フランク国王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/09 07:42 UTC 版)
ピピン(752年 - 768年) カールマン(768年 - 771年(ブルグント、アレマニア、南アウストラシア)) カール大帝(シャルルマーニュ)(768年 - 814年(最初はネウストリア、アキテーヌ、北アウストラシアのみ)、774年にランゴバルト王、800年に皇帝。)メーヌ公:カール(790年 - 811年) イタリア:ピピン(781年 - 810年);ベルナール(810年 - 817年) アキテーヌ:ルートヴィヒ1世(781年 - 814年) ルートヴィヒ1世敬虔王(813年 - 814年カール大帝と共同統治、814年 - 840年単独統治)イタリア:ロタール1世(817年 - 855年) バイエルン:ルートヴィヒ2世(817年 - 843年) アキテーヌ:ピピン1世(817年 - 838年);シャルル1世(838年 - 855年)、対立王ピピン2世(838年 - 851年) ルートヴィヒ1世は生涯の間に自身の帝国の分割を何回も行った。最終的な分割は838年のヴォルムスで行われ、シャルル1世がアキテーヌを含む西部を、ロタール1世はイタリアを含む東部を、ルートヴィヒ2世はバイエルンを相続することとなった。しかしながら、840年にルートヴィヒ1世が死ぬと帝国は3年間内戦状態に陥った。843年のヴェルダン条約でフランク王国は分割された。ロタール1世は皇帝の称号とイタリアを保持することが許されて新たに中フランク王国を建設することが叶い、その領域は低ロレーヌ、アーヘンを含むラインラント、ブルグンディア、プロヴァンスを含むイタリアから北海に及ぶものであった。シャルル1世はピピン1世の息子であるピピン2世が対立しているアキテーヌの地を確保して、ロタール1世の王国の西側に西フランク王国(現代のフランス)を建国した。ルートヴィヒ2世はバイエルンを確保しロタール1世の王国の東側に東フランク王国(現代のドイツ)を建国した。 以下の表には帝国内の「王」、特にイタリア、プロヴァンス、ネウストリア及びアキテーヌといった王国の西、中、東部の「副王」の全てが載せられているわけではない。 西フランク王国(最終的にはフランス)*が付いているのはカロリング家ではなくロベール家の者である。 シャルル1世禿頭王(843年 - 877年、875年にイタリア王及び皇帝)アキテーヌ:シャルル(855年 - 866年);ルイ(866年 - 877年) ネウストリア:ルイ(856年 - 877年) ルイ2世吃音王(877年 - 879年) ルイ3世(879年 - 882年、共同統治) カルロマン(879年 - 884年) シャルル2世(884年 - 888年、881年に皇帝) ウード*(888年 - 898年)アキテーヌ:ラヌルフ2世(888年 - 889年、ポワティエ家) シャルル3世単純王(898年 - 922年) ロベール1世*(922年 - 923年) ラウール*(923年 - 936年) ルイ4世ウトラメール(936年 - 954年) ロテール(954年 - 986年)アキテーヌ:ルイ5世(980年 - 986年) ルイ5世怠惰王(986年 - 987年) その後はカペー家による統治。以下は フランス君主一覧を参考。 中フランク王国ロタール1世(843年 - 855年、824年以降は皇帝(840年以降は単独皇帝))イタリア:ロタール1世(818年 - 855年);ロタール2世(839年 - 855年、父と共同統治) 855年にロタール1世が死ぬとその王国は息子間で分割された。 ロドヴィコ2世(855年 - 875年)長男で皇帝位とイタリア王位を継承。以下はイタリア王を参考。 ロタール2世(855年 - 869年)次男で王国の北半分を継承。この地はロタリンギアと呼ばれるようになる。以下は ロレーヌ公を参考。 シャルル(855年 - 863年)末子でプロヴァンスとブルグントからなる王国の南半分を継承。以下は ブルグント王の一覧を参考。 東フランク王国(最終的には ドイツ)ルートヴィヒ2世ドイツ人王(843年 - 876年)バイエルン:カールマン(864年 - 876年、父と共同統治) ルートヴィヒ2世は3人の息子間で領地を分割した。しかし彼等は皆882年までに早世した。 カールマン(バイエルン王876年 - 880年、877年にイタリア王) ルートヴィヒ3世若年王(ザクセン、フランケン及びテューリゲンの王876年 - 882年、880年にカールマンからバイエルンを継承) カール3世肥満王(シュヴァーベン、アレマニア及びラエティアの王876年 - 887年、879年にカールマンからイタリアを継承、882年に王国の残りを継承、881年に皇帝) カール3世が廃位されると王位は甥に渡った。 アルヌルフ(887年 - 899年、896年にイタリア王及び皇帝)ロタリンギア:ツヴェンティボルト(895年 - 900年) イタリア:ラトルト(896年) ルートヴィヒ4世(899年 - 911年) ルートヴィヒ4世が最後のカロリング朝の東フランク王である。その後をコンラート1世が継承した。 以後は神聖ローマ皇帝一覧を参考。
※この「フランク国王」の解説は、「フランク王の一覧」の解説の一部です。
「フランク国王」を含む「フランク王の一覧」の記事については、「フランク王の一覧」の概要を参照ください。
- フランク国王のページへのリンク