ブルス広場とは? わかりやすく解説

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ブルス広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:08 UTC 版)

月の港ボルドー」の記事における「ブルス広場」の解説

ブルス広場 (place de la Bourse)は、旧市街地中心部ガロンヌ川面する場所にある。 ブルス広場およびそれを半円形に囲む建物(北半分ブルス宮殿、南半分フェルム館(l'Hôtel des Fermes))は、アンタンダンのブーシェの下で、王付建築家アンジュ=ジャック・ガブリエルによって、1730年から1775年にかけて手がけられたものである当時広場の名称は王国広場 (place Royale) である。 ブーシェボルドーガロンヌ川開かれた都市にしたいと考え右岸からやってくる人々歓迎するような左岸ファサード作りたい考えた王国広場は、中世城壁取り壊してつくられたが、それは彼のそうした考え反映したのである王国広場宮殿フェルム館は、広場中央配されルイ15世騎馬像を囲む宝石箱のようなものとして企図され、1749年落成するや、都市繁栄シンボルとされた。 フランス革命が起こると1792年騎馬像は溶かされ、代わりに自由の立てられ広場自由広場 (place de la Liberté) と改称された。第一帝政になると広場帝国広場 (place Impériale) と改称されたが、復古王政期になると新王国広場 (nouveau place Royale) とさらに改称された。1828年には、広場中央に白い柱頭地球儀戴いた慎ましやかな噴水置かれた。 7月王政倒れた1848年にブルス広場と改称され、現在もこの名称が使われている。1869年には、広場中央のモニュメントは、ルイ・ヴィスコンティ (Louis Visconti) の設計に基づく三女神噴水 (fontaine des Trois Grâces) に置き換えられた。 この広場は、18世紀フランス古典主義建築の最も代表的な作品一つである。現在は、広場の北のブルス宮殿にはボルドー商工会議所郵便局入っている。南のフェルム館(l'Hôtel des Fermes)には関税関係の事務局関税博物館入っている。フェルム館の彫刻芸術守護神ミネルウァ商業メルクリウス表している。 2009年ミシェル・コラジュ設計した水の鏡」(数分置きに散布し張られる水盤)が広場設置された。

※この「ブルス広場」の解説は、「月の港ボルドー」の解説の一部です。
「ブルス広場」を含む「月の港ボルドー」の記事については、「月の港ボルドー」の概要を参照ください。

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