アルデンヌ【Ardennes】
アルデンヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 01:54 UTC 版)
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アルデンヌ(フランス語: Ardennes、オランダ語: Ardennen)は、ベルギー南東部、ルクセンブルク、および一部がフランスにまたがる地域名。この地名はフランスではアルデンヌ県、およびそれを含むシャンパーニュ=アルデンヌ地域圏の名にも用いられている。なお、フランスのアルデンヌ県には、定冠詞つき複数形 les Ardennes、ベルギーのフランス語地域では単数形の Ardenne が使われる。
概要
砂岩からなる海抜350ないし500mの丘陵が続き(アルデンヌ高地ともいう)、大部分が森林で被われている。ローマ時代にケルトの森の女神アルデュイナ(Arduinna;ディアーナ(ローマ神話)と習合された)にちなみ、Arduenna Silva(アルドゥエンナの森)と呼ばれたのに由来するが、これは現在のアルデンヌより広く、サンブル川とライン川の間を現在のドイツ領も含めて指した。第一次世界大戦後には、アルデンヌの森の南側にマジノ線が作られた。
フランスとドイツの間にあって、軍事的にも重視されていたが、森林や湿地が障害となったため、普仏戦争や第一次世界大戦では局地的な戦闘があったものの、大規模な戦場にはならなかった。
第二次世界大戦の初期には、機甲師団を中心としたドイツ軍が、この地域を通ってフランス領内に侵攻し(ナチス・ドイツのフランス侵攻)、1ヶ月あまりで連合国軍を無力化してフランスを降伏させた。大戦末期には、ふたたびドイツ軍がここから連合軍を攻撃し、バルジの戦いが起こった。
2017年にベルギーのアルデンヌは北側にある石灰岩のカルスト地形が多いカレスティエンヌ地域と片岩の基層を持つ低地であるファメンヌ地域と共にユネスコ世界ジオパークに指定される[1]。
脚注
- ^ “FAMENNE - ARDENNE UNESCO GLOBAL GEOPARK (Belgium)” (英語). UNESCO (2021年7月26日). 2022年10月20日閲覧。
関連項目
アルデンヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:09 UTC 版)
「オットー・スコルツェニー」の記事における「アルデンヌ」の解説
1944年10月21日、ヒトラーはアーヘンでアメリカ陸軍が鹵獲したドイツ戦車を自軍に使用した事からある作戦を発案、スコルツェニーをベルリンに呼び出し、アメリカ軍に偽装した戦車部隊の編制・指揮を命じた。グライフ作戦と名付けられたこの作戦は、アメリカ軍の軍服を着た20名以上のドイツ兵が鹵獲したジープに分乗し、M10駆逐戦車に偽装したパンター、アメリカ軍の塗装を施したIII号突撃砲などを率いて戦線の後方に侵入、アメリカ軍を攪乱する作戦であった。ドイツ軍の最後の大反攻となったアルデンヌ攻勢でこの特殊部隊はアメリカ軍を恐怖に陥れた。 一部の兵士は捕らえられたが、嘘の自白によって「部隊がパリを襲撃し、最高司令官のアイゼンハワーを誘拐または暗殺しようとしている」との噂を広めた。アメリカ軍の警備は強化され、アイゼンハワーは何週間も司令部に閉じこめられることとなった。この時「ヨーロッパで最も危険な人物」と呼ばれたスコルツェニーは、本作戦後1945年2月までソ連軍の押し寄せるドイツ東部を防衛する陸軍部隊を指揮した。
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