フランス語最古のテキスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 02:37 UTC 版)
「古フランス語」の記事における「フランス語最古のテキスト」の解説
813年の第3回トゥール教会会議(英語版)において、司祭はラテン語でなく現地語(ロマンス語かゲルマン語)で説教を行うよう定められた。これは一般人にはもはや正式なラテン語が理解できなくなっていたことを意味する。 フランス語で書かれたとされる最古の文章は、ライヒェナウ註解(英語版)、カッセル註解(英語版)を算えなければ、「ストラスブールの誓約」である。「ストラスブールの誓約」は、東フランク国王ルートヴィヒ2世と西フランク国王シャルル2世が842年に結んだ相互協定であり、両者が協力して中フランク王国に対抗することを目指したものである。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}Pro Deo amur et pro Christian poblo et nostro commun salvament, d’ist di en avant, in quant Deus savir et podir me dunat, si salvarai eo cist meon fradre Karlo, et in aiudha et in cadhuna cosa... 主の愛のため、またキリスト者たる民とあまねき救いとのために、今日より以後、主が知識と力とを余に授けたもう限り、余は余の弟シャルルを余の助けにより万事において守護せん(以下略) 「ストラスブールの誓約」に次ぐのが、『聖女ユラリーの続唱(英語版)』である。『聖女ユラリーの続唱』では文中のスペリングが一貫しており、古フランス語の音韻を再建するのに重要視される。 ユーグ・カペーの即位に始まるカペー朝フランス王国の成立(987年)をもって、イル=ド=フランスを中心とする北仏の文化的発展の嚆矢とする。北フランスの文化的優越はゆっくりとではあるが着実に南方、アキテーヌ、トゥールーズへと地歩を進めていった。とはいえ、カペー朝のオイル語とも言うべきイル=ド=フランス方言が、標準語としてフランス全土で用いられるようになるのは、1789年のフランス革命以後のことである。
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