初期自動車産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 16:46 UTC 版)
1907年にハンス・ハルトマンによって、駅の南の工業地域に北ドイツ自動車工業 (Norddeutsche Automobilwerke (N.A.W.)) が設立された。この工場は1908年にミドルクラスの自家用車 Colibri の生産を開始した。1911年からは Sperber というモデルが加わった。これはロシア、バルト諸国、スカンジナヴィア諸国、オーストリア、イギリス、さらには海を渡って南アフリカやニュージーランドなど多くの国に輸出された。 第一次世界大戦で生産は停止され、貨物自動車などの軍需製品だけを生産するようになった。1917年にザウアーラント地方に本社を置く Selve社がN.A.W.を買収したが、1929年の世界恐慌により生産を中止した。国家社会主義の時代が始まると工場は再開され、ドイツ自動車工業AG (Deutsche Automobilwerke AG (DAWAG))として活動を続けた。ここで設計者のロベルト・メーデラーは新型エンジンを搭載した自動車を設計した。この自動車は2,300ライヒスマルクという価格で、高額過ぎた。このため自動車産業を構築するための大口注文をヴォルフスブルクに逃した。ヴォルフスブルクではわずか990ライヒスマルクのKdFワーゲンを製造するためのフォルクスワーゲンの工場建設が計画されていたのである。こうしてハーメルンの自動車産業は潰えた。
※この「初期自動車産業」の解説は、「ハーメルン」の解説の一部です。
「初期自動車産業」を含む「ハーメルン」の記事については、「ハーメルン」の概要を参照ください。
- 初期自動車産業のページへのリンク