日本人による初めてのメッカ巡礼から第二次世界大戦の終結まで(1909~1945年)
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日本とサウジアラビアの交流は、イスラム教の聖地であるメッカ巡礼に始まる。1909年には山岡光太郎が日本人として初めてメッカ巡礼を行い、その後1924年には田中逸平が、1935年から1939年には郡正三、鈴木剛、細川将、山下太郎、榎本桃太郎がメッカ巡礼を行っている。 日本とサウジアラビアの最初の公式な接触は1938年、サウジアラビアの駐英公使であったハーフィズ・ワフバ(アラビア語版)が東京の代々木モスク(現東京ジャーミイ)の開堂式に伴い日本を訪れたことで実現した。翌1939年、駐エジプト公使の横山正幸がサウジアラビアを訪問、リヤドのアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード初代国王に拝謁した。横山の訪問目的の一つにはサウジアラビアの石油獲得があり、商工技師の三土知芳が随行したが、すでにアメリカ合衆国と親密な関係を築いていたサウジアラビアとの交渉は不調に終わっている 。
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