【電撃戦 】(でんげきせん)
Blitzkrieg (ブリッツクリーク、またはブリッツクレイグとも)
第二次世界大戦でドイツ軍が実践したことで特に知られる戦術。
端的に言えば、「機械化によって高速化された浸透作戦」である。
敵戦線の弱点に戦力を集中し、砲兵や航空機の強力な援護を受けつつ、戦車部隊が迅速に戦線を突破する。
その間隙に後続の機械化歩兵が進出・制圧して橋頭堡を築き、敵残存部隊の反撃に備える。
当時としては画期的であったが、その後各国に広まり、現代にあっては戦術の基礎的な部分となっている。
電撃戦
電撃戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 08:47 UTC 版)
詳細は「電撃戦」を参照 第一次世界大戦においては機関銃などを用いた強力な陣地防御が採られるようになり、横隊の展開が長大化して戦場機動は停滞するようになった。そのためハインツ・グデーリアンはジョン・フレデリック・チャールズ・フラーの『機甲戦』を研究し、強力な陣地防御を突破する戦闘教義として電撃戦を研究開発した。グデーリアンは戦闘隊形として縦隊を応用して銃弾のような形状にした銃弾陣を考案し、この銃弾陣の先端に当たる部分に戦車部隊を配置して、その背後に自動車化した歩兵部隊を追随させる陣形とした。さらに実運用においては急降下爆撃機隊による戦術的航空作戦で進攻する戦車部隊への火力支援を行わせた。これは戦車の機動力と打撃力を充分に発揮する戦闘教義であり、1940年にドイツ陸軍がフランスへ侵攻する際に用いられ成功した。
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電撃戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 04:52 UTC 版)
第一次世界大戦で敗れたドイツ軍は、第二次世界大戦では戦車の集中使用による電撃戦を創始した。まず歩兵部隊が浸透戦術をもって防御側の戦線に穴を開け、防御側の予備兵力がこれを塞ぐ前に戦車部隊が穴から突出し、一挙に敵の背後に回り込む。1939年のポーランド戦(厳密には電撃戦ではなく殲滅戦理論に基づいたものである)や1940年のフランス戦では、ドイツ軍は電撃戦により連合軍をわずか数週間で崩壊させた。しかしその後も、1943年以降のイタリア戦線や、大戦後の朝鮮戦争など、戦車の集中運用が困難な山岳地帯が戦場となった場合は、引き続き塹壕戦が展開された。
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