啓蒙時代
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啓蒙時代(けいもうじだい)は、ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての時代のこと。啓蒙思想とは、聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動である。この時代にはスコットランド王国とフランス王国の思想家たちが、特に重要な役割を果たした。政治と経済の面では、三十年戦争でヨーロッパを二分した政治的宗教的対立がやみ、絶対主義王権と重商主義が確立した時期に当たる。
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啓蒙時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 17:30 UTC 版)
「アメリカ合衆国の哲学」の記事における「啓蒙時代」の解説
18世紀初期アメリカの哲学伝統は宗教的主題によってはっきりと特徴付けられていたが、後半は理性と科学に頼ることになり、啓蒙時代の思想に進むと人間性の完璧さへの信仰、自由放任経済学、および政治的事項への大衆の注視が現れた。 建国の父の中でも、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンおよびジェームズ・マディソンの3人は、政治課題について多くの書き物を残した。17世紀ピューリタンの主要関心を継続して個人と国家の関係を議論し、国の性格、特に国と神および宗教との関係を論じた。アメリカ独立宣言とアメリカ合衆国憲法が書かれたのがこの時期であり、それらはこの議論と妥協の結果だった。 アメリカ合衆国憲法では、政府として連邦共和制の形態を取っており、三権の間の抑制と均衡を伴う権力分立で特徴付けられている。すなわち司法府、大統領が率いる行政府および下院と上院の両院がある立法府である。 独立宣言はその中に創造主に言及する文があるが、建国の父達は明らかに有神論を排除するものではなく、ある者は公然と理神論に関する個人的概念を吐露しており、これはマクシミリアン・ロベスピエール、フランソワ=マリー・アルエット(筆名ヴォルテール)およびルソーのようなヨーロッパ啓蒙思想家の特徴だった。 『コモン・センス』と『人間の権利』を著したトマス・ペインは知識人であり、小冊子を書き、革命推進者だったが、影響力有る啓蒙思想家でアメリカ建国の父でもあった。「革命時代全体で最も扇動的で人気のあった小冊子」と言われた『コモン・センス』は、アメリカ革命とイギリス王制からの独立を正当化した。
※この「啓蒙時代」の解説は、「アメリカ合衆国の哲学」の解説の一部です。
「啓蒙時代」を含む「アメリカ合衆国の哲学」の記事については、「アメリカ合衆国の哲学」の概要を参照ください。
啓蒙時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)
詳細は「啓蒙時代の無神論」を参照 1770年代までに、キリスト教が優勢ないくつかの国において、無神論が否定を要求する危険な告発に遭うことはなくなっていき、公然と認められる立場へと発展していった。古典時代以来初めて公然と神の存在が否定され無神論が認められたのはポール=アンリ・ティリ・ドルバック(1723年–1789年)の1770年に書かれた著作『自然の体系』でのことである。ドルバックはパリの社会的な人物で、ドゥニ・ディドロ、ジャン=ジャック・ルソー、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、ベンジャミン・フランクリンといった当時の知的な著名人が広く訪れる有名なサロンを開いていた。それにもかかわらず、彼の著作は偽名で出版され、公には禁書とされ焚書された[要出典]。 理性の祭典は一種の宗教であり、ジャック・ルネ・エベールやピエール・ガスパール・ショーメット、彼らの支持者たちがフランス革命期に考案した無神論をもとにしている。理性の祭典は理神論者のマクシミリアン・ロベスピエールによって止めさせられた。彼は最高存在の祭典を挙行した。どちらの祭典も革命期フランスの脱キリスト教化の産物であり、恐怖政治の一翼を担っていた。 「理性の祭典」ははっきりとは分からないがおそらく1792-94年(第一革命~第三革命期)に発展し、その後九月虐殺が起こった。その頃の革命政府は内憂外患に苛まれていた。パリのいくつかの教会、例えばル・マレー地区のサン・パウル教会やサン・ルイ教会は理性崇拝の寺院へと宗旨替えをさせられた。1793年5月には教会が閉鎖され、11月24日はカトリックのミサが禁止された。 理性の祭典は謝肉祭のパレードの一環として行われ、教会があさり回られ、イコノクラスムが行われ、その中で宗教や王室を表すものが削り取られた。また、キリスト教の殉教者を「革命の殉教者」に挿げ替える儀式も行われた。これらの儀式の初期の実演はパリの外の「アン・プロヴァンス」で、特にエベール主義者たちによって行われたが、さらに過激なものとして「Fête de la Liberté」(自由の祝祭)がノートルダム大聖堂で1793年11月10日(ブリュメール20日)に行われた。この祝祭はピエール・ガスパール・ショーメットによって考案・計画されたものであった。自由の祭典は理性の女神と言う形で戯画化された若い女性を中心に据えていた。 『プリーストリー博士の哲学的不信心者への手紙にたいする回答』(1782年)という小冊子はイギリスで最初に刊行された無神論宣言とされる(密かかつ曖昧に無神論者の著作と区別されてイングランドで最初のものだとまことしやかに語られる)。他にはよく知られていない人物「ウィリアム・ハモン」(おそらく偽名)がこの著作に編集者として前書き・後書きに署名しており、匿名の本文はリヴァプールの自然哲学者でプリーストリーの知己のマシュー・ターナー(d. 1788?)によるものとされている。無神論史家のデイヴィッド・バーマンがターナーの著作であるという説を強く推しているのだが、彼は他に著者と考えられる人物を二人挙げてもいる。
※この「啓蒙時代」の解説は、「無神論の歴史」の解説の一部です。
「啓蒙時代」を含む「無神論の歴史」の記事については、「無神論の歴史」の概要を参照ください。
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