復古王政期
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「フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー」の記事における「復古王政期」の解説
1814年にナポレオン・ボナパルトが失脚すると、ロワイエ=コラールの推薦により内務大臣フランソワ=グザヴィエ=マルク=アントワーヌ・ド・モンテスキュー=フェザンサック(英語版)率いる内務省の秘書長官に任命された。翌年にナポレオンがエルバ島からパリに戻り百日天下が始まると、ギゾーは3月25日に辞任して再び文学に専念した。百日天下の後はガンに移り、そこでルイ18世に謁見して、復古王政を長続きさせるには自由主義政策を採用することが最善であると述べた。フランスが再び侵攻されようとした時期にフランスを離れたことは後年になって、ギゾーの政敵により愛国心のない行動として非難され、「ガンの男」という不名誉なあだ名をつけられることとなった。 第二次王政復古では第一次リシュリュー公爵内閣(英語版)の司法大臣フランソワ・バルベ=マルボワ(英語版)のもとで司法省秘書長官を務めたが、1816年にバルベ=マルボワとともに辞任した。1819年には内務省で官職に就任したが、1820年に内務大臣エリー・ドゥカズが辞任するとギゾーも辞任した。この時期のギゾーはドクトリネール(英語版)の指導者の1人であり、絶対君主制と民主政治(popular government)の中間といえる主張を持った。すなわち、フランス革命を「無政府」として反対しながらブルジョワ層に選挙権を与えることで自由主義政策を実施しようとしたが、ブリタニカ百科事典第11版はこれを「民主主義の時勢、帝国の軍事伝統、宮廷の頑迷な行動や絶対主義に全て反対している」としてこき下ろし、「もう一度の革命(七月革命)で消え失せた」とした。 1820年にベリー公シャルル・フェルディナンが殺害され、ドゥカズ内閣(英語版)が崩壊すると、反動政治も最高潮に達した。ギゾーは官職を追われた上、1822年には大学での講義も停止させられてしまった。しかし、この時期は1822年の『歐洲代議政體起原史』(Histoire des origines du gouvernement représentatif)、1826年から1827年にかけての『チャールズ1世からチャールズ2世にかけてのイギリス革命史』(Histoire de la revolution d'Angleterre depuis Charles I er à Charles II.、2巻。1838年に英語訳)、1828年の『ヨーロッパ文明史』(Histoire générale de la civilisation en Europe、1838年第2版)、1830年の『フランス文明史』(Histoire de la civilisation en France、4巻)などギゾーの高名な著作が生み出された時期でもあった。1828年に中道王党派のマルティニャック子爵が組閣(英語版)すると、ギゾーは教授に復帰した。
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復古王政期
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「代議院 (フランス)」の記事における「復古王政期」の解説
復古王政下の代議院は、1814年憲章により、第一帝政下の立法院に代わって設置され、納税額による制限選挙で選出された議員で構成された。法案の討議、そして何よりも租税の承認をその任務とした。憲章により、議員は任期5年で、毎年5分の1が改選されるものとされた。被選挙人になるには満40歳以上かつ直接税1,000フラン以上の納税者であることを要した。 閣僚は議員の中から選ばれることができたため、復古王政下の内閣は強大ならずも議会主義的・自由主義的な性格を帯びた。 1815年に再起したナポレオン1世の百日天下の間は、帝国憲法付加法の規定により、代議院 (Chambre des députés) に代わってこれとは異なる代議院 (Chambre des représentants) が短期間設置されたが、第七次対仏大同盟軍のパリ入城で瓦解した。 超王党派(ユルトラ)が多数の議席を占めた1815年から1816年までの議会は「またと見出しがたい議会」 (Chambre introuvable) と呼ばれた。
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