘園のこと。墾田によって成立した初期荘園(墾田地系荘園)と対比される。なお、近年ではこの呼称を否定して寄進型荘園(きしんがたしょうえん)と呼ぶべきとする考え方もある。

また院政期以後、権門の荘園(不輸不入の領域を持つ)の設立時に、在地領主の持つ免田を権門寄進することを核として設立されることも多く[注釈 1]領域型荘園(りょういきがたしょうえん)と呼ぶべきとする考え方もある。

概要

班田収授制とそれに支えられた公地公民制10世紀には解体が進み、11世紀後期には田地をはじめとする多くの耕地の耕作権が地方の有力農民(富豪層)により私有化された(私領化)。私領になった土地は世襲や処分の自由が認められる一方で、租税[注釈 2]に関しては従来通りに国衙への賦課対象の規定だった。そこで私領に対する賦課を実施する国司受領)側と、賦課の減免を欲する私領の所有者との間で対立が生じた。

このため、有力農民は伝手を求めて有力貴族や寺社に接近し、自己の私領を彼らへ寄進し、私領の保護と引換にこれまで国司に納めていた官物雑役年貢公事の名目で被寄進者に納めることで国司の管理を逃れようとした。これが寄進地系荘園の始まりである。

これらは結果的には国家による租税収取権限の割譲をもたらし、更には領域的な広がりを持って寄作者以外の領域内の住民に対する支配にも及び最終的には不入の権を口実とした行政権限の一部割譲にまで至った。古くはこうした荘園は摂関政治期から存在すると考えられていたが、近年では当該期の荘園の形態が寄進地系荘園が持つ代表的な特徴である「田地に対する不輸」「寄作者に対する雑役免」など国家による租税収取権限の割譲までには至らない初期荘園の延長として捉えられるようになり、もっぱら、院政期以後の荘園に対してこの概念が用いられるようになっている。

被寄進者となった貴族や寺社は「領家」と称せられた。ただし、寄進の有効性を判断するのは国司の役割とされていたため、領家の政治力と国司の政治力の力関係によっては租税の免除が認められない場合があった。そこで領家は院宮や摂家などより上位の権門勢家に更に寄進を行うことで国司に対抗しようとした。一方、権門勢家側も封戸位田職封などの律令制に基づく俸禄システムの解体によって荘園獲得にその収入を求めざるを得なくなり、荘園整理令における現状追認の姿勢も相まってこうした寄進を受け入れるようになっていった。このような上位の被寄進者を本所または本家と称した(本所は法的な所有権と荘務権が認められている者、本家はそれを満たさない者を指す)。こうして荘園の構造は有力農民から転じて下司公文などの荘官の地位に就いた在地領主と領家・本所からなる重層的なものになり、職の体系が確立されるようになった。また、国司に承認された荘園でも中央の荘園整理令の対象になるのを避けるために中央の官司太政官民部省)の承認を得ることが行われた(官省符荘)。

古く(中田薫以後)は在地領主が現地における荘務権を確保して領家や本家は一定の得分を確保するのみの存在と考えられていたが、戦後の永原慶二の研究によって在地領主の権力や得分は強力ではなく、荘務権や得分も本家に集中して本所化する例が多かったことが知られるようになった。また、近年では「寄進地系荘園」という呼称に対して批判も多く、それに代わる呼び方が用いられる場合も出てきている。例えば、初期荘園や墾田地系荘園にも寄進地を伴う荘園が存在するがその内容は院政期以後の荘園と明らかに異なること、在地領主による寄進が必ずしも土地の所有権ではなくその周辺の受益権などの寄進が行われる場合もあることなどから、「寄進型荘園」と呼ばれる場合がある[1]

また、院政期以後の荘園は四至牓示とその後の公験作成によって領域が明確化されるという点でそれ以前の荘園とは異なっていることから、「領域型荘園」と呼ばれる場合もある[2]

脚注

注釈

  1. ^ 在地領主は見返りに、その荘園の荘官に任じられ、安定した大きな収入を得た。
  2. ^ 公地公民制の解体で不可能となった人身的賦課(調)の代替だった。

出典

  1. ^ 安田「寄進型荘園」『国史大辞典』
  2. ^ 鈴木「寄進地系荘園」『日本古代史事典』

関連項目

参考文献

  • 安田元久「寄進型荘園」/義江彰夫「寄進地系荘園」(『国史大辞典 4』(吉川弘文館、1984年) ISBN 978-4-642-00504-3
  • 泉谷康夫「寄進地系荘園」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7
  • 坂本賞三「寄進地系荘園」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6
  • 鈴木哲雄「寄進地系荘園」(『日本古代史事典』(朝倉書店、2005年) ISBN 978-4-254-53014-8

寄進地系荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)

荘園 (日本)」の記事における「寄進地系荘園」の解説

11世紀ごろから、中央政府有力者田地寄進する動き見られ始める。特に畿内では、有力寺社田地寄進する動きが活発となったいずれも租税免除目的とした動きであり、不輸権だけでなく、不入権田地調査のため中央から派遣される検田使立ち入り認めない権利)を得る荘園出現したこうした権利広がりによって、土地民衆私的支配開始されていく。 田堵は、免田中心に田地開発し領域的な土地支配進めたこうした田堵開発領主かいほつりょうしゅ)に含まれる開発領主中央の有力者や有力寺社田地寄進し、寄進受けた荘園領主領家りょうけ)と称した。さらに領家から、皇族摂関家などのより有力な貴族寄進されることもあり、最上位荘園領主本家(ほんけ)といった。本家領家のうち、荘園実効支配する領主本所ほんじょ)と呼んだこのように寄進により重層的所有関係を伴う荘園を寄進地系荘園といい、領域的な広がり持っていた。 開発領主たちは、国司寄人として在庁官人となって地方行政進出するとともに本所から下司公文などといった荘官任じられ所領に関する権利確保努めた開発領主中には地方国司として下向して土着した下級貴族多くいた。特に東国では武士身分下級貴族多数開発領主として土着化し、所領争い武力により解決することも少なくなかったが、次第武士団形成して結束固めていき、鎌倉幕府樹立土台築いていった。 寄進により荘園は非常に増えたが、田地の約50%公領国衙領)として残存した。11世紀以降土地民衆支配は、荘園と公領2本の柱によっていた。すなわち公的負担荘園という権門勢家家政機関からの出費によっても担われたため、この支配形態荘園公領制というべき体制であったとする網野善彦の説が現在一般的認識となっている[要出典]。 寄進荘園乱立を防ぐため、天皇代替わりごとにしばしば荘園整理令発出されたが、荘園整理事務国司が行っており実効上がらない場合少なくなかったまた、梅村喬上島享らの指摘あるように、荘園整理令対象違法な手続によって立荘された荘園禁じたものであり、正規の手続によって立荘された荘園規制する法令ではなかった点にも注意が必要である。 1068年即位した後三条天皇は、1069年延久の荘園整理令発し荘園整理事務中央処理するために記録荘園券契所設置したそれまで荘園整理令異なり、この整理令では摂関家領も審査対象となるなど、厳重な審査が行われ、大きな成果上げた。これは、院政開始へつながる画期となった。その一方で延久の荘園整理令は「天皇勅許のもとに太政官符太政官牒発給得て四至確定され荘園公認される荘園整理令対象にはならない)」という荘園成立原則確立される画期となる。 更に院政確立によってこれまで荘園整理事務中心的役割果たしていた院(上皇法皇)に対す開発領主からの寄進相次ぐうになる加えて貴族官人寺社与えられていた封戸制度の崩壊もこれに拍車をかけた。太政大臣務めた藤原伊通二条天皇のために著した大槐秘抄』には、かつての貴族には封戸節会などの行事における臨時賜物などの収入があったが、今はそうしたものがないので荘園知行国からの収入公私の資を賄っているのであるとして、荘園整理令現実乖離していることを指摘している。また、当時天皇や院が相次いで造営してきた御願寺には封戸与えられたものの実質が伴うものではなく、寺の維持や行事のために封戸代わりとなる御願寺領となる荘園求め事態発生したこうした自己矛盾によって荘園整理政策破綻へ向かう事になるのである。 寄進地系荘園は、延久の荘園整理令が発せられた11世紀後半から全国各地本格的に広まってゆき、平安時代末期にあたる12世紀中葉から後期にかけて最盛期迎えた

※この「寄進地系荘園」の解説は、「荘園 (日本)」の解説の一部です。
「寄進地系荘園」を含む「荘園 (日本)」の記事については、「荘園 (日本)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「寄進地系荘園」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寄進地系荘園」の関連用語

1
自墾地系荘園 デジタル大辞泉
100% |||||

2
荘園 デジタル大辞泉
70% |||||

3
54% |||||

4
54% |||||


6
38% |||||


8
34% |||||

9
34% |||||

10
34% |||||

寄進地系荘園のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寄進地系荘園のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの寄進地系荘園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの荘園 (日本) (改訂履歴)、寄進 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS