初期荘園とは? わかりやすく解説

初期荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/04 02:00 UTC 版)

初期荘園(しょきしょうえん)は、8世紀から9世紀に未墾地の墾田化・既墾の墾田の集積を通して成立した荘園墾田地系荘園(こんでんちけいしょうえん)とも言う。を納めねばならず、律令支配体制から脱却していない。




「初期荘園」の続きの解説一覧

初期荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)

荘園 (日本)」の記事における「初期荘園」の解説

そこで政府新たな推進策として743年墾田永年私財法発布し墾田永年私有認めた墾田永年私財法内容は主に以下のようなものであった三世一身法では墾田所有期限定めていたため、期限が迫ると耕作放棄されしまっていたので、以後墾田私財としての永年所有認める。 開墾意思のあるものは国司申請しする。他の百姓妨げになる場所の開墾認められないまた、3年経過して開墾が行われない場合は他のものが開墾することを認める。 位階によって所有できる墾田面積制限される国司開墾した田地任期終了した時に政府収公する。 これにより、資本を持つ中央貴族大寺社・地方の富豪(かつての豪族層)は活発に開墾行い大規模な土地私有出現することとなった。この、墾田永年私財法発布によって、各地作られ荘園を初期荘園とよぶ。特に畿内集中しており、全国満遍なく拡がっていた訳ではない[要出典]。 初期荘園は、墾田開墾予定地に倉庫管理事務所兼ねた荘所付属したものであり、後の中世荘園のように、支配領域境界明確になったようなものではなかった。この時代荘園専属農民を持たなかったため、それぞれの荘園周辺居住する農民出作により労働力賄い賃租として収められる収穫の2〜3割から収益得ていた。荘所には農民貸与する農具種籾人夫への労賃対価として渡す食料収められており、管理人荘所執務した。 しかし荘園直接管理は、人的経済的な負担大きく、また墾田収穫の中から田租納入する負担などにより、初期荘園は10世紀までに衰退した[要出典]。 ただし、平安時代後期成立する官省符荘中には初期荘園に由来するもの、あるいは由来する領主側が主張していたものもあり、当時の人々の間では初期荘園と中世荘園の間には連続性があると認識されていたとみられている。 著名な初期荘園には、越前道守荘東大寺領、荘園絵図現存する)や播磨鵤荘法隆寺領)などがある。

※この「初期荘園」の解説は、「荘園 (日本)」の解説の一部です。
「初期荘園」を含む「荘園 (日本)」の記事については、「荘園 (日本)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「初期荘園」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「初期荘園」の関連用語

初期荘園のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



初期荘園のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの初期荘園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの荘園 (日本) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS