宮宰とは? わかりやすく解説

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きゅう‐さい【宮宰】


宮宰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/21 07:13 UTC 版)

宮宰(きゅうさい、ラテン語: Major Domus マーヨル・ドムス:大いなる家人)は、ヨーロッパ初期中世の職名ないし官職名。 ローマ帝国末期から民族大移動に至る時期のゲルマン諸国家および諸侯の宮廷職の首位を占める職で、もともとは、王家諸侯家政機関の管理者であった。この官職の性格としては、宮中伯に比せられることもある。

特に著名なのは、フランク王国メロヴィング朝の宮宰(maires du palais)で、王家の家政上の私事と公務の区別があいまいのまま、王領地の管理や王の側近の従士団の長を兼ねるようになり、メロヴィング朝後期の内乱時代において、王家の権限が弱まるとともに、王国の北東部を占めるアウストラシア、北西部を占めるネウストリア(ノイストリア)、南西部を占めるブルグント三分国の宮宰が国政面で王の代理として行政、裁判、戦争に参加する権能を持つようになった。

アウストラシアの宮宰カロリング家ピピン2世(中ピピン)が、ネウストリアの宮宰エブロインを687年のテリトリーの戦いで破るとカロリング家がフランク王国全体の宮宰となり、「フランク族の総帥にして首長」(Dux et Princeps Francorum) と称するまでに至った。

中ピピンの子がカール・マルテルで、732年トゥール・ポワティエ間の戦いイスラム軍を破るとその名声は確固たるものとなり、751年ピピン3世が貴族たちに推挙されて王位につきカロリング朝を開いて、宮宰の職はいったん消滅した。

宮宰の職が復活するのは、ルートヴィヒ(ルイ)1世(敬虔王)のときで、帝室の財務長官職として置かれた。カロリング朝が断絶するに及んでドイツではPraeses palatiniという幼年の君主を単に後見する職になり、フランスでは、Sénéchal(家令)という類似する職となったが、かつてのメロヴィング朝後期のような力をもつことはなかった。

参考文献

  • 『世界大百科事典』 平凡社、2005年
  • 『世界歴史事典』 井上幸治、江上波夫他編、1990年(初版1956年)

宮宰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/09 07:42 UTC 版)

フランク王の一覧」の記事における「宮宰」の解説

詳細は「en:List of the Mayors of the Palace」を参照 ピピン家当初メロヴィング家の王のもとで、最初にアウストラシア、後にネウストリア及びブルグントの宮宰を勤めた687年ピピン1世テルトリーの戦いネウストリア征服した後にフランク公(dux et princeps Francorum)の称号用いた。これは同時代年代記ピピン1世の"統治" の始まりとして記載されている。715年から716年の間、ピピン1世の子孫は後継巡って対立した大ピピンアウストラシア623年 - 629年及び639年 - 640年グリモアルド1世アウストラシア643年 - 656年662年死去中ピピンアウストラシア680年 - 714年ネウストリア及びブルグント687年 - 695年) ドロゴ(ブルグント695年 - 708年グリモアルド2世ネウストリア695年 - 714年, ブルグント708年 - 714年テウドアルドアウストラシアネウストリア、及びブルグント714年 - 716年716年からの内乱においてピピン2世庶子カール・マルテルピピン家嫡流テウドアルド勝利しカロリング家創設したカール・マルテルアウストラシア715年 - 741年ネウストリア及びブルグント718年 - 741年カールマンアウストラシア741年 - 747年、754/5年死去小ピピンネウストリア及びブルグント741 - 751年アウストラシア747年 - 751年752年3月ピピン3世フランク王となり宮宰は消滅したカロリング朝メロヴィング朝に取って代わった。

※この「宮宰」の解説は、「フランク王の一覧」の解説の一部です。
「宮宰」を含む「フランク王の一覧」の記事については、「フランク王の一覧」の概要を参照ください。

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