西側諸国とは? わかりやすく解説

西側諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 17:18 UTC 版)

冷戦下(1975年)における3つの世界

西側諸国(にしがわしょこく、または西側[1]資本主義諸国[2]自由諸国[2]英語: Western Bloc〔ウェスタンブロック〕)とは、東西冷戦時代でのソビエト連邦東ヨーロッパを中心とする社会主義諸国(東側諸国)に対する、アメリカ合衆国西ヨーロッパなどの資本主義諸国を指す言葉[1]。その主要部分は北大西洋条約機構(NATO)であり[3][注釈 1]、西側諸国には他にも日本韓国オーストラリアなどが含まれる[4][注釈 2]

西側諸国は資本主義的で先進的で産業的であり[2]学術論文によれば、人権表現の自由を代表していて民主主義的であるとされている[3]。ここでいう西側は、ヨーロッパにおける資本主義陣営と共産主義陣営の大まかな境界が鉄のカーテンと呼ばれる西ドイツを境にしている事に由来するが、厳密にはヨーロッパ東部にも西側諸国は存在した(トルコギリシャ)。また他の地域では、属する陣営と地理上とで東西が反転することもあった。

西側諸国の多くはアメリカと単独・多国間の政治・軍事的保障条約を結んでいる。それらの機構として有名なものはNATO、米州機構(OAS)などがある。

東西冷戦後もロシア中華人民共和国などの権威主義国家陣営に対抗する民主主義国家陣営という概念において使用されるケースがある[5][6][7][8][9][10]

東欧の西側陣営

バルト海シュテッティンからアドリア海トリエステまでヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある。 — ウィンストン・チャーチル 1946年3月、ミズーリ州フルトンのウェストミンスター・カレッジにて

これを受けて、アメリカのハリー・S・トルーマン大統領トルーマン・ドクトリンを発表。イギリスに代わってギリシャに対して支援を行い、加えてトルコを資本主義陣営に留めることを宣言。両国に大量の資金援助を行い、東側陣営化するのを防いだ。

これらの国は1952年にNATOに加盟した。特にトルコは、現在でも中東にアメリカが軍事介入するときは在トルコの米軍基地が大きな役割を果たしており、欧州連合(EU)加盟を目指すなど、強固な「西側国家」である。

西欧・中欧

青色が西側陣営。
赤色はワルシャワ条約機構に参加する東側陣営である。
ユーゴスラビア(青緑)はワルシャワ条約機構には参加せず、アルバニア1968年にワルシャワ条約機構を脱退した。

NATOは1949年西欧北アメリカの13ヶ国が参加して出来た軍事同盟であり、各国は攻撃にさらされた場合共同で参戦する義務を負っている(集団的自衛権)。

1966年フランスド・ゴール主義の下でNATOの軍事機構を脱退し欧州連合軍最高司令部パリから移転を余儀なくされるなどの事件もあったが、EUなどもあわせて考えると基本的には蜜月といってよい関係にある。

西欧・中欧で東西の軍事機構に参加していない国は、アイルランドスイスオーストリアスウェーデンの中立宣言を行うなどで非同盟政策をとった国々。特に北欧諸国の政策を合わせてノルディックバランスと言う。ただしスウェーデンは、冷戦終結後、NATOとの協力関係にあったことが明らかとなっている(武装中立)。実態としては、同盟関係はなくともスウェーデンは西側寄りであったと言える。そして2022年にスウェーデンとフィンランドはNATOに加盟を申請した。

南北アメリカ大陸

南北アメリカ大陸の各国の多くは、既に第二次世界大戦末期に連合国として参戦しており、アメリカ軍に基地を提供するなどをしていた。

南米諸国の多くは戦後の1948年に結成また締結された米州機構(12月)と米州相互援助条約(4月)に参加して親米国家となり、西側に属してアメリカの「裏庭」と呼ばれた。親米政権が革命や総選挙で倒れる場合もあり、こうした時には“ドミノ理論”を唱えるアメリカの政治あるいは軍事的介入が行われることが多かった(ピッグス湾事件コントラ戦争チリ・クーデターグレナダ侵攻パナマ侵攻など)。

キューバではキューバ革命親米政権が倒れて共産主義体制が誕生し、1962年にはソ連がキューバに核ミサイル基地を建設しようとしてアメリカがこれを阻止するためにカリブ海でキューバの海上封鎖を行い、米ソの緊張状態が高まったキューバ危機が発生している。

21世紀に入り、メキシコ以南の中南米諸国はアメリカのこうした覇権主義に反発し、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体を結成している。

東アジア

日本と中華民国台湾)、大韓民国(韓国)が西側諸国である。中華民国は1972年ニクソン訪中を契機としてアメリカが中華人民共和国を承認した後(すなわち米台断交後)も「反共の砦」として軍事援助を受けていたため、西側諸国に含まれると考えられる。また、フィリピン東南アジア諸国連合(ASEAN)の原加盟国であるが、アメリカの植民地だった経緯から、親米的な外交政策をとっていた。また南ベトナムにはベトナム共和国、カンボジアにはクメール共和国の親米政権が誕生したが、いずれも現地住民の反感を買って共産化。ベトナムは南ベトナム共和国を経てベトナム社会主義共和国として南北統一、カンボジアはクメール・ルージュの反乱により民主カンプチアが建国された。

東アジアにおける仮想敵国はソ連、中国、北朝鮮北ベトナムであったが、それぞれの役割と仮想敵国が全く違う関係上、日米米韓米華米比といった二国間条約による同盟関係を基本としていたことが特徴だった。

冷戦後の西側諸国

NATO加盟国の拡大
欧州連合の変遷
  欧州諸共同体(1957年 - 1993年)
  欧州連合(1993年 - )

ソ連が崩壊した後、中・東欧諸国は新たな安全保障を得るためにNATOに接近した。1999年チェコハンガリーポーランドが、2004年ブルガリアエストニアラトビアリトアニアルーマニアスロバキアスロベニアが、2009年アルバニアクロアチアが、2017年モンテネグロが、2020年北マケドニアがそれぞれNATOに加盟した。 その後、2022年より発生しているロシアのウクライナ侵攻により、長年中立政策を掲げていたフィンランドスウェーデンが、それぞれ2023年2024年にNATOに加盟した。

また上記NATO加盟国のうち、2004年にチェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキア、スロベニアが、2007年にブルガリア、ルーマニアが、2013年にクロアチアがEUに加盟しており、アルバニア、モンテネグロ、北マケドニア、トルコはEUの加盟候補国である。これらは新たな枠組みにおける西側諸国と言える。 なお、EUに加盟しているがNATOに加盟していない国は、オーストリアキプロスアイルランドマルタの4か国である。

中南米では、米州機構が空洞化しベネズエラウゴ・チャベス政権を筆頭に南米で次々と左派政権が誕生しアメリカ型の機会平等結果不平等の資本主義から脱する動きを見せるなど、対米感情の悪化が目立つ。また、南米諸国独自の経済圏の構成、さらにはEU型の国家連合の構築などの独自の政策が打ち出されている。

パレスチナを国家承認している国(簡単にはNATO及びANZUS諸国、アメリカと二国間軍事条約を結んでいる国とイスラエル以外の全て)

更に、中東・アラビアでは、冷戦時代の君主制イスラーム国家の「反ソの為の親米」といった構造が崩れ、これらの国との協力関係が薄れたため、不安定化が進んでいる。また、西側諸国は常にイスラエルと親密な関係を持ち、パレスチナ自治政府とは距離を置いている国が多い。東側諸国時代に既に承認している旧東欧諸国を除くと、パレスチナ国家承認を行っている欧米西側諸国はマルタ1988年)、アイスランド2011年)、スウェーデン(2014年)、バチカン市国2015年)だけとなっている。チェコは旧チェコスロバキア時代にパレスチナを承認したものの、2012年の国連総会における「オブザーバー国家」への格上げ決議に反対するなどその関係は悪化し、むしろイスラエルと親密な関係にある。

ブッシュ政権末期では、チェコにアメリカが大陸間弾道ミサイル(ICBM)に対する早期警戒レーダーサイトを、ポーランドに迎撃ミサイル基地を建設をする計画を進めており、事実上ロシア仮想敵国としていることからロシアの強硬な反発を受けている(アメリカは、イランの脅威に対抗するためであって、ロシアを対象とはしていないと説明している)。ロシアは代替案としてアゼルバイジャンのレーダーサイトの共同利用を申し出たが、アメリカはそれを拒否した[11]。さらにその後もアメリカは政権交代から難航しているポーランドとの交渉の他に、リトアニアにも接触を図るなどしている[12]。しかし、続くオバマ政権は2009年9月17日、東欧MD配備計画を白紙に戻すことを発表した[13]。09年12月に失効するSTART-Iに代わる米露新核軍縮条約の交渉進展および対イラン制裁の足並みをそろえるためと目されており、実際にロシアは9月23日の首脳会談で対米協調アピールとも取れる発言を行った。[14]

また、ロシアは中国との関係を深めつつあり、旧来の独立国家共同体(CIS)に加え2002年に新たに上海協力機構(SCO)を創設している。後に、イランとも関係を強化した。

冷戦体制時の西側諸国一覧

西ヨーロッパ
南ヨーロッパ
北ヨーロッパ
北アメリカ
中央アメリカ
南アメリカ

米国支援下の軍事政権が多く、「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれた。

東アジア
東南アジア
南アジア
西アジア
オセアニア
アフリカ

脚注

注釈

  1. ^ 出典原文の和訳:
    アメリカ合衆国(US)とソビエト連邦という二つの戦勝国超大国として台頭して、グローバルな政治的競技場の指導層となった。〔中略〕西側諸国は資本主義、民主主義、人権表現の自由を代表した。西側諸国の主要な組織は、1949年4月4日に設立され、12ヵ国の創設者でできているNATOだった。
    出典原文:
    Two victorious nations, the United States of America (US) and Soviet Union, emerged as super powers and became the leaders of the global political arena. [...] the Western Bloc represented capitalism, democracy, human rights, freedom of expression. The major organization of the Western Bloc was NATO, established on April 4,1949, with twelve founding members[3].
  2. ^ 出典原文の和訳:
    片方は、 合衆国と同盟している産業化された資本主義諸国で、 西側諸国と呼ばれており、自らを 「自由世界」または 「西側世界」と好んで呼んでいる。〔中略〕
    第一世界という用語は、一般的に NATOおよびアメリカと同盟している先進的で、資本主義的で、産業的な諸国を指している。この諸国は、第二次世界大戦後にアメリカ合衆国と同盟したのであり、多かれ少なかれ共通の政治的で経済的な利益を持っていた。この諸国に含まれていたのは、 北アメリカや西ヨーロッパ諸国、日本、韓国、オーストラリアである。
    出典原文:
    On one side were the industrialized capitalist nations aligned with the USA, called the Western Bloc, which likes to call itself the "Free World" or the "Western world."[2] [...]
    The term First World refers to the developed, capitalist, industrial countries, generally aligned with NATO and the USA. The bloc of countries aligned with the United States after World War II, which had more or less common political and economic interests, this included the countries of North America and Western Europe, Japan, South Korea, and Australia[4].

出典

参考文献

  • Altınörs, Mehmet Nur (December 2020). “Bilateral and International Relations of Turkey and Iran during 1945-1990”. Journal of International Relations 8 (2): 7-12. doi:10.15640/jirfp.v8n2a1. 

関連項目


西側諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 04:26 UTC 版)

原子力船」の記事における「西側諸国」の解説

西側諸国では、1960年代から70年代にかけて民間船舶への原子力動力導入計画推進された。アメリカ合衆国西ドイツ日本実証船を兼ねた原子力船が3隻が建造されたが、いずれも高度な技術採算性による高コスト政治的判断さらには微弱だが事故起こしたなどの理由退役している。 貨客船「サヴァンナ」 アメリカではアイゼンハワー大統領提案原子力貨客船「サヴァンナ」建造されたが、1962年処女航海では定員60人の旅客に対して14人しか集まらず、約1万tの船倉に対して集まった貨物は400tだけだったその後も、乗組員同級に対して3割多く必要な上、特殊な教育・訓練が必要で、賃金金額から労使紛争生じた。さらに、母港にも専用補修施設岸壁が必要と、運航はいくつもの制約課された。これらの問題によって、「サヴァンナ」の運航には同級船より毎年200ドル割高なコストがかかることから、就役からわずか10年1972年廃船された。 鉱石運搬船「オットー・ハーン」 1960年から原子力商船検討始めた西ドイツでは、1968年に「オットー・ハーン」が就役した。「オットー・ハーン」は鉱石運搬と共に研究者36名が乗り組む実験船であり、機密指定解除された政府公文書によると原子力潜水艦応用するための技術研究考えられていたという。西ドイツ政府は、1979年に「オットー・ハーン」を一般貨物船改装し新たに原子力コンテナ船建造する計画だった。予定どおり、「オットー・ハーン」は1979年原子炉撤去しディーゼル推進貨物船になったが、1980年緑の党結成されると、反原発派が大きな政治力を持つようになり、新たな原子力船建造中止された。 ドイツ再統一経て2002年4月には原子力発電を含むすべての原子力利用廃止する改正原子力法が施行され原子力船建造保有禁止された。現在も、ドイツ政治的に原子力商船検討できる状況ではない。 貨物船「むつ」 日本では1963年から技術開発主目的として原子力船計画開始された。この計画の背景には、当時原子力委員会委員長政策の熱心な推進者でもある中曽根康弘だったことも理由である。1963年原子力委員会は「むつ」建造費を36億円と見積もり、これに基づいて科学技術庁(現・文部科学省)は予算作成した。しかし、アメリカの「サヴァンナ」が2万tで総額4,690ドル169億円、このうち原子炉だけで2,830ドル)だったのに比べると、36億円は明らかに過少見積もりであった造船原子炉会社見積もり60億円で当初誰も応札せず、1967年60億円で建造契約締結された。 1972年原子力船「むつ」は就役したものの、水産物への風評被害恐れた漁民反対試験ができなかった。1974年1月第一次オイルショック影響もあり、日本国政府一部漁民反対押し切って「むつ」を出航させ、太平洋上で臨界出力上昇試験行ったその際遮蔽不備による微量放射線もれが検出された。軽微なトラブルであった当時の社会情勢影響し、「むつ」は母港大湊港入港拒否された。 やむをえず佐世保港修理をした後も受入港がなく、1981年大湊からやや離れた関根浜に、1,000億円を投じて母港関根浜港建設して収容することに決定したが、これにも巨額新港建設費地元対策費がかかるため「むつ」廃船論が沸き起こった。「むつ」は1991年問題なく8万2,000km(地球2周分)の試験航海終え1993年海洋地球研究船「みらい」に改装された。 これらの原子力商船運航実績軍艦運用実績により、原子力機関当初見込まれていたより、点検補修廃炉費用掛かる事が判明している。1960年代原子力委員会見積もりでは、点検補修コスト廃炉コスト入っていなかったので、原油が1バレルあたり2ドル5万t・15ノットでもコストダウンすれば採算が合う可能性があると考えていたようである。2000年、1バレル20ドルの頃に原研が行った調査では、6500TEU・約7t・速力30ノット大型高速船で、漸く採算が取れるレベルだという。

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「西側諸国」を含む「原子力船」の記事については、「原子力船」の概要を参照ください。

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