復古神道の成立とは? わかりやすく解説

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復古神道の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:11 UTC 版)

平田篤胤」の記事における「復古神道の成立」の解説

文化9年1812年)、篤胤37歳のとき、相思相愛結ばれた妻、織瀬を亡くした。篤胤は深い悲しみのなか「天地の 神はなきかも おはすかも この禍を 見つつますらむ」の歌を詠んだ愛妻の死は、死後の霊や幽冥への関心促し本格的な幽界研究へとつながっていった。 同年綾瀬死にあって篤胤は、幽冥界論じた霊能真柱(たまのみはしら)』を書き上げた。ここで、篤胤は従来はなかった彼独特の生死感を説いた。この書は、「霊の行方安定(しづまり)を知」るならば、「大倭心(やまとごころ)を堅むべく」、大倭心が固められるならば「真道まことのみち」を知ることができるという死後安心論の意図をもって著述された。すなわち、本居宣長が、人は死ねばその霊汚き他界、つまり「夜見」(黄泉)の世界へゆくのであるから、人が死ぬことはじつに悲しいことであるとしたのに対し、篤胤は、人は生きて天皇主宰する顕界目に見える世界)の「御民(みたみ)」となり、死して大国主神主宰する幽冥」(目には見えない世界冥府)の神となってそれぞれの主宰者仕えまつるのだから死後は必ずしも恐怖するものではないと説いた。そして、その「幽冥」とは、われわれが生きる顕界と同じ空間、山や、墓といったわれわれの身近なところにあって、決し他界ではなく幽冥界からはこちら側顕界)が見えるものとし、こちら側から向こう側(「幽冥」)が見えないだけであるとした。さらに、神はわれわれとはさほど遠くない幽冥」の世界から顕界生きるわれわれの生命暮らし郷土の平和と安寧をいつも見守り加護してくれている説いた。篤胤は、これを10個の図によって、開闢のはじめの混沌たる原質から天(太陽)・地(地球)・泉(月)から成る宇宙いかにして生成されたかを、地動説的な解釈ほどこしつつ説明している。篤胤は、上述服部中庸三大考』に「産霊(むすび)の霊力」のはたらき加えそのうえで天照大神瓊瓊杵尊命じて治めさせた「顕世うつしよ)」と大国主命治める「幽世かくりよ)」を対比させ、すべては「顕明事(あらわごと)」と「幽冥事(かくりごと)」の2つによって均衡保たれるであって、これは大国主命がみずから退隠した勇気によって保証されていると説明し、このことによって死後の霊魂心安らか幽冥界に向かうことができるとした。 篤胤が求めたのはこの世の幸福であり、関心いだいたのは死後の霊の行方についてであったその霊安定神道求めたのであり、それゆえ神道従来以上に宗教色強めた。ここで篤胤は、天主教キリスト教)的天地創造神話と『旧約聖書』的な歴史展開を強く意識しながら、天御中主神創造主とする首尾一貫した儒教的仏教的色彩を完全に排除した復古神道神学樹立している。篤胤によれば天・地・泉の3つの世界形成事実、そしてそれについての神の功徳、それは「御国(みくに)」すなわち日本四海中心であり、天皇万国君主であるということを、国学奉ずる学徒大倭心の鎮として打ち立てた、それが「霊の真柱」だった。 平田国学復古神道立論根拠にしたのは古伝であったが、『古事記』などの古典収載された古伝説には齟齬矛盾非合理ふくまれているため、篤胤は古伝説を主観的に再構成した自作文章注解するという手法用いて論を展開したまた、古伝空白箇所埋めるために、天地開闢万国共通であるはずだという理由から諸外国古伝説にも視野広げた古伝説によって宇宙生成という事実を解明し幽冥界事実明らかにしていくのが彼の関心であったが、漢意排除文献学的・考証学手法徹底を旨としてき本居からすれば、かれの手法は邪道であり、逸脱解釈された。しかし、篤胤はそもそも古代研究自己目的にしていたのではなく自身含めた近世後期生きる当時日本人にとって神のあるべき姿と魂の行方模索し、それに必要な神学構築するために『古事記』『日本書紀』などの古典および各社にのこる祝詞利用していた。『霊能真柱』は篤胤にとって分岐点ともいえる重要な書物だったが、本居派の門人達は、この著作幽冥観についての論考亡き宣長冒涜するものとして憤慨し、篤胤を「山師」と非難したため、篤胤は伊勢松阪鈴屋はしだい疎遠になっていった文化10年1813年)、対露危機に関して情報集めていた篤胤は、危機一段落したこの時期蒐集文書まとめて千島白浪』を編纂しており、同書には当然収めてはいないものの、幕府機密文書入手している。篤胤は、ロシア情報獲得するためにロシア語辞書までみずから編纂していた。文化12年1815年)、のちに経世論者となる出羽国雄勝郡郡山村(現、秋田県雄勝郡羽後町出身で、篤胤より年長佐藤信淵入門した

※この「復古神道の成立」の解説は、「平田篤胤」の解説の一部です。
「復古神道の成立」を含む「平田篤胤」の記事については、「平田篤胤」の概要を参照ください。

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