フランク王の一覧
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フランク人は元来、ドゥクス(軍事的指導者)及びレグリ(小規模の君主)によって位置づけられていた。サリ族のメロヴィング家がフランク人の間で台頭しガロ=ローマ地域を征服、507年には西ゴート王国の領土を征服した。クローヴィス1世の諸子はブルグント及びアレマン人を征服した。彼らはプロヴァンスを獲得し、バイエルンとテューリンゲンを従属せしめた。8世紀にメロヴィング家は後世カロリング家と呼ばれる家系に取って代わられ、そのカロリング家も9世紀までには王国内のその他の家系に取って代わられた。"フランクの王"ないしRex Francorumという観念は12世紀から13世紀にかけて次第に消えていった。
注釈
出典
- ^ a b c d e William Deans; Frederick Martin (1882). A History Of France: From The Earliest Times To The Present Day. 1. Edinburgh & London: A. Fullarton & Co.. pp. 420-1792, Table Of Sovereigns Of France, vi-ix
- ^ Charles Knight, The English Cyclopaedia: Volume IV, (London : 1867); pg 733 「各王国が統一される前、ピピンが752年3月にマインツ司教ボニファティウスによりソワソンで選出されたということ以外、我々はこの重要な出来事に関しての記録が見つけられていない。」
- ^ Claudio Rendina & Paul McCusker, The Popes: Histories and Secrets, (New York : 2002), pg 145
- 1 フランク王の一覧とは
- 2 フランク王の一覧の概要
- 3 脚注
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