日本人にとって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:48 UTC 版)
「渋谷スクランブル交差点」の記事における「日本人にとって」の解説
「渋谷駅周辺地域の安全で安心な環境の確保に関する条例」も参照 この交差点は21世紀になってから、大晦日、サッカーW杯、ハロウィンといった社会的大イベントの際に若者らが集ってお祭り騒ぎをする、象徴的な場になった。それらは行政や商工団体などが働きかけたものではなく、自然発生的に始まった現象であり、集まるのは近辺を生活圏とする地元住民でなく、ほとんどが他所から渋谷へ訪れてくる人々である。その時この交差点の周囲は、祭りの当事者として盛り上がる者、それを取り巻いて見物する者、やり過ごして通り過ぎる者でごったがえす非日常空間と化す。その様子が渋谷の賑わいの象徴としてマスメディアやSNSで拡散することにより、さらに多くの人が共感や刺激を求めてこの交差点へ集まるようになった。 大晦日のカウントダウンでこの交差点に毎年人が集まるようになったのがいつ頃からかははっきりしないが、少なくとも2000年の大晦日深夜(21世紀前夜)にあったことは確認できる。2009年、2010年、2011年にカウントダウンの現場を訪れたフィールド調査では、いずれも外国人の割合が明らかに多く、カウントダウンイベントは無いにもかかわらず、タイムズスクエアでのような盛大なイベントを期待しているかのようだった。2018年の時はこの交差点は歩行者天国となり、様々なイベントが催され、カウントダウン時にはハチ公前広場が満員の人だかりとなった。 サッカーW杯でこの交差点に人が集まるようになったきっかけは2002年の日韓大会である。渋谷にはもともと店内で試合を観戦できるスポーツバーが多数あり、試合後に客がこの交差点に集まって気勢をあげるということがあった。日韓大会の予選リーグで日本が勝利した際には、この交差点に1000人以上が集まり勝利を祝ってハイタッチするなどして騒ぎ、一部が暴徒化した。2006年のドイツ大会では日本は予選リーグで1勝もできず、この交差点で盛り上がったらしい記録は無いが、2010年の南アフリカ大会から再びこの交差点での賑わいがマスメディアで取り上げられるようになった。2013年8月4日には日本のブラジル大会出場が決まった試合があったが、その際には混雑による混乱を避けるためこの交差点の封鎖が初めて実施され、またそこで交通整理にあたった所謂「DJポリス」のユーモアを交えた働きがマスメディアで繰り返し報じられたことは、この交差点に群衆が集まるという事象を社会的に広く認知させることにつながった。今やW杯での日本の勝利をマスメディアが報じるとき、この交差点の賑わいの映像を添えることは恒例となっている。なお、他のスポーツと違いサッカーでのみこの交差点に人が集まる理由について、サポーターたちが揃いの日本代表ユニフォームを着、同じ応援歌を合唱するというサッカーならではの文化的背景を國學院大學の高久舞は挙げている。 ハロウィンの時期、パレード等のイベントも無いのに思い思いに仮装した若者がこの交差点へ集まり盛り上がるようになったのは、2014-2016年頃からとの認識を渋谷区観光協会は示している。この交差点でのハロウィンの仮装の写真や動画の投稿を SNS 上で追った研究によると、そうした投稿は2008年から確認できるものの、急激に増え始めたのは2013年だった。もともと渋谷では、ハロウィンの仮装イベントをクラブで開くことが以前からあり、イベント終了後に街へ繰り出した参加者を格好の「映える被写体」として多くの通行人が何度も SNS でシェアするにつれ、「渋谷に行けば仮装した人が沢山いる」という誤解が世間に広がって行き、実際に人が集まるようになったのだろうと日本ハッピーハロウィン協会は述べている。ハロウィンの仮装のムーブメントが始まったことを以って、この交差点は「年越し、W杯を“祝う場”から“人が集まり、何かが起こりそうな、面白そうな空間”へと変容した」と高久は分析した。コラムニストの泉麻人は「若者にとって渋谷のスクランブル交差点はショーの『舞台』のようなもの」と述べた。 2019年6月19日、ハロウィン期間中などに路上飲酒を禁止する条例(渋谷駅周辺地域の安全で安心な環境の確保に関する条例)が渋谷区議会によって成立・可決された。翌20日、公布・施行された。
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