宮宰
宮宰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/09 07:42 UTC 版)
詳細は「en:List of the Mayors of the Palace」を参照 ピピン家は当初はメロヴィング家の王のもとで、最初にアウストラシア、後にネウストリア及びブルグントの宮宰を勤めた。687年にピピン1世はテルトリーの戦いでネウストリアを征服した後にフランク公(dux et princeps Francorum)の称号を用いた。これは同時代の年代記にピピン1世の"統治" の始まりとして記載されている。715年から716年の間、ピピン1世の子孫は後継を巡って対立した。 大ピピン(アウストラシア:623年 - 629年及び639年 - 640年) グリモアルド1世(アウストラシア:643年 - 656年、662年死去) 中ピピン(アウストラシア:680年 - 714年、ネウストリア及びブルグント:687年 - 695年) ドロゴ(ブルグント:695年 - 708年) グリモアルド2世(ネウストリア:695年 - 714年, ブルグント:708年 - 714年) テウドアルド(アウストラシア、ネウストリア、及びブルグント:714年 - 716年) 716年からの内乱においてピピン2世の庶子カール・マルテルがピピン家嫡流のテウドアルドに勝利し、カロリング家を創設した。 カール・マルテル(アウストラシア:715年 - 741年、ネウストリア及びブルグント:718年 - 741年) カールマン(アウストラシア:741年 - 747年、754/5年死去) 小ピピン(ネウストリア及びブルグント:741 - 751年、アウストラシア:747年 - 751年) 752年3月 にピピン3世はフランク王となり宮宰は消滅した。カロリング朝はメロヴィング朝に取って代わった。
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宮宰
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最初は宮廷の長程度の意味しかなかったが、次第に王の名において徐々に事実上の支配者となっていった。 ランドリック, 613年まで グンドランド, 613年–639年 アエガ, 639年–641年 エルキノアルド, 641年–658年 エブロイン, 658年–673年 ウルフォアルド, 673年–675年 レウデシウス, 675年 エブロイン, 675年–680年 (再) ワラトー, 680年–682年 ギステマー, 682年 ワラトー, 682年–686年 (再) ベルカリウス, 686年–688年 ピピン2世、ノルデベルト, 688年–695年 グリモアルド2世, 695年–714年 テウドアルド, 714年–715年 ラガンフリド, 715年–718年 カール・マルテル, 718年–741年 ピピン3世, 741年–751年
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