西フランク(フランス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 13:27 UTC 版)
「フランク王国」の記事における「西フランク(フランス)」の解説
詳細は「西フランク王国」を参照 ロベール家のウードが王位を得たあとも、正統な王家はカロリング家であるという意識は強力であり、ウードの後継者はシャルル3世(単純王)となった。シャルル3世は領内に侵入してきていたノルマン人との間にサン=クレール=シュール=エプト条約を結んで情勢を安定させるとともに、911年にロートリンゲン(ロレーヌ)の内紛によってその王位を獲得した。しかし、ロートリンゲン問題への傾注は貴族層の反発を招き、922年に大規模な反乱を引き起こした。この反乱は鎮圧されたものの、シャルル3世は人望を喪失しペロンヌ城(英語版)にその死まで幽閉されることとなった。この結果、西フランク王位はブルゴーニュのリシャール判官公ラウルに委ねられたが、936年に彼が後継者を遺さず死ぬと、カロリング家の復活が模索され、シャルル3世の息子ルイ4世が擁立された。この後、987年にユーグ・カペーが即位するまで、カロリング家の王による統治が継続された。
※この「西フランク(フランス)」の解説は、「フランク王国」の解説の一部です。
「西フランク(フランス)」を含む「フランク王国」の記事については、「フランク王国」の概要を参照ください。
- 西フランクのページへのリンク