8世紀
8世紀(平安時代初期まで)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:34 UTC 版)
「陸奥国司」の記事における「8世紀(平安時代初期まで)」の解説
陸奥国は面積が広く、郡の数も飛び抜けて多い。かつ陸続きで蝦夷に接する辺境で、軍事的衝突が頻繁におきるため、律令が定める特例が多い。 通常守と介は国内の行政・司法・軍事を管掌するが、蝦夷と対峙する陸奥国・出羽国・越後国では、饗給、征討、斥候も掌った。饗給は養老令の用語で、大宝律令では撫慰と書かれていた。饗給・慰撫は、恭順を示した蝦夷と儀礼的な会食を行い、食糧や衣類を与え、服属関係を固めることである。征討は国境をこえた軍事行動である。同じ辺境でも西国の国司の場合は、征討のかわりに防守、饗給ではなく蕃客(外国使節の接待)と帰化である。国家を形成しない蝦夷集団を相手にする陸奥国司は、自らの判断で征討に出ることが許されており、蝦夷との服属関係を維持することも期待されていた。 陸奥国と出羽国の軍事・行政を統一指導するために、養老4年(720年)頃に陸奥按察使が置かれ、これと前後して鎮守将軍も任命された。彼らは陸奥国府にあり、それぞれ行政と軍事において陸奥・出羽両国司の上に立った。陸奥按察使や鎮守将軍を陸奥守が兼任することもあったが、陸奥守と鎮守副将軍の兼任例もあり、官の上下関係としては陸奥国司のほうが下である。辺要重視の反映か、これらの官職の在任期間は他国と比べて長い傾向にある。
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「8世紀」の例文・使い方・用例・文例
- 18世紀
- 英国は18世紀の終わりにオーストラリアに移民を入植させ始めた
- これは18世紀のファイアンス焼きの皿だ。
- この円形の建物は18世紀に建てられた。
- ベントサイドスピネットは18世紀には非常に人気があった。
- ベーシックインカムは18世紀の頃から議論されてきた概念だが、実現には多くの難問をかかえている。
- 彼女は18世紀ロココ時代の代表的な女性の一人です。
- 18世紀の終り頃、取っ手のついたカップが登場します。
- 18世紀末.
- 18世紀末に.
- 18世紀に産業革命が起こった.
- 18世紀の後半になると英国で産業革命が始まりそれまで手動だった機械を動力で動かすようになった.
- 18世紀の昔に
- 18世紀の後半を通したプレーの歴史は、単調で事件がない
- 17および18世紀の威厳のある宮廷舞踊
- 18世紀フランス起源の躍動的な踊り
- 話し手は18世紀のイギリスの社会政治について論じた
- 18世紀後半
- 米国は18世紀後半に立憲制度化された
- 17世紀と18世紀に男性に人気のあったかつらを着けるさま
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