西フランケン大公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/29 16:47 UTC 版)
フランケン大公の消滅と前後して、ライン河畔のフランケン地方の西部を統治したヴォルムスガウ伯のヴェルナー5世(コンラート1世の婿)が西フランケンの大公となった。ヴォルムスガウ伯は後のザリエル朝である。1093年、ザリエル朝のハインリヒ4世がライン宮中伯であるハインリヒ2世(マイフェルトガウ伯、アルデンヌ=ルクセンブルク家)に西フランケンの伯領を与えたことにより、西フランケン大公は消滅した。
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