初代とは? わかりやすく解説

しょ‐だい【初代】

読み方:しょだい

家系芸道などで、一家を立てた最初の人また、その人の代。

その職務初め就任した人。第1代。「—の校長

[補説] 系統的なものにおける「最初の・初めて」の意で、架空の人物キャラクターまた、事物に対して用いられる。「—マスコット」「携帯電話の—モデル」「—の電気自動車

「初代」に似た言葉

初代

読み方:しょだい

  1. 縫ったままのもの。

分類 衣類

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(初代 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 04:24 UTC 版)

(しろ)は代理の意。




「代」の続きの解説一覧

初代(2005年-2010年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/08 23:15 UTC 版)

シボレー・コバルト」の記事における「初代(2005年-2010年)」の解説

コバルト北米市場において最も売れたGMコンパクトカーであったキャバリエと、トヨタ・カローラベース開発されプリズム統合後車種であり、2004年から2005年モデルとして販売開始された。 SUVブームがやや下火になり始めてコンパクトカー人気再燃しつつあるという開発当時の状況受けてコンセプト従来よりも若者強く意識したものへと修正し、さらに日本製韓国製の小型車などにも対抗できるように商品力の向上を図った前身キャバリエ老朽化したJプラットフォーム」を採用していたが、コバルトでは新たに小型車向けのグローバルプラットフォームである「デルタプラットフォーム」が採用された。同プラットフォームは他にオペル・アストラサターン・アイオンシボレー・HHRなどで採用されている。 ボディタイプキャバリエ引き続きクーペセダン2種類ラインナップされた。グレードLS、1LT、2LT、3LT、LTZSS設定された。最上級グレードLTZクローム仕上げグリルモールあしらっている。高性能グレードSSについては後述エンジン直4 DOHC 2.2Lが搭載され2009年モデル以降VVT付きのものに換装された。トランスミッション5速MTまたは4速ATが用意された。 ロードホイールLSと1LTが15インチスチールにフルカバー、2LTが16インチ、シルバーペイントスチールホイール、3LTとLTZ16インチアルミホイールが標準となる。オーディオも、LS以外はMP3対応しiPod用のジャック装備される生産アメリカ合衆国オハイオ州ローズタウン工場行われたコバルト2010年をもってモデル打ち切りとなり、同車ポジション世界戦略車であるクルーズへと引き継がれることとなった2014年2月大規模なリコール実施。重いキーホルダー使用するイグニッションセンサー動作不良起こしエアバッグが開かなくなる可能性があるというもの。所有者に対して改修が終わるまで不必要な鍵や飾り取り外すよう要請出された。

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初代(1981年-1991年)

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UD・コンドル」の記事における「初代(1981年-1991年)」の解説

1981年12月 バイソン後継車種として日産コンドル20/30を発売H40型)。日産・アトラス200/300の兄弟車1982年12月 昭和57年排出ガス規制対応。 1983年1月 FD33Tエンジン搭載車及び保冷車新設1984年6月 一部改良。FD33エンジン及びエクストラパック新設1986年11月 マイナーチェンジフロントグリル造形変更エンジンは、SD25からTD27に、FD33からFD35にそれぞれ変更左右ドアに「UDマークエンブレムが付く。 1989年6月 日産ディーゼル・コンドル35(P-NK110型)追加

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初代(1999年~2009年)

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ヒュンダイ・エクウス」の記事における「初代(1999年2009年)」の解説

1999年日本三菱自動車製「プラウディア」との共同開発によりエクウスの名称で発売された。他国サウジアラビアなど)への輸出用モデルセンテニアルの名称で販売されている。マイナーチェンジ行われ2009年自社独自開発とされる2代目モデルフルモデルチェンジされた。 プラウディアとの相違点は、グリル、ボンネットマスコットが異なり、3.0Lエンジン設定がある(2006年マイナーチェンジで3.3Lエンジン変更され3.5Lエンジン輸出用除いて3.8Lエンジン変更されている)ことである。 なお、プラットフォーム子会社起亜自動車高級車オピラス(輸出名「アマンティ」)にも流用されている。 後期 フロント 後期 リヤ

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初代(AG型、2014年-2018年)

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ヒュンダイ・アスラン」の記事における「初代(AG型、2014年-2018年)」の解説

2014年10月30日韓国国内にて発表近年韓国市場における輸入高級セダン急増対抗すべく開発された。仮想敵レクサス・ESアウディ・A6とし、発売当初より、韓国国内のみでの販売とされた。 5代目グレンジャーベースに、ジェネシス肉迫する高級感サイズ持たせており、エクステリア2代目ジェネシスから始まった新デザインアイコン「fluidic sculpture 2.0」(流体彫刻 2.0)に則ってデザインされている。 内装エンジンルームなど、各部分に音を吸収する特殊素材グレンジャーよりも多く使用することで、騒音振動大幅に軽減させた。 また、運転席フロントガラス部に車速交通情報などを表示するヘッドアップディスプレイ」、事故起こった際に歩行者の頭を保護する「アクティブフードシステム」(ボンネット)などを新たに追加することで安全性向上している。 搭載されエンジン全車V6直噴ラムダ。3.3Lと3.0Lの2種用意し、いずれにも6ATを組み合わせている。グレンジャー用意されるハイブリッドディーゼル設定がない。 2018年1月大きな改良施されるとがないまま、わずか3年3カ月モデル終了ヒュンダイラインナップでは珍しく一切韓国国外輸出販売)されなかった車種でもある。 間接的な後継車種ジェネシス・G70/G80。

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初代 (1997-2014年)

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雙龍・チェアマン」の記事における「初代 (1997-2014年)」の解説

W124型メルセデス・ベンツEクラスプラットフォームベース雙龍初の高級セダンとして登場。初代はまさにベンツそのものであっただけに「ベンツ血統」というキャッチコピーCMまで存在したEクラスベースとしているものの、外観SクラスW140型)を強く意識したものとなっていた。ラインナップメルセデス・ベンツライセンス取得し生産された3.2L・直列6気筒の「CM600」、2.8L・直列6気筒の「CM500」、2.3L・直列4気筒の「CM400」の計3種で、いずれも5G-TRONICと呼ばれる5速ATが組み合わされる。 1997年 - 発売1998年 - 雙龍自動車大宇自動車現在の韓国GM)に吸収され、「デーウ・チェアマン」として販売される2000年 - 雙龍ブランド復活とともに車名も「サンヨン・チェアマン」に戻る。 2001年 - ラジエーターグリルとアルミホイール意匠変更2003年 - 大掛かりなマイナーチェンジ実施前後デザイン大幅に変更2006年 - 3.6Lエンジン追加2008年 - 「チェアマンW」の投入に伴い車名を「チェアマンH」に変更グレードを3.2Lエンジンの「600S」と2.8Lエンジン搭載の「500S」に集約され、ノーマルボディのみとなるもののチェアマンW登場後併売されている。 2011年 - マイナーチェンジ。フロントマスクを大幅に変更した2013年 - モデル廃止

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初代(ビスカスカップリング式)

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リアルタイム4WD」の記事における「初代(ビスカスカップリング式)」の解説

1986年昭和61年)、それまで機械式パートタイム四輪駆動採用していた初代シビックシャトルリアルタイム4WD搭載された。旧来ボタン操作トランスファー接続することによって前輪駆動四輪駆動切り替えていたものを、後輪駆動力伝えプロペラシャフトビスカスカップリング配すことにより、前後輪の「回転差」により、駆動力後輪にも伝わるようにしたもの前後輪の回転差が過大な時に発生するタイトコーナーブレーキング現象には、ビスカスカップリングトルク差を発生させないため、基本的に発生しない1988年昭和63年)に発表された初代コンチェルトには、新たにINTRAC搭載後輪ディファレンシャルギア代わりにビスカスカップリング左右2個配し、前輪及び左右後輪駆動力配分差動制限とを行いビスカスカップリングプロペラシャフトとの間にアンチロック・ブレーキ・システムABS)と連動して作動するドグクラッチを配し当時技術では難しかったスタンバイ4WD4輪ABSとを両立した。

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初代(MS型、2000年-2005年)

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キア・オプティマ」の記事における「初代(MS型、2000年-2005年)」の解説

初代オプティマ 2000年、マツダ・クロノスベースのクレドス/クラルスの後継車種として登場欧州カナダなどではマジェンティス(Magentis )の車名販売された。起亜経営破綻により現代自動車傘下となった関係でヒュンダイ・ソナタEF型)とプラットフォーム共有する。本来はヒュンダイ・ソナタ(EF型)のマイナーチェンジ版として開発進められていたが、急遽旧態化していた「クレドスII」の後継車種となった。 初代オプティマリーガル 2002年韓国ではアメリカと同じ「オプティマ」のネーミング販売されマイナーチェンジ上級版の「オプティマリーガル」が追加された。排気量は1.8/2.0の直42.5V6仕様(オプティマリーガルの登場時に韓国国内オプティマ2.5リッターV6エンジンモデル生産終了)。なお、オプティマリーガル登場に伴いそれまで生産していたポテンシャ(マツダ・ルーチェ5代目)ライセンス生産)が廃止となった一部改良韓国車初のCVT搭載モデル(ランサー・セディアのCVTミッション搭載)を設定韓国国内ではSS-CVTという名称で呼ばれていた。(ちなみにSS-CVTとは「Steptronics Sports mode - Continuously Variable Transmission」の頭文字であるとされている)

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初代(1977年10月 - 1992年3月)

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こちら海です」の記事における「初代(1977年10月 - 1992年3月)」の解説

こちら海です」の下に波を現す形だった。海の部分大きかった

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初代(初回から2009年3月)

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リンカーン (テレビ番組)」の記事における「初代(初回から2009年3月)」の解説

番組開始当初から2009年3月までのオープニングフルアニメーション制作されており、メンバーデフォルメしたキャラクター登場していた。監督キャラクターデザイン中山大輔制作STUDIO 4℃電影空間にあるとされる近未来都市リンカーン」を舞台に、9人のスーパーヒーローたちが戦闘繰り広げるという内容最後全員シルエットバックタイトルロゴタイトルコールが入る。

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初代 (1981-1993年)

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フィアット・デュカート」の記事における「初代 (1981-1993年)」の解説

初代デュカートは1981年導入され1993年フェイスリフト施された。エンジン2.0 Lの直列4気筒ガソリンエンジン1.9 LのディーゼルエンジングレードベースのSとSXがあった。生産イタリアのセヴェル南(Sevel Sud工場行われた。ほぼ同一他ブランドの車としてアルファ・ロメオ AR6、プジョーJ5シトロエンC25、タルボ・エクスプレス(1986年 - 1992年)があった。デュカートの各モデルの名称はその積載量に応じて、デュカート 101.0トン)、デュカート 13(1.3トン)、デュカート 141.4トン)とデュカート マキシ181.8トンであった

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初代(V200型、1999 - 2006年)

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シボレー・エピカ」の記事における「初代(V200型、1999 - 2006年)」の解説

1999年発表韓国ベトナムでは大宇ブランドマグナスMagnus )、欧州では当初大宇ブランド後にシボレーブランドのエヴァンダ(Evanda )、それ以外の地域南米カナダ中国など)ではエピカの名称で販売された。また、2003年開催され第37回東京モーターショー現行型オプトラとともに参考出品され日本市場への投入検討されていたが、実現しなかった。 また、北米ではスズキにもスズキ・ヴェローナの名称でOEM供給された。 台湾では、現地自動車会社である台塑汽車台塑フォルモサ)・マグナスとして生産/販売された。 駆動方式は横置きFF。これにホールデン製の直列4気筒2,000cc、もしくはGM大宇製の直列6気筒2,500ccエンジン搭載している(初期型にはSC-1と呼ばれる直4・2,000ccエンジン搭載されていたほか、韓国国内には直6・2,000ccエンジン設定もあった)。直列6気筒エンジンの横置きFFというレイアウトは、ボルボS80XC90等以外では同車のみが採用している方式である。また、デザインイタルデザイン担当している。

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初代(1986年-1989年)

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日産・ピンターラ」の記事における「初代(1986年-1989年)」の解説

R31型スカイライン現地生産モデルボディタイプ4ドアセダンステーションワゴン2種類ラインアップがあり、搭載エンジン現地製のCA20E型2000ccエンジン搭載していた。尚、6気筒モデルスカイラインとして発売されていた。これまで販売されてきたセドリック230型から430型までのモデルを、DATSUN220C・DATSUN260C・DATSUN280Cの名で販売。)の輸入終了に伴う代替車種一環誕生したスカイラインTI3.0L(RB30E)は、日本国内には無い高級なデザイン走りこそが売りであった日本GT路線とは対照的で、装備などもローレルメダリストに近い。それより下のグレードにはGXシルエット用意されていた。1989年セフィーロ出現に伴い2代目以降6気筒モデル終了した

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初代(JW型、2021年 - )

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ジェネシス・GV60」の記事における「初代(JW型、2021年 - )」の解説

2021年8月19日概要公開され9月30日韓国にて発表スタイリングは他ジェネシス車種同様、2本のライン構成される「クアッドランプ」と「クレストグリル」を採用し、ジェネシスファミリーの一員であることを強調している。但し、EVゆえにラジエーターグリルが不要のため、クレストグリルはバンパー中央部形成されている(グリル高電圧バッテリー冷却効率高めることが目的である)。 アウタードアハンドルは2代目G90やネクソ(ネッソ同様の自動格納式サイドミラーレクサス・ESにも例があるデジタル式採用している。インテリア設置されメーターはフルデジタル式で、シフトセレクターはダイアル式を採用。シフトセレクターは「クリスタルスフィア」と呼ばれ停止中はアンビエントランプとして機能し始動時に回転して現れる仕組みとなっている。 Bピラー内蔵され小型近赤外線カメラにより、ドライバーの顔を認識してドア施錠/開錠し、車内乗り込むドライバーごとに設定されシートステアリング・ホイール位置自動であわせる「フェイスコネクト」をジェネシスブランド車で採用所定位置に指をかざすと起動出来る「指紋認証システム」も採用することで、キー携帯することなく乗車が可能となる。 ベースとなったアイオニック5同様、EV専用RRプラットフォーム「E-GMP(Electric-Global Modular Platform)」を採用しAWD用意されるパワーユニットであるモーター2WD場合、168kWの最高出力と350Nmの最大トルク誇り満充電時の航続可能距離は451kmを可能とする。モーター2WDモデルが1基、AWDモデルが2基を搭載し後者2WDAWD自由に切り替えられる「ディスコネクターアクチュエータシステム(DAS)」を採用バッテリー容量はいずも77.4kWhを誇る。

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初代(CK型、2017年- )

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キア・スティンガー」の記事における「初代(CK型、2017年- )」の解説

2017年5月23日韓国にて正式発表発売開始韓国国内仕様内外装起亜CIマーク一切装着せず、代わりに「E」をモチーフにしたオリジナルエンブレムを装着する手法モハベ次いで2例目であり、セダンにおいては初である。尚、海外向けについては「E」エンブレムに代わってCIマーク鎮座するシャシジェネシス・G80のものをベースに、ショートホイールベース化。G80同様、FR加え起亜セダン系では初となるAWD設定されるエンジンG80からキャリーオーバーされたV6直噴の3.3L・GDIツインターボ加え、K5に採用済の直4の2.0L・GDIターボカーニバルに採用済の直4の2.2L・VGTターボディーゼル用意されるトランスミッションエンジン・駆動方式種別関わらず全て8速ATを採用する数々安全装備加えグレードにより、ブレンボブレーキシステム、lexcon製サラウンドシステム電動式パーキングブレーキ電動オットマンなども備える。 尚、この基本メカニズム大半追って登場するジェネシス・G70共用する

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初代(1982-1987年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 09:52 UTC 版)

シボレー・キャバリエ」の記事における「初代(1982-1987年)」の解説

キャバリエ1982年販売開始したFFコンパクトカーというGMにとって未開拓分野であったため、2ドアクーペ・3ドアハッチバック・4ドアセダン・ステーションワゴン・コンバーチブルと多岐にわたりラインナップされた。エンジン4気筒OHV中心1.8リッターから2.8リッターまでが選択できた。 GMコンパクトカーというだけでなくそのラインナップ豊富さから、発売直後から順調に販売台数伸ばした。わずか3年後には販売台数初年度の8倍弱にまで達し1984年1985年においては販売台数全米ナンバー1記録し大ヒットモデルとなった1986年には2.8リッターV6エンジン搭載したZ24というGMシボレー伝統のスポーツグレードを冠したモデル発売された。

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初代(1954年-1963年)

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トヨタ・DA型トラック」の記事における「初代(1954年-1963年)」の解説

1954年3月 それまでBX型・FA型に代わってBA型・BC型・FA型(2代目)登場エンジン3900F型搭載1954年6月 FC登場1957年3月 新開発D型搭載のDA60型登場これを機にトヨタ3番目の販売チャネルトヨタディーゼル店新設し大型車市場本格参入する。なお、これ以降型式にDと付くものはD型エンジン搭載し、Fと付くものはF型エンジン搭載する

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初代(1973-1977年)

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ビュイック・リーガル」の記事における「初代(1973-1977年)」の解説

ビュイック1963年フルサイズリヴィエラで高級パーソナルカー市場参入した最初GMディビジョンであったが、その一方で低価格中型高級パーソナルカー市場の開拓への対応は鈍かった。これに対してポンティアック1969年グランプリを、シボレーは翌1970年モンテカルロ作った同年オールズモビルフォーマルなノッチバッククーペのカトラスシュープリームを中型車ラインアップ加え同車間もなくオールズ中型車ベストセラーとなった。 これらと市場競合する車種求められビュイック1973年にAボディ中型車センチュリー最上位車種として「センチュリーリーガル」を発表したこの年1968年登場したGMのAボディ中型車最初フルモデルチェンジ受けた年でもある。 初期リーガルフロントおよびリアスタイルが姉妹車センチュリー概ね共通であったが、異なグリルとテールライトレンズを与えて区別された。リーガル姉妹車グランプリモンテカルロ、カトラスシュープリーム、そしてより低価格のセンチュリーラグゼスクーペと、「コロネードピラーのハードトップルーフライン(サッシュレスセンターピラー付きハードトップ)とグリーンハウス(ウインドウエリア)を共有し新しファッショナブルなオペラウインドウシートメタル囲まれ小さな嵌め殺しのリアサイドウインドウ)を備えていた。 1973年当初はコロネードハードトップクーペのみが用意されていたが、1974年には4ドアコロネードセダン(6ライトグリーンハウスとサッシュレスドア)がデビューした1975年リーガルからセンチュリーの名称が落とされた。1976年フェイスリフトが行われ、合法化された角形ヘッドライトクーペでは横方向に、セダンでは縦方向並べられた。 リーガルインテリア概してセンチュリーよりも豪華に仕立てられていた。ダッシュボードやドアパネルの木目調部材やセンターアームレスト付ノッチバックベンチシート(布地ベロアビニール張り)を備え6040アームレスト分割ベンチシートオプション用意されていた。また、1976-77年型リーガルクーペにはコーデュロイ張りのリクライニングバケットシートを含むS/Rオプション用意された。 エンジン当初全車で5.7L V8標準搭載されより大きい7.5L V81973-74年のみオプション用意された。クーペ1975年から3.8L V6標準とした。1975-76年の時点では、センチュリーリーガルアメリカでV6エンジン用意する唯一の中型車であったドラマ刑事コジャック』でテリー・サバラス演じコジャック警部補愛車覆面パトカーとなった

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初代 (2008–2017年)

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シボレー・トラバース」の記事における「初代 (20082017年)」の解説

2008年シカゴオートショー発表同年秋から発売開始ミニバンのアップランダーおよびSUVトレイルブレイザー後継車種である。プラットフォームビュイック・アンクレイブGMC・アカディアと同じGMラムダプラットフォームを採用する。これらラムダプラットフォーム車の生産ランシングのランシング・デルタ・タウンシップ組立工場にて行われている。 エンジン直噴 3.6L V6エンジン搭載し、これに6速ATが組み合わせられる駆動方式FWDAWD2種類ラインナップされている。 2012年4月ニューヨーク国際オートショーにてフェイスリフト受けた2013年モデル発表された。フロントマスクは従来の上下二分割のボウタイグリルを捨て新たに三本線のアッパーグリルと二本線のロワーグリルの組み合わせ採用された。また、ヘッドライトフォグランプデザイン一新された。リアエンドはテールランプバンパー一新され、ライセンスプレートの位置リフトゲート移された。インテリアはインストゥルメンタルパネルなどが刷新され、センタースタックには6.5インチのカラータッチラジオとシボレー新しいインフォテインメントシステムであるMyLinkが搭載された。また、ビュイック・アンクレイブ同様に世界初のフロントセンターエアバッグ標準装備車種となる。 なお、日本では三井物産オートモーティブによって2009年から輸入販売されていた(日本仕様自動車法規に基づきサイドアンダーミラー採用していた)が、同社2011年11月1日付でディストリビュータ契約をゼネラルモーターズ・ジャパンに譲渡したに伴い販売終了した

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初代(1964-1967年)

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シボレー・マリブ」の記事における「初代(1964-1967年)」の解説

シボレーシェベルとして1964年登場セダンステーションワゴンクーペコンバーチブル幅広いバリエーション展開するとともにスタイリッシュかつ機能的なコンセプトが受け、爆発的に売れた。「マリブ」の名はクーペ高出力モデルの「マリブSS」として用意されたのが始まりである。以降、「マリブ」は上級グレード名として3代目まで使用された。

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初代(Y型 2008年-2016年)

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ルノー・コレオス」の記事における「初代(Y型 2008年-2016年)」の解説

.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ルノーサムスン・QM5 > ルノー・コレオス 2016年4月北京モーターショーにて世界初公開2016年8月先陣切ってオーストラリア販売開始その後徐々に市場での販売開始された。先代引き続いて全量ルノーサムスン釜山工場製となり、世界80か国以上に輸出される計画である。但し、中国向けに関して東風汽車との合弁企業である東風諾(ドンフェンルノー)の最新工場武漢工場」にてカジャーとともに生産されるコレオス中国名表記は「科傲」)。尚、フランス市場においてはカジャーエスパス中間埋めポジション位置するエクステリアルノーデザイン部であるローレンス・ヴァン・デン・アッカーの提唱する近年のデザインアイコン「サイクル・オブ・ライフ」に則り両サイドランプから中央向かってライン延びデザイン採用するとともに最新のデザインアイコンであるL字型LEDヘッドライト下に配置している。 エクステリアカジャーとの競合避けるため、全長先代比で大幅に延ばされ逆に先代比で全幅は-10全高は-15㎜)、Dセグメント昇格している。 エンジン先代からキャリーオーバーされるM9R型2.0Lコモンレールディーゼルと2TR型2.5Lガソリンエンジンどちらかもしくは両方市場に応じて投入する。但し、中国向けガソリンエンジンルノーサムスン・QM6と同じ2.0LのM5Rとなる。 タリスマン採用済のインフォテインメントシステム「R-Link」は「R-Link 2」に進化し、8.7インチタッチパネルディスプレイを介してオーディオナビエアコン等を操作するベースとなっているタリスマンとは異なり右ハンドル車生産されるため、オーストラリアニュージーランドイギリス等の右ハンドル市場でも販売される。 なお、ルノーサムスン版は2016年6月2日釜山モーターショーのプレスデーで初披露され、新たにQM6名乗ることになった事実上QM5後継車種となる。

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初代(1898年)

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京都市歌」の記事における「初代(1898年)」の解説

黒川真頼作詞上真行作曲それぞれ手掛けた初代の京都市歌京都市小学校長会が選定したもので、1898年明治31年1月29日発表された。現存する最古市歌とされる1909年明治42年制定横浜市歌より11年早く発表されており「日本最古市歌とされるが、8年後には2代目市歌発表され短命に終わっている。 初代「京都市歌」は、歌詞旋律とも著作権の保護期間満了している(パブリックドメイン)。 一、ちとせの昔(むかし) さだめたる 平(たひら)のみやの みやどころ ちとせの後(のち)も たひらかに かくぞさかゆる 宮(みや)どころ 二、 山(やま)もうるはし 宮(みや)どころ 川(かは)もさやけし 宮(みや)どころ 花(はな)ももみぢも 山川(やまかは)の きよしうるはし 宮(みや)どころ 三、 こころの花(はな)を うるはしき てわざにみする みやこ人(びと) これぞ御国(みくに)の ひかりよと みてこそあふげ よものくに (原文旧字体

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初代 (2000-2004年)

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ヒュンダイ・サンタフェ」の記事における「初代 (2000-2004年)」の解説

スタイリングカリフォルニア州アーバインのヒュンダイ・カリフォルニア・デザインセンターが担当した北米仕様車ソナタ続いてアラバマ州モンゴメリーのHMMA(ヒュンダイ・モーター・マニュファクチュアリング・アラバマ)にて生産が行われる第2の車種となった。しかし、2011年モデルからは起亜自動車ジョージア州ウェストポイント建設したKMMG(キア・モーターズ・マニュファクチュアリング・ジョージア)に生産移管することになった2009年から稼働した同工場ではキア・ソレント生産が行われている。 エンジンは、韓国仕様車は2.2リットルディーゼルエンジン北米仕様車V型6気筒2.7リットル(デルタエンジン)、および3.3リットルラムダ(λ)エンジン)のガソリンエンジン搭載される。 朝鮮日報で、フロントデザインがインフィニティFX酷似していると指摘され()中国黄海汽車SUV「チション」のフロントデザインがCMサンタフェ酷似しているという報道もある。() 中央日報で、オーストラリア幼児運転手前面押し出したサンタフェCM問題となり、放送禁止処分受けた報じられた。 2005年11月 - 韓国発売NFソナタプラットフォーム流用している。ボディサイズ先代よりも拡大している。北米では2006年1月デトロイトモーターショーデビュー果たした

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初代(1970年-1977年)

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ダイハツ・デルタ」の記事における「初代(1970年-1977年)」の解説

1970年10月ベスタ → V100/V200の後継として、また、ダイナ兄弟車として発表以降第5世代まで発売されるシャシ設計ダイナと共通だが、当時ダイナには設定無かった1.5t級があるうえ、トヨタ製エンジン加えダイハツエンジン搭載された。1.5t級のデルタ1500にはダイハツ FAガソリンエンジンが、2.0t級のデルタ2000ではダイハツ FBガソリンダイハツDGディーゼルエンジン、重積載車にはトヨタB 型ディーゼルエンジン設計一部生産ダイハツ担当)が設定されている。マイナーチェンジガソリンエンジントヨタ製変更され1500トヨタ12R 型、2000トヨタ5R型となる。

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初代(DH型、2016年-2020年)

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ジェネシス・G80」の記事における「初代(DH型、2016年-2020年)」の解説

ヒュンダイ・ジェネシス」も参照 2016年6月開催され釜山モーターショー初公開2016年6月13日予約受付開始2016年7月7日韓国にて正式発表発売開始前身車種ジェネシスであり、G80実質的に同車フェイスリフト版である。 ジェネシスデザイン好評であったため、エクステリア変更最小限とどめられているが、ヘッドライトHIDからアダプティブLED変更されアルミホイールデザイン変更している。 インテリアはセンタークラスタ、シフトノブ、スピーカーグリル、アナログ時計など一部デザイン変更され本木目やアルミニウムをより多く使用して品質高めた。まった、電子式シフトレバースマートフォン無線充電システム装備されAppleCarPlayアプリ使用することも可能になった。 エンジンジェネシスからキャリーオーバーされたV6直噴の3.8Lと3.3Lの2種ラムダ(λ)エンジン加え電子制御式可変容量ターボチャージャー(e-VGT)で過給する2.2Lのディーゼルエンジン選択可能である。 トランスミッションエンジン・駆動方式種別関わらず全て8速ATとなり、ジェネシス同様、FR加えて「HTRAC(エイチ・トラック)」と呼ばれるAWD設定される安全性について抜かりはなく、9つエアバッグ加え高速道路での部分的な自律走行可能な高速道路走行支援システムや、ドライバー集中力低下した際にアラーム休憩勧める注意運転警報システム衝突回避支援システムなどを統括した「Genesis Smart Sense(ジェネシス・スマート・センス)」が新たに装備された。また、車体一般部品の保証期間既存3年6kmから5年10万km延長された。なお、これは以前ジェネシスDH型)にも適用される追って2016年10月にはV6・3.3L・GDIターボエンジン搭載したG80 SPORTスポーツ)」も発売された。レクサスの「F SPORT」やBMWの「M SPORT」などに似た、プレミアムスポーツ的な性格与えられている。 2017年10月16日、スポーツデザインセレクションパッケージが追加されるなど、商品性改善され2018年型発売された。 2018年8月27日、ジェネシスアクティブセーフティコントロール(後側方衝突防止補助後方交差衝突防止補助高速道路走行補助車線離脱防止補助ドライバーへの注意警告ハイビームアシスト、スマートクルーズコントロール)や、カカオ音声認識AIシステム、スマート姿勢制御システムなどが新たに搭載されたされた2019年型が発売された。

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初代(1971年-1979年)

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ダイハツ・デルタ」の記事における「初代(1971年-1979年)」の解説

1971年3月、ニューラインキャブ、およびコンパーノトラックの後継として「デルタ750(セブンハーフ = 750kg積み)」が発売された。トヨタとの提携によりライトエーストラックOEM車となるが、コンソルテや、前述デルタ1500 / 2000とは異なりダイハツエンジンの搭載はなく、トヨタ製3Kエンジンのみの設定であった

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初代(1976年-1982年)

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ダイハツ・デルタ」の記事における「初代(1976年-1982年)」の解説

1976年11月タウンエースOEM車種として「デルタワイドバン / デルタワイドワゴン」が発表される

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初代(1988年4月 - 1990年3月)

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nNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1990年3月)」の解説

前番組NNNライブオンネットワーク』から継承、『プラス1開始時と1990年頃手直しして使用キャスター後ろ壁面に、縦2段横並びテレビモニター複数埋め込まれている。キャスター席は左右にサブキャスター着席し中央徳光立って伝えていた。(土曜日・『日曜夕刊』と『きょうの出来事』では、中央テーブル取り付け左右一体化させていた。)左奥には、編集機材やプロンプタに原稿を映すための機材などが置かれ小部屋があった。

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初代(1988年4月 - 1996年9月)

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nNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1996年9月)」の解説

カラーリングは「NNN(赤) ニュース(青)(改行プラス1金色)」。又統によるデザイン。「NNNニュース」が冠してある。 ロゴ全体傾き気味であることと、「プラス1」の「1」の下線が「プ」の部分まで長く伸びているのが特徴。 1996.04から09までの半年間は週末版には「サタデー」・「サンデー」の文字追加され週末版カラーリングは「NNN(赤) ニュース(白)(改行プラス1金色)(改行サタデー/サンデー紺色)」。

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初代(E-HB、EB、FB12型 1986年-1990年)

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日産・サニーRZ-1」の記事における「初代(E-HB、EB、FB12型 1986年-1990年)」の解説

1986年2月 B12サニー派生クーペとして追加RZ-1名称の由来は「Runabout Zenith No.1」の頭文字から創作され造語。アールズィーワンと読む。 基本シャシーセダンおよび3ドアハッチバック、カリフォルニアステーションワゴン)と共通だが、外板多く専用設計されていた。セダンや3ドアハッチバック、カリフォルニア角張ったスクエア基調デザインをしていたが、それ以上エッジ強調したシャープ外観与えられている。強いスラント角を持ったフロントマスク、ブリスターフェンダー、ラップアラウンドウィンドウ処理されガラスを持つリアハッチゲート乗車定員4名など、セダンおよびハッチバックとは異な個性放っていた。 内装デザイン基本的にセダン・ハッチバックと共通。エンジン当初、E15S型(1.5L 直4SOHC)およびE15ET型(1,500cc直4SOHCターボ)の2種類であったが、1986年8月にCA16DE型(1.6L 直4DOHC)が追加され、「TWINCAMシリーズ」を新たに追加。「"TWINCAM NISMO"」と呼ばれるグレード設定され、これはサスペンションエアロパーツ内装一部変更などを施したスポーツ仕様であり、パワーウィンドウ装備されないスパルタンモデルであった海外輸出は、ほとんどの地域で「セントラRZ-1」として輸出されたほか、欧州では「サニークーペ」として販売していた。内装も、メーター類が200km/h対応の他は日本仕様同一であった1986年2月サニーのクーペモデルとして販売開始1986年8月マイナーチェンジ実施。CA16DEを搭載したツインカムシリーズを追加1987年11月マイナーチェンジ実施フロントグリルやテールレンズの意匠変更およびE15型エンジン廃止しGA15S型、およびGA15E型エンジン搭載。これによりターボモデルは廃止1988年6月、フロントビスカスLSDなどのオプション装備追加1989年6月装備充実させたTYPE Jを追加1989年12月生産終了在庫応分のみの販売となる。 1990年1月事実上の後継車種となるNXクーペ登場に伴いそのまま販売終了

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初代(2019年-、QX0型)

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ヒュンダイ・ヴェニュー」の記事における「初代(2019年-、QX0型)」の解説

2019年4月17日ニューヨーク国際オートショー発表された。北米仕様車には直列4気筒 1.6L Smartstream Gエンジン搭載され、 これにIVTヒュンダイにおけるCVT呼称)が組み合わせられる当初6速MTラインナップにあった販売不振カタログから落とされた。 韓国市場2019年9月から発売開始したオーストラリア市場ではHCアクセント投入見合わせられたため、これらの国々でのラインナップではヴェニューヒュンダイエントリーモデルとなる。

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初代(1993-1999年)

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いすゞ・ジャーニー」の記事における「初代(1993-1999年)」の解説

1993年8月 モデルチェンジ発表1995年8月 マイナーチェンジ平成6年排出ガス規制適合、フロントデザインを変更エンジンターボ付のTD42T型を追加した他、AT車追加された。 初代ジャーニー前期型 標準ボディ 初代ジャーニー前期型 ロングボディ 初代ジャーニー後期型 ロングボディ

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初代(1705年 - 1724年)

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にんべん」の記事における「初代(1705年 - 1724年)」の解説

宝永2年1705年):屋号伊勢屋定め、伊兵衛名乗る伊勢屋兵衛資金貸与する代わりに加賀藩主前田綱紀の干肴御用譲り受ける宝永5年1708年):前田綱紀三女敬姫池田吉泰婚礼前田吉徳徳川綱吉養女松姫因幡御前)の婚礼際し御用与る享保3年1718年):大坂須磨三郎右衛門岩田屋喜兵衛からの仕入ルート開拓する享保5年1720年)春:瀬戸物町現在地)に出店支配人源兵衛を置く。 越後屋などと同様「現金掛け値なし商法取り入れる。 享保6年1721年12月10日大火類焼し土蔵造り建て替える以降関東大震災まで焼失免れる同業問屋4軒・仲買65名が結託して仕入妨害試みるが、予め大坂熊野在庫取置き対抗する享保7年1722年):瀬戸物町店を本店定め小舟町店は源兵衛与える。 享保8年1723年):前田吉徳家督相続際し御用与る前田綱紀養女長姫(神田御前)と酒井忠寄婚礼際し御用与る享保9年1724年5月9日:初代伊兵衛前田綱紀葬儀のため前田家中屋敷(現・文京区本駒込)に向かう途中中風倒れる。以降経営傾き始める。

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初代(グランド・アベニュー・パーク)

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スポーツマンズ・パーク」の記事における「初代(グランド・アベニュー・パーク)」の解説

1875年5月6日セントルイス一画にグランド・アベニュー・パーク(Grand Avenue Park)という野球場開場。ナショナル・アソシエーション・リーグに1875年誕生したセントルイス・ブラウンストッキングス本拠地となったナショナル・アソシエーションがその年限りで消滅すると、このチームは翌1876年からナショナルリーグ移籍した。このときに球場名がスポーツマンズ・パーク変更された。ブラウンストッキングスは1877年シーズン終了後球団解散した1882年、アメリカン・アソシエーション・リーグが発足セントルイスには前述チームと同じ名前のセントルイス・ブラウンストッキングス(現セントルイス・カージナルス)というチーム誕生した。ブラウンストッキングスはスポーツマンズ・パーク改修し本拠地として使用した。ブラウンストッキングスは翌1883年チーム名セントルイス・ブラウンズ改め1892年にはナショナルリーグ移籍した。そしてこの年までは初代スポーツマンズ・パーク(グランド・アベニュー・パーク)を本拠地にしていた。

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初代(1983年 - 1996年)

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雙龍・コランド」の記事における「初代(1983年 - 1996年)」の解説

1983年登場当初は巨和時代から引き継いだ2ドアボディのみであったが、のちにいすゞ・ビッグホーンベースとしたライセンス生産派生車種「コランド・ファミリー」も追加された。エンジン当初2.2Lディーゼルエンジンだったが、のちにメルセデス・ベンツ製の2.3Lに換装されている。また、コランドK9呼ばれる9人乗り仕様もあった。

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初代(CV型、2021年 - )

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キア・EV6」の記事における「初代(CV型、2021年 - )」の解説

2021年3月15日一部概要公開され同年8月2日韓国にて正式発表内外装新しデザインテーマである「Offerjit United」に沿ったものとしつつ、エクステリアは「Power to Progress」というテーマ与えられており、韓国ドイツアメリカの各デザインスタジオ共同手掛けている。 他KIA車種同様、「タイガーノーズグリル」を昇華させて採用しKIAファミリー一員であることを強調している。 アウタードアハンドルはGV60同様の自動格納式採用している。 ベースとなったアイオニック5同様、EV専用RRプラットフォーム「E-GMP」を採用しAWD用意されるパワーユニットであるモーター2WD場合、168kWの最高出力と350Nmの最大トルク誇り満充電時の航続可能距離は451kmを可能とする。モーター2WDモデルが1基、AWDモデルが2基を搭載し後者2WDAWD自由に切り替えられる「ディスコネクターアクチュエータシステム(DAS)」を採用バッテリー容量はいずも77.4kWhを誇る。-

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初代(1994-1999年)

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フェラーリ・F355」の記事における「初代(1994-1999年)」の解説

1994年5月マラネッロフェラーリ本社にて発表された。「F355」の名称は排気量約3,500cc、5バルブ搭載エンジン由来するクーペベルリネッタボディスタイリング先代348シリーズ続きイタリアカロッツェリアピニンファリーナ」が手がけ、348ライン受け継ぎながらも、フィンなどの突起廃し曲線的なデザイン採用している。なおクーペモデルのトンネルバックスタイルは本モデル最後にデザイン変更された。 348シリーズ採用されたセミモノコックフレーム構造継承され、より改良されたものが採用された。 縦置きに搭載されエンジン5バルブ化され新開発90度 3,495cc V型8気筒DOHC「F129B」型で、ボッシュ社のモトロニック(前・中期型はM2.7、後期型はM5.2)で制御され最大出力380PS/8,200rpm、最大トルク36.7kgf·m/5,800rpmを発生ギアボックスフェラーリ初の6速MT。高回転化に対応するべく、鍛造アルミピストンチタンコンロッドなどの贅沢な材料多く使用されていた。また、回転化は数値だけでなく、フェラーリの持つ魅力のひとつである「音色」にも貢献し348比較して、より官能的なエキゾーストノート奏でることが可能になった。 角型2灯式のリトラクタブル・ヘッドライトテールエンド空力意識してダックテール状に処理されている。テールランプ348四角異形タイプかフェラーリ伝統丸型4灯に変更されている。 ボディタイプ当初前述の「ベルリネッタ」、デタッチャブルトップタルガトップ)の「GTS」の2種類で、1年後1995年4月電動ソフトトップ持ったフルオープンボディの「Spider」が追加された。日本輸入され車両多くはベルリネッタボディだった。 横置きされるトランスミッション当初リジッドロッド式の6速MTのみだったが、1997年マニエッティ・マレリ社と共同開発したパドルタイプの2ペダル・セミオートマチックシステムである「F1マチック」搭載車追加され、よりイージーフェラーリドライブ楽しめるようになった足回り前後ともダブルウィッシュボーン式電子制御式可変ダンパー装着しており、「スポーツ」と「コンフォート」の2種類プログラム選択できるまた、ホイール径も18インチにサイズアップが図られフロント225/40ZR18、リア265/40ZR18のピレリ製ハイグリップラジアルタイヤが設定された。 エクステリアパワーユニットといったメカニズム注目が集まるが、F355は内装従来型比べ改良され、F355でフェラーリ採用となったレカロシートあいまって、より近代的なドライビングポジション取れようになったシートポジションや運転席SRSエアバッグ標準装備化、前面本革覆われダッシュボードなど、質実ともに向上したまた、パワーアシスト付きステアリング標準仕様になっていた(レスオプション可能だった)。 日本には1994年に正式輸入開始された。当時販売価格それぞれベルリネッタが1,490万円GTSが1,550万円Spiderが1,625万円だった。 1997年コーンズは、フェラーリビジネスパートナーとなって20周年迎えた記念として、フェラーリによって製作され20台のF355「コーンズ・スペシャル・エディション」を販売した内訳は、ロッソコルサ/ネロ7台、ロッソフィオラノ/ネロ6台、ブルーツールドフランス/タン7台である。 1999年後継車360モデナ発表し生産・販売終了する2010年6月30日燃料パイプ不具合による火災恐れがあるということで、Ferrari Japan国土交通省リコール回収無償修理)を届け出た

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初代(スラット)

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レオ・ザ・ライオン」の記事における「初代(スラット)」の解説

創業開始当初ロゴで、1924年 - 1928年まで使用された。設立当時は、サイレント映画主流だった為、後述する他のライオンとは異なり後述する静止画以外では唯一吠えないライオンロゴである。

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初代(1993年 - 2002年)

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光岡・ビュート」の記事における「初代(1993年 - 2002年)」の解説

ベース2代目マーチ。「1000cc」と「1300cc」が設定され内装オプション木目パネルによる加飾革張りシートなどが用意されていた。駆動方式FFのみ。 ボディタイプ4ドア / 2ドアセダン、3ドア / 5ドアハッチバック、2ドアコンバーチブル / ロードスターの6種類グレード最初期のベースグレード、ベーシックデラックス3種類。また、上記の独自オプション仕様のほか、長寿だったベース車両マイナーチェンジ合わせて多く仕様違いカラーバリエーション存在する

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初代(1983年 - 1988年)

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スズキ・カルタス」の記事における「初代(1983年 - 1988年)」の解説

詳細スズキ・セレリオ#2代目2014年-)を参照 2017年4月パキスタンセレリオ現地仕様車がカルタスの名称で発売パキスタンでは2016年まで2代目カルタス製造されており、その後継となる。

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初代(通称「白筺体」)

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ミュージックガンガン!」の記事における「初代(通称「白筺体」)」の解説

画面サイズ32インチで、画面上部に2基のスピーカー搭載している。

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初代(しょだい)

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ゆうやみ特攻隊」の記事における「初代(しょだい)」の解説

心霊探偵部霊感2号前代。額に×字型の傷がある。既に殉職しているため本編では2号回想登場したのみである。殉職原因不明

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初代(1965年 - 2012年)

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大名古屋ビルヂング」の記事における「初代(1965年 - 2012年)」の解説

東海道新幹線開通後まもなく名古屋駅桜通口正面竣工し以来、その存在感特徴ある「大名古屋ビルヂング」の看板掲げられているため、全国的に知名度の高い建物一つとなっている。建物形状よりも、名称が知名度アップ貢献している好例であるが、名古屋市民の間では有名であるものの、全国的に有名なビルであるという意識は低いといわれる古く伊勢湾台風起こった1959年遡る当時東京駅周辺ビル管理を手がけていた三菱地所は、かねてから地方進出機会伺っていた。そんな中当時三菱地所社長渡辺武次郎被災直後名古屋訪れた際、その被害の惨たんたる状況から、地方進出第一号として名古屋駅前に大型ビル建設することを決めた1965年5月完工記念式典配布されパンフレットには、『伊勢湾台風災害御見舞まいりましたであります名古屋駅に着く前、汽車の窓から見ますと、罹災後1ヶ月経ているのに一面に海のようにまだ溜まっており、人々戸板乗って家から出入りしておりました。(中略ひとつここに耐震不燃高層ビルヂング決意致したであります』と、その経緯記されている。 全体完成1965年であるが、1962年ビル正面中央部分1963年ビル左側部分1965年ビル右側部分と、三段階に分けて完成させている。かつて屋上左側には象徴的な球形回転型ネオンサイン広告主森永製菓コカコーラ)が備え付けられていたが、2007年秋頃に撤去され2008年4月から土岐プレミアムアウトレット看板設置されていた。屋上右側には六角形広告広告主三菱電機)も取り付けられたがこちらは球形広告より先に撤去され、後に三陽商会広告設置された。 地下1階飲食店等入居し、「ダイナード」の愛称付けられていた。ユニモールメイチカなどとも繋がり実質的に名駅地区地下街一部となっていた。屋上には、毎年5月 - 9月上旬期間限定営業されるビアガーデンマイアミ」があり、夏になると賑わい見せた2004年度都道府県地価調査では、大名古屋ビルヂングが9.9%上昇して商業地の上昇率において全国1位を記録した大名古屋ビルヂング2005年左上コカコーラ球体広告見える。

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初代(1980年-1995年 type 14)

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フォルクスワーゲン・キャディ」の記事における「初代(1980年-1995年 type 14)」の解説

初代ゴルフピックアップトラック仕立てたもの。 北米へはラビット・ピックアップとして輸出された。ラビット北米でのゴルフの名称。 トラックキャンパーを搭載したキャディ トラックキャンパーを搭載したキャディ ラビットピックアップ 北米仕様 ラビットピックアップ 北米仕様

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初代(1998年-2006年)

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スズキ・XL7」の記事における「初代(1998年-2006年)」の解説

1998年2代目エスクードベースホイールベース延長し、H27A型V型6気筒2.7Lエンジン搭載した3列シートSUVとして登場日本ではグランドエスクードとして発売された。

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初代(1999年 - 2004年)

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トヨタ・レジアスエース」の記事における「初代(1999年 - 2004年)」の解説

H100系 1999年7月5日登場同年8月ハイエース・レジアスマイナーチェンジで、レジアスツーリングハイエース分離されるのを前にそれまでトヨペット店ビスタ店(現ネッツ店沖縄県沖縄トヨペット扱い)で併売されていたハイエーストヨペット店専売切り替わり当時ライトバン扱いなくなったビスタ店向けの姉妹車として投入された。機構的に4代目ハイエースと同じであるが、レジアスエースではバンのみの設定となっている。 2000年12月1日一部改良。2.0Lガソリンエンジン車にCDルートバンと、スーパーロングバン及びコミューターに2.4Lガソリンエンジン・2RZ-E型を追加従来の2Lガソリン車ラインアップ11タイプ拡大した。これにより、ガソリン車ラインアップ従来18タイプか31タイプとした。 また、福祉車両カラードバンパーやカラードラジエーターグリルを標準装着した上級タイプ車「タイプVII」を追加設定し、全車後部ドアの開閉補助する「バックドアイージークローザー」を標準装備したほか、車椅子3点式シートベルト調整可能アンカー装備するなど機能性安全性の向上図った2001年8月3日一部改良スーパーGLステアリングワゴン用になり、スーパーGLより若干装備落とされスーパーGL-E追加。同グレードには5ドア設定されていた。標準タイプスーパーGL新車体色設定するとともに、バックドアガーニッシュの採用シート表皮変更するなどして、質感向上したまた、ハイルーフのみの設定であった日本RV協会 (JRVA) 加盟ビルダー向けの“キャンパーベース・スーパーロング”にロールーフが追加され2004年まで発売された。 2002年8月一部改良。3.0Lディーゼルエンジン搭載車にエンジンアンダーカバーや吸音材追加最新車外騒音規制クリアした。なお、全ディーゼル車同年10月施行され自動車NOx・PM法適合しないため、特定地域内での購入ができなくなった装備ではスーパーGLには、アンサーバック機能備えたワイヤレスドアロックリモートコントロールを採用して利便性の向上を図ったまた、福祉車両ウェルキャブ車いす仕様車はデュアルエアコンを標準装備したほか、10乗りタイプVIIIを追加設定した。 2003年7月22日一部改良ガソリンエンジン新開発の1TR-FEに変更し出力性能向上させるとともに環境性能高め平成13年規制適合同時に良-低排出ガス認定(☆)を受ける。また、自動変速装置電子制御式ECT)を採用滑らかな変速感も実現した2004年4月ネッツ店への統合により、ネッツ店扱われる。(同店でのキャブオーバーワンボックスカーは1996年ライトエースフルモデルチェンジ以来同年8月にはフルモデルチェンジが行われたため、初代モデルネッツ店での扱い短期間であった2004年7月生産終了在庫応分のみの販売となる。 2004年8月2代目入れ替わる形で販売終了

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初代(開始当初 - 1964年9月)

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ナショナル劇場」の記事における「初代(開始当初 - 1964年9月)」の解説

この代のみモノクロ切り絵アニメ思われるもので、ナショナル坊や世界を回るという内容になっている

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初代(GC系 1982年-1987年)

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フォード・テルスター」の記事における「初代(GC1982年-1987年)」の解説

初代テルスター マツダ新し販売網として設立されオートラマ店専売車としてレーザーとともに販売開始4代目カペラベースとしたボディ4ドアセダンとTX5と呼ばれる5ドアハッチバックの2タイプ用意された。エンジンは1.6L&1.8L&2.0Lの直4ガソリンエンジン設定1982年10月 - 新発売。この年カペラともども日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞した1983年11月 - TX5に2.0Lターボが、セダンに2.0Lディーゼル追加1985年5月 - マイナーチェンジエンジン性能の向上。

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初代(2008年-2014年)

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スズキ・セレリオ」の記事における「初代(2008年-2014年)」の解説

2008年パリモーターショーにて発表された。同年12月インド発売開始2009年4月から輸出開始された。ヨーロッパなど大半地域で「アルト」として、インドでは「Aスター」として発売されフィリピン南アメリカ北アフリカなど一部地域で「セレリオ」の車名使用された。 また、日産自動車にもヨーロッパ市場向けに日産・ピクソとしてOEM供給が行われた。ピクソはアルト/セレリオ異なヘッドライトおよびフロントグリル与えられている。 アルト/セレリオ外観2008年1月ニューデリーオートエクスポ出展された「Aスターコンセプト」に基づいている。トヨタ・アイゴなどと同様にリアドア嵌め殺し窓採用されているが、一部モデル三角窓設けられスライド可能になっている。 エンジンは1.0L 直列3気筒のK10B型エンジン搭載され5速MTおよび4速ATが組み合わせられた。 生産マルチ・スズキ・インディアマーネーサル工場集約され世界各国輸出された。中国仕様車のみ重慶長安スズキ生産されている。 日本国内でも、メーカーテスト目的至極少数輸入登録されディーラー貸与され欧州仕様右ハンドル車目撃されている。 Aスターコンセプト アルト欧州仕様フロントアルト欧州仕様リア

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初代(SC57)

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ホンダ・CBR1000RR」の記事における「初代(SC57)」の解説

2004年仕様 - 3月31日CBR954RR後継モデルとして以下のカラーバリエーション発売された。 ██ウイニングレッド ██フォースシルバーメタリック ███パールフェイドレスホワイト 2005年仕様 - マイナーモデルチェンジによりMotoGPワークスチームレプソルホンダRC211V同一色が限定車として発売されカラーバリエーションが以下のように改められた。ハザードランプ標準装備した。 ██CBR1000RRSpecial Edition ██ウイニングレッド ███パールフェイドレスホワイト ██キャンディタヒチアンブルー

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初代(1999年-2011年)

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日野・デュトロ」の記事における「初代(1999年-2011年)」の解説

1999年5月 製造開始テレビCMにはともさかりえ出演ダイナトヨエースとの違いは、1トン級の設定が無いこと、運転席エアバッグ標準装備となること(ダイナトヨエース2004年標準装備された)。ルートバンのBピラー以降はH100系ハイエースからの流用2002年6月 マイナーチェンジ。フロントデザインが変更され、ミラーステー下に配置されていたターンシグナルランプヘッドランプ内に移設されるなどの変更受けた2003年11月、2トントラック初のハイブリッド車として、日野HIMRシステムベースとしたパラレルハイブリッド方式のデュトロ・ハイブリッドを追加2006年9月マイナーチェンジの際、新長期排出ガス規制値比NOx・PM10 %低減、及びHINOブランド意匠グリル変更アイシン精機(現:アイシン)製のオートマチックトランスミッション6速となり、トルクコンバーターステップAT(有段AT)を装備する2トン小型トラックでは最多段数となる。 ギアポジションは、P、R、D、D4321の5ポジションである(表示変えMC前のシフトレバー周りそのまま使用)。オーバードライブボタンは「D5表記となる。 エンジン4.0 LのN04C統一2WDフロント独立懸架車のサスペンションスプリングトーションバーからコイル変更海外では300シリーズの名前で販売されている地域もあるほか、国内向けとはフロントグリル異なっている。インドネシアでは、マイクロバスモデルが販売されている。 運転席 ルートバン(中期型ハイブリッド主要部 標準幅・LPG車ヤマト運輸デュトロ 110 バスインドネシア販売されているデュトロにバスボディを架装したマイクロバスモデル) 海外仕様国内とのフロントグリル違い一例インドネシア仕様

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初代 (1990-1992年)

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インフィニティ・M」の記事における「初代 (1990-1992年)」の解説

インフィニティ最初販売車としてQ45とともに販売開始された、インフィニティ初の2ドアクーペである。レパードF31)の姉妹車であり、VG30Eエンジンのみを搭載1991年からASC社(American Specialty Cars)と共同開発したコンバーチブルモデルも追加した1992年販売終了し同じくレパードレパードJフェリー)と姉妹車J30後継に当たる。ただしJ30はM30と異なりセダンで、クーペやコンバーチブルモデルは設定されなかった。 M30は、レパードとは異なりサンルーフ全車標準装備されるなど装備充実していたためメーカーオプション存在せずまた、スポーティーモデルの「M30s」や、コンバーチブル含めてトランスミッションはRE4R01A型電子制御4速ATのみであったため、販売不振終わり、最も売れなかったインフィニティモデルとされている。 また、当時マキシマ装備されていた、ソナーサスペンションII装備されフロントバンパー取り付けられたソナーモジュールによって路面スキャンし、サスペンション調節された。また、それによってスポーツモードとコンフォートモードが選択できた。 生産日産自動車追浜工場

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初代(1960-1961年)

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ダッジ・ダート」の記事における「初代(1960-1961年)」の解説

ランサー後継として登場エンジンは3.7L・6気筒の「スラント6」ならびに5.2Lもしくは5.9LのV8エンジン用意されボディバリエーション4ドアセダンステーションワゴン、2ドアセダン、2ドアハードトップと実に幅広い設定であった1961年改良されエクステリアはヴァージル・エクスナー(en:Virgill Exner)がデザインしたが、凹凸特徴グリル視認性に劣るリヤコンビネーションレンズをはじめとして、非常に不評であり、結果として1960モデル比べて大幅に販売台数を落とすことになってしまった。

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初代 (2001-2017年)

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雙龍・レクストン」の記事における「初代 (2001-2017年)」の解説

4WDシステムはトルク・オン・デマンド式を採用(かつていすゞのSUV使われていたタイプとほぼ同等)。 2001年8月販売開始、2900cc ディーゼルエンジン120馬力)を搭載2001年11月:3200cc ガソリンエンジン220馬力搭載車追加2003年7月:新グレード「XJ290」を追加2003年12月一部改良、2700cc XDiエンジン170馬力)を搭載2005年4月一部改良、2700cc NEW XDiエンジン176馬力)を搭載2006年3月マイナーチェンジ、名称を「レクストン II」に改称。2700cc XDi XVTエンジン191馬力)を搭載2007年10月一部改良、名称を「レクストン II ユーロ」(スーパーレクストン)に改称。2700cc XDi XVTエンジンCDPFシステム搭載186馬力)を搭載2012年5月:ビッグマイナーチェンジ。新開発の2.0Lコモンレール式ディーゼルエンジン「e-XDi200 LETLow End Torque)」+5AT搭載し、名称を「レクストン W」に改称。尚、「W」は「Work of Art」の頭文字で、「新たに誕生したニュープレミアムSUV」を意味する2017年5月後継車種「G4レクストン」の登場により在庫のみとなり、完売したため終了

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初代(1988年-1993年 シリーズ通算7代目 S80/82W系)

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ダイハツ・ハイゼットデッキバン」の記事における「初代(1988年-1993年 シリーズ通算7代目 S80/82W系)」の解説

初代ハイゼットデッキバン(1992年改良型) アトレーデッキ コスミックルーフ 1988年7代目ハイゼットバンの荷室部分切り取り4人乗りトラックしたものである。 ハイゼット・デッキバンの派生としてアトレーデッキが限定車として登場したターボEXベースとしガラスサンルーフ回転対座シート備えている。 1990年4月マイナーチェンジで(当時の)新規格に対応。全長100mm延長されエンジン全車547ccのEB型から659ccのEF型変更となる。

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初代(M100型/M150型、1998年-2005年)

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GM大宇・マティス」の記事における「初代(M100型/M150型、1998年-2005年)」の解説

初代マティス3代目スズキ・アルトベースにしたティコ後継車として1998年デビューしたジウジアーロデザインしたボディは元々はフィアット車向けにデザインされたといわれている。エンジン3気筒800ccで、これはスズキ製F8Cエンジン改良型搭載されている。ヨーロッパ中心に輸出され、140台以上も売れた2002年にはマイナーチェンジが行われ(M150型)、外装変更になった韓国ではCVT仕様追加されたが、日本ではトルクコンバーターオートマチックのままであったまた、日本チューナートミーカイラが、同車ベースにしたコンプリートカー、「トミーカイラm08」を発売したことがあった。 中国ではGMグループの上通用汽車によって楽馳(Lechi)として現在も製造・販売が行われている。仕向地によっては、シボレーブランドからスパーク車名販売されていた。

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初代(1997年-2003年)

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ヒュンダイ・アトス」の記事における「初代(1997年-2003年)」の解説

欧州Aセグメントサイズのトールワゴンとして1997年発売開始された。搭載されエンジン全て直列4気筒のイプシロンファミリーで、韓国仕様当時のキョンチャ(韓国版軽自動車規格に収まるようにG4HA型0.8Lが搭載され、他のアジア諸国向けにもラインナップされたが、ヨーロッパなどにはG4HC型1.0LやG4HG型1.1Lがラインナップされた。 マレーシアでは政府から「国産車メーカー認定受けたイノコム自社ブランド車としてアトス生産行った1999年4月15日韓国キア・ヴィスト (Kia Visto) が発売開始された。アトス全高若干下げて5ドアハッチバックボディにした車種であるが、1998年傘下収めた起亜自動車ラインナップ拡充のためにヒュンダイブランドではなくキアOEM供給投入することになった。キョンチャとして販売されたヴィストには2000年に0.8Lターボ追加されている。また、ヴィストは韓国以外にインドネシアでも製造・販売が行われた。 このハッチバック海外向けにはヒュンダイ・アトスプライム (Hyundai Atos Prime) として投入された。また、インドではサントロの名称で発売され同国におけるヒュンダイ急速なシェア拡大大きく寄与したトールワゴンアトス2002年12月販売終了し2003年12月にはヴィストも販売終了した韓国国内におけるアトス/ヴィストの系譜2004年デビューのヴィスト後継車種モーニング(輸出名:ピカント)に受け継がれることとなる。その後キアでは日本いうところのスーパーハイト軽であるレイ出していた一方でヒュンダイ2021年CUVキャスパー投入するまでの実に19年韓国のキョンチャ市場から撤退していた。 ヒュンダイ・アトス キア・ヴィスト

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初代(1997-2002年)

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フォード・エクスペディション」の記事における「初代(1997-2002年)」の解説

1996年(97MY)にフォード・ブロンコ後継車として登場。4.6Lと5.4LのV8OHVエンジン搭載した強靭なラダーフレームを持つフルサイズSUVである。2ドアモデルのみであったブロンコとは異なり4ドアモデルのみが発売された。かつては近鉄モータース正規輸入していたこともあった。

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初代(BH型、2008年-2013年)

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ヒュンダイ・ジェネシス」の記事における「初代(BH型、2008年-2013年)」の解説

ヒュンダイ自社独自開発したとされるものとしては初となるFR乗用車であり、開発にあたって他社高級乗用車、特にレクサス・GSインフィニティ・Mなどがベンチマーク参考目標)とされた。製造は、韓国蔚山ウルサン工場内に新設され専用ライン行われるボディサイズ全長4975mm/全幅1890mm/全高1480mmで、素材高張力鋼使用し接合には接着剤スポット溶接との併用によってベンチマークとされる車種よりもねじり剛性1214%向上しているという。 エンジン自社独自開発V6・3.3L(262馬力・32.2kgm)と3.8L(290馬力・36.5kgm)のラムダ(λ)エンジン。更に北米仕様車同じく独自のV8・4.6L(375馬力タウTAU、τ)エンジンが加わる(韓国仕様車は3.3Lと3.8Lのみ)。 トランスミッションは、前期場合3.3Lと3.8L車がアイシンAW製の6速、4.6L車はZF6速のAT、後期型両方ともヒュンダイ製8速AT。 その他スマート・クルーズ・コントロール(レーダークルーズコントロール装備されないグレードもある)やアダプティブ・ヘッドランプ(AFS)やスマートエントリーレキシコン製のオーディオなどといった装備も奢られている。 2009年北米カー・オブ・ザ・イヤー乗用車部門韓国メーカー車として初め受賞している。 ヒュンダイによる高級車としては、三菱自動車との提携によるエクウス初代モデル輸出センテニアル)(日本ではプラウディア」及び「ディグニティ」として2001年まで製造・販売されていた)がある(さらにその源流と言える車種として、デボネア2代目3代目モデルベースとなるグレンジャー初代・2代目モデルや、グレンジャー2代目モデルの上グレード車として開発されダイナスティがあった)。エクウスは主に韓国本国中東諸国などで販売され日本欧米には輸出されていないまた、エクウス2代目モデル本車ベースとし、欧米などへは「ジェネシスプレステージ」の名称で輸出される見通しであると報じられている。 アメリカでの販売については、そのリスク大きさ危惧する意見がある。原油価格高騰サブプライムローン問題などの影響2008年度には乗用車市場の縮小予想されていることに加えトヨタ自動車レクサスホンダアキュラのような独立した高級ブランド展開することなく高級車販売試みることの困難さ指摘されている。ヒュンダイこれまで自社製品を「日本車安価な代用品」と位置付けていたため、ディーラー網未整備であり、自前単独販売店数少ない雑多な自動車展示場2番手・3番手以下のブランドとして販売されている現状は、高級車イメージとは相反するというわけである。 自動車評論家国沢光宏自身公式ブログにおいて、2007年12月時点において日本市場へは投入されない模様であり、それを理由日本自動車評論家による試乗さえもシャットアウトされていると主張している。その一方で福島県郡山市にあるヒュンダイディーラーの公式ブログでは検討中あるらしいとの記述があり(ヒュンダイ日本法人によってテスト用に日本持ち込まれているとの記述もあった)、さらに韓国ニュースサイトが、次いで産経新聞2009年日本でも発売する報じられたが、ヒュンダイ乗用車販売大型商用バスユニバース販売継続するという)の日本市場からの撤退により、正規輸入発売可能性消滅している。但し、並行ながらも日本においてはクーペの項で記述されている「ジェネシス・ジャパン PROJECT」により、2012年4月より購入が可能となっている。 2011年3月7日マイナーチェンジ内外装リフレッシュさせ商品力を向上させた。エクステリアについてはヘッドライト、リヤコンビレンズ、バンパー変更全長は10mm延びて4.985mmとなったエンジンについてV6・3.3Lと3.8Lという排気量そのままに、GDi換装することで出力環境性能を向上。同時にトランスミッション自社開発の8速ATに切り替えた2011年5月17日後述にもあるとおり2009年ソウルモーターショー出品後、試験的に3台製作された「ジェネシス・プラダ」(GP(=Genesis PRADA500)がマイナーチェンジ後のモデルベース限定発売された(2012モデル2011年5月17日発表2013モデル2012年9月25日発表。各600台)。インテリアコーディネイトはプラダ担当しシート素材同社バッグと同じサフィアーノを採用している。ボディカラー3層コート処理され専用色の「ブラックネロ」「ブルーバルティコ」「ブラウンモロ」を用意2013モデルでは「ブラウンモロ」は廃止されて2色)。エンジンはこのモデル専用設定されるエクウスリムジン用V8・5.0Lτ(=タウ、430PS、52.0kg・m)を搭載するが、2013モデル版については、これに加えてV6・3.8LのGDi(GP380)も用意される。尚、プラダとのコラボレーションの証として、生産番号記されたシリアルプレートがプラダ全車に備わる。 後期 フロント 後期 リヤ

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初代 (1993-2011年)

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雙龍・ムッソー」の記事における「初代 (1993-2011年)」の解説

2018年韓国レクストン スポーツとして発表され同年ジュネーヴ・モーターショーデビューしたモデルにムッソーの名が復活。ロングホイルベース版は「ムッソー グランド」(韓国名:レクストンスポーツ カーン)を名乗る

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初代(1999年-2007年モデル)

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シボレー・シルバラード」の記事における「初代(1999年-2007年モデル)」の解説

C/Kシリーズ後継として登場デザインはC/Kシリーズ強く受け継いだのだったが、ボディ丸み帯びた。C/Kと同様にCHEVROLET」と後ろ大きく書かれデザイン仕様も多い。プラットフォームはGMT800系が採用されている。 2001年モデルで、フォードのスーパーデューティーに対抗するため、さらに大型化させたヘビーデューティーシリーズを導入後輪左右2輪ずつある3500シリーズや8.1Lエンジン搭載したものもあった。2002年モデルフェイスリフトし、シルバラードはより攻撃的なフロントマスクになった。そして2代目導入された後も、「クラシックシリーズ」としてしばらく生産継続された。 2002年モデルからクワドラステアがオプション設定された。これはデルファイ開発した四輪操舵機構であり、トラック回転半径大幅に減らし牽引時の車線変更改善した。しかし、この高価なオプション販売低迷したため、GM2005年以降クワドラステアを全ラインアップから落としたちなみに後期仕様ヘッドライト形状からCat eyeキャットアイ、英語で猫の目という意味)と呼ばれることがある同時期に販売されフォード・F-150 SVTライトニングダッジ・ラム SRT-10に対抗するために、SSTコンセプト発表した。6.6lエンジンベースチューニング施したものが搭載され最高出力は487psを発揮足回りトランスミッションコルベットのものが使われ車高調機能付きエアサス装着している。2003年にこれと同時期に発表したSSコンセプト2003年モデルとして発売した出力は345hpに抑えられている)。

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初代(1992-2007年)

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ルノー・トゥインゴ」の記事における「初代(1992-2007年)」の解説

1992年9月モンディアル・ド・ロトモビルパリモーターショー)にて発表され、翌1993年より欧州内で販売開始された。当時ルノー社内デザイナーで、後にデザイン担当役員務めるパトリック・ル・ケモン(Patrick le Quement)による斬新なデザインを持つ小型車として登場したが、そのデザインは、初代のホンダ・トゥデイ元にしているといわれており、ルノーもこれを否定していない。プラットフォーム既存車種流用しない専用設計で、4本のホイール車体の隅に追いやることで車体大きさ似合わない広い室内空間確保し、後席のスライドや座面ごとの跳ね上げ、前席を倒してフラット化など、多彩なシートアレンジ実現した。しかしスペース効率徹底した弊害として右ハンドル仕様用意されなかった。 駆動方式前輪駆動のみ。短いノーズには当初はR8以来C3GOHVガソリンエンジン通称クレオンユニットの1238cc仕様が横置きで搭載されその後1997年に1148ccのD7F型OHCエンジン置き換えられた他、2001年には16バルブ高出力なD4F型エンジン加わった変速機当初一般的な5段MT2ペダルMTの「easyイージー)」の2種類用意された。このイージー人為的な変速操作に対して自動クラッチ操作が行われるもので日本ではAT限定免許での運転も可能だが、ATモード無くMT同様に常に人間の手による操作と足によるアクセル踏み加減の調整を必要としており、運転感覚MTのそれに近い。またこのシステムトラブル多く後年リコール対象にもなっている。構造も3ペダルMT大差ないことから、クラッチペダル後付けして完全なMTにしてしまう改造が行われた個体も多い。2001年からは「クイックシフト5」と呼ばれる新たなATモード付きシーケンシャル5MT登場、ATモード切り替えることでイージーの様な手動操作から開放された。他に本国ではトルクコンバータ式のATも用意されていたが日本へは正規輸入されていない生産期間1993年から2007年までと非常に長いが、マイナーチェンジは6回に渡り行われ登場時の仕様である1stコレクションから生産終了時の7thコレクションまでに分けられる1998年4thコレクションへの変更カラードバンパー採用ヘッドライト・テールライト意匠小変更、ダッシュボード形状変更助手席エアバッグ採用などが行われており、これ以前前期型、これ以降後期型へと大別出来る。

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初代(1964年-1984年)

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日野・レンジャー」の記事における「初代(1964年-1984年)」の解説

1964年昭和39年7月、KM300型として登場発売当初は3.5t積であったハイ・ロー共用点灯式の2灯ヘッドランプ採用1964年昭和39年12月ロングホイールベースのKM340系を追加1967年昭和42年11月マイナーチェンジ。コーナーランプを移設し、フロントグリルデザイン変更(コーナーランプ・ヘッドランプのベゼル一体化)。 1968年昭和43年)、キャブドアを後ろヒンジ前開きから、前ヒンジ後ろ開き変更1969年昭和44年11月、ビッグマイナーチェンジ。フロントグリル・コーナーランプのデザイン変更ヘッドランプが4灯化される1978年昭和53年11月マイナーチェンジエンジンを110psのDQ100型に変更しハイバックシートサイドミラー大型化など安全性高めた1980年昭和55年昭和54年排ガス規制適合する形でK-KM系に変更ネーミングレンジャーKMからレンジャー3M変更される。これは同年3代目レンジャー登場の際にレンジャーKLからレンジャー4D変更されたのに合わせたためである。 1982年昭和57年グリルシルバー縁取りRANGER 3Mエンブレム取り付けられ同時期の3代目レンジャー似せたデザインになる。 3.5t積の初代レンジャー2代目KL型の登場後継続生産されデーキャブレンジャー後述)の登場まで20年わたって生産された。

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初代(1918年~1945年)

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福岡県立図書館」の記事における「初代(1918年1945年)」の解説

1915年大正4年10月福岡県議会では大正天皇御即位記念事業として福岡県立図書館設立することが議決された。1918年大正7年3月には天神現在の中央区天神5丁目)に福岡県立図書館落成し5月1日から無料閲覧開始した建物木造2階建、延492坪、書庫煉瓦造3階建、延120坪だった。開館時蔵書数和洋25,000冊だった。 太平洋戦争中1945年昭和20年6月19日起こった福岡大空襲では福岡県立図書館焼失した6月30日には福岡県中学修猷館に仮事務所置いて業務再開している。

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初代(X3型、1994年-1999年)

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ヒュンダイ・アクセント」の記事における「初代(X3型、1994年-1999年)」の解説

1994年エクセル後継車種として登場いくつかの地域ではエクセル(例:オーストラリア)またはポニーの名称で販売された。韓国国内ではボディタイプによって名称が違い4ドアセダンは「アクセント」、5ドアハッチバックは「ユーロアクセント」、3ドアハッチバックは「プロアクセント」と言う名称で販売されていた。エンジンは1.3リッターSOHC12バルブ1.5リッターDOHC16バルブ、1.6リッターDOHC16バルブのアルファエンジンであった中国では傘下起亜自動車現地合弁である東風悦達起亜汽車にて生産が行われ、「千里馬」(Qianlima)の名称でキア車として2003年から2006年まで販売が行われていた。

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初代(1996年-1999年)

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光岡・レイ」の記事における「初代(1996年-1999年)」の解説

1996年登場ボディ当時オートザムブランドで販売されていたマツダ・キャロル3代目ベース専用のフロントマスク、リアテールランプと木目調パネル与えられた。また、前後バンパーにオーバーライダーをそれぞれ装着し若干全長伸ばした登録車小型普通車仕様存在した

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初代(官製煙草)

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チェリー (たばこ)」の記事における「初代(官製煙草)」の解説

1904年6月29日いわゆる官製煙草」として大蔵省専売局最初に発売した銘柄のひとつ。バージニア使用した甘み細巻き特徴両切たばこで、10本入りの通常パッケージの他、10本入り(太巻き)や50本入りの丸缶(細巻き太巻き)も一時期存在した戦時中敵性語にあたるとして「櫻」改称されている。 発売翌年1905年に、斜め格子模様ピンク色下地線画あしらわれパッケージデザイン変更された。以降細部変更への改称はあったものの、基本的なデザイン変更されることはなかった。また、線画2代目継承されている。 著名な愛煙者池波正太郎横光利一山本五十六などがおり、池波は「チェリーのうまさは、ピースどころじゃない」と語ったという。フィクションの人物としては、『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎吸っているタバコという設定である。

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初代(ローカル番組時代 - 1976年9月)

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パンチDEデート」の記事における「初代(ローカル番組時代 - 1976年9月)」の解説

丸い半透明ボード中に埋め込まれていた。

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初代(1960年~1966年)

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シボレー・C/K」の記事における「初代(1960年1966年)」の解説

丸み帯びたボディ特徴直列6気筒V型6気筒V型8気筒3種エンジン搭載された。

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初代(1964年-1966年)

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プリムス・バラクーダ」の記事における「初代(1964年-1966年)」の解説

最初バラクーダは、ダッジ・ダートなどクライスラー製造する多く車種でも利用されたA-ボディ呼ばれるシャーシ基づいて開発された。 1964年モデルヴァリアント特別車として発売されヴァリアントバッジ付いていた。バラクーダは、よりスポーツ性の高いスタイリング示しフォード・マスタングより2週間早く市場出されたこともあって、最初のポニー・カー(1964年フォード・マスタング代表される手ごろ価格コンパクトかつスポーツ走行可能なスタイリッシュな車)であるとされている。プリムス役員当初バラクーダを「パンダ」と名づける考えであったが、デザイナー達の反対にあって「バラクーダとなった第1世代バラクーダは、当時としては最大リア・ウィンドウ・ガラスで構成される大型ファストバック特徴としていた。 1965年モデルには273立方インチ(4.5L)のコマンドー・エンジンと235馬力発生するV8エンジンラインナップされ、同時にサスペンションタイヤなどにも改良加えられた。 1966年モデルは、フロントライトテールライトデザイン一新され先年モデルからは明らかに違ったデザイン施された。ヴァリアントよりは上質イメージ打ち出し途中からはヴァリアントエンブレム廃されて、バラクーダ独自のエンブレム付けられた。この年モデルは、より掘りの深い輪郭フェンダーと、その上部のターン・シグナルエラ型とされた。また大型バンパーチーズおろしのようなパターンアグレッシブなスタイリンググリルへと変更された。

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初代(1922年 - 1927年)

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グリコ (菓子)」の記事における「初代(1922年 - 1927年)」の解説

江崎グリコ創業者江崎利一が「健康」をイメージしたマーク考案していたのだが、なかなかいい案が出なかった。そんななか江崎散歩中に神社広場遊んでいた子供がゴールインポーズをしているのを見て「これだ!」とひらめき、ゴールインマークを作成。これがゴールインマークの誕生である。ランナーランニングシャツには「グリコ」の文字のほか上部分に英文表記の「GLYCO」が加えられている。ただ、初代は体格痩せ型であったせいか、表情もどこか険しいものであった。そのため、このゴールインマークを見た女学生から「顔が怖い」との意見があり、2代目変更することになる。

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初代(1993 - 2004年、NB-7型)

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キア・スポーテージ」の記事における「初代(1993 - 2004年、NB-7型)」の解説

2015年9月15日韓国にて発表ネーミング先代の「スポーテージR」から他国同様のスポーテージ」に戻した3代目TL型ツーソンプラットフォームならびにパワートレイン共用しディーゼルエンジンは「ユーロ6」基準満たした2.0Lに換装され、K5で先行搭載されスマートフォン無線充電システム採用するほか、スマートテールゲートシステムなどの便利機構採用高張力鋼採用比率先代18%から51%に引き上げたことで、ねじれ剛性を向上させながら軽量化成功している。

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初代(「テレビしまね」時代のみ)

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山陰中央テレビジョン放送」の記事における「初代(「テレビしまね時代のみ)」の解説

大文字この頃ロゴアナログ時代松江本局途中でロゴ3代目変わっているが、当時オープニング映像でも流された)や大田中継局(「テレビしまね」だけはアナログ終了まで残された)でも見られた。

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初代(J1型、1990年-1995年)

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ヒュンダイ・エラントラ」の記事における「初代(J1型、1990年-1995年)」の解説

1990年ステラ後継車種として登場。ただしこの車名に関してヨーロッパでは英ロータスから、オーストラリアでは三菱自動車現地法人から、それぞれクレームがついたため、これらの地域では2代目まではラントラ(Lantra)の名称が使用された。 発売当時それほど人気モデルではなかったが、経済性性能次第評判得て最後国内海外合わせて100万台以上の販売実績を誇るベストセラーとなったまた、このエラントラ並み大きさ性能を持つ車を韓国では「準中型車 (준중형차) 」または「中小型車 (중소형차) 」と呼び始めたが、後にこれは韓国Cセグメント車を称する名になった韓国国内でのキャッチコピーは「"휴먼터치세단(ヒューマンタッチ・セダン)"」「"고성능 엘란트라(高性能エラントラ)"」「"고성능 신화(高性能神話)"」。

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初代(1996年~)

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こどもちゃれんじ」の記事における「初代(1996年~)」の解説

当時製造技術低かったため、しま模様茶色歴代しまじろうパペットのなかで一番薄い。服装は、緑色の服に青色オーバーオールで靴は薄い青色となっている。また手を入れ部分青色である。

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初代(LFD型、2016年- )

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ルノーコリア・SM6」の記事における「初代(LFD型、2016年- )」の解説

2016年1月13日韓国にて「SM6」の名で発表される同時に同年3月発売予定であることもアナウンスされた。尚、タリスマン用意されるエステートSM6においては未設定である。 2016年3月販売開始。同じ中型車であるSM5SM6登場後グレード縮小して併売される。 2016年8月1日、1.5Lディーゼルエンジン車を追加2017年1月、「2017-2018 韓国カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞ルノーサムスン車が同賞を獲得するのは2000年の「SM5以来である。 2018年3月6日タクシー仕様追加世界初となるルームミラー内蔵型4.3インチタッチスクリーン付のタクシーメーター装備2018年10月、LPLi仕様ガソリンエンジン仕様アレンジし直したPrimeシリーズ追加2019年7月、「プリミエール追加2019年12月SM5販売終了したため、ルノーサムスン唯一生産されるレシプロエンジン搭載セダンとなった2020年7月15日、「THE NEW SM6」として約4年4カ月ぶりにマイナーチェンジエクステリア前後意匠手直しして新鮮さ主張するとともにアルミホイールデザイン一新。ハイランドシルバー、サンドグレー、ヴィンテージレッドなどの新色追加ヘッドライト下部デイライトとリヤコンビネーションレンズにはシーケンシャル式ターンレンズを新たに採用した安全装備については、アダプティブクルーズコントロールACC)とレーンキープアシストLCA)により更なるアシスト走行を可能とし、アクティブエマージェンシーブレーキシステム(AEBS)と車線逸脱防止装置LKA)を追加したまた、ガソリンエンジンパワーユニットがH5F型1.3L直噴ターボ(TCe260)とM5P型1.8L直噴ターボ(TCe300)に刷新され、改良モデルから引き継ぐ2.0L・LPeと併せて3種となった。尚、今回改良機にPEグレード廃止されたため、全て電動パーキングブレーキ(E-PKB)装着車となっている。

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初代 (2004 - 2008年)

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クライスラー・パシフィカ」の記事における「初代 (2004 - 2008年)」の解説

初代パシフィカは、中型クロスオーバー車として販売された。1998年ダイムラー・クライスラー発足した時に初め共同設計された車であった。クライスラー30か月10億ドル未満コスト開発行った2002年ニューヨーク国際オートショー初公開された。クライスラーパシフィカを「スポーツ・ツアラー」として販売しウィンザー工場2003年1月から2007年11月までロングホイールベースミニバンとともに生産した。「パシフィカ」の名はクライスラー・レーザーが廃止された後の1987年から1988年までダッジ・デイトナのトリムパッケージ名として使われている。

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初代(1936年)

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群馬県の歌」の記事における「初代(1936年)」の解説

ウィキソース群馬県の歌 (1936年)の原文あります。 初代の「群馬県の歌」は、1936年昭和11年4月11日に「敬神知事」として知られる君島清吉知事の提唱制定された。その背景には、1934年昭和9年)に開催され陸軍演習の際に桐生市発生した昭和天皇誤導事件群馬県警察部失態県内外の非難浴び金沢正雄知事辞任追い込まれる一因となったことが関係している。君島就任早々から事件失墜した県の汚名をそそぐべく「東日本御経営聖業奉賛会」の組織提唱し、その一環として4月一之宮貫前神社開催する奉賛大祭合わせて県民歌制定企画された。 歌詞一般公募実施した入選作が無かったため作詞・作曲とも群馬県音楽協会現在の群馬音楽協会とは別組織が行っているが、文語体難解な歌詞のため普及に至らなかった。戦後国粋主義色が強いことを理由演奏されなくなり後述2代目群馬県の歌制定に伴い廃止された。詞・曲とも団体名義のため1986年昭和61年12月31日著作権の保護期間満了しパブリックドメインとなっている。

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初代 (1989.10.2 - 1991.9)

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筑紫哲也 NEWS23」の記事における「初代 (1989.10.2 - 1991.9)」の解説

ドーナツ型のキャスターテーブル。

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初代(1889年~)

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台北大橋」の記事における「初代(1889年~)」の解説

現在の台北大橋前身清朝統治時代遡り1888年光緒14年)に正式着工された。 1889年光緒15年8月、初代台湾巡撫劉銘伝により建設至り三重埔(中国語版)(現・三重区)と台北大稲埕埠頭連結された。全長は1,498メートルだった。 日本民俗学者伊能嘉矩記述では元の設計鉄橋だったが経費不足により木造橋へと改められた。橋上には鉄道軌道台北 - 新竹を結ぶ全台鉄路商務総局鉄道現在の縦貫線前身)が敷設され両側には馬車通れ歩道があった。北岸鉄製旋開橋となっていて船舶通航時は開閉されていた。ただ木造であったため、河川の氾濫弱かったばかりか直接晒される橋脚土台部分劣化速く頻回補修必要だった1895年明治28年)、清朝から日本割譲されると淡水橋呼ばれるようになった。また清朝軍の退却時に破壊され修繕して鉄道の運行再開した1897年明治30年8月台風襲来淡水橋不通になったことで、台湾総督府鉄道経路新店渓渡河萬華板橋樹林経由再度大漢渓渡河する現在のルート変更することを決定した1899年明治32年)、旧ルート鉄道撤去され新ルート鉄道開通により、三重地区鉄道の歴史幕を閉じたその後21世紀台北捷運開業する当時淡水橋大龍峒(中国語版)と大稲埕一帯重要な交易拠点として機能し、これらの周辺発展には欠かせないインフラだった。 木造の初代台北橋1889年)。船舶通航時は写真右側光線部分橋桁開閉されていた。

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初代(帯番組および日曜朝時代)

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忍者ハットリくん」の記事における「初代(帯番組および日曜朝時代)」の解説

6種類パターンがある。「シンゾウ巻物開いてサブタイトル表示されるもの」、「獅子丸煙玉投げてサブタイトル表示されるもの」、「ハットリくん畳返しをしてサブタイトル表示されるもの」、「影千代隠れ蓑解いてサブタイトル表示されるもの」、「シンゾウ暗闇ライト照らしてサブタイトル表示されるもの」、「シンゾウが壁を反転させるハットリくん登場してサブタイトル表示されるもの」。

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初代(2002年 – 2010年)

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フォルクスワーゲン・トゥアレグ」の記事における「初代(2002年2010年)」の解説

2002年発表発売開始ディーゼルエンジンの2.5L/直列5気筒TDI、3.0L/V型6気筒TDI、5.0L/V型10気筒TDIガソリンエンジンの3.2L/V型6気筒、4.2L/V型8気筒、のラインナップがあり、日本にはガソリンエンジン仕様(3.2L/V型6気筒、4.2L/V型8気筒)のみが導入されている。2005年には世界限定500台(うち、日本への割り当て100台)で、6.0L/W型12気筒(W12/WR12)搭載の「W12 SPORT」が発売された。なお、このW12スポーツ日本販売されるフォルクスワーゲン車として初めて1,000万円超えた2006年フォルクスワーゲン傘下アウディから姉妹車であるSUVアウディ・Q7発売された。 2007年にはマイナーチェンジが行われ、ガソリンエンジンは3.2L/V型6気筒が3.6L/V型6気筒FSI直噴)に、4.2L/V型8気筒が4.2L/V型8気筒FSI変更されたほか、ワッペングリルの採用加え2,300点の部品更新された。エンジンは、V型6気筒FSI出力向上した日本国内輸入販売されるモデルにはサイドアンダーミラー付着されアウディ・Q7みられるような保安基準準拠するカメラモニター装備されなかった。MY08ではカメラ及びバックミラー内蔵式モニター標準装備となった2009年環境対応技術であるブルーモーションテクノロジーの下にプロトタイプの「トゥアレグV6TSIハイブリッド」を発表アウディS4などに搭載されている3L、V6スーパーチャージャーガソリン直噴エンジンと38kwの電気モーターアイシンAW(現:アイシン)製8速ATで駆動するバッテリー三洋電機ニッケル・水素充電池使用ちなみにセンターデフ電子制御湿式多板クラッチから機械式トルセン変更されている。 後期型フロント後期型リア

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初代(1964-1967年)

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ポンティアック・GTO」の記事における「初代(1964-1967年)」の解説

前年度から再びル・マンのオプションパッケージとしての地位戻ったGTOは、1973年GM-Aボディ全面改定に伴い事実上3代目モデルへ移行したボディ基礎デザインル・マン共用されたコロネード・ハードトップと称するものになった。これはハードトップとは称しているが、実際にルーフ強度上の為にサイドウインドウの後ろには頑丈なピラー用意され、リアクォーターウインドウもはめ殺し窓となっており、純粋な意味でのハードトップ機能性失われた1973年式ボディラインナップベース車両ル・マン従い、クォーターウインドウを持つクーペと、クォーターウインドウ部分同時期のグランダムでも用いられていたルーバーで覆うデザインとしたスポーツクーペの二種類用意された。 また、1973年改正され連邦法は、車体への損害なしで毎時8km/h(毎時5マイル/h)の速度での衝撃耐えることができる、新しフロントバンパー装着新型車両要求した。これは俗に5マイルバンパー呼ばれるもので、1974年からは全車義務付けとなるものであった。これによって、1973年式にはボディから大きく突出した重量の重いクロームバンパーを前後装着する事となり、往年のエンデューラバンパーと独特の空力デザイン失われた。そして1973年式GTOを含む、1973年から1977年までのGM-Aボディによるポンティアック中級車(ル・マン、ラグジュアリー・ル・マン、グランダム)の全体的なスタイルは、一般購買層には不評であった。 但し、コロネード・ハードトップデザインのポンティアック中級車がこの時期軒並み不調であった一方で同時期にGM-Aボディから派生したポンティアック・グランプリやシボレー・モンテカルロ(en:Chevrolet Monte Carlo)は、スクエアオフスタイリングと呼ばれる全体的に角張ったボディデザインドア後方鋭角的跳ね上げられるルーフラインやより斜めに寝かされピラーなどのデザインが、購買層から高い支持受けてもいた。また、このデザインポンティアック姉妹ブランドであるオールズモビルでも利用され、この時期のオールズモビル・カトラスも市場からは高い支持受けていた。 1973年式GTO内装オプションラインナップは、基本的に前年度同じくベース車のル・マンクーペやル・マンスポーツクーペと共用されるものであった標準のル・マンクーペは布・ビニール併用張り若しくはオールビニール製のベンチシート特徴で、より豪華なル・マンスポーツクーペはオールビニール製の内装トリムに、ストラト・バケットシートか折り畳みアームレスト付きのノッチバック・ベンチシートが選択できた。 パワートレイン標準400立方インチエンジンであったが、圧縮比前年よりもさらに低圧縮の8.0:1となり、出力230馬力/4400rpm、44.93kg-m 3200rpmとなった400エンジン変速機標準3速MTオプション4速MTとターボハイドラマチック3速ATの3種類が選択できた。基本フロアシフトで、前年までの伝統的なオプションであった4速クロスレシオMT搭載されなかったが、3速AT車には久々にコラムシフト選択肢復活した。オプションエンジンは455立方インチエンジンであったが、400エンジン同じく圧縮比8.0:1となり、出力250馬力/4000rpm、51.15kg-m/2800rpmであった455エンジンはターボハイドラマチック3速ATしか選択できず、前年までの455 HOエンジン搭載されなかった。 なお、1973年式モデルイヤー発表段階では、当時トランザム搭載されていたネット310馬力スーパーデューティ455エンジン(SD 455)の搭載アナウンスされており、実際に開発時のテスト車両にはSD 455エンジン搭載されたものも用いられていたが、結局市販車両に採用されることはなかった。GTO同様にグランダムでもSD 455エンジンテスト車両が8台制作されたが、これもGTOテスト車両と同様に全て廃棄された。 1973年式売り上げ台数は4,806台。全ての年式の中で最も少な台数である。これは当時新型グランダムとの同ブランド内での競争や、それに伴いかつて程GTO十分なプロモーションが行われなかった事も影響していた。そしてこの年度の後半発生したオイルショックによって、マッスルカー消費者に完全に見放される事になる。

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初代(1967年-1969年)

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シボレー・カマロ」の記事における「初代(1967年-1969年)」の解説

初代カマロ1967年発売された。GM Fボディ プラットフォーム用いられ駆動全てFRフロントエンジン・リアドライブ)。エンジン直列6気筒もしくはV型8気筒で、排気量は3.8Lから7.0Lであったシート全て2+2ボディは2ドアハードトップとコンバーチブル設定された。グレードベーシックグレード名がつかないもの(単にカマロ/カマロコンバーチブル)。ハイパフォーマンスV8エンジン積んだSSスーパー・スポーツ)。トランザムレース出場のためのレース用5,000ccエンジン載せたZ28の3種類。また、オプションラリーのための補助灯やライトカバーを備えたRS(ラリー・スポーツ)パッケージ選択できた。1967年販売されモデルのみ三角窓装備し1969年にはサイドのプレスラインやフェンダーアーチなどのボディパネル変更、そしてレース目的とした425PSハイパワーエンジンZL-1がこの年限りオプションとして登場する。このエンジン搭載したモデル69製作されたことが記録されているが、サーキットではフォード・マスタングと覇を争い1969年SCCA(Sports Car Club of America)トランスアメリカン・チャンピオンシップの2.5L以上クラス優勝した。初代カマロ1969年生産終了になった。わずか3年間のみの販売であった日本でも10台ほど販売されている。 Z28

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初代(2017年 - )

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フォルクスワーゲン・アルテオン」の記事における「初代(2017年 - )」の解説

CC後継車種に当たり、かつフィデオンが存在する中国市場除いた販売地域フラッグシップモデルとなる車種である。サッシュレスドアを持つ、いわゆるピラードハードトップ車に類する

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初代(JK1型、2020年 - )

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ジェネシス・GV70」の記事における「初代(JK1型、2020年 - )」の解説

2020年10月29日全世界向けて内外装デザイン一部概要発表された。 2020年12月8日韓国にて発表スタイリング韓国アメリカドイツにあるジェネシスデザインスタジオ共同手掛けたジェネシス最新デザイン言語Athletic Elegance」に則り、クレストグリルやクアッドランプといったシグネチャーデザインが導入されている。 ベースとなったG70同様にRWDベースプラットフォーム採用しAWD用意されるパワーユニット直列4気筒・2.2L ディーゼルならびに直4・2.5LとV63.5L2種ターボチャージャー付きガソリン構成される

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初代(2009年-2014年)

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ホンダ・スピリア」の記事における「初代(2009年-2014年)」の解説

詳細は「ホンダ・アコード#8代目_CU1/2型(2008-2013年)」を参照 2009年4月20日東風ホンダ上海モーターショーにCU1/2型アコードベースとするコンセプトカーSR-9」を出展し年内新型発売予告したSR-9市販モデル7月27日スピリアとして発表された。スピリア8月19日から生産開始され9月5日発売開始された。 当初直列4気筒2.4L(K24Y5型)のみのラインナップであったが、2012年11月22日から開催され第10回広州国際モーターショーでフェイスリフトモデルが発表され、2.0Lエンジン(R20A4型)搭載車追加された。

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初代(1988年4月 - 1990年3月)

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NNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1990年3月)」の解説

前番組NNNライブオンネットワーク』から継承、『プラス1開始時と1990年頃手直しして使用。ワーキング・スタジオの形式取り入れたセットで、キャスター後ろ壁面に縦2段横並びテレビモニター複数埋め込まれている。キャスター席は左右にサブキャスター着席し中央徳光立って伝えていた。(土曜・『日曜夕刊』と『きょうの出来事』では、中央テーブル取り付け左右一体化させていた。)左奥には同時通訳担当者が入る小部屋があった。

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初代(1988年4月 - 1996年9月)

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NNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1996年9月)」の解説

カラーリングは「NNN(赤) ニュース(青)(改行プラス1金色)」。又統によるデザイン。「NNNニュース」が冠してある。 ロゴ全体傾き気味であることと、「プラス1」の「1」の下線が「プ」の部分まで長く伸びているのが特徴。 1996.04から09までの半年間は週末版には「サタデー」・「サンデー」の文字追加され週末版カラーリングは「NNN(赤) ニュース(白)(改行プラス1金色)(改行サタデー/サンデー紺色)」。

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初代(前期PGC10型・後期KPGC10型)

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日産・スカイラインGT-R」の記事における「初代(前期PGC10型・後期KPGC10型)」の解説

1969年5月 デビュー戦である1969年JAFグランプリレース大会のクラブマンレース特殊ツーリングカーの部は、大会規定により日産の全ワークス選手参加資格失ったため、やむなくニッサン・スポーツ・カー・クラブ (SCCN) やプリンスモータリストクラブ・スポーツ (PMC-S) のアマチュア選手5名でワークスチーム編成した。これに対しライバルとなるトヨタ高橋晴邦ワークス選手ではあるが参加資格があった。予選では藤田皓二が2分1342で1位、以下ロバートL.レイガン長村瑞臣の順でGT-R勢が上位占めトヨタ・1600GT高橋藤田に約1.5秒遅れの4位、5位に高橋と同タイム萩原裕、1600GTを2台挟んで8位に篠原孝道という結果であった決勝で、1速を低速カーブ設定している日産勢は、1速がスタート専用ギアトヨタ勢にスタート一斉に遅れたその後順調に順位上げた篠原先頭高橋追いつき一騎打ちとなるが、高橋巧みブロックにより順位変わらないままフィニッシュとなった。しかし高橋速度で勝る篠原直線でもブロックしており、これにコース監察競技役員走路妨害疑い報告し競技委員会もこれを確認したため、高橋罰則で1周減算され、総合成績は1位篠原2位萩原3位高橋 (クラス1位) となった1969年10月 「'69日本グランプリレース大会ツーリングカーレースにてGT-R1 - 3位を独占1970年5月 「'70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する1970年6月 、「全日本富士300マイル100マイルBレースにて、長谷見昌弘ドライブするGT-R優勝長谷見はスペアカー決勝臨み最後尾スタートであった1971年5月 「'71日本グランプリレース大会ツーリングカーbレースにてGT-R1 - 3位、5位を獲得する1972年3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-R豪雨の中、高橋国光全車周回遅れにして1位、通算50勝を達成する1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会スーパーツーリングTS-bcレースにて北野元駆ったGT-Rが1位、久保田洋史3位正谷栄邦が6位を獲得し通算52勝目を飾る。そして最終的に通算57勝の成績残したC10型強さを語る上の代名詞として「49連勝」というフレーズ昨今において雑誌広告DVDなどメディアにおいて広く使用され認知されている。ただし、この連勝数については諸説があり、例えプリンスの丘公園におけるC10型功績称える碑には50連勝と書かれていることに対してモータースポーツ専門誌の『Racing On444号では、うち18クラス優勝、また1971年7月25日行われた富士1000kmレースにおいて総合6位(クラス2位)となっているため、連勝記録46止まっていると指摘している。なお、日産モータースポーツ部門であるNISMOHPにおいて「49勝し更に50勝目挙げた」という表記取っている。

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初代 (2011-2014年)

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クライスラー・200」の記事における「初代 (2011-2014年)」の解説

2009年デトロイトモーターショーにて公表された。 セブリング再設計し、パワートレイン変更LEDライトなどを装備した。 ダッジブランドで販売するアベンジャーは、主要コンポーネント共有する兄弟車である。 また、イタリアをはじめとした欧州圏でランチアブランドの「フラヴィア」としても販売された。

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初代(第1シリーズ)

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金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)」の記事における「初代(第1シリーズ)」の解説

放送時に前編後編分かれていた話では、前編エンディング後編オープニングカットされている(メニューでは前編後編表示される)。

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初代(AM型、2008年-2013年)

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キア・ソウル」の記事における「初代(AM型、2008年-2013年)」の解説

設計カリフォルニア州のキアデザインセンターで行われた2006年 同年北米国際オートショーコンセプトモデル発表。後に2009年モデルとして市販されることが発表された。 2008年10月 モンディアル・ド・ロトモビルにおいて1.6Lガソリンエンジン搭載したソウル・ハイブリッドコンセプトを発表2008年11月 韓国 光州工場での生産開始2009年 北米国際オートショーコンセプトカー、「ソウルスター」(Soulster )を出展ソウルベースとしたオープントップのSUVで、デザインはキアモーターアメリカが担当した2009年2月 北米およびヨーロッパ各国2010年モデルとして発売北米仕様車には直列4気筒の1.6Lエンジンおよび2LベータIIエンジン用意され5速MT組み合わせられるが、2Lエンジン搭載車には4速ATがオプション設定される。また、欧州仕様車には1.6Lのターボディーゼルエンジンが用意され同様に5速MT設定された。 2012年11月 現代起亜自の燃費誇張問題で、キア・ソウル高速燃費1ガロンあたり6マイル(1リットルあたり2.5km)下方修正となり、対象13車種の中で最大となった後期 フロント/リア

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初代(1971年-1980年)

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マツダ・タイタン」の記事における「初代(1971年-1980年)」の解説

1971年8月 Eシリーズ後継として初代発表エンジンVA型直列4気筒1,985cc(92ps)ガソリンXA直列4気筒2,522cc(77ps)ディーゼル搭載したボディカラーガソリンがアポロイエロー、ディーゼル車がオリンピアブルーで色分けをしているのが特徴である。 1972年1月 1.5t積みのタイタンライト(タイタンL)を発売1972年4月 HA型2700cc(81ps)ディーゼルエンジン搭載するタイタン2700発売1973年8月 使い易さの向上と保安基準対策マイナーチェンジ変更点クラッチ踏力軽減2系統ブレーキ助手席シートベルトヘッドレスト採用フロントリア方向指示器アンバー色に、フロント車幅灯クリア変更された。 1973年10月 タイタンシリーズに低床3方開車2機種追加従来低床1方開車の低い荷台の持つ荷役性良さ両側面からの荷役利便考えて低床3方開車としたものである。 1976年3月 タイタン2t積ディーゼル荷台の広い幅広ダンプ発売した1976年4月 英国パーキンス社と共同開発XC直列4気筒3,663cc(100ps)ディーゼルエンジン搭載するタイタン3700を発売低回転域で高性能発揮したまた、排気ブレーキ及びティルトキャブを採用しパワーステアリング標準装備となった1976年6月 タイタンライトに低床後輪ダブルタイヤ採用したワイドローを追加後輪タイヤ従来よりも3インチ小さ13インチダブルタイヤ採用し低床フラットな荷台実現している。 1977年5月 マイナーチェンジフェイスリフトと共にエンブレムマツダロゴマーク小文字のmをアレンジした丸型マーク)から「MAZDA」の文字変更ディーゼルを2700ccから3000cc(86ps)へアップテールランプを、前期型では単独1灯だった後退灯を2灯に増設しテールランプ統合CMキャラクターにボンゴシリーズと共に山城新伍起用韓国起亜自動車でも全く同じ名称で1997年頃までライセンス生産されていた。

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初代(1970-1977年)

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マーキュリー・カプリ」の記事における「初代(1970-1977年)」の解説

ドイツフォードにて開発され2ドアクーペであるフォード・カプリを、1970年4月からアメリカ市場にてリンカーン・マーキュリー販売店販売開始。ただし車体にはマーキュリーリンカーンであることを示すバッジエンブレム等はなく、ただ単にCAPRI」とだけ書かれエンブレム装着されていた。つまりフォードでもマーキュリーでもリンカーンでもないブランドなしの位置付け販売されていたため、便宜上マーキュリー・カプリ呼ばれていた。これはアメリカ市場では同様のクラスマスタングピント存在するために、フォードブランドではなくマーキュリー販売網販売することで競合避け意味合いもあった。この販売方法元にフォードヨーロッパフォード車を北米販売するためのブランドメルクール(Merkur)」を1985年設立することになる。

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初代(1979-1991年)

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マーキュリー・グランドマーキー」の記事における「初代(1979-1991年)」の解説

1967年にマーキュリー・モンテレーの「グランド・マーキー・パッケージ」としてその名が登場し1975年には「マーキー」と「マーキー・ブロアム」の1バージョン格上げされた。その後1979年独立したブランド「マーキュリー・マーキー」として発売開始された。同じパンサー・プラットフォームを使用するフォード最上級車種フォードLTDのさらに上級版のマーキュリーバージョンとして位置づけられ、また同時にマーキュリー・ディビジョンの最高級車種となったグレードベースとなるマーキーと、上級版のブルーアム、そして1983年マーキーの名が下位モデルそのまま移された後にモデルネームとなる最上級グランド・マーキー、そしてステーションワゴンコロニーパークの計4グレード用意された。なお1983年以降グランド・マーキーがベースグレードとなり、その上に最上級グレードとしてLS用意されることとなり、1987年以降はベースグレードとしてGS用意されることとなったボディバリエーション4ドアセダン、5ドアステーションワゴンのコロニーパーク2ドアクーペの3タイプで、乗車定員車体形状によって異なりセダンクーペは6人、ワゴンは8人である。メキシコではディーラーオプションとしてストレッチ・リムジンも用意された。当時の他のフルサイズアメリカ車同様にアメリカ国内市場及びメキシコカナダ市場優先されたために、左ハンドルモデルのみが用意された。 駆動方式は、当時アメリカ多くフルサイズ車同様FRのみとされ、エンジン5.0リッターと5.8リッター用意され1981年4.2リッター追加された。なお1982年以降は5.8リッターパトカー専用となったトランスミッションコラムシフト4速ATのみである。 1988年フェイスリフトバンパー形式変更などを中心としたマイナーチェンジが行われ、同時に販売低迷していた2ドアクーペ廃止された。1990年エアバッグ標準装備された。 モデルライフ通じて年間10万台から15台を売り上げるヒット作となったこともあり、1回マイナーチェンジはさんだのみで12年渡り生産続けられたが、1991年生産終了し翌年2代目へと進化した。なお生産は、ミズーリ州セントルイス工場カナダオンタリオ州セント・トーマス工場メキシコエルモシージョ工場行われ日本サウジアラビアなどへも輸出された。

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初代(1901年)

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大石田大橋」の記事における「初代(1901年)」の解説

木製木橋で、1901年架橋鉄道官有鉄道奥羽南線」(現奥羽本線)の大石田部分開通合わせ建設された。

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初代(滋賀県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:24 UTC 版)

キョーリン製薬グループ工場」の記事における「初代(滋賀県)」の解説

元々はシェリング・プラウ株式会社1977年設立し2010年万有製薬株式会社との合併により改称したMSD株式会社滋賀工場母体である。 MSD株式会社サプライ・チェーン再構築を行う中で、日本における生産体制最適化しながら安定した製品供給能力強化寄与するものと判断したため譲渡決定し一方キョーリン製薬ホールディングス株式会社新工場の建設を含む新たな生産体制確立受託及び協同生産による生産高確保コスト削減検討が行われる中で他社生産工場設備譲受並びに生産体制確立寄与する従業員雇用中期経営計画における経営方針沿うものと判断して譲受決定。まず、2012年6月キョーリン製薬ホールディングス株式会社譲受後の受け皿となる当社設立され同年10月には工場所有権MSD株式会社から当社変更して事業開始した。 なお、キョーリン製薬ホールディングス株式会社MSD株式会社及びMSD株式会社親会社であるメルク・アンド・カンパニーとは相互共に長年ビジネスパートナーとして良好な信頼関係構築しており、今回譲渡譲受長年パートナーシップがあって実現したのである。そのため移管後もMSD株式会社販売する製品製造受託製造)を続けている。

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初代(カローラシリーズ通算2代目)(TE27型、1972年-1974年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:30 UTC 版)

トヨタ・カローラレビン」の記事における「初代(カローラシリーズ通算2代目)(TE27型、1972年-1974年)」の解説

無類ラリー好きであった久保地理介(後のトヨタ自動車副社長)が「セリカ2T-Gエンジンカローラ積みたいと言ったことから開発スタートした1972年3月登場カローラレビンは、カローラクーペの「SL」や「SR」よりスポーティな「ホットモデル」として登場した当時は「普通の」カローラにもクーペモデルが存在したため、ボディタイプでの区別ではなく高性能バージョンとしての位置づけであった。カローラクーペとは、FRPオーバーフェンダー生産時期によっては金属製のものもある)の有無区別できるエンジン上位車種ではあるが、成り立ちカローラ派生の、セリカ1600GTから移植され2T-G型 1.6L DOHCエンジン搭載された。正確にいえば、レギュラーガソリン仕様の2T-GR型 (110ps) と有鉛ハイオクガソリン仕様2T-G型(115ps:グロス値)が設定されていた。1973年4月マイナーチェンジの際に追加された「レビンJ」には、ツインキャブの2T-B型 1.6L OHVエンジン(105ps:グロス値)および、そのレギュラーガソリン仕様にあたる2T-BR型 1.6L OHVエンジン(100ps:グロス値)がそれぞれ搭載されていた。「J」は「ジュニア」の頭文字で、アルファロメオ・ジュリアなどにならったもの。スプリンタートレノにも同様のモデル設定された。

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初代 (2021年- )

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キア・K8」の記事における「初代 (2021年- )」の解説

2021年2月17日韓国発表販売同年4月8日)。従来販売されていたK7後継車種として登場最新CI与えられ最初車種でもある。 エクステリア従来からのアイデンティティである「タイガーノーズグリル」に加え、「自然」にインスパイアされたキア最新デザイン哲学である「OPPOSITES UNITED」に基づいてデザインされている。また、車名数字からもわかるとおり、K7の上移行車種という位置付けとなっている。 傾斜のきついCピラーを持つファストバック風のデザイン穏やかな海を航行するヨットからインスピレーション受けている。 インテリアにはキア最大となる12.3インチメーターパネルと12.3インチのインフォメーションシステムが備わり、いずれも有機EL湾曲ディスプレイによって構成される上、12インチヘッドアップディスプレイまでも備える。また、オーディオシステムにはメリディアン・オーディオと共同開発した計14スピーカーから構成される「メリディアンプレミアムサウンド」を搭載する発表時は2.5L・GDiガソリン3.5LV6GDiガソリン/LPGの計3ユニット加え、1.6L・GDiターボ+モーターハイブリッドHEV)も用意される

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初代(1997年-2006年)

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ランドローバー・フリーランダー」の記事における「初代(1997年-2006年)」の解説

日本仕様エンジン同時期に販売されていたローバー75と同じV62.5リッターガソリンで、トランスミッションジヤトコ製の5段ATのみ。 ボディ5ドアソフトトップ3ドア設定されていたが、日本では2003年10月マイナーチェンジの際に3ドア廃止された。 ランドローバーとして、初めラダーフレームモノコックボディ組み合わせたシャシー採用ラダーフレームモノコックボディ溶接されており、ブッシュマウントとは比較ならないほどの強度有していた。エントリーモデルながらも、ETC4輪電子制御トラクションコントロール)やHDCヒル・ディセント・コントロール)といった装備加えEBD電子制御制動力配分システム)も搭載しており、キャッチコピーの「Go anywhere Vehicle(=何処へでも行けるクルマ)」を体現しようとしていたことがうかがえるデザイン現在のランドローバーのチーフデザインも務める、ジェリー・マクガバン氏が担当した1997年12月 - 欧州発売開始当初直4エンジンマニュアルシフトのみ。 2001年2月 - V6エンジンやATが設定され日本でも発売されるラインナップは5ドアモデルのベーシックモデル「S」と上位モデルの「ES」。3ドア後部座席部分が幌のソフトバック仕様GS」の計3モデル2003年10月 - マイナーチェンジヘッドライト上位モデル2代目ディスカバリー合わせた「ツインポケット」と呼ばれる涙目デザイン変更内装一新し高級感あるデザインへと変更エンジン同じだ燃料タンク容量旧型より5リッター増え65リッター変更ラインナップベーシックモデルの「SE」と、上級モデルの「HSE」の2つになった2005年5月 - フリーランダースポーツが100限定販売ルーフレールがなく、30mmローダウンしたサスペンション専用18インチホイールが組み込まれたのが特徴で、「ジャバブラック」が専用色として用意された。 2006年 - 販売終了

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初代(1955年〜1956年)

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音羽町」の記事における「初代(1955年1956年)」の解説

赤坂町役場庁舎であった建物使用長沢村萩村旧庁舎出張所とした。出張所1956年12月25日をもって廃止された。

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初代 (2008-2017年)

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アウディ・Q5」の記事における「初代 (2008-2017年)」の解説

Q7に継ぐ2番目のSUVとして開発されたもので、同社のA4 B8同様、フォルクスワーゲングループMLBプラットフォームMLB platform)を用いている。このプラットフォームは縦置きFF用をベースしながら可能な限りフロントオーバーハング寸法と、フロントへの荷重偏り抑えた設計であり、悪路を走る上で重要となるアプローチアングル確保にも寄与している。さらに最低地上高ESP制御も、Q7比べ、よりオフロード適したものとなっている。 A4 B7同様、全てのエンジンが縦置きである。 日本向け2009年5月21日発表された。パワートレインガソリン仕様欧州向けにはディーゼルエンジン仕様設定されている。ガソリンエンジンは3.2LV型6気筒FSI直噴)と2.0L直列4気筒TFSI 直噴ターボ2種類最高出力では3.2Lが270PSと上回るものの、最新世代の2.0TFSIエンジンは35.7kgf·mという最大トルクを1,500-4,200rpmにわたって発生しており、3.2Lのそれを上回っている。 2012年11月21日には当モデル初のマイナーチェンジ実施新開発の2.0Lと3.0Lの新型エンジン搭載したほか、ヘッドライトなどを改良し、フロントマスクのイメージ一新した2013年2月1日日本市場ハイブリッドモデル投入されるパワートレインは211PS/4,300-6,000rpm、350Nm/1,500-4,200rpmを発揮する2.0LのTFSIで、8速ティプトロニックトランスミッションと組み合わせる。54PS/210Nmのモーター縦置きエンジン直後配置するパラレルハイブリッドで、薄型リチウムイオンバッテリー荷室下に配置するまた、当代シャシドライブトレインサスペンション)と4気筒2.0Lエンジンは、2014年登場したポルシェ・マカンにも流用される。

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初代 (2019年 -)

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アウディ・Q8」の記事における「初代 (2019年 -)」の解説

2018年6月5日中国深圳開催された「アウディ ブランドサミット」において公開された。基本設計Q7共有しながら、SUVクーペ融合させたスタイル外観上の特徴となる。アウディQシリーズにおけるフラッグシップモデルとなる。

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初代(1991年-2002年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 00:01 UTC 版)

イヴェコ・ユーロカーゴ」の記事における「初代(1991年-2002年)」の解説

1991年登場デザインイタルデザインジョルジェット・ジウジアーロ(1938年8月-)が関わってるとされている。

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初代(1989年–1994年)

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イーグル・タロン」の記事における「初代(1989年1994年)」の解説

タロンはイーグルブランドのスポーツクーペとして1989年から投入された。三菱・エクリプスプリムス・レーザー姉妹車である。エクリプスレーザーとの外装差異灯火類グリル形状程度少ない。グレードベースモデルTSiAWDTSi3種構成されていた。エンジン全て直4ツインカムであり、ベースモデルは4G37(135PS)、TSi4G63ターボ(195PS)。TSiAWDTSiエンジン同一であったが、タービンTSi13bAWDTSiは14bと差別化されており、チューニングを好む人々からはより高出力に耐えられるAWDTSi好まれた。また、基本モデル足回りフロントストラットリアセミトレーリングアームだが、TSiのみよりスポーティーグレードアップされたダブルウィッシュボーン採用されていた。タロン発売後の1990年から1992年までの間、米カー・アンド・ドライバー誌の「テンベストリスト」にあげられている。 1992年マイナーチェンジし、リトラクタブル・ヘッドライト廃し前後デザインフェイスリフトしたほか、最廉価モデルとして直列4気筒SOHC NA(92PS)を搭載したDL」が追加され従来ベースモデルは「ES」へとグレード名が変更となった。このマイナーチェンジにおいて、タロンエクリプスレーザー外装大きく差別化し、独自色が強いモデルとなった。マイナーチェンジモデルは1994年まで生産されその後2代目へと移行した。なお、姉妹車レーザーは1代限り終了となっている。 リア後期型プリムス・レーザー

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初代(1994年-2006年)

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シトロエン・ジャンピー」の記事における「初代(1994年-2006年)」の解説

1994年発表されるイギリスアイルランドオーストラリアでは、ディスパッチ(Dispatch)という名前で販売された。

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初代(1995年-2006年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:12 UTC 版)

プジョー・エキスパート」の記事における「初代(1995年-2006年)」の解説

1995年7月生産開始され、その姉妹車であるシトロエン・ジャンピー1994年6月に、フィアット・スクード1996年2月生産された。 PSAフィアット共同生産したユーロバンベース元としている。

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初代 (1990-1996年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 20:41 UTC 版)

ビュイック・パークアベニュー」の記事における「初代 (1990-1996年)」の解説

1990年7月、「エレクトラ」の後継車種として発売

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初代 (1960-1969)

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ZAZ・ザポロージェツ」の記事における「初代 (1960-1969)」の解説

965はフィアット・600をZAZが模倣したもので、自社V型4気筒エンジン搭載している。1957年製作されプロトタイプであるモスクヴィッチ444はMZMAによる設計で、地上高330mm、ホイールは200mmであった試作段階ではIMZ・ウラルのMD-65型水平対向2気筒(1.75PS)を搭載していたが元がバイク用なので3キロ程度し走行できなかった。他にはLuAZ967の746cc V4試したものの新たにサスペンション設計しなくてはならなかった。サスペンション4輪独立懸架式ドア乗り降り利便性考えた結果スーサイドドア採用した1960年10月25日ザポリージャ工場生産開始され1800ルーブル販売された。郵便局向けのバン右ハンドルの965Sなども存在した

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初代(2010年-2018年)

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アウディ・A7」の記事における「初代(2010年-2018年)」の解説

表 話 編 歴 ポータル 自動車 / プロジェクト 乗用車 / プロジェクト 自動車 自動車メーカー・ブランド 自動車車種 - 自動車の車種名一覧 自動車歴史 モータースポーツ 自動車画像 自動車関連スタブ項目 ウィキメディア・コモンズには、アウディ・A7関連するカテゴリあります

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初代 (1991–2000年)

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シボレー・タホ」の記事における「初代 (19912000年)」の解説

1991年発売開始した発売当初は3ドアモデルだけであったが、1995年5/6ドアモデルを追加したのち、1996年にはトラック・オブ・ザ・イヤーを受賞したタホユーコン、サバーバンの3台はともに、GMT400プラットフォームベースとしていた。このプラットフォームは、トラック本来のシャシーで、シボレー・C/Kなどのフルサイズピックアップトラック使用されていた。また、この2台は、3/5ドアFRAWDV8ガソリンエンジンデトロイトディーゼルV8ディーゼルエンジンラインナップしていた。 メキシコでは、1995年3ドアタホリリースされたが、名をシルバラードと言った1998年には5ドアモデルが追加された。また、2000年にGMT800プラットホームベースとするSUV発売されると、2WDのタホ・リミテッドが顧客要望に応じて生産された。

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初代(1992-1998年)

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ルノー・サフラン」の記事における「初代(1992-1998年)」の解説

当時ルノー最高級車種であるルノー・25後継型として1991年ジュネーヴショーデビューし1992年発売された。4,700mmを超える日本3ナンバー全長ながら、ルノー25同じくフランス車らしいハッチバック前輪駆動(FF)車である。 ただし25とは異なりラグナや後のルノー車と同様にエンジンはすべて一般的な横置き配置となったサスペンションは前がストラットリアマルチリンクデザインは後にBMW・Z3なども手がけた日本人デザイナー永島譲二よる。発表当初は「これまでのルノー路線違いすぎる」「フランス車らしくない」と批判受けたが、販売の面ではまずまず成功となり、またフランス大統領公用車にも採用された。 エンジンボアφ93.0mm×ストローク73.0mm、2,975ccのV型6気筒(170PS/5,500rpm、24.5kgm/4,500rpm)を搭載した最上級モデルのほか、直列4気筒2,000cc8バルブ107PS、直列4気筒2,200cc8バルブ110PS、直列4気筒2,000cc12バルブ 140PS、直列4気筒2,200cc12バルブ 140PS、直列4気筒2,100cc8バルブターボディーゼル90PSの仕様があった。 1994年にはドイツの有名チューナー・ハルトゲの手によりV型6気筒の3.0Lエンジンツインターボ化し280馬力とし、4輪駆動化した「Biturbo」バージョン追加されたほか、シートを本皮であつらえ専用スーツケース備え4輪エアサスペンション奢った高級バージョンバカラ」も用意されるなど、名実ともにフランス最高級車であった。 1996年にはエンジン換装などのマイナーチェンジ実施された。直列4気筒1,900cc16バルブ140PS、直列5気筒2,500cc20バルブ170PS、V型6気筒2,900cc24バルブ192PS、直列4気筒2,200cc12バルブターボディーゼル115馬力仕様がある。 1998年生産終了し、そのコンセプト2001年発表され後継モデルであるヴェルサティスに引き継がれた。

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初代(J200型、2002年-)

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シボレー・オプトラ」の記事における「初代(J200型、2002年-)」の解説

韓国GM大宇2002年11月ソウルモーターショーGM大宇・ラセッティGM Daewoo Lacettiコード名J200)として発表。旧大宇自動車時代から開発続けてきた車種で、大宇・ヌビラDaewoo Nubiraコード名J100)の後継にあたり本車両にヌビラの名称が冠され地域もある。当初セダンのみの発表だったが、2003年9月フランクフルトモーターショーで5ドアハッチバックが、2004年3月にはジュネーヴモーターショーステーションワゴンそれぞれ発表されている。 スタイリングセダンワゴンピニンファリーナが、ハッチバックジョルジェット・ジウジアーロそれぞれ担当しており、セダン・ワゴンとハッチバックではフロントノーズのデザイン異なる。初期セダンは旧大宇トレードマークとなっていた3分割グリル採用されていたが、マイナーチェンジシボレー風のグリル変更された。 エンジン仕向け地によって異なるが以下が用意され、これらに5MTまたは4ATが組み合わせられた。ディーゼル搭載モデル2006年12月ボローニャモーターショー発表された。 直列4気筒 1.4L DOHC 直列4気筒 1.5L SOHC 直列4気筒 1.6L DOHC 直列4気筒 1.8L DOHC(※豪ホールデン開発直列4気筒 2.0L DOHC(※豪ホールデン開発直列4気筒 2.0L SOHC ディーゼル(※伊VMモトーリ開発2008年10月パリモーターショーにてオプトラ後継車種となるクルーズコード名J300)が発表されたが、2014年現在でも一部地域ではJ200オプトラ販売が行われている。

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初代(2009年 - 2016年)

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タタ・ナノ」の記事における「初代(2009年 - 2016年)」の解説

リアエンジン・リアドライブRR方式モノスペース[要曖昧さ回避]型4ドア車で、極小タイヤ装着し舗装路面走行性能としては必要充分な能力があるとされている。搭載エンジンアルミエンジンブロック2気筒623cc、重量約600kgで最高速度は105km/h、燃費は20km/L、衝突時安装置一部標準装備している。デザインロンドンにあるタタチームが手掛けたコストダウンのため仕様装備最小限抑え2008年時点発表されている基本モデル仕様は、以下の通り助手席側のドアミラーがない。 トランスミッション4速MTのみで、ATはない。 ワイパーは1本のみで払拭面積拡大するためのリンク機構などはない。 ホイール止めるナット3本バックドアがなく、ほぼCピラー直立したファストバック4ドアセダンラジオなどのオーディオ装備品エアコンなどはオプション。ただし、エアコンオーディオなどについてはナノデラックス版20ルピー以下)には搭載されるが、それも既製品汎用品ではなく機構簡素化されたものが使われる。 総輪ドラムブレーキによるブレーキシステムであり、オプションであってもフロントディスクブレーキの設定はない。 一部プラスチックパーツの塗装省略ABSエアバッグもない。 2009年ジュネーヴ・モーターショーでは、「nano EUROPA」という名称で上記仕様一部改善した車両出品された。2010年欧州市場投入される。 他の部品コストダウンのため、複合部分を一体加工しているものも多くモジュール化)、整備故障時の対応に課題があるといえる2009年7月欧州仕様ナノヨーロッパにおける前面および側面衝突テストパスした2013年10月天然ガスCNG)とガソリン両方使用可能なNano CNG emax」を発表2014年1月上級モデルとされるNano Twist」を発表新たに電動パワーステアリングエンジンコントロールユニットECU)などを搭載した2016年4月販売終了価格破壊的な10万ルピー値付けではあったが、生産コスト常時販売価格上回ってしまい大赤字であったという。

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初代 (1999–2007年)

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シュコダ・ファビア」の記事における「初代 (19992007年)」の解説

1999年に5ドアハッチバックが発売。後にコンビ(ステーションワゴン)が2000年セダン2001年ラインアップ加わっている。 親会社フォルクスワーゲンとの連携によって開発され車種で、フォルクスワーゲン・ポロセアト・イビーサなどとプラットフォーム共有するコンポーネントのほとんどがフォルクスワーゲン由来ありながらも、フォルクスワーゲングループの他のモデルよりも安価提供された(最廉価版フォルクスワーゲン・ルポよりも安かった)ことがファビアの成功一因となった

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初代 (1991-1998年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 15:01 UTC 版)

オペル・アストラ」の記事における「初代 (1991-1998年)」の解説

1991年にドイツ・リュッセルスハイム本社工場サルーンワゴン)、ボーフムワゴン)、ベルギー・アントウェルペン(ハッチ)で製造開始された。1994年にイタリア・トリノのベルトーネ工場カブリオレ製造開始された。南アフリカのデルタモーターズがライセンス製造、これにより世界80個所270台を販売しGMグループで最高の販売台数になるとともにカローラ次いで世界第2位販売台数を誇る車種となり、1997年には西ヨーロッパにおける販売台数第1位記録した競合であるフォルクスワーゲン・ゴルフにはワゴンモデルが存在しなかったため、1994年からの欧州日本のワゴンブームにのり、ワゴン車でもドイツでは第1位記録したこの影響により、その後フォルクスワーゲンゴルフにワゴンモデルを投入する至っている。 アストラGが登場してからも一部地域ではアストラ・クラシックとしてサルーンモデルを生産していた。

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初代(AZ10型、2014年 - 2021年)

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レクサス・NX」の記事における「初代(AZ10型、2014年 - 2021年)」の解説

Premium Urban Sports Gear」をコンセプト開発が行われたレクサス初のコンパクトクロスオーバーSUVである。ただし、全長全幅はXU10型RXよりも大きい。レクサス初となるターボエンジン搭載モデル「NX200t」(2017年9月より「NX300」に改称)、ハイブリッドシステム搭載する「NX300h」の2タイプラインナップし、NX200tには新開発直列4気筒2.0Lターボエンジン8AR-FTS型を搭載。ツインスクロールターボチャージャーと可変角を拡大したDual VVT-iW加え、D-4STを採用したまた、トランスミッションターボエンジン合わせて6速AT(6 Super ECT)を新開発シーケンシャルシフトマチックパドルシフトコーナリングでの変速制御最適化する「G AI-SHIFT制御」が取り入れられている。NX300hにはアトキンソンサイクル採用した直列4気筒2AR-FXE型に、高トルクモーターを内蔵したハイブリッドトランスミッションを組み合わせたLEXUSスポーツ走り継承するスポーティバージョン「F SPORT」は、NAVI・AI-AVSやパフォーマンスダンパー標準装備し、乗り心地操縦安定性を向上。さらに、足回り専用チューニング施している。 AWDグレードによって機構異なり、NX200tのAWD車には「ダイナミックトルクコントロールAWD」を採用走行状態に応じて前後輪のトルク配分100:0から50:50まで自動的にコントロールすることで、旋回時にはステアリング操舵量からドライバー意図するターゲットラインを予測して最適なトルク配分行い機敏安定したコーナリング実現するまた、通常走行時には前輪駆動状態で走行し燃費向上貢献する一方、NX300hでは従前からのE-Four設定された。 安全装備では、プリクラッシュセーフティシステム (ミリ波レーダー方式)、レーンディパーチャーアラート(ステアリング制御機能付)、ブラインドスポットモニター全車メーカーオプション設定レーダークルーズコントロール全車追従機能付)はレクサスでは初採用となるアイドリングストップとの連携機能設けた全車メーカーオプション)。さらに、同じくレクサスでは初採用となるパノラミックビューモニター(左右確認サポート付)(全車メーカーオプション)、LEDコーナリングランプ全車標準装備)を設定している。2017年9月実施したマイナーチェンジでは、予防安全パッケージを「Lexus Safety System +」として統合し全車標準装備化された。

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初代(750系・101系)

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アルファロメオ・ジュリエッタ」の記事における「初代(750系・101系)」の解説

第二次世界大戦後1900によって量産車メーカー転換したアルファロメオが、さらに生産規模拡大すべく開発したより小型モデルである。 最初に登場したのは、ベルトーネ当時のチーフスタイリスト、フランコ・スカリオーネデザインした2ドアクーペの「ジュリエッタ・スプリント」で、翌1955年ベルリーナ4ドアセダン)と、ピニンファリーナデザイン車体製造行ったスパイダー追加された。エンジンアルファロメオ相応しくアルミ合金製1,290cc DOHCで、初期モデルは54PSに過ぎなかったが、1959年大規模なマイナーチェンジ加えられ101系発展する際にクラック入りやすかったシリンダーヘッド強化される更なるチューンアップが可能となり、1960年追加された「SS」(Sprint Speciale) 「SZ」(Sprint Zagato) などのスポーツモデルでは100PSまでチューンされた。 ジュリエッタ系は一般市民西ヨーロッパ)でも無理をすれば手が届くスポーティーカーとして大成功収めアルファロメオ経営基盤確立させた。1963年にはジュリア105系)に発展するが、スパイダースプリントジュリア改名されその1,600ccエンジン与えられて、1965年まで継続生産された。

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初代(1985年 - 2000年)

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ルノー・エクスプレス」の記事における「初代(1985年 - 2000年)」の解説

ルノー・シュペール5をベースとしており、生産フランスMCA)、スペインの他台湾でも行われていた。 古く1960年代開発された「4F(キャトル・フルゴネット)」を端とする、荷室拡大小型貨物車であり、ベースモデルとなるシュペール5の後部大きな箱をつなげたような形状のフルゴネットで、リアサイドウィンドウのない完全貨物仕様と、リアサイドウィンドウを備えた乗用仕様の他に荷台開放式ピックアップトラックと3タイプ存在していた。車名エクスプレスの他、一部市場ラピッド(Rapid)、ドイツイギリスではエクストラ(Extra)として販売された。後継車1997年登場ルノー・カングー貨物仕様であるカングー・エクスプレスである。 前席部以降キャビンのみハイルーフなフルゴネットスタイルは、日本でスズキ・アルトハッスル、日産・AD MAX模倣している。

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初代(1997年 - 2007年)

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ルノー・カングー」の記事における「初代(1997年 - 2007年)」の解説

2007年新型である「カングーII」が発表された。パーキングブレーキレバーグリップ車軸方向スバル・アルシオーネにも似た特徴的な形状となっているが、これは1日数百回も操作するフランス郵便局員たちの協力得て開発している。 2016年1月20日には、2007年から累計生産台数100万台を達成した。尚、記念すべき100万台目日本仕様である。

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初代(W638)

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メルセデス・ベンツ・Vクラス」の記事における「初代(W638)」の解説

初代Vクラスは、メルセデス・ベンツ欧州などで発売している商用車「Vito」(ヴィトーヴィート)の乗用バージョンである。日本では1998年に「V230」が販売開始され、1999年に「V280」が追加された。「V280」は2002年生産中止となり、末期は「V230」のみが販売された。 Vクラスドライブトレインヴィトー同様に横置きエンジントランスアクスル配置FFとなっていた。エンジン自社製の直列4気筒エンジン主力で、乗用車ユーザーからのモアパワーの要求応え上級グレードの「V280」にはV型6気筒追加したCクラスでは1997年から自社V型エンジン採用始まっていたが、元来直4横置きを想定していたエンジンベイにはVバンクの広いエンジン不向きで、横置き搭載への対応とクラッシャブルゾーン確保のため、前後寸法エンジン幅)の小さフォルクスワーゲン製の2.8リットル狭角V型6気筒エンジン採用している。 グレードエンジン排気量最高出力最大トルク変速機駆動方式V280 V型6気筒 SOHC 2.8リットル 174PS / 24.2kgm 4速AT FF V230 直列4気筒 DOHC 2.3リットル 143PS / 21.9kgm

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初代 (1997-2001年)

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フォード・プーマ」の記事における「初代 (1997-2001年)」の解説

1997年発売生産ドイツケルン行われたキャッチコピーは「Driver's Dream」。 エンジンはいずれ当時フォード展開していた『ZETEC(英語版)』シリーズで、1.7Lエンジンヤマハ発動機との共同開発である。 1999年ジュネーブ国際モーターショー発表した"ST160"というコンセプトカー好評であったため、同年に『レーシングプーマ』というモデルイギリス向けに500限定市販化されている。架装はティックフォードが手がけた。ベースプーマと同じ1.7L自然吸気エンジンであるが、カムプロファイルの変更ECUチューンにより30馬力アップの180馬力にまで向上。0-100km/h加速を7.8秒というスポーツエンジンとなっている。またシャシーにもフォードモータースポーツ培った技術惜しみなく投入されており、足回り内装などに様々な変更がされている。 ラリーではスーパー1600(S1600)規定改造されプーマが、2004年までJWRC(ジュニアラリー世界選手権)を争った。Bセグメントハッチバックが主流の中、稀少クーペとして活躍しフランソワ・デュバルヤリ=マティ・ラトバラスポット参戦)などがドライブしたが、タイトル獲得ならないままフィエスタS1600にその役割譲った2001年生産終了。総生産台数は約13台。後継としてのクーペ発売されなかった。

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初代(2006年-2012年)

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フォード・フュージョン (アメリカ)」の記事における「初代(2006年-2012年)」の解説

2012年1月デトロイトモーターショーワールドプレミア2012年9月発売開始欧・米で共通ボディにて販売する「ワン・フォード」戦略則り5代目モンデオと共通のボディ有することになったが、モンデオに用意されるステーションワゴンと5ドアハッチバックセダンは設定がない。モンデオ同様にCD3プラットフォーム従来型より踏襲されるが、大幅な改良受けており、パワーステアリング電動式変更された。エンジンは1.6 L と2.0 L の直列4気筒DOHC16バルブ エコブーストならびに2.5 Lの直列4気筒DOHC16バルブ デュラテックを採用してダウンサイジング図られた。トランスミッションはエコブースト仕様には「セレクトシフト」と呼ばれる6速デュアルクラッチトランスミッションが(2.0 L はパドルシフトつき)、2.5 L には6速ATが用意され、1.6 L ではオプション6速MT選択できるまた、2.0 L のみ4WD選択できるハイブリッドモデル引き続き設定されるが、エンジン2.0 L にダウンサイズされた。 2017年フェイスリフト実施近年米国市場におけるクロスオーバーSUV台頭セダン市場の縮小などによる煽りを受け、2020年7月以って生産、および販売終了となり、米国フォードとしては最後に投入され4ドアセダンとなった。これにより米国フォード1908年登場T型以来1世紀以上(正確に112年)に渡り生産・販売続けてきたセダン型乗用車から完全撤退することとなった。ただし、中国市場専売同型車種となるモンデオセダンは当面の間継続生産・販売される。 後期型 リア2017年-2020年

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初代(1974.4 - 1982.3)

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NNN朝のニュース」の記事における「初代(1974.4 - 1982.3)」の解説

オープニングテーマ黛敏郎作曲NNNニューステーマ」。

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初代(1977 - 1981年)

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クライスラー・ルバロン」の記事における「初代(1977 - 1981年)」の解説

1977年新開発のミッドサイズのMボディー使用して登場した2ドア・クーペ同社中・高年齢向けミッドサイズ・クーペのクライスラー・コルドバ若者向けバージョンというかたちで登場した4ドア・セダンステーションワゴンクライスラー初のミッドサイズとなった姉妹車はダッジ・ディプロマット(カナダでの名前はプリムス・カラベル)。 1980年モデルチェンジ(ビッグマイナー)し、同年から上級モデルのルバロン・フィフスアベニューも登場する。このルバロン・フィフスアベニューは1982年からニューヨーカー・フィフスアベニューに改名され進化していくことになる。 1981年のみポリス・パッケージ(警察使用車)が存在する

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初代 (1996–2016年)

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フィアット・パリオ」の記事における「初代 (19962016年)」の解説

フィアットの「プロジェクト178」の一環として1996年ブラジル発売されパリオは、ハッチバックセダンピックアップトラックステーションワゴンの4モデル製作され諸外国市場向けに様々なバージョン開発された。 セダンシエラワゴンウィークエンドピックアップトラックストラーダ名付けられた。 プラットフォームウーノから、エンジンプントブラーヴォから流用した1996年ブラジル次いでアルゼンチン工場生産開始された。 1997年には、欧州市場向けベネズエラポーランド1998年トルコモロッコ生産開始したインドではタタ南アフリカでは日産が(ピックアップトラック・バージョンであるフィアット・ストラーダの)生産担当した2001年エジプト2002年には中国開始した

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初代(1991年 - 2001年)

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レクサス・SC」の記事における「初代(1991年 - 2001年)」の解説

日本仕様については、トヨタ3代目ソアラ参照 1989年北米開業したレクサスブランド初めてのクーペとして開発され1991年に「SC400」(LS400と同じ4.0L V型8気筒1UZ-FE型エンジン搭載)、1992年に「SC300」(GS300と同じ3.0L 直列6気筒2JZ-GEエンジン搭載)が、それぞれ発売された。デザインカリフォルニア州のデザインセンター「CALTY」によるもの北米市場での評価極めて高く1992年にモータトレンド(Motor Trend)誌主催の「インポートカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞カーアンドドライバーCar and Driver)誌の「テン・ベストカー」に1992年から4年連続選出された。これにより日本では1992年平成4年7月に2.5GTツインターボベースとした特別仕様車米国カーオブザイヤー受賞記念車』が発売された。 1998年エンジン可変式バルブVVT-i)を搭載。「SC400」に5速ATが採用され、「SC300」の5速MTモデル廃止された。

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初代(2013年 - 2016年)

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トヨタ・プロエース」の記事における「初代(2013年 - 2016年)」の解説

初代プロエースは、プジョー・エキスパートシトロエン・ジャンピーフィアット・スクード兄弟車で、前後トヨタエンブレム装着されるほか、バンパーヘッドライトデザイン兄弟車とは異っている。ホイールベースが3,000 mm全長4,805 mmホイールベースが3,122 mm全長5,135 mmの2タイプ長さがあり、全高標準ルーフの1,942 mmハイルーフの2,276 mmの2タイプがある。

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初代(1955年-1957年)

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シボレー・ノマド」の記事における「初代(1955年-1957年)」の解説

当時ステーションワゴンとの違いは、標準的なステーションワゴンよりもハードトップ思わせるそのユニークなスタイリングにある。シボレーは、同じくGM傘下のポンティアック・サファリとボディ共用した。ノマドユニークなデザイン・ルーツは、同じ名前でGMモトラマ・ショーに出展されたシボレー・ベースの車に由来する。そのコンセプトは、1954年ショーで「ドリーム・カー」として紹介する足りるものであるというものであったGMは、人気のあったシボレー・ベル・エアー結び付けて、より多くモデルの車を販売したい考えであったため、ノマドデザイン標準モデルとして展開することが可能かどうかが、実際に生産に移すかどうかの鍵であった実際、そのデザイン画期的であると考えたため、GMは、販売低調になった1957年終わりまで、オリジナル・モデル生産続けた

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初代 (2015年-)

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ロールス・ロイス・ドーン」の記事における「初代 (2015年-)」の解説

2015年9月8日発表された。エンジンBMW開発した最大出力570psの6.6リッターV12ツインターボエンジンが搭載される。 2017年6月29日には、高性能バージョンのブラックバッジが追加発表され最高出力は593ps、ディスクブレーキは、直径20インチから21インチへとグレードアップする。

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初代(1994年 - 1999年)

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クライスラー・ネオン」の記事における「初代(1994年 - 1999年)」の解説

1994年1月北米国際オートショー(NAIAS)で発表、横置きの直4 2.0L エンジン搭載する小型セダンとして、アメリカとカナダ同月より販売開始された。同年中には2ドアクーペ登場している。 スタイリング上の特徴は、当時同社推し進めていた、長いホイールベースと、ボンネット短く見せ前進させたAピラーとの組み合わせによる「キャビンフォワードパッケージ」で、さらに、異形丸型2灯式ヘッドランプ採用した親しみのあるフロントマスクとし、広告展開では正面向いて "Hi." と陽気にアピールしていた。 アメリカ本国ではベースモデルエアコン無しMT車)が8975ドルという低価格登場したそれ以前から低価格である事が予告されており、当時日本マスメディアからはGMサターンと共に日本車キラー」と呼ばれていたが、実態廉価車として割り切って足回りトランクルーム内側塗装省略し、後席のパワーウインドウ設定が無いなど、日本車には見られない極端なコストダウンが行われていた。カーグラフィック誌の長期レポートでもタイヤ交換ジャッキアップの際、純正車載ジャッキ使ったにも関わらず、ジャッキアップポイントの「耳」がことごとく潰れたことが報告されている。 日本では1996年6月4ドアセダン右ハンドル発売された。廉価版SE当初本体価格1299千円)、中間グレードLE装備充実させた最上級LX輸入され12月までに994台が販売された。大半フロア3速ATだったが、ごく少数5速フロアMT販売された。右ハンドルモデルは、イギリスオーストラリアへ輸出された。

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初代(1995年–2006年)

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フォード・ギャラクシー (1995)」の記事における「初代(1995年2006年)」の解説

1995年5月生産開始2000年にはマイナーチェンジ実施2004年には主にテールランプ周り軽微なマイナーチェンジ実施した

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初代 (2003-2008年)

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キャデラック・CTS」の記事における「初代 (2003-2008年)」の解説

2002年発表され2003年モデルで、シグマ・アーキテクチャと呼ばれる新設計のプラットフォーム採用した後輪駆動車である。キャデラックオイルショック以降長年にわたり前輪駆動FF)にこだわり続けていたが、このCTS1988年シマロン以前キャデラック初期MT車同様に後輪駆動FR)である。カテラ後継車種であり、北米最優秀自動車賞にノミネートされた。生産アメリカ合衆国ミシガン州ランシング行われ2006年には中国ノックダウン生産北米設計キャデラックでは初めての海外生産)を行っていたが、ノックダウン生産関税問題とこの地域販売不振から再び米国からの輸入切り替わったエンジンは元々220馬力(164kW)の3.2リッターV型6気筒LA3」が搭載されていたが、2004年には可変バルブ機構利用した3.6リッターV型6気筒DOHC」が搭載され255馬力(190kW)、252lbft(342nm)のトルク可能になった。2005年からは3.2リッターエンジンの生産始まりCTS廉価モデルとしてV型6気筒2.8リッター登場した。またヨーロッパで廉価モデルそれまでの2.6リッターから2.8リッター置き換えられた。2004年にはシボレー・コルベットと同じ5.7リッターV型8気筒搭載した2006年からは6.0リッター高性能版のCTS-Vもラインナップ追加された。 トランスミッションは元々自社製「5L40-E」5速ATと、ゲトラグ製「ゲトラグ2605速MTどちらか用意されていたが、ゲトラグ5速MT2005年アイシン精機(現:アイシン)製「AY-6」6速MT変更された。 日本では全て5速AT、2004年4月モデルまでは2.6リッターもしくは3.2リッター2004年11月モデルからは2.8リッターもしくは3.6リッターV型6気筒版が発売され一部特別モデル除き全て左右ハンドル選べる。また日本仕様である右ハンドル車では通常の右ハンドル輸入車では左側ついているウインカー日本国内向け日本車同様の右側についており、オプションカーナビゲーション用意されていた。しかし日本国内販売台数は振るわなかった。

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初代 (2021年-、AX1型)

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ヒュンダイ・キャスパー」の記事における「初代 (2021年-、AX1型)」の解説

2021年9月1日外観初公開。 キョンチャ規格準拠しており、外寸は全長3,595mm、全幅1,595mm、全高1,575mm、ホイールベース2,400mm、エンジン直列3気筒 1.0LのMPI自然吸気)とT-GDI(直噴ターボ)の2種類となる。プラットフォーム海外専売AC3型i10と共通のK1プラットフォーム採用する韓国市場向けについては2021年4月竣工した光州広域市光州グローバルモーターズ生産委託されるまた、オンラインのみ販売を行う方針である。

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初代(1984-1987年)

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マーキュリー・トパーズ」の記事における「初代(1984-1987年)」の解説

旧式化してきたマーキュリー・ゼファーの後継車として1983年2月発表され1984年モデルとして販売された。フォード・テンポの姉妹車であり、4ドア・セダン2ドア・クーペ用意される。他のマーキュリー車と同様にテンポよりも装備が高級化されている。デザイン空力性能意識したもので、フォード・トーラスセーブルなど、後のフォード全体に繋がるデザインである。プラットフォームエスコート/リンクスから派生したCE14プラットフォーム利用。しかしエスコートよりも大きなサイズであるため、ホイールベース延長するなど、かなりの部分は独自仕様となっている。 エンジンは2.3リッター直列4気筒OHVを縦置きに搭載1984年にはマツダ製2.0リッター直列4気筒ディーゼル追加した駆動方式FFで、サスペンションストラットによる4輪独立懸架採用した。これにより、高い走行性能スペース効率実現している。 1986年マイナーチェンジ実施しヘッドライトグリルデザイン変更され上位車種であるセーブル似た雰囲気となった。またオプションSRSエアバッグ装備することが可能となり、このクラス車でオプション設定されたのは画期的であった1987年にはパートタイム式4WDモデル追加されている。 前期型4ドア 後期型4ドア

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初代(B-Body 時代 / 1966-1978年)

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ダッジ・チャージャー」の記事における「初代(B-Body 時代 / 1966-1978年)」の解説

1966年登場セダンコロネットベースに2ドアファストバックのボディ架装したものである。 全グレードV型8気筒エンジン搭載しており、最上級モデルには426Hemiエンジンを積むストリートバージョン設定された。このモデル400馬力超えるパワー持ち停止状態から時速60マイル(約96km)まで6秒弱で加速するという、当時としては強烈なパワー誇った。 翌1967年には排気量440cui(=7210cc)のマグナムV8エンジン搭載するチャージャーR/T登場独特な外装与えられモデルで、現在でもチャージャー代名詞的存在として人気が高い。1971年にはスーパー・ビーのベース車がコロネットから本車切り替えられた。 強力なエンジン積んだチャージャーレース関係者の目にも留まりNASCARなどでの使用意識したモデルチェンジなされるうになる当時NASCAR本当の意味ストックカーレースであった)。特に1969年登場したチャージャー500レース指向強く、これをベースにダッジ・チャージャー・デイトナ(及び兄弟車のプリマス・スーパーバード)が発売された。これらのモデルダッジにおいて現代まで受け継がれている「レース市販車の距離が近い」というイメージ決定づけて行く。初代チャージャーモデルチェンジ繰り返しながら1978年まで生産された。なお、この初代チャージャースティーブ・マックイーン主演した1968年の映画ブリット』にも登場マックイーン運転するマスタングGT390とカーチェイス演じているほか、1979年アメリカTVシリーズ爆発!デューク』では主人公愛車「ゼネラル・リー」として登場、さらに2001年公開され映画ワイルド・スピード』では主人公一人であるドミニク・トレット愛車としても登場し映画TVでのカーチェイス場面で多く使用された。 モァパワーの象徴であったチャージャーであるが、それが続いたのも1960年代までで、1970年代に入るとオイルショックによる影響で、チャージャー1972年から1975年にかけて大幅なパワーダウン余儀なくされた。 かつては400馬力誇ったパワーは140馬力へと大幅にパワーダウンされ、ボディーデザインもそれにあわせて段階的に変更された。 さらに1975年からはチャージャーベーシック系「チャージャー」や「チャージャー・スポーツ」とラグジュアリー系「チャージャーSE」が完全に差別化されたことにより、同名車種冠しながら2種類モデルへ分かれるベーシック系のチャージャー、チャージャー・スポーツは姉妹車であるダッジ・コロネットとほぼ同一デザインとなり、エンブレムなどが違う程度のものであったコロネット1971年から4ドアのみの販売であった1975年2ドア復活している)。一方ラグジュアリー系のチャージャーSEは、それまでチャージャー通常モデル豪華装備増やしただけであったのに対し1975年からは同一プラットフォームではあるがデザインは全く異なりさながら別の車のようであった。ただ、チャージャーSE同じくして姉妹車として同時に販売開始されたクライスラー・コルドバ姉妹車の関係にあった1976年オイルショックからの一時的な抜け出し果たされ、クライスラー・プリマス・ダッジの大型車販売伸びたため、ベーシックチャージャー/チャージャースポーツの販売終了する。これらの後継車は、新しく開発されMプラットフォーム使用したダッジ・ディプロマットとなったベーシックモデル生産終了となった後もチャージャーSE生産継続し1977年にはチャージャーSEベースにダッジ・チャージャー・デイトナの名前が復活する。チャージャー・デイトナの名前は1969年以来であったオイルショックはの影響からは脱却しつつあったものの、再来恐れたためかつてのチャージャー・デイトナのようにロングノーズ、ビッグウィング、ハイパフォーマンスV8などは使われなかった。ボディーには大きなストライプ飾られサイドに「Charger Daytona」の文字飾られた。 1978年チャージャーSE生産終了する。チャージャーSE後継モデルは、同じB-Bodyを使用したダッジ・マグナムであった。 なお、1970年から1981年まで、ダートのスペシャル・オプション・パッケージのハードトップ版が、チャージャーの名でブラジル現地法人生産されていたことがあった。 また、1970年代チャージャー生産台数はわずか5万台ほどと少ない。 そのためレストアするには交換パーツ少なく、非常に困難な車の一つとなっている。 1967年チャージャー 1969年チャージャー R/T 1974年チャージャーSE 1975年クライスラー・コルドバダッジ・チャージャーSE姉妹車であり、異な部分グリルエンブレムのみ。 チャージャーSE後継車であるダッジ・マグナム1979年型)

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初代(2000-2009年)

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ボルボ・S60」の記事における「初代(2000-2009年)」の解説

2000年発売S40S80中間位置しそれまでボルボ特徴的であった角張ったデザインではなく曲線使用した流麗なデザイン特徴。 V70とプラットフォーム共有しており、V70はステーションワゴンS60ノッチバックセダンとなっている。 2005年フルカラー15インチアルミホイールを追加、ウォールナットパネルなどで高級感高めDSTCやEBA全車標準装備2005年8月マイナーチェンジバンパーや側部のモール車体同色になり、ヘッドランプ変更しフロントデザインなどを一新。スポーツインテリアパッケージを追加足回り走行性能高めたS60R追加した2009年3月31日最終モデルベルギーゲント工場から出荷されたと発表

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初代 (1998年 - 2006年)

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ボルボ・S80」の記事における「初代 (1998年 - 2006年)」の解説

デビュー当時ボルボフラグシップモデルであった最初は2.9とT6が市場投入された。2.9は2.9Lの自然吸気直列6気筒エンジンで、T6は2.8Lの直6エンジンツインターボ過給したモデルである。 2004年モデルから直列5気筒の2.5Tと2.5T AWD投入された。全てのS80スウェーデンヨーテボリ工場生産される最初S801998年5月6日工場からラインオフした。ノルウェー王ハーラル5世リムジンとして用いている車である。 フロント後期型リア後期型

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初代 (1989年-2000年)

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アストンマーティン・ヴィラージュ」の記事における「初代 (1989年-2000年)」の解説

1980年代デザインされだけあって空力意識したエクステリアデザイン前身であるV8シリーズからはるかに近代化されたが、エンジンサスペンションシャシー基本構成旧型譲りであった旧来の設計と製造方式踏襲したこともあり、車両重量1,790kgに達していたが、強力なエンジンパワーによって最高速度は254km/hに達したエクステリアデザイン近代化されたものの、フロントグリル以外アストンマーティンらしい個性希薄で、1994年フォード傘下入って初め登場する、完全に新設計されてジャガーのメカニカルコンポーネンツを多用したDB7の方が、むしろ伝統的なアストンマーティンデザインディテール再現してエレガントであると評価された。 個性乏しデザイン一因は、コスト削減のため多く外装部品社外量産車から流用していたことにあり、例えヘッドライトアウディ・200テールライトフォルクスワーゲン・シロッコのもので、前後いずれか見て既視感があったことも致し方なかった。 また、内装部品にもフォードジャガー、そしてゼネラルモーターズ部品が、ステアリングコラムエアコン操作パネル各種スイッチ類など多く個所流用されていた。

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初代(J10/J10E型、2007年-2014年)

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日産・デュアリス」の記事における「初代(J10/J10E型、2007年-2014年)」の解説

まずはじめに主たる市場となる欧州キャシュカイ (QASHQAI) の名で発表された。北米台湾韓国ではプラットフォーム共有するクラスSUVローグ販売される南アフリカ中東諸国シンガポール中国ニュージーランド南米諸国では「キャシュカイ」の名称で、オーストラリアおよび日本ではデュアリス」の名称で販売される車台共有しているエクストレイルオフロードアウトドアアクティビティデュアリス都市パワードスーツイメージした訴求方法を採り、棲み分け図っている。 当初生産英国日産自動車製造会社 (NMUK) のサンダーランド工場集中的に行われ市場輸出するかたちがとられたが、その後日本向け車両に関して日本日産自動車九州で、中国向け中国東風日産現地生産されている。(これよりあとの販売でも述べる。) メカニズムについては、プラットフォームは、セントラや、エクストレイルルノーサムスン・QM5などで使用されている、Cプラットフォーム採用された。 エンジン全て直列4気筒ガソリンが1.6L HR16DE型と2.0L MR20DE型、ディーゼルは1.5L K9K型と2.0L M9R型が設定された。ただし2.0L M9R型は欧州向け2012年モデルからは姿を消し、代わって1.6L R9M型がラインナップ加わっている。トランスミッションは、5速MT6速MT6速AT、CVT用意されているが、国内ではMR20DE型+CVT組み合わせのみが用意される駆動方式FFまたは4WDで、4WDエクストレイル初代T30型)と同じオールモード4X4採用する。 フロントストラット式、リアマルチリンク式のサスペンションには、日本車としては初めて、減衰力特性優れたザックス社製ハイスピードコントロールショックアブソーバーが組み合わされている。 走行性能評価高く開発者自身フォルクスワーゲン・トゥアレグ負けない足に仕上がった語っている。 エクステリアデザインについては、英国日産デザインヨーロッパ (NDE) および日産テクニカルセンターヨーロッパ (NTCE) が手がけている。チーフデザイナー3代目(P12型)プリメーラなどを手掛けたステファン・シュワルツ。 CFD (Computatinal Fluid Dynamics) 解析日産車としては初めて、クレイモデルができあがる前の段階導入したことで、Cd値SUVとしてはトップレベルとなる0.35とした。また、カーウイングスナビゲーションシステムとセットオプションのオプションのサイドブラインドモニター装着により、サイドアンダーミラー装着されなくなる。 なお、当初フロントグリル日産SUV共通する縦に2本ライン入ったものが採用されていたが、2009年9月一部改良によりフロントグリルにはキャシュカイ+2後述)と共通デザインのものに変更2010年8月マイナーチェンジセンターV字メッキ配列した日産SUVの共通デザイン再度変更された。 一方で日本国外仕様車(除く中国生産車)に関しては、キャシュカイキャシュカイ+2オーストラリア仕様デュアリス共に2010年3月マイナーチェンジを受け、フロントバンパー・グリル、ヘッドライトエンジンフードデザイン一新しフロント部分デザイン大幅に変更し同時にテールランプデザインについて一部変更されている。 インテリアについては、リア居住スペース同社SUVであるエクストレイルよりは若干劣るものの、室内長、後席スペースヘッドクリアランスホンダ・CR-Vトヨタ・RAV4同等とした。 また、一部グレードには標準装備される大型のガラスルーフは2007年4月現在でSUVとしては最大量産車としても3番目に大き開口部面積を誇る。 販売好調で、2007年1月販売開始から3か月年間販売計画台数3分の2である6台の受注があり、英国サンダーランド工場においては2007年6月2008年1月に2回の増産行っている。また、イギリス日産では2007年のトップセラーカーとなっている。 また、プラットフォーム共有するSUVエクストレイル4WD車が販売中心であるのに対しデュアリスFF車販売主力としており、実際欧州市場での販売の約70%はFF車である。また、対抗車種ハッチバック車としており、実際欧州においてはフォルクスワーゲン・ゴルフなどのハッチバックからの乗り換えが多い。

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初代(1975年-1977年)

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プリムス・グランフューリー」の記事における「初代(1975年-1977年)」の解説

1975年それまでフルサイズであったフューリーが、インターミディエイトサイズに小型化したことによって、空いてしまったフルサイズ穴を埋めるべくグランフューリーは登場した基本的に1974年フューリーベースとなっており、細部変更され進化版といったカタチであったラインナップ大きく分けてセダン/ハードトップのグランフューリーとワゴンモデルのサバーバンの2種類となっていた。 1976年大幅なフェイスリフト実施し1977年まで生産された。 グランフューリーはパトロールカーなどのフリートセールスが好調で、現にプリムス1975年全米警察車両販売台数で1位を獲得しており、その中でベストセラーがこのグランフューリーであった

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初代(1960年-1964年)

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ポンティアック・テンペスト」の記事における「初代(1960年-1964年)」の解説

初代テンペストは、同年式のオールズモビル車と類似した外観備えていたが、内部根本的に異なった構造で、特に動力系設計特異なものであった。それはフロントエンジン・リアドライブ基本レイアウトではあったが、トランスミッション後部追いやりデフ一体化させたトランスアクスル用いる、アメリカではほとんど例のない手法であったなおかつ低床対策のため、さらに特異な設計採用されていた。 それが、エンジン後傾トランスアクスル前傾させ、その間を結ぶトンネルと、そこに内蔵され¾ inの柔軟湾曲したプロペラシャフトからなる「"ロープドライブ"」("Rope drive")である。このレイアウト前後輪にほぼ50/50理想的な重量配分与え4輪独立懸架実現し通常の形式車でトランスミッション収めるのに必要な前席足元の"張り出し"や、背の高いフロアトンネル廃することができるという利点持ち合わせていた。 フロントエンジン後輪駆動車でトランスアクスル採用した事例それ以前にも複数存在したが、複数箇所ベアリング強制的に湾曲させた状態のプロペラシャフトを、エンジンクランクシャフトと同じ回転数動力伝達用いた事例はほとんどなかった(当時機械式であったスピードメーターケーブルのごとき変形を、遥かに大きな力を伝達する走行動力シャフト強いたのである)。 この車の設計者1956年パッカードからヘッドハントGM移籍し1961年にポンティアック・ディビジョンのチーフエンジニアとなっていたジョン・デロリアン(John Z. DeLoreanであった。彼はその後1972年GM副社長にまで登りつめるが、翌年には退社独立し、彼自身の名を付けた車を造ることになる。 当時ビュイックオールズモビル姉妹車通常の前部エンジンとトランスミッション搭載しフロアトンネルの下に2分割式のプロペラシャフト通した、ごく平凡なホチキス・ドライブ方式Hotchkiss drive )を採用していたことからするとテンペスト独自性際立ったものであったテンペスト1961年度の『モータートレンド』(Motor Trend )誌のカー・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれ、『ロード・アンド・トラック』(Road & Track )誌はテンペストを「極めてゆったりとしている」「フォード・モデルA(Model A )以来、最高の実用車の1台」と褒め称えたエンジン市場で「トロフィー4」(Trophy 4 )と称され195 cu in(3.2リットル)の直列4気筒で、アメリカにおけるこのクラスコンパクトカーエンジンでは平凡堅実な直列6気筒定番であった状況からすれば、これまた特異であったトロフィー4系エンジンは、ポンティアック大型車――ボンネヴィル(Bonneville )やカタリナCatalina )などの標準エンジンであったポンティアック389 cu inV8気筒の右シリンダー・バンクから派生したエンジンであった。このエンジン倹約家消費者には燃費良い経済性の高いエンジンだと宣伝されたが、ポンティアックにとっても389エンジン同一生産ライン製造できるためコスト抑えることができた。エンジンは8.6:1の低圧縮比に1バレル・キャブレター、10.25:1の高圧縮比に1バレル・キャブレターと高圧縮比に4バレル・キャブレターの3種類があり、1バレル・キャブレター版が110 - 140 hp出力だった一方で、4バレル・キャブレター版は4,800 rpm155 hp82 kWSAE グロス)の出力と2,800 rpm215 ftlbf292 N・m)のトルク発生した。この3種エンジン全て18 - 22 MPG(約7.6 - 9.3 km/L)の範囲燃費であり全般的に信頼性富んでいたにもかかわらず機械調子が悪いときは蹴り入れれば良い思っているようなディーラー整備士農村地帯出身思われる)からは「"ヘイベーラー"」("Hay Baler,":乾草圧縮梱包機)」という蔑称付けられた。 小さいことだが著名なもう1点その他のY-ボディ車との違いホイールであったビュイックオールズモビル両車は自ブランドのY-ボディ車に当時の他のGM車には使用されていない14 in(360 mmホイールに4本の直径4.5 in (a "four-on-four-and-a-half" bolt pattern)のスタッドstud )を使用し半端なサイズの9.5 in(241.3 mmドラムブレーキ標準化していた。ポンティアック15 in(380 mmホイールに同サイズ("five-on-four-and-a-half")の5本のスタッド使用し、9 in(229 mmドラムブレーキ装着していた。このポンティアック構成その他のGM車には使用されていなかったが、ホイールは約4年後の1964年半ば発表されフォード・マスタング同一の物であった。多分唯一合致する共通点は、テンペスト足回り製造していたロサンゼルスポンティアック工場が、マスタング開発されていたフォード工場と道を1つ隔てた場所にあったことであった特筆すべき点は、1961年1962年モデルテンペストオプション設定されていた革新的なアルミニウム製ビュイック215 cu in(3.5リットルV型8気筒である。215エンジン付きテンペストはちょうど6,662台が注文され、これは全生産数1パーセントだったと見られている。このエンジン155 から 215 hp(160 kW)までの出力発生したが、重量架装状態で330 lb150 kg)しかなかった。ポンティアック215ブロックは、ポンティアック工場搭載される車毎にVINとともにビュイック・マークが手作業刻印されることが他のビュイック215エンジン異なる点であった1961年モデル全てのポンティアック215ブロック番号は"161P"で、1962年モデルは"162P" で始まった。これより後ろコード番号はその車がオートマチックトランスミッション(AT)車かマニュアルトランスミッションMT)車かを示していた。1961年モデルでは1速のみシンクロメッシュ・ギアがない3速コラムシフトMTか、ダッシュボードイグニッションキー右に位置する小型レバー操作する2速ATがあった。装置自体には表記されていなかったが社内文書で「"テンペスト・トルク"("TempesTorque")」と呼ばれたこのATは、シボレー・コルヴェア搭載されていた物と良く似た(しかし共通部品はほとんどなかった)パワーグライド(Powerglide )の1種であった翌年にはフルシンクロ化され4速フロアシフトMT追加された。導入され当初テンペスト4ドア・セダンサファリというステーションワゴンのみであった2種類2ドア・クーペその内の1台はルマン命名された)は1961年モデルのボディスタイルで1961年末に追加された。 1962年モデル登場したとき、元々ルマンは前席にバケットシート装備したトリムパッケージ(trim package )の豪華版であり、新しコンバーチブル追加された。これでテンペストステーションワゴンセダンクーペコンバーチブルの全4モデル揃った。この4モデル全て只のテンペストであり、より豪華なクーペコンバーチブルを望む購入者追加料金払ってテンペスト ルマン選んだセダンステーションワゴンにはルマン設定されていなかった。オールズモビルビュイックカットラススカイラーク各々により高価なオプションとしてピラーレスのハードトップ設定していたが、ルマンにはピラーレス・ハードトップはなかった。1963年モデルルマン独立したシリーズとなり、テンペストルマン合わせた生産数半分にも達した操縦性改善のためにトランスアクスル改良加えられ1963年モデルは前2年モデルより幾分大きく重くなり(今や「"シニア・コンパクト"("senior compact")」と呼ばれた)、ほとんど注文のない215エンジンよりも強力な高性能オプション提供された。215エンジンポンティアック製の新し326 cu in(5.3リットルV型8気筒代替され、このエンジンの外寸は長寿389エンジンと同じであったがより強力なトルク発生できるように内部設計異なっていた。新しい型のAT(その時点では正式にケースに「"テンペスト・トルク"("TempesTorque")」と刻印されていた)はこの強力なトルクに耐えられるように設計されV8エンジン搭載車4速AT付き製造されたなら4速車はそれ程少数ではない(しかし、どちらのエンジン用にも3速ATは残されていた)。高圧縮比の326エンジン出力260 hp197 kW)でトルク352 ftlbf477 N・mであった実際排気量336 cu inであったが、言い伝えによるとGMではどのディヴィジョンシボレー・コルベット327より大きなエンジン使用することが禁じられていたために公表値は326であったエンジン重量鋳鉄製のために195 cu inのトロフィー4より重い260ポンドになり、前後重量配分は54/46となった性能は『カーライフ』(Car Life )誌が「何故にGM389エンジン載せなかったのかと考える者は誰もいないであろう」と述べるほどに充分強力であったし、燃料消費率326エンジンで最高19 mpgであったV8エンジンオプション人気で、販売され1963年モデル131,490台のテンペストルマン52%が326エンジン付き注文であった翌年排気量実際に326 cu inに仕立て直されてしまったために1963年モデル326はその年限定のエンジンであった

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初代(2003年-2010年)

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シボレー・モンタナ」の記事における「初代(2003年-2010年)」の解説

初代モンタナオペル・コルサCの派生車種一つであり、基本的にオペル・コンボCをベースピックアップトラック化したのである2003年発売開始され、それまでコルサBピックアップメキシコではシェビーピックアップ)にとって代わった。また、南アフリカでは2代目オペル・コルサユーティリティとして発売され2010年オペルからシボレーブランド車に代わった。 エンジン仕向地によって異なるが、1.4L、1.8L、そしていすゞ製1.7Lディーゼル3種であったブラジル仕様フレックス燃料車となる。 生産ブラジルサン・ジョゼ・ドス・カンポス工場行われたまた、メキシコ工場南アフリカ共和国ポート・エリザベス工場ではブラジルからCKDキット供給受けて現地組立行っていた。

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初代(2011年 -)

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ハヴァル・H6」の記事における「初代(2011年 -)」の解説

デザインは、H6の方がやや大きいものの、ホンダ当時中国市場販売していたSUVCR-V模倣した考えられている。 中国国内では、2012年フォルクスワーゲン・ティグアンホンダ・CR-V続いてSUV市場一角を占めるようになり、続く2013年2014年には中国国内におけるSUV部門販売首位となっている。 ハヴァル・H6 スポーツ レッドラベル ハヴァル・H6 スポーツ レッドラベル ハヴァル・H6 スポーツ ブルーラベル ハヴァル・H6 スポーツ ブルーラベル

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初代(1989年-1994年)

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ジオ・メトロ」の記事における「初代(1989年-1994年)」の解説

初代メトロスズキ生産してGM販売していた「シボレー・スプリント」をリバッジしたモデルとして誕生したスプリント自体スズキ北米進出する際に初め生産したモデルで、当時北米市場では数少ないサブコンパクトカーであったラインナップ3ドア、5ドアハッチバックで後にカブリオレ追加される4ドアセダンカナダでのみ販売されていた。搭載されていた直3エンジン排気量1.0 L、出力50馬力北米販売される自動車の中では非常に貧弱ではあったが、燃費当時アメリカ車の中ではずば抜けてよく、また装備も必要最低限のものしかなく割り切られ作られていたため販売価格は非常に低廉であったインテリア同時期に発売されていたジオ・ストーム同様にインパネ周りにサテライトスイッチを装備していた。当時ガソリン価格上昇していた時期であり、また故障率低かったことから主婦学生日常の足グルマとしてヒットし、ジオブランドの序盤の成功築いた当初ラインナップ5速MTの「XSi」のみであったが、翌1990年3速AT、エアコンステレオ装備したLSi」が追加されその後マイナーチェンジが行われるたびに快適装備追加されていき、モデルとしても成熟重ねていった。また特筆すべき点として、1991年受注生産開始されカブリオレはこのクラスでは珍しく2万台以上を売り上げ大きく好評博していた。これにより当時北米市場知名度低かったスズキ製モデル認知貢献することとなった1994年まで5年製造されその後2代目へとモデルチェンジしている。 1989年当初カナダではジオブランドは展開されておらず、ポンティアック・ファイアフライとして販売された。同国においてはスプリント引き続きシボレー名義販売されていたが、1992年にはカナダでもジオブランドでの販売スタート同年よりハッチバックセダンともに「メトロ」を名乗っている。 なおメトロ生産ハッチバックカブリオレ当初スプリント同様に日本行われていたが、後の1990年よりGM共同設立したCAMIオートモーティブ拠点移動させ、セダンのみ日本製造継続された(セダン日本のカルタス・エスティームのリバッジであった)。 5ドアハッチバック カブリオレ セダン

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初代(U387型、2006年-2015年)

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フォード・エッジ」の記事における「初代(U387型、2006年-2015年)」の解説

初代エッジ2006年1月開催され北米国際オートショーにて発表され同年内に2007年モデルとして発売開始された。 プラットフォームマツダ・アテンザフォード・フュージョンリンカーン・MKZなどと同じフォード・CD3プラットフォームであり、姉妹車リンカーン・MKXとはボディシェル共有している。 搭載されエンジンとトランスミッションはいずれ新開発で、「デュラテック353.5 L V型6気筒DOHCゼネラルモーターズとの共同開発による6F 6速ATが組み合わせられた。 グレード当初SESELリミテッド、そして2008年2月シカゴオートショー2009年モデルとして発表された「スポーツ」の4つ設定される2010年2月シカゴオートショーにてフェイスリフト受けた2011年モデル発表された。SESELリミテッドはTi-VCTが付いたデュラテック35加えて、エコブースト 直列4気筒 2.0 L ターボ選択可能になった。エッジスポーツは3.7 Lのデュラテック37換装され、これにパドルシフト可能なセレクトシフト6速ATが組み合わせられた。 また、インフォテインメントシステムはタッチスクリーンUI備えたMyFord Touch導入された。エッジには4.2インチカラーLCDディスプレイ付きのものが装備されるエッジまた、中国でも2010年4月23日北京モーターショーにてお披露目され、2011年1月から同国市場での販売開始された。 前期型エッジSE 前期型エッジスポーツ 後期型エッジSE 後期型エッジスポーツ 後期型内装。MyFord Touch装備している。 エッジ中国仕様

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初代(1994年-1999年)

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ダッジ・ネオン」の記事における「初代(1994年-1999年)」の解説

1994年初頭ダッジ・コルト、ダッジ・シャドーの後継としてデビュー一方プリムス向けの姉妹車プリムス・ネオンプリムス・コルト、プリムス・サンダンス、プリムス・レーザー後継としてデビュー)。 当初セダンのみが販売されクーペ1994年秋に発売された。

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初代(1983年-1991年)

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プリムス・コルトビスタ」の記事における「初代(1983年-1991年)」の解説

シャリオOEMとして販売開始。ボディスタイルは1983年から販売開始され世界初ミニバンプリムス・ボイジャーダッジ・キャラバン似たものであった。ただし、販売面ではボイジャー/キャラバンの方がはるかに優勢であった広告テレビCMでは「コルト」を省いたビスタ」という呼称用いられていた。

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初代(1994年-1999年)

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大宇・アカディア」の記事における「初代(1994年-1999年)」の解説

1994年3月発売開始したエンブレム類こそ違うが、プラットフォームはもちろん、3.2L・V6 SOHCエンジン内外装部品のほとんどをベースレジェンド共用することで極力価格上昇抑えたが、それでも発表当時価格は4,190ウォンと同クラスでは比較高価な部類であった。 ただしその分装備類は充実していて、当時高級車でも採用率の低かったABSや両席エアバッグいち早く標準装備するとともにシートベルトプリテンショナーヒーターとポジションメモリー機能備えた運転席パワーシートプッシュボタン式ドアオープナー、フルオートエアコンなど高級車にふさわしい装備であったトランスミッション4速ATに加え北米市場搭載され5速MT用意された(発売時はMTスタンダードで、ATはオプションだった)。 品質走りの面では高い評価得ていたが、上述価格面に加え発売直後起きたATの暴走事故災いし販売面では思うよう伸びず、1999年12月販売終了した

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初代 (1972年-1977年)

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フォード・グラナダ (ヨーロッパ)」の記事における「初代 (1972年-1977年)」の解説

1972年3月登場それまで欧州フォードの上級車は英国ではゼファー・ゾディアック、西ドイツではタウヌス17M/20M/26Mという全く別のモデル生産されていたが、1967年エスコート始まり1969年カプリ1970年のタウヌス13-15M/コーティナと進行してきた英独生産モデル統合が、このグラナダ登場によって完結した。なお、デビュー当初廉価版は「コンサルConsul)」という、英国フォード長年使われた名称が与えられて別車種とされていたが、1975年には全車種が「グラナダ」に統一された。 グラナダ機構的に既存フォード各車の方式踏襲していた。エンジンイギリス生産車ではV型4気筒2,000cc、V型6気筒2,500/3,000ccのいわゆるエセックスエンジン搭載されドイツ生産車にはタウヌス17Mに用いられていたV型4気筒1700cc、V型6気筒2,000/2,300/2,600ccの「ケルンエンジン、そして英国と同じV6・3000ccが積まれていた。ドイツ生産車V4エンジン1974年に、アメリカピント用に開発・生産されていた直列4気筒エンジン置き換えられた。サスペンションはタウヌス13-17M/コーティナと同じ形式で、前が欧州フォード開発したマクファーソン・ストラットではなくダブル・ウィッシュボーン独立、後はコイルスプリング吊られ固定であった。ゼファー・ゾディアックのブレーキ当時としては珍しい4輪ディスクであったが、グラナダでは後輪はタウヌス17M/20M/26M と同じくドラム戻された。 ボディバリエーションには2ドア4ドアセダン、5ドアワゴン、2ドアクーペがあった。クーペ当初コークボトル型の丸み帯びたスタイル西ドイツでのみ販売され英国では売られなかったが、1974年シリーズ全体マイナーチェンジ受けた際に直線的なスタイル改められ英国でも最上級の「ギア」(従来の「GLX」から改称仕様限って販売されるようになったグラナダ南アフリカでも生産され現地道路事情合わせてV8エンジン搭載車作られた。また、日本にも1973年頃まではディーラー近鉄モータース・ニューエンパイヤモーターなどから輸入されていた。

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初代(1978年-1979年)

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ダッジ・マグナム」の記事における「初代(1978年-1979年)」の解説

マグナムNASCAR参戦のために、チャージャーSEベース生み出されモデルである。 1978年当時クライスラーNASCARチャージャーSE参戦していた。チャージャーSE市販モデルとしては優秀であったが、そのベース1974年から大きく変化しておらず、レースカーベースとして鑑み場合デザインなど旧態化しており、空力面などでいささか不利になる要素含んでいた。そこでチャージャーベースデザイン見直し性能を向上させたモデルとしてマグナム企画された。 マグナムチャージャーSEとの大きな違いはフロントマスクである。マグナムヘッドライトの透明カバーリトラクタブルになっており、ヘッドライト点灯とともにカバー隠れるというユニークな構造であった。このリトラクタブルの透明ヘッドライトカバーは1979年から販売されるダッジ・セントレジスにも採用されていた。また、ボディデザイン空力優先し細長いオペラ・ウィンドウを備えており、ボディタイプT-バーかパワーサンルーフを選択できた。 こうして誕生したマグナムであったが、ベースになったチャージャー自体設計10年上前の物で既に相当旧態化が進んでおり、またビッグブロックV8エンジン生産終了していたことから、わずか1年でダッジ・ミラーダに置き換えられた。 マグナムBプラットフォーム搭載した最後モデルであった。 なお、NASCAR投入されマグナムエンジントラブルなどが続いたこともあり、芳しい成績上げることはできなかった。

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初代 (1999-2000年)

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キャデラック・エスカレード」の記事における「初代 (1999-2000年)」の解説

初代エスカレード(GMT400)は、1999年モデルイヤー登場した1998年から発売開始されGMC・ユーコン デナリ(GMC・ユーコン豪華版)をベースに高級SUV仕立てたモデルで、外観大半ユーコン デナリと共通である。エンジンは5.7 LのV型8気筒トランスミッションは4ATでフルタイム4WD方式採用している。 既存車種であるユーコンベースしたため企画からわずか10か月販売こぎつけた。しかし発売されたモデル高級感謳ってはいたが、あまりにもベース車両面影を引きずっており、「フェイスが違うだけで値段跳ね上がったユーコン(あるいはタホ)」とまで揶揄された。そのために販売振るわず発売からわずか1年余り販売終了した

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初代 (2017年 -)

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キャデラック・XT5」の記事における「初代 (2017年 -)」の解説

2015年ドバイ自動車ショーロサンゼルス自動車ショーにてコンセプトカー発表された。2016年春に生産開始するにあたりキャデラック新しい車命名方式によって「SRX」から「XT5」へと車名変更したキャデラック2017年上半期販売台数が約3台に上り前年同期比で約34%の増加となった。その販売台数のうち約44%を「XT5」が占めた高張力鋼板レーザー溶接剛性持たせる方式は、ラグジュアリーセグメントでも普及しているが、GM特許を持つ異素材接着技術多用し鋼板軽量構造接着剤接着溶接する事で面での剛性確保。それにより無駄な補強軽減する事ができ、同クラス軽量実現した

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初代(2R型、2013年 - 2019年)

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ルノーサムスン・QM3」の記事における「初代(2R型、2013年 - 2019年)」の解説

ルノーサムスン最小車種であり、同時にQM5に次ぐ本格的なSUVとなる。 製造釜山工場ではなくキャプチャー同様スペインにあるルノー・バリャドリッド工場行われるため、ルノーサムスンとしては初の輸入モデルとなる。 なお、2013年11月にはティザーサイトによる詳細発表され、1.5LディーゼルdCi)+ゲトラグパワーシフトDCT採用しグレードは「SE」(モノトーンカラー)、「LE」「RE」(ともに2トーンカラー)の3種用意した上で12月発表予定アナウンスされ同時に行った1000限定事前予約はわずか7分で埋まったその後12月28日に正式発表された。 2016年からは、公式サイトYou Tube等で「CAPTURE(CAPTUR) LIFE」(前期型)「CAPTURE(CAPTUR)VIVID LIFE」(後期型)のフレーズ前面押し出すことで、キャプチャーとの関係性強調している。 2013年12月28日 - 発表発売2014年12月1日 - 2015モデル発表RE新色マリンブルー」(ルーフ部はホワイト)を追加しキャプチャー採用済のインテリアカラーを加え、計3種類としたことで、組み合わせ大幅に拡大SEには電動格納式ドアミラー追加グレード体系およびメカニズム変更はない。 2015年3月1日 - 「RE」をベース専用車体色の「ソニックレッド」を纏い、スキッドプレートや路面状況に応じてグリップ力を変えられる「グリップコントロール」を標準装備しながら価格そのままとした「RE SIGNATURE」を追加2015年11月18日 - 2016モデル移行全車オートストップスタート標準装備しながらも、K9K型エンジンユーロ6基準クリアする排ガス性能満たすように改良したため、燃費は18.5km/Lから17.7km/Lに低下したその後ランニングチェンジで17.3km/Lに低下)。インテリアセンターコンソールデザイン改良して移動式カップホルダー追加しフロントシート角度調整レバー追加することで使い勝手を向上させた。また、外装色には新色「カーボングレー」も追加された。 2016年11月25日 - 2017モデル移行。「RE SIGNATURE」に「エトワールホワイト」を追加し、「ソニックレッド」「ショコラブラウン」を加えた3種からの選択制とした。「エトワールホワイト」は専用装備として、ホワイト色がベースの2トーンカラーや電子ルームミラーシルバー色のスキッドプレート等を備える。 2017年7月26日 - マイナーチェンジ販売8月1日より)。変更内容先に改良施されキャプチャーにほぼ準拠ロシア向けキャプチャー似たフロントマスクに刷新され、フロントには新たにC型のランプシグネチャーを採り入れたバンパー、「LEDピュアビジョン」と呼ばれるLEDヘッドライトシーケンシャル連鎖点灯タイプのターンランプを採用。リヤコンビレンズにもLED採用される外装カラーリング内装素材アルミホイールデザイン変更されREには新たにクラス初のパノラミックガラスルーフを採用したREパノラミック」を追加したメカニズムスリーサイズ変更はない。 2019年12月 - 販売終了2020年5月13日 - 2代目ルノー・キャプチャーとして韓国再上陸。 なお、キャプチャーとの差異として以下の点が挙げられる前後期共通)。 0.9L/1.2Lガソリンエンジンが非設定 フロントグリル内のCIマークモールCIマークが収まるように形状変更されている)の変更 リヤゲートガーニッシュ(キャプチャーは「CAPTUR」のエンボス加工あり、QM3無印車名エンブレム追加 カラーリング設定 など 搭載されるK9K型dciエンジン 2015年 REシグネチャー 兄弟車ルノー・キャプチャー2013年兄弟車ルノー・キャプチャー2018年

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初代(2004-2012年)

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ダチア・ロガン」の記事における「初代(2004-2012年)」の解説

2004年発表1998年ダチア傘下収めたフランスルノーによって1999年から「プロジェクトX90」として開発進められた。X90プロジェクトマネージャーは後にルノーサムスン自動車CEOなどを歴任するジャン・マリー・ウ(ェ)ルティジェ (:Jean Marie Hurtiger) である。当初ルーマニア低賃金と高い生産技術両立させることで5000ユーロ販売することを目標開発されたものの、実際販売された際は諸般の事情により6000ユーロからになった低価格ながらルノー最新技術反映されており、ルノー日産共同開発によるアライアンス・BプラットフォームベースとしたB0プラットフォーム採用しエンジンギアボックス内装など、他のルノー車のパーツ50%程度流用することでコスト低減図っている。 エンジン当初2種類直4ガソリンエンジン1.4リットル1.6リットル)が用意され2006年3月には1.5リットル直4コモンレールディーゼルエンジン(1.5DCi 9840ユーロから)も追加された。 ボディタイプ当初4ドアセダンのみの設定だったが、後にステーションワゴンロガンMCV)とバンピックアップハッチバック派生車種(サンデロ)も追加された(後述)。 2008年7月にはフェイスリフトが行なわれ、新デザイングリル与えられた。 後期型フロント後期型リアインテリアルノー版)

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初代(2004年-)

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シボレー・コロラド」の記事における「初代(2004年-)」の解説

シボレー・S-10後継として、2004年モデルから発売開始姉妹車として、GMC・ソノマ後継GMC・キャニオンいすゞ・オンブレ後継いすゞ・iシリーズがある。また、いすゞ・D-MAXハマーH3と車台共用する日本ではかなり大きなサイズだが、アメリカではフォード・レンジャーなどと同じく比較コンパクトなピックアップトラックであり、学生などに人気がある。 タイ仕様車は2008年フェイスリフト行い米国仕様車大幅に異なスタイリングになったまた、これに伴いオーストラリアホールデンそれまでのホールデン・ロデオを打ち切り、ホールデン・コロラドの販売はじめた。すなわち、OEM供給元をいすゞ自動車からGMタイランド切り換えのであるGMC・キャニオン シボレー・コロラドタイ仕様) ホールデン・コロラド

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初代(1993–1998年)

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マーキュリー・ヴィレジャー」の記事における「初代(19931998年)」の解説

開発当初は、マツダ共同開発をする予定であったが、マツダ静粛性快適性ハンドリング優れFR方式(初代MPV)にこだわったため、日産共同開発をすることになった。 このジョイントベンチャーは、1987年に「日産CR」として、日産人材フォード社開発資金提供する形で進み開発日産リサーチデベロップメント搭載されV型6気筒OHC VG30Eエンジン生産は、米国日産自動車製造(NMMC)がテネシー州スマーナ工場行い最終組み立てフォード社オハイオ州アヴォン・レイク工場それぞれ担当した日産では日産クエストとして販売されフォード社ではマーキュリーブランド使用しマーキュリー・ヴィレジャーとして販売された。 クエストがGXE、XEと2グレードだったのに対しヴィレジャーGSLSグレードの他、Nautica Special Editionという高級グレード設定されていた。Nauticaには2トーンペイント、黄色ピンストライプ、及び専用シートなどが装備されメーター専用デジタル式となっていた。 並行輸入業者により並行輸入の形で少数輸入されている。 1996年マイナーチェンジ

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初代(日比谷)

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東京ディズニーリゾート・チケットセンター」の記事における「初代(日比谷)」の解説

1992年8月11日に、舞浜地区以外にある東京ディズニーランドの公式施設としては初めて、有楽町電気ビル1階に「東京ディズニーランド・チケットセンター」としてオープンしたその後1999年5月19日日比谷三井ビルディング東京都千代田区有楽町1階移転した当日セレモニーには、ミッキーマウスミニーマウス駆けつけ盛大に行なわれた。 この施設は、東京ディズニーリゾート・チケットの販売前売券当日券)をはじめ、東京ディズニーリゾートギフトカードの販売行なっていた。また、東京ディズニーリゾート・ガイド」やディズニーホテル等のパンフレット置いてあり、リゾート外では唯一の貴重な情報提供の場所でもあった。 当初唯一パーク以外の場所でパークチケット本券購入できる施設(他の代理店では「観光券」として発券され、当日現地本券引き替えなければならない)として、連日多く利用客訪れていた。しかし、事業拡大通信システム発展にともないTDR経営運営するオリエンタルランド(OLC)の子会社リテイルネットワークス」がディズニーから権利譲渡され日本国内ディズニーストア経営運営ディズニーから引き継いだ事により、全国の店舗にてパークチケットの販売リゾート情報の提供が可能になった事(一部店舗には専用のチケットカウンターを設置)、そして公式サイトでの情報提供・パークチケットのネット販売など、より広範なチャネル構築されチケットセンター当初の目的達した判断されたことから、営業終了決定された。

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初代(1996 - 2005年)

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シュコダ・オクタヴィア」の記事における「初代(1996 - 2005年)」の解説

1996年発売開始。 なお、コンビ(ワゴン)は2代目登場した後も生産続けられており、西欧市場ではオクタヴィア・ツアー (Octavia Tour) と車名変更して販売されている。

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初代 (2007–2016年)

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GMC・アカディア」の記事における「初代 (20072016年)」の解説

アメリカ合衆国2006年12月カナダでは2007年1月)に発売開始。エンボイとユーコン中間位置するモデルである。 アカディアGMCブランド初のCUVであり、ユニボディFFベースアーキテクチャ採用も同ブランドでは初めてとなる。ユニボディ構造採用従来のトラックベースのSUVよりも低重心となり、横転事故リスク減らしている。またボディ構造はクロスカービームなどを含めて高張力鋼補強されている。 従来ポンティアック-ビュイック-GMCディーラー網販売されていた7/8乗り車種には中型バンGMC・サファリSUVGMC・エンボイXLミニバンのポンティアック・モンタナSV6(アメリカのみ)があったが、3列7/8乗りシート備えたアカディアはこれらにとって代わる車種となる。 プラットフォームGMラムダプラットフォームを採用しシボレー・トラバースビュイック・アンクレイブ、および既に製造終了しているサターン・アウトルックとは兄弟関係にあたる。特にアウトルックとはボディシェル共有するアカディア価格帯トラバースとアンクレイブとの中間となる。これらラムダプラットフォーム採用車の生産ミシガン州ランシングのランシング・デルタ・タウンシップ組立工場にて行われるエンジンGMハイフィーチャー3.6L V6搭載し最初に採用されたLY7型では出力トルクそれぞれ275hp(205kW)、251lb-ft(340Nm)を発揮した2009年モデルからは直噴化したLLTに換装され、出力トルクそれぞれ288hp(215kW)、270lb-ft(366Nm)に向上したまた、トランスミッション新開発の6T75型6速ATが組み合わせられた。 サスペンション前後とも独立懸架である。フロントはダイレクトアクティング・スタビライザー・バーとアルミナックルを備えたマクファーソンストラット式。リア新開発のHリンク式採用し、よりコンパクト古典的なSUVよりもスムーズな乗り心地実現した駆動方式FFおよびAWD両方用意されている。タイヤおよびホイール標準18インチ装着されオプション19インチ選べるアカディア2ステージ式の運転席および助手席エアバッグ2つサイドエアバッグ2つカーテンエアバッグ備える。さらに、アカディアにはGMテレマティクスであるオンスター (OnStar) システム第7世代標準装備される。新型のオンスターシステムは衝突時の緊急対応機能備えている。 2012年2月シカゴオートショーにてフェイスリフト受けたアカディア2013年モデル発表された。フロントマスクは2010年北米国際オートショー出品されコンセプトカー「グラニット」風のデザイン改められている。 なお、このフェイスリフトについてカー・アンド・ドライバーブログでは、GMがすでに製造終了しているサターン・アウトルック部品流用しているのではないか推測する記事投稿している。Autoblogが取材したところ、GMC広報担当者もこの事実認めアカディア2013年モデルのリフトゲートガラス、スポイラー、リアクォーターパネル、リアスライドガラスは全てアウトルックからの流用であると回答している。

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初代(2006-2018年)

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シボレー・キャプティバ」の記事における「初代(2006-2018年)」の解説

2004年9月パリモーターショーコンセプトモデルシボレー・S3X」が、2006年3月ジュネーヴ・モーターショー市販モデル(C100型)がそれぞれ公開され同年夏から各国市場にて順次発売開始した。主に欧州市場意識して開発され車種であり、すでに同じGMシータ・プラットフォームを採用するシボレー・エクイノックス販売されている北米市場には投入されなかったが、2012年モデルからは北米市場でもシボレー・キャプティバ・スポーツという名称で発売される予定だったが、撤回された。 5人乗りと7人乗り用意されエンジン直列4気筒エコテック2.4L、V型6気筒アロイテック3.2Lの2種類ガソリンエンジンいずれもホールデンから供給)に加えて、伊VMモトーリとの共同開発によるGM大宇初の2.0Lコモンレールディーゼルエンジンが搭載される。 2010年9月パリ・モーターショーにてマイナーチェンジ型を発表。フロントマスクなどが大幅な変更受けた上述通り韓国仕様はこの直後社名GM大宇から韓国GM変更されたため、マイナーチェンジ同時に車名それまでの「GM大宇・ウィンストーム」から他国と同じ「シボレー・キャプティバ」に変更された。 2013年3月ジュネーヴ・モーターショーで、マイナーチェンジ型を発表新しシート生地インストルメントパネルスマートエントリーシステム、リアシート・ヒーター、新デザイン18インチホイールなどを採用2015年12月一部改良外装では新デザインフロントグリル、LEDデイタイムランニングライト(DRL)を内蔵したヘッドランプ内装ではApple CarPlayAndroid Auto対応した新しい7インチ・タッチスクリーン・インフォシステムが搭載された。また一部グレードブラインドスポットモニター、リア・クロストラフィック・ウォーニング、19インチアルミホイールを装備2018年韓国にてオーランドとともに販売終了。両車の統合後車種としてエクイノックス(3代目)投入された。その他の市場でも後継車は、GMC・アカディア2代目)シボレー・エクイノックス3代目)となり、2018年をもって生産終了した

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初代 (2011–2018年)

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シボレー・オーランド」の記事における「初代 (20112018年)」の解説

2010年モンディアル・ド・ロトモビル量産型発表された。生産同年10月からスタートされ、同年末~2011年初頭より欧州全域皮切りに順次発売韓国市場においても韓国GMを介して2011年3月より発売開始された(韓国語:「쉐보레 올란도」。読み的には「スェボレ オㇽランド」)。また、2012年12月13日よりマレーシアにおいてもナザ傘下、ナザ・クエストから同名発売開始。1.8Lのみで、韓国からの輸入となる。 2013年登場2014モデルにおいてはドアミラー内蔵のターンレンズが採用され新色18インチアルミホイールも設定された。 2018年韓国においてキャプティバとともに廃止され、両車の統合後継車として、エクイノックスが投入されることとなった

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初代 (2017年 -)

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ヒュンダイ・セレスタ」の記事における「初代 (2017年 -)」の解説

クラス的にはフルBセグメント (日本言えば国内向けカローラ相当) といえるが、ボディサイズ3ナンバー該当するグレード構成ヒュンダイ車によくあるGL」「GLS」と「DLX」の3構成で、GLMTのみ、GLSDLXスポーツモードAT選択可能。足回りに関して前輪ベンチレーテッド/後輪ソリッドディスクブレーキが備わるが、GLのみリアドラムブレーキとなる。

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初代(1969年-1972年)

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GMC・ジミー」の記事における「初代(1969年-1972年)」の解説

1969年発表された。

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初代 (2007-2012年)

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リンカーン・MKZ」の記事における「初代 (2007-2012年)」の解説

同じフォード・CD3プラットフォーム採用する姉妹車であるフォード・フュージョンマーキュリー・ミランとはドアなどボディパネル多く共有するが、外観ではフロントフェイスなどで差別化図られ、また内装は全く異な独自のもの与えられた。パワートレーンは3,000ccV型6気筒DOHCエンジン6速ATの組み合わせのみで、駆動方式FFのみであった。 しかしLS8気筒モデル製造終了した2006年にはゼファーもまた早々に姿を消すこととなったリンカーン新しい車名の命名規則導入し、MKXの発表続いてゼファーMKZ改名された。2月シカゴオートショー発表され2007年モデルMKZではグリルなどの外観小変更があり、AWDラインアップ加わったほか、姉妹車フュージョンミラン先駆けてエンジン新開発3.5L V6換装された。 2008年12月ロサンゼルスオートショーでは姉妹車フュージョンミランとともにフェイスリフトされた2010年モデル発表され、翌2009年から2010年モデルとして発売された。MKSから導入され新しリンカーンファミリーフェイスMKZにも導入された。なお、フュージョンミランには同時にハイブリッド仕様加わっている。 MKZハイブリッド仕様姉妹車より遅れて2010年4月ニューヨーク国際オートショー発表された。パワートレーン姉妹車と同様でアトキンソンサイクル化した直列4気筒 2.5Lエンジン電気モーターである。すなわち、リンカーンでは初のハイブリッド車であると同時に、初の直4エンジン搭載車ということにもなる。

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初代 (2019年-)

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キア・テルライド」の記事における「初代 (2019年-)」の解説

2016年1月デトロイトモーターショーにおいてコンセプトカーテルライド (Telluride)」を初公開した。 2019年4月、ボレゴ(モハベ)の後継車として北米市場発売開始韓国ではモハベ改良を受けながら継続販売されているため、投入されない。

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初代 (2006-2012年)

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キア・シード」の記事における「初代 (2006-2012年)」の解説

2006年春ジュネーヴモーターショーで5ドアハッチバックのコンセプトカーとして出展された。その後、秋のパリサロンで5ドアハッチバックおよびステーションワゴン市販モデル発表され同年末より欧州発売開始した。生産起亜初の欧州生産拠点であるスロバキア・ジリナ工場行われる開発時のコード名は「ED」。欧州のデザインセンターでデザインされた。現状では欧州専用車であり、韓国その他の地域では販売されていないシードCセグメント分類されプラットフォームヒュンダイ・エラントラHD型)と共通のものを使用している。ボディタイプは5ドアハッチバック/ステーションワゴンラインナップされている。また、3ドアハッチバック「プロシード」 (Pro-cee'd) が2008年1月から発売開始された。シード設計元に作られたのが、親会社現代自動車i30である。i30シードとは違い韓国市場でも販売されている。 エンジンは1.6L・2.0Lの直列4気筒ガソリンエンジンと1.6L・2.0Lのディーゼルターボ直4ラインナップされている。ミッション5速/6速MT4速AT。 安全性においてはABSESPエアバッグむち打ち防止ヘッドレストなどを装備しユーロNCAP5つ星の評価受けている。 シード発売後に高い評価を受け、2008年度ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーでは第4位を獲得した。 スポーツパッケージ インテリア

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初代 (1963-1965年)

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マーキュリー・マローダー」の記事における「初代 (1963-1965年)」の解説

1963年マーキュリーのフルサイズモデルであるモンテレーのスポーツパッケージオプションとして登場したスラント形状ルーフを持つ2ドアハードトップボディは、当時水準としては優れた空力性能を持つ。これはフォードマーキュリーNASCAR参戦させることを目的として開発行ったからである。そして実際に1963年から1964年にかけてマローダー姉妹車であるフォード・ギャラクシー・スポーツルーフと共にNASCAR数多く勝利を収めた

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初代(1989年-1992年)

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イーグル・サミット」の記事における「初代(1989年-1992年)」の解説

サミット3代目ミラージュのバッジエンジニアリングモデルで、メダリオン代替としてメダリオン販売終了した1989年より4ドアセダン販売開始された。グレード展開DLLX2種設定された。翌1990年には最廉価グレードベースグレードと、最上級グレードES追加された。1991年にはマイナーチェンジ実施しグリルデザイン変更するとともに3ドアハッチバックが追加設定された。 ベースモデル内装はファブリックシートに簡素な内張りパワーステアリングも非装備であった上級グレードLX以降パワーステアリング標準搭載された。 エンジン標準モデルでは81馬力発生する1.5L直4エンジン設定され最上級グレードESにのみ123馬力発生する1.6LDOHC直4エンジン搭載された。これに組み合わされトランスミッション5速MT標準で、3速ATはオプションだった。ESのみ4速ATも選択可能であった製造は3ドアハッチバックが三菱自動車倉敷工場で、4ドアセダンDSM行われたその他のクライスラー内のキャプティバインポートモデルとして、ダッジ・コルトプリムス・コルト)がラインナップされていた。

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初代(L70型、2010年 - 2016年)

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ルノー・ラティテュード」の記事における「初代(L70型、2010年 - 2016年)」の解説

2010年6月8日 - 写真公開するとともに概要一部発表(この時点ではエンジンの詳細内装デザイン公開されていない)。8月25日 - モスクワ国際モーターショーワールドプレミアエンジンSM5と共通の2.0L・直4の「M4R」と日産・ティアナと共通の2.5L・V6の「VQ25DE」を搭載基本的に前者エクストロニックCVT後者に6ATが組み合わされるが、M4Rには6MTも用意された。 9月末 - 各国高所得者を主ターゲットとし、モロッコアルジェリア発売開始(のちに、後者にはV63.5Lエンジン用意)。 9月30日 - パリサロン欧州仕様公開されたが、こちらは240PSを誇る3.0L・V6ディーゼルdCi)の「V9X」を筆頭に、2.0L・4気筒dCi「M9R」(出力特性により175PS、150PSの2種存在)を加えた計2機/3タイプディーゼル用意基本的に6速ATを組み合わせるが、M9Rには6MTも設定されいずれの場合でもパーキングブレーキ電子式となる。 10月末から - アフリカロシアトルコメキシコオーストラリア中国中国語表記:纬度)などで順次発売開始された。 2011年 - 納入国によってフルエンスにも搭載される「K9K」型1.5Lディーゼルエンジン(110PS)が設定された。初頭からフランス始めとする西ヨーロッパ向けの販売開始される2013年4月 - ルノーサムスンシンガポール輸入業者であるウェアネス·オートモーティブ(Wearnes Automotive PTE LTD)は、同国タクシー業2位会社であるトランスキャップ(Trans Cab)と1,275台のラティティード・タクシー仕様供給契約を結び、最初302台を輸出したエンジンは2.0dCiを搭載し、リヤコンビネーションレンズはマイナーチェンジ後の新デザイン採用されている。8月 - フランス仕様マイナーチェンジ。ブラインドスポットワーニング(BSW)の追加アルミホイール/リヤコンビネーションレンズのデザインシート表皮一新、「Renault R-Link」(SM5の「SMart Connect」に相当)の設定などSM5内容準ずるが、フロントマスクは基本的に従来型踏襲グレードは「Initiale」のみの単一設定で、3種dCi2種直4・2.0L・M9RとV6・3.0L・V9X)が用意される8月24日 - 中国仕様マイナーチェンジ上述フランス仕様とは違いフロントグリルデザインこそ異なるが、SM5共用のフロントマスクを採用LED内蔵ヘッドライトそのまま採用されるエンジンはすべてガソリン仕様のみで、2.0L・4気筒のM4Rと2.5L・V6のVQ25の2種前者にはCVT後者には6ATが組み合わされる。 10月 - オーストラリア仕様マイナーチェンジ内容フランス仕様準じておりフロントマスクの変更はないが、全車ブラックベゼルのヘッドランプとなったエンジン変わらず2.0dciとV6 3.5Lガソリン2種類グレードPrivilege(プリビレッジ)とDynamique(ディナミーク)。 2015年12月フランスにおいてはラグナと当車の後継車種となるタリスマン発表されたため、モデル廃止

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初代(1963–1969年)

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マセラティ・クアトロポルテ」の記事における「初代(19631969年)」の解説

初代はカロッツェリア・ピエトロ・フルアがデザインしたボディに4,100cc/256馬力エンジン搭載した最高速度230km/hのスーパースポーツサルーンとして、1963年のトリノ・ショーでデビューした1966年までに230台が生産されたところでエンジンが4,700cc/295馬力強化され引き続き1969年生産終了までに約500台が作られた。4ドアのイタリアン・スーパーカーとして、イソ・リヴォルタ・フィディアとともにユニークな存在であった日本にも当時ディーラー新東洋企業によって数台が輸入された。 初代(角型2灯式の前期型) 初代(リアビュー) 初代(後期型インテリア

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初代 (2016年 -)

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キャデラック・CT6」の記事における「初代 (2016年 -)」の解説

2015年ニューヨーク国際自動車ショー発表され、「フリートウッド」以来20年ぶりに大型FRセダンとして2016年3月アメリカ市場発売開始したキャデラック新戦略による一環として新しネーミング方法採用した最初のモデルである。

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初代(1983年–1990年)

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ダッジ・キャラバン」の記事における「初代(1983年1990年)」の解説

初代は1983年1984年モデルとしてデビュークライスラーFF車プロジェクトである一連の「Kカー」に採用されていた「クライスラーSプラットフォーム」およびそのコンポーネンツ流用して製作された。グレード構成ベースモデル普及モデルSE上級モデルLE設定されていた。FFレイアウトであることを生かした低床設計となっており、これにより従来販売されていたフルサイズバンよりも小型ありながら、それに劣らぬ室内空間確保したこと、スライドドアによる昇降性のよさ、さらにはシート組み替えることでレイアウト変更できる自由さ備えていたことにより、従来フルサイズバン取り回し難さにより敬遠していたユーザに対して訴求力となり、販売成功したデビュー当初より1988年までは同ブランドの代表車でもある「ダッジバン」にあやかったミニ・ラムバンと呼ばれるグレード存在した。また貨物モデル三菱エンジン6G72」を搭載したモデル設定もあった。 なお、1987年には全長延長し積載量を向上させたグランドキャラバンが追加された。 1990年クライスラー・タウン&カントリー5代目モデルとしてクライスラー版が登場したマイナーチェンジ続けながら1990年まで販売継続し2代目へと移行した後期型 キャンパー バン(CV) プリムス・ボイジャー

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初代(1978年-1980年)

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三菱・エテルナΛ」の記事における「初代(1978年-1980年)」の解説

この項目は、自動車関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(自動車ポータル/自動車PJ/乗用車PJ)。

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初代 (1978年-1986年)

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ダッジ・ラム50」の記事における「初代 (1978年-1986年)」の解説

フルサイズ以外のピックアップトラック自社ラインナップに持たなかったクライスラーが、オイルショックのあおりを受け、コンパクトなピックアップトラック加え必要に迫られた。当時クライスラーには小型車生産ノウハウがなかった事から、提携先であった三菱自動車から「フォルテ」を調達し、リバッジのうえ販売した

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初代(1956年-1961年)

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プリムス・フューリー」の記事における「初代(1956年-1961年)」の解説

フューリーショールームへ客を呼び寄せるためのモデルとして企画され1956年から販売開始された。 エントリーモデルブランドであったプリムスに、当時趣向であった豪華なモデルラインナップすることで従来とは異な顧客層集客を図る目的があった。 企画にちなみ、その名前の由来ローマ神話女神「フリアイ(Furiaeギリシャ神話エリーニュス)」にインスパイアされた造語である。 プリムス・ベルヴェデアとは姉妹車であり基本的なコンポーネンツ共有しているが、2ドアハードトップのみのボディボディカラー制限など、プリムスラインナップ上ではスペシャリティテイストの強いモデルであった。現に、初期フューリーにはオフホワイト彩られボディと、側面には金の装飾施されており、従来のプリムスモデルに見られない派手さ特徴であったラインナップは、2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、セダンステーションワゴン大幅なバリエーション展開された。 1959年型のみ、スポーツ・フューリーという名のスポーツモデル存在した

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初代 (2013年–2019年)

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ベントレー・フライング・スパー」の記事における「初代 (2013年2019年)」の解説

2013年2月ジュネーブモーターショー発表された。 車名は「コンチネンタル」が外れベントレー・フライングスパーとなったエンジン先代同じく6リッターW12ツインターボで、最高出力は625ps、最大トルクは81.6kgm。

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初代 (1981-1989年)

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リンカーン・タウンカー」の記事における「初代 (1981-1989年)」の解説

リンカーン部門ではフルサイズ車種大幅なダウンサイジング続き車種整理が行われた。コンパクトセダンのヴェルサイユなくなった後、リンカーンはほぼ同一車種の6台(コンチネンタル、コンチネンタル・タウンカー、マークVI、いずれにも2ドア4ドアモデル存在)を販売するになった1981年コンチネンタルとコンチネンタル・タウンカーを統合しマークVIの下に位置する1つのモデルラインにまとめる形でリンカーン・タウンカー登場した1980年モデルリンカーン・コンチネンタルと同じ車であるタウンカーは2ドアおよび4ドアセダンとして販売され、タウンクーペの名称は廃止された。マークVIとの差別化大きく影を落とした2ドアのタウンカーは1982年廃止された。リンカーン1984年マークVII登場した後、フルサイズ車種4ドアセダンのタウンカーのみに絞り込んだ発売当初、タウンカーは燃料価格さらなる変動予想して前輪駆動車に取ってわられる予定だったが、燃料価格安定し始めると後輪駆動車への需要高まりリンカーン=マーキュリー部門1980年代いっぱいまで、ほとんど目に見える変更加える事なくタウンカーを生産した1988年には20台以上が販売され、モデルラインとして過去最高を記録した

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初代 (1985–1991年)

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フォード・トーラス」の記事における「初代 (19851991年)」の解説

1985年86年モデルとしてアメリカで発売開始されたトーラスセダンステーションワゴン)は、LTD後継車種とされ、30ドル開発予算をかけ、ライバル目されドイツ車日本車徹底的に調べ上げた上で開発された。 保守的なデザイン持った前身車種LTDとは異なり1983年発売開始されサンダーバードをさらに洗練したようなエアロダイナミックなエクステリアcd値セダン0.33、ワゴン0.35)が特徴で、ヘッドライト形状から日本オーナーの間では「デカ目」の愛称呼ばれ親しまれている。 先進的なデザイン充実した装備日本車ドイツ車には無いベンチシートホワイトリボンタイヤ選択できることなど、当時アメリカ人好み押さえたことなどを理由に、アメリカカナダでは記録的なセールスとなり、1989年には全米販売ナンバー1輝いた(なおそれまで日本車ホンダ・アコードトヨタ・カムリが同セグメントトップの座を争っていた)。また、パトカータクシーなどのフリート需要のほか、レンタカーなどにも多数採用され言葉通りフォード基幹車種となったエンジン基本グレードV型6気筒OHV当初は3.0Lモデル (140 PS・22.1 kgf·m) のみだったが、1988年より(1989年モデル)3.8Lモデル (140 PS・29.7 kgf·m) が追加された。また日本には輸入されなかったが、アメリカ本国では直列4気筒OHVの2.5Lモデル (90 PS・18.0 kgf·m) もある。また高性能版SHO後述)も後に追加された。 駆動方式FFトランスミッションV6モデル4速AT、直4モデル3速ATである。乗車定員車体形状及びシフトポジションによって異なりセダン5/6人、ワゴンは8人である。ただしワゴンのサードシートは後ろ向き折り畳み式あり子供用として設計されているので大人には不便かつ窮屈。 日本には1988年よりオートラマによって輸入開始バリエーションセダンワゴン高性能版SHOで左ハンドルモデルのみ。なお、兄弟車としてマーキュリー・セイブルがあった。1991年販売終了翌年2代目へ。 セダン(リア) ワゴン(リア)

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初代 (2009年-2016年)

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キア・K7」の記事における「初代 (2009年-2016年)」の解説

2009年4月ソウルモーターショー発表された「KND-5コンセプト」をルーツとし、同社大型セダン・オピラスと中型セダン・ロッツェイノベーション(のちのフルモデルチェンジでK5に改称)の中間を担うモデルとして登場したエクステリアデザインはKND-5コンセプトともどもペーター・シュライヤー担当している。 現代・起亜グループ新たに開発した大型セダンSUV向けの新型プラットフォーム"Type-N"を初採用。なお、このプラットフォームはのちに登場したヒュンダイ・グレンジャーHG型、通称5Gグレンジャー)にも採用された。 エンジン当初グレンジャーV6・3.3Lのλ(ラムダエンジン拡大したV63.5L(290PS)を頂点に、V6・2.7L(200PS)と同LPI(165PS)、直4・2.4L(180PS)の4種類用意していたが、2011年5代目グレンジャー搭載される3.0L・直噴GDiエンジン(275PS)と3.0L・LPIエンジン(235PS)が追加された。ディーゼルエンジン用意されない。 トランスミッションは全モデルとも、6ATが組み合わされる。足回りについてはフロントマクファーソンストラットリヤマルチリンク採用することでスポーティかつ重厚感ある乗り心地実現したまた、安全性について運転席助手席エアバッグ(なお、エアバッグオプション最大8個まで装着可能)やVDC全車標準装備されるだけでなく、フロント&リヤカメラ、バックモニター内蔵ルームミラー車線離脱警告システムLDWS)、タイヤ空気圧警報システムなども採用2009年11月24日発表エクステリア前後レンズドアミラーLED多用するとともに大型ガラスサンルーフや17inもしくは18inアルミホイール、マフラーカッター一体のリヤバンパーなどで高級感とスポーティ性を高次元表現インテリアには本皮革シート採用するが、ブラックアイボリーから選択可能となっている。 また、新たな試みとして、"感性技術"をテーマ数々先進装備盛り込んでいるのも特徴である。スマートキー近づくだけで自動ドアミラー展開され内外装ライト点灯する"ウェルカムシステム"を世界で初め採用同時にアウディBMWなどが採用している面発光型の間接照明採用することで高級感を一層アップさせている。このほか、熱線内蔵ステアリングホイール自動デフォグシステム、運転席助手席通風システムなども採用し快適性利便性を高いレベル両立させている。 2012年11月13日 マイナーチェンジ同社大型車であるK9似た新デザインタイガーノーズグリルヘッドライト、K3に似た配列大型LEDリヤコンビネーションレンズを採用するとともにバンパーアルミホイールデザイン一新同時に従来17、18inに加え新たに19inアルミホイール設定された。車両外部搭載されカメラ周囲の状況確認できる「アラウンドビュー・モニタリングシステム」や、死角地帯の車を感知する「後側方レーダー警報システム」などを新たに搭載することで、安全性を向上させた。エンジンは2.7Lの全てラインナップから落ちV63.5LGDiに代わってV6・3.3L・GDi(294PS)が登場。2.4Lは型式は同じままで201PSに出力引き上げている。

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初代(FS、2011-2018年)

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ヒュンダイ・ヴェロスター」の記事における「初代(FS、2011-2018年)」の解説

2012年4月 ターボ搭載の「ヴェロスターターボ」が追加された。 韓国ではPREMIUM YOUNIQUE LIFESTYLEPYLi40登場後以前は「Premium Youth Lab」)という新ブランド構築のために年間18000台の発売とされており、シリアルナンバー入りのメンバーシップカードも配布するとのことである。グレードは"Unique"と"Extreme"の2つで、価格は"Unique"で1790ウォン、"Extreme"で2095ウォンとなっている。。 一方米国ではヒュンダイモーターアメリカがレッドブル及びリース・ミレン(フォーミュラ・ドリフトジェネシスクーペ駆る)とタッグ組みラリー仕様車を完成させシカゴモーターショーで発表した米国ラリークロス選手権及び「X Games」に参戦する予定。このマシン排気量を2リットルにするほか、HKSターボチャージャー装着する四輪駆動にするといった改造をされている。 釜山モーターショー2014では、釜山広域市拠点とする韓国プロ野球球団ロッテジャイアンツリリーフカーとして、屋根カットし室内改造したヴェロスターが展示された。

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初代(2008-2020年)

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ダッジ・ジャーニー」の記事における「初代(2008-2020年)」の解説

2007年のフランクフルトオートショーで初披露され、2008年3月から北米で、2008年半ばからヨーロッパで販売開始された。日本においては2009年1月17日から販売開始された。製造はメキシコ・トルーカ工場にて行われるジャーニーミニバン実用性SUV機能性兼ね備えたミドルサイズの5ドアクロスオーバーワゴンで、アベンジャーと共通のプラットフォーム採用している。フロントグリルダッジ特有の十字グリルとなっており、全体的にアベンジャーに近い雰囲気デザインとなっている。昇降性を高めるため、後部ドア90度まで開くよう設計されている。日本市場においてクライスラー・ボイジャーSWBモデル)の後継車役割担っているエンジンは2.4L直4DOHC「ワールドエンジン」と2.7LV6DOHC「LHエンジン」、3.5LV6SOHC「EGGエンジン」の3種類がラインナップされており、駆動方式FF4WDで、4WDV6搭載した上級グレードのみにラインナップされている。日本においては2.7LV6エンジンFF駆動モデルのみがラインナップされていた。 北米でのラインナップ以下の通り SE:2.4L直4FFレイアウト、4AT SXT:3.5LV6、FFレイアウト、6AT SXT AWD:3.5LV6、4WDレイアウト、6AT R/T:3.5LV6、FFレイアウト、6AT R/T AWD:3.5LV6、4WDレイアウト、6AT なお、R/TにはSXTにはない機能キーレスエントリーなど)が追加されている。2.7LV6モデル北米ではラインナップされていないインテリアは、2.4Lモデルが2列5人乗りでそれ以外は3列7人乗りとしている。多彩なシートアレンジが可能で、さらにクーラー付きグローブボックスなどの多彩な収納装備搭載するなど、ミニバン並み実用性兼ね備えている。また、2列目シートは40mmだけフロントシートより高く、さらに3列目シートフロントシートより57mmだけ高くなっており、後部座席からでも良好な前方視界得られるように工夫されている。シートには汚れ匂いがつきにくく、静電気おきない「プレミアムファブリックシート」を採用安全装備として、ABSSRSエアバッグESP横転感知する自動的に制動をかける「エレクトロニック・ロール・ミディゲーション」を搭載している。 ヨーロッパで2011年モデルイヤーからダッジブランドでの販売打ち切られ、代わってウリッセの販売終了したフィアットOEM供給受けてフリーモント」の車名販売行なっており、2013年には韓国での販売開始された。日本では導入した2009年クライスラー連邦倒産法第11章申請したことによる影響で、日本向け2010年モデル以降導入そのもの凍結、それに伴う戦略見直し受けて、わずか1年販売打ち切られその後2011年全てのダッジブランド車の正規輸入国内販売終了したフィアット フリーモント欧州仕様フィアット フリーモント欧州仕様フィアット フリーモント欧州仕様ダッジ JC日本仕様ダッジ JC日本仕様

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初代(1992年-1999年)

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GMC・ユーコン」の記事における「初代(1992年-1999年)」の解説

1980年代から1990年代初めにかけて、GM2つ異なサイズSUV同一車名シボレー版はブレイザーGMC版はジミー)で販売していたが、1992年フルサイズ版のSUVモデルチェンジするにあたりGMC版についてユーコン改名した当初は2ドアモデルのみであったが、1995年モデルイヤー4ドアモデル加わり同時にシボレー版もブレイザーからタホへと改名したタホユーコンシボレーGMC・サバーバンよりも全長が短いが、いずれもGMT400プラットフォームベースとしていた。このプラットフォームは本来トラックシャシーで、シボレー・C/Kシリーズなどのフルサイズピックアップトラック使用されていた。また、FRAWD両方ラインナップしていた。 デナリ 1998年モデルイヤーリンカーン・ナビゲーター対すGMからの回答としてユーコン豪華版である「デナリ」が導入された。しかし、その後1999年GMキャデラックからユーコンデナリのリバッジ車を「エスカレード」の車名登場させた。ユーコンデナリの外観エスカレード共通しており、全てのフロントクリップとサイド下部ボディパネルノーマルユーコン異なっていた。デナリはしかしアップグレードされた革張り内装パワーシートフロント及びリアヒーター付きシート、ボーズステレオシステム、ダッシュボード木目調パネルなど、ノーマルユーコンにはない豪華なオプション備えていた。

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初代 (2006-2015年)

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アウディ・Q7」の記事における「初代 (2006-2015年)」の解説

2003年1月モーターショーデトロイト・オートショーでパイクスピーククワトロ・コンセプトが、2005年9月フランクフルト行なわれたIAA2005にて市販版であるQ7正式に発表された。 アウディ自慢4輪駆動であるクワトロシステムを積むQ7特徴のひとつに、3列シート多く市場ではオプション扱い)がある。プラットフォームは、フォルクスワーゲン・トゥアレグ / ポルシェ・カイエンと共通のフォルクスワーゲンL7型と呼ばれるのである。クワトロシステムはアウディ・RS4と同じメカニズム採用するエクステリアデザインは、和田智。 高級クロスオーバーSUVとして、前述トゥアレグよりもオンロード指向セッティングとなっている。引き換えオフロードにおける走行性能貧弱であり、英国高級紙タイムズには「まったく使い物にならない」と評された。 エンジンハンガリー製。製造組み立ては、スロバキア・ブラチスラヴァのフォルクスワーゲン ブラチスラヴァ工場行われるが、多くの重要部品はアウディドイツ2工場インゴルシュタット、およびネッカースウルム)から供給されているという。 2006年10月4日日本市場への導入発表同月27日より販売開始グレードは4.2LV8エンジン搭載するQ7 4.2 FSIクワトロ」のみとなる。 2007年4月9日日本市場に3.6LV6エンジン搭載する「3.6FSIクワトロ」を追加した2009年9月30日日本市場向けにマイナーチェンジモデルを発表し同日販売開始エクステリアグリルデザイン変更されたほか、ヘッドライトLEDポジションランプ内蔵したものに改められた。また、パワートレイン大きな変更見られないものの、回生ブレーキシステム採用し燃費を向上させた。 2010年7月21日日本市場向けにパワートレイン一新スーパーチャージャー付3.0LV型6気筒TFSIガソリン直噴エンジンに、新開発の8速ティプトロニックトランスミッションを組み合わせるQ7 3.0TFSIクワトロ」に一本化された。 2012年11月8日、「Q7」をインド生産開始したと発表2008年にはハイブリッド車追加するとしている。4.2L V8FSIエンジントルクコンバーターの間に電気モーター配置するもので、0-100km/h加速は6.8秒、5速で80-120km加速が7秒。燃費は8.3km/lと発表されている。また電気モーターのみでの走行も可能。 2005年全世界販売は1,185台(フォルクスワーゲンAG2005年度年間報告書より)。2007年、3.6FSI販売開始後日本市場での販売目標400台/年であるとされた。 2008年10月24日付のニュースリリースで、日本におけるポスト長期規制クリアしたクリーンディーゼルエンジン搭載の3.0TDIを2010年導入予定発表されたものの、2015年3月現在になって販売される見通し立っていない。最高出力165kW(225PS)と最大トルク550N·m(56.1kgf·m)となる予定実質燃費は13km/Lを越える3Lエンジンでは画期的な数値である。なお、2008年同時期に日本では未発売なものの、V12 TDIクアトロV型12気筒ディーゼルエンジン)を搭載したモデル発売された。出力は550PS、トルクは約105kgmで、燃費は約11.9km/1L。580万円のエクスクルーシブパッケージをオプションでつける内装は羊の革・ウッド多く使われており、外装には21inアルミニウムアロイホイールが装備されている。 日本国内でも販売されていたが、2012年ラインナップから外れた日本でのグレードおよびスペックグレードエンジン排気量最高出力最大トルク変速機駆動方式発売時期Q7 4.2FSIクワトロ V型8気筒 DOHC 4,163cc 350PS/44.9kgf·m 6速AT 4WD 2006年10月-2010年7月 Q7 3.6FSIクワトロ VR6 DOHC 3,597cc 280PS/36.7kgf·m 2007年4月-2010年7月 Q7 3.0 TFSIクワトロ V型6気筒 DOHCスーパーチャージャー 2,995cc 272PS/40.8kgf·m 8速AT 2010年7月-

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初代 (2016年-2020年)

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ヒュンダイ・アイオニック」の記事における「初代 (2016年-2020年)」の解説

アイオニック (ヒュンダイ)」も参照 2016年1月7日現地時間)に世界初披露され同年1月14日韓国発売開始したプラットフォーム新開発された専用の物で、同じプラットフォームを使う電気自動車、プラグインハイブリッドカーバージョンも発売予定されている。 エンジン業界トップクラス最大熱効率40%を達成した自社新開発の1.6L直噴カッパエンジンを採用している。 独自開発新型ハイブリッドシステム、「DCT-TMED」を採用専用設計軽量デュアルクラッチトランスミッションを独自のハイブリッドシステム組み合わせ空気抵抗極限まで減少させたデザイン(Cd値:0.24)などによって、燃費韓国政府共同告示基準では史上最高の22.4km/Lに達し、同じ韓国基準での新型4代目プリウスの21.9km/Lを上回っている。またアメリカでも、米環境保護庁EPA基準燃費は58MPGで、同じEPA基準4代目プリウス公表値(56MPG)を上回った欧州自動車安全性評価ユーロNCAP衝突安全テスト結果最高評価5つ星受けた世界初となる独自の新機能として、精密地図ナビゲーション活用した省エネ運転支援システム、ECO-DAS(Eco-Driving Assistant System)を搭載GPS情報経路前方の上り坂や下り坂などを予測し能動的にバッテリー充電放電管理を行う。歩行者検知機能自動緊急ブレーキAEB、スマートクルーズコントロール、車線逸脱防止支援システムオプションとして選択可能。 2016年2月11日プラットフォーム共有するSUVキア・ニロ発表された。その結果、同じプラットフォーム上に3種類の電動パワートレインPHEVEVHEV採用した世界初世界モデルでした。 2019年5月2日にはフェイスリフトモデルが公開された。 小さな外観変化と共に破格的な室内変化披露した2020年5月生産終了。 尚、車種名としてアイオニック今代限りだが、今後ヒュンダイ立ち上げたEVブランドとしてその名が使用されることになり、2021年2月23日ブランド初となる車種アイオニック5」が公開された。

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初代(1936年-1942年)

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ビュイック・センチュリー」の記事における「初代(1936年-1942年)」の解説

ビュイック1935年モデルからの技術改善デザインの向上記念して1936年モデルイヤーに全モデルラインアップを改名したビュイックシリーズ40はビュイック・スペシャルに、シリーズ80はビュイック・ロードマスターに、そしてビュイック最大にして最高級車となるシリーズ90はビュイック・リミテッドになったセンチュリーシリーズ60の後を受け継いだ。 初代センチュリーはより短いホイールベースのビュイック・スペシャルをベースビュイックで最もパワフルな8気筒エンジン搭載した車種として作られた。スペシャルビュイックの3.8Lを搭載して最高出力93hp(69kW)@3200rpmを発揮したに対して1936年から1942年まで製造されセンチュリーでは165hpを発揮するビュイックの5.2L 直8エンジン搭載され、95mphで走り続ける能力備えてこの時代最速ビュイックとなり、センチュリーは「銀行員ホットロッド」とあだ名されるようになったセンチュリー1942年モデルイヤー途中で打ち切られその間累計生産台数ビュイック全体のおよそ10%とどまった

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初代(2014年-)

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ビュイック・エンビジョン」の記事における「初代(2014年-)」の解説

2014年7月中国にて市販モデル初公開同年10月より中国国内発売開始された。アンコールとアングレイブの間に位置するSUVで、中国語では「昂科威」と称される2016年1月デトロイトモーターショーにて北米初公開同年夏よりアメリカ国内発売開始された。中国生産され米国へ輸入される2017年11月22日中国にてマイナーチェンジ実施デザイン最新のものに変更されたほか、9速オートマチックトランスミッションが2.0L搭載車採用された。 2018年2月北米市場向けにマイナーチェンジ実施2019年11月20日中国市場向けに二度目マイナーチェンジ実施。2.0L SIDIターボチャージャーエンジンと9速ATを組み合わせる28Tと、1.5L SIDI直噴ターボチャージャーエンジンと7速DCT組み合わせる20Tがラインナップされる。エクステリアLEDヘッドライト改良など、最新のビュイックデザインに変更された。 改良型フロント改良型リア中国向け改良型2020年モデル 中国向け改良型2020年モデル

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初代(2015年- )

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ルノー・クウィッド」の記事における「初代(2015年- )」の解説

クウィッドは、ルノー日産によって共同開発され新しCMFプラットフォームに基づく最初車である。ルノー最初にインド市場向けに開発したエントリーレベルクロスオーバーで 、 2015年5月20日カルロス・ゴーンCEOによってチェンナイ公開され成長著しインドスズキ・アルトはじめとする他の小型車競合するため投入された。車体コンパクトながら最低地上高が180mmあり、インテリア上質さを兼ね備えている。発売当初エンジンは800ccの直列3気筒のみで、5速マニュアルトランスミッション組み合わせる発売されるグレードは「スタンダード」「RXE」「RXL」「RXT」の4種類2017年にはブラジル向けの生産開始された。 2018年7月フェイスリフト実施されるプリテンショナーのフロントシートベルト、2つUSBソケット、リアアームレスト、新しグリル2つ新しカラーリングなどの新機能を備えている。 2回目マイナーチェンジは、2019年10月発表された。

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初代(1985-2006年)

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ボルボ・FL」の記事における「初代(1985-2006年)」の解説

ボルボ・FL(初代)前期型 販売期間1985年 - 2006年生産終了) -自動車スペック表- テンプレート表示 1985年 - F6/F7/F10の後継としてFL6/FL7/FL10が登場1986年 - F4の後継としてFL4が登場2000年 - マイナーチェンジエンジン直列6気筒のD6Bを搭載FL後期型

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初代 (1993–2001年)

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ルノー・ラグナ」の記事における「初代 (19932001年)」の解説

それまでのロウワーミドル・ルノー(Dセグメント)の主要車種21後継車として、1993年末に登場日本へは1994年9月から当時インポーターであるフランス・モーターズによって輸入販売された。 ヨーロッパ実用車らしく5ドアのハッチバックボディを採用。後にワゴンボディの「ネバダ」が追加されるが、それまでのR21、R18、R12とは違い最後まで4ドアノッチバックは設定されなかった。1998年夏にエクステリアエンジン、ATなど数多く改良実施され通称フェイズ・ツーPhase2 )と呼ばれるモデルへ進化したエクステリアジウジアーロ率いイタルデザイン直線基調スタイルだったR21に対し曲線/曲面多用した有機的なシェイプに、斬新アグレッシブな意匠のフロントマスクを組み合わせた、パトリック・ル・ケモン率い新生ルノースタイルの第一弾となったインテリアそれまで直線的で独特のヒサシ付きインパネ消え曲線的モダンなものへと変更されている。ただしそれまで豊富だった物入れがほとんどなくなったエンジン全て横置きとなり、ガソリンが1.8L、2.0L(F3R)の直4SOHCとV6 3.0L(Z7X)、 ディーゼルは2.2L 直4初期ラインナップであった1995年当時提携話のあったボルボの「850」用 直5をベースとした1.9L DOHC登場している。LPガス・ガソリン切り替えバイフューエル車も用意されていた。 サフラン同じくドイツの有名チューナー・ハルトゲの手によりV型6気筒の3.0Lエンジンツインターボ化し280馬力とした「Biturbo」バージョン存在した

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初代(1996年-2013年)

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シトロエン・ベルランゴ」の記事における「初代(1996年-2013年)」の解説

1996年7月販売開始乗用車仕様はマルチスペースと呼ばれる2002年マイナーチェンジ実施2004年二度目マイナーチェンジ実施

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初代(2003年-2012年)

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キア・オピラス」の記事における「初代(2003年-2012年)」の解説

2003年に、それまで起亜最上級車であったエンタープライズマツダ・センティア二代目ベース高級車)の後継モデルとして登場起亜1998年のアジア通貨危機によって経営破綻現代自動車傘下になった関係で、ヒュンダイ・エクウスプラットフォーム用いて開発された。 「オピラス」という名前は 「Opinion Leader Of Us」の頭文字取って作られラテン語である黄金の地(Ophir Rus )という意味も一緒に持っている朝鮮日報によってフロントグリルデザインジャガー・Sタイプに、ヘッドライトデザインメルセデス・ベンツ・Eクラスに、リアデザインがリンカーン・タウンカー酷似していると指摘されている。そのことから、「ジャピラス」または「リンピラス」といったニックネームまで付けられるであったという。 エンジンV型6気筒2.7リットルガソリン、V型6気筒3リットルガソリン、V型6気筒3.5リットルガソリンの三種類。その他レンタカー専用車として2.7リットルLPGエンジン搭載車設定されている。 2006年にはフェイスリフトが行われ、V型6気筒3リットルガソリン、V型6気筒3.5リットルガソリンはそれぞれV型6気筒3.3リットルガソリン、V型6気筒3.8リットルガソリン(ラムダエンジン)に変更された。リアデザインはますますリンカーン・タウンカーに近いデザインになったという指摘もある。 2009年5月外観そのまま6速ATを搭載しエンジン出力燃費を向上させた「オピラス・プレミアム」を発売(6ATは自社開発)。 2012年5月、オピラスの後継としてK9登場しモデル廃止北米市場には「アマンティ」(Amanti )の名称で輸出されていた。 中期 フロント 中期 リヤ 後期プレミアムフロント 後期プレミアムリヤ

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初代(1981年-1997年)

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ルノー・マスター」の記事における「初代(1981年-1997年)」の解説

1980年夏にそれまでのエスタフェットを代替するモデルとしてマスターそれより小型トラフィック市場導入された。 マスターには前輪駆動FF)の「トラクシオン」と後輪駆動FR)の「プロピュルション」の2種類駆動方式用意されており、前輪車軸後方搭載されエンジンの上キャブ載るセミキャブオーバー形式であった駆動方式により縦置きエンジン向き異なりFFのトラクシオンはエンジン前にクラッチ変速機を置く通常とは逆の配置を採っていた。 外観スタイリング直線基調したものとなり、初期型ではフィアット・リトモ似た円形ドアハンドル採用していた。特徴的な吊り式の荷室/客室側面ドアは、一般的な一旦外側引き出形式スライドドア異なり丈夫な鍛造アーム不要としていた。跳ね上げ式のテールゲートを持つモデルではテールゲートが開くと共にその支点天井沿って前方移動することでテールゲート後方への張り出し量を少なくする工夫図られていた 。 当初2.5 L (2,445cc) のFiat-Sofim製ディーゼルエンジン搭載していたが、1984年から2.1 L (2,068cc)版が追加され、稀ではあったが2.0 Lか2.2 Lのルノーガソリンエンジン搭載車販売された。 他社の製品とも競合したが、後のルノーのダッジイギリス工場獲得クライスラープジョー買収時)後にルノー50として売られるダッジ50とも競合した。 1994年マイナーチェンジ搭載されエンジンは、自然吸気の2.5Lとターボ付きの2.8Lで、ともにディーゼルエンジンである。 日本への正規輸入行われていないが、個人輸入のほか、三井物産オートモーティブ輸入していたキャンピングカーの中のひとつにもベースとして使われていたが、いずれも少数である。

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初代 (1984年-1994年)

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ランチア・テーマ」の記事における「初代 (1984年-1994年)」の解説

2009年にフィアット・グループとクライスラー資本提携結んだ関係で、クライスラーランチアディーラー網統合されヨーロッパ大陸では複数クライスラー車がランチアブランドで販売されることになったクライスラー・300のリバッジとなった2代目テーマ2011年3月ジュネーヴモーターショーで他の5車種一緒に初公開され、2011年10月19日よりイタリアで販売開始した。初代同様ポルトローナ・フラウ製のシート装備されたりターボ・ディーゼルエンジンが設定されている点などがベース車との相違点である。 しかし、イタリア国内はじめとして販売不振で、クライスラーフィアット傘下入った直後2014年10月をもって生産終了した

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初代(2010年 - 2013年)

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ルノー・スカラ」の記事における「初代(2010年 - 2013年)」の解説

詳細は「ルノーサムスン・SM3」を参照 2010年4月 初代SM3ベース発売発表メキシココロンビアエジプト販売された。SM3とはフロントグリルエンブレム類が異な程度で、各種メカニズム同一である。

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初代 (2010-2015年)

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シボレー・ボルト (ハイブリッドカー)」の記事における「初代 (2010-2015年)」の解説

2008年9月GM創立100周年記念式典において市販モデル発表された。 2009年8月、約98km/1リッター記録した主張している。ただし、ボルト搭載されバッテリーがあらかじめフル充電された状態での記録により、ほかの車との燃費単純に比較する事はできないアメリカ環境保護局公的な調査ではガソリン使用換算1ガロンあたり93マイルとなり、日産・リーフ1ガロンあたり99マイル下回るボルト充電家庭用110V電源でおよそ8時間要しバッテリーなくなったときにエンジン始動し充電が行われるが、アメリカ環境保護局調査によって、エンジン走行用としても機能することが判明し純粋な電気自動車ではないという意見もある。2010年末にカリフォルニア州限定発売開始されるヨーロッパではオペルブランドから外観変えた姉妹車オペル・アンペラ (Opel Ampera)/ボクスホール・アンペラ (Vauxhall Ampera) として発売された。 製造シボレー版、オペル版ともアメリカ合衆国ミシガン州ウォーレン工場行われる2010年4月23日オペル・アンペラ最初のプリプロダクションモデルが同工場をラインオフした。 また、同日から開催され北京モーターショーではミニバン型の派生モデルであるシボレー・ボルトMPV5コンセプト世界初公開された。 2011年4月ニューヨーク国際オートショーにおいて「2011グリーンカーオブザイヤー」を受賞した販売面では当初苦戦強いられ2011年販売目標1万台に対し実績は7671台と目標下回ったほか、2012年2月までは台数伸びず、GMでは2012年3月生産一時休止並びに従業員一時帰休を行うことになったその後好転し3月には過去最高の月間販売台数記録(2289台)、2012年1〜7月は計10,666台と、前年目標である1万台を7か月間で達成した同年にはオペル/ボクスホール・アンペラがヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞している。 2012年1月5日搭載されているリチウムイオン電池 (韓国LG電子製)が発火する恐れがあるとして、米国販売したシボレー・ボルト」を無償改修する発表した同社は「自主的な措置で、リコール回収無償修理)ではない」としている。 [要出典]

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初代 (1970 - 1996年)

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ランドローバー・レンジローバー」の記事における「初代 (1970 - 1996年)」の解説

1970年当時ブリティッシュ・レイランドBritish Leyland Motor Corporation : 略称BL)の1ブランドであったランドローバーから、フルタイム4WDのオールパーパスヴィークルとして発表された。 BL技術者、チャールズ・スペンサー・キング(Charles Spencer King通称Spen King:スペン・キングとも)などが中心となり、ランドローバー上のオフロード性能持ち普段高級乗用車変わらぬ快適性を持つことを目標開発された、まったく新し概念革新的コンセプトであったはじめから海外でのノックダウン生産考慮して設計進められ耐久性メンテナンス性考慮されていた。 「ラグジュアリーカーエステートカー、パフォーマンスカー、クロスカントリーカー4つの車の役割を1台の車で可能にする」と謳われた21世紀に入ると高級車ブランドがハイパフォーマンスな高級クロスオーバーSUV続々世に送り出し一定のカテゴリ形成するうになるが、当時このような車はほとんど見られず、わずかにアメリカのジープ・グランドワゴニアと西ドイツメルセデス・ベンツ・Gクラス1979年)が該当するのみであった当初は3ドアモデルのみであったが、後に5ドアモデルが追加された(経緯後述)。現在では初代モデル全てを、レンジローバー クラシック(Range Rover Classic)と呼ぶようになっている丈夫な車ではあるが、特有のリアサスペンションAアームピボットは、年式に関係なく点検給脂こまめに行う必要があり、極度に磨耗する前に交換することが望ましい。エアサスペンションまつわるトラブル2代目にも共通のもので、車高調整を諦め金属スプリング換えるユーザーも多い。部品本国では、純正品社外品共に潤沢供給されており、価格初代モデルのものが最も安価である。電装品ベアリングは、日本製日本車用)で代用できる日本では自動車評論家小林彰太郎4輪駆動車専門雑誌CCV編集長石川雄一らが高く評価するとともに、自らも所有したシャーシボディ 虚飾排してシンプルな設計徹した初期型ボディは、2枚ドア上下2分割式の頑丈なテールゲートを持つ。強固な2mm厚ボックスセクションの2本のサイドメンバーと5本のクロスメンバーからなる剛性の高いフレームに、ゴムブッシュを介して鋼板製スケルトンボディを載せている。このボディアルミ製のドアフェンダールーフ取り付けられ車体軽量化防錆対策貢献している。 スペアタイヤ車室内に縦配置するとともに駆動部品を適切に配置しシャシーフレームおよびボディ適切な形に設計することで、悪路での障害物による損傷防いでいる。アプローチアングル45°、ランプブレークオーバーアングル150°、デパーチャーアングル33°を確保ホイールベース100インチ(2540mm)で、大人5人がゆったりと室内くつろぐことが可能でありながら初期型全長4470mm、全幅1778mm、全高1778mm、車重1700kg台前半と意外とコンパクト軽量である。 エンジン GMから製造買い取ってローバー・3500使われていた、シリンダーヘッドシリンダーブロック共にアルミ製の軽量なV型8気筒OHV3.5Lローバー・V8エンジン採用し発表当時としては優れた静粛性と 155km/hのクルージング可能にしていた。このトルクフルで頑強なエンジンは、当初、ゼニスストロンバーグキャブレター装備であったが、後には電子制御燃料噴射式となり、排気量も3.9Lから、最終型では4.2Lにまで拡大された。また8気筒ながら、当時ランドローバーLand Rover (Series/Defender))シリーズII Aに使われていた鋳鉄ブロック4気筒よりも軽いことにより前後重量配分50:50となっており、結果としてオンロードでの旋回性能オフロードでの走破性を良好にしている。またエンジンが短いことが前述のように広い車室獲得にもつながっている。このエンジン基本設計が古いこともあり、吸気抵抗各部フリクションロス大きく燃料消費が多いことが難点であった。これは電子制御化された後の改善もわずかであったブリティッシュ・レイランド整理後、中心的な役割担ったオースチン・ローバー(Austin Rover)では、主に揮発油税高率欧州大陸向けとして、高速ディーゼルエンジン開発行っていたが、失敗続きの末、ついに自力開発断念[要出典]、ディーゼルエンジンメーカーとして実績のある、イタリアVMモトリ(VM Motori)社製のエンジン購入することになった。これは、直列4気筒 2.4Lの直噴ターボディーゼルで、1986年追加され1989年には2.5Lに拡大された。これらは熱効率優れた直噴式であることや、燃料価格差も寄与し燃費はガソリンモデルの半分ほどと大きく改善した自社製ターボディーゼルエンジンを搭載した200TDiがラインアップ加えられたのは、モデル末期1992年であったサスペンション 耐久性オフロード性能第一に追い求めたため前後輪ともコイルスプリングによるリジッドアクスル式サスペンション採用柔らかく長いコイルばねにより大きなホイールストローク確保し良好な乗り心地卓越した悪路走破性を実現している。フロントリーディングアームパナールロッドによる3リンク式サスペンションで、自由な上下動と抗ロール性を両立しており、後のフロントリジッドアクスル4X4SUV)に大きな影響与えた。 またリアは重い荷物積んだときにも車を水平に保つボーゲ(BOGE)製ダンパー用いた機械式セルフレベリングユニットを組み込んだセンターAアームと、2本のトレーリングアームにより長大ストローク確保している。これは現在に至って優れた地形追従性を持ったサスペンション知られるが、ダンパー大きな力が加わるAアームピボット寿命が短いなどの難点がある。センターAアーム同社の初代ディスカバリーのほか、初代スズキ・エスクード採用例があるが、2代目レンジローバー含め、すべて後継車では採用されていないタイヤサイズは205R16で、5.64mという最小回転半径良好な乗り心地実現している。北米市場からの要求で、1990年からロール抑えるスタビライザー装着された。1992年から4駆として世界で初めて英・ダンロップ製のエアサスペンション採用する高速走行時には安定のため車高下げ不整走行では地上高を稼ぐために車高上げ積載量多寡による姿勢変化抑えニーリング乗降容易にするなど、変化量大き車高調整が目的である。 四輪駆動機構 フルタイム式4WD車としてはジェンセン・FF次いで史上2台目だが、オフロード前提とした車ではもちろん初である。 使用しているセンターデフ1988年までのマニュアルロック型と、それ以降ビスカスカップリング差動制限型とに分かれるが、トランスファーに2速の副変速機を持つことは共通である。そのHi / Loギヤ比が2.7:1と大きく悪路での低速走行クローリングクロール)を可能にしている。 ベベルギア式センターデフ - 副変速機Hi / Loのどちらのポジションでも、センターデフフリー / ロック任意に選択できる(ローレンジでセンターデフフリーにした場合は、強大なトルクフローが発生する懸念があり、それによる駆動系破損を防ぐフェイルセーフはなく、ユーザー自己責任となる)。 ビスカスカップリング差動制限付きセンターデフ - ABS働き妨げないようにするために採用されたもの。 ブレーキ 開発当初からフロントブレーキキャリパーまでのブレーキラインを2系統確保した、完全分離型2系統配管を持つ、4輪ディスクブレーキ採用している。フロント大径ベンチレーテッドディスク対向4ピストンリア対向2ピストン標準とする。また駐車非常用ブレーキとしては大径ドラムトランスファー出力部に設置したセンターブレーキとしている。このセンターブレーキ作動には、通常のワイヤーとリターンスプリングの組み合わせではなくロッドによるリンケージ用いられており、強制的にブレーキシュー解放することで、泥や凍結による不緩解を防ぐ配慮なされている。 その他 イギリス王室イギリス連邦諸国王室始めとして多くセレブリティー愛用された。 2ドアモデル4ドアモデル共に機能追求したシンプル美しライン構成され工業製品として唯一ルーブル美術館展示されている。 パリ・ダカール・ラリーにおいて、第1回1979年)と第3回1981年)に優勝飾っている。 キャメルトロフィー本戦車両としても3回採用された。1981年 スマトラ島 2ドア V8 3.5L キャブレター1982年 パプアニューギニア 2ドア V8 3.5L キャブレター1987年 マダガスカル 4ドア VM直列4気筒 2.4L 直噴ターボディーゼル20世紀中に世界で生産されすべての車の中から最も傑出した車を選び出し、その製造者設計者を讃えようというCar of the Century選考27台に選出された。1970年代以降登場した車で選出されたのは、他にGolf1974年)、Quattro1980年)、Espace1984年)の3台であった

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初代 (1984-2008年)

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セアト・イビサ」の記事における「初代 (1984-2008年)」の解説

フィアット・リトモ姉妹車セアト・ロンダの足周りサスペンション)およびエンジンブロック等の部品流用し1.2リットルおよび1.5リットルエンジン搭載外装デザインジウジアーロパワートレインポルシェ車体構造カルマンそれぞれ担当し1984年初代モデル発表された。ターボ装着計画されていたが採用されなかった。発売当初製造品質評価高くなく、エンジンステアリング鈍重とされ、スイッチ類使い勝手悪さ指摘された。大ヒットしたVWゴルフ2代目に非常によく似たデザイン採用され丸目ゴルフ角目にしたような非常にすっきりとまとまったデザインだった。『Powered by Porsche』と記載され横長ステッカーリアウィンドウ上部標準状態で貼られている。この初代は5年後1989年、さらに2年後1991年2度マイナーチェンジが行われた。 日本への輸入は、1989年以前のモデルエンジン1.21.5リットルグレード1.2ジュニアと1.5GLX、色は赤と黒だった。並行輸入車業界団体外国自動車輸入協同組合(Faia)が合計数百輸入し組合加盟業者により販売された。販売台数公表されていない

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初代 (2003-2010年)

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キャデラック・SRX」の記事における「初代 (2003-2010年)」の解説

北米においては2003年発表発売され、翌2004年から日本での発売開始している。STSの“シグマ・アーキテクチャ”と呼ばれるFRプラットフォームベースに、AWD機構組み込んだ上級SUVとして登場ポジション的にはエスカレードの下を受け持つことになる。直線基調エクステリアは「アート&サイエンス」を意識してデザインされたものであり、同時にラグジュアリーさをあわせ持つエンジンには新世代ノーススター・4.6LのV8エンジン搭載5速ATの組み合わせとされた)。しかし、2005年モデルで3.6LのV6エンジン追加されたことにより、エンジン2種となった。安全機構についてもぬかりがなく、横滑り防止機構である「スタビリトラック」や「マグネティック・ライド・コントロール」、トラクションコントロールシステムつきABSなどが装備されている。3列シート擁する(7人乗り室内フルフラット化が可能なほか、3列目には電動格納機構備えることで利便性にも配慮している。 年次改良比較細かく行なわれた。2005年モデルでは上述V6・3.6Lエンジン追加2006年モデルではパワーリフトゲートを装備2008年モデルでは右ハンドル仕様設定ならびに4.6L車のATを6速変更しインテリア刷新するなどしている。また、2009年モデルでは左ハンドルの3.6L車のみとし、BOSEサウンドシステムなどを追加

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初代 (1985-1996年)

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フィアット・クロマ」の記事における「初代 (1985-1996年)」の解説

ジョルジェット・ジウジアーロデザインによる5ドアハッチバックながらのノッチバックデザイン持ちフィアット・アルジェンタ後継車種として登場したフィアット傘下のランチア・アルファロメオとスウェーデンサーブ参加したタイプ4プロジェクト産物で、サーブ・9000ランチア・テーマアルファロメオ・164の3車種プラットフォーム共用している。イタリアでタクシーや、覆面パトカーなどの公用車多用されジョヴァンニ・ファルコーネ判事暗殺された際に乗っていたのも防弾装甲施された当車である。またロマーノ・プローディ元首相首相在任時代専用車として使用していた。そして当時フィアット会長であったジャンニ・アニェッリ日常生活で当車を愛用しており、専用車は当車には搭載されていないものの兄弟車であるランチア・テーマ用のPRVV6やアルファロメオ用のV6エンジン搭載されていた。また、色も彼のイニシャルにちなん銀色であった1996年生産終了フィアットはこのクラス乗用車生産から撤退した

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初代(1961年-1969年)

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日野・K♯/T♯/H♯型トラック」の記事における「初代(1961年-1969年)」の解説

1959年3月日本初キャブオーバー型&前2軸トラックとしてTC10型デビュー1961年9月キャブデザインを一新。TC30型発売エンジンはDK10型を搭載1962年2月TCベースとした8t積み2軸車TH80型を発売エンジンはDS50型(160ps)を搭載1964年11月3軸車(R2軸)のZM100D型発売1965年2月フルトラクタKA300型を発売エンジンはDK100型(195ps)を搭載。後に発売されるKBと同じ2軸車で8t積みである。TH型のキャブオーバー型モデルチェンジされKA300とKB340型になった1966年11月2軸トラクタHE300型を発売1967年2月3軸車(R2軸)KF721型を発売エンジンはDK10T型(260ps)を搭載1967年9月8t積み2軸車KB340型を発売エンジンはEB100型(175ps)を搭載1968年6月マイナーチェンジ。TC320型になった。フルトラクタKG300型(6X2F)、セミトラクタHG300型(4×2登場キャブ専用設計角ばったデザインエンジンはEA100型(280ps)を搭載ボンネット型TH型の型式がKB100・KB120型に変わった

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初代 (2010年-2015年)

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GM大宇・アルフェオン」の記事における「初代 (2010年-2015年)」の解説

2010年8月31日 - 発表。8エアバッグ12ウェイ運転席パワーシートInfinity製オーディオシステム、ESCアクティブヘッドレスト19インチアルミホイール、LED多用したレンズならびにインテリア大型パノラマサンルーフ、電動格納式リヤサンシェードなど準大型車クラスにふさわしい装備備えている。ラクロスバッジエンジニアリングという位置づけだが、生産仁川にある富平工場行われる生粋国産車である。但し、単にラクロスGM大宇版としただけではなく韓国人ユーザー嗜好合わせ様々な部分改良施している。発表時、ライバルとしてレクサスES350や現代グレンジャーキアK7などを挙げCMにおいても先述レクサスESアウディ・A6BMW・5シリーズ走行中にアルフェオンに変化してしまうなど、国産車のみならず輸入車をもターゲットとしていることを感じ内容となっている。 2011年10月27日 - 韓国準大型車初となるハイブリッドカー「アルフェオンeアシスト」を発表11月1日より発売開始2015年12月 - インパラに後を託す形で販売終了。これにより、ダマスラボ除き韓国販売される車両のすべてがシボレーブランドとなった。 eアシストエンジンルーム

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初代(1985-1993年)

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三菱・マグナ」の記事における「初代(1985-1993年)」の解説

1985年TM型マグナ当初セダンのみで発売された。オーストラリア現地法人では1987年改良したTN型発表合わせてステーションワゴン開発しカンパニーカーとして人気博したマグナ全体的なスタイリング車体側面造形同時期の日本市場ギャランΣのものと類似していたが、車幅オーストラリア市場要望応えてセンチ拡幅されていた。車内容積悪影響与えことなくより小さな占有面積収めるということは競合車使用する伝統的な直列6気筒エンジン代わりに大きなボアを持つ直列4気筒エンジン搭載するということであった。しかし、燃料消費率取り立てて良いわけでもなかった。 マグナ・シリーズは前輪駆動車であり、GLX(カンパニーカー向け)、エクゼクティブ(Executive)、SEエリートElite)といったモデル構成されていた。後に追加ボディパーツを纏ったスポーティなエラント(Elante)、グランド・ツアラーGrand Tourer)が幾つかの限定モデルと共に投入された。 これらに搭載されエンジンは横置きされたオーストラリア製の「4G54」というコードネーム4気筒SOHC、8バルブの2.6 L アストロンIIであった。このエンジンマグナ前任モデルである後輪駆動のクライスラー・シグマ(Chrysler Sigma)に搭載されていた「4G52/アストロン」から派生したもので、85 kW (114 hp) / 5000 rpm出力198 N·m (146 lb·ft) / 3000 rpmトルク発生した。 この新しい「アストロンIIエンジン液体封入式エンジンマウントサイレントシャフトその他にポルシェ社が自社大排気量4気筒エンジン車の924-944-968シリーズ採用)を備えており、大排気量4気筒エンジン特有の振動軽減していた。当初これらのアストロン・エンジンはキャブレターであったが、1989年5月から三菱製の電子制御燃料噴射装置である「ECIマルチ」が導入された。 オーストラリアでの標準的な測定方法では全モデル平均燃料消費率市街走行で11.0 L/100 km高速道路走行で7.8 L/100 kmであったマグナ5速マニュアルトランスミッションMT)かオーバードライブ付(シフトレバー前面付いたボタン操作する3速4速で効く)の4速オートマチックトランスミッション(AT)が選択できたが、豪華版エリートではATしか選べなかった。サスペンション前輪独立式のマクファーソン・ストラット後輪コイルバネ使用した3リンク・トーションビーム式サスペンション採用していた。ワゴン版の後輪サスペンションコイルバネ使用した4リンク・トーションビーム式サスペンションであった。 より豪華仕様SEエリート充実した装備備えていた。多く調節機能を持つ運転席組み込みヘッドレスト備える後席はベロア表皮覆われており、AT(エリート標準)、パワーウインドウ集中ドアロックアルミホイールエリート標準2トーン)/SEにオプション単色)のメタリック塗装屋根伸縮アンテナ備えたラジオ/カセットプレーヤーは電源から外されるユニット自体を完全に操作不能にするという特徴のある盗難防止装置エリートにはハンドル独立したイコライザーとコントロール・スイッチがついていた。更には標準ではコラムから出ているコントロールレバーダッシュボード上の空調レバーSEエリートではハンドル左右ポッドスイッチ収められていた。これにより主要な操作全て運転手指先だけで行え2010年フェラーリ・458嚆矢となった新し流行とは異なる)、このポッドステアリングコラムに伴い上下方向への調節ができた。エリートには1980年代の日本車の流行受けてLCD使用した計器盤も備えていた。 最初TM型マグナ様々な品質管理上の問題見舞われ(主に脆弱なエンジンヘッドとAT)、これはこの初代マグナ生産期間通して最終的に解決された。しかし発売当時にこの車は『Wheels』誌の1985年度カー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。 TPワゴンセダン第2代TRマグナ移行した後もこれと並行して販売され、サファリ・リミテッド・エディションがTR型のワゴン登場と共に代替わりをした。 TM19851987セダンのみ) GLX(キャブレターMTとAT) ExecutiveキャブレターMTとAT) SEキャブレターMTとAT) Eliteキャブレター:AT) TN19871989) GLX(キャブレターEFIMTとAT) ExecutiveキャブレターEFI:AT) SEキャブレターEFIMTとAT) Challenge wagonキャブレターEFIMTとAT) EliteEFI:AT) Elante sedanEFIMTとAT) TP19891991) GLX(キャブレターEFIMTとAT) ExecutiveキャブレターEFIMTとAT) SEEFIMTとAT) EliteEFI:AT) Elante sedanEFIMTとAT) Grand TourerEFIMTとAT) Executive Safari wagonEFIMTとAT)

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初代 (1990-2001年)

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ルノー・クリオ」の記事における「初代 (1990-2001年)」の解説

1990年モンディアル・ド・ロトモビルパリサロン)でシュペール5 の後継車としてデビューしヨーロッパで同年秋に発売されヨーロッパで最も権威のある自動車賞であるヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー1991年度)を受賞した。 後席とクォーターウインドウを廃したバンラインナップされているが、ホイールベース拡大し大きな箱を背負ったフルゴネット(小型貨物の意)はエクスプレスExpress)を改良し継続生産する方針となったため、設定されなかった。 エンジンバリエーション当初、1.1L(C1E)/1.2L(C3G)/1.4L(E7J)/1.7L(F2,F3)のガソリンと1.9LのディーゼルエンジンLPガス・ガソリン切り替えバイフューエル車がキャブレターまたは燃料噴射組み合わせて設定された。 トリムレベル(グレード)は下記基本各種特別仕様とスポーツグレードが設定された。 RL (Low: エントリーグレード) RN (Normale :中間グレード) RT (Top: トップグレード) RC (Commerciale: 商業グレード) Baccara (高級グレード) RL Chipie Be Bop Super Chipie RN Oasis Fidji Night and day NRJda Club Med RT Elle Shanghaï Olympique Alizé MTV Baccara 16S Williams この他にもSymbol, ICE, Initiale, Electrique, S, RSi, Ipanema, Buenaventura, Disc, Duet, Mecanoなどが存在している。 このうち日本には1991年から1.4LのRNRTBaccara(バカラ)、16Vの4グレード当時輸入であったジヤクス (JAX) の手により全て左ハンドル3ドア5ドア5速マニュアル(MT)または4速オートマティック(AT)が「ルーテシア」の車名導入された。なお、バカラ先代シュペール5に続き本革内装コート収納するケース備え専用デザインアルミホイール標準装備する高級グレードである。 その後フロントのルノーバッジがリブ付きタイプから、スムーズな新デザインタイプ変更される1994年6月マイナーチェンジされフェイズ2(Phase 2)へ移行する主な外装の変更点新デザインフロントグリルサイドモールディング、リアガーニッシュ、テールランプなどで、内装ではシートなどが変更された。ジヤクスルノー輸入から撤退したため、一時期輸入ストップしていたものの、ヤナセグループがフランス・モーターズ設立フェイズ2RN 1.4L(4AT)、RT 1.8L(4AT)そして16V(5MT)を全て左ハンドル導入した1996年に再びマイナーチェンジ実施されフェイズ3となり、ヘッドランプ丸み帯びたウィンカーレンズ一体型になったほか、フロントグリルボンネット形状変更されていた。フォグランプ従来角型から、R19やラグナと共通の丸み帯びたタイプ変更。リアハッチにはハイマウントストップランプ内蔵されることになったエンジンオートマティック一部変更を受け、日本へは当初RN 1.4Lの3速ATのみが3ドア5ドア導入された。

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初代(JPD10型、2014年 - 2020年)

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トヨタ・MIRAI」の記事における「初代(JPD10型、2014年 - 2020年)」の解説

2020年12月6年ぶりのフルモデルチェンジ実施FC昇圧コンバーターへのSiC半導体採用や、リチウムイオン二次電池採用などにより、ユニット損失低減させることに成功。さらにFCスタック小型高出力化され新たに触媒リフレッシュ制御導入したことにより発電効率を向上させ、先代比+約30%となる約850km(「G」の場合。他グレードは約750km)の航続距離実現した加えてプラットフォーム既存レクサス・LC5代目レクサス・LS15代目クラウン採用されているGA-Lプラットフォーム基本としてボディ剛性強化したものを採用したことで、駆動方式先代前輪駆動FF)から後輪駆動FR)に変更後輪駆動化により、FCスタックフード下に収めることが可能となり、モーター駆動バッテリー後方配置することが可能となった同時に最適な配置によって前後5050理想的な重量配分も可能となっている。 トヨタ車初採用となる「空気清浄システム」は、発電のために走行時に空気取り入れ排出する車種特徴活かし吸入した空気浄化し排出するシステムで、エアクリーナーエレメントでPM2.5レベルの細かい粒子まで捕える安全性の確保についても抜かりはなく、最新版の「Toyota Safety Sense」を採用し、プリクラッシュセーフティ、レーンキープアシストなど複数機能進化させた。また、最大9kWの供給可能なDC外部給電システム、AC100V・1500Wで最大4日間の供給可能なアクセサリーコンセント備えることで、災害時緊急時にも安定した電力対応できるようにしている。 乗車定員先代の4人から1人増え、5人に変更されている。そして内装見直し車両価格相応欧州高級車にも匹敵するような質感デザイン操作性実現した。 なお、この2代目からすべてのトヨタ車両販売店取り扱うことになったが、水素ステーション存在しない地域では取り扱われない。

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初代(1996年-2003年)

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アウディ・A3」の記事における「初代(1996年-2003年)」の解説

小さな高級車」のコンセプトで、1996年発売された。デビュー当時アウディエントリーモデル。後に発売されるゴルフIV1997年-)のベースともなる関係もあり、縦置きエンジンFFというアウディ独自のスタイルではなく、より一般的な横置きエンジンFFとなっている。ガソリンエンジンのうち、5バルブシステムを採用した1.8L直4DOHCには、ターボモデルも設定された。プラットフォームには、アウディ親会社であるフォルクスワーゲン小型乗用車ゴルフなどと共通のフォルクスワーゲンAを使用する

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初代 (1991年–2002年)

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ダッジ・バイパー」の記事における「初代 (1991年2002年)」の解説

コンセプトカー発表経て1991年12月販売開始当初は8リットルV型10気筒、400hp(約406PS)のオープンモデルであるRT/10のみがラインナップされたが、1995年に450hp(約456PS)のクーペモデルであるGTS追加された。 日本では1997年に「クライスラー・バイパー」(ただし、フロントエンブレムオリジナルの物を使用)として正規輸入が行われた。当初はRT/10のみが導入されたが、1999年からはGTS追加された。販売価格1000万円を超えていた。なお、歴代バイパーのうち日本正規輸入されたのは初代のみで、2代目以降正規輸入されていない

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初代(1983-1995年)

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フィアット・ウーノ」の記事における「初代(1983-1995年)」の解説

当代モデルブラジルはじめとするラテンアメリカ専売モデルとなり、欧州市場へは投入されない。 直線的な外観の初代に比べ丸み帯びたスタイルへと変化した。ブラジルフィアットとトリノのチェントロスティーレによる共同開発モデルであり、プラットフォームはニューパンダ用をベースコストダウン図ったものを採用している。 エンジンはガソリン・エタノールの両方対応したフレックス燃料車タイプの1.0Lと1.4Lの2種どちらも5速MTのみとの組み合わせである。なお、2015年モデルからはどちらのエンジンにもアイドリングストップ機構標準化されデュアロジックオプション設定追加された。

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初代 (1993-1999年)

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フィアット・プント」の記事における「初代 (1993-1999年)」の解説

フィアット社内でのプロジェクト名、「178プロジェクト」のコードネームのもと、フィアット・ティーポベース車両として開発され1993年9月発表1994年フィアット・ウーノ後継車両として登場。 1.1L、1.2Lのガソリンエンジン、1.7Lのディーゼルエンジン搭載。後にスポーツモデルとして1.4Lターボモデルが追加された。ボディ形状3ドアまたは5ドアハッチバックで、デザインジョルジェット・ジウジアーロの手よる。のちに3ドアモデルがベースのカブリオレモデルもベルトーネ社の工場製造された。トランスミッションマニュアルメインだが、富士重工業製CVT搭載したモデルセレクタ」も追加された。 1995年ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞した日本国内での販売1997年3月に1.2Lセレクタと1.2Lカブリオセレクタが先行発売され、1998年4月日本仕様車としてアバルトエアロパーツ装着し、1.2L DOHCエンジン搭載したスポルティングアバルトが発売された。 インテリア

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初代(1992-1997年)

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フォード・クラウンビクトリア」の記事における「初代(1992-1997年)」の解説

フォードLTDから完全に独立し1991年1992年モデルとして登場したフォード・トーラスセーブル大ヒットしたためLTDとは違い丸み帯びたエアロダイナミックなデザインへと変貌した。ただ、グリルレスは不評であったために1993年中期型からはグリル追加され1995年後期型からは新規グリルとリアコンビネーションランプが追加されナンバー取付位置リアライト中央移動させた。

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初代(VM型、2014年 - 2020年)

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スバル・レヴォーグ」の記事における「初代(VM型、2014年 - 2020年)」の解説

2013年11月20日第43回東京モーターショーにおいて、ワールドプレミア富士重工業当時社長吉永泰之自らがプレゼンテーション行いその中で日本市場向け車種として販売することを明かしたボディサイズは、5代目レガシィツーリングワゴンより全長/ホイールベースともに100 mm短縮し全高50 mm低く設定。なお、全幅のみ1,780 mm変化はない。日本の交通環境取り回ししやすいボディサイズとした。 エクステリアは、ルーフ後端低く抑えた輪郭と、スバルモチーフである「ヘキサゴングリル」や「ホークアイヘッドランプ」を採用インテリアは、ピアノブラック調パネル中心に金属調アクセントメッキ部品要所採用また、ステアリングには、D形ステアリング採用したエンジン直噴ターボ搭載新開発の1.6 Lエンジン「FB16」型の最高出力/最大トルクそれぞれ125 kW (170 PS) と250 N・m (25.5 kgf・m)。レギュラーガソリン仕様とした。また、レガシィツーリングワゴンGTDIT」にも搭載されていた2.0 Lエンジンの「FA20」型は221 kW (300 PS) の最高出力と、400 N・m (40.8 kgf・m) の最大トルクをもつ。 トランスミッション無段変速機「リニアトロニック(マニュアルモード付)」を採用。特に2.0L車用は高出力対応した「スポーツリニアトロニック(マニュアルモード付)」を搭載。「SI-DRIVE」の「S#」モード選択時は、通常時の6段変速から8段クロスレシオ変速切り替わる制御採用した駆動方式は、AWDのみ。1.6 L車には、前60:後40トルク配分基本に、路面走行状況に応じて前後輪のトルク配分コントロールするアクティブトルクスプリットAWD」(電子制御AWD)を、また、2.0 L車には前45:後55後輪へのトルク配分増やした「VTD-AWD」(不等&可変トルク配分電子制御AWD)をそれぞれ採用する運転支援システムEyeSight改良型の「Ver.3」を搭載ステレオカメラ視野角視野距離を約40%拡大するとともにカラー化によって、ブレーキランプ認識実現した加えて操舵支援機能である「アクティブレーンキープ」、「AT誤後進抑制制御」などの新機能、プリクラッシュブレーキ全車追従機能クルーズコントロール性能向上を果たしている。また、2015年には「アドバンスドセイフティパッケージ」、2017年には「アイサイト・ツーリングアシスト」といった機能追加している。 詳細下記年表」を参照 なお、レヴォーグ発売当初国内専用車であったが、ステーションワゴン需要が高い欧州市場にも投入することとなり、2015年3月開催される第85回ジュネーヴモーターショーにて欧州仕様車出展。これに先立ち2015年1月にはスバルUK同年秋から英国市場発売開始することを発表しその後販売開始した2013年11月20日第43回東京モーターショー2013に「LEVORG(レヴォーグ)」(参考出品)を世界で初め公開する、と発表プロトタイプ車両画像主な仕様諸元グレード構成公開された。 2013年12月27日先行予約開始発表2014年1月4日より先行予約開始し同年5月より順次発売開始する発表具体的な発売予定時期は「1.6GT」と2.0L車は2014年5月、「1.6GT EyeSight」と「1.6GT-S EyeSight」は同年6月から、とアナウンスされた。 2014年4月15日レヴォーグ」を発表6月20日発売)。グレード構成は、1.6Lターボエンジン搭載する「1.6GT」、「1.6GT EyeSight」、「1.6GT-S EyeSight」、2.0ターボエンジン搭載する「2.0GT EyeSight」、「2.0GT-S EyeSight」の5グレードボディ色は、新色「スティールブルーグレー・メタリック」に加え、「クリスタルホワイト・パール(有料色)」、「アイスシルバー・メタリック」、「ダークグレー・メタリック」、「クリスタルブラック・シリカ」、「ライトニングレッド」、「ギャラクシィブルー・シリカ」の全7色を設定。なお、EyeSight(ver.3)ユニット量産体制万全に期するため、2013年12月27日先行予約開始時に発表した発売日を全グレードとも延期し、「6月20日一斉発売」に変更したことが同時に発表された。 2014年10月1日2014年度グッドデザイン賞受賞スバル車で受賞は、2012年のインプレッサスポーツ/G4及びSUBARU XV2013年フォレスター続いて3年連続となった2014年12月11日特別仕様車「1.6GT EyeSight S-style」を設定2015年1月13日発売)。「1.6GT EyeSight」をベースに、18インチアルミホイール(シルバー塗装)、LED4灯ロービーム+ハロゲンハイビームヘッドランプ(光輝タイプ)、運転席8ウェイパワーシート(前後スライド/前チルトリフターリクライニング)、クリアビューパック(フロントワイパーデアイサー、リヤフォグランプ)を特別装備とした。 2015年4月16日一部改良4月21日発売)。「アドバンスドセイフティパッケージ」を新設定全車メーカーオプション)。走行時の側方検知後退時左右後方検知を行う「スバルリヤビークルディテクション」(後側方警戒支援機能)、左側ドアミラーカメラ搭載しドライバーからの死角となる左前方の映像ガイド付でマルチファンクションディスプレイ表示するサイドビューモニター自動防眩ルームミラー付)」、ルームミラー一体型単眼カメラを新採用することで、先行車や対向車検知して、ヘッドランプハイビームロービーム自動切り替えるハイビームアシスト」、アイサイト作動状況警報に応じて点灯するランプフロントウィンドウ運転席前に表示する「アイサイトアシストモニター」で構成される。「1.6GT EyeSight」、「2.0GT EyeSight」のサスペンションに、乗り心地向上を目的とした新ダンパー採用また、後席まわりに制振材吸音材追加し高速走行時風切り音ロードノイズ低減した。「1.6GT EyeSight」の燃費性能0.2 km/L向上し17.6 km/LJC08モード)となり、「平成32年燃費基準」を達成したサンルーフ電動チルトおよびスライド式)をメーカー装着オプションとして設定また、ボディカラーは「ライトニングレッド」に替わり「ピュアレッド」、「ギャラクシィブルー・シリカ」に替わり「ラピスブルー・パール」を新設定し、従来通り全7色とした。最廉価グレードの「1.6GT」を廃止。これにより、レヴォーグは全グレードが「EyeSightアイサイト)」を装備する車種となった2015年6月1日特別仕様車「1.6GT EyeSight Proud Edition」・「1.6GT-S EyeSight Proud Edition」を設定6月8日発売)。新設定の「Proud Editionシリーズは、「1.6GT EyeSight」、「1.6GT-S EyeSight」をベースに、17インチアルミホイール(ガンメタリック塗装)、クリアビューパック(フロントワイパーデアイサー、リヤフォグランプ)を特別装備。「1.6GT EyeSight Proud Edition」はさらに、LED4灯ロービーム+ハロゲンハイビームランプ(光輝タイプヘッドランプレベライザー(オート)・ポップアップ式ヘッドランプウォッシャー付)と運転席8ウェイパワーシート(前後スライド/前チルト/リフター/リクライニング)を追加。「1.6GT-S EyeSight Proud Edition」は、ベースとなる「1.6GT-S EyeSight」が標準装備するオールウェザーパックの一部スーパーUVカットガラス(フロントドア)、撥水加工ガラス(フロントドア))、アルミパッド付スポーツペダル、助手席パワーシート装備リストから省くとともにタイヤサイズを225/45R18から215/50R17に、フロントブレーキは17インチから16インチ変更した。これによりベース車より20 kg軽量化燃費が1.6 km/L向上し17.6 km/LJC08モード)となり、平成32年燃費基準達成している。 2015年12月10日特別仕様車「1.6GT EyeSight S-style」を発売2015年1月発売した特別仕様車S-style」を、新装備加えて再発売新たにパールスエード/本革シート上級グレードの「1.6GT-S EyeSight」と共通の「メッキ加飾フロントグリル:ダークメッキ+ブラック塗装」と「LEDロービーム+ハロゲンハイビームヘッドランプ(ブラックベゼル)を追加2016年4月11日一部改良6月10日発売)。安全性能強化し前面衝突時に瞬時シートベルト巻き取るプリテンショナー左右リヤにも採用また、リアシートクッション安全性の高い構造改良するなど後席の乗員保護性能を向上させたほか、フロントドアにアッパービームを追加し側面衝突への対応も強化したエクステリアでは、「1.6GT EyeSight」に切削光輝ガンメタリック塗装組み合わせた新デザイン17インチアルミホイールを採用インテリアでは、「1.6/2.0GT-S EyeSight」に「ブライトパール内装」を設定メーカーオプション)。また、フロントドアガラスの室内ショルダー部ウェザーストリップを2枚化するとともに、リアクォーターガラスの板厚アップとカーゴルームの吸音材追加などにより、透過音の低減静粛性を向上を図ったグレード構成変更。「2.0GT EyeSight」が廃止され「2.0GT-S EyeSight」のみとなったまた、特別仕様車「1.6GT EyeSight S-style」はカタログモデル化。また、特別仕様車Proud Edition」は廃止された。併せてSTIブランド最上級グレード同年夏に発売予定であることも発表した2016年5月27日STI Sport」の先行予約開始同年夏に発売することを発表したほか、内外装画像主要装備グレード構成公表した2016年6月27日STI Sport」を追加7月21日発売)。「STI Sport」 は、スバルテクニカインターナショナルSTI)とのコラボレーションによるレヴォーグ最上級グレードとして設定ラインアップは、「1.6STI Sport EyeSight」、「2.0STI Sport EyeSight」の2グレード構成足回りは、操縦安定性の向上・乗り心地両立を図るため専用チューニング施したサスペンション採用フロントには、ビルシュタインストラット(「DampMaticII」、倒立式)、リヤにもビルシュタインダンパーを採用エクステリアでは、専用デザインのフロントバンパー・フロントグリル、LEDフロントフォグランプ&フロントフォグランプカバー、18インチアルミホイール(ダークグレー+切削光輝)、大型マフラーカッター(デュアル)を採用車体前後にはSTIオーナメント装着ボディカラーベース車と共通の7色に加え専用色となる「WRブルー・パール」を追加し全8色。インテリアは、「STI Sport専用テーマカラーボルドー」でコーディネート本革シートボルドー/ブラック)、ステアリングホイール(高触感革)、シフトレバー(レッドステッチ+高触感革)インパネセンターバイザー(レザー調素材巻)、フロントコンソール(ボルドー/ブラックレザー調素材巻)、専用スライド機構付コンソールリッド(ボルドー/ブラック)、専用ドアトリム/ドアアームレスト(ボルドー/ブラック)、素材フロントリヤ大型ドアポケット(ボトルホルダー付)にレッドステッチの専用品を採用STIロゴ付きマルチインフォメーションディスプレイ付レッドルミネセントメーター、STIロゴ入りステンレス製サイドシルプレート(フロント)を装備その他の機能/安全装備として、専用クランプスティフナー付電動パワーステアリングや、「アドバンスドセイフティパッケージ」を装備した2016年10月3日特別仕様車「1.6GT EyeSight Smart Edition」を設定12月12日発売)。「1.6GT EyeSight Smart Edition」は、スバル初のBOXER水平対向エンジン搭載車スバル・1000」の発売50周年記念した特別仕様車第四弾。「1.6GT EyeSight」をベースに、「アドバンスドセイフティパッケージ」とクリアビューパックを標準装備としたほか、エクステリアでは、ブラック塗装切削光輝処理を施した専用17インチアルミホイール、ブラックカラードドアミラー、上級グレードの「1.6GT-S EyeSight」と同デザインのLED4灯ロービーム+ハロゲンハイビームランプ(ブラックベゼル)、ダークメッキ加飾ブラック塗装フロントグリル採用インテリアでは、運転席8ウェイパワーシートとアルミパッド付スポーツペダルを特別装備ボディ色は、「クリスタルホワイト・パール(有料色)」、「クリスタルブラック・シリカ」、「ピュアレッド」、「ラピスブルー・パール」の4色設定2017年6月5日大幅改良し同年夏に発表することを告知併せて専用サイトSUBARUウェブサイト上に開設したことを発表2017年7月3日大幅改良モデル発表8月7日発売)。エクステリアは、「STI Sport EyeSight」を除く全グレードフロントグリルフロントバンパーLEDヘッドランプLEDフォグランプカバーのデザイン刷新また、フロントフォグランプLED化した。「STI Sport EyeSight」はLEDヘッドランプLEDフォグランプカバーのみデザイン変更したまた、「1.6GT EyeSight S-style」、「1.6GT-S EyeSight」、「2.0GT-S EyeSight」は18インチアルミホイールを新デザイン変更ボディカラーは「スティールブルーグレー・メタリック」に替わり新色「ストームグレー・メタリック」を設定インテリアでは、フロントコンソール、ドアスイッチパネル、ドアグリップを新デザイン変更したほか、「1.6GT-S EyeSight」、「2.0GT-S EyeSight」はインパネ加飾パネルデザイン変更。センターパネルは新たに8インチナビゲーションにも対応したデザイン一新したまた、インパネ中央上部設置されるマルチファンクションディスプレイは、画面サイズ4.3インチから5.9インチ拡大した利便性高めるためリヤシート分割方式を4:2:4分割変更したほか、従来本革シート装着車にのみに設定されていたフロントシートヒーターを「1.6GT EyeSight」を除く全車標準装備化(「1.6GT EyeSight」は「コールドウェザーパッケージ」としてメーカーオプション)した。運転支援システムアイサイト」に、全車速域でアクセル・ブレーキ・ステアリングの操作サポートする新機能「アイサイト・ツーリングアシスト」をSUBARU車として初搭載。また新たに後退時自動ブレーキシステムと、従来は「アドバンスドセイフティパッケージ」に含まれていた「アイサイトアシストモニター」を追加した。「アドバンスドセイフティパッケージ」は構成する機能変更し「アイサイトセイフティプラス(運転支援)」および「アイサイトセイフティプラス(視界拡張)」に改称。「運転支援」は従来通り「スバルリヤビークルディテクション」(後側方警戒支援システム)と「ハイビームアシスト自動防眩ルームミラー付)」で構成。「視界拡張」には、従来までのサイドビューモニターフロントカメラ追加したフロント&サイドビューモニター」と、リアゲートガラス内側装着したカメラ映像ルームミラー表示する新機能「スマートリアビューミラー」をパッケージ化した(「STI Sport EyeSight」に標準装備、他グレードメーカー装着オプション)。また、その他の安全装備として、ステアリング連動ヘッドランプ、オートビークルホールドを新採用した走行性能では、フロントおよびリヤサスペンション(「STI Sport」を除く)と電動パワーステアリング改良し乗り心地操縦安定性操舵フィーリング高めたほか、ボディ各所振動騒音対策を施すことで走行時の静粛性を向上。1.6 Lエンジン制御最適化実用燃費を向上させたほか、「1.6GT EyeSight」を除く全グレードで高μブレーキパッド採用した2018年4月27日改良モデル発表6月1日発売)。「アイサイト」のプリクラッシュブレーキ制御改良認識対象が、車両同一方向進行する歩行者自転車であった場合減速制御作動タイミング早期化することで、衝突回避可能性を向上させた。また、低速走行中、前方障害物がある状態で誤ってアクセル踏み込んだ判断した場合には、プリクラッシュブレーキ作動させることで、衝突回避支援する。「STI Sport EyeSight」はメッキドアハンドル、ピアノブラック調ステアリングベゼルを新採用SUBARU 60周年別記念車として「1.6GT EyeSight Smart Edition」を追加設定。「アイサイトセイフティプラス」を標準装備としたほか、ブラックベゼルを採用したLEDハイおよびロービームランプ、ダークメッキ+ブラック塗装加飾施されフロントグリル、ブラックカラードドアミラー、アルミパッド付スポーツペダルを特別装備としている。 2018年11月27日特別仕様車「1.6GT EyeSight V-SPORT」を設定2019年1月15日発売)。レヴォーグでは前述の「1.6GT EyeSight Smart Edition」に続くSUBARU60周年特別仕様車として設定される。「1.6GT EyeSight」をベースに、「1.6GT EyeSight Smart Edition」同様、ブラックベゼルのLEDハイ&ロービームランプやダークメッキ+ブラック塗装メッキ加飾フロントグリル、アルミパッド付スポーツペダル、ブラックカラードドアミラーを装備。さらに、タイヤ・アルミホイールを18インチにサイズアップの上アルミホイールブラック塗装+切削光輝仕様変更また、ビルシュタインダンパーフロント倒立式)を特別装備し、フロントブレーキを17インチ2ポットベンチレーテッドディスクに変更した装備面では、「コールドウェザーパック(フロントワイパーデアイサー、フロントシートヒーター)」と「アイサイトセイフティプラス(スバルリヤビークルディテクション、ハイビームアシスト自動防眩ルームミラー付〕、フロント&サイドビューモニター)」が特別装備された(ただし、「アイサイトセイフティプラス(視界拡張)」に含まれているスマートリアビューミラーは非装備となる)。ボディ色は特別設定色「WRブルー・パール」を含む4色設定2019年5月7日改良モデル並びに特別仕様車STI Sport Black Selection」、「1.6GT-S EyeSight Advantage Line」が発表された(改良モデルおよび「STI Sport Black Selection」は6月27日、「1.6GT-S EyeSight Advantage Line」は8月29日それぞれ発売)。ハイビームアシスト作動する車速従来40 km/hから30 km/h変更ボディカラーは「ダークグレー・メタリック」、「ストームグレー・メタリック」の2色に替わり「マグネタイトグレー・メタリック」を追加した後述する「1.6GT EyeSight V-SPORT」は未設定)。また、グレード体系一部変更され、SUBARU60周年別記念車として設定されていた「1.6GT EyeSight Smart Edition」および「1.6GT EyeSight V-SPORT」をカタログモデル昇格した一方、「1.6GT EyeSight S-style」は廃止となった。「STI Sport Black Selection」は「STI Sport EyeSight(1.6/2.0)」をベースに、エクステリアでは、タイヤアルミホイール18インチにサイズアップの上アルミホイールブラック塗装+切削光輝仕様に、カラードドアミラー&カラードドアハンドルをブラックそれぞれ変更インテリアでは、シートスライド機構付コンソールリッド、ドアトリム/ドアアームレストの基調色をブラック+レッドステッチに変更また、フロントコンソールもブラック色に変更しレザー調素材巻+レッドステッチの加飾施したまた、シート素材には「ウルトラスエード/本革」を採用するとともにRECAROフロントシート+運転席8ウェイパワーシートをメーカーオプション設定。「1.6GT-S EyeSight Advantage Line」は「1.6GT-S EyeSight」をベースに、エクステリアでは「STI Sport Black Selection同様にタイヤ・アルミホイールを18インチにサイズアップの上アルミホイールブラック塗装に、カラードドアミラー(フットランプ付)とカラードドアハンドルをブラックに、リヤオーナメント(「LEVORG」および「シンメトリカルAWD」)は「ラスターブラック」仕上げそれぞれ変更インテリアでは、インパネ加飾パネルにブルードレープ調+クロームメッキ採用したほか、ウルトラスエード/本革シート(ブルーアクセント、ブルーステッチ)を特別装備とした。また、ベース車でメーカーオプションとなる、アイサイトセイフティプラス(運転支援)および アイサイトセイフティプラス(視界拡張)を標準装備ボディ色は、特別設定色である「クールグレーカーキ」のほか、「クリスタルホワイト・パール(有料色)」、「クリスタルブラック・シリカ」の3色を設定2019年11月7日特別仕様車「2.0GT EyeSight V-SPORT」が発表された(2020年1月23日発売)。「2.0GT-S EyeSight」をベースに、外観アルミホイールブラック塗装に、リアオーナメント(LEVORG、シンメトリカルAWD)をラスターブラックに、カラードドアミラーをブラックにと黒でコーディネート内装本革ステアリングホイールとシフトブーツのステッチシルバーに、インパネ加飾パネルをピアノブラック調+クロームメッキ変えシートはフロントスポーツシート(ファブリック/トリコットシート、シルバーステッチ)を採用した安全面では、ベース車でメーカーオプション設定となっているハイビームアシスト自動防眩ルームミラー付)とスバルリアビークルディテクション(後側方警戒支援システム)で構成された「アイサイトセイフティプラス(運転支援)」が標準装備された。ボディ色は全5色設定される2020年5月25日この日をもってオーダーストップ以後在庫車のみとなった2014年4月販売型 1.6GT-S EyeSight 2014年4月販売型 1.6GT-S EyeSightリア 2014年4月販売型 2.0GT EyeSight 2014年4月販売型 2.0GT-S EyeSight 2014年4月販売STI Sport ニューイヤー駅伝 欧州仕様車

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初代(1999年-2008年)

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ルノー・シンボル」の記事における「初代(1999年-2008年)」の解説

初代シンボル1999年末にクリオノッチバック版として発表された。車名市場によって異なり、クリオシンボル、タリア、クリオセダン、シンボル、クリオクラシックなど様々である。また、メキシコチリなどいくつかのラテンアメリカ諸国では日産・プラティーナとして販売された。シンボル伝統的にハッチバックよりもセダン好まれる新興国、特に東ヨーロッパでの販売意図して開発された。全長ハッチバックから38cm伸ばされ、より大容量510リットルのトランクスペースを備えた。 この車種の主となる製造拠点トルコブルサオヤック・ルノー工場で、1999年から生産開始した2000年からアルゼンチンコルドバ州サンタ・イサベル工場と、ブラジルクリチバ近郊サン・ジョゼ・ドス・ピニャイスのアイルトン・セナ工場でも生産され2001年からはコロンビアのソファサ (SOFASA) でも開始された。2002年には日産メキシコアグアスカリエンテス工場でもプラティーナ製造開始された。また、2002年から2004年まで短期間であるが、ロシアでもアフトフラモス製造が行われていた。 エンジン欧州仕様は1.4Lのみで75hp (56kW) を発揮する8バルブエンジンと98hp (73kW) を発揮する16バルブエンジンの2種類用意された。アルゼンチンでは100hp (74kW) を発揮する1.6L 16Vと65hpを発揮する1.9Lディーゼルターボなし)、コロンビアでは1.4L 8V、そしてブラジルでは1.6L 16Vまたは70hp (52kW) を発揮する1.0L 16V搭載された。 2002年3月にはフェイスリフトが行われ、クリオハッチバック同様に新デザインのフロントマスクが与えられた。また、内装ではパワーウインドウボタンがセンターコンソールからドア移され新デザインステアリングホイール与えられた。欧州仕様には75hp (54kW) を発揮する1.2L、100hp (74kW) を発揮する1.6L 16V、そして75hp (56kW) を発揮する1.5L dCi新たに加わった。1.5L dCiは後に70hp (51.5kW) 版と80hp (58.9kW) 版も追加された。1.4L 16VにはAT車設定された。2003年には南アメリカでもフェイスリフト版が発表されブラジルでは2種類フレックス燃料エンジン採用された。1.0L 16Vガソリン走行時で76hp、エタノール走行時77hpを発揮し、1.6L 16Vガソリン走行時で110hp、エタノール走行時で115hpを発揮した一方アルゼンチンでは同年末にCNG仕様発表された。 2005年前半期にはクリアテールライトの導入グリル小変更、計器類アナログからデジタルへ変更といった小改良受けた2006年には再びマイナーチェンジを受け、年初アルゼンチンブラジルで、秋にヨーロッパでそれぞれ販売開始された。外観ではグリル形状変更、全グレードモールディングなしのボディ同色バンパー採用ルノーロゴ一体化した新デザインのトランクハンドルといった変更受けた。 初代シンボル全世界累計60台以上が販売された。 19992002年型ルノー・タリア(フロント19992002年型ルノー・タリア(リア日産・プラティーナフロント日産・プラティーナリア

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初代(1975年-1977年)

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プリムス・コルト」の記事における「初代(1975年-1977年)」の解説

クリケット(1971 - 1973)の後継車としてデビューした

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初代 (1964 - 1967年)

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シボレー・シェベル」の記事における「初代 (1964 - 1967年)」の解説

初代シェベルは1963年に、'64イヤーモデルとしてデビューしたシャシは、ペリメーター型GMのAプラットフォーム改良したものをベースとしており、モンテカルロにも流用された。シェベルは、同サイズフォード・フェアレーン対抗することを意図して開発されたが、当初シボレー芳しい販売実績上げていたシボレー・ノバ新型として販売される予定であったスタイル大衆車らしいシンプルかつクリーンな面構成で、装飾の類も控えめである。シェベルのラインナップは、経済的なファミリーカーから、パワフルなハイパフォーマンスモデルまでをもカバーし、ボディータイプも、2ドアが、クーペハードトップコンバーチブルセダンステーションワゴン4ドアが、セダンステーションワゴンと、非常に多岐に及んでいる。さらに、ピックアップトラックであるエルカミーノも、2代目はこのシェベルをベースとしており、フロントマスクや内装意匠にも共通点が多い。 購買層多くは、シェベルを経済的で、手ごろ値段ファミリーカー捉えていた。現に、シェベルは5人乗り家族向けの大きさで、パワーステアリングパワーブレーキブレーキ倍力装置)、オートマチックトランスミッションエアコンステレオなどの人気装備整った車であった。 1964年初頭1965年、ハイパフォーマンスモデルにはマリブSSのサブネームが付けられていた。 シェベルマリブSSコンバーチブル シェベルマリブ4ドアハードトップ

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初代 (2005-2012年)

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シトロエン・C6」の記事における「初代 (2005-2012年)」の解説

シトロエンにとって約16年ぶりとなる大型車で、XM後継モデルである。1998年パリサロン発表されコンセプトカー「C6 LIGNAGE(リナージュ)」をベース開発2005年3月ジュネーブショー市販モデル初公開同年末より欧州販売開始。 フロントマスクにはシトロエンエンブレムでもある「ダブルシェブロン」をあしらいフロント長くリアが短いボディライン縦長ヘッドランプフレーム使用していないサイドウィンドウ、凹面リアウィンドウなど、独特なスタイリング特徴的リアには速度感応式リアスポイラー装備サスペンション前輪ダブルウィッシュボーン/後輪マルチリンク加えシトロエン独自の電子制御スプリング&ダンピングシステムである「ハイドラクティブIIIプラス」を採用エンジンは3.0L「ES9」ガソリンエンジンV6)と2.7L「HDiディーゼルV6)をラインナップ。さらに2006年には2.2LのHDiディーゼルマニュアル・トランスミッション仕様追加2009年には2.7LのHDi240馬力出力を誇る3.0LのHDi置き換えられた。一方、この新型HDiよりも出力面・燃費面で劣るガソリン仕様生産中止された。また2010年以降フランス国仕様基本的に3.0HDiに一本化されている。 安全面では、運転席ニーエアバッグやリアサイドエアバッグなど合計9個のエアバッグむち打ち症防止のためのアクティブヘッドレスト万が一歩行者跳ね上げた自動的にボンネット浮かせて衝突ショック軽減をはかるアクティブボンネットなどを装備その評価ユーロNCAPでは5星の36点、歩行者保護では4星の28点という評価受けている。 日本での販売2006年10月末より販売開始され、2006-2007日本カー・オブ・ザ・イヤー「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した日本仕様空調吹き出し口一部変更して日本仕様カーナビゲーションシステムと本来のエアコン等の情報画面両立を図る等の工夫が行われていた。またオプションとして、リア電動スライドシート・後席シートヒーター電動グラスサンルーフなどを装備した「ラウンジ・パッケージ」仕様用意されていた。但し日本正規輸入されていたのはガソリンの3.0Lのみであり、1.8トン上回る重量割りには出力・トルク小さなエンジン搭載されているために同じクラス欧州車をはじめ、日本車アメリカ車比べて動力性能に関して劣る面も指摘されていた。前述ガソリン仕様生産中止受けて2010年度前半にて輸入停止日本国内にある在庫車の完売をもって販売終了となっている。ただし3.0LのHDi日本平成22年排出ガス規制通過出来為に並行輸入業者依る輸入はごく少数行われている。 日本では正規輸入終了した後、本国でもラインアップディーゼルのみに縮小され、C6の生産2012年12月18日終了したまた、近い将来新型車DS6を投入することを2011年6月シトロエン発表している。2012年4月には後継セダンコンセプトモデルとなる「Numero9」が発表されている。 なおフランスの第23大統領ニコラ・サルコジは、公用車としてC6を使用していた。日本では宇崎竜童椎名林檎新車購入したことも一部紹介されている。

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初代 (2011- )

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キア・レイ」の記事における「初代 (2011- )」の解説

2011年11月9日韓国にて発表同年12月20日発売スタートした同社コンパクトカーである2代目モーニングプラットホーム共有しエンジン出力78PSの「Kappaカッパ)1.0MPI」を搭載ガソリンガソリン/LPGのバイフューエル設定)。サイズ排気量韓国内での軽車(キョンチャ)(日本軽自動車~リッターカークラスに相当)基準となる。 エクステリアデザインについては日本いうところのトールワゴンであり、助手席側に韓国車初のピラーレス構造スライドドア装備起亜車のデザインアイコンである「タイガーグリル」についてはヘッドライト一段下に設けられているため、一見グリルレスに見えるようになっている機能性については先述スライドドア加えてインパネシフトシート内蔵シートベルト助手席側)を採用することで乗降性操作性ならびに使い勝手配慮している。また、ABSエアバッグはもちろん、VSMやヒルアシストコントロール、カーテンシールドエアバッグLEDリヤコンビネーションレンズも備えることでクラス超えた安全性アピールしている。 グレードガソリンバイフューエルとも「デラックス」「デラックススペシャル」「ラグジュアリー(高級)」「プレステージ」の4種設定12月22日電気自動車Ray EV」を発表レイベースに50kWのモーターと16.4kWhのリチウムイオンバッテリー搭載一回充電走行可能な距離は139km、そして最高速度は130km/hを誇る。なお同車官公庁向けに2,500台が販売される予定となっている。 2012年9月5日、1.0L・Kappaターボエンジン仕様追加出力を106PSまで上げると同時に燃費NA比約9%UPとなる18.6Km/Lまで向上させている。 2017年12月13日マイナーチェンジし、「The new RAY」を名乗る前後レンズおよびバンパーデザイン一新した

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初代 (1985-2008年)

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プロトン・サガ」の記事における「初代 (1985-2008年)」の解説

1985年7月9日発売。このモデルは、1980年代初頭マハティール・ビン・モハマド元首相提唱した国民車構想に基づきプロトン社が生み出した初めての乗用車となった。もっとも、ゼロから国民車作れるわけもなく、業務提携先三菱自動車三菱・ランサーミラージュ)を元に造られている。エンジンは1300cc(4G13型)と1500cc(4G15型)をセダンタイプのボディ搭載していた。ランサーとの主な相違点フロントグリルをはじめ、全く別物テール周辺デザインヒーター省略される代わりに全車種に標準装備された非常に強力なエアコンクーラー)、フロント部分強化ガラス2代目ミラージュバン前期型や一輸出向け同じくコストダウン図られている)、独自のデザインダッシュボードなどであったマレーシア政府が、輸入車に対して200%もの関税設定するなど、この「国民車」に手厚い保護加えたこと、サガ自体信頼性高くリセールバリュー良く維持され、1モデル前のカローラサニーなどの中古車を買うよりも安価な買物であったことから、マレーシア国内においては十分な競争力持ち大ヒットした。発売翌年には、マレーシア国内市場占有率50%を超している。 また、旧宗主国イギリス隣国シンガポール中心に輸出開始され旧ソ連東欧製の乗用車低価格市場戦い順調に販売伸ばした。なお、英国向け仕様車にはヒーターデフロスター装備されるためかランサーミラージュ)と共通のダッシュボード与えられていた。

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初代 (2008年-2012年)

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ダチア・サンデロ」の記事における「初代 (2008年-2012年)」の解説

ロガンと同じB0プラットフォームベース開発され小型ハッチバックで、発表2007年9月フランクフルトモーターショー正式な市場デビュー同年12月ブラジルで、これはルノー初の欧州市場デビューとなったロガン比べるホイールベース短くなっている。ルノーブランド版はブラジル工場生産され、そこから他の南米諸国輸出もされている。ダチア・ブランドでの販売ヨーロッパにおいて2008年6月3日ら行われ、ルーマニアピテシュティにて生産されるその他にコロンビア・エンヴィガード、ロシア・モスクワ、モロッコ・カサブランカ、南アフリカ・プレトリアでも生産される。ダチア・ブランドは南米諸国においての認知度がかなり低いため、南米諸国では既にブランド確立しているルノー・ブランドでの投入となったダチア版とルノー版との違いエンジンフロントグリルなどごく小規模に留まる2008年10月にはブラジルにおいてサンデロ・ステップウェイが設定された。ステップウェイはサンデロをベースクロスオーバーSUV風に仕立てたモデルである。バイオエタノール対応の1.0Lおよび1.6L 16バルブエンジンを搭載する2011年5月ブラジルにおいてルノー・サンデロおよびサンデロ・ステップウェイのフェイスリフト版が発表された。 ルノー・サンデロ前期) ダチア・サンデロステップウェイ ルノー・サンデロ・ステップウェイ(後期

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初代 (2003-2016年)

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ビュイック・エクセル」の記事における「初代 (2003-2016年)」の解説

シボレー・オプトラ」も参照 2003年4月の上モーターショー発表GM大宇(現:韓国GM)が開発したシボレー・オプトラのリバッジであり、外観上の相違点エンブレムグリル程度に留まった。当初セダンのみがラインナップされ、後にワゴンハッチバックエクセルHRV)も加わったエンジン直4 1.6Lと直4 1.8Lがラインナップされ、トランスミッション5速MT4速ATが用意された。 2008年4月にはセダンフェイスリフトが行われ、新デザインのフロントフェイスとリアエンド、それに上級化されインテリア与えられた。エンジンは1.8Lがカタログから落とされて1.6Lのみの設定となったエクセル2011年中国市場でのベストセラーである。

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初代(HT51S型 2000年-2006年)

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スズキ・スイフト」の記事における「初代(HT51S型 2000年-2006年)」の解説

2000年平成12年1月24日 - 初代スイフト発表発売2月9日)。Keiと同じサイドパネルドア使いクロスオーバーSUV風の小型車として登場プラットフォームワゴンRプラスと同じ)。エンジンにはVVT採用し65 kW88馬力)を発生する1,300 cc直列4気筒 DOHC 16バルブM13Aガソリンエンジン搭載されている。当初は「SE」・「SG」・「SX」の3グレード4速ATのみの展開。なお、2001年平成13年)から参戦したJWRCベース車両としても使われた。 2000年平成12年5月25日 - スズキ創立80周年記念し、「SG」をベースエアロパーツ装着し、よりスポーティな外装とした「80周年記念SGエアロ」を発売2000年平成12年9月1日 - 基本装備充実しながら、82.3万円2WD5MT・税抜車両本体価格)からのお買い得価格設定したグレードSE-Z」を発売。「SE-Z」では、新たに5速MT車を設定する2001年平成13年1月18日 - スポーティな外装上級装備備えつつ、お買い得価格設定したグレード21世紀記念スペシャル SGエアロII」を発売2002年平成14年1月21日 - 一部改良2DIN規格のオーディオスペースが上部変更された。また、グレード体系を「SE-Z」と「SG」の2グレード整理した上で、「SE-Z」は新たにパワーウィンドウ、フルホイールキャップ、オーディオ装着しながら価格従来車より3万円高に、「SG」はフォグランプスモークガラスなど装備充実しつつ、価格従来車より1万円高にそれぞれ抑えたまた、フロントグリルエンブレム小型車専用の共通エンブレム変更2002年平成14年6月6日 - エアロパーツアルミホイール装着し、よりスポーティーな外観とした特別仕様車SF」を発売同日お買い得グレードSE-Z」を一律6.3万円値下げし、最低価格79万円からとなる。 これ以降日本では他のコンパクトカーはおろか一般的な軽自動車をも下回る低価格79万円」(税抜車両本体価格)を売り販売が行われ、競合車種よりも安価であったこともあり、事業所官公庁向けの公用車パトカー(主に交番・駐在所配置)として全国的に導入された。 2003年平成15年6月12日 - 一部改良。フロントグリル・フルホイールキャップのデザイン一新内装変更され4WD・4AT車を除き超-低排出ガス車☆☆☆)」認定取得また、特別仕様車として発売していた「SF」がカタロググレードに昇格し、「SG」に代わって、電動格納式リモコンドアミラー、CDステレオなどを装備した上級グレードSG-X」を新設定2003年平成15年12月12日 - お買い得グレードSE-Z」をベースに、装備よりいっそう充実させた特別仕様車「Lリミテッド」を発売2004年平成16年5月12日 - お買い得グレードSE-Z」をベースに、装備よりいっそう充実させた特別仕様車「LリミテッドII」を発売2004年平成16年11月 - 2代目発売開始されるが、「SE-Z」のみは継続販売2006年平成18年3月 - 前述の「SE-Z」が販売終了欧州ではイグニスの名称で販売されていた。2003年平成15年以降ハンガリーマジャールスズキ製造されボディ後部延長した欧州独自仕様車体切り替えられた(フロント周りとリヤクオーターは兄弟車の初代型シボレー・クルーズ似たデザインとなる)。このモデル2003年から2007年まで富士重工業にG3XジャスティとしてOEM供給されていた。 後期型 欧州仕様イグニス 欧州仕様イグニス

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初代 (MK I、MK II / 1976年 - 1989年)

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フォード・フィエスタ」の記事における「初代 (MK IMK II / 1976年 - 1989年)」の解説

MK I MK II MK I XR2 MK II XR2 1976年ヨーロッパで成長著しかった小型ハッチバック市場向けて発売された。1959年開発されイギリスフォードの“ケントエンジン”をベースとして、大幅に改良されたOHV1.0L/1.1Lエンジンを横置きに搭載し駆動方式FFであった3ドアボディは、フォード傘下収めていたイタリアデザイン開発会社であるカロッツェリア・ギア設計協力したとされる1977年には1.3Lモデル追加され、同じ時期ヨーロッパだけでなく、日本でもフォード・レーザー登場する1982年まで輸入されていたほか、法規沿った変更受けて北米でも販売された。 1983年フェイスリフトを伴うビッグマイナーチェンジでMK IIとなる。これにより車両外観印象大きく変化した

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初代(インシグニアA、2008年-2016年)

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オペル・インシグニア」の記事における「初代(インシグニアA、2008年-2016年)」の解説

GMイプシロンIIプラットフォーム用いている。イギリスおよびアイルランドではボクスホールブランドで販売されている。2009年ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞している。 インシグニアセールスポイント前身ベクトラCと同じ全長4830mm・ホイールベース2730mmでありながらニールームを3cm拡大し更に余裕ある居住空間実現したこと、世界初のモニターカメラによる道路標識認識システム実用化したこと、全車ユーロ5排気ガス規制クリアしていること等である。 ボディタイプ4ドアセダン、5ドアハッチバック、「スポーツツアラー」と呼ばれるステーションワゴン、そして、スポーツツアラーベースクロスオーバーSUV風の外観持たせた「カントリーツアラー(CT)」の4種から構成される中国北米市場では5代目ビュイック・リーガルとして販売されオセアニア市場ではホールデン・インシグニアとして販売された(ともにセダンのみ)。 チリではサンティアゴモーターショーにて旧モデル同名の「シボレー・ベクトラ」として参考出品されたものの市販には至らなかった。 エンジンは 1.6エコテック - ガソリン直列4気筒1598cc・115PS/6000rpm 1.6ターボエコテック - ガソリン直列4気筒1598cc・180PS/5500rpm 1.8エコテック - ガソリン直列4気筒1796cc・140PS/6300rpm 2.0ターボエコテック - ガソリン直列4気筒1998cc・220PS/5300rpm 2.8V6エコテック - V型6気筒2792cc・260PS/5500rpm 2.0CDTIエコテック - ディーゼル直列4気筒1956cc・110PS/4000rpm 2.0CDTIエコテック - ディーゼル直列4気筒1956cc・130PS/4000rpm 2.0CDTIエコテック - ディーゼル直列4気筒1956cc・160PS/4000rpm 2.0ビターボCDTIエコテック - 1956cc・190PS/4000rpm がある。 ギアボックスはいずれも6段のMTまたはAT(1600/1800ccガソリンを除く)が選択可能。グレードは「エクスクルーシヴ」「S」「SE」「SRi」「エリート」から構成される2009年1月にはV6ガソリンエンジンターボ化して320馬力とし、6速MT四輪駆動システムを持つホットモデル・「OPC」も追加されている。 セダン ハッチバック スポーツツアラーワゴンボクスホール室内 シボレー・ベクトラ(サンティアゴモーターショーにて参考出品

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初代(2006年10月 - 12月)

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結界師 (アニメ)」の記事における「初代(2006年10月 - 12月)」の解説

「?」が現れ、良守が「結!」と囲もうとして追いかけるが、捕まえられず、時音に「迷宮入りになるよ」と言われ、そこに江戸川コナン登場して「その謎だけは結界だけでは捕まえられない、『名探偵コナン』、スタート!と言う

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初代 (RK23/RK30/RK35型、1956年-1960年)

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トヨタ・スタウト」の記事における「初代 (RK23/RK30/RK35型、1956年-1960年)」の解説

1956年4月登場(RK23型)。キャビンマスターのものを流用しており、独立したフェンダー持たない近代的なスタイルとなった。これは予想外短命に終わったマスター生産設備償却早める目的があり、このRK型のほか、初代マスターライン(RR10系)や初代コロナ(ST10系)にも流用されている。マスターラインピックアップ(750kg積)のヘビーデューティー版という位置づけであり、積載量異なるほか、マスターラインが荷台まで一体のボディを持つのに対しRK型は独立した荷台を持つ。 1958年4月コラムシフト採用により3人乗りとなる(RK30型)。7月には1.75t積のRK35型となった1959年6月愛称を「スタウト」へ変更顧客販売店から、ボンネット型のトヨペット・トラックと、セミキャブオーバー型のトヨペット・ルートトラックの車名似ていて紛らわしいとの声が多かったことから、トヨタ自動車工業自工)、トヨタ自動車販売自販)、トヨペット・トラック販売店社員による愛称募集が行われ、ボンネットトラックは強い、頑丈な勇敢ななどの意味の英語から「スタウト」、セミキャブオーバー型は、力強い、動的な、などの意味を持つダイナミックから「ダイナ」と名付けられた。双方ともにモデル途中で改名である。 ダイナルーツであるルートトラックは、RK52型、RK60系共に、RKトラックセミキャブオーバー仕立て直したもので、パワートレインシャーシ共有する姉妹関係となる。

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初代(2001年 – 2004年)

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三菱・サブリン」の記事における「初代(2001年2004年)」の解説

初代サブリンは、台湾中華汽車中国東南汽車によって製造され三菱シャリオグランディス現地仕様である。

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初代(2000年-2007年)

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オペル・アギーラ」の記事における「初代(2000年-2007年)」の解説

2000年夏、製造開始スズキ・ワゴンR+を基に、それぞれのブランド向けに変更点加えている。製造ポーランドオペル工場行われ2007年まで販売された。ポーランド工場では、2004年までスズキハンガリー工場製造されていたワゴンR+の生産2005年ら行われていた。

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初代(2003-2005年)

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リンカーン・アビエーター」の記事における「初代(2003-2005年)」の解説

リンカーン・ナビゲーターヒットしたことによりフォードは、フォード・エクスプローラーベースアビエーター開発することにした。2003年発売始めたが、すでに高級ミッドサイズSUV市場レクサス・RXインフィニティ・FXなどのクロスオーバーSUVに傾いていたこともあってナビゲーターのような成功を収めることができず、このためフォード2004年デトロイト・モーターショークロスオーバー型のマツダ・CX-7姉妹車といえる「アビエーター・コンセプト」を出展して次期モデル投入予告した。 そして2006年1月、その市販モデル姉妹車フォード・エッジとともにデトロイト・モーターショー発表された。しかし、車名アビエーターではなくMKXと改められた。これはリンカーンブランド戦略変更により、ペットネーム代わりにアルファベットまたは数字組み合わせ車名を表すことになったためである。 2005年をもって生産終了した

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初代(1992年 - 2006年)

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GiRLPOP」の記事における「初代(1992年 - 2006年)」の解説

1990年代初頭音楽業界音楽番組終了乱発した冬の時代入っていた。数少ないミリオンセラーアーティストを除いてCD売れない状況であり、特に女性歌手に関しては、1980年代隆盛誇ったアイドル歌手下火となっていた。そのような状況の中、谷村有美永井真理子森高千里久宝留理子森川美穂松田樹利亜など、アイドル性を持ちながら、自ら作詞,作曲を行う若手女性歌手シンガーソングライター数多くデビュー遂げており、これに目を付けたソニー・マガジンズでは、これらのアーティストを指す名称を造語し、各メディアで盛り上げていくことを計画音楽雑誌WHAT's IN?」の増刊扱いとして1992年には雑誌での発行開始した当初季刊誌で、1994年から隔月刊誌となった20世紀末入り安室奈美恵浜崎あゆみなど、歌姫呼ばれるようなアーティスト出現もあって、音楽業界はミリオンセラーアーティスト乱発バブル景気衰退鎮静化した日本一縷の望みもたらし音楽業界に関して復権印象付ける状態になった当初女性ボーカリスト台頭していたが、21世紀に入ると、ダウンロード配信台頭中心にしたマルチメディア化により、CDが再び売れなくなる。さらに男性アーティスト台頭するようになったことに加え音楽番組自体視聴率低迷するうになるその影響もあり、雑誌もよりアイドル色の強いアーティスト女性声優まで幅広く取り上げるような方針転換行ってきたが、15年目を迎えた2006年春発行した79号休刊という形を取って事実上廃刊

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初代 (1982 - 1993年)

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オペル・コルサ」の記事における「初代 (1982 - 1993年)」の解説

1975年発売フォルクスワーゲン・ポロ1976年発売フォード・フィエスタなどに対抗すべく、スペイン新設されサラゴサ工場生産して1982年発売した日本東邦モーターズ少数輸入し、『オペル 100i/130GT』の名称で販売した1990年ドイツなどでトムとジェリーイメージキャラクター務めた

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初代(2008年 - 2012年)

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フォード・クーガ」の記事における「初代(2008年 - 2012年)」の解説

モンディアル・ド・ロトモビル 2006コンセプトカー「Iosis X」を出品2007年9月フランクフルトモーターショーIAA)に量産試作車参考出品され2008年3月ジュネーブモーターショーにて制式発表販売開始された。 プラットフォームは、同社フォーカスマツダ・アクセラボルボ・S40 / V50と共通の、フォードC1プラットフォーム採用された。 エクステリア近年欧州フォード車に共通する「キネティックデザイン」が採用され彫りの深い造形先鋭的イメージ、そして大胆さ表現している。生産は、ドイツフォード ザールルイ工場において行われる当初北米販売される計画もあったが、ドル ユーロ為替レートの関係で、計画中止された。しかし、2008年7月には、北米における販売の再計画が行われていることが報じられ、のちに意匠一部手直ししたうえで3代目エスケープとして販売されることになった(のちに2代目が同じボディ採用したため、完全な兄弟車となる)。 エンジン直列5気筒 2.5L ターボガソリンエンジンと、DPF付き 2.0L コモンレールターボディーゼルエンジンが設定され6速MTもしくは5速ATが組み合わされる。 駆動方式前輪駆動(以下FF)と四輪駆動(以下AWD)のいずれか選択することができ、後者についてはスタンバイ4WD一種であるインテリジェントAWDシステム採用している。同システム採用される後輪トルク配分するアクティブ オンデマンド カップリング」は、エンジンABSESPTCSなど、さまざまなセンサーから送られてくる情報瞬時演算し、加・減速時に最適なトルク車輪配分するまた、発進時から最大10%トルク後輪にも伝達し前輪ホイールスピン防止するなど、きめ細かい制御となっている。 当初駆動方式エンジン組み合わせは、 FF用 2.0L 直4ディーゼル:100kW(136ps)/4000rpm、320 - 340N・m(32.6 - 34.7kgm・f)/1750 - 2750rpm AWD用 2.5L 直5ガソリン147 kW(200ps)/6000rpm、320N・m(32.6kgm・f)/1600 - 4000rpm の2種類で、2010年2月マイナーチェンジでは、ガソリンエンジン変更無かったものの、FFディーゼルエンジン出力向上し新たにAWD用として、同形式ながら出力をさらに高めたディーゼルエンジン加わり、全3種となっている。 FF用 2.0L 直4ディーゼル:103kW(140 ps)/3750rpm、320Nm(32.6kgm・f)/1750-2750 AWD用 2.0L 直4ディーゼル:120kW(163 ps)/3750rpm、340Nm(34.7kfm・f)/2000 - 3250rpm 内装材はアレルギー対策として、人体影響を及ぼす有機ハロゲン化合物類が低レベル抑えられており、TOX PROOF認証受けている。 2010年7月23日 フォード・ジャパン同年秋日本に導入する発表(2.5Lターボ+デュラシフト5トロニック(5AT)+AWDのみ)、同日六本木ヒルズにて発表会が行われた。欧州生産モデル数年ぶりに日本市場発売されることになる。 2010年10月6日 日本での販売開始グレードは「Titanium(タイタニアム)」と「Trendトレンド)」の2種で、全車にフォード・パワースタートボタンやインテリジェントAWDシステム、車の横転防止するARM(アンチロールオーバーミティゲーション)、両席+サイド+サイドカーテンエアバッグ、ESP統合的に各乗員保護装置機能させる「インテリジェントプロテクションシステム」、サイドビューカメラ等を標準装備としている。 タイタニアムは以上に加え、バイキセノンHIDヘッドランプ(オートランプつき)、雨滴感知式フロントワイパー、自動防眩ルームミラー赤外線反射コーティング施した1.050×785mmのガラス製パノラミックルーフを採用また、オートスピードコントロールや左右独立温度調整機能オートエアコンシートヒーター内蔵フロント本革パワーシート運転席助手席シートバックテーブルなども備える。 カーオーディオソニー製2DINサイズCDプレーヤー搭載されているが、ナビゲーションについては、ディーラーオプションの形で設定されている。 2012年9月1日最上級グレードとして「Individual(インディビデュアル)」を追加バンパー開口部台形スクープ加えた他、各部エアロパーツ組み込みアルミホイールはタイタニアムより1インチ大き19インチとなる。

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初代 (1997–2000年)

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GMC・エンボイ」の記事における「初代 (19972000年)」の解説

1997年GMC・ジミー豪華仕様車として販売開始したグレードはリモートトランクリリース、HIDヘッドランプヒーター付きドアミラー及びフロントシートボーズ製オーディオシステムなど、通常のジミーにはない数多く特別装備備え、さらにオプションとしてパワーサンルーフ、ロッキングディファレンシャル、フロントパワーシートなども用意された。

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初代(2008–2017年)

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ビュイック・アンクレイブ」の記事における「初代(20082017年)」の解説

2006年北米国際オートショーにおいてコンセプトカーとして発表プラットフォームシボレー・トラバースGMC・アカディアと同じラムダプラットフォームを採用するまた、デザインについて2003年北米国際オートショー出展されコンセプトカーのセンティームをベースとした。 ビュイック・レイニアランデヴー、テラーザの3車種統合した後継モデルとして2007年5月販売開始した2008年から中国市場での販売開始された。 生産は、他のラムダプラットフォーム採用とともにランシングのランシング・デルタ・タウンシップ組み立て工場において行われる2012年4月ニューヨーク国際オートショーにてフェイスリフト受けた2013年モデル発表された。ラクロス同様のテイストを持つキセノンHIDヘッドライト、ボンネットフード、ウォーターフォールグリルをはじめ、LEDテールランプバンパー一体型エキゾーストパイプ与えられた。インテリア上質化が図られ、センタースタックにはビュイック新しいインフォテインメントシステムであるIntelliLinkが搭載された。また、シボレー・トラバース同様に世界初のフロントセンターエアバッグ標準装備車種となる。

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初代(1995年 - 2000年)

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ホンダ・シャトル」の記事における「初代(1995年 - 2000年)」の解説

趣味レジャー愉しむユーザー合った独自の価値最大限反映させた車種」として開発され5ナンバーサイズステーションワゴンである。フィットシャトル後継車種で、フィットとは異な価値観与えるために、フィットの名を外している。 ベースフィット比較して、フロントマスクやインストゥルメントパネルなどに独自のデザイン施し差別化。ドアパネルとフロントフェンダー三代目フィット用を流用している。 2019年までフィットグレイス同じく本田技研工業埼玉製作所寄居工場生産されたが、2019年改良モデルより同・鈴鹿製作所移管されている。 ハイブリッドシステム2代目フィットハイブリッドやヴェゼルハイブリッドにも採用されているEV発進可能な1モーターシステム「SPORT HYBRID i-DCD」を採用燃費JC08モード燃費で34.0km/L、ガソリン車は同21.8Km/Lをマーク。 ラゲッジルームも拡大され、5名乗車時で570L、後席を倒した状態で1,141L、最大荷室長は1.840mmを誇る。 5ナンバーハイブリッドタイプのステーションワゴンで初の4WD車も設定されており、軽量コンパクト設計ビスカスカップリング4WDシステム採用パーキングブレーキ室内空間有効に活用すべく、フィットグレイスのサイドレバー式から、左足ひとつで作動/解除できるフットリリース式に変更されている。 燃料タンク容量基本的に40Lだが、「HYBRID」FF車のみ上述JC08モードでの燃費実現すべく、32Lに変更されている。 2015年5月発売HYBRID Z リア 2015年4月17日 新型コンパクトワゴン「SHUTTLEシャトル)」に関する情報を、Hondaホームページ上で先行公開発売日5月15日公表2015年5月15日シャトル」を発売キャッチコピーは「では、美しい人生を。」。 グレードハイブリッドベースモデル「HYBRID」「HYBRID」LEDヘッドライトクルーズコントロールパドルシフト、「プライムスムース」と呼ばれるコンビシート(「ブラック」と「アイボリー」から選択可)、振幅感応式ダンパー、あんしんパッケージ(シティブレーキアクティブシステム、前席用i-サイドエアバッグシステム+サイドカーテンエアバッグシステムの計3点)などを追加したHYBRID X」、「HYBRID X」にルーフレール16インチアルミホイール、左右独立温度調整式フルオートエアコンなどを追加し2種のインテリアカラー(「ブルーブラック」と「リゾーターブラウン」から選択可)を用意したHYBRID Z」の3種で、ガソリン「HYBRID」からHondaスマートキーシステムなどを省いた「G」の1種となり、全タイプFF4WD設定されるボディカラーは8色を設定。「G」および「HYBRID」は「ホワイトオーキッド・パール(有料色)」、「アラバスターシルバー・メタリック」、「ティンテッドシルバー・メタリック(有料色)」、「クリスタルブラック・パール」、「ミラノレッド」の5色設定また、HYBRID X」と「HYBRID Z」には前述5色に「ゴールドブラウン・メタリック(有料色)」、「ミスティックガーネット・パール(有料色)」(新色)、「ミッドナイトブルービーム・メタリック(有料色)」(新色)を加えた8色から選択可能とした。 2015年12月17日 特別仕様車STYLE EDITION」を設定。(12月18日発売) 「HYBRID X」・「HYBRID Z」をベースに、共通でステンレス製スポーツペダルとETC車載器(音声タイプ)を特別装備したほか、「HYBRID X」にはフォグライトを、「HYBRID Z」にはスムースレザー本革ステアリングホイールトノカバーそれぞれ特別装備した。なお、ボディカラーベース車に設定されている「ゴールドブラウン・メタリック(有料色)」が未設定となる。 同時に既存タイプ仕様変更実施。「HYBRID X」・「HYBRID Z」専用色だった「ミッドナイトブルービーム・メタリック(有料色)」が「HYBRID」及び「G」にも拡大設定となった2016年8月4日 一部改良。(8月5日発売) 全タイプにおいて、インテリアライト(フロントマップランプ、ルームランプ、ラゲッジルームランプ)をLED化。また、HYBRID X」と「HYBRID Z」は2015年12月発売された特別仕様車STYLE EDITION」の特別装備品をすべて標準装備化したボディカラー設定変更。「アラバスターシルバー・メタリック」に替わり「ルナシルバー・メタリック」、「ミラノレッド」に替わり「プレミアムクリスタルレッド・メタリック(有料色)」を新設定また、「ティンテッドシルバー・メタリック(有料色)」と「HYBRID X」・「HYBRID Z」専用色の「ゴールドブラウン・メタリック(有料色)」を廃止し新たに「ルーセブラック・メタリック(有料色)」を追加し、全7色(「G」と「HYBRID」は全6色)となった2017年9月14日 一部改良。(9月15日発売安全運転支援システムHonda SENSING」を全タイプ標準装備。これに伴ってタイプ名称を「G・Honda SENSING」、「HYBRIDHonda SENSING」、「HYBRID X・Honda SENSING」、「HYBRID Z・Honda SENSING」にそれぞれ変更した(「Honda SENSING」を装備しない設定も可能)。 パワートレインは「SPORT HYBRID i-DCD」やガソリンエンジンチューニング実施したことで燃費性能向上した。 その他、ドリンクホルダーは底板開閉深さ2段階に調節可能な機能追加されたほか、フォグライトLED化し一部タイプメーカーオプションされているナビゲーションには「CarPlay」及び「Android Auto」に対応した2018年8月 仕様変更ボディカラー設定変更。「ホワイトオーキッド・パール(有料色)」、「ルーセブラック・メタリック(有料色)」、「ミスティックガーネット・パール(有料色)」に替わり、「プラチナホワイト・パール(有料色)」、「シャイニンググレー・メタリック」、「プレミアムベルベットパープル・パール(有料色)」の3色を追加設定した。 2019年5月10日 マイナーモデルチェンジ発表発売された。キャッチコピーは「たいせつを知る人の。」で、CMソングにはSurvive Said The Prophetの「Right and Left」が起用された。 外観前後バンパーLEDフォグライト形状変更するとともに、リアデザインを刷新また、HYBRID X・Honda SENSING」と「HYBRID Z・Honda SENSING」にはクロームメッキパーツが配された。 内装は「HYBRID・Z Honda SENSING」においてインテリア加飾にピアノブラックが採用され本革シート設定。全タイプでシートデザインを刷新するとともに、「HYBRID・X Honda SENSING」と「HYBRID・Z Honda SENSING」にはリアセンターアームレストにカップホルダー追加された。 装備面では、既搭載の「Honda SENSING」にオートハイビーム追加された。 なお、今回マイナーモデルチェンジ燃料消費率排出ガスWLTCモード走行対応したことで、全タイプ平成30年排出ガス基準75%低減レベル☆☆☆☆☆)」認定新たに取得された。これまで設定のあった「Honda SENSING」のレスオプション設定消滅した2022年内 生終了予定

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初代(1961年–1965年)

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マツダ・プロシード」の記事における「初代(1961年1965年)」の解説

^ “プロシード(マツダ)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月26日). 2020年1月26日閲覧。 ^ http://rallyracingnews.com/scca/rally/mojave76.html

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初代(1971年-1979年)

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スバル・レオーネ」の記事における「初代(1971年-1979年)」の解説

初代は1971年10月7日発売され当初はクーペモデルのみの展開(グレードDLGL・GSGSR)で、スバル・ff-1 1300G シリーズ併売されたが、1972年4月2/4ドアセダン(スタンダードDLGL・カスタム・スーパーツーリング)、1.1Lモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダードDLスバル初の4WD)が追加されff-1からの世代交代完了したCMには歌手尾崎紀世彦イメージキャラクター及びCMソング起用するなど、それまでスバルからは大きくイメージ異な広告手法採用した当時トレンドおよび提携先日産自動車影響感じられるロングノーズ・ショートデッキ抑揚の強いデザイン持ちメカニズム的にもフロントブレーキが特徴的なインボードブレーキから一般的なアウトボードブレーキに変更されたり、スポーツモデルステアリングギア比が遅くされるなど、スバル・1000/ff-1の技術至上主義抑え、より市場受容される「商品としての性格強めようとする意図感じられた。スバル・360/サンバー/1000まで全てのスバル車の基本設計担当してきた名設計者百瀬晋六を、日産自動車との業務提携成立した1968年8月設計本部から技術本部移しレオーネ設計に関わらせなかったことも、新型レオーネ性格決定付けている。しかし、レオーネの代になってスバル1000/ff-1シリーズシンプルな機能美失われた点は、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いカーグラフィックなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。 一方レオーネ進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアバンを含む全車採用したことが挙げられるサッシュレスドア富士重工業にとっては1960年試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、近年まで採用続けていたが、インプレッサフォレスターでは2007年フルモデルチェンジとともに一般的なサッシュドア移行し最後までサッシュレスドア採用していたレガシィ2009年5代目へのモデルチェンジによりラインナップから一旦姿を消した1972年8月1日、エステートバンに4WD設定前年東北電力要請に応じて数台が注文生産された「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験をつぎ込んだ「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初め世に送り出された。それまで四輪駆動といえばジープ代表されるクロスカントリータイプの車を意味し乗用車タイプ四輪駆動車存在しなかったが、これ以降他社乗用車にも四輪駆動車設定されるようになった。さらに同年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速MT装備したホットモデル・「RX」が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、大衆向けの量産車としては日本初となる総輪ディスクブレーキ装備していたことが特筆されるちなみにレオーネは、パーキングブレーキ前輪に効くようになっているので、いわゆるサイドターン出来ない1973年6月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角クーペから若干立てられ15mm全高高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリング特徴とした。続いて1973年10月マイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリル変更されインパネ先に発売されハードトップ統一デザインとなった。またこの際セダン11001200スケールアップされ、エステートバンにはFFのトップグレードとして1400GLを新設定当時商用車としては珍しく前輪ディスクブレーキマスターバック付)を標準装備していた。 1975年1月20日にはエステートバン4WD続いて世界初量産4WD乗用車4ドアセダン4WD」が、同じく日本前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGF設定)と同時に発売された。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトとなった同年10月には、SEEC-T名付けられ排気ガス浄化方式により(ツインキャブスポーツ系含めて50年規制飛び越え一気に)全車51年排出ガス規制適合果たしたパワーダウンを補うために、車種構成全体で1.2L→1.4L、1.4L→1.6Lへと排気量アップが行われた。CMキャラクター怪人二十面相1977年4月には、日本初全車53年排気ガス規制適合達成スポーツカー軒並み淘汰され他社尻目にツインキャブスポーツモデル引き続き生き残り、スバルファンのみならず当時車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジ実施されボディサイズ拡幅、リヤトレッドも50mmのサイズアップとなったどことなくアルファロメオ思わせるシンプルな造形のフロントマスクやキャラクターライン整理、リアデザインの変更によって、初期型比べるとかなりクリーンな外観となったインテリアにはホンダシビック流行させたアッパートレイ付きダッシュボードが備わる。この機会にセダン・カスタムは新設定最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。CM出演者太地喜和子同年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアック車名から拝借したグランダム」(GrandAm)なる車種追加した同車北米仕様と共通の大型衝撃吸収バンパー派手な色調内外装特徴とした。グランダムでのCM出演者西郷輝彦同年10月北米1978年モデル合わせるタイミングで、輸出専用ピックアップトラックブラット発売された。 ハードトップ1400GF エステートバン1600 4WD クーペ1400RX 2ドアセダン

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初代(2000年 - 2006年)

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トヨタ・タンドラ」の記事における「初代(2000年 - 2006年)」の解説

日本から輸出されていたT100後継車として1999年登場T100同様日野自動車開発担当北米インディアナ工場(TMMI)が生産した車名北極圏ツンドラから取られているが、日本向けプレスリリースでも英語読みである「タンドラ」と表記されている。タンドラプラットフォーム共有するフルサイズSUVトヨタ・セコイアがある。 発売当初エンジン5VZ-FE型 3.4LV型6気筒エンジンおよび2UZ-FE型 4.7L V型8気筒エンジン2種類で、組み合わされトランスミッション5速MTおよび4速ATであった2005年には1GR-FE型 4.0L V型6気筒エンジン変更されトランスミッション6速MTおよび5速ATとなったT100タコマと同様、リアにはトヨタマークが使われておらず、テールゲートには「TOYOTA」とアルファベット記されている。 T100よりは大型化したが、ビッグスリー不必要に刺激しないよう、それらのフルサイズピックアップトラックよりも、寸法排気量共にやや小さめ作られており、販売面で不利となったNASCARクラフツマントラックシリーズキャンピング・ワールド・トラック・シリーズ2004年から参戦しているトヨタチームベース車種としても使われている。

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初代(1946年-1952年)

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ダッジ・キングスウェイ」の記事における「初代(1946年-1952年)」の解説

1946年発表された。

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初代(Y、1994年-2002年)

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ランチア・イプシロン」の記事における「初代(Y、1994年-2002年)」の解説

Yと書いて日本ではイプシロン発音するランチア伝統的にギリシャ文字多く車名使ってきたが、これもまた伝統則ったものと言えるアウトビアンキ/ランチア・Y10代わるスモールモデルとして1994年デビューした途中バンパーやサイドモールの形状が変わるなど大幅な変更経て2002年2代目が出るまで製造された。 ボディデザイン担当したのはピニンファリーナ出身でこの時期ランチアのチェントロスティーレ(デザインセンター)を率いていたエンリコ・フミアである。フィアット・プントプラットフォーム短縮して使用したボディは、アプリリアなど伝統的ランチアエッセンス巧みに生かしつつ極めて現代的冒険的なスタイリングであった。またフミアによる初期スケッチからほとんど変わらないデザイン量産化されたことも近年では特筆値するインテリアデザインは、アメリカ出身デザイナー、グレッグ・ブリューが手がけたものである。メーターインジケーター類をダッシュボードセンター持ってくるいわゆるセンターメーターなど奇抜な所が目につくが、その恩恵運転席まわりの物入れ増えるなど清新なアイデアセンス溢れるものであった最大セールスポイントはそのスタイリング12色の標準カラー100色まで及ぶオプションカラーで構成される“カレイドス”と呼ばれるカラーバリエーションであったインテリアアルカンターラ人工スウェード)や本革トリム/カラー合わせて膨大な選択肢から自分好みイプシロンを選ぶことができ、さらにカレイドスから好みの色を選ぶと、注文から2週間以内実車と同じ色に塗りあげたテッセラ呼ばれるレリーフお客の手元に届き選んだ色の具合をじっくり確認できるというユニークな販売方法を採っていた。デビュー早々から大ヒット収め、イタリアンデザインの健在振り世界アピールしたランチアイプシロン提案したコンパクトカー新たな商品価値は、ヴィッツマーチなどに代表される日本コンパクトカーにも大きな影響与えた具体的に外装色カラーバリエーション多く用意されるようになったり、デザインコンシャスな嗜好強く打ち出すなど、「経済性ホットハッチ」の2軸で評価されがちであったコンパクトカーに、新たな方向性示したと言える。 横置きで前輪駆動するエンジンフィアットお得意直4ファイアユニットで、1.1L SOHC、1.2L SOHC、1.4L SOHC(12バルブ)を搭載していた。1.2L・シングルカム版ではCVT6速MT選択できた。後にスポーツグレード「エレファンティーノ・ロッソ」がラインナップに加わるとともに1996年には1.2LのDOHC16バルブ追加されている。それに伴いラグジュアリーグレードであったLX」のエンジンも1.4LからDOHC16バルブ変更された。

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初代 (1972-1985年)

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ルノー・5」の記事における「初代 (1972-1985年)」の解説

1972年発売され先進的なデザインと高い実用性からヨーロッパ中でベストセラーとなった現在の前輪駆動車としては珍しいエンジン縦置き配置レイアウト持っており、さらに車体前からトランスミッションデフエンジンというあまり例のない配置となっている。エンジン位置フロントタイヤ位置の関係は、フロントミッドシップと言える。これはベースとなったルノー・4キャトル)と同じ構造で、4の先代であるリアエンジンの4CVのエンジン・駆動系そのまま配置前に移したことに由来する。そのため室内側にエンジン一部食い込んでおり、エンジンの熱が室内籠もり易く、特に日本の夏季には不向きであったエンジンは4用に使用されていた800ccと1,000cc(フランス国内向け)のガソリンエンジンであった。後に1,300ccが追加されアルピーヌ後述)のベースエンジンとなったサスペンション前輪部がダブルウィッシュボーン後輪部がトレーリングアームスプリング前後輪とも、スペース効率乗り心地優れトーションバーねじり棒ばね)を用いており、フロントは縦置き、リアは横置きとされた。軸重の軽いリアはばねを柔らかくする(ばね定数下げる)必要性から、左右ともトーションバー車幅いっぱい長さ確保したために同軸上に配置できず、室内スペース侵食する上下配置避けて前後方向並べて取り付けられている。それに伴い左右トレーリングアーム支点同様に前後にずれているため、ホイールベース左右で30mm異なる。これは4から受け継がれアイデアで、5ではこれに留まらず既存ルノー各車の部品多用されている。 デザインは、世界初となる樹脂バンパー前後備えた3ドアのハッチバックスタイルで、5発表直前この世去ったルノー社内デザイナー、ミシェル・ブエ(Michel Bouë )がほぼ独力で作業したものと言われている。 フランス内外で多数限定仕様車が発売され1979年5ドア版を追加し内装等が大きく変更されるなどして長年ベストセラーの座を保ったものの、1985年をもって本国フランスで生産終了し後継モデルのシュペール5に引き継がれた。またR1229モデルトヨタ南アフリカでも生産されていた。その後イランなどで生産継続されていた。

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初代 (2012-年)

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シボレー・オニキス」の記事における「初代 (2012-年)」の解説

2012年10月、サンパウロモーターショーにて発表した

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初代 (1957–1958年)

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マーキュリー・コロニーパーク」の記事における「初代 (1957–1958年)」の解説

1957年にエドセル・バミューダのマーキュリー仕様として登場フロントフェンダーからドア、リアフェンダーにかけてウッドパネルが貼られた、5ドアピラーレスハードトップ形式ステーションワゴンであった

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初代(E84型、2009年-2015年)

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BMW・X1」の記事における「初代(E84型、2009年-2015年)」の解説

2009年9月開催されフランクフルトモーターショー発表された。BMWSUVシリーズである「Xモデル」の、X5、X3、X6に次ぐ4番目のモデルであり、同社SUVシリーズでは最小クラス位置する発表1年前である2008年10月行われたモンディアル・ド・ロトモビルでは、コンセプトモデルの「BMWコンセプトX1」が公開されている。 プラットフォーム共有する3シリーズツーリング(ステーションワゴン)とは兄弟モデルの関係にあり、か互いに競合する関係にある(X1は3シリーズツーリングと較べ駆動方式4WD採用するオフロード志向高めている)。 日本では2010年4月20日販売開始された(欧州市場では2009年10月販売開始された)。

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初代 (1939年 - 1948年)

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リンカーン・コンチネンタル」の記事における「初代 (1939年 - 1948年)」の解説

1939年から1941年までリンカーン・コンチネンタルは、リンカーン・ゼファーベースとしたボディデザインがほぼ共通であった年々コンチネンタル更新受けた1942年型では、すべてのリンカーン車に角ばったフェンダー矩形グリル備えられた。その結果当時のデザイントレンドに合わせた、より重厚な外見となった以前比べ優雅さ失われた可能性がある。1942年自動車生産は、アメリカ第二次世界大戦参戦に伴い短縮され真珠湾攻撃民生用自動車の生産停止つながった第二次世界大戦後フォードリンカーン部門1946年型としてコンチネンタル復活させたが、戦後ゼファーなくなったため、戦後コンチネンタル標準型リンカーン内部の名称はHシリーズ)の派生モデルとなった顧客惹きつけるため、新しグリル特徴とするトリム変更されデザイン一新された。1947年には、内装ウォールナット材のトリム追加された。 1943年エドセル・フォード死後、フォード・モーター・カンパニーは企業経営体制再編成し1946年コンチネンタルデザイナーだったボブ・グレゴリーが退職戦後初のモデルとなったこの年コンチネンタルは、著名な工業デザイナーだったレイモンド・ローウィデザイン担当した1948年コンチネンタルにとって最後の年となり、1949年の新モデルラインをマーキュリーアップグレード版として再開発ようとしていた。高価なパーソナル・ラグジュアリーカーは、リンカーンではもはやその役割果たしていなかった。 1939年-1948年型のコンチネンタルは、クラシックカークラブ・オブ・アメリカ(英語版)から「フルクラシック」として認定されており、認定された中では最後に製造された車の1台となっている。2015年現在1948年リンカーン・コンチネンタル1948年リンカーンは、アメリカ大手自動車メーカーがV12エンジン搭載して生産・販売した最後車である。 基本販売価格表示は、クーペが2,727米ドル2020年48,000ドル相当)、カブリオレが2,778米ドル2020年48,900ドル相当)に設定されていた。 ウィキメディア・コモンズには、リンカーン・コンチネンタルに関するカテゴリあります19391948 リンカーン・コンチネンタル 1942年リンカーン・コンチネンタルコンバーチブル1942年リンカーン・コンチネンタルコンバーチブル)のインテリア 1948年リンカーン・コンチネンタルコンバーチブル1948年型リンカーン・コンチネンタル・クーペ 1948年型リンカーン・コンチネンタル・クーペのインテリア

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初代(モザイクな夜・水曜どうでしょう版)

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雅楽戦隊ホワイトストーンズ」の記事における「初代(モザイクな夜水曜どうでしょう版)」の解説

1995年HTB製作の深夜番組モザイクな夜V3』で放送されたコントもしくはドラマホワイトストーンズ戦闘服は白い忍者服で、頭だけは全身タイツ帽子着用、冬は各々の名前入りニット帽だった。 三人持っている楽器は、本郷が鼓、南郷三味線北郷尺八。ただし、南郷変身時の台詞「三味線」ではなく「笙」と言っている。 これらの楽器は、変化後は雅楽演奏により超音波発して怪人破壊する。しかしその演奏はただ楽器を鳴らすだけで、リズム沖縄音楽風である上、鼓に至って鳴らせていないオープニングでは、南郷バイク乗りその横を本郷北郷走っているシーンがある。また、三人が立つ位置画面向かって、左から本郷南郷北郷の順で後の「ドラバラ版」とは異なっている。また、本郷北郷役回りが「ドラバラ版」とは逆になっている。 『雅楽戦隊ホワイトストーンズ』、『帰ってきた雅楽戦隊ホワイトストーンズ』、『雅楽戦隊ホワイトストーンズ・ゼータ』の3シリーズがある。 『モザイクな夜終了後、『水曜どうでしょう』でも『雅楽戦隊ホワイトストーンズR』として放送された。どうでしょう版には大泉洋が、田中邦衛ものまねキャラ「麓郷」として出演している。この役名は、北の国から舞台になった富良野市地名「麓郷」が元になっている。 水曜どうでしょう再放送版である「どうでしょうリターンズ」、「水曜どうでしょうClassic」では放送されなかった。「韓国サイコロ」の前枠・後枠にも南郷と麓郷と本郷(後のみ)が登場しているのをDVDClassicで見ることができる。また、ドラバラ鈴井の巣DVD雅楽戦隊ホワイトストーンズ雅やか愛の戦士たち~」のシークレット映像ダイジェスト版収録されている。 非常に低予算だったため、主に鈴井貴之主宰劇団OOPARTS」がらみの俳優HTB監督その他スタッフ総出というお手軽キャスト撮影されていた。そのために合成も非常に安っぽいが、この「チープ感」を逆手取りシリーズアイデンティティ一つとして予算規模大幅にスケールアップした2代目にも引き継いでいる。シンガーソングライター堂島孝平ゲスト出演したこともあり、番組内北の国から黒板純扮し田中邦衛物真似披露した

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初代(1974年 - 1981年)

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フォルクスワーゲン・シロッコ」の記事における「初代(1974年 - 1981年)」の解説

1974年ロングセラーとなっていた乗用車ビートル代わる乗用車としてゴルフIが発売された。ビートルベースとして1950年代以来生産されてきたクーペモデル、カルマンギア・クーペの世代交代もまた不可避となり、初代ゴルフベース開発され、初代ゴルフに数か月先立つ1974年3月発売された。 メカニズムゴルフベースとしていたが、より低い車高スポーティーな操縦性のために大幅に手が加えられていた。長いノーズ大きく傾斜したフロントスクリーン、短くカットされスポイラー風に処理されたファストバックテールが斬新なスタイルは、パサート・ゴルフIなどの一連の新世代フォルクスワーゲン車同様、イタルデザインジョルジェット・ジウジアーロデザインであったエンジン水冷直列4気筒SOHCで1,100cc60馬力と1,588cc70/85馬力3種用意され1975年にはゴルフGTI同様の1,600cc燃料噴射版の「GTI」も追加された。アメリカ向けの排気量排気ガス対策のため後に1,700ccに拡大された。 1,588cc85馬力の「TS」版以上とアメリカ向け車両には丸型4灯ヘッドライト与えられたが、「LS」以下のグレード角型2灯式が装備されていた。 1976年後半モデルからフロントウィンドウワイパーそれまでの2本アームから1本に変更された。1978年マイナーチェンジ受けてフロントのウィンカーランプが大型化され、バンパーも黒のプラスチック製換えられた。 ブレーキは前ディスク、後ドラムタイヤサイズは175/70SR13。最高速度MTで165km/h、ATで160km/h。 日本には1976年から1,457cc、圧縮比8.0の70PS/5,800rpm、11.4kgm/3,000rpmのTS輸入され241(4MT)/253万円(3AT)で販売された。 1977年GTELS輸入された。LSライト角目2灯式。エンジンは1,588cc、圧縮比8.0ボッシュKジェトロニックで82PS/5,500rpm、12.2kgm/3,200rpm。トランスミッションGTEは4MT/3AT、LSは4MT。 1978年GTEのMT/ATが輸入された。フロントグリルバンパーフラッシャーフェイスリフトを受け、リアワイパーが装備された。ドアミラーセンターピラーブラックになったエンジンボアφ79.5×ストローク73.4mmで1,457cc、圧縮比8.0で75hp/5,800rpm、10.6kgm/3,500rpm。 1978年引き続きGTE、1,457ccのMT/ATが輸入された。ドアミラー調整室内から可能となり、フロントガラスが安全合わせガラスとなり、シートヘッドレストが独立し調整可能となった1980年は1,588cc、圧縮比8.2の82PS/5,500rpm、12.2kgm/3,200rpmエンジン置換されGTEの5MT/3ATが輸入された。前ディスクブレーキパッドがサイズアップ、従前4MTにオーバードライブ加えた形のギア比5MT変更されている。 1981年にはKジェトロニック装備する1,715cc、78PS/5,000rpm、13.1kgm/3,200rpmエンジン置換された。 初代シロッコは、オペル・マンタフォード・カプリなどのライバルをしのぐ販売台数記録1981年までに504,153台が生産された。

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初代 (1964-1967年)

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プリムス・サテライト」の記事における「初代 (1964-1967年)」の解説

1965年新しくより大きなフューリークライスラーフルサイズCプラットフォーム導入されたとき、ベルヴェデアの名前は1965年プリマスの「新しい」中型ライン移された。ベルヴェデア・サテライトはベルヴェデア I および II の上位置するシリーズのトップトリムモデルであった。2ドアハードトップまたはコンバーチブルのみ設定された。バケットシートセンターコンソール、およびV8エンジン標準1965年標準エンジン273 cu in (4.5 L)で、オプション318 cu in (5.2 L)、361 cu in (5.9 L)、そして383 cu in (6.3 L)と426 cu in (7.0 L)の"Commando"エンジンがあった。 426エンジンウェッジ燃焼室持ち1966年426 "Hemi"とは異なるものであったフロントエンド両側1つずつのヘッドライトがあり、グリル水平に置かれ4つの薄い長方形分割されていた。 1966年生産台数は、35,399台のハードトップと2,759台のコンバーチブルであった。 1965 Plymouth Satellite 1966 Plymouth Satellite Convertible

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初代(2011 - 2020年)

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アウディ・Q3」の記事における「初代(2011 - 2020年)」の解説

2011年4月の上モーターショー世界初公開されその後同年7月欧州市場皮切りに順次発売開始したアウディ最小SUVである。プラットフォームアウディ・A3ベースとして作られているが、シャシキャラクター特性活かすべく大幅に補強されている。Q7Q5次に開発されSUVであり、フォルクスワーゲン・ティグアンとは姉妹車関係にあたる。 エクステリア流麗なルーフラインを採用するなどしてエアロダイナミクス追求した結果空気抵抗係数Cd値)0.32というスポーツカー匹敵する数値実現同時に軽量化推し進められ、ボディにはアルミニウム多用することで車両重量を1.610納めている。 エンジン3種で、ガソリンエンジンは2.0L直噴ターボの「TFSI」となり、出力特性に応じて170PSと211PSの2種用意アイドリングストップとブレーキエネルギー回生システム標準となる。一方ディーゼルの「TDI」はターボ採用して140PSを発生する生産ドイツではなくスペインにあるフォルクスワーゲン傘下セアト社のマルトレル工場である。なお、Q3生産に当たり、同工場は3億3000万ユーロ(約385億円)をかけて改修、約700人の追加雇用行った2012年4月23日北京モーターショーにて「Q3 jinlong yufeng」を初公開2012年5月11日、「Wortherseeツアー」にてコンセプトカーの「Q3レッドトラック」を初公開最高出力が340psに強化されている。 2014年1月9日北米市場に「Q3」を導入する発表これまで北米市場には導入されていなかったが、SUV需要増加伴って投入決断した導入2014年秋頃の予定2014年11月10日欧州にて改良モデル発表フロントグリルデザイン改めたほか、ヘッドライトは「キセノンプラス」を標準化しLEDデイタイムランニングライト組み込んでいる。また、テールランプLED使用した欧州仕様パワートレインは1.4Lから2.0Lのガソリンディーゼルである。 2015年5月13日、「GTIミーティング・アット・ヴェルターゼー」にて「オフロードスタイルパッケージ」を初公開欧州仕様純正アクセサリーとして設定される2016年9月15日欧州にて2度目改良モデル発表フロントバンパー開口部拡大し、その下にボディ同色ブレード配置グリルはストーングレーで塗装された。また、「S line エクステリアパッケージ」を設定した

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初代(1993年-1997年)

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日産・パラメディック」の記事における「初代(1993年-1997年)」の解説

2017年10月25日から開催された『東京モーターショー2017』にてお披露目された。 3代目NV350キャラバンのスーパーロング・ワイドボディがベースとなり、パワートレイン直列4気筒・QR25DEレギュラー仕様ガソリンエンジン四輪駆動5速ATの組み合わせとなる。このためベースとなったNV350キャラバンと同じE26型の系列となったV63.5LVQ35DEハイオク仕様ガソリンエンジン搭載していた2代目比較する大幅なパワーダウンとなるが、燃費を向上させて運用コスト排出ガス削減達成している。動力性能低下部分ベース車両に対して最終減速比をローギアード化しカバーしている。 2代目比べて全長全幅短くなったことで、最小回転半径が6.4mから6.0mとなった一方で全高2代目よりも高くなったほか、通路幅を400mm以上確保患者室にはプラズマクラスター搭載リアクーラー・リアヒーターや防水シート標準装備され、付添人最大3人(乗車定員8名まで)同乗可能になった。 ヘッドランプ・リアコンビランプはLED化し常時点灯型のシグネイチャーを採用した警光灯オールLED式引き続き採用し2代目の時から増設要望多かった車両後部中央に4灯ビルトインタイプLED警光灯メーカーオプション増設可能にして周囲車両からの被視認性を向上させている。 2代目では左側助手席側)のみだったスライドドア右側運転席側)にも設けられ両側となり、各種収納庫が設けられた。 参考出品車として、消費電力の高い機器安定して利用する事ができ、停車中のエンジン回転数抑制して低燃費低騒音実現する電気自動車リーフ技術応用した1.6kWhのリチウムイオン補助バッテリー搭載タイプ展示されていたが、2021年現在市販化はまだされていない2019年には、日本の救急車では初となる電動ストレッチャーシステムをオプション追加。これにより、救急車への傷病者搬入搬出時の際に救急隊員にかかる負担大きく軽減することができるようになった2021年マイナーチェンジドアミラー形状等が変更された。 車内 市販車後部から)八代広域行政事務組合

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初代(1995年-2004年)

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トヨタ・タコマ」の記事における「初代(1995年-2004年)」の解説

1995年登場トランスミッション5速フロアMT4速フロア/コラムATが設定されるエンジンは2.7L 直列4気筒の3RZ-FEと、3.4L V型6気筒5VZ-FE設定された。アメリカ向けに作られたこのトラックは、若者好評であったという。 2001年マイナーチェンジ個性的なフロントグリル与えられた。

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初代(1982年-1995年)

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トヨタ・クイックデリバリー」の記事における「初代(1982年-1995年)」の解説

左:クイックデリバリー100 4WD 右:ハイエースクイックデリバリー 4WD LH8#VH 1982年昭和57年9月 ハイエースクイックデリバリー(積載1.25t)登場ヤマト運輸では"S号車"と呼称ちなみに初代はタミヤからプラモデルとして商品化されるが、ヤマト運輸クロネコマーク第三者商業利用させない、かつ自社車両の塗装デザイン販売品には利用させないことからいわゆる宅急便カラーでの製品化出来ずパッケージデザインライバル会社佐川急便のものとなっていた。2013年平成25年7月再生産分では、パッケージデザインが白車体にタミヤロゴを入れたものに変更された。 神奈川県川崎市にある聖マリアンナ医科大学病院では、クイックデリバリーの車体拡大し、2t級のダイナシャシ流用したドクターカー配備されていた。

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初代 (1961-1971年)

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ランチア・フラヴィア」の記事における「初代 (1961-1971年)」の解説

当初ベルリーナ呼ばれた1,500ccの4ドアセダン発売され1961年秋のトリノショーで最初に追加されたのはピニンファリーナ製の2ドアクーペで、ホイールベースベルリーナよりも短縮された。続いて ヴィニヤーレ製の2ドア コンバーチブルザガートデザインによるルーフまで回り込んだクオーターウインドウを特徴とする「スポルト・ザガート」が追加された。スポルトエンジンはツインキャブレターで100馬力強化されていたが、非常にデリケートな調整要する気難しいエンジンであったと言われるその後は、高いシャシー能力引き換え相対的にパワー不足であるとの声に応えるため、エンジン徐々に強化された。1,800ccの機械式燃料噴射モデルや5段MTモデル追加された後、1969年ランチアフィアット傘下に入ると、ヴィニアーレ・ザガート両モデル生産中止され、フェイスリフトされたベルリーナクーペのみが2,000ccエンジン与えられ生き残った1971年にはフラヴィアの名称から「2000」と改名された。

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初代(2001–2005)

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フォード・エクスプローラー スポーツトラック」の記事における「初代(2001–2005)」の解説

2001年初頭モデルとして2000年2月導入されFord Explorer Sport Trac導入SUVピックアップトラック融合したスポーツユーティリティトラック(SUT)という新しタイプの車として発表された。 フォードエクスプローラーSUVモデルラインのバリエーションとして販売されていたスポーツトラックは機能的に乗用車用中型ピックアップトラックで、フォードレンジャースーパーキャブ(北米ではクルーキャブフォードレンジャーは販売されていなかった)とF-150スーパークルーの間に挟まれたスポーツトラックは、フォード生産した最初中型ピックアップトラックになる。レイアウトに関してSport Trac続いてシボレー・アバランチホンダ・リッジラインがあり 、どちらもSUVから派生した乗用車用ピックアップトラックである。

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初代(2005年 - 2006年)

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フォード・GT」の記事における「初代(2005年 - 2006年)」の解説

かつて1960年代ル・マン24時間レースなどで活躍したレーシングカーであるフォード・GT40リメイクであり、フォード100周年記念して限定1,500台がフォードと関係の深いサリーン工場2006年まで生産された。この「GT40」という名称には商標登録問題があり、結局フォードGTという名称で販売されることになったGT開発に当たり、チーフデザイナーにカミーロ・パルドが担当GT40彷彿とさせながら現代スーパーカーとなっている(なお「GT40」の車高はその通称の由来とされる通り40inだが、「GT」は44in強と、少々高い)。駆動方式ミッドシップ(MR)で、V8エンジンを縦置きし、その後ろにデフギヤボックス配置されるという、レーシングカーとしてオーソドックス作りをしている。オリジナルの「GT40」は右ハンドルであったが、このフォードGT左ハンドルであり、イギリスでも左ハンドルのまま販売された。 日本には正規輸入されなかったものの、個別に数台が輸入されており、ゲームグランツーリスモシリーズ知られる山内一典が2台所有している。

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初代(2005年 - 2014年)

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シトロエン・C1」の記事における「初代(2005年 - 2014年)」の解説

欧州における市場拡大を図るPSA・プジョーシトロエン・トヨタ自動車が、Aセグメント低コスト車種投入するために、合弁会社TPCA設立シトロエン・C1プジョー・107トヨタ・アイゴ共同開発することとなった2005年2月からチェコ生産開始ジュネーブ・モーターショー披露したエクステリア各社ごとに違っていて差別化しているが、インテリアは共通であり、デザイン三社競作結果トヨタ案が採用された。リアサイドウィンドウは開かずドアトリム鉄板むき出し、リアハッチ自体ガラスのみとなっているなど、徹底した低コスト化をはかっている。 初代中期型 フロント 初代中期型 リア 初代後期フロント

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初代(1966年 - 1973年)

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マセラティ・ギブリ」の記事における「初代(1966年 - 1973年)」の解説

1966年発表デザインカロッツェリア・ギア時代ジョルジェット・ジウジアーロよる。鋼管フレームにスチールボディを被せたスタイリングは、当時の高級スポーツカー共通して見られる地を這うような背の低いプロポーションロングノーズ、ショートデッキ、ファストバックスタイル(ラゲッジコンパートメントへのアクセスバックドアではなくリッド)をとり、マセラティとしては初のリトラクタブル・ヘッドライト採用する当時ライバル車フェラーリ・デイトナランボルギーニ・ミウラ比して直線的平面的に見えるが、エッジ曲面とが使い分けられている。当時のジウジアーロデザインのウェッジシェイプ志向がよく現れており、ジウジアーロ代表作でもある。 乗車定員は2名であり、インテリアにはレザー多用されていた。トランスミッション5速MTオプション3速ATが選べた。出力330 PS4.7 L V8気筒エンジン前方に積むFRレイアウトで、0 - 60 mph加速は6.8秒、最高速度265 km/hであった当時世界最速の座と人気フェラーリ・デイトナランボルギーニ・ミウラP400と争ったマセラティヒット作である。 1969年にオープンモデルの「ギブリ・スパイダー」を発表1970年には排気量を4.9 Lに拡大最高出力335 PS/5,500 rpm最大トルク49.0 kgf・m/4,000 rpmパワーアップされた「ギブリSS」、「ギブリ・スパイダーSS」を発表1973年生産中止されるまで、総計1,274台が生産された。翌年発表されカムシン後継モデルとなった

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初代(1982年-1993年)

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シボレー・S-10」の記事における「初代(1982年-1993年)」の解説

いすゞが製造しシボレーブランド売られていた、シボレー・LUV後継として登場。レギュラーキャブのショートヘッド仕様は、日本5ナンバーサイズに収まる、とてもコンパクトなアメリカンピックアップトラックだった。1983年モデルでこのモデルSUV版、シボレー・S-10ブレイザー登場

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初代(1984年2月~1992年7月)

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三菱ふそう・ファイター」の記事における「初代(1984年2月1992年7月)」の解説

1984年2月24日登場外観意匠小型キャンター大型ザ・グレート統一させ、ふそうトラックイメージ一本化させたモデルである。ヘッドライト左右ドア・ベット部パネル・キャブ後窓はザ・グレートと共通。 1987年12月 - マイナーチェンジ。ラジエーターグリル上部にパネルモールを装着230馬力インタークーラーターボエンジン追加1988年2月 - FMシリーズマイナーチェンジ4WD車のFL追加1990年2月 - マイナーチェンジ平成元年排出ガス規制適合。ラジエーターグリルのデザイン変更した1991年7月 - マイナーチェンジ自然吸気エンジン210馬力登場。コーナーリングランプを標準装備すると共にFKシリーズABSオプション設定1991年テレビCMキャッチコピーは「誰よりも日本の道に、ふそうファイター」。コマーシャルソングに、高倉健八代亜紀の「挽歌」が使用された。 インドネシアでは2代目登場後も初代が継続生産されていたが、ユーロ4規制合わせて2018年2代目ベース車両発表された。 後期型大型車仕様輸出仕様

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初代(1962年 - 1972年)

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ダイハツ・ハイライン」の記事における「初代(1962年 - 1972年)」の解説

1962年 - ハイライン発売型式名F1001963年 - ライトバン発売2ドア+上下開きバックドアボディーで、ホイールベース標準尺と同じ、定員は3/6名、最大積載量は500/300kgとしていた。 1964年 - トラック東京オリンピック聖火リレーサポートカーとしてコンパーノベルリーナとともにアテネ - 東京間を走破している。 1965年 - マイナーチェンジ前照灯丸形4灯に変更しそのままの姿で1969年まで生産された。 1969年 - フルモデルチェンジエンジンシャシそのまま内外装一新する。ボディーサイドを張りのある面構成とし、フロント周り一転して異型角形2灯前照灯となるなど、デザインセンスに優れたハイラインの名を保った。この時点ライトバン廃止している。また、最大積載量を1.25tに変更した1971年 - 1967年トヨタ自動車との提携以後同社ハイラックス競合すること、ダイハツディーラー網の弱さなどから販売下降線をたどり、同年12月以って生産終了となった1972年 - 在庫応分全て販売終了。1代10年歴史に幕下ろしたちなみに同社の3輪軽商用車ミゼットこの年販売終了となっている。

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初代(CF型、2013年-2020年)

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ヒュンダイ・ミストラ」の記事における「初代(CF型、2013年-2020年)」の解説

2013年11月 発表発売開始i40セダン韓国名:i40サルーン)をベースとし、エラントラ韓国名:アバンテ)とソナタの間に位置すべく、中国市場専売車として開発された。中国人嗜好合わせ押し出し感の強いフロントグリル高級感あるインテリア採用している。尚、車名中国語表記すると名图(Mingtu)となる。

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初代 (1990年)

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クライスラー・タウン&カントリー」の記事における「初代 (1990年)」の解説

タウン&カントリーミニバンは、元々は1989年モデルとして導入される予定であったが、最終的に1989年春に1990年モデルとして導入された。1990年モデルキャラバンボイジャー生産に入る前の導入であった1989年6月までの間にタウンカントリーと共に生産されダッジプリマス同型車は、まだ1989年モデルであったロングホイールベース(LWB)版グランドボイジャー/グランドキャラバンのクライスラーSプラットフォームボディ共有するタウンカントリーは、クロームの滝状のグリルクリスタルのペンタスターフードオーナメント、標準木目調アップリケ、ロワーボディサイドを覆う溝付きクラッディングキャラバンES見られるもので、ロングホイールベース合わせてわずかに延長されている)、15インチのレーススポークアルミホイールによって区別された。さらに、タウンカントリー2つボディカラーのみ設定され当初はブライトホワイトクリアコートのみで、ブラッククリアコートカラーは1989年6月追加された。 クライスラーの最も豪華なミニバンとして、タウンカントリーは独自の装備加えてプリマスダッジミニバン利用可能なほぼすべての機能標準装備した。これには独特のギャザードレザーシート表皮およびドアトリムパネル、フロントリアエアコンパワーウィンドウ、パワーロック、インフィニティ英語版サウンドシステム、7人乗りシート、ラゲッジラック、電子制御4速オートマチックトランスミッション含まれていた。1989年6月以前生産されモデルには3.0Lの三菱6G72V6エンジン搭載され6月以降生産されモデルにはクライスラー独自の3.3 L「EGAV6へのアップグレードが行われた。 3.0 Lエンジン搭載したすべてのモデルは、キャラバンボイジャーモデルイヤー1989年の期間に製造されたため、アメリカ合衆国環境保護庁EPA)はVIN表記異なるにもかかわらず1990年ではなく1989年モデルとして登録している。 皮肉なことに第一世代タウンカントリーは、第一世代クライスラーミニバンの生産最終モデルイヤーリリースされた。タウンカントリーボイジャー/グランドボイジャーキャラバン/グランドキャラバンはすべて、1991年モデルにてフルモデルチェンジされる。総生産台数1989年に1,789台、1990年に3,615台であり、このタウン&カントリーモデルはすべてのクライスラーミニバンの中で最も目立たないものとなっている[信頼性検証]。1990年がこのボディスタイルの唯一のモデルイヤーである理由は、以前ダッジ・キャラバンプリマス・ボイジャーのために予定されていた大量事前に製造されボディ再利用する試みだったからである[要出典]。

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初代(1990年 - 2011年)

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コンラート・アデナウアー (航空機)」の記事における「初代(1990年 - 2011年)」の解説

初代「コンラート・アデナウアー」は、類似目的使用されている「クルト・シューマッハーKurt Schumacher)」、「ヘルマン・コール(Hermann Köhl)」、「テオドール・ホイスTheodor Heuss)」と同様にエアバスA310-304(MSN498)である。同機は白い機体ドイツナショナルカラー英語版)である黒・赤・金色が施され、「BUNDESREPUBLIK DEUTSCHLANDドイツ連邦共和国)」の文字記されている。 2011年2月には、リビアから15か国の避難民輸送するのに使用された。その後間もなく2011年4月ルフトハンザドイツ航空からエアバスA340-313 VIP中古機を購入し同じくコンラート・アデナウアー」と命名された。初代機フランス国立宇宙研究センター傘下のノバスペース(フランス語版)に売却され、現在は無重力状態再現機「エアバスA310 Zero Gフランス語版)」の名前で、科学研究宇宙飛行士訓練民間人飛行使用されている。

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初代(L10型、2007年-2020年)

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日産・リヴィナ」の記事における「初代(L10型、2007年-2020年)」の解説

プラットフォーム日産・Bプラットフォーム採用し全長ジェニスより245mm短い4,175mmでエンジン直列4気筒1.6Lと1.5Lを搭載

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初代(1977年-1989年)

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アストンマーティン・ヴァンテージ」の記事における「初代(1977年-1989年)」の解説

詳細は「アストンマーティン・V8」を参照 1977年からメインモデルであったアストンマーティン・V8高性能モデルV8ヴァンテージ生産された。このV8ヴァンテージは、0~60mph(約96km/h)加速フェラーリ・デイトナ凌駕し、170mph(約274km/h)に達す最高速で、「英国初のスーパーカー」と称賛された。

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初代(1963年~1965年)

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TVR・グリフィス」の記事における「初代(1963年~1965年)」の解説

北米でのディーラー獲得したジャック・グリフィス率いるグリフィス・モーターズが、自らのファクトリー製作したマシングリフィス誕生のきっかけとなった当時1960年代前半ACコブラ成功によりアメリカンスポーツカーが流行となっており、グリフィスその影響により誕生したと言える。 グランチュラ・マークIIIシャーシを、ほとんど手を加えずそのまま流用し、そこにフォード製4.7LV8OHVを搭載した。そのポテンシャル高く、一番簡単なチューニングでも0-100km/h加速が約6秒、最高速度225km/hというものだった。しかしほとんど手を加えていないグランチュラシャーシでは、操作性はかなり危険なのだったという。 TVRは、このマシンを「グリフィス200」という名称で1963年からモデル加え操作性を向上すべくシャーシ改良着手した1965年グランチュラマークIVモデルチェンジすると、それをベースにした「グリフィス400」にモデルチェンジした。 しかしシャーシ改良施したにも関わらず最後まで良好な操作性確保できず、400発表から1年経たない1965年生産終了した

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初代(SC40)

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ホンダ・CB1300スーパーフォア」の記事における「初代(SC40)」の解説

型式名SC40。CB1000スーパーフォアの後継車種として1997年開催され第32回東京モーターショー参考出品され1998年3月発売された。CB1000スーパーフォアからは以下の設計変更が行われた。 X4からキャリーオーバーとなる排気量1,284ccのSC38E型水冷4ストローク直列4気筒4バルブDOHCエンジン搭載。ただし、キャブレターをVEPCからVEPBへの変更排気系ならびに点火時期などの専用チューニング施された。 前後ホイール18インチから17インチ小径化。 マフラー左右2本出しの4 into 2 into 1 into 2タイプ採用。 リヤサスペンションに本田技研工業市販車として初めてダブルプロリンク機構採用

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初代 (2004-2009年)

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ビュイック・ラクロス」の記事における「初代 (2004-2009年)」の解説

2004年下旬に、同ブランドリーガルセンチュリーおよび2004年廃止されたオールズモビルブランドのイントリーグの統合車として発売プラットフォームGM Wプラットフォーム採用しエンジンV型6気筒 3.8L L26型、V型6気筒 3.6L HFV6型および、V型8気筒 5.3L LS4型エンジン搭載し、4T65-E 4速オートマチックトランスミッション組み合わせられるグレード構成ベースモデルの「CX」と中間グレードの「CXL」、上級グレードの「CXS」となり、CXおよびCXLにはL26型エンジンが、CXSにはHFV6型エンジン搭載される。 2007年ニューヨーク国際オートショーにおいて2008年モデル発表フロントグリル形状変更され同時にグレードの「スーパー (Super) 」が追加され、CXSは廃止された。スーパーにはV型8気筒エンジンに4T65-E HD 4オートマチック組み合わせられ、またリアスポイラーなどが装備されサスペンションチューニング施された。 2008年12月23日生産終了した。 なお、中国及び台湾仕様については全く異なボディシェル与えられており、エクステリアGM上海汽車合弁である汎亜汽車技術中心(PATAC)によってデザインされている。エンジン直列4気筒2.4LおよびV型6気筒3Lエンジン搭載し米国向けに先駆けて6速オートマチック組み合わせられた。さらに中国仕様ではハイブリッド車の「エコ・ハイブリッド」もラインナップされていた。

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初代(1978年-1980年)

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三菱・エテルナ」の記事における「初代(1978年-1980年)」の解説

1980年5月 - 登場。名前はギャラン外れ、「エテルナΣ」に改称小型フロントグリルテールランプギャランΣと差別化される。発売初期にはイメージソング歌手桑江知子同年10月にはイメージキャラクター女優星野知子起用しキャッチコピーも「なっちゃんエテルナ」となる。

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初代(1957年-1963年)

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ロータス・エリート」の記事における「初代(1957年-1963年)」の解説

初代の開発コードネームロータス14オールFRP製のモノコックボディを持つロータス初のGTカーとして1957年のロンドンショーにデビューした創業者コーリン・チャップマン友人会計士本業とするピーター・カーワン・テイラー(Peter Kirwan-Taylor )の原案デ・ハビランド・エアクラフト勤務するフランク・コスティン(Frank Costin )が仕上げたcd値0.29の空力的で美しスタイリング軽量なボディ高出力コヴェントリー・クライマックスFWEエンジンによる高い動力性能ロータスならではの卓越した操縦性で、セブンとともにロータスのスポーツカーメーカーとしての地位不動のものにした。レースにおいてもル・マン24時間レースで6回のクラス優勝遂げるなど大活躍した。このクルマ優れた操縦性一端は、当時のこのクラスでは珍しい4輪独立サスペンション備えていた点にあるが、リヤコーリン・チャップマン考案のチャップマン・ストラット(英語版)が採用されていた。これは、機構学上のロワ・アーム働き駆動シャフト兼用しているサスペンションであり、ジャガーEタイプロータス・ヨーロッパ駆動シャフトアッパ・リンクとして兼用しているサスペンションとは一線を画する。チャップマン・ストラットではロールセンタ高さの決定駆動シャフト位置支配的であり、ロールセンタは、当時流行後輪独立サスペンションスイングアクスルよりも低く一方当時最先端サスペンションマクファーソン・ストラットよりは高い位置発現する適正な高さのロールセンタは、ばねやスタビライザに頼らず適正なロール剛性発生し、その為リヤのスタビライザの省略ソフトなばねの採用が可能となり、結果スイングアクスル見られるジャッキングアップ現象による操縦性急変なしに高いロードホールディングトラクション実現した。またチャップマン・ストラットでは、ストラット部の曲げ剛性駆動・制動反力キャンバ角ロケーション受け持っており、実際のリンクは前方からハブつかんでタイヤ前後方向操舵方向同時に拘束しているA型リンク1本だけで成立している。ダブル・ウィッシュボーン匹敵する独立サスペンションとしては部品点数極端に少なく非常に軽量な点も、このサスペンションメリットである。斯様優れた機能を持つチャップマン・ストラットであるが、タイヤがハイグリップ化、エンジンが高トルク化されていくと、ロールセンタの設計自由度低さ十分な剛性確保し難い点などが明確化し、次世代エランではマクファーソン・ストラットに取って代わられた。ロードカーでのチャップマン・ストラットの採用はこのエリートのみである。また機構学特徴とは関係ないが、ハブベアリングのグリスアップライト内部流出して失われる頻繁なメンテナンス怠るA型リンクが脱落するなどの稚拙で乱暴な機械設計も、チャップマン・ストラットの評判落とした遠因となった設計・製造上の問題は、サスペンション限らずこのクルマ生涯について回った初期の生産上の問題からブリストル飛行機外注されたFRPモノコックボディ生産性低さ構造不可避であったこもり音、FWEエンジン過大なオイル消費、「常にガムテープ針金積んで置くべきだ」と評された低い工作水準などから生産台数伸び悩み、初代ロータス・エラン道を譲り累計生産台数998台をもって1963年短い生涯終えた現存車今でも理想スポーツカー一台として高値売買されている。 日本には当時代理店芙蓉貿易の手で数台輸入された。当時オーナー中には本田宗一郎・博俊父子含まれていた。この車はホンダ実験車としても用いられホンダ・S600のダッシュボードデザインにはエリート影響窺われる1980年代以降中古並行輸入でも相当数上陸している。 コヴェントリー・クライマックス FWEエンジン

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初代(2018年 -)

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プジョー・リフター」の記事における「初代(2018年 -)」の解説

2018年3月6日ジュネーヴモーターショーにおいて初公開された。プラットフォームには、グループPSAの「EMP2」が採用される。フロントフェイスは他のプジョー車と共通の最新デザイン導入されていて、一目プジョー車と分かるようになっている欧州向けパワートレイン1.2 Lガソリンエンジンまたは1.5Lディーゼルエンジン一部モデルには「EAT8」と呼ばれる8速ATが設定された。足回りは、兄弟車シトロエン・ベルランゴ比較するタイヤが約30mm大きく車高上がっている。欧州向けには5人乗りと7人乗り用意され全長それぞれ4400mm、4750mmである。また、最新先進運転支援システムADAS)が充実している。 GT Line(7人乗りインテリア

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初代(2003年 - 2012年)

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フォード・エコスポーツ」の記事における「初代(2003年 - 2012年)」の解説

開発コードはBV226。2003年からブラジル・バイーア州のカマサリ工場にて製造開始ケルン製造されるヨーロッパ版フュージョンベースFord USA Truck Vehicle Center設計された。フォードB3プラットフォーム使用されている。 ラテンアメリカ専売モデルで、ブラジルアルゼンチンベネズエラメキシコといった国々ではフォードのベストセラーモデルの一つであり、ブラジルでの販売数ベスト10には恒常的に入っている。2011年には累計販売台数70台に到達した2007年末にはフェイスリフトが行われ、フロントマスクがそれまでフュージョン風のものから近年フォードピックアップブラジル向けフィエスタに近い意匠変更された。テールライトフロントおよびリアバンパー更新され内装ではより上質な素材用いた新デザインダッシュボード備えたエンジン変更はない。

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初代 (1985–1995年)

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シボレー・アストロ」の記事における「初代 (19851995年)」の解説

1985年当時クライスラー発売し大成功おさめていたミニバン“T115”(初代ダッジ・キャラバン/プリマス・ボイジャー)の対抗策として発売された。駆動方式当初後輪駆動のみだったが、1990年モデルから四輪駆動追加された。 エンジン排気量2.5リットル直列4気筒ガソリンエンジン1990年まで)と4.3リットルV型6気筒ガソリンエンジン設定されている。燃費V6エンジン車で高速道路走行時1USガロン(約3.785L)あたり18マイル(約8~9km/L、AWD時速80キロ走行時)、市街地走行で4〜5km程度サスペンション後輪リーフスプリングリジッドアクスルで、前輪サスペンション駆動方式によって異なり基本ダブルウィッシュボーンだがFRコイルスプリング式、AWDトーションビーム採用するボディ当初リアオーバーハングが短かったが、1993年からリアオーバーハングを10インチ(約25cm)延ばしたエクステンドモデルが登場1994年からはエクステンド標準となったリアドア2種類あり、観音開きの他に1992年モデルからダッチドア(Dutch Door)と呼ばれる上(窓部分)・跳ね上げ、下・観音開きのものが設定されている。これはバックミラー視界確保するために採用されたもので、通常の観音開きでは中央ドア窓枠のため視界遮られるが、ダッチドアではそれがなくなった視界広がり、リアワイパーも装備できるようになった

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初代 (1959年 - 1960年)

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シボレー・エルカミーノ」の記事における「初代 (1959年 - 1960年)」の解説

最初のエルカミーノは、フォード・ランチェロの発売から2年後1959年シボレー・インパラベース開発された。その開発急がれ1960年にはベース車のインパラ改良されたのを受け、テールフィン縮小など、大規模なスタイル変更が行われた。しかし販売振るわず第1世代は36千台余り販売しただけで生産打ち切られた。

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初代 (2011年 -)

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ホンダ・ブリオ」の記事における「初代 (2011年 -)」の解説

タイおよびインド向けとして開発されその後周辺地域ブラジルへの輸出検討されている。2011年5月タイで、同年9月インド発売開始された。使用される鋼材含め80%以上の現地調達部品使用し現地生産供給される市販先立ち2010年11月プロトモデルがタイ・バンコクで公開された。 2011年3月17日、ホンダオートモービル(タイランドカンパニー・リミテッドにおいて、5月下旬より販売されることが発表された。発表同時に受注開始したが、東日本大震災の影響日本製造される電子部品納入が遅れるなどしたことから4月中旬受注中断その後部品調達目途立ったことから6月13日受注再開した車体2代目フィットベースにしているが、サイズ一回り小さくタイ仕様車にはL12B型1.2リットル i-VTECエンジン搭載されタイ政府定めエコカー認定基準20 Km/L以上(ECE R101モード)の燃費性能や、Euro4排出ガス規制値に対応した環境性能実現したまた、運転席助手席エアバッグ標準装備しながら価格399,900バーツ(約108万円)からの設定となっており、販売台数1年間で4台を計画している。 2012年8月にはインドネシアでも1.3リットル車が販売開始タイからの完成車輸入となる。 2011年9月27日にはインドでも販売開始された。価格395,000ルピー(約71万円)からの設定となっている。 2012年11月23日に、タイ市場にて4ドアセダン版の「ブリオ アメイズ」を発売したメカニズムハッチバック同じだが、セダン化に伴ってリヤオーバーハング延長されている。価格454,000バーツ(約122万円)から。 2013年9月11日インドネシア1.2リットルエンジンを搭載した「ブリオ・サティヤ」が発表同時に従来の1.3リットル車はブリオ・スポーツに改称した。ブリオ・サティヤはインドネシア政府によるLCGC (Low Cost Green Car) 政策適用車であり、生産国内行われ現地調達率も85%に達している。 2011年3月販売型(リア2016年4月販売2016年4月販売型(リア2016年4月販売RSグレード 2016年4月販売RSグレードリア2016年4月販売RSグレード (室内)

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初代(1968年-1974年)

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フォード・エスコートバン」の記事における「初代(1968年-1974年)」の解説

1968年発表西ヨーロッパオーストラリアニュージーランド市場向けに生産された。

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初代(1994年-2001年)

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オペル・ティグラ」の記事における「初代(1994年-2001年)」の解説

1994年コルサ日本名:ヴィータ)をベースにした小型クーペとしてデビューした乗車定員は4名だが、「後部座席搭乗員身長160cm以下に限る」という制限があるほど天井が低い。後部座席背もたれ倒してラゲッジスペースとして使うことが可能であった運転席にはシートの高さを調節する機構付いていた。オーディオカセットテープ・AM・FMオプションCDチェンジャーだが、社外品アダプター使えば1DINサイズオーディオには交換ができた。日本では1995年に1.4Lのガソリンエンジンモデルが当時インポーターであるヤナセから輸入され1999年最終モデルでは1.6Lエンジン搭載された。欧州では2001年まで生産された。

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初代 (2009-2015年)

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ビュイック・エクセル GT」の記事における「初代 (2009-2015年)」の解説

2009年11月広州国際モーターショーにて初公開した。 2010年6月販売開始した

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初代(1969年 - 1974年)

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クライスラー・ヴァリアントギャラン」の記事における「初代(1969年 - 1974年)」の解説

初代ヴァリアントギャランは1969年発表された。ラインナップ4ドアセダンのみ。

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初代 (2016–2019年)

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インフィニティ・QX30」の記事における「初代 (20162019年)」の解説

メルセデス・ベンツ・GLAクラスベースとし、デザイン変更したフロントバンパーリアバンパー、グレインサイドシル、サテンクロームメッキのインサートメタリック仕上げボディワーク、そしてライドの高さを高めている。 この車両披露は、2015年のロサンゼルスモーターショー、2015年広州自動車実現され2016年ジュネーブモーターショー続いた2.0リットルは7速デュアルクラッチオートマチックトランスミッションと4つ気筒エンジンターボチャージャー装備で、米国とカナダモデル2016年後半メキシコラテンアメリカ続いて2017年の車のモデルの年として2016年半ば発売された 。 欧州モデル2016年夏発売され初期モデルには7速デュアルクラッチトランスミッション備えた2.2d AWD含まれていた 。

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初代(はつよ)

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黒面の狐」の記事における「初代(はつよ)」の解説

津子の母。調理場働いている。

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初代(2006年 - 2014年)

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奔騰・B70」の記事における「初代(2006年 - 2014年)」の解説

2006年8月販売開始された。初代マツダ6フォード・CD3プラットフォーム)をベース開発された。内外装デザインイタルデザイン・ジウジアーロ担当している。エンジンはいずれマツダ・MZRエンジンで、2.0L(最高出力108kW@6,500rpm、最大トルク183N·m@4,000rpm)と2.3L(最高出力120kW@6,500rpm、最大トルク204N·m@4,000rpm)がラインナップされている。トランスミッションは6MTおよび5ATとなる。 2006年11月北京モーターショーでは紅旗ブランド車両として出品された。 2008年北京モーターショーではハイブリッド仕様のB70HEVが出展された。B70HEVは北京オリンピック公式車両として使用された。 2012年6月25日フェイスリフトデザイン変更、1.8Lエンジン変更、2.3廃止2012年改良型 2012年改良型

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初代 (2007-2014年)

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ヒュンダイ・i10」の記事における「初代 (2007-2014年)」の解説

インド国内で2007年10月31日発売欧州では同年12月ボローニャモーターショーにて初公開となった2009年、i10をベースLG化学リチウムイオン二次電池搭載した電気自動車EV)、「i10エレクトリック」がフランクフルトモーターショーにて世界初公開となった同車2010年1月ニューデリーオートエクスポにも出展された。 さらに2010年9月には韓国にてi10ベース量産EVが「ブルーオン」 (BlueOn) の車名発表された。外観ではフロントフェイスに手が加えられ、ix35などと共通するヒュンダイ新しファミリーフェイス与えられている。また、ベースとなったi10の方もブルーオンと同様のフェイスリフトが行われて9月23日インド発売開始された。なお、欧州仕様パリモーターショーにて公開されるが、こちらにはCO2排出量が100 g/kmを切る直列3気筒1.0 Lエンジン新たに搭載される。

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初代(1986年-1991年)

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マーキュリー・セーブル」の記事における「初代(1986年-1991年)」の解説

1985年フォード・トーラスのマーキュリーバージョンとしてアメリカで発売開始先進的な空力処理が施され外観や(CD値セダン0.33、ワゴン0.35)、前輪駆動などを理由アメリカでは記録的なセールスとなった日本では1986年から近鉄モータースより発売されていた。バリエーション4ドアセダンステーションワゴン外観上のトーラスとの違いとしてフロントマスク及びテールレンズのデザイン以外に、4ドアセダンはヒドゥンピラー処理のサイドからリア回り込むラップアラウンドウィンドウが大きな特徴である。またフロントグリルヘッドランプ連動してグリル全体ポジションランプ同程度明度点灯するようになっている。これはライトバー(lightbar)と呼ばれ透明なプラスチックにレンズカットを施したものをグリル使用している。ライトバーは後のマーキュリー車にも採用されたばかりでなく、他メーカー採用するほどデザイン面で大きな影響与えたエンジンはV6OHVの3000cc(140ps・22.1kg/m)及び2500cc直4OHV(90ps・18.0kg/m)が用意された。しかし直4エンジンは売行き悪かったため1987年最後にカタログ落ちし、替わり1988年より3800ccV6OHV(140ps・29.7kg/m)が搭載されようになったトランスミッションV6モデル4速AT、直4モデル3速ATである。乗車定員車体形状及びシフトポジションによって異なりセダン5/6人、ワゴン7/8人である。ただしワゴンのサードシートは後ろ向き折り畳み式あり子供用・緊急用として設計されているので大人には不便かつ窮屈である。 トーラス同様、ヘッドライト形状から日本オーナーの間では「デカ目」の愛称呼ばれ親しまれている。1991年販売終了翌年2代目へ。 メキシコでのセーブルフォード・トーラスの名前で販売された。 メキシコでのセーブルフォード・トーラスの名前で販売された。

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初代(2011年 - 2018年)

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シトロエン・DS4」の記事における「初代(2011年 - 2018年)」の解説

2011年3月ジュネーブ・モーターショー出展同年9月28日には日本販売開始シトロエンの新ラインDSシリーズ」の中枢車種としてDS3の上級版としての役割も担うクロスオーバーモデル。C4ベースクーペ流麗さと適度なアイポイントを持つクロスオーバーSUVデザイン融合したフォルムとなる。 クーペらしさを求めてリアドアのアウターハンドルはCピラー上に同化させており、デザイン自由度高めた結果としてドアガラスは“はめ殺しとなっている。第26回国際自動車フェスティバルにおいて「最も美しクルマ」として選出された。 2016年4月1日DSブランド独立したことに伴って日本向けマイナーチェンジ発表フロントグリル中央DSロゴ配置し、「DS LEDビジョン」と呼ばれるヘッドライト備える。また、車高を30mm高めた上でルーフレールとホイールモールを装着しSUV風のスタイルとした「DS4 クロスバック」も同時に登場した2016年7月12日、2.0Lクリーンディーゼルエンジン「BlueHDi」に6速AT組み合わせたDS 4シックBlueHDi DS LEDビジョンパッケージ」と「DS 4クロスバックBlueHDi」を発売した2017年1月10日日本向け高性能モデルDS4 パフォーマンスライン」を限定20台で発売最高出力180psを発揮する2.0L4気筒BlueHDiクリーンターボディーゼルとトランスミッションEAT6を組み合わせる世界的な販売不振により2018年DS5と共に生産終了DS 4 (Front) DS 4 (Rear) DS 4 Crossback (Front) DS 4 Crossback (Rear)

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初代 (1985年-1994年)

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フォード・スコーピオ」の記事における「初代 (1985年-1994年)」の解説

シエラベース開発されシエラのフロアパン(床構造)を引き伸ばしたものを使用しスタイリングシエラエスコート似通ったデザインとなった搭載されエンジン排気量1.8Lと2.0Lの直列4気筒ピント・エンジン(Pinto engine )と、2.4L(後に2.8L、2.9Lと拡大)のV型6気筒ケルン・エンジン(Cologne engine )。1989年にピント・エンジンは廃止され代替として2.0L 8バルブDOHCエンジン搭載された。 1986年度にはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞したスコーピオは、ヨーロッパ市場において高級車とされるメルセデス・ベンツBMW対抗しうるフォードの上車種として開発された。フォードはすでに前モデルであるグラナダ MkIIで、広範囲に渡る各種装備ヒーター電動レザーシート、エアコン電動サンルーフ、トリップ・コンピューターなど)を充実させていたが、このスコーピオでは欧州フォード初となる熱線ウインドスクリーンクルーズコントロール四輪駆動などが新たに採用された。シート背もたれホールド感に欠けるのが多少評価落としつつも、非常に乗り心地良く後部座席足元空間広かったが、頭上空間極めて狭かったまた、ヨーロッパ量産車としては初めて全グレード標準ABS装備した車種である。 グラナダとは異なり当初セダンエステートはなく、ハッチバックボディのみの設定だった。1990年セダン追加され1992年エステート追加された。技術面でのマイナーチェンジ少なかったが、1989年にはDOHCエンジン搭載し、翌1990年には2.9 L 24バルブDOHCコスワースV6エンジン搭載したスコーピオ・コスワースが追加された。 下級車種シエラに対してスコーピオコスワースエンジン搭載するエンジンスワップ事例多く見られ、200bhpオーバー出力手に入れ安価簡単な手法として人気博した。これらのエンジン中にはターボチャージャー装着したものもあり、モータースポーツでも使用された。 なお、イギリスでは当モデル先代と同じグラナダの名で販売された(→フォード・グラナダ#3代目参照)。 また、北米では独自の「メルクールブランド付けてメルクール・スコーピオとして、1986年1987年モデル)から1989年ブランド自体廃止されるまで、リンカーン・マーキュリーのディーラー通じて販売された(→メルクール参照)。

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初代(1998 - 2003年)

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ダッジ・デュランゴ」の記事における「初代(1998 - 2003年)」の解説

デュランゴは、頑丈なトラックベースとする7人乗りSUVとして発売され適切に装着されていれば最大7500ポンド(3400 kg)まで牽引可能だったデュランゴベースとなったピックアップダコタ前端部、インストゥルメントパネル、およびフロントシート共有していた。デュランゴの8人乗り仕様当初デザインは、多くの古いステーションワゴンのような後ろ向きの3列目シート装備されていた。より実用的な前向きの3列目シート用にスペース確保するために、ダッジフロントドア長さ短縮しルーフの高さを2インチ(5 cm上げて後部乗員視界得られるシート配置実現させた。デュランゴルーフラックは、持ち上げられルーフ外観を隠すように設計された。 2000年には5.2L マグナムV8代わり、4.7L マグナムV8搭載された。ただし2000年初頭までは5.2Lのモデル選択可能だった同年、R/Tと呼ばれる5.9L マグナムV8搭載する四輪駆動特別な高性能バージョン発売された。1999年2000年には、スーパーチャージャー追加され最大出力360hp(270 kW; 360 ps)、最大トルク412lb-ft(559 Nm)を発生する5.9L マグナムV8搭載するシェルビーS.P.360バージョン限定モデルとして発売された。外観では、ホイールタイヤサスペンションバンパーなどが専用品となり、ボディ中央に2本の白いストライプ装着されヴァイパー用のブルー標準ボディカラーとされた。0-60マイル加速7.1秒を誇り最高速度は142mph(229 km/h)だった。

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初代 (2010年-)

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シトロエン・C3エアクロス」の記事における「初代 (2010年-)」の解説

2010年9月ブラジルアルゼンチンにて発売開始した2016年フェイスリフト実施

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初代(1972年-1980年)

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いすゞ・ファスター」の記事における「初代(1972年-1980年)」の解説

初代モデルファスターベレット姉妹車ピックアップトラックワスプ」の後継車で、フローリアンボディー前半分が流用されていた。そのため、前面も本車種中期型同様のデザインとなっている(後期型ヘッドランプが2灯に変更されオリジナル)。 また、この車が1971年から始まった、いすゞ・GM提携最初ビジネスとなり、翌1972年からGMシボレー部門LUVラヴ)のネーミングOEM供給された。

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初代(2002年-2006年)

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ダッジ・ブリザ」の記事における「初代(2002年-2006年)」の解説

第1世代は、2002年ベネズエラ市場で、バッジ設計され現代アクセントX3として導入された。車はサルーンクーペのボディスタイルで提供された。売り上げの不足を考慮して、クーペバージョンの生産2004年中止された。サロンは、3ドアモデルと5ドアモデルとしてモデルラインナップ含まれていた。 排気量1,341cc、12バルブ最大出力82 hp4気筒ガソリンエンジン搭載車両縁石重量は942〜1410kg。

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初代(R50 / 52/53)(2000–2006年)

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ミニ・ハッチ」の記事における「初代(R50 / 52/53)(20002006年)」の解説

Hatchback Cabrio 2005-2006 Mini One Hatch (facelift model) 2004年から2008年にかけて、ソフトトップコンバーチブル R52が製造されたが 最初新世代ミニハッチ2000年後半導入され同年に元のミニ製造中止になった後、ミニマーキーの下で発売され最初のモデル一部欧州市場では、Mini Oneは1.4リットル (85 cu in) Tritecエンジンインライン4バージョンで、ガソリン搭載した他のすべてのMini1.6リットル (98 cu in) バージョンボンネット特徴的なスクープカットが施されクーパーSを含む、モデル間には多数スタイリングバッジ違いがある。クーパーSには、後部バランス中心の下から出るツインエキゾースト、非Sクーパーには、 ミニワンより多くクロム部品があり、排気口1つです。 Mini One Dには目に見える排気管まったくない

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初代(1999年~2007年)

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フォード・スーパーデューティー」の記事における「初代(1999年2007年)」の解説

従来のF-250、350は、ボディパネルをF-150と共有するFシリーズバリエーションのひとつであったが、1999年一回り大きい独自ボディ独立モデルとして登場。F-150と比べサスペンションなどが強化されV型10気筒エンジンディーゼル車ラインナップアメリカの第43大統領ジョージ・W・ブッシュが、テキサス州別荘に、この初代のスーパーデューティーF-250を所有している。 2005年マイナーチェンジ実施メカニズム中心に変更され、7.3Lのディーゼル車廃止された。

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初代(1998年-2006年)

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三菱・スペーススター」の記事における「初代(1998年-2006年)」の解説

1998年3月ジュネーヴモーターショーコンセプトモデルとして出展され同年10月パリモーターショーにて正式発表された。スペーススターは2005年末まで製造続けられたが、ライフサイクル通して外観大きな変化はなく、2002年小規模なフェイスリフトを受けるのみに留まった。 ボルボとの合弁であったネッドカー生産されカリスマおよびボルボ・S40/V40とプラットホーム共有していた。 エンジンは1.3L(4G13型SOHC16バルブ)、1.6L(4G92型SOHC16バルブ)、1.8L(4G93型DOHC16バルブ)の3種類のガソリンエンジンと、ルノー製1.9Lコモンレールディーゼルが用意された。1.8Lは当初GDI採用されていたが、2002年廃止されコンベンショナルストイキ仕様(1.8L(4G93型SOHC16バルブ))に差し替えられた。

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初代 (2003年-2010年)

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フォード・C-MAX」の記事における「初代 (2003年-2010年)」の解説

2003年発売開始した2006年ボローニャモーターショーにおいて改良型初公開した。

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初代 (2013-2015年)

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インフィニティ・Q60」の記事における「初代 (2013-2015年)」の解説

インフィニティ・G」も参照 インフィニティ発表した2014年モデル以降の全ラインアップ対する新ネーミング戦略によって、「インフィニティ・G クーペ」から「インフィニティ・Q60」へと車名変更された。

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初代(1986年-1996年)

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ダッジ・ダコタ」の記事における「初代(1986年-1996年)」の解説

三菱・フォルテのダッジブランド版である、ダッジ・ラム50よりも一回り大きなサイズで、フォード・レンジャーシボレー・S-10などに対抗するピックアップトラックとして、1987年モデル登場ライバルよりもやや大型エンジンラインナップ持っていた。

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初代 (1999-2017年)

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ビュイック・GL8」の記事における「初代 (1999-2017年)」の解説

1999年10月発売開始した

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初代(1995年-2000年)

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クライスラー・セブリングクーペ」の記事における「初代(1995年-2000年)」の解説

1995年発表されるセブリングの名前を冠するクライスラー・セブリングとの関連性殆どない1997年マイナーチェンジ実施される

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初代(1994年 - 1999年)

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プリムス・ネオン」の記事における「初代(1994年 - 1999年)」の解説

1994年1月クライスラーグループは、全く新しい、ゼロから構築されコンパクトカーネオンという名前で発表したボディ構成4ドアセダン2ドアクーペの2本立て

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初代(2014-2018年)

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ヴェヌーシア・e30」の記事における「初代(2014-2018年)」の解説

2014年9月、ヴェヌーシアブランド初の電気自動車として販売開始日産リーフベース開発された。

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初代 (1988–1995年)

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オペル・ベクトラ」の記事における「初代 (19881995年)」の解説

初代モデルであるVectra-Aは、アスコナ後継車種として1988年登場したボディタイプ4ドアセダンと5ドアハッチバックの2タイプがあった(日本へはセダンのみ輸入)。直列4気筒ガソリンエンジン搭載(1.6リッターから2.0リッターターボまで存在)。1992年マイナーチェンジ時にV型6気筒追加している。ヨーロッパで発売されているディーゼルエンジン搭載モデルは、いすゞ自動車製の1.7LエンジンNA及びターボ)が搭載されていた。 イギリスではボクスホール・キャバリエとして販売されるニュージーランドではホールデンブランドで販売されいたものの、ホールデン本国オーストラリアでは、同クラストヨタ・カムリOEMモデルアポロ」(Holden Apollo )を販売していたため、ベクトラ販売されなかった。 日本では1989年からオペル総代理店である東邦モーターズいすゞ自動車輸入。2リッターSOHCエンジン(C20NE型)搭載車販売。「CD」およびABSサンルーフ備えた豪華版の「CDディアマント」(CD Diamant )がラインナップ当初はともに左ハンドル仕様であったドイツ色を一面出したテレビCMまで放映するライバルメルセデス・ベンツ・190EBMW・3シリーズアウディ・80比べ圧倒的に販売負けていた。1990年モデルより右ハンドル車追加通常右ハンドル仕様車は英国ボクスホール工場製作されるが、日本仕様車ドイツ本国工場生産されたものを輸入していた。また、上級グレードCDディアマント」の名称を「CD-X」に変更(おそらく三菱・ディアマンテ登場よるもの思われる)。1991年モデルから上級車オメガセネター同様に電動格納式ドアミラー採用され駐車時の利便性向上している。 1993年より取扱ディーラーヤナセ移行し同時にマイナーチェンジモデルを発売CIマーク内蔵型グリルダーク化されたリアコンビネーションランプ、トランクリッドガーニッシュ追加される程度構造的に大きな変更はない。ほぼ同等装備ながらグレード名がCD/CD-XからGLS/CDに変更されている。1994年モデルから運転席エアバッグ装備され1995年モデルでは助手席エアバッグ加えて標準となり、2.5リッターV6エンジン(ECOTEC-C25型)搭載車追加されている。 派生車種としてクーペモデルのオペル・カリブラ発売された。 GLS/CD系直列4気筒SOHCエンジン、1,988cc、115ps/5,200rpm、17.3kgm/2,600rpm V6V型6気筒DOHCエンジン、2,497cc、170ps/6,000rpm、23.1kgm/4,200rpm

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初代(1968年-1970年)

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プリムス・ロードランナー」の記事における「初代(1968年-1970年)」の解説

ロードランナー1964年コンセプトカー発表市販モデル1968年誕生したボディについてはコンセプトカー時点ではハードトップルーフカットしたような形状コンバーチブル・モデルであったが、市販モデルクーペハードトップとなったベースとなったB-プラットホームは、基本戻ってマッスルカー造るために用意したものであったが、ベルヴェデアやサテライトGTXと同じであり、その素性確かなものであったマッスルカーにとって必須用件であるパフォーマンスと走安性に必要なサスペンションなどの部位はすべて強化され性能大きく向上していた。一方で走り影響しない部分はほとんどが無視された。パワーステアリングパワーブレーキ装備されず、またインテリアにおいてはカーペットさえなく、内部質素であった。しかし、これらの装備標準では用意されていないだけであり、ほとんどがオプション追加することで利用することができた。 プリムス車名にちなみ、ワーナー・ブラザース50,000ドル支払いルーニー・テューンズキャラクターロードランナー」をマスコット採用しコラボレーションした。それと同時に漫画登場したキャラクター鳴き声ミッミッBeep Beep)」を模倣したホーンクラクション)を標準装備として使う契約をした。発売時に流れたCMワーナー製作のアニメーションであった簡素な構成ロードランナーであったエンジンだけは豪華で、標準モデルでは383キュービックインチ(cui)(6.3L)スーパーコマンドV8用意された。さらに追加オプション714ドル払えば、426cuiヘミエンジン選択することもできた。低重心構成相まって、6人乗りロードランナーは1/4マイルを169km/h、13.4秒で走行することができた。これは当時マッスルカーにおいて、ロードランナー最適なエンジンプラットホーム組み合わせ達成した1台であることを証明している。プリムスは、1968年におよそ2,000台の販売予想していたが、安価な設定とそのパフォーマンスから実際売上はおよそ5,000台を数え大きなヒットとなった1969年モデルは、基本的な外観保ちながらわずかに変化加えられた。年次更新とともにロードランナーにコンバーチブル・オプションが新たに設定された。しかし、コンバーチブル生産台数はわずか2000台に留まり、さらにオプションヘミエンジン選択したのはその内たったの9台であった。383Cuiエンジンロードランナー標準設定とされたまま、オプションとして新たに440cuiエンジン3つの2バレル・キャブレター追加した「440-6バレル」がこの年中頃ラインナップ加えられた。ヘミよりも安価なエンジン搭載したこの6バレル・ロードランナーは、非常に質素な構成でホイールカバーもホイールキャップ取り付けられていなかった。しかしその440エンジンは390馬力生じコストパフォーマンス相対的に良好であった安価な440cuiの6バレルパフォーマンス特性には大きな違いがあるものの、426cuiのヘミエンジンと、少なくともハイウェイ巡航速度ではほとんど同じくらい速かった1970年年次更新では、外観小変更された。新しフロント・エンドとリア・エンドは、基本的な1969年ボディ維持したままとなっており、これはデザイン一つ成功であったことがわかる。1970年ロードランナーGTX変わらず魅力的人気車であり続け、エンジンラインアップは、不変のままにされた。

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初代(現・株式会社アセットマネジメント)

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ダイテックホールディング」の記事における「初代(現・株会社アセットマネジメント)」の解説

2006年平成18年7月 - 株式会社ダイテックが、株式移転により持株会社である「株式会社ダイテックホールディング」を設立2008年平成20年11月 - 本社名古屋市中区(栄地区)に移転2009年平成21年10月1日 - 株式会社ダイテックデジタル印刷課の移管を受け、デジタル印刷部とする。 2011年平成23年3月1日 - 本社リニューアルした主税町ビル名古屋市東区)に移転2012年平成24年10月1日 - 会社分割により「株式会社ダイテックホールディング」と「株式会社DSホールディング」を新設従前株式会社ダイテックホールディングは、株式会社アセットマネジメント商号変更

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初代(2004年-2011年)

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クライスラー・300」の記事における「初代(2004年-2011年)」の解説

2001年デトロイト・オートショー1950年代スタイルの「ダッジ スーパー 8 HEMIコンセプトとして出展されモデル前身とし、2004年に、「クライスラー 300」として発売された。迫力あるスタイル充実した装備にもかかわらず日欧競合車比較して安価だったことなどから大変な人気モデルとなり、旧ダイムラークライスラークライスラー部門業績回復貢献した2006年ガソリン価格高騰によるトレンド変化以降販売低調である。デザインジープ&トラックデザインの副社長、ラルフ・ジルによって行われたリア300M意匠名残を見ることができる。また、1998年デトロイトオートショー発表されクライスラーコンセプトカークロノス」のグリルデザインが生かされている。プラットフォームは「クライスラー・LXプラットフォーム」と呼ばれるもので、メルセデス・ベンツ・Eクラス(W210/S210)の構成部品が、リアサスペンショントランスミッションなどに流用されている。後輪駆動基本とし、トップグレードの300CにはV型8気筒ヘミエンジン搭載される。 当初グレードは、2.7リットルV型6気筒OHCエンジン190馬力)の“ベースグレード”、3.5リットルV型6気筒OHCエンジン250馬力)の“ツーリンググレード”、そして5.8リットルV型8気筒OHVヘミエンジン340馬力)を搭載する300C”、の3種類であり、いずれもセダンであった2005年2月専用バンパー20インチホイールを装備し、6.1リットルV型8気筒OHVヘミエンジン425馬力)を搭載した“SRT-8”が追加された。ヘミエンジンは、気筒休止機構8気筒4気筒)を採用しているため、6リットル前後大排気量車の割には燃費良く2006年以降ガソリン価格高騰時にそこそこ売り上げ見せた2005年には「北米カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞、また「カナダディアン・カー・オブ・ザ・イヤー(新型高級車部門)」に選出されている。 2004年プラットフォーム共用するワゴン車である「ダッジ・マグナム」がアメリカで発売されたが、アメリカ以外幾つかの市場においては、このモデルバッジエンジニアリングにより「300ステーションワゴン」として販売されることになったセダンでのラグジュアリースポーツのイメージ損なわないよう北米では発売されず、国外でマグナムより高価格設定300シリーズとする方が収益性良いため、欧州アジア、オセアニアのみの輸出専用モデルとなったものとされるクライスラーダッジ・マグナム2008年中に廃止した

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初代(1987年-1989年)

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マーキュリー・トレーサー」の記事における「初代(1987年-1989年)」の解説

1987年旧式化したマーキュリー・リンクス代わるマーキュリーディビジョンの最小クラスを受け持つ車として発表された。ボディ形状は3ドアハッチバック、5ドアハッチバック、5ドアステーションワゴンが用意された。ベースとなったのはBFマツダ・ファミリアであり、デザインファミリア姉妹車であり、日本アジア・オセアニア環太平洋地域で既に発売されていたフォード・レーザーとほぼ変わらない。またエンジン直列4気筒 1.6Lのマツダ製B6型を搭載していた。 製造期間は短いが、これはベースとなったファミリア1989年フルモデルチェンジ実施したことにより、モデルレンジの整理行ったためである。

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初代 (2004-2013年)

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雙龍・ロディウス」の記事における「初代 (2004-2013年)」の解説

2004年5月イスタナ後継車として発売開始した4列シートの9人乗り11乗りの2タイプ用意され(後者韓国ミニバン唯一の4WDもあり)、11乗りモデル韓国内ではバスとして扱われるのでバス専用車線走行可能である。エンジン当初メルセデスベンツ技術コモンレール式2.7Lディーゼル採用し、それに5速ATを組み合わせた2007年7月改良型発売フロント回りやリヤコンビレンズを新デザインとし、車名を「ニューロディウス」に変更2011年12月から2012年6月までは2.7Lディーゼルエンジン排ガス規制値をクリアできない関係で販売中止していたが、2012年7月2日にコランドCやレクストンWに搭載される2.0Lのe-XDiを搭載し11乗りのみとした上で再発売された。 2013年2月販売終了した。 尚、台湾香港オーストラリアなど一部地域では「STAVIC (スタヴィック)」という名称で販売された。 初代の特徴あるスタイリングクルーザーデッキイメージしたものだが、それが災いしてイギリスBBC自動車番組トップギア」で「最も醜い車の歴史塗り替えた。」「タダでもいらない車。」と酷評された。なお、同番組シーズン17では実際にクルーザーにロディウスの車体載せる改造施したssangyacht(サンヨット)が制作されている。 後期(ニューロディウス) フロント 後期(ニューロディウス) リア

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初代 (2018年-)

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ロールス・ロイス・カリナン」の記事における「初代 (2018年-)」の解説

2018年5月10日発表エンジンBMW開発した最高出力571psの6.7L V12ツインターボエンジン「N74B68」が搭載される。

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初代(2000年 - 2007年)

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トヨタ・クルーガー」の記事における「初代(2000年 - 2007年)」の解説

2000年11月クルーガーV(ヴイ)として発売された。Vは英語でVictory勝利)の頭文字から取られている。取り扱いトヨタビスタ店(現・ネッツ店)およびトヨタカローラ沖縄2003年マイナーチェンジ合わせてトヨタカローラ店向けのクルーガーLも販売開始した。Lは英語でLiberty(自由)の頭文字から取られている。 エンジン直列4気筒の2.4 LまたはV6 3.0 Lに4速ATの組み合わせマイナーチェンジ後はV6 3.0 Lが5速ATとの組み合わせとなった駆動方式FFまたは4WDとなる。 乗車定員は5人だか、マイナーチェンジハリアーにはない3列7人乗り追加された。 なお、日本国外ではV6 3.3 Lエンジンモデルもあり、このエンジン光岡・オロチにも搭載された。 クルーガーVトヨタビスタ店ネッツ店統合した後もネッツ店販売継続されたが、2005年RAV4フルモデルチェンジに伴いクルーガーLよりも一年以上早く販売終了した

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初代(1996年 - 2008年)

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フォード・Ka」の記事における「初代(1996年 - 2008年)」の解説

2008年フィアット共同開発された2代目登場コスト抑えるためにメカニズム大半内外装一部パーツフィアット・500共有している。エンジンは1.2Lガソリンと1.3Lディーゼル2種用意生産フィアット500とともにポーランドティヒにある工場行われている。

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初代(1981年-1990年)

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フォード・エスコート (北米)」の記事における「初代(1981年-1990年)」の解説

初代モデル欧州フォードエスコートMK3ベース開発され1981年モデルイヤーに、旧態化していたサブコンパクトカーフォード・ピント後継車種として登場した姉妹車としてマーキュリー・リンクス同時に登場した米国フォードにとっては初めての前輪駆動車生産となったまた、商業的に成功し1980年代通して単一モデルとしては最も売れた米国車一つとなった

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初代 (2002-2009年)

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シトロエン・C3」の記事における「初代 (2002-2009年)」の解説

2001年フランクフルトモーターショー発表2002年4月フランス本国発売日本国内では同年10月販売開始された。ルノー・トゥインゴ手掛けたドナート・ココとジャン・ピエール・プルエがデザインしたエクステリア所々にかつての2CV面影見られインテリア扇型インパネスピードメーターデジタルタコメーターアナログ採用しステアリングセンタースポーク強調するなど往年のシトロエン現代風にアレンジしている。

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初代(1995年 - 2004年)

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ボルボ・V40」の記事における「初代(1995年 - 2004年)」の解説

1995年発売当時のV40の公式日本名は「ぶいよんじゅう」。ボディ形状ステーションワゴンである。 生産は(当時オランダ政府三菱自動車工業ボルボ合弁会社であったネッドカー行われた。同じ工場プラットフォーム共有する三菱・カリスマとともに生産された。 2000年内外装変更。ヘッドランプ・テールレンズなどのデザイン変更となる。同時にホイールベースの延長サスペンション見直しタイヤサイズ変更実施された。 2004年後継モデルV50の発売に伴い、V40の販売終了

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初代(2010年 - 2018年)

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ボルボ・V60」の記事における「初代(2010年 - 2018年)」の解説

全長4,630mmx全幅1,860mmx全高1,480mm(日本仕様場合)で、車格考慮する比較大柄である。プラットフォームS60やXC60同様にボルボ・P24プラットフォーム使用ホイールベース2,775mmの数値S60やXC60と同一)。 V70やV50と同じステーションワゴンとはいえS60やXC60同様、クーペ髣髴とさせる流麗かつ大胆なものとなっている。尚、外観デザインチーフデザイナーのピーター・ホールバリーによるものである。インテリアに関しては他シリーズで既におなじみの「フリーフローティングセンタースタック」などボルボならではのスカンジナビアテイストを表現したデザインと、自然素材などの採用による上質さを特徴としている。 パワーユニットに関して本国では1.6L・直列4気筒ならびに直噴ターボ、1.6L・DRIVeディーゼル、2.0L・直列5気筒ディーゼルターボ(D5244T16)、2.0L直列5気筒ディーゼルターボFF車 3.0L・直列6気筒ターボエンジン4WD車 (B6304T2)と豊富にラインナップされるが、日本仕様ガソリンエンジン仕様のみとなる。 安全面ではESPフロント&サイドエアバッグなどの安全装備加えボルボ独自の「WHIPS(衝撃吸収リクライニングフロントシート)」、「ROPS横転保護システム)」などが装備され、V60やXC60でも採用され市街地走行時や渋滞時などの低速走行時(時速30km/h以下)における追突事故劇的に減少させる低速追突回避軽減オートブレーキシステム「シティセーフティー」を全車に、前方備えたレーダーにより歩行者などを検知し衝突可能な限り回避する「ヒューマンセーフティー」を標準装備ないしはオプション設定し、ドアミラーサイドカメラ装備して死角を減らすなど、細部にわたりボルボ真骨頂ともいえる安全性徹底させている。 2011年5月9日 日本仕様発表された。発売6月4日開始予定グレードS60同様「V60 DRIVe」、「V60 T6 AWD SE」、「V60 T6 AWD R-DESIGN、その他には、レーシングモードにチューニングされた、[ポールスター]の4種となる。なお、トランスミッションはT6系に6AT、DRIVe6速デュアルクラッチトランスミッション搭載また、T6系にはプレチャージ式電子制御AWD組み合わせている。 2013年Polestar社と共同開発したV60 Polestar発表し日本では2014年5月限定発売した。3.0L直列6気筒ターボエンジン新開発ツインスクロールターボインタークーラー装着最高出力350HP、最大トルク51.0kgmを発生する2015年10月6日、V60 Cross Country(クロスカントリー)が発表された。V60をベース専用エクステリアデザイン専用サスペンション採用され、V60比で全高が+60mmの1540mm、最低地上高が+65mmの200mm。 2017年10月27日、ファイナルモデルのV60 Polestar限定発売した。2.0L直列4気筒インタークーラーターボ+スーパーチャージャーエンジンを搭載最高出力367HP、最大トルク47.9kgmを発生する

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初代(1995年-2002年)

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フィアット・バルケッタ」の記事における「初代(1995年-2002年)」の解説

フィアットとしてはフィアット・X1/9以来久々小型スポーツカーとして1995年発売されるプラットフォームフィアット・プントのものをベースとした横置きエンジン前輪駆動車だが、オープン化に伴い大幅な強化が行われている。ホイールベーススポーティーなハンドリングを得るため、プントよりも短縮されている。トランスミッション5速MTのみ。左ハンドル仕様のみの設計であり、左側通行ある日本やイギリスへ正規輸出はされたものの、特にイギリスでは右ハンドル仕様不在セールスの足を引っ張ったデザイン内外装ともフィアット社内によるもので、かつてのフィアット・850スパイダー想起させるレトロな外観特徴であるが、フィアットによると細部デザインは古いフェラーリジャガーからヒント得た部分もあるという。 生産は、ランチア・デルタHFインテグラーレ生産担当していた、カロッツェリア・マッジョーラに委託された。 エンジン専用開発の、可変バルブタイミング機構付1,747cc、最高出力130PS(96kW)/6,300rpm、最高トルク16.7kgf·m(164Nm)/4,600rpmのDOHCエンジン搭載する。このクラス自然吸気エンジンとしてはごく平均的な数値であるが、車重が1,090kgと軽めであるため加速良くモータースポーツにおいては、より排気量大きなエンジンを積むアルファ・ロメオ145147155156とも対等に渡り合う姿が見られるバルケッタ1995年日本では1996年)から2002年まで生産・販売されていた。その後2004年後述ニューバルケッタ発表されるまで市場から姿を消していた。

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初代(2017年-)

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ボルボ・XC40」の記事における「初代(2017年-)」の解説

新世代CMA(Compact Modular Architecture)プラットフォーム最初に導入したコンパクトSUVである。 2017年11月からベルギーゲントのボルボ工場(VCG)で製造開始2018年初頭からヨーロッパ北米カナダ等で販売開始されるエンジンは2リッター4気筒ガソリンエンジン搭載モデル、2リッター4気筒ディーゼルエンジン搭載モデル日本未発売)がある。 今後、XC40には新型1.5リッター3気筒ガソリンエンジン搭載エントリーモデル車とプラグインハイブリッド車追加される見込み日本では2018年1月26日にXC40 T5 AWD R-Design 1st Edition全国300限定予約注文受付開始した発売2018年3月である。

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初代(2009年-2017年)

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ボルボ・XC60」の記事における「初代(2009年-2017年)」の解説

全長4,645mmx全幅1,890mmx全高1,715mmと比較コンパクトなため、プラットフォームはV50がベースのように見えるが、V70やXC70ベースである。ただし、ホイールベースはデザインバランスと運動性能重視して2,775mmとなり、V70に比べると約40mm短縮されている。 同じSUVでもXC70がステーションワゴンベースであるのに対し、XC60は高め全高クーペSUV融合させたようなエクステリアを持つのが特徴である。また、インテリアに関しても他シリーズおなじみの「フリーフローティングセンタースタック」などボルボならではのスカンジナビアテイストを表現したデザインと、自然素材などの採用による上質さを特徴とし、当時兄弟車であるV60、S60同様、センタースタックをドライバー側に若干傾けることにより、ファミリー志向の強いボルボ車の中では、ドライバー志向強めた性格有していることを表現している。 パワートレーンに関しては2.4L・直列5気筒ディーゼルターボ(D5244T4)、(D5244T5)などディーゼルエンジン中心設定だったが、当初日本仕様選ばれたのは、3.0L・直列6気筒ターボエンジン(B6304T2)と電子制御式AWD組み合わせた「T6 SE AWD」のみだった。のちに3.2L・直列6気筒ターボ(B6324S)や2.0L・直列5気筒ディーゼルターボ(D5244T16)などが追加され2010年半ばにはディーゼル5種、ガソリン2種まで増えている。また直6エンジン2011年モデルから若干パワーアップ図られている。さらに2010年8月新開発高効率2.0L直列4気筒GTDi直噴ターボエンジン(B4204T)かつFFの「T5 SE」が日本市場追加された。日本仕様トランスミッションはT6に6AT、T5には6速デュアルクラッチトランスミッション採用される4WD方式は、フルタイム4駆ではなくスタンバイ式(オンデマンド)4駆を採用メカニズムとして、前輪スリップや、車速などを検知し必要に応じて後輪駆動力配分する方式である。 装備プレミアムSUV標榜するだけにかなり充実していて電動パノラマ・ガラスサンルーフやHDDナビゲーションシステム、本皮革パワーシートなどを採用安全面ではESPフロント&サイドエアバッグなどの安全装備のほか、ボルボ独自のBLISなどが装備され、さらに市街地走行時や渋滞時などの低速走行時(時速30km/h以下)における追突事故劇的に減少させる量産車世界初低速追突回避軽減オートブレーキシステム「シティセーフティー」が標準装備されている。このほかにも、パークアシストカメラやサイドビューカメラなど装備し細かな部分にも安全性徹底させている。

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初代 (2009-2016年)

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プジョー・5008」の記事における「初代 (2009-2016年)」の解説

2009年、初代シトロエン・グランドC4ピカソコンポーネンツ流用した3列シートミニバンとして登場当初MTのみだった。6速ATの登場機に日本市場でも2013年2月から販売開始された。

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初代 (2009-2016年)

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プジョー・3008」の記事における「初代 (2009-2016年)」の解説

2008年パリモーターショー発表されコンセプトカープロローグHybrid4」をルーツとし、2009年3月ジュネーブショー市販仕様公開された。プジョー・307シトロエン・C4等と共通のPSA PF2プラットフォームベースとし、2017年5月フランスで発売皮切りに順次市場投入開始した日本市場へは2010年6月1日より導入開始エクステリアはモノフォルム形状を採り入れボンネットキャビン明確に分けないプロポーションとしたことで、比較コンパクトなサイズありながら高効率パッケージ実現したインテリアはラゲッジルームのフロア高を3段階に調整可能とすることで、積載性の向上とリアシートの完全なフラット化をも実現している。荷室容量はラゲッジボードの高さまで荷物を積む場合で512L、シート格納したフル積載時で1,604Lの容量がある。 エンジン欧州では1.6L(120PSと156PS)のガソリンと1.6L(110PS)と2L(150PSと163PS)のHDiラインアップするが、日本市場へは308シトロエン・C4などにも搭載される1.6L・直噴ターボガソリンエンジンのみが組み合わされる。最高出力156PS/最大トルク24.5kg-mを誇ると同時に優れた燃費性能をも実現させている。2011年にはディーゼルハイブリッド4WD追加予定されている。トランスミッションは各エンジンに6MTの設定もあるが、日本向けは6ATのみである。 走行性能についてもFF採用しながらも機動性高める「ダイナミックロールコントロール」と「グリップコントロール」をプジョー車で初め採用前者リアサスペンション搭載され車体ロール抑えるためのシステムであり、後者マッドスノータイヤモード切替式のトラクション構成されるモードは「標準」「雪道」「オフロード」「砂地」「ESPオフ」の5種を任意に選択でき、トラクションコントロールが各路面状況あわせて適切な作動を行う。 日本でのグレード展開ベーシックな『Premium』とラグジュアリーな『Griffe』の2機種。 幅x長さ=1,202mmx1,382mmと大きいパノラミックガラスルーフをはじめ、バイキセノンディレクショナルヘッドランプ、レザーシート(『Griffe』のみ)、左右独立調整オートエアコンクルーズコントロールポップアップ式ヘッドアップディスプレイ、後席用送風口、自動防眩ルームミラー、6エアバッグESPなど、クラス超えた豪華さ自慢である。 2013年9月フランクフルト・モーターショーにて後期型発表後期型 リア インテリア

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初代(X253・C253)

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メルセデス・ベンツ・GLCクラス」の記事における「初代(X253・C253)」の解説

GLCクラス2015年6月17日発表された。GLCクラスは、いわばCクラス(W205・S205・C205)のSUV版である。Cクラスとしてはセダン・ステーションワゴン・クーペに続く第4のボディ位置付けとなっている。ダイムラー2015年からメルセデスブランドにおいて一部車種車名変更をすることになり、唯一SUVであるGクラスを除くSUV車種にはGL付き最後に車格を表す「S」、「E」、「C」が付くことになり、GLCはその法則準じたのであるCクラスと同じプラットフォーム採用エクステリアインテリアCクラス(エクステリアのみS205・Cクラスステーションワゴン)に準じたデザインとなっている。ボディサイズ全長4,660mm×全幅1,890mm×全高1,645mm、ホイールベースは2,870mmとなっておりとなり、先代GLKからサイズ全長100mm全幅は50mm拡大され全高は25mm低められた。ホイールベースは115mm伸ばされた。これにより座席スペース拡大、ラゲッジスペースの拡大寄与している。なおW205・Cクラスセダンと比較する全長は30mm短く全幅は80mm広くホイールベースは30mm伸びている。 駆動系では4輪駆動王道であるトランスファー搭載するパーマネント式4輪駆動で、駆動配分左ハンドル仕様車は前後4555右ハンドル仕様車は前後3367である。変速機ガソリンエンジン仕様変速機9段の「9Gトロニック」を搭載後述のプラグインハイブリッドモデルの「GLC350e」には7段の「7Gトロニックプラス」が搭載される。走行モードは「ECO」、「Comfort」、「Sport」、「Sport+」、「Individual」(インディビジュアル)のモード選べるドイツ本国でのラインナップは2.0L直列4気筒ターボの「GLC250 4MATIC」、同型エンジンだがチューニング異なり高出力タイプの「GLC300 4MATIC」、2.1Lディーゼルの「GLC220d 4MATIC」、同型エンジンだがチューニング異なり高出力タイプの「GLC250d 4MATIC」、2.0L直列4気筒ターボエンジンにプラグインハイブリッドシステムを組み合わせた「GLC350e 4MATIC」、メルセデスAMG仕様で、3.0L V型6気筒ツインターボメルセデスAMG設計監修しメルセデス社内生産されるエンジン搭載するメルセデスAMG GLC43 4MATIC」が用意される米国仕様車は、発売当初より「GLC300」(2.0L直列4気筒ターボ高出力タイプエンジン搭載後輪駆動ならびに4MATIC)が用意されている。 また、派生モデルとして、クーペ仕様GLCクーペ用意されている。外観はフロントホイールから始まるドロッピングライン、ボディ下部緩やかに上昇させ、実際よりも長く見せ効果を持つカウンターライン、高い位置配してサイドウィンドウの高さを視覚的に低く見せベルトライン3つのサイドライン構成されサイドビューとし、フロントの「ダイヤモンドフロントグリル」はGLEクーペなどのスポーツモデル同様にシングルルーバーにスリーポインテッドスター一体化させたデザインとし、フロントグリル下のバンパーにはAウイング大型エアインテーク採用クロスオーバーSUV特有の要素としてフロントオーバーハング短めにし、アンダーガード備えている。リアデザインはクーペ特有のデザインとなり、バンパーはエグゾーストエンドと一体化しアンダーガードディフューザー形状とした。また、Sクラスクーペ初め導入された細い分割型のリアコンビネーションランプ、中央配置スリーポインテッドスターシャープ形状のスポイラーリップはGLCクーペにも採用されている。 直接的なライバルBMW・X3アウディ・Q5ポルシェ・マカンレクサス・NXとされる

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初代 (2002年-2014年)

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ボルボ・XC90」の記事における「初代 (2002年-2014年)」の解説

プラットフォームS80や他の大型ボルボ車に使われているボルボP2プラットフォームであり、S80同じくエンジン直列5気筒直列6気筒ガソリンエンジンを横置きする。当初用意された直5はシングルターボ直6ツインターボであった

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初代 (2001-2011年)

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キア・ピカント」の記事における「初代 (2001-2011年)」の解説

同社小型乗用車「ヴィスト」(Visto )の後継モデルとして登場台湾では「ユーロスター」(Euro Star )の車名販売されている。 2008年1月にはビッグマイナーチェンジが行われた。これは韓国内での軽車日本軽自動車に相当)基準が800ccから1,000ccに緩和されるのに合わせたものであり、以後軽自動車として扱われるようになった。これによってそれまで韓国内軽自動車市場独占していたGM大宇・マティスが、韓国車として史上初の純粋な意味での値下げ断行したという。 マレーシア仕様車は2006年11月ナザによる現地生産および同社ブランドでの販売切り替えられた。その際車名ピカントから「スリア」(Suria )に変更されたが、2009年10月投入されフェイスリフト版では再びピカント車名戻された。

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初代(2002年 – 2008年)

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ポンティアック・ヴァイブ」の記事における「初代(2002年2008年)」の解説

2002年1月販売開始2005年マイナーチェンジ実施

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初代(1955年–1959年)

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ダッジ・ランサー」の記事における「初代(1955年1959年)」の解説

カスタムロイヤルランサーは、1959年ダッジハードトップ最上位モデルだった。1959年製造された2ドアハードトップは6,278、4ドアハードトップは5,019で合計11,397のカスタムロイヤルランサーが製造された。 搭載されエンジンは、ビッグブロックV8エンジン搭載し、5.9Lで309PSを発生した

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初代(2005年)

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三菱・コルトEV」の記事における「初代(2005年)」の解説

2005年5月11日 - 後輪インホイールモーター搭載した実験車として開発される

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初代(1939-49年)

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クライスラー・ニューヨーカー」の記事における「初代(1939-49年)」の解説

1938年クライスラー・インペリアルのパッケージオプションとして登場好評のため翌年から正式モデルとして独立

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初代 (2012-2019年)

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ビュイック・アンコール」の記事における「初代 (2012-2019年)」の解説

2012年1月北米国際オートショーにてワールドプレミアされた。 オペル・モッカ/モッカXとシボレー・トラックス(ホールデン・トラックス)は姉妹車であり、外観デザインは各ブランド趣向合わせて変更受けているものの、基本的なメカニズム共有する生産韓国韓国GM担当2016年には改良施され最新ビュイック車共通のイメージ有するフロントマスクに刷新された。

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初代(2001年-2014年)

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オペル・ヴィヴァーロ」の記事における「初代(2001年-2014年)」の解説

ルノーではトラフィックとして販売されている。2001年販売開始されパネルバンバスバンモデル存在するエンジンディーゼルエンジンガソリンエンジンがあり、2種類ホイールベース2種類全高モデルラインアップされている。 オペルおよびボクスホール傘下有するGMと、ルノーとの合弁生産されており、ルノー傘下日産自動車でもプリマスターとして販売されている。 イギリスGMMルートンおよびバルセロナ日産モトール・イベリカ生産される

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初代(1981年-1986年)

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ダイハツ・アトレー」の記事における「初代(1981年-1986年)」の解説

エンジン2気筒AB型エンジンから、1985年昭和60年)にミラクオーレ採用されていたEB型アトレー用に変更して搭載している。660 cc化された際に、EB型ベースにしたEF型変更された。エンジン位置先代からの継続で、フロントシート下(キャブオーバーレイアウト)となるが、ラジエーターシート下からフロントバンパー裏へ移動しエンジン前寄りとしたことでリア足元エンジンルーム張り出し少なくしている。4WD副変速機付きパートタイム4WD採用したパートタイム4WDはオートフリーホイールハブを採用し利便性向上したボディデザイン見栄え重視の、流麗なスタイル採用している。リアドアウィンドウは小型車含めた1BOXで初の下降式を採用、窓の上下幅広げており室内開放感高かったが、スタイル重視が仇となり、室内先代より狭くなっている。大型ガラスサンルーフのコスミックルーフ、フロントガラスサンルーフを装備した車種もある。大型ガラスサンルーフは軽1BOXで初め採用された。後に電動スライド化される1986年昭和61年5月 - フルモデルチェンジ後退灯をリアランプから分離してリアバンパー右側に、リアナンバープレート位置テールゲートからリアバンパーそれぞれ移設1987年昭和62年) - オールタイム4WDSXターボ登場するオールタイム4WDセンターデフ付きパートタイム4WDで、副変速機能はないが、センターデフロック機能有している。現在この4WDシステム2WD機能省いてテリオスキッドビーゴ装備されている。 1988年昭和63年) - マイナーチェンジ行い異型ヘッドランプ採用。4MTモデル消滅MT車全て5MTとなる。ターボエンジンキャブレターのままであったが、出力向上したほか、オートチョーク変更された。内装色はボディカラー合わせたブラウン系とブルー系の2色から、グレー系に纏められた。 1989年平成元年) - 電動ガラスサンルーフ装備したターボFX、スポーティグレードのターボXX登場フロントバンパーステアリングホイールデザイン変更される外板色はツートーン選択が可能となった1990年平成2年) - 660cc新規化される1991年平成3年) - ターボ車がEFI化された。クルーズ系はカラードバンパーなどを装備し通常グレードよりも安価であったため、販売主力となった特装車としてアトレーデッキが登場したボディデッキバン同様で、装備ターボFXと同様である。 1992年平成4年) - 4WDNA車にAT車追加。350kgの積載可能なGX消滅し全車200kg積へ統一された。特別装備グレードカタログモデル昇格しグレード構成整理された。 1993年(平成5年) 12月-生産終了在庫応分のみの販売となる。 1994年(平成6年)1月 - 3代目入れ替わる形で販売終了

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初代(2013 - 2019年)

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アウディ・RS Q3」の記事における「初代(2013 - 2019年)」の解説

2013年3月5日ジュネーヴモーターショーにて初公開アウディQシリーズ初のRSモデルである。オフロード走行十分にこなせる150mmの最低地上高備えたSUVありながらサーキットでも通用する高い動力性能両立させている。2.5ℓの直列5気筒直噴ターボエンジン絞り出す270kW(367PS)、465Nmの高性能は、7速SトロニックトランスミッションとAudiならではのフルタイム4WDシステムquattro®によって4輪効率よく伝えられSUV常識覆す走りもたらすRS Q3採用する5気筒2.5ℓTFSI®エンジンは、1625rpmという低回転から465Nmの大トルク発生し、それが5550rpmまで続く。7速Sトロニックトランスミッションの俊敏な変速あいまって、270kW(367PS)を発生する6800rpm以上まで強烈な加速息長楽しめる英国自動車雑誌主催するエンジン・オブ・ザ・イヤーに7年連続輝いた2014年11月6日欧州にて改良モデル発表ベース車のQ3改良伴ってグリルヘッドライト改められた。エンジンチューニング調節され最高出力340ps、最大トルク45.9kgmに引き上げられた。その結果、0‐100km/h加速は4.8秒に短縮された。 2016年3月ジュネーヴモーターショーにて高性能モデルRS Q3 performance」を発表最高出力が367ps、最大トルクが47.4kgmに引き上げられ、0-100km/h加速4.4秒、最高速度は270km/h。

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初代(2000年-2006年)

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マツダ・トリビュート」の記事における「初代(2000年-2006年)」の解説

2000年11月発売開始当時親会社フォード・モーター共同開発した小型クロスオーバーSUVで、フォードからも姉妹車としてフォード・エスケープ2001年発売されている。プラットフォームモノコックであるが、セダンからの流用ではなくトリビュートエスケープのためにGFプラットフォームベース新規開発されフォード・CD2プラットフォーム呼ばれるものであり、フォード本社サイトではクロスオーバーではなくSUVジャンル分けしていたが厳密にクロスオーバーSUVである。両車の外観は非常に似通っているが、外板は全くの別物である。エンジン当初フォード直列4気筒2,000ccとフォードV型6気筒3,000ccの2種類用意直42003年マツダ製2,300ccに切り替えられた。 一時期映画サトラレ」・音楽アパレル業界タイアップし、「トリビュート・リンク」というプロジェクト立ち上げたことがあった。 トリビュート/エスケープ生産当初右ハンドル仕様マツダ防府工場で、左ハンドル仕様フォード米国工場行なわれていた。しかしながら日本市場では振るわずトリビュートについては2005年10月日本国内での生産を、翌年3月販売終了。翌2006年1月には防府工場でのエスケープ生産終了している。これにより日本でのマツダラインアップからSUV一時的に消えることになったが、2006年12月19日発売開始されたCX-7によってその穴が埋められた。 海外向けにはその後販売が行なわれたが、北米仕様車については2006年販売を一旦打ち切ったため、2007年モデル存在しない。またアジア太平洋仕様車は2006年2月フェイスリフトが行われてオーストラリアのメルボルンモーターショーで初公開された。生産台湾福特六和汽車集約され同年6月から完成車輸出開始された。この台湾では一部グレードが「マツダ・オシャレ」という名で販売されていた。この新型ヘッドランプフロントグリルバンパーなどが新デザインとなっている他、ギアシフトレバーがそれまでコラムからフロア変更されるなど、ダッシュボード周りにも変更加えられている。エンジンの変更はなかったが、燃費トルク特性の向上が図られた。その後オーストラリア市場では2007年からCX-7投入されており、トリビュート販売2008年終了したが、市場によっては2010年前半まで販売されたところもある。

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初代(2001年 - 2006年)

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ダイハツ・チェリア」の記事における「初代(2001年 - 2006年)」の解説

2000年ダイハツ・ミラ3代目ベースとしてインドネシア販売開始2006年販売終了後期型 フロント 後期型 リア

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初代 (2011-2016年)

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ビュイック・ベラーノ」の記事における「初代 (2011-2016年)」の解説

2011年1月北米国際オートショー発表され同年末に発売開始した1998年販売終了したスカイラーク以来ビュイック北米市場投入する最初小型車となる。中国2010年6月発売されビュイック・エクセルGT北米版にあたるが、ボンネットフードのクロムのポートホールや内装木目調パネルなど、アップグレード図られている。 車台シボレー・クルーズオペル・アストラJ(ビュイック・エクセルXT)などと共通のGMデルタⅡプラットフォーム採用されるエンジン中国向けエクセルGTとは異なり直噴版のエコテック2.4L 直4搭載される。最高出力最大トルクそれぞれ180hp@6700rpm、171lb·ft@4900rpmである。トランスミッション6速ATのみで、燃費市街地が21MPG、高速が31MPGとなる。 ベラーノの製造ミシガン州オリオンタウンシップにあるオリオン組立工場において行われる

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初代 (F22/F23/F45/F46)

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BMW・2シリーズ」の記事における「初代 (F22/F23/F45/F46)」の解説

クーペ(F22)、カブリオレF23)、アクティブツアラー(F45)、グランツアラー(F46)があるが、ボディタイプにより駆動方式異なる。

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初代(T190G/V型 1992年-2002年)

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トヨタ・カルディナ」の記事における「初代(T190G/V型 1992年-2002年)」の解説

ワゴン:1992年 - 1997年 カルディナ1989年登場したスバル・レガシィ大ヒット刺激され商用バンではないステーションワゴンとして1992年11月登場10代目(T190型)コロナベースに、乗用モデルエンジン4S-FE型(1,800cc・125ps)と、3S-FE型(2,000cc・140ps、4WD仕様は135ps)のハイメカツインカム、2C型2,000ccディーゼルエンジン(73ps、後期型は2C-T型2,000ccディーゼルターボエンジン・88ps)を搭載する商用モデルであるカルディナバンにもディーゼルエンジンラインアップされている。ガソリンエンジンは5E-FE型(1,500cc・94ps)。バン最大積載量は500kg(ただし4WDは400kg)。なお、積載性能コスト考慮し足回りリヤ)はワゴンストラットからリーフに、そしてホイールハブは5穴から4穴変更されている(PCD100は同じ)。スカイキャノピー装着車全高1,555ミリメートル当時ステーションワゴンとしてはかなり高い部類だが、実態はただ膨らんだだけのサンルーフのような装備のため、室内高通常仕様と変わるところはない。またスカイキャノピーには当時流行していたルーフレール設定されず、社外品のスキーキャリアだとうまく取り付けできない場合もある。 1995年2月、「TZ-G」グレード追加3S-GE型スポーツツインカムエンジン(2,000cc・175ps、AT仕様は165ps)が搭載された。なお、このグレード4WDのみの設定であった1996年1月後期型マイナーチェンジインパネ11代目コロナプレミオT210型)と同一のものに、1,800ccのエンジン4S-FE型から7A-FE型(115ps、リーンバーンエンジン)に変更された。また、前期型設定されていたグラスルーフ仕様の「スカイキャノピー」に代わって、大型サンルーフ装備したエアリアルAERIAL)」が設定されている。エアリアル専用装備としてマルチリフレクター式の前後レンズ備わった(これは後に特別仕様車にも採用された)。ヨーロッパでは「カリーナE」の名前で発売された。 1997年8月生産終了在庫応分のみの販売となる。 1997年9月2代目入れ替わる形で販売終了。なお、カルディナバンは2代目モデルチェンジ後も2002年7月1日まで初代モデル(T190V型)を継続販売していた。1999年8月マイナーチェンジディーゼル3C-E型2,200ccディーゼルエンジン換装、更に4WDガソリンエンジン3S-FE型、2,000cc)が追加された(ATのみ)。同じくトヨペット店扱いであった最大積載量400kgのマークIIバン代替需要見込んでいたとされるが、マークIIバンFR堅牢性求め顧客や、マイカー商用車兼ね個人商店官公庁需要根強く1997年モデル廃止まで併売され、本車統合された。これらの販売上の後継車として、初代ヴィッツプラットフォーム用いたサクシードとして独立することになるが、ヴィッツプラットフォーム用いた関係上、サクシード最大積載量マークIIバンとカルディナバンの中間となる450kg(2014年のビッグマイナーチェンジまで。4WDは400kg)となった最大積載量500kgのライトバン1999年のクラウンバンのモデル廃止以降カタログモデルとして存在しない発売当時日本ではかつてないRVブームとなっていたためか、バックドアスペアタイヤ背負った特装車「フィールドハンター」が存在する全長長くなるため3ナンバー登録となる)。元々はスプリンターカリブ設定されていたが、後にカルディナにも設定されたものであるバンローライダーカスタムを好む層に一時期人気があった。 リア輸出仕様カリーナE) 後期型 TZエアリアル 後期型 TZエアリアル リアバン

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初代(MK型、2006年-2017年)

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ジープ・コンパス」の記事における「初代(MK型、2006年-2017年)」の解説

2006年1月北米国際オートショー発表され同年5月30日生産開始された。プラットフォームには、ジープ・パトリオットと共通のクライスラーMKプラットフォーム採用された。 他のジープ踏襲したスタイリングジープ・パトリオットとは異なりトヨタ・マトリックス対抗したハッチバックスタイルのスポーティーなデザインなされている。 エンジンは、GEMAによって設計され直列4気筒 2.4Lエンジンと2Lエンジン採用され豪州および欧州向け輸出車両にはフォルクスワーゲン製の2Lディーゼルエンジン搭載。 なお、後期ヘッドライトグランドチェロキー4代目WK型)のものを流用している。 生産イリノイ州ベルビデーレで行われている。 2012年3月3日日本国内にて正式発売された。用意されるのは2LのFFモデルリミテッド1種類のみ。 2013年5月24日、小改良7月13日より発売開始)。パトリオット廃止を受け、2.4L+4WDの「リミテッド」を追加従来FFモデルは「スポーツ」に改名し一部装備厳選した上で価格引き下げたトランスミッション全車新開発6速パワーテックオートマチックを採用2013年8月3日、2.0L・FFの「スポーツ」をベースにクロームパーツやグランドチェロキー採用されるサドルタンレザーシート、18インチクロームアルミ等を装備したリミテッド クローム」を150限定販売開始ボディカラーは「ブラッククリアコート」のほか、コンパス初登場となる「ラギッドブラウンパールコート」を用意する価格税込み300万円

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初代(KV-II型、1998年-2005年)

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キア・カーニバル」の記事における「初代(KV-II型、1998年-2005年)」の解説

1998年登場全長約4.9mの大柄なMPVである。「カーニバル」の名称は韓国欧州豪州などで用いられ北米および英国ではセドナSedona )の名称で販売された。搭載されエンジンは、2,497ccのV6DOHCで、5段マニュアルもしくは4段オートマティック組み合わせたまた、マレーシアではキア販売行なっているナザ生産され、「ナザ・リア」(Naza Ria )の名称で国産車として販売されている(もっとも外観上の違いバッジグリル程度にすぎない)。なお、韓国ではマイナーチェンジで「カーニバルII」の名称になっている日本では2000年版の「輸入車ガイドブック」 (日刊自動車新聞社) に「輸入予定車種」として掲載されたが、結局導入されなかった。 初代カーニバル後期型

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初代(1998年度)

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小梅伍」の記事における「初代(1998年度)」の解説

初代メンバーは、本名フルネーム呼ばれることが少なかった麻生里美(あそう さとみ、1980年2月13日 - 、愛称「あっそー」) 江崎智賀子(えざき ちかこ、愛称「あねご」) かねもと かよ(表記不明通称「かよ」) 広津佑希子(ひろつ ゆきこ、1980年5月22日 - 、愛称「ひろつ」) 豊後敦子ぶんご あつこ1979年6月22日 - 、愛称ぶんぶん」)- 現在の芸名ぶんごあつこ

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初代(新潟県道375号)

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国界橋」の記事における「初代(新潟県道375号)」の解説

1936年完成それまで使用されていた猫鼻経由するルート姫川増水のために何度も流失したことに伴い葛葉峠経由ルート変更されたために建設された。 1953年5月18日二級国道148大町糸魚川線長野県北安曇郡大町(現大町市) - 新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市))として指定1965年4月1日一般国道148号となる。 1994年新橋完成に伴い国道から新潟県道375号平岩停車場蒲原線降格1995年7.11水害土石流災害により小被災新橋流されたため、修復行いながら国道迂回路として機能する

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初代(1971年-1973年)

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ダッジ・コルト」の記事における「初代(1971年-1973年)」の解説

初代コルト・ギャランのバッジエンジニアリング車両として1970年71年モデルとして登場ボディタイプ2ドアクーペ、2ドアハードトップクーペ、4ドアセダン、5ドアワゴンの4種類エンジンは1597ccの4G32を搭載したサスペンションフロントマクファーソンストラットリアライブアクスル採用したオーソドックスFRであったトランスミッション4速MT標準で、オプションとして3速ATも設定されていた。エンジン当初101PSとされていたが1972年測定方法グロス値からネット値に変更したため84PSに変更された。1973年には、ラリーストライプ、スポーツホイール、センターコンソールなどを装備したGTハードトップクーペが追加された。ダッジコルト同時期に販売されていたAMCグレムリンフォード・ピント、シボレー・ベガに対すクライスラー対抗モデルであった同時に三菱自動車輸入モデルでもありトヨタ・カローラホンダ・シビックダットサン1200等の日本車勢と直接競合もしていた。

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初代(DE型、2016-2021年)

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キア・ニロ」の記事における「初代(DE型、2016-2021年)」の解説

2013年開催されフランクフルトモーターショーにてワールドプレミアデザインキア欧州部門担当した2016年2月11日(現地時間)にシカゴモーターショーで初披露された。 プラットフォームヒュンダイ・アイオニックと共通である。また、アイオニック同様、純ガソリン車最後まで非設定であった。 まずは2016年に1.6Lカッパガソリンエンジン+モーターハイブリッドとして登場し2017年5月プラグインハイブリッド、翌2018年EV追加した

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初代 (2012年-2018年)

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キア・K9」の記事における「初代 (2012年-2018年)」の解説

2012年3月6日、「K9」(ケイ・ナイン)の名でジュネーブモーターショー12にて公開された。同年4月9日より韓国国内において予約受付開始する同時にK9搭載する新技術発表された。その新技術とは「後方側方警報システム」、「電子式変速レバー」、「走行モード統合制御システム」、「車両統合制御システム」、「アラウンドビューモニタリングシステム」、「12.3インチフルサイズカラーLCDクラスター」、次世代情報提供サービス”UVO”が搭載された「9.2インチDISナビゲーション」、「ヘッドアップディスプレー」、「アダプティブフルLEDヘッドランプ」の9点である。駆動方式エンタープライズ以来となるFR採用2012年5月2日 韓国市場で「K9」として発表2008年に「KH」のコード名着手以来、5200億ウォンをかけて開発された。エクステリアデザイン躍動感与えるため、エクウスよりもトランク部分相対的に短くなっている。ベースこそエクウス同じだが、エンジンヒュンダイ・ジェネシスと共通のV6・3.3L、V6・3.8Lの各GDi搭載また、LEDヘッドランプ」の採用量産韓国車では初である。

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初代(2004-2007年)

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キャデラック・CTS-V」の記事における「初代(2004-2007年)」の解説

2003年CTS発売され翌年2004年コルベットC5に搭載される5.7L V型8気筒「LS6」を搭載してCTSラインナップ追加された。CTS-Vは欧州製のスポーツセダンに対抗するため、エンジンだけでなく足回りまで徹底的に見直されており、その走り従来型キャデラック比べてもかなり高水準まとまっている。実際海外ドラッグレースではBMW M5などの高性能ドイツ車勝利している。 エンジンは元々、コルベットC5に搭載される「GM LS6」という5.7L V型8気筒エンジン搭載されていたが、コルベットがC6にモデルチェンジしたため2006年にはエンジンも6.0L V型8気筒GM LS2」に変更された。 ベース車とはあらゆる点で差別化図られており、高性能パーツ多用されている。エンジン載せ替えた他に高剛性アンチロールバー搭載されスプリングレート高くなり、ショックアブソーバーもより高性能なものに交換されている。ブレーキは約14インチブレーキディスクと4ピストンキャリパー備えたブレンボ製の物が前後搭載される。トランスミッションは、トレメック製6速マニュアルトランスミッションのみが設定されており、燃料消費抑えるため1速から2速及び3速への変速を防ぐスキップシフト機能搭載されている。 外見上の変化としては、フロントグリル専用のメッシュタイプに、フロントバンパー専用品に変更されている。また、ホイールパターン変わらないインチアップされている。 0-60マイル(約96Km/h)加速4.6秒、0-400m加速は175Km/hで13.1秒、最高速度公称値で262Km/hである。またドイツニュルブルクリンクでは8分19秒のラップタイムマークした2007年ベース車のモデルチェンジのため販売終了した。

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初代(1955-1957、クラシック・バーズ、リトル・バーズ)

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フォード・サンダーバード」の記事における「初代(1955-1957、クラシック・バーズ、リトル・バーズ)」の解説

第1世代は、1954年デトロイト自動車ショー登場し1955年初年目標10,000台に対し16,000台以上を販売した。この車は標準取り外し可能なグラスファイバー製のハードトップ装備していた。ファブリック製のコンバーチブルオプション設定であったエンジンは292YブロックV8で、排気口を2ピースリア・バンパーの間に取り回していた。1956年モデルは、スペア・タイヤ車外トランク外側)に取り付けられ、トランクスペースが拡大したまた、排気口はバンパー・エンドに位置変更された。また、車内換気上のため、前輪後ろ通気口設けられた。また、後部視認性上のため、ハードトップに「ポートホール」と呼ばれる窓が無償設定された。また、この年、312YブロックV8エンジンオプション設定され、販売1万5千台を上回った1957年は、過激なスタイリング一新された。フロントバンパー形状変更グリルテイルフィン延長されて、大型テール・ライト装備された。スペア・タイヤは再び車内収納され垂直に収納できるように設計成された。エンジン292312用意されていたが、312には更にチューン施され、数台のスーパーチャージャー仕様生産された。この年販売2万1千台を越えた1957年型がフォードとしては最後の2シーターモデルとなり、1982年小型スポーツカー販売されるまで、製造されることはなかった。

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初代(SP型、2019年-)

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キア・セルトス」の記事における「初代(SP型、2019年-)」の解説

セルトスは、インド・アーンドラ・プラデーシュ州アナンタプルにある工場年間30台を生産している。 2019年6月20日に、インド発表された。 同年7月18日韓国にて発売開始した同年8月22日起亜自動車インド市場参入する際に最初のモデルとして投入され発売前の契約では約32000件の予約入っていた。 同年11月フィリピンにて発売開始した2020年1月20日に、インドネシアでの販売開始し同年には電気自動車タイプ販売予定している。 セルトスは、7月から11月までに累計4649台を販売している。韓国では、小型SUVとしては最短となる、発売開始後5か月国内累計販売台数が3台を突破したインドでは11月1万4,005台を販売し同国における11月販売され乗用車のうち、単一モデル基準で4位となる、5.3 %を占めた

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初代(2013年 - 2018年)

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ホンダ・クライダー」の記事における「初代(2013年 - 2018年)」の解説

2013年4月20日上海モーターショーにて発表され同年6月26日より中国販売開始した。 クライダーは2012年北京モーターショー出展された「Concept C」の量産車相当する車種であり、中国市場向けに中国人スタッフ主体となって開発が行われた。 広汽ホンダラインナップにおいてシティアコードの間を埋め車種である。 外観は龍をモチーフデザインされている。シティより全長が210mm長く全高も1,500mm超と高めにとられており、広い室内空間588リットルのトランクスペースを得ている。 エンジンは1.8L R18A型直列4気筒SOHC16バルブガソリンエンジンで、最高出力102kW/6500rpm、最大トルク172N-m/4300rpmを発揮する。国IVおよび京V自動車排出ガス規制クリアしている。トランスミッション5速MTまたは5速AT(前期のみ)で、燃費MT車は6.5L/100km、AT車は6.7L/100kmとなる。

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初代 (2019年-)

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キャデラック・XT6」の記事における「初代 (2019年-)」の解説

2019年7月5日発表された。エンジンは、最大出力310hpの3.6リットルV型6気筒ガソリン自然吸気エンジン搭載される。

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初代(1978年-1983年)

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三菱・ミラージュ」の記事における「初代(1978年-1983年)」の解説

ハッチバック 1978年-1983年セダン 1982年-1983年エンジンは、横置きのSOHC直列4気筒ガソリンエンジンのみで、排気量は1.2L(オリオンG11B) と1.4L(オリオン・G12B)で、後に1.6L(サターン80・G32B)が追加された。また、初代のみの特徴としてチルトボンネット採用している。マニュアルトランスミッションは、スーパーシフト呼ばれる2速の副変速機を持つことが特徴であり、主変速機合わせ、4×2速の8速として使用できた。ミラージュは、エンジントランスアクスル配置の関係から、トランスアクスルへの入力エンジン本来の回転方向逆転させる必要があり、副変速機は、そのために設けられギア利用している。サスペンションは、フロントマクファーソンストラットリアミラージュ独自のトレーリング式U字型サスペンション呼ばれるトレーリングアーム式の4輪独立懸架採用したスプリングは、前後ともコイルスプリング用いる。 エクステリア張りのある曲面構成したシンプルクリーンなスタイリングで、ボディ表面凹凸極力無くしたフラッシュサーフェス 処理を当時大衆車としては世界でいち早く取り入れたまた、細いピラーと広いガラス面積近代的なイメージとしている。発表翌年第49回ジュネーブ国際モーターショーではモスト・ビューティフル賞の3ドア部門で1位となった。このデザイン米国アートセンター・カレッジ・オブ・デザインへの留学経験を持つ社内デザイナー大島雅夫によるもので、「青いリンゴ」の若々しいイメージから発想したものと言われるボディカラーイエローイエローグリーンなどの鮮やかな色を主体とし、当時国内で流行していたホワイトはあえて低価格車のみとした。尚、大島デザインした3ドアハッチバックを元にして派生した5ドアハッチバックは沢一也、4ドアセダン江口倫郎と青木秀敏のデザインであったライト類やワイパースイッチレバーではなくインパネ左右にスライドスイッチ式のものを配置マイナーチェンジロータリー式となってステアリングコラム左右に位置変更され2代目まで踏襲された。 ミラージュ発売合わせ新規ディーラーとしてカープラザ店展開され映画未知との遭遇』とのタイアップや、日本テレビ組んでアメリカンフットボール試合である「ミラージュボウル」の開催によるプレキャンペーンを行うなど、大規模なプロモーション展開実施した

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初代(1990年 - 1996年)

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サターン・Sシリーズ」の記事における「初代(1990年 - 1996年)」の解説

デビュー1990年で、まずSCSLラインナップされた。その後デトロイトショーでSW発表翌年より販売開始したそれぞれのモデルにはSOHC搭載され、それに5速MTまたは4速ATが組み合わされた。SCSLSW1993年マイナーチェンジし、DOHC搭載モデル追加された。SOHC搭載モデルはSC1、SL1、SW1へと、DOHC搭載モデルSC2SL2、SW2へとそれぞれ名を変える。また1995年にはバンパー外装一部デザイン変更したマイナーチェンジが行われた。 Sシリーズ燃費のよさと当時市場要求されていたニーズ合致したため瞬く間大ヒットとなり、アメリカ製FF小型車けん引役として市場大きく貢献した1995年まで生産され2代目へとモデルチェンジした。

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初代(2012年-)

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プジョー・208」の記事における「初代(2012年-)」の解説

2012年3月ジュネーヴモーターショー発表欧州では9月20日に計8グレード発売開始された。 開発コードは“A9”。“RE-GENERATION”(再生)をキャッチフレーズに、Bセグメントに於ける新しプジョーを示す位置付けとなっている。プラットフォーム207から引き続きPSAの「PF1」を継続して採用するためホイールベース同じだが、4輪をさらにボディの隅へ配置オーバーハングフロント75リア10短縮し全長4m以内に収まる。トレンド倣いダウンサイジングしているが、室内は膝前+50mm、荷室+15Lと拡大された。広範囲渡り高張力鋼板超高張力鋼板、新開発アルミ製の構成部品多用し100kg以上もの大幅な軽量化達成している。 208登場により207販売終了するが、新興国など一部地域では引き続き販売される。このことは長期保有ユーザーにとっても部品確保の点で有り難いことである。206207登場後しばらくの間欧州始めとして日本でも併売されていた。

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初代(2013年-)

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プジョー・2008」の記事における「初代(2013年-)」の解説

2012年9月パリモーターショーにてコンセプト出展2013年1月7日市販型概要発表され3月ジュネーヴモーターショー正式に公開された。 2008は(三菱自動車工業からのOEM車種を除けば)3008に続いてプジョー2番目となるSUVであり、208ベース開発されている。2008プジョー初めヨーロッパ中華人民共和国南アメリカ従業員同時に設計・開発携わった車種である。 生産フランスミュルーズ工場にて行われヨーロッパ以外にもトルコオーストラリア南アフリカ共和国日本ロシアにも輸出されるまた、中国向け武漢工場で、南米向けはブラジルのポルト・レアル工場生産が行われる予定である。 2008販売好調で、発売2か月ヨーロッパ全体2万6,000台以上を受注したこのためミュルーズ工場では増産踏み切ることになった当初310台/日から10月半ば時点で615台/日に倍増する発売開始から1年経たない2014年2月14日には累計生産台数10万台に到達した2014年4月1日には再度増産(860台/日)が発表された。この時点累計受注台数12台を超えている。日本においても人気で、2018年にはプジョー国内販売の約14%を占めている。

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初代(1977年-1988年、1989年-1995年)

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フィアット・フィオリーノ」の記事における「初代(1977年-1988年1989年-1995年)」の解説

最初のフィオリーノはフィアット・127 シリーズ2後部に高さ1.3メートル (4 ft 3 in)の箱状の荷室載せた「ハイキューブ」(high-cube)デザイン車であり、この後幾つかのヨーロッパ自動車メーカーがこれを真似た1977年11月初めに発売され1980年フェイスリフト受けたエンジンフィアット・127と同じものを使用していた。第1世代のフィオリーノはブラジルミナスジェライス州アルゼンチンコルドバにある工場生産された。ピックアップトラック版はブラジルで「フィアット・147 シティ」(Fiat 147 City)と呼ばれた

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初代(2009年 - 2016年)

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奔騰・B50」の記事における「初代(2009年 - 2016年)」の解説

2009年5月16日販売開始された。B70下位車種であり、フォード・CD3プラットフォーム共有する全長全高短縮されている。パワートレーンフォルクスワーゲン車からの転用となり、エンジンは1.6L(最高出力76kW@5,600rpm、最大トルク145N·m@3,800rpm)のみ、トランスミッション5MTおよび6ATとなる。B70同様、内外装デザインイタルデザイン・ジウジアーロ担当している。 また、2009年の上モーターショーではハイブリッド仕様出展された。B50HEVはCA4GA1H型1.5Lエンジンに2モーター方式ハイブリッドシステム組合せられている。 改良型 改良型

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初代(5N、2008年-2016年)

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フォルクスワーゲン・ティグアン」の記事における「初代(5N、2008年-2016年)」の解説

2008年9月3日日本仕様発表され、同30日販売開始した近年SUVニーズ呼応するかたちで、同社のミッドサイズSUVであるトゥアレグに続く第2弾目のSUVとして登場したサイズ的にはベースとなったゴルフ近く大型サイズであるトゥアレグとは違い、本モデル全体的にコンパクトになっている本国ではオフロード走行視野入れたグレードトラック&フィールド」とオンロード寄りグレードスポーツ&スタイル」が用意された。「スポーツ&スタイル」はフロントバンパーがエアロタイプでリヤウイングがつき、ホイール1インチ大径化されサスペンション設定ストリート指向設定となっている。日本では最初にオフロード寄りの「トラック&フィールド」を導入2009年3月に「スポーツ&スタイル」を導入同年10月13日に「R-Line」が導入されており、発売開始から1年で3,200台を超える台数売り上げたメカニズム的には様々な路面状況走行状態に応じて安定した走り披露する4WDシステム「4MOTION」(フォーモーション)をはじめ、ブレーキ自動制御一定速度坂道を下る「HDA」(ヒル・ディセント・アシスト)、スロットル特性設定オフロード向き切り替えるスイッチや、スイッチオンにすることで、ブレーキペダルから足を離してブレーキング状態を維持し渋滞道での運転者負担軽減する「オートホールド」機能搭載されている。また、前後バンパー路面干渉しらいようロードクリアランス配慮されデザインのものを採用している。 パワーユニットドイツ本国では3種類のTSI(150PS、170PS、200PS)と2種類TDI(140PS、170PS)を搭載する日本仕様パワー経済性環境面秀でたターボチャージャーガソリン直噴エンジン2リッターTSI(170PS・トラック&フィールド、200PS・スポーツ&スタイル及びR-Line)にティプトロニック6速ATを組み合わせた仕様のみとなる。このTSIエンジン欧州2008年施行された「Euro-5排ガス基準」に対応する性能持っているリアシート6040分割可倒式でリクライニングスライドも可能である。同時にフロントシートより着座位置が高い設定とすることで開放感高めている。荷室は5人乗車で470L、最大で1510Lである。また、装備面ではバイキセノンライト、パサートにも採用されている新システムオーディオ、エレクトロニックパーキングブレーキなどが標準装備されている。

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初代(1996年-2017年)

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三菱ふそう・スーパーグレート」の記事における「初代(1996年-2017年)」の解説

1996年6月5日 - ザ・グレート後継として登場KC‐F#系。CM当時浦和レッズ司令塔だったギド・ブッフバルト(元監督)を起用翌月トラクタシリーズを追加。4軸低床車のFSこれまでの異径ではなく、第1軸のタイヤを第2軸以降と同じ19.5インチタイヤ変更し日本大型トラック初めて総輪同径の4軸低床車を実現したこれまでFT同じだった第1軸の位置前進し、22.5インチタイヤを装着する前輪1軸車と同じ位置変更した。これにより使用するタイヤ1種類統一でき、スペアタイヤを1個にする事で軽量化つながっている。第1軸の位置通常の前輪1軸車と同じ位置変更したことからコーナリング性能向上し最小回転半径縮小している。前期型であるKCは低キャブ仕様があり、Fバンパーの上部のが太い物と細い物の2種類があった。標準キャブ車は前者、低キャブ車は後者装備していた。FP-Rセミトラクタ)にウェッジフルエアブレーキ採用前照灯普通車を含む日本初ディスチャージヘッドランプ採用1998年3月 - 一部改良FVウェッジフルエアブレーキ採用2000年 - マイナーチェンジ平成11年排出ガス規制適合KL‐F#系。従来オプションだった運転席エアバッグ標準装備にし、FVFP-R以外のブレーキウェッジフルエアブレーキ変更アウターミラーをスーパーミラーに変更V8ショートキャブ車登場エンジン新開発6M70型のほか、8DC11(330ps)、8M21型(370400、430ps)を設定フロントバンパーKCの上部が細い低キャブ用を流用し上部に黒いガーニッシュ全車装着したV8エンジン車の一部に低キャブ車が存続V8は左シュノーケルだが、直6は右シュノーケルとなる。 2001年6月 - ショートキャブ車に直6ターボ追加設定2001年12月 - ザ・グレート継続生産されていた構内専用車を18年ぶりにモデルチェンジ輸出仕様同様の角形4灯ヘッドライト採用し、安全窓とスーパーミラーが装備されない。 2003年1月6日 - 三菱自動車工業のトラック・バスカンパニー部門分社化し、三菱ふそうトラック・バス発足同時に製造・販売もふそうトラック・バス移管2003年5月-平成14年騒音規制対応させるために大幅マイナーチェンジ外観では速度表示灯廃止によりルーフ上(ハイルーフハイルーフ部のサイド面)にマーカランプを新設した。また、シャシー構造大幅に変更し低床以外のエアサスリーフ兼用の2バッグ式から4バッグ式に変更する低床車以外にオプションとして10スタッドISO規格タイプホイール設定する2003年8月-一部車両限定してクラス初の平成16年排出ガス規制新短期規制)を追加設定する。 2005年10月 - エンジン環境性能見直し全車種を平成16年排出ガス規制新短期規制)に適合させた。これに伴いV型エンジン廃止(低キャブ仕様消滅)。灯火安全基準などの保安基準変更対応するために、エクステリアデザイン見直したモデル発売トラクタにスーパーフルキャブ設定。スーパーフルキャブとは、ハイマウントキャブ仕様の名称であり、Fグリルを1段足し3段にしたデザイン特徴ヘッドライトのある段のグリルブラックアウトされ、スリーダイヤがフロントリッドからグリル付いたのも特徴である。フロントバンパーKC標準キャブ車用を流用したため、バンパー上部ガーニッシュは無い。この頃から3連のテールランプ配列変わり、ウインカーランプが外側に来るように変更された。2連のテールランプ従来のまま存置2007年4月23日 - ビッグマイナーチェンジ。BDGF♯系。構内専用車、除雪車一部海外向け除いてエクステリア/インテリアデザイン一新日産ディーゼル工業2010年2月1日よりUDトラックス)から尿素SCRシステム供給を受け、平成17年排出ガス規制適合トラクタ一部については、重量車燃費基準達成また、従来INOMAT加え、2ペダル式のINOMAT-II(7段)が設定された。ふそうの大型トラック初のバンパーライト専用車として採用したライト類は先行登場していたファイター後期型と共通である。サイレンサー装着取外し可)され、ブレーキバルブ排出音、ホイールパーク作動音が小さくなっている。スリーダイヤエンブレムが赤色からメッキシルバーに。 2007年10月1日 - グッドデザイン賞受賞(エアロエース・エアロクィーンと共に)。 2007年10月23日 - FUFSにハイウェイカーゴを追加ミッションメルセデス・ベンツの「PowerShift」をベースとしたノンシンクロ構造12INOMAT-II新たに採用。ハイトルク型の6M70T8エンジン搭載によりスーパーフルキャブ化。ファイナルギアを高速向けとし巡航時の低燃費化図った2009年11月 FT設定廃止、-新灯火規制適合させるために、キャブ上のマーカーを全ラインナップから廃止2010年4月22日 - マイナーチェンジエンジンをダイムラーグループ3社で共同開発した6R10型DOHC24バルブエンジン(国産クラス初)に換装INOMAT-IIはハイウェイカーゴで採用され12段に統合の上カーゴFP-R標準装備化(FV-Rの16INOMAT残置)。尿素SCRシステムUDトラックス製からダイムラーグループの「BlueTec」(DPF+SCR)に変更エンジン変更に伴いキャブを70mm嵩上げ(スーパーフルキャブ・ショートキャブは変わらず)。22.5インチホイールが従来の8スタッドJIS規格タイプ代わり10スタッドISO規格タイプオプションから標準装備変更(19.5インチホイールは8穴タイプ)。FPFRFWFV-P廃止し車種整理平成21年排出ガス規制適合し、さらに平成27年度重量車燃費基準達成本車種はその第1号となったまた、運転注意力モニター「MDAS-III」、衝突被害軽減ブレーキ車両挙動安定装置標準装備車種拡大圧縮開放ブレーキの名称が「パワータード」から「Jakeジェイクブレーキ」に変更されている。 2011年4月19日 - トラクタシリーズに重量品輸送適したセミトラクタのFV-Rをマイナーチェンジして追加2012年4月9日 - BOSブレーキオーバーライドシステム)およびESS(緊急制動表示灯)を全車標準装備また、LIMITED車(D WING)に新形状のドラッグフォイラーとリヤスポイラー標準装備一部車種除きエコカー減税対象となる。 2014年5月29日 - FP-R全車12INOMAT-II搭載単車、FV-R(基準仕様)をマイナーチェンジ、「スーパーグレートV」に車名変更フロントグリル内の車名エンブレム当初は「SUPER GREAT」のままだったが2016年モデルより「SUPER GREAT V」に変更)。「V」には「5世代目スーパーグレート」の他、「燃費パワーVictory勝利)を獲得する」という意味も込められている。フロントグリルがライトメタリックブルーに塗られているのがMCモデルとの違いである。6R10エンジン国内初となるアシンメトリックターボチャージャーを採用し全車平成27年度重量車燃費基準+5%達成ISSアイドリングストップ&スタート機構)を標準装備外装ではグリルバンパーブルー、ランプベゼルやミラーシルバーデザイン内装ではメーターパネルオールLED化され内装色の変更行われたオーディオ外部入力端子付きラジオ/CDプレーヤー全車搭載2014年12月1日 - 7段MT搭載単車、FV-R(基準緩和仕様)もスーパーグレートVに移行、フルラインアップとなる。全車型で平成27年度重量車燃費基準達成したのは大型トラックとしては初めて。FV-Rは16MT16INOMAT廃止し全車12INOMAT-II統一スーパーグレートKLFVミキサー車V8・低キャブ仕様バンパー上部とフェンダーゴムが細いのが特徴 スーパーグレートKLFS系。KCミラーバンパー上部ガーニッシュ有無等が異なスーパーグレートFU(ガスローリー)ショート&ハイキャブ仕様バンパーKCキャブスーパーグレートFS東京消防庁重機搬送車新短期規制適合車(PJ‐)。速度灯が無くなった他、ウインカー・フォグのコンビランプの入るガーニッシュ位置低くなっている。コーナーランプ横のオレンジリフレクタバンパー移動したのが特徴屈折はしご車KCFT系。ロールーフキャブ仕様スーパーグレートFW除雪ダンプカー尿素水タンクが無いためPJ-以前車両 スーパーグレートFP-RタンクローリースーパーグレートFV改造車)(海上自衛隊の20000L燃料給油車

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初代 (1998-2005年)

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セアト・レオン」の記事における「初代 (1998-2005年)」の解説

1998年発表フォルクスワーゲングループ傘下であるセアト二代目トレドが、4ドアセダン車名となり(先代トレド5ドアハッチバックセダンであった)トレドハッチバック版にレオンの名前をつけたことで初代レオン誕生した。これにより、二代目からのトレドと初代レオンは共にフォルクスワーゲングループのAプラットフォーム使用しトレドからの派生車種であったため初代レオン二代目トレド(A4/PQ34)は形式番号同一の「1M」である。 この車種セアト初めてのCセグメントモデルであるが、VWグループ傘下セアトにはゴルフノウハウや共通部品があり、技術的未成熟な点は特に見当たらない車種であった販売戦略的に同一セグメントフォルクスワーゲン・ゴルフなどよりスポーティなイメージ前面押し出している。後述の「Cupra R」等のモデル有るように、エンジンラインナップ多岐に渡り、ディーゼルエンジンモデルも用意されている。また131馬力上の車には6速MT標準装備され「Cupra R」などの上グレード車にはマルチリンク式サスペンション装備されている(その他の通常モデルトーションビーム)。デザインジョルジェット・ジウジアーロよるもの2006年5月生産終了した

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初代(1935年 - 1940年)

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シボレー・サバーバン」の記事における「初代(1935年 - 1940年)」の解説

1935年貨物バン乗用のキャリオール(Carryall)を設定し市販前提とした量産車としてシボレー・サバーバン登場した。このモデル同世代の1/2トン・ピックアップのフレームや、ボンネットキャブ流用していたが、全て金属製となったボディは、過去のウッディワゴンとは少し形が異なった3・2・3の3列8名乗車が可能で、背面には荷役乗降便利なように、観音開き、または上下開き跳ね上げ窓とテールゲート組み合わせ)のバックドア設けた

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初代(アーリーブロンコ 1966年-1977年)

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フォード・ブロンコ」の記事における「初代(アーリーブロンコ 1966年-1977年)」の解説

最初ブロンココンパクトなSUVで、ジープCJモデルジープ・チェロキー対抗して造られた。ホイールベース92インチ小型なサイズは、オフロード走行人気となった。(後にフォードコンパクトSUVは、フォード・ブロンコIIフォード・エスケープにその地位取って代わられる。)ブロンコは、アクセルブレーキ4輪駆動ピックアップトラックF-100のものを流用している以外は、フレームサスペンションボディのほとんどがオリジナル設計よるものである。初期エンジン170立方インチで、1969年パワフル性能がよく、より豪華な仕様シボレー・ブレイザー登場するまでは、スカウトジープ対抗していた。シボレー・ブレイザー登場に対してオプションエンジンとしてチャレンジャー289V8200馬力)と同302V8(205馬力)を用意したが、ブレイザー350立方インチ255馬力)にかなうものではなかった。1973年パワーステアリングオートマチックトランスミッション追加され販売台数伸ばしたが、それでもブレイザー半分程度でしかなかった。1974年頃には、より大きく快適な車となること、つまりフルモデルチェンジブロンコ求められ販売不振はさらに続いた

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初代(1997年-2001年)

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マーキュリー・マウンテニア」の記事における「初代(1997年-2001年)」の解説

エクスプローラーマーキュリー版として1997年デビューエクスプローラーとの違いとして、外装グリルバンパー、テールレンズのデザインの変更内装本革シートやウッドパネルの採用高級オーディオ装備など違いがある。メカニズムエクスプローラー基本的に変わらないエンジンは4,009ccV6SOHC及び5.0リッター搭載されているのもエクスプローラー同様である。1998年マイナーチェンジ実施し1997年モデルではエクスプローラーと同じであったヘッドライト形状が独自の形状のものへ変更された。

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初代 (GV-1SG/USB)

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SEG CLIP」の記事における「初代 (GV-1SG/USB)」の解説

USBコネクタスライドする構造になっているので、キャップ等の紛失の心配が無い。 ノートパソコン画面の縁部分添付品のクリップによって固定する事が可能だった

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初代 (1995-2010年)

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プロトン・ペルダナ」の記事における「初代 (1995-2010年)」の解説

1995年発売5代目三菱・エテルナベースとし、内外装小変更が施された。エンジン三菱自動車工業直列4気筒 2L 4G63型SOHC16バルブエンジンを搭載したまた、アンチロック・ブレーキ・システムクルーズコントロールなどをプロトン車としては初め装備したモデルとなった1997年にはマイナーチェンジが行われ、フロントグリルインテリアデザイン変更され同時にボディカラー追加された。 1999年には三菱自動車V型6気筒 2L 6A12型DOHC24バルブエンジンが新たに搭載された。直4エンジン搭載モデルもしばらくは併売されたが、2000年からV6エンジン搭載車のみのラインアップとなった2003年にはフェイスリフト施されフロントグリルバンパーなどのデザイン変更された。同時にリアドア部を25cm延長した「ペルダナV6エクゼクティブ (Perdana V6 Exective) 」が発売された。

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初代 (2016年-)

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ベントレー・ベンテイガ」の記事における「初代 (2016年-)」の解説

2015年9月9日ベントレーはベンテイガを発表したエンジンは6リッターW12ツインターボエンジンが搭載され最高出力は608ps、最大トルクは91.8kgm。基本コンポーネントとして、フォルクスワーゲングループの共通アーキテクチャーMLB Evoプラットフォーム」を採用している。同プラットフォームは、グループフォルクスワーゲン・トゥアレグポルシェ・カイエンランボルギーニ・ウルスアウディ・Q5アウディ・Q8アウディ・A4アウディ・A8使われている。基本構造FFベースの4駆であるが、後輪トルク分配しFRのような走破性を有している。 2018年1月12日V8エンジン搭載した「ベンテイガV8」を発表2018年3月5日。ハイブリッドパワートレインと外部からの充電機構を搭載した「ベンテイガ ハイブリッド」を発表2019年2月27日最高出力635psのエンジン搭載した「ベンテイガ スピード」を発表

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初代 (2003年-2010年)

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ベントレー・コンチネンタルGT」の記事における「初代 (2003年-2010年)」の解説

2002年モンディアル・ド・ロトモビルGTプロトタイプ発表2003年サロン・アンテルナショナル・ド・ロト量産型発表したエンジンフォルクスワーゲン製の6.0L W型12気筒エンジンツインターボ過給したもので、最高出力は560PS/6,100rpm、最大トルクは66.3kgm/1,600rpmである。 トランスミッションZFマニュアルモード付き6速AT、駆動方式AWDである。 内装天然木本革ふんだんに用いた豪奢なものとなっている。 2003年11月日本販売開始価格1990万円。 フライング・スパー 詳細は「ベントレー・コンチネンタル・フライング・スパー」を参照 2005年サロン・アンテルナショナル・ド・ロトGTの4ドアバージョンであるフライング・スパーを発表GTC 2006年ニューヨーク国際オートショー電動式ソフトトップ備えGTC発表同年10月日本でも発売された。価格は2395万円ソフトトップドイツカルマン制作しエンジンとトランスミッション駆動方式GT同一である。 GTスピード 2007年8月GTチューンアップした最速モデルGTスピード発表エンジン最高出力610PS、最大トルク76.5kgmを発生し最高時速は326km/h(202mph)に達する。また、グリル塗装マフラーなどエクステリアにも若干変更受けている。 GTCスピード 2009年GTスピードと同じエンジン搭載したGTCスピード発表価格は2860万円GTZザガート 2008年コーチビルダーザガートによるGTZザガート発表サロン・アンテルナショナル・ド・ロトお披露目された。 スーパースポーツ 2009年2月GTチューンアップ軽量化行い2シーターにしたスーパースポーツ発表エンジン最高出力630PS、最大トルク81.6kgmを発生し車両重量GTスピード比で110kg軽量化された。価格3150万円。 スーパースポーツコンバーチブル 2010年4月スーパースポーツを4シーターにしたコンバーチブル版を発表価格は3300万円GTリア GTCリアオープン時) GTダッシュボード 6.0L W12エンジン 2010年10月モンディアル・ド・ロトモビルにおいて、モデルチェンジ発表された。デザインキープコンセプトまた、新たにV8エンジン搭載アナウンスされた。

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初代(1980年-1995年)

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いすゞ・ファーゴ」の記事における「初代(1980年-1995年)」の解説

初代ファーゴワゴン2.4Dターボ LS1993年8月-1995年7月) 同リア2箇所にあるバックドアハンドルが初代の特徴1993年8月-1995年7月1980年12月 - 新発売。エンジンガソリンが1.6Lと1.8L、ディーゼルは1.8Lと2.0Lを設定ワゴンは2.0Lディーゼルのみの設定全車バイアスタイヤ標準であった1981年8月 - バン2000ディーゼル追加1982年3月 - バン一部変更ガソリンエンジンは1.8L化/ディーゼルエンジンは2.0Lに統一1982年7月 - ワゴンLSサンルーフ対面シート標準装備1983年11月 - バンパートタイム4WD車追加。ディーゼルのみの設定1984年1月 - ワゴン全車ディーゼルターボ搭載1984年11月 - ワゴン4WD車追加。 1986年1月 - マイナーチェンジライト異形タイプ変更インパネ全面変更1987年1月 - AT車追加。但し2WD車のみの設定1987年9月 - ワゴン全車ターボ化。 1988年10月 - トラック追加1991年1月 - マイナーチェンジディーゼルエンジンは4FG1型2.4Lに統一内外装意匠多数変更1993年8月 - 最後マイナーチェンジワゴンのみ4FG1-T型2.4Lを搭載して再度ターボ化。ワゴンのリヤシートベルト3点化等小変多数エアコン全車代替フロン化。海外ではISUZU WFR」(「MIDI」の名で販売している地域もある。)として販売されている。また販売当時いすゞがGM提携していた為、GM系列ボクスホールベッドフォードBedford )では「MIDI」(ベッドフォードでは「Seta」の名で売っている地域もある。)として販売された。 オーストラリアでは、ホールデンブランドで「Shuttleと言う名前で販売されていた。 また、導入台数販売台数共に少ないが救急車特装仕様ラインナップにあった。この救急車加古川市消防本部ごく一部配備されていたが2015年現在新潟県加茂地域消防本部にのみ予備車として配備されている。

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初代(1979年-1986年)

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三菱・デリカスターワゴン」の記事における「初代(1979年-1986年)」の解説

2代目デリカ乗用モデル 標準ロング2種類ホイールベースに、平屋根のエアロルーフかハイルーフ組み合わされる。ワゴン2WDには、ハイルーフ多くサンルーフ追加したクリスタルライトルーフを設定世界初電動サンシェードも備わる。バンワゴン4WD全高小型車収める関係でエアロルーフのみ、ワゴン4WD標準尺のみでのスタートバンスライドドア両側に持つ。 エンジンラインナップは、2.0Lと2.5L(デリカ初の3ナンバーガソリンと、ターボ付き85馬力の4D56型2.5Lディーゼルバン従来と同じ1.4Lと1.6Lのガソリン自然吸気76馬力ターボ付き85馬力の2.5L 4D56型ディーゼル)。 1986年6月 - フルモデルチェンジ1987年9月 - 2WDエクシードバンパー大型化し、アルミホイール標準装備1988年9月 - マイナーチェンジフロントにスリーダイヤマークが付く。4WDディーゼル車にATを追加1989年8月 - 一部改良。2.4Lガソリン車追加。また4WDにもハイルーフとクリスタルライトルーフを設定以降、このルーフ形状スターワゴン販売中心となる2WD4WDエクシードガソリン車排気量が2.0Lから2.4Lになり、パワー不足がやや解消された。 1989年10月 - 特別仕様車シャモニー」を設定。2.5L ディーゼルターボGLX(エアロルーフ/ハイルーフ)をベース専用内外装専用装備スキー仕様車。 1990年2月 - 特別仕様車「リンクス」設定1990年9月 - マイナーチェンジヘッドランプロービームのみ異形プロジェクター変更しガーニッシュ追加され顔つき変わった同時にエクセーヌ生地内装カラオケ機能付きオーディオ備えた最上級グレードのスーパーエクシードを追加。セカンドシートはキャプテンシートの7人乗り1990年10月 - 特別仕様車シャモニー」を設定1991年8月 - 一部改良MTのみの設定だった4WD2.4Lガソリン車にATを追加また、安全対策として全グレードサイドインパクトビームハイマウントストップランプなどが装備される1991年10月 - 特別仕様車シャモニー」を設定1992年8月 - 一部改良4WDエクシードアルミホイール標準装備バックドアエンブレムを「MMC」から「MITSUBISHI」に変更1992年10月 - 特別仕様車シャモニー」を設定1993年2月 - 特別仕様車「ジャスパーエアロルーフ」「ジャスパーハイルーフ」を設定夏期特別仕様車として後のモデルでも定番となる「ジャスパー」が初め設定された。 1993年6月 - 一部改良2WDにスーパーエクシードを追加エアコン冷媒がR134aに変更従来はR12)。4WDエクシード寒冷地仕様とLSDを標準装備。GLXにストライプデカールを装備1993年10月 - 特別仕様車シャモニー」を設定1994年1月 - 特別仕様車ジャスパー」を設定1994年5月 - 一部改良。初代デリカカーゴ派生車且つデリカシリーズの乗用モデル系譜では4代目(=本車種の実質上後継)であり、パジェロ最初派生車であるデリカスペースギア発売されるが、スターワゴングレード廉価帯のGLXとXのみに縮小して販売継続(後にシャモニー、アクティブワールド、ジャスパー特別仕様モデル追加される)。パワーウインドウスイッチの形状運転席ヘッドレスト形状変更エンブレム類が非装着となる。 1995年8月 - 一部改良。2.5Lターボディーゼルエンジンが「平成6年排出ガス規制」に適合バリエーション変更し4WDのGLXハイルーフ、GLXエアロルーフと2WDのXハイルーフ整理1996年1月 - 特別仕様車「GLX リミテッドエディション」を設定1996年9月 - 特別仕様車「アクティブワールドウィンタースペシャル」を設定1997年10月 - マイナーチェンジフロントバンパーおよび、クリアランスターンシグナルランプ形状変更エアバッグ標準装備、フロントウインドシールドの取り付け方な細部変更1999年 - 日本国内における生産終了以降在庫のみの販売パジェロ派生車であるデリカスペースギアがその系譜継いでいる。本車種のベースであった商用モデル日本仕様デリカバンマツダ製4代目フルモデルチェンジし、以降デリカシリーズの乗用モデル商用モデルそれぞれ独立した系譜末裔を辿ることになる。 2004年 - 日本国内における在庫販売終了2013年 - 3代目デリカシリーズの日本での輸出向け生産終了以降台湾CMC(中華汽車)でのみ生産。 なお販売当時RVブーム最中であったため、中古市場ではグリルガード装着され前期型から中期型個体圧倒的に多い。 輸出向けL300スターワゴン2WD標準ボディーに相当 三菱・L300 GLS

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初代(HI型前期、2015年 - 2018年)

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ジェネシス・G90」の記事における「初代(HI前期2015年 - 2018年)」の解説

エクウス後続車種として、約1200人の研究員動員し設計から量産まで約4年をかけて開発された。2015年12月9日韓国にて発表発売前の事前契約の数は1万台を超え、これは前作ヒュンダイ・エクウスはるかに超えるものであったグレードは「ラグジュアリー」「プレミアム ラグジュアリー」「プレステージ」の3つ展開されるが、2016年3月追加されリムジンは5.0L、4人乗りAWDの「プレステージ」のみの設定である。 ボディサイズVI型エクウス比で全長が45mm、全幅15mmホイールベースは115mmそれぞれ拡大するリムジンはさらに全長/ホイールベースが290mm延長内訳はBピラー250リアドア40)される。 エンジンエクウスからキャリーオーバーされた315ps・40.5kgmのV6直噴の3.8Lラムダ(λ)、425ps・53.0kgmのV8直噴の5.0LのタウTAU、τ)の2種加え、370ps・52.0kgmのV6直噴の3.3Lツインターボラムダ(λ)が追加された。 トランスミッションエンジン・駆動方式種別関わらず全て8速ATとなる。 シャシーDHジェネシス(のちのマイナーチェンジジェネシス・G80改名)をベース室内空間走行性能余裕実現しジェネシス同様、FR加えて「HTRAC(エイチ・トラック)」と呼ばれるAWD設定された。 運転席には、ドライバー体型情報入力する現在の運転姿勢分析し自動的にシートどの位置を変更させる「スマート姿勢コントロールシステム」、後席には航空機のファーストクラスシートのようにボタンを押すだけでリクライニング可能なファーストクラスVIPシート」を備えた9つエアバッグ加え韓国車初の高速道路走行支援システム衝突回避支援システム運転支援システムなどを統括した「Genesis Smart Sense(ジェネシス・スマート・センス)」が搭載されるなど、安全性高められた。 2016年3月9日には、全長が290mmが増えたストレッチドリムジンのEQ900Lがリリースされた。 アルファベットの「L」は「Long」と「Limousine」の頭文字取ったのである同年には「2016韓国カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。 2017年4月17日には、すべてのグレード電動リアガラスカーテン、電動トランク高性能エアコンフィルター、セーフティロック解除などが追加され2017年型発表された。そして大統領警護車両として、それまで使用されていたエクウスに代わってEQ900を3台導入することとなり、2018年5月警護車両仕様初め公開された。 2018年11月27日マイナーチェンジ他国同様、「ジェネシス・G90」に名称変更されエクウスの名前を冠する車種消滅した。 EQ900L フロント EQ900L リア G90L フロント G90L リア

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初代(HI型後期、2018年11月-2021年11月 )

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ジェネシス・G90」の記事における「初代(HI後期2018年11月-2021年11月 )」の解説

2018年 11月27日発売フェイスリフトきっかけ車名海外市場と同じG90に変更ジェネシスデザインテーマである「G-マトリクス」がヘッドランプテールランプ19インチアルミホイール、クレストグリルに採用された。「クワッドランプ」と呼ばれるヘッドランプ4つレンズ構成され創造性表現するとともにテールランプ上下2分割形状変更されるなど、ジェネシスのファミリールックに沿うものとなったナビゲーション自動更新インテリジェント車両管理サービスなど、より強化されIT関連機能装備された。 後進時の車両後方路面ガイドLED投射する「リバースガイドランプ」と10エアバッグなど、安全装備充実させられた。 2019年 2月19日には、ストレッチリムジン仕様である「G90L」が再投入された。

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初代(MR31S/MR41S型 2014年-2019年)

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スズキ・ハスラー」の記事における「初代(MR31S/MR41S型 2014年-2019年)」の解説

表・話・編・歴 (← 1980年代以前スズキ車種年表 1990年以降赤背景は日本国外専売車 種1990年代 2000年代 2010年代 2020年代 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 軽乗用車 ツイン アルト アルト アルト アルト アルト アルト アルト セルボC アルトC/C2 アルトラパン アルトラパン アルトラパン セルボモード セルボ ワゴンR ワゴンR/RR ワゴンR/RR/スティングレー('07-) ワゴンR/スティングレー ワゴンR/スティングレー ワゴンR/スティングレー Kei ハスラー ハスラー MRワゴン MRワゴン/Wit MRワゴン/Wit('13-) ワゴンRスマイル アルトハッスル パレット/SW スペーシア/カスタム/カスタムZ('16-) スペーシア/カスタム/ギア('18-) エブリイ(4ナンバー) エブリイワゴン エブリイワゴン エブリイワゴン ハッチバック ファン アルト800/アルトK10 Aスター/アルト/セレリオ セレリオ カルタス/スイフト (AA44S) スイフト (ZC/ZD) スイフト スイフト スイフト/イグニス (HT51S) スイフト スイフト+ バレーノ (日本:'16-'20) カルタス(クレセント) (GA11S) エリオ SX4 リーノ トールワゴン ワゴンRワイド ワゴンR+→ワゴンRソリオソリオ ソリオ/バンディット ソリオ/バンディット ソリオ/バンディット スプラッシュ ワゴンR(インド) セダン カルタス・エスティーム/スイフトセダン スイフトディザイア スイフトディザイア ディザイア カルタス(クレセント)セダン エリオセダン SX4セダン シアズ/アリビオ フォレンツァセダン ヴェローナ キザシ ステーションワゴン カルタス(クレセント)ワゴン フォレンツァワゴン スウェイス ミニバン エブリイランディ(エブリイ+) エルティガ エルティガ ランディ ランディ ランディ スペシャルティカー カプチーノ キャラ カルタス・コンバーティブル スポーツ アルトワークス アルトワークス アルトワークス KeiスポーツKeiワークス アルトターボRS(-'18)/ワークス スイフトスポーツ スイフトスポーツ スイフトスポーツ スイフトスポーツ クロスオーバーSUV イグニス クロスビー エスクード (YD/YE) SX4 XG SX4 S-CROSS (日本:'15-'20) S-CROSS ビターラブレッツァ アクロス SUV/クロスカントリー4WD ジムニー ジムニー ジムニー ジムニー1300シエラ ジムニーワイド ジムニーシエラ ジムニーシエラ エスクード エスクード エスクードエスクード2.4 (TD) X-90 XL-7/グランドエスクード XL7 XL7 イクエーター 商用車 アルトバン アルトバン アルトバン アルトバン アルトバン アルトバン キャリイ キャリイ キャリイ キャリイ エブリイ キャリイバン エブリイ エブリイ エブリイ エブリイ メガキャリイ/APVピックアップ キャリイ APV 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 この項目は、自動車関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(自動車ポータル/自動車PJ/乗用車PJ)。

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初代(F32/F33/F36)

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BMW・4シリーズ」の記事における「初代(F32/F33/F36)」の解説

クーペモデル(F32)、リトラクタブルハードトップを持つカブリオレ(F33)、エクステリア見直して4ドアモデルとしたグランクーペ(F36)、BMW MチューニングしたM4(F82/F83)がある。 詳細は「BMW・4シリーズ(F32)」を参照

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初代(2005-2014年)

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ホンダ・リッジライン」の記事における「初代(2005-2014年)」の解説

2004年1月北米国際オートショーデトロイトオートショー)でSUTコンセプト発表1年後2005年1月に同ショーでリッジラインとして発表され2005年3月から2006年モデルとして販売開始された。 エクステリアデザインキャビン荷台が一体であることを強調するようにシームレス1つ金属の塊から削り出したようなbillet construction」をコンセプトとしている。プラットフォームアキュラ・MDX北米仕様 ホンダ・オデッセイホンダ・パイロットと同じ「グローバル・ライトトラック・プラットフォーム」を使用する90%以上が新しくなっており、ホンダ製造した自動車最大サイズ最長ホイールベースを持つこととなったトラックとして過酷な使用耐えるための対応が取られており、ボディ7つ高張力鋼クロスメンバーを使ったフルボックス断面ラダーフレームモノコック統合し強固な作りとしている。 エンジンはJ35A9型 V型6気筒トランスミッション5速AT、駆動方式VTM-4方式4WDで、構成MDXと同じであるが、耐久性強化チューニング加えられた。ハイマウントのエアインテーク低回転域のトルク向上させるほか水の浸入防止する。パワーステアリングクーラー、トランスミッションクーラーも備えたサスペンションピックアップトラック初の4輪独立懸架式で、リアトレーリングアームマルチリンクとし、荷台部分張り出し抑えるのに寄与している。ATレバーコラム式である。 荷台長さ1.52m(5ft)でSMCSheet Molding Compound)製で傷や腐食に強いとされ、さらに3本高張力鋼クロスメンバーで補強される荷台最大積載量は500kgで、ハーフトン(1/2t)クラス属し、車全体総積載量最大703kg(1,550lbs)である。シボレー・アバランチ同じよう荷台ボディ一体化されている。 荷台後部下には特徴的な「In-Bed Trunk」があり、通常の自動車トランク同様に付き上部開き内部は240Lを容量を持つ。トランク耐水性があり、氷を敷き詰めクーラーボックス代わりにも可能、底部排水栓が設けてある。スペアタイヤトランク奥のスペーススライド収納するが、荷物によっては荷台脇に固定するともできる荷台はホイールハウスの張り出し小さいのも特徴で、幅広いスペース確保している。両側に3箇所ずつの耐荷重158kgのカーゴフックを備えホンダならではとしてオフロードバイクATV積載考慮した設計がされている。 デュアルアクションテールゲートは、通常の開き加えて横にも開くことができ、トランクへのアクセス容易にしており、強度最大136kgの動加重対応する牽引能力は2名乗車時最大2,267Kg(5,000lbs)で、ホンダ調査によるとトラック所有者84%が5,000lbs以下のトレーラー牽引しているということで、十分な能力を持つとしている。 4WDVTM-4で、セレクトレバーが「1」、「2」、「R」時にはロックモード機能使用でき、オンにすれば10km/hまでは完全ロックとなり、29km/hで完全解除、29km/h以下になれば再びロックモードになる。最低地上高208mm、アプローチアングル24.5度、デパチャーアングル22度、ランプブレークオーバーアングルは21度で、静止状態から28度(53%)のダート路面登坂能力備え中型medium duty)トラックレベルのオフロード性能を持つとしている。 インテリア仕事と生活の混在する消防署の「dual-duty」をコンセプトとしている。1列目を居住空間、2列目を倉庫車庫とし、インストゥルメントパネル指令室をイメージしている。2列目座席60:40分割跳ね上げが可能で、シート全部跳ね上げればフロントタイヤ外したマウンテンバイクなども積むことができる。センターコンソールボックスはアームレストスライドし内部がさらにスライドする多機能形状となっている。標準自動熱線フロントウィンドウトラック初の装備となっている。 安全装備ではABSVSAEBD電子制御ブレーキ)、サイドエアバッグ横転センサー付きサイドカーテンエアバッグ、タイヤモニターTPMS)などが標準装備となる。NHTSA米国高速道路交通安全局)の衝突テストで4ドアピックアップトラックとしては初の前面側面衝突共に5スター獲得し横転耐性試験でもピックアップ最高の結果となった。 リッジラインのリアエンブレムは、ピックアップトラック力強さ表現するために、他のホンダ車とは違いホンダCIロゴ使われておらず、「HONDA表記のみとなっている。 グレード「RT」、「RTS」、「RTL」の3種類。「RT」17インチスチールホイールにマニュアルエアコン特徴。「RTS」では17インチアルミホイール、オーディオアップグレード、サウンドコントロール付きステアリング、前席パワーシート、デュアルゾーンオートマエアコン、外気温度計が付き、「RTL」は18インチホイール、レザーシート、パワーランバーサポート、シートヒーターリアビューミラー、HomeLinkなどが付き専用オプションでサテライトナビゲーションやDVDエンターテイメントシステム、ムーンルーフXMサテライトラジオなどが用意される2007年モデルでは4色ボディーカラーや、牽引装置標準の「RTXグレード追加された。「RTL」ではムーンルーフXMラジオ標準装備変更2008年モデルでは「RTS」、「RTL」のアルミホイールが「machined stylingデザイン変更「RT」、「RTX」、「RTS」のファブリックインテリアがデュアルトーンからモノトーン変更された。 2009年モデルフェイスリフトが行われた。エクステリアではフロントグリル形状変更され前後バンパーデザインも変更し全長わずかに伸びた。リアターンシグナルが橙色から赤色赤色のリアターンシグナルは日本では使用できないになっているボディーカラー新色追加された。 エンジンはJ35Z5型となり全域トルク向上し最大出力は3hpアップとなった主なエンジン改良点はカムプロファイル変更大径インテークバルブマグネシウム可変インテークマニホールドなどで、6度毎のクランクパルスセンサー、エアフローセンサーなどで耐ノック性能が向上しエンジンブロック冷却経路見直しなどもされた。セルモーター強化され、より素早い始動が可能となったエンジンのトルクアップに関連しトランスミッションはローギアード化され加速時牽引時、重積載時の性能を向上させた。 牽引装置全車標準となり「RTXグレード廃止された。インテリアではステアリングデザインが変わり計器類スイッチ類デザイン一部変更された。安全装備ではアクティブヘッドレスト中間点灯機能追加された。 2012年モデルではフロントグリルデザインが変更され空力性能の向上やエンジンフリクション低減により高速燃費が1mpgアップした新たに「RT」の上に「Sportグレード加わった専用のブラックハニカムフロントグリルとなり、内装では革巻きステアリングホイールなどが装備される2013年モデルでは全グレードリアビューカメラ標準装備となった2014年モデルでは最上位グレードSpecial Edition」が追加された。黒をベースにした専用ホイールフロントグリル、ヘッドライトデザインとなり、リアにも専用バッジがつく。 製造HCMのカナダオンタリオ州アリストン工場行われていたが、2009年オデッセイパイロットMDX製造するアメリカアラバマ工場生産移管した。 2014年生産終了

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初代(2004-2006年)

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マーキュリー・マリナー」の記事における「初代(2004-2006年)」の解説

2003年ニューヨーク国際オートショーデビューし翌年から2005年モデルとして発売開始メカニズムなどエスケープ基本的に変わらずエンジン直4 2.3LとV6 3.0Lの2種類。ただし、トランスミッション4速ATのみでMT設定はない。 また、エスケープ導入されていたハイブリッド仕様2006年モデル追加された。こちらの仕様エスケープと同じである。

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初代(1953-1957)

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シボレー・ベル・エアー」の記事における「初代(1953-1957)」の解説

1953年、ベル・エアーが上級シリーズとしてデビューし2つ下級シリーズ150210登場した1955年シボレーV8エンジンオプション組み入れた1955年シボレーのフルサイズ・モデルがモデルチェンジを受け、エンスージアストから「ホット・ワン」と呼ばれるようになったフォードプリムスとは異なりシボレーデザイン洗練されていると捉えられた。ベル・エアーは、インテリア・カーペット、ハードトップクロームのヘッドライナー・バンド、フロント・フェンダー突き出しクローム窓枠、フルカバーのホイール特徴となっていた。 1955年1956年、特に1957年のベル・エアーは、いつの時代通じても、最もアメリカ車らしい1台であり、継続してエンスージアストの間で人気が高い。十分な空間、高燃費など、この後20年間、デトロイト製造されオーバーサイズオーバー飾り付けられたフルサイズ・モデルよりも上質であると、多く人々受け止められた。1955年から1957年、2ドア・ノマド・ステーションワゴンがベル・エアー・シリーズに加わった

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初代(1995年 - 1997年)

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金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)」の記事における「初代(1995年 - 1997年)」の解説

連続ドラマ第1・2シリーズ金田一少年の事件簿」、単発ドラマ学園七不思議殺人事件」、「雪夜叉伝説殺人事件」(スペシャル)、劇場版上海魚人伝説」の5作品制作された。演出家堤幸彦出世作である。 美雪役のともさかは、第1シリーズ第2話悲恋湖殺人事件」に別役でも出演しており、一人二役演じている。

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初代(1996年 - 2001年)

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トヨタ・イプサム」の記事における「初代(1996年 - 2001年)」の解説

^ “イプサム(トヨタ)1996年5月2001年4月生産モデルカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月11日). 2020年1月11日閲覧。 ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本名車3115ページより。 ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本名車5313ページより。

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初代(1988年 - 1997年)

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スズキ・エスクード」の記事における「初代(1988年 - 1997年)」の解説

1988年昭和63年5月発売当時日本国内に「SUV」というジャンル普及しておらず、ステーションワゴンなどを含めてレクリエーショナル・ビークル」(RV) と呼ばれていた時代に、トヨタ・ランドクルーザーシリーズや三菱・パジェロといった大排気量本格的クロスカントリーモデル並みオフロード踏破性能有しながら、排気量を1,600 ccクラス押さえボディサイズ5ナンバーサイズ収め本体価格130万円台からと言う低価格売り出すという意欲作で、いわゆるコンパクトSUV」の先駆けとなったモデル称される販売当初3ドアコンバーチブルハードトップ2種類のみのラインアップであり、日本国内向けにはハードトップモデルに登録区分違いによる4ナンバー登録のバン小型自動車)が設定された。 直線基調とした欧州調のスタイル泥臭さ感じさせない乗用車感覚の内装フロント乗用車では一般的なストラットコイルスプリング組み合わせながら、リアリジッドアクスル位置決めに初代レンジローバーのようなセンターAアーム」を用いたサスペンション採用する当時日本車でこの形式採用した例は初代エスクード唯一であり、クロスカントリーなどのオフロード走行では、フロント独立懸架弱点であるホイールストローク短さリア補っている)など、意欲的な思想随所見せモデルであった1989年平成元年)にはスポーツ用品ブランド冠した特別仕様車登場5月夏期限定車「ヘリーハンセンリミテッド」、10月冬期限定車として「ゴールドウィンリミテッド」が設定される1990年平成2年8月マイナーチェンジでは、G16AエンジンがSOHC8バルブ仕様からSOHC16バルブ切り替えられ最高出力82馬力から100馬力に向上。同時に3速だったATも4速ATに変更された。また、このマイナーチェンジ機にハードトップ5ナンバー登録の乗用車小型自動車)のみになり、バン消えた同年9月にはホイールベース長尺化した5ドアモデルが追加され、「遊牧民」を意味するノマドNOMADE)」のサブネームが与えられた。 1994年平成6年12月には、内装従来角張ったものから丸み帯びたものとなり、スズキ初の2 L・V6エンジンと、2 L・直4ディーゼルターボを積むモデル追加された(コンバーチブル仕様とレジントップ仕様を除く)。ディーゼルエンジンスズキ製ではなくマツダからRF型の供給受けている。またその見返りとしてマツダプロシードレバンテとしてOEM供給開始する外装ではフロントデザイン独立グリル変更されたほか、走行面では重量出力増加に対応すべく、フレーム強化ストラットタワーバー追加タイヤサイズトレッド拡大などの対策が採られている。トレッド拡大によるオーバーフェンダー装着全幅広がり前後バンパー大型化により全長伸びたが、室内容積従来モデル変わっていない。 1995年平成7年)には、エスクードベース北米市場狙った2シーター派生モデルX-90発売された。デタッチャブルルーフを持つ、オフロード版のカプチーノといった趣きクルマであった1996年平成8年)のマイナーチェンジでは、2.5 L・V6エンジンモデル追加されスズキでは初の3ナンバー登録車普通自動車)となる。この他に2 LエンジンV6から直4となり、5ドア車から「ノマド」のサブネームが消滅してそれぞれ3ドア」「5ドア」という呼称となった1997年平成9年10月生産終了11月2代目入れ替わる形で販売終了北米仕様サイドキックコンバーチブル豪州仕様ノマド ゴールドウィンリミテッド

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初代(1988年 - 1998年)

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スズキ・ビターラ」の記事における「初代(1988年 - 1998年)」の解説

2013年9月10日に、コンパクトSUVコンセプトモデル「iV-4」をフランクフルトモーターショー発表貝殻形状のボンネットフードや5分割形状フロントグリルをデザインモチーフとして、今後新たに投入される車種方向性を示すパーソナルコンパクトクロスオーバーSUVとして発表されたもので、日本では同年11月23日から開催され第43回東京モーターショー2013に、中国でも2014年4月20日から開催され2014年北京国際モーターショー順次出展した2014年10月3日にはこの「iV-4」をベースフロントグリルなどを変更した量販モデル新型ビターラとして2014年パリモーターショー初公開2015年3月5日ハンガリー子会社マジャールスズキにてラインオフ式典執り行い同社での生産開始した本代から、初代から続いてきた「ラダーフレーム+後輪駆動専用アーキテクチャー」に代わりSX4 S-クロスとの共通設計となった。そのため基本駆動方式歴代初のFF前輪駆動仕様となり、ラダーフレーム無くなったことで4WD車は410kgの大幅な軽量化が行われたとともに高張力鋼板多用することで衝突安全性も確保した。ボディーサイズは全長×全幅×全高=4175×1775×1610mm ホイールベースは2500mm。パワーユニットには1.6リッターガソリンエンジン「M16A」と、1.6リッターディーゼルエンジン「D16AA」の2種類用意されている。トランスミッションは、5速マニュアル6速マニュアル設定している。また、1.6リッターガソリンエンジンには、パドルシフター付き6速オートマチックトランスミッション用意されている。

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初代(E25型 2001年-2012年)

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いすゞ・コモ」の記事における「初代(E252001年-2012年)」の解説

日産・キャラバン > いすゞ・コモ ^ ベース車でL33ティアナ同形状のものを含め2種変更されている。

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初代(2008年 - 2017年)

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トヨタ・ヴェンザ」の記事における「初代(2008年 - 2017年)」の解説

2008年北米国際オートショー発表された。2005年北米国際オートショー公開されFT-SXコンセプト市販モデル相当する外観コンセプトマークXジオとよく似ているが、両者は全くの別物であり、ドアガラス異なパーツ構成されている。また、ヴェンザは5人乗り仕様のみである。 ヴェンザ開発ミシガン州アナーバーにあるトヨタテクニカルセンター(TTC)が主体となって行われスタイリング南カリフォルニアCALTYによって手がけられた。製造ケンタッキー州ジョージタウンにあるトヨタ・モーター・マニュファクチャリング・ケンタッキー(TMMK)にて行われるプラットフォームカムリベースとする。エンジンは1AR-FE型 直列4気筒 2.7Lと2GR-FE型 V型6気筒 3.5L2種類ラインナップされる。なお、ヴェンザARエンジン搭載した最初車種である。 2012年4月ニューヨーク国際オートショーにてフェイスリフト受けた2013年モデル発表された。同年11月からは韓国向けに、また2013年4月からはロシア・ウクライナ向け輸出開始している。 2015年6月アメリカ合衆国向けの製造終了トヨタは、ハイランダーおよびRAV4ハイブリッド後継車としている。カナダ等への輸出向け製造継続2017年12月カナダでの販売終了し9年歴史に幕閉じた後期 LE 韓国仕様 フロント 韓国仕様 リヤ

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初代 (2013 - 2020)

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いすゞ・MU-X」の記事における「初代 (2013 - 2020)」の解説

2013年11月1日MU-7後継車種として発表ピックアップトラックいすゞ・D-MAXおよびシボレー・コロラド同様にゼネラルモーターズ (GM) との共同開発車種であり、GMシボレー・トレイルブレイザーボディシェル共有する姉妹車となる。 エンジン仕向地によって異なるが、4JJ1-TC 直4 3.0L ターボディーゼルと4JK1-TC 直4 2.5L ターボディーゼル設定される

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初代(1894年 - 1965年)

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ニューブライトン桟橋」の記事における「初代(1894年 - 1965年)」の解説

初代の桟橋木製で、1891年建設始まり1984年1月18日ニュージーランド総督第7代グラスゴー伯爵英語版)デイヴィッド・ボイル(英語版)によって正式に開かれたオープニングには他に、クライストチャーチ市長ウォルター・クーパー(英語版)、リンウッド英語版市長J.R.ブラント代議院議員ジョージ・ジョン・スミス(英語版)、代議院議員ウィリアム・ホワイトハウス・コリンズ(英語版)らが出席した式典終了する同時に降り始め予定されていた花火延期された。 桟橋長さ210 mで、先端には大きな建物を含む八角形の端を建設する計画があったが実現されなかった。 時の経過とともに桟橋朽ちてしまったため、市議会桟橋撤去命じ1965年10月12日早朝引潮のわずか4時間半の間に解体された。

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初代 (2000-2017年)

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フィアット・ドブロ」の記事における「初代 (2000-2017年)」の解説

2001年最初にオランダ市場投入された。 トルコ ブルサトファシュ工場および、ロシア ホーチミン市ベトナム生産され2002年からはブラジルでも生産されている。なお、トファシュにより製造されるモデルは、1.4 Lガソリンエンジンおよび、1.9 L、1.3 Lコモンレールディーゼルターボエンジンを搭載するまた、ブラジル製の車両は、当初1.3Lおよび1.6 Lガソリンエンジン搭載されたが、現在はゼネラルモーターズ製の1.6 Lガソリンエンジンのみが搭載される。 2003年通常モデルよりバンパー大型化した直列4気筒 1.8 Lエンジン搭載した四輪駆動モデルのドブロ・アドベンチャー(Doblò Adventure)をブラジル発売2005年秋マイナーチェンジ前後デザイン変更が行われた。 2006年、インターナショナル・バン・オブ・ザ・イヤーを受賞また、シンガポール市場においては1.4 Lエンジン搭載した乗用モデルがフィアット・パノラマ(Panorama)として販売されており、北朝鮮では平和自動車により、ポックギの名称で販売されている。

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初代(1957-1971年)

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日産ディーゼル・TW」の記事における「初代(1957-1971年)」の解説

1957年ボンネット型の6TWが登場。後2軸型で10.5t積み当時日本国内では最大級であったエンジン2ストロークUD6を搭載。後に日産ディーゼルの手レストアされ、第36回東京モーターショー展示された。 1960年キャブオーバー型6TWDC12が登場1964年サングレイト登場キャブオーバー型6TWDCはサングレイトスタイルに変更。6TWC13、6TWDC14が発売される1967年、直5・UD5型エンジンの開発によりキャブオーバー型5TWDCがサングレイトラインナップ追加される。 現在、初代モデルの1台(6TW12)がUDトラックス本社内のUDエクスペリエンス・センターでサングレイト(UEG681)と共に展示されている。

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初代(A320型系、1968年-1976年)

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日産・キャブスター」の記事における「初代(A320型系、1968年-1976年)」の解説

1968年10月7日 キャブライト後継車としてA320型系登場1970年 フロントグリル小変更。エンジンを1.3Lに拡大しキャブスター1300」(A321型系車)となる。 1971年 1.5Lエンジン車追加。 1973年 5月マイナーチェンジ前面大幅に変更される

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初代 (1991-1994年)

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オールズモビル・ブラバダ」の記事における「初代 (1991-1994年)」の解説

1991年モデルイヤーから発売開始された。前年出たばかりの4ドアシボレー・S-10ブレイザーおよびGMC・S-15ジミーの上級版に位置付けられた。トラックベースのオールズモビル車は1920年代以来となる。 姉妹車とは異なりレザー装飾電動装備ボディ同色バンパー及びエクステリアトリム、そして「スマートトラック」 (Smart Trak) AWDシステムはブラバダにのみ装備されていた。このスマートトラックの心臓部ボルグワーナー4472トランスファーケースであり、通常リア65%、フロント35%のトルク配分行いスリップ時に前輪トルク配分増やすABSリモートキーレスエントリーもまた標準装備された。 4.3L V6エンジンは160 hp (119 kW) を発揮し燃費市街地17mpg、高速22mpg(EPA測定であった1992年には出力200 hp (149 kW) に引き上げられ燃費市街地16mpg、高速21mpg(EPA測定となった1992年モデルではインストゥルメンタルパネルが変更され姉妹車との若干差別化図られた。1993年モデルではオーバーヘッドコンソールコンパス温度計読書灯が追加されゴールドのエクステリアバッジと特別なゴールドアルミホイール備えたオプションのゴールドパッケージも93年登場した。初代ブラバダは1994年まで製造された。

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初代 (1994-1997年)

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クライスラー・LHS」の記事における「初代 (1994-1997年)」の解説

初代LHS1994年クライスラー・コンコードダッジ・イントレピッドイーグル・ビジョン発売され1年後発売された。LH 207クライスラー・LHSクライスラー・ニューヨーカー)はクライスラー・LHプラットフォーム127 mm(5インチ延長したボディ使用しており、インペリアルに取って代わるクライスラー車のモデルの中で最も大型豪華な"フラッグシップ"車と見られていた。ホイールベース全てのLHカーで共通であった127 mm(5インチ長いボディお陰で後部座席位置を更に後ろにずらすことができた。これによりLHSは、BMWメルセデス・ベンツロングホイールベース版の "L" モデル似たリムジンの様な後席の空間確保していた。姉妹車ニューヨーカーニューヨーカー フィフス・アヴェニューとニューヨーカー サロン後継として生産された。1994年からのこれら3種クライスラーLHカー中庸の"ツーリング"・サスペンション備えていた。 コンコードはクライスラー・ブランド内でフルサイズ車のベースモデルと見なされていた。5人乗りLHSは、その対極位置するクローム飾られ姉妹車クライスラー・ニューヨーカーとは前席のフロアコンソール、床からはえるシフトレバー上等な内装とスポーティなイメージ棲み分け図られていた。ニューヨーカー1997年モデルLHSオプションで6人乗り設定されたために廃止された。LHS1995年些細なフェイスリフト施され、ペンタスター(Pentastar)形のバッジ現在のメダリオン形に変更された。 クライスラー車のモデルラインの頂点位置するためLHSでは姉妹車ではオプションでしか取り付けられない多く装備標準付いていた。これらの装備には3.5 L EGJ型 24バルブ V6エンジンボディ同色グリルドアミラー加飾品やトラクションコントロールシステムアルミホイール内蔵フォグランプと8ウェイ電動調整フロントシート含まれていた。ニューヨーカー同様にベロア調の織物シート標準で革製シートオプションであったLHSの革はギャザード・スタイルの織物シート模しており、ニューヨーカーのトラッドスタイルの革よりも高級に見えるように企画されていた。

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初代 (1998-2002年)

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サーブ・9-3」の記事における「初代 (1998-2002年)」の解説

初代は1992年から製造販売されていた「サーブ・900」(二代目)をマイナーチェンジして名称変更したのである900時代同様、3/5ドアハッチバックと2ドアカブリオレが選択可能であったマイナーチェンジでの設計変更箇所1600に及び、乗り心地操縦性衝突安全性(頭部保護するサイドエアバッグアクティブヘッドレスト採用)が改善された。また、低圧ターボ仕様サーブ初のディーゼルエンジン搭載車(エンジンオペル・ベクトラ用)も追加され一方最強モデルとして2300ccターボエンジン225馬力強化し最高速度250km/h、0-100m/h加速6.4秒の「ヴィゲン(Viggen)」(サーブ 37ヴィゲン戦闘機因んで命名) も生産された。

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初代(1973年 - 1975年)

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日立の樹」の記事における「初代(1973年 - 1975年)」の解説

実際の木を撮影したものではなくアニメーション採用された(イメージマッチした木が見つからなかったためという)。

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初代(1996-2003年)

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ルノー・セニック」の記事における「初代(1996-2003年)」の解説

当初は、メガーヌバリエーションのひとつで、成功収めていたルノー・エスパス弟分的なモノスペースカーとしてデビューし1997年メガーヌと共にヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー輝いている。フェイズ1時代は、「メガーヌ・セニック」と名乗り、メガーヌ・ハッチバックなどと共通意匠のフロントマスクやテールランプ与えられボディカラーかかわらず前後バンパー及びサイドモールは樹脂素地グレーであったフロアパネルが2重になっているのが特徴で、後席の足元に床下収納があった。また後席3席が独立して着脱スライドができ、5席全て違う色にすることができるなど、パッケージングシート構造革新的な思想盛り込まれた。エンジンは、メガーヌ・ハッチバックなどとほぼ共通で、ガソリン1.4L(E7J)、1.6L、1.8L(F4P)、2.0L(F4R、F3R)など4種ディーゼル1.9L(F8Q)が、5段マニュアルまたは4段オートマチック組み合わせて搭載された。日本への正規導入1998年よりヤナセ資本の“フランス・モーターズ”が、ガソリン2.0L(F3R)・4段オートマチック(AD4)の右ハンドル仕様のみが導入された。フェイズ2マイナーチェンジされる直前1999年初旬)あたりに過渡期モデルカレード」が登場する。これは外観フェイズ1変わらずサイドエアバッグ追加トランスミッションが、学習機能プロアクティブ4速AT(DP0)に変更されモデルである。1999年末にフェイズ2へとマイナーチェンジされ、フロントフェイス、テールランプなどのデザイン大幅に変更され車名も単に「セニック」となり、リアハッチ右下バッジMeganéからScénic変更されたが、リアドアにはMeganéのロゴ残されていた。エンジン新世代DOHC変更され、1.4L(K4J)、1.6L(K4M、K7M)などが搭載されたほか、ダッシュボード小物入れ追加新形状のリア・ヘッドレスト、リアハッチのガラス開閉機能など細かい改良施されていた。このフェイズ2日本市場正規導入2000年から。 セニック RX42000年に追加されRX4は、オーストリアシュタイア・ダイムラー・プフ設計したビスカス・マルチディスク・センターデフを持つ4輪駆動で、リアサスペンション外装にも専用部品使われている。組み合わせたエンジンは、ガソリン2.0L(F4)とディーゼル1.9L dCiで、ギアボックスは5段マニュアル(SD1)のみ。商業的に成功しなかったが、後年登場したコレオスはこのコンセプト色濃く受け継がれている。 この初代セニックのオートマチックトランスミッション多くフェイズ1フェイズ2かかわらずATF油温上昇によりトルクコンバーターから駆動力が伝わらなくなり最悪動かなくなるものもある。この現象インポーター確認しているが、完全な対策部品無く2008年1月現在リコールはなっていない。 セニックGPL車 1990年後半から2000年初頭頃、フランスではLPG自動車ブームがおこる。年率500パーセント伸び示していた時もあり、フランス自動車メーカー各社は全ラインナップLPG車ライン生産し用意していた。欧州メーカー日本車フランス向けにはLPG仕様車を投入。他のルノー車と同様に、セニックにもLPガス・ガソリン切り替えLPG自動車用意されていた。フランス表記ではLPGのことをGPLと呼ぶ 2009年現在では、オプション対応でLPG自動車仕立てている。

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初代(1984-1991年)

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ルノー・エスパス」の記事における「初代(1984-1991年)」の解説

初代エスパスドライブトレインルノー・18コンポーネント流用したため縦置きFFで、ボディ中量生産適した鋼板プレススケルトン樹脂製の外板張り込む構成となっている。外板多く樹脂製としたボディ比較軽くミニバンらしからぬスポーティなドライビング可能にした。 エンジン全て直列4気筒を縦置きで搭載しており、ガソリンは2Lが2種類ディーゼルターボの2.1Lが用意されていた。 フェイズ2 (後期型) 1988年多数部品変更などを含めたマイナーチェンジが行なわれ、フロントマスクがそれまでの逆スラント型から通常のスラント形状変更され同時にフロントのアンバーレンズがクリアタイプ変更されており、前からの見た目印象大きく変わっている

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初代(1994-2002年)

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ユーロバン」の記事における「初代(1994-2002年)」の解説

初代ユーロバン1994年デビューした。しかしその頃には同コンセプトルノー・エスパス欧州ではポピュラーになっていた。もともとエスパスは、プジョー買収したマトラ提案したアイディアであり、プジョーがそれを袖にしたためマトラルノー売り込んだものであった。その経緯関係しているためか、エスパス後追いをすることを避けミニバンの祖であるクライスラー・ボイジャー研究しアメリカ車のようなミニバン」を商品コンセプトとした。この判断的を射たものであり、今では欧州でもこの方向性ポピュラーとなっている。 スケルトンとも呼ばれるマルチチューブラーフレーム樹脂外板エスパス対しユーロバン一般的な鋼鈑プレス溶接組み立てであり、利益率重視された。また、アメリカミニバン」の特徴であるスライドドア導入したその特徴的なスライドドアは、バッジエンジニアリングでもある商用車にも有用であった。 短い全長3列シート配置するため、アップライトな(立った着座姿勢となった。A・Bピラー間の距離も短いため、乗降性損なわないよう、フロントドア90°近くまで開くことができる。乗車定員2・3・2の7人乗りで、二列目、三列目の座席個別取り外しができ、移動可能である。この点はエスパス同様で、欧州ミニバン特徴となっている。 エンジンとトランスミッションは、PSADセグメント乗用車406、エグザンティア)のものが使われており、フロントに横置き搭載され前輪駆動する一般的なFF方式である。 足回りは、フロントストラットコイルスプリングリアはトレーリングビームとコイルスプリング組み合わせであり、これもきわめてコンベンショナル構成である。 ユーロバン登場したのち、クライスラーからボイジャーの上車種である、ホイールベース延長したグランド・ボイジャー」が登場し、のちの1997年エスパスにも同様のグランエスパスが加わったが、ユーロバンにはロングモデルは追加されなかった。 その後1998年10月マイナーチェンジ行った主な変更点は、 シフトレバーフロアからダッシュボード移設 パーキングブレーキレバーをフロアセンターから運転席ドアの間に移設左ハンドルセンターコンソール廃止しフロントシート間を空ける など、比較大掛かりなものとなったが、これらの変更は、前席の前後左右ウオークスルー実現するためには、一つとして外せないものばかりであった。この改良市場好評持って迎えられインパネシフト欧州実用車ではひとつのスタンダードとなった

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初代(2006年 - 2015年)

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リンカーン・MKX」の記事における「初代(2006年 - 2015年)」の解説

2005年生産中止されたアビエーター後継として2006年1月開催され北米国際オートショーにて発表され2006年12月販売開始された。前身アビエーターがボディオンフレームシャシーの古典的なSUVだったのに対し、MKXではユニボディ構造クロスオーバーSUV生まれ変わっている。プラットフォームフォード・CD3プラットフォーム採用し姉妹車フォード・エッジとはボディシェル共有するボディタイプ5ドアのみ。Vista Roof呼ばれる大きな面積のグラスサンルーフを持つことが特徴である。 エンジンはDuratec 35呼称される新開発3.5リッターV型6気筒DOHC搭載最高出力269ps(198kw)/6250rpm、最大トルク34.6kgm(339Nm)/4500rpmを発揮するトランスミッションGM共同開発6速フロアATのみが用意されている。 2010年1月には北米国際オートショーフェイスリフト受けた2011年モデル発表された。エンジンは3.7リッターのDuratec 37換装され、最高出力309ps(227kw)/6500rpm、最大トルク38.7kgm(380Nm)/4000rpmを発揮する日本へはフォード・ジャパン・リミテッドにより2008年9月から正規輸入販売開始された。なお、日本仕様ナビゲーター異なり右側死角確認用のサイドアンダーミラー代わりに小型カメラ装着している。 widths="200px" 前期型フロント前期型リア

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初代(RS型、1999年-2006年)

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キア・カレンス」の記事における「初代(RS型1999年-2006年)」の解説

1999年登場発売当時キャッチコピーは「21世紀ミレニアム」。 発売当時は1,800ccエンジンのみの設定だったが後に2,000ccエンジン追加リア・ウインドウ回りデザインが初代トヨタ・イプサム酷似しているとの指摘なされている。 日本ではカーニバルとともに2000輸入車ガイドブック」(日刊自動車新聞社)に「輸入予定車種」として掲載されていたが、結局導入されなかった。 初代(後期フロント/リア 2002年登場韓国では「カレンスII」を名乗る。初代のビッグマイナーチェンジという扱いだったため、型式RS型踏襲している。またクロスオーバー風の派生車種「エクストレック」 (X-Trek )も販売されていた。 マレーシアではナザ国産車ナザ・チトラ(Naza Citra )として現在でも製造・販売が行われている。2009年にはフェイスリフトが行われてアウディ風のワンモーショングリルが採用された。

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初代(1957年-1966年)

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日産・キャブオール」の記事における「初代(1957年-1966年)」の解説

1957年12月 日産初のキャブオーバー型トラックとしてC40型系が発売開始された。B40型系ジュニア同一シャーシ使用した1960年4月 マイナーチェンジ。C140型系となる。

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初代 (1975-1980年)

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キャデラック・セビル」の記事における「初代 (1975-1980年)」の解説

1970年代オイルショック後アメリカ襲ったダウンサイジング化の影響、そしてメルセデス・ベンツSクラスなどの西ドイツ高級車人気受けて開発され1975年4月発売開始された。 当初ベース車として当時オペル最高級車種であるオペル・ディプロマットが選ばれた。ところが、アメリカGM生産ライン作ろうとしたら、ディプロマットがとても既存設備では対応できないほどに小さな公差の中で作られていることが明らかとなり、シボレー・ノヴァベースにする事になった当時キャデラックラインナップ中で一番サイズ小さモデルであったが、アメリカ車として初め電子制御燃料噴射装置つきエンジン搭載されたほか、大型モデルのフリートウッド・ブロアムと同様の内外装装備が奢られ、75リムジンを除くと価格は一番高かった1978年ディーゼルエンジン搭載モデル追加されたほか、ツートーン塗装豪華な内装が奢られた上級グレードの「エレガンテ」(Elegante)が追加された。パーソナルユース特化しダウンサイズされた最上級モデルという目論見大き成功をおさめ、好調なセールス維持したまま2代目引き継がれた。 なおセビル成功受けてライバルリンカーン1977年に「ヴェルサイユ」を販売したが、ビュイックオールズモビル同級モデルとの明確な違い出したセビル違い急ごしらえということもありマーキュリーフォードのとの違い出せなかったこともあり販売低迷したままであった

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初代(1997年 - 1999年)

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トミーカイラ・ZZ」の記事における「初代(1997年 - 1999年)」の解説

トミーカイラZZの初代は1995年発表され1997年販売開始生産日本ではなくイギリス行われたアルミモノコックFRPかぶせただけのボディでできており、重量たったの710kgである。当初ボディデザイン由良拓也担当したが、ZZII以降には関与していないという。エンジンは、当時プリメーラ等に搭載されSR20DEエンジンベースに、燃料噴射装置電子制御燃料噴射方式からケーヒンキャブレター換装したもの搭載されエンジンは185PS、パワーウエイトレシオは3.8kg/PS程とヨーロッパスーパーカー並みである。またアルミシャシーに、ツインチューブ・モノコックという少し前のフォーミュラカーそのもの構造をしているので車重軽く足回り硬くしなくてもシャープコーナリング性能持った1999年販売終了。総生産台数206台。

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初代(1958年)

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シボレー・インパラ」の記事における「初代(1958年)」の解説

1958年シボレー最上級グレード「ベルエア」に「インパラ・スポーツ・パッケージ」という名のスペシャルパッケージが設定された。ボディタイプは2ドアハードトップクーペと2ドアコンバーチブルのみということから、1956年クライスラーブランドであるプリムス当時最高級フルサイズであったベルベディア」の「スポーツ・クーペモデルベースにさらに高級化させ販売したスペシャリティー・2ドア・ハードトップ「フューリー」への対抗考えられる。ベルエアとの相違点は3連テールランプルーフ後端エアアウトレットダミー左右クォーターエアダクトモール等である。この1958年には、1957年まで下級グレードフルサイズとして生産されていた「150」が「150」同様下級グレードフルサイズであったデルレイ」と統合され消滅しその結果この年以降シボレー最下フルサイズは「デルレイ」のみの生産となった。また「150/デルレイ」より上、「ベルエア」より下の中級グレードフルサイズとして生産されていた「210」は1957年最後に消滅し後継として1958年から「ビスケイン」が登場した1957年シボレーフルサイズラインナップは下から「150」「デルレイ」「210」「ベルエア」であったのに対し1958年フルサイズラインナップデルレイ」「ビスケイン」「ベルエア」と大幅に変わった

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初代(1935-1953年)

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オペル・オリンピア」の記事における「初代(1935-1953年)」の解説

初代オリンピア1935年2月ベルリン自動車ショー発表された。ドイツ量産車では初の全鋼モノコック構造ボディ持ちオペル新し生産工程必要なこのオリンピア生産化のために、その本拠・リュッセルスハイム600トンプレス機備えた新工場建設したほど力を入れていた。このボディスタイルに関してサイドステップ廃しヘッドライト車体一体化全体フォルム流線型近付けた、当時としては大胆なデザインであった前輪サスペンションには親会社米国GMシボレー先代の「1.3リッター」も採用していたデュポネ式の独立懸架用いられた。ボディスタイルは2ドアセダンカブリオレの二種類であったエンジンサイドバルブ1,288cc24馬力非力ながら、835kgと軽量なため、最高速度は95km/hと、当時としては充分な性能発揮したギアボックス当初3速フロアシフトであったが、1937年モデルから4速改良された。 オペルとしては新技術大胆に採用したオリンピアは、最初2年間に81,661台が生産された後、1937年後半マイナーチェンジ受けて「OL38」型に進化した最大変更点エンジンで、新設計のOHV1,488ccに拡大最高出力37馬力となり、最高速度は112km/hに引き上げられた。ボディはより流線型化され4ドアセダンラインナップ加わった1940年までのオリンピア累計生産台数は、初代を含めて168,000以上に達したオリンピアドイツ友好国であった当時日本にも輸入され1940年前後トヨタ自動車日産自動車いずれもオリンピア影響感じさせる小型乗用車次々試作するなど、勃興期にあった日本自動車技術にも影響及ぼした第二次世界大戦開始後の1940年アメリカ資本オペル工場ナチス・ドイツ接収され軍用トラック生産のために、オリンピアを含むオペル乗用車生産途絶えた。なおオリンピアの1.5Lエンジンは、1941年からNSU生産した1輪式の軍用小型半装軌車ケッテンクラート」の駆動エンジンとして、若干改変のうえで供給されている。 戦時中リュッセルスハイムオペル本社工場連合国空襲大きな被害を受け、戦前同一オリンピア生産再開されたのは1947年であったが、ボディバリエーションは2ドアセダン一種であった1947年から1949年まで25,952台のOL38型が生産された。 1950年1月には最後マイナーチェンジを受け、フロントグリル1930年代末のアメリカ車思わせるデザインとなった戦後の混乱落ち着き取り戻し始め、2ドアセダンに加え、2ドアカブリオレ、2ドアステーションワゴンも追加された。このモデル1950年代前半日本にも東邦モーターズによって輸入され輸入車としては比較手頃な価格ドイツ製品への信頼感から人気モデルとなった1953年オリンピア・レコルト交代するまでに、約160,000台が生産された。1953年以降1960年までの「オリンピア・レコルト」についてはオペル・レコルトの項を参照

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初代(PB型、2008年-2014年)

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ヒュンダイ・i20」の記事における「初代(PB型、2008年-2014年)」の解説

ボディタイプ3ドアおよび5ドアハッチバックの2種類2008年10月パリモーターショーにて5ドアが、翌2009年3月ジュネーヴモーターショー3ドアそれぞれ世界初公開された。インドでは2008年12月29日販売開始された。 キア・ソウルプラットフォーム共有するエンジンは1.2L 57kW/77PS、1.4L 74kW/99PS、1.4Lディーゼル(55kW/74PSと66kW/89PS)の4種類で、トランスミッション5MTと4ATが用意されるユーロNCAPでは5つ星獲得している。 2012年フェイスリフトが行われ、 現代自動車新しファミリーフェイスである「ヘキサゴナルグリル」や横型ヘッドランプ採用された。 パワートレイン面では1.6Lガソリンエンジンラインアップから消え、1.1Lディーゼルエンジン追加された。 欧州市場売れ行きそれなりに好調だった2013年1月現代自動車2014年からWRC11年ぶりに復帰することを発表しi203ドアベースに約300PSを発揮する1.6Lターボエンジン搭載したWRカー投入するとした。迎えた復帰戦の2014年シーズン開幕ラリー・モンテカルロでは、参戦した2台の両方リタイアするという結果終わったものの、9月ラリー・ドイチュラントでは見事初優勝果たした

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初代(B40・B50系)

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日野・リエッセ」の記事における「初代(B40B50系)」の解説

詳しい車種説明は、トヨタ・コースター#3代目B4050系1992年-2017年)を参照1996年6月発売レインボーABの実質上の後継車で、ラインナップコースターと共通である。 コースターとの違いは、車名表記位置コースター後ろなのに対しリエッセIIは前)、助手席セーフティウインドウとリアガラスのHINOロゴ表記のみである。 2004年平成16年7月新短期規制適合させるため、国内での1HD、1HZの各6気筒ディーゼルエンジンと、B系4気筒ディーゼルエンジン廃止されディーゼルエンジン全て自社製のN04C-T系となり、車両型式記号はXZBとなる。 2007年平成19年7月24日マイナーチェンジが行われた。ディーゼルエンジン新長期排出ガス規制適合され、ATを全車6速変更MT6速廃止され全車5速化された。同時にヘッドライト変更された。 2011年8月22日ポスト新長期排出ガス規制にともなうマイナーチェンジ日野販売するバスのうち、いすゞ開発担当ならびにトヨタからのOEM車では初めて「AIR LOOP」の名称を採用した搭載エンジン日野製のため)。。 2015年1月13日改良では燃費を向上させ、110kW(150PS)エンジン搭載車平成27年燃費基準達成客席シートにELR付3点式シートベルトを、補助席にはELR付2点式シートベルト標準装備とした。またリクライニング標準化シート形状改良行ったマカオの岐関車路有限公司と信徳国旅では、コースター同様ミニバス中国語: 公共小巴)として導入している。 1996年から2001年モデル岩手県北自動車2001年から2007年モデル 2007年から2011年モデル 2015年シートベルト改良モデル三八五オートリース

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初代(2001年~2006年)

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シボレー・アバランチ」の記事における「初代(2001年~2006年)」の解説

SUTスポーツ・ユーティリティ・トラック)として初め登場したフォードのエクスプローラー・スポーツトラックの後を追いGM初のSUTとして、2001年2002年モデル登場したアバランチはGMT800プラットホームベースとしているため、初のフルサイズSUTでもあった。フロントスタイルは、同年フェイスリフトしたシルバラード似ているが、フロントライトシルバラードよりもつり目気味になるなど若干異なっている。シルバラード・ヘビーデューティー用の8.1Lという超大排気量エンジン搭載したグレードもあった。2002年のモーター・トレンド誌の「SUVオブ・ザ・イヤー」を受賞2003年モデルで、フロント周り変更されシルバラードと共通のフロントフェイスになった

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初代(1995年-1998年)

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アルピナ・B8」の記事における「初代(1995年-1998年)」の解説

BMW・3シリーズ(E36)をベースとするB81995年発売日本にはセダンの「B8-4.6」「B8-4.0」、クーペの「B8-4.6クーペ」「B8-4.0クーペ」、ステーションワゴンの「B8-4.6ツーリング」、カブリオレの「B8-4.6カブリオ」が導入された。 1997年セダンモデル名後ろに「リムジン」(Limousine )が付き、「B8-4.6リムジン」「B8-4.0リムジン」となる。 1998年生産終了

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初代(2005年-2009年)

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シボレー・エクイノックス」の記事における「初代(2005年-2009年)」の解説

エクイノックスはシボレー初のクロスオーバーSUVであり、ブレイザートラッカースズキ・エスクードのリバッジ)の統合後車種として2004年から2005年モデルとして販売開始された。翌2005年1月にはポンティアック向けに兄弟車トレント (Torrent) がロサンゼルスオートショーにて発表され同年夏から販売開始された。 エンジンはLNJ型3.4L V6上海GM製造)でこれにアイシンのAF33型5速ATが組み合わせられた。2008年モデルイヤーからはLY7型3.6L V6と6T70型6速ATを搭載するエクイノックススポーツ/トレントGXP追加された。 プラットフォームサターン・ヴューと同じGMシータプラットフォームであるが、エクイノックス/トレントではホイールベース延長したものを使用している。駆動方式FWDまたはAWDとなる。 製造カナダCAMIオートモーティブにて行われた。なお、メキシコでは2009年モデルイヤー販売行われなかった。

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初代 (1995-2000年)

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ダッジ・アベンジャー」の記事における「初代 (1995-2000年)」の解説

7代目三菱・ギャランE5,E6,E7,E8系)をベースとし、三菱自動車工業クライスラー合弁会社である「ダイアモンド・スター・モーターズ」で生産された。 ダッジブランドのほか、クライスラーブランドでは姉妹車の「セブリング」として販売された。また、クライスラー別ブランドである「イーグル」で販売された「テイロン」(2代目三菱・エクリプス姉妹車)ともコンポーネントは共通であった2000年モデルチェンジした際にストラトスとなり、アベンジャーの名は一時消滅した

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初代 (JF02)

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ホンダ・スペイシー」の記事における「初代 (JF02)」の解説

1987年2月4日発売同月5日発売型式名JF03。JF02型からのフルモデルチェンジ車で車名からはサブネームのストライカー消滅したが、基本コンポーネンツならびに設計キャリーオーバーエンジン内径x行程=52.4×57.8(mm)・圧縮比10.3のJF03E型へ変更されたものの最高出力最大トルクスペックは同じで50km/h定地走行テスト値が64.7km/Lへ向上した程度である。また年間販売目標5,000ならびに標準販売価格289,000円も継続した。 ただし車体面では、特徴的だったリトラクタブル・ヘッドライト廃止し一般的な固定式としたほか、外装曲線基調のエアロフォルムデザインとした。 1992年・1993年1994年カラーリング変更マイナーチェンジ実施しており、1993年マイナーチェンジでは自動二輪車ヘッドライト常時点灯義務化により点灯スイッチ廃止併せて実施した

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初代(RD、1996-2001年)

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ヒュンダイ・クーペ」の記事における「初代(RD、1996-2001年)」の解説

前期型ティブロン1996年 - 1999年1996年4月発表プラットフォームJ2アバンテベースとし、駆動方式FF直列4気筒 2.0 L DOHCベータ (β) エンジン搭載、後に1.8 Lを追加販売地域によっては1.6 Lも設定5MTまたは4ATを組み合わせるマクファーソン・ストラットサスペンションポルシェとの共同開発よる。 後期型:ティブロン・タービュランス(1999年 - 2001年発売3年目1999年5月、フェイスリフトモデルの「ティブロン・タービュランス」が登場。本来はフェイスリフトモデルなのだが、変更箇所顔面だけでなくテール周りにまで至る為か2代目として扱われることがままあるエンジンラインナップ変わらない窓の形状ヘッドライト形状などから、日本では一部からはST200系セリカ模倣だと批判揶揄される場合もある。ティブロン前後期とも日本市場へは導入されなかった。

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初代(1967-1971年)

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プリムス・GTX」の記事における「初代(1967-1971年)」の解説

クライスラー社内のプリマス部門では、1967年型ベルヴェデア・GTXを、プリムス・GTXと呼ぶ。それはまた、優れたスタイルパフォーマンス持っていたことにも起因する通常のベルヴェデアとの相違点は、特別仕様グリルボディ後部ボンネット・スクープクローム・メッキされたフューエル・キャップである。また、最高級サスペンション・システム標準装備されていた。また、特筆すべきは、「スーパー・コマンド440」と呼ばれる440立方インチ(7.2L)V8エンジン搭載であり、クライスラーが誇るヘミ・エンジンとの換装も可能であった1968年モデルは、「ロード・ランナー」がベルヴェデアの廉価版として発売された。ロード・ランナーエンジンは、新型383立方インチの「ロード・ランナー383」で、GTXでは、440エンジン標準採用されていた。1969年GTX販売は、ロード・ランナーコンバーチブル追加されにも関わらず振るわなかった。しかし、オプション装備としてエア・スクープボンネット追加されるなどのマイナーチェンジがあった。1970年GTX大規模なデザイン変更が行われた。スムーズなライン構成しボンネットにはパワー・バルジ追加されボンネット・スクープ復活した。しかし、GTXはその重い重量のために、より人気高かったロード・ランナーよりも遅かったが、GTX自体パワー不足という訳ではなかった。1971年最後GTX大幅なデザイン変更受けた排気量制限が行われたために440エンジン385エンジン小型化された。更に、マッスル・カー対す保険料高くなり、販売低調であった。そして、GTXヘミ・エンジン終わりを告げた

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初代(1968-1970年)

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ダッジ・スーパー・ビー」の記事における「初代(1968-1970年)」の解説

ミドルサイズの車体を持つコロネットベースとし、1968年デビューした競合他社のハイパフォーマンスカーに高額なモデル多かった中、走行に関する部分以外は徹底的に開発・製造コスト切り詰め同社廉価なマッスルカーであるロードランナー同等価格設定実現し人気集めた当初2ドアクーペのみが設定され、翌1969年に2ドアハードトップが加わったエンジン340 PSの6.8L、395 PSの7.2L、そして431PSの7.0Lヘミ・エンジンと、高性能エンジンのみが用意された。そのためサスペンション強力なものが採用されたほか、スポーティ性の強いオプション数多く用意された。高価な高性能エンジン搭載する分、快適装備等はほぼ割愛され、非常にスパルタンモデルとして仕上がっていた。 1970年ベースとなるコロネットフェイスリフト受けたのに併せ本車のフロントフェイスも同様の変更受けた1971年2代目バトンタッチ生産終了

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初代(1951年-1961年)

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プリムス・ベルベディア」の記事における「初代(1951年-1961年)」の解説

アメリカ市場での安価な2ドアハードトップとして1950年登場して大成功したシボレー・ベル・エアー対抗すべく1951年3月31日発表された。2ドアハードトップとしてはプリムス最初車両であった1951年ベルベディアは、独立したモデルではなかった。3,010mmのホイールベースベースとして、2ドアベルベディアは、非常に好ましい大きさとなったパワートレイン直列6気筒エンジンで、217.8立方インチ(3.6L)に換装可能であった圧縮比比較的低い7:1で、97馬力で、最初の年販売は、2,114ドルから始まった1952年の間、プリムスベルベディア大きな変更加えなかったが、最大変更は、色彩設計であった。さらにトップレベルベルベディアと他のプリムス車とを区別するため、2つ色調その時屋根からウエストライン越えてトランクにかけて塗装され、その処理は「サドルバック」と称された。2つトーン色彩設計は、ブラックミントブルーグレーブルー組み合わせであった。またオーバードライブ1952年オプションとして搭載可能となったエンジン1951年からの流用であった。しかし価格は2,216ドルまで上がった1951年1952年生産台数シボレー・ベル・エアーとフォード・ビクトリアの生産台数の1/4をわずかに上回っただけの51,266となったベルベディアは、1953年までクランブルック・シリーズの一部のままであった。その年の間、全てのプリムスモデルは、完全に一新された。ホイールベースは114inに短縮され、ワンピースフロントガラスや後部フェンダー変更された。 1953年4月に、プリムスハイ・ドライブセミオートマチックトランスミッション搭載した。またその翌年フォードがフル・オートマチックトランスミッションのO-マチックを開発すると、プリマス1950年にフル・オートマチック・パワーグライドを開発していたシボレーとも遅れをとっていた。エンジンは、7.10:1への圧縮比わずかな増加である唯一の強化で、1952年から流用された。より短いホイールベースは、一部消費者批評家酷評され全体的に短くて太いデザインとなった。2,132ドル値下げされたが需要はむしろ低くなった。合計35,185台が1953年販売された。 ベルベディアは、1954年トップレベル商品として、クランブルックにとって代わった。2ドアハードトップの他に、コンバーチブル、2ドアステーションワゴン、4ドアセダンまたは前記の2ドアハードトップ(スポーツクーペ)を選ぶことができた。わずかなスタイル改修は、ボディデザインにも及んだ初めて、小さなクロムテールフィンが、後部フェンダーの上現れた。1954年3月に、プリムスはついにフル・オートマチック・トランスミッションを提供したまた、より大きな標準的なエンジン新しかった。230.2立方in6気筒は、ダッジ部門から流用された。パワーは、その時110馬力となった。しかし生産台数32,492台に下がった全てのプリムスは、1955年モデル大規模なオーバーホール実施されベルベディアラインナップトップ帰り咲いた。1956年、プリムス・スタイルは、1955年から進化した。より劇的な後部テールフィン処置は、最も顕著であった1956年前半には、プリムス・フューリーは、特別版高性能モデルとしてベルベディアライン統合された。 1957年クライスラー当り年で、プリムス例外ではなかった。プリムスデザインは、クライスラースローガン使用したように革命的であった。「突然ですが、1960年です!」というスローガンで、新車販売促進した。ベルベディアラインは、再びフューリー統合した今年デュアル4バレルキャブレターによる新し318立方inV8気筒フューリー標準的なエンジンであり、それは全てのプリムス車で利用可能であったベルベディアは、1958年最上レベルの車として、再び帰り咲いた。スタイルは、ピカピカ1957年モデルから進化的であったデュアル4バレルキャブレターによる350立方inV8気筒が「金色コマンドー呼んだビッグ・ブロック・エンジン」であったフューリー1959年プリムストップモデルとなったあと、ベルベディア中間の定価設定モデル降格された。

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初代(矢島晶子)

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野原しんのすけ」の記事における「初代(矢島晶子)」の解説

1992年4月13日から2018年6月29日放送までにおけるしんのすけの声は矢島晶子演じたしんのすけ役のオーディションにはたてかべ和也勧め参加した矢島の他に田中真弓坂本千夏、後に風間くん役で矢島長年共演することになる真柴摩利参加していた。田中坂本によるとオーディション内容しんのすけの声で『ぞうさん』を歌唱することだったという。両者落選し当初納得がいかなったものの、オンエアされた矢島声を聞いて敗北感感じた語っている。また、真柴しんのすけ役のオーディション受けたものの、自分風間くん役の方が合っていると感じたという。 矢島演じる中で試行錯誤を重ねてきたため、アニメ初期から現在までの間に声が大きく変化している。最初期は少しひねくれた少年の声そのものであったのが比較短期間低くボーっとした声に変化その後雰囲気保ったままトーン徐々に上がり続けていった。なお、放送初期エンディングで「しんちゃん」とクレジットされていたが、現在は「しんのすけ」である。 その後矢島は「しんのすけの声を保ち続け作業難しくなった」として2018年6月29日放送分を最後に降板し、後任として小林由美子起用された。

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初代(1999年-2002年)

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フォルクスワーゲン・ポロGTI」の記事における「初代(1999年-2002年)」の解説

1999年大幅なマイナーチェンジが行われた3代目ポロベースに、2000年5月GTI5MT)が初めカタログモデルとしてラインナップされた。エンジン出力125PS/トルク15.5kg・mの1.6L直列4気筒DOHC搭載する専用装備としてハニカムメッシュパターングリルとGTIエンブレム、キセノンプロジェクターヘッドライト、フォグランプ、ヘッドライトウオッシャー、大型のバンパースポイラー、15inBBSアルミホイール赤く塗られブレーキキャリパー、ルーフエンドスポイラーを備えている。内装は他のグレード準ずるが、専用のセミバケットシート、赤ステッチの革巻きステアリングホイール、革巻きとなるシフトノブおよびハンドブレーキグリップを備えている。日本導入されモデル4ドア車のみでボディカラー銀・黒・赤・黄の4色最高速度は205km/h、0-100km/hは8.7秒と公表されている。 販売終了までの間にウインカーレンズの形状変更ボディカラー銀色種類変更された。(黄色がかった光沢から青色がかった光沢へ) 平成16年5月10日リコール届け出:クラッチペダルブラケットの強度不足が報告され最悪場合走行不能恐れがあり取替が行われた。

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初代(1959年-1968年)

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いすゞ・エルフ」の記事における「初代(1959年-1968年)」の解説

1959年8月26日初代モデル登場当時川崎工場にてラインオフ初登場時ガソリンエンジンのみの設定で、GL150型と呼ばれる1500ccのエンジン搭載ラジオ車内ヒーターなどの快適装備アクセサリーオプション装備であった1960年3月クラス採用となる2000ccディーゼルエンジン搭載車追加。初採用時のエンジンはDL200型。馬力があり経済的なディーゼルエルフは一躍人気車種となり、販売台数トヨタ・ダイナ抜いてクラストップを獲得する。これ以降各社ともディーゼルエンジン車をラインナップ追加する1963年6月生産ライン藤沢工場移設1965年1月ヘッドライト丸形2灯から丸形4灯(横2灯)に変更し、グリルデザインも変更された。キャブドアは最後まで前開きであった

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初代(1977年-1981年)

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ヒュンダイ・ポーター」の記事における「初代(1977年-1981年)」の解説

初代ポーター1977年1月にHD1000の一車種として登場した。HD1000はキャブオーバー型トラックと3/12人乗りバン/ワゴン救急車仕様もあり)が存在しトラックの方は「ポーター」のサブネームが付けられていた。HD1000は1981年製造終了した

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初代(AK10/10H型、2011年 - )

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トヨタ・エティオス」の記事における「初代(AK10/10H型、2011年 - )」の解説

2010年1月ニューデリーオートエクスポセダン及びハッチバック型のコンセプトカー公開同年12月1日予約開始した12月29日には、インド現地法人トヨタ・キルロスカ・モーター (TKM) のバンガロール第2工場ラインオフ式典実施エティオスセダン排気量1.5リットルガソリン車価格496,000-686,500ルピーと、日本円100万前後2011年6月にはハッチバックのエティオスリーバが追加された。リーバには新たに開発され排気量1.2リットルガソリンエンジン搭載される。部品現地調達率を約70%から90近くまで引き上げ年産7台を見込む2012年4月TKMエティオス南アフリカ共和国への輸出開始した5月、トヨタ・サウスアフリカ・モーターズ (TSAM) が販売開始した南アフリカ仕様車はセダンハッチバック両方ともラインナップし、エンジン1.5リットルガソリンのみとなる。価格115,800126,600ランドとなる。。 2012年8月9日、ブラジル・サンパウロ州に建設されソロカーバ工場開所が行われ、同月中旬より同国向け「エティオスハッチバックおよびセダン生産開始9月18日発表が行われ、価格2万9,990レアルからとして、9月28日から販売開始したブラジル仕様車はフレックス燃料車となり、1.3リットル1NR-FBEハッチバックのみに、1.5リットル2NR-FBEハッチバックセダン両者搭載された。 2013年3月11日インドネシアのハッチバックモデル「エティオスファルコ」の販売開始2014年10月マイナーチェンジ実施した2017年10月インドネシアのハッチバックモデル「エティオスファルコ」の生産終了2018年1月インドネシアのハッチバックモデル「エティオスファルコ」の販売終了アギア統合2020年4月1日、トヨタ・キルロスカ・モーターはエティオス生産終了発表した。なお、スズキとの提携に基づきインド市場では2019年6月からスズキ・バレーノOEM供給受けてグランツァの車名販売しているが、同車がエティオスハッチバック(リーバ)の事実上の後継車種となる。セダンについてはXP150型ヤリストヨタエントリー車種となる。また、これによって南アフリカ共和国でも販売終了したが、後継車種として同年9月21日インド市場同様にバレーノのOEM供給受けてスターレットとして販売開始した2021年4月ヤリス統合される形でブラジル国内向けの販売終了アルゼンチンパラグアイウルグアイペルー向けの輸出生産継続エティオス前期型リア) エティオスリーバ(前期型リア

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初代(X50/60系 1980年-1984年)

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トヨタ・クレスタ」の記事における「初代(X50/60系 1980年-1984年)」の解説

1980年4月登場同時に新設されトヨタビスタ店最上級車種であった角目4灯ヘッドライトやスクエア・カットのテールライト持ち当時としてはスタイリッシュな4ドアピラードハードトップとして登場したマークII/チェイサー実質的な姉妹車ではあったが、クレスタはドアパネルを共用するのみで、他の姉妹車よりも高級なイメージ持っていた。半年後の同年10月マークII/チェイサーも初代クレスタ追従するフルモデルチェンジを受け、マークII3兄弟誕生することになる。 エンジン従来のM系に代わる新開発の2.0L直列6気筒1G-EU型(SOHC12バルブ)を初め搭載したグレード名は、6気筒エンジン搭載最上位グレード後年までクレスタ代表するグレードとなった「スーパールーセント」(Super Lucent)、6気筒エンジン搭載スポーティーグレードが「スーパーツーリング」(Super Touring)、6気筒エンジン搭載普及グレードが「スーパーデラックス」(Super Deluxe)、4気筒エンジン搭載上位グレードが「スーパーカスタム」(Super Custom)、4気筒エンジン搭載普及グレードが「カスタム」(Customであった4気筒エンジン全て1.8Lの13T-U型OHV)。 上級グレード設定されイメージカラーツートーンカラー絶大な人気得て若い世代高級車指向一気推し進める結果となった1981年10月 - 2.0L SOHCターボ(M-TEU型)搭載車発売マニュアルトランスミッションとの相性悪かったために、オートマチックのみの設定であった1982年8月 - マイナーチェンジでX60系となる。なお、X50系とX60系の型式違いホイールベース変更よるものである。角目4灯のヘッドライトフォグランプ内蔵異型2灯に変更これに伴い2.0L・1G-GEU型エンジン(160PSツインカム24搭載車追加同時に1.8Lの4気筒エンジンこれまでの13T-U型から小型・軽量設計の1S-U型SOHCエンジン差し替えとなる。同時にAT車には足踏み式パーキングブレーキ採用初代前期4・5代目のスポーツグレードはAT車でもセンターレバー式パーキングブレーキ)。 1983年2月 - 1G-GEU型エンジン搭載車電子制御オートマチックECT)を設定8月 - 2.2L 4気筒L型SOHCディーゼルエンジン搭載車追加販売終了前月までの新車登録台数累計227247台

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初代(1986年-1998年)

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ヒュンダイ・マイティ」の記事における「初代(1986年-1998年)」の解説

1986年マイティ韓国市場導入された。マイティ三菱ふそう・キャンターのリバッジ車であり、ベース車との相違点ブランドエンブレムのみであった1987年にはアジアへの輸出開始され数年のうちに他の市場にも輸出された。ヨーロッパで東欧南欧販売された。 シングルまたはデュアルキャブがラインナップされ、117PSを発揮する三菱ターボディーゼル搭載された。当初積載量2.5トン車両販売され、後に3.5トン車も加わった1994年11月フェイスリフトが行われ、ヘッドライト丸型から角型変更された。また、ABSオプション設定された。

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初代(HT81S型)

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スズキ・スイフト」の記事における「初代(HT81S型)」の解説

2003年平成15年6月12日 - ベース車の一部改良同時に発売ボディは3ドアハッチバックのみ。keiでいう前期型3ドア車に相当するオーバーフェンダーフロントスポイラー大型リヤスポイラー含むエアロパーツや、車体剛性を増すボディ下面のパフォーマンスロッド、レカロシート装備するアルミ鍛造ピストン変更のうえ高圧縮比化され軽量な樹脂製インテークマニホールド採用した1.5リッター自然吸気エンジンM15A)はスイフトスポーツ専用で、同じく専用チューニング施されECUによって85 kW115馬力)を発揮する。さらに、クロースレシオトランスミッション専用サスペンション、リヤブレーキのディスク化4輪ディスク標準車リヤドラム)、240 km/hスケールスピードメーター(ホワイトタイプ)など、標準車とは全く異な内容となったこのような本格的スポーツモデルにもかかわらず税別119万円という他のコンパクトカー標準グレードなみの低価格であったまた、コストアップ極力抑えるため、グレード設定5速MTのみであり(類別区分を減らすことで形式認定まつわる費用削減)、エアコン装備するもののオーディオレス仕様とするなど、モータースポーツベース車に近い内容である。 2代目スイフト発売以降併売されたが、2005年平成17年3月販売終了した海外仕様のスズキ・イグニス・スポーツ フロント海外仕様のスズキ・イグニス・スポーツ リヤ

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初代(アスコナA)

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オペル・アスコナ」の記事における「初代(アスコナA)」の解説

1970年10月28日カデットレコルト中間車種として発表された。一足先に9月9日発表されマンタ兄弟車種に当たる。2ドア/4ドアセダン、3ドアステーションワゴンがあった。日本には商標登録の関係か「オペル・1604」として輸入されたが、このクラス国産車競争力高まっており、ほとんど売れなかった。

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初代(1981-1993年)

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ダッジ・ラム」の記事における「初代(1981-1993年)」の解説

初代のダッジ・ラムラムのボンネットマスコットの付いた1930年代ダッジの車から命名された。その特徴の無いデザインやATしかなくタコメーターもないなど快適とは程遠い内装のため、販売面では振るわずフォードのFシリーズシボレーのC/Kシリーズ大きく空けられた。

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初代(1986年?-1996年)

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ダイハツ・ゼブラ」の記事における「初代(1986年?-1996年)」の解説

S80ハイゼットベース東南アジア専用車として登場

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初代(1975年-1983年)

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UD・コンドル」の記事における「初代(1975年-1983年)」の解説

1975年5月 登場エンジンはED6型(渦流室式)。 同時にパワートレイン足回り一部共有する中型バスRM90発表されている。 キャブ基本骨格Cシリーズ共通している。テールランプ長方形/赤の2色タイプサングレイトと同じ)で、赤レンズに丸いリフレクターがあった。 1976年10月 パワーステアリング付車を追加1977年4月 直噴ターボエンジン車「コンドルGF」を追加エンジンはFD6(T)搭載パワーステアリングクーラー標準装備していた。 1979年2月 マイナーチェンジNAエンジンをED6型からFD6型に変更し昭和54年排出ガス規制適合。キャブデザインも変更されるキャッチコピーは「いま、男のドラマが始まる。」テールランプ角型変更されたのはこのモデルからである。 1979年6月 6t積クラスコンドル6」を追加。FD6(T)エンジン6速トランスミッション搭載していた。 1980年10月 Cシリーズキャブ流用したワイドキャブを追加同年12月にはコンドル6にもワイドキャブが追加された。 1981年 マイナーチェンジフロント部分の「NISSAN DIESEL」のロゴ変更される。 初代のコンドルにはフロントホイールのセンター部分に「UD」の刻印入っていた。

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初代(2003年-2005年)

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メルセデス・ベンツ・バネオ」の記事における「初代(2003年-2005年)」の解説

先代Aクラス系のプラットフォーム利用した2ボックスであり、スライドドアVクラスと同様である。シート配列2列シートで5人乗り基本だが、3列シートモデルもオプション選択可能(日本仕様2列シートのみの設定)。 ただし、ルノー・カングーなどの同クラスライバル比べると、豪華な内装設計とそれに比例するかの如く価格であり、販売は全く振るわずにわずか2年生産終了となった

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初代(1980年-1999年)

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フィアット・パンダ」の記事における「初代(1980年-1999年)」の解説

2代目パンダの元となるコンセプトカージンゴ(Gingo )の名で発表された。当時経営状況良くなかったフィアットとしては心機一転、この新しい名前でデビューさせる予定であった。しかし、ルノーからルノー・トゥインゴとの商標類似指摘されルノー側が提訴する構えをも見せたため、ジンゴの名は使われパンダの名を引き継ぐこととなった波乱含み2003年デビューした2代目は、この年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞先代同様、四輪駆動4x4設定されるジンゴそもそもSUV的なコンセプト発表されたこともあって、2代目若干背の高いフォルムとなった前輪駆動モデルでもグレードによってはルーフレール装備される点もSUV的である。全長/全幅依然としてフォルクスワーゲン・ルポシトロエン・C2などと同等であるが、これら3ドアライバル違いパンダは5ドアハッチバックとなる。2代目パンダは、その全量がポーランド・シロンスク県のフィアット子会社において製造されている。主要な部品共有する新型フィアット・500同工場で製造される2006年3月にはアレッシィとのコラボモデル登場した2007年には1.4L 直列4気筒 DOHCエンジン (100PS/13.3kgm)を搭載するスポーティーモデル「100HP」を追加また、パンダは、2007年ダカールラリーに、「チーム・フィアット・パンダカール」にて4x4モデル出場した。2台体制ドライバーそれぞれ、M・ビアジオンと、B・サビーであったが、2台ともリタイア終わっている。 専用色使い細部デザイン特徴のアレッシィ 100hpにパワーアップされた限定モデル「100HP」

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初代(2012年- )

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フィアット・ビアッジオ」の記事における「初代(2012年- )」の解説

2012年4月北京モーターショー世界初公開され同年6月生産開始2013年、ビアッジオのハッチバック版である、オッティモが発表

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初代(2019年- )

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ルノー・アルカナ」の記事における「初代(2019年- )」の解説

2018年8月モスクワ国際モーターショー2018において、コンセプトモデルワールドプレミア2019年5月市販仕様発表されコンセプトモデル意匠をほぼそのまま踏襲し同年夏にロシア販売開始2020年3月3日韓国ルノーサムスン自動車当時)が兄弟車を「XM3」の名で発表ロシア仕様アルカナとはプラットフォーム異なる。 2020年9月23日欧州市場投入することを発表。よりスポーティーな外観となったR.S.ライン設定される2021年3月10日欧州市場にて正式発表受注開始2021年半ば豪州市場にて販売開始グレードZen, Intens, R.S. Line3種展開で、パワーユニットは1.3Lターボ(TCe155)+7EDCのみ。 2022年1月5日ルノー・ジャポン同月14日から開催される東京オートサロン2022」の出展概要発表するとともに2022年春期投入予定日本仕様アルカナ展示することを発表2022年2月24日日本仕様を正式発表/予約開始発売開始5月26日)。日本向け欧州仕様XM3同じくルノーコリア自動車での生産となり、パワーユニットは1.6 L直4・H4M+2モーター組み合わせたハイブリッドの「E-TECH」、グレードは「R.S.ライン」のみである。このためルノージャポンとしては初代コレオス以来久しぶり日本市場挑戦する韓国車両でもある。

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初代(2020年-、QY型)

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キア・ソネット」の記事における「初代(2020年-、QY型)」の解説

2020年2月5日ニューデリーオートエクスポコンセプトモデル出展され8月7日市販モデルオンラインで正式発表された。9月5日アナンタプル工場にて生産開始され同月18日からインド発売開始した2020年11月11日にはインドネシアでも発売開始された。 外観タイガーノーズグリル加えハートビート[要曖昧さ回避]に喩えられる形状LEDDRLテールランプ採用するなど最新キアデザイン言語踏襲している。ブートスペースは392Lを確保している。 パワートレーンインド仕様直列4気筒 1.2L カッパエンジン5速MT (115ps) 直列3気筒 1.0L カッパ T-GDI(直噴ターボ)と6速iMT(クラッチレスMT)または7速DCT (120ps) 直列4気筒 1.5L U ディーゼルエンジン6速MT (100ps) または6速AT (115ps) という構成になる。インドネシア仕様直列4気筒 1.5L ガンマエンジン6速MTまたはIVT組み合わせとなる。サスペンションフロントマクファーソンストラットリアがカップルドトーションビームアクスルで、ブレーキフロントディスクリアドラムとなる。 ダッシュボードには4,2インチのデジタルメータークラスターとセンターコンソールに10.25インチタッチスクリーン装備するキアのインフォテインメントシステムであるUVOはAIアシスタントによる音声操作地図無線アップデートなど多数機能備えている。 安全装備は6エアバッグとESC/HAC/VSMを備える。 この他BOSEプレミアム7スピーカーサウンドシステム(LEDサウンドムードライト付き)、ベンチレーテッドフロントシート、ウイルスバクテリアから保護する空気清浄機スマートフォンワイヤレス充電器なども装備される

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初代(デリカバン 1969年-1979年/デリカトラック 1968年-1979年)

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三菱・デリカ」の記事における「初代(デリカバン 1969年-1979年/デリカトラック 1968年-1979年)」の解説

1968年7月1日 600kg積トラックデリカ発売コルト1100と共通の1.1L・OHVガソリンエンジン(KE44)搭載で、最高出力58ps。このクラスでは初の3人乗り1969年4月 デリカトラックベースにした1BOXタイプとして、当時クラス最大のスペースユーティリティを誇る「デリカライトバン」、「デリカルートバン」「デリカコーチ」を発売1971年10月 トラック最大積載量を750kg積に変更しデリカ75シリーズとなる。エンジンギャランFTO1400ccモデルと共通の1.4L・OHVガソリンエンジン(4G41・ネプチューン86エンジン最高出力86ps)に変更ベンチレーター周辺ガーニッシュ設けられデザインとなり、フロントウインカー・サイドマーカーの形状変更バンテールゲートデザイン一新されテールランプテールゲート窓下から車体側に移設。これによりテールランプ形状が横型から縦型コーナーランプに変更される1974年11月 マイナーチェンジ今回三角窓廃止される国外仕様は除く)と同時にフロント周辺デザイン大幅に変更し(4灯式ヘッドランプおよび左右非対称フロントバンパーデリカ1400シリーズとなる。これと同時にランサー1200ccモデルと共通の1.2L・OHVガソリンエンジン(4G42・ネプチューン70エンジン最高出力70ps)を搭載しマイナーチェンジ前のフロント部分意匠をほぼ採用した廉価版デリカ1200シリーズラインアップ加えた1975年12月 50年排出ガス規制で1400ccモデル最高出力82psとなり、コーチ廃止される1976年11月 トラックの1400ccモデルホイールベースを150mm延ばした1t積車を追加1977年11月 カラーリング大幅に変更リアバンパー左右一体式変更されリアナンバーバンパー中央からテールゲート右下移設(バン・ルートバンのみ)。1400ccモデル最高出力は78psに再度スペックダウンされた。また、国外仕様はこの時点三角窓がようやく廃止となった

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初代(1994年-1999年、海外向け1994年-2005年)

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三菱・デリカ」の記事における「初代(1994年-1999年海外向け1994年-2005年)」の解説

上:2WD ロング 下:4WDデリカカーゴ 1994年5月12日 スペースギア同時にデリカカーゴ発売3代目バン/トラック継続生産スペースギア商用仕様で4ナンバー登録の標準ボディーと、1ナンバー登録のロングボディーを設定。2.0Lガソリンエンジン115馬力)とインタークーラーのない2.5Lターボディーゼルエンジン(85馬力)のみの設定や、高荷重に対応したリアリーフ式サスペンションなどがデリカスペースギア異なる。2WDFR)と4WDそれぞれ用意1997年 スペースギアと共にマイナーチェンジヘッドライトフロントグリルバンパーなどが新意匠となる。 1999年11月1日 デリカカーゴ日本国内販売終了一部輸出仕様2005年まで継続生産。また乗用仕様スペースギア車種整理行いながら2006年後半まで継続生産され翌年登場したデリカD:5バトンタッチした。 概要 ボディ形状駆動方式2WD ハイルーフショート ロング パートタイム 4WD エアロルーフショート 最大積載量と登録区分ショート:750kg / 4ナンバー ロング:1000kg / 1ナンバー エンジン4D56型ターボディーゼル全車 4G63ガソリンエンジン2WD ショート選択能 座定員2 / 5一部グレードは3 / 6名(前席のみ / 後席を含む) サスペンション:前 トーションバー + ダブルウィッシュボーン / 後 リーフリジッド

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初代(1983年~1988年)

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フォード・レンジャー」の記事における「初代(1983年1988年)」の解説

フォード・クーリエの後継として登場。「レンジャー」は、以前上級車種のFシリーズグレードの名前であった。この初代のみディーゼルエンジン搭載車や、三菱自動車製ディーゼルターボエンジンを搭載するものあった。日本メーカーのトヨタ・トラック(トヨタ・ハイラックス)や日産・ハードボディトラック(日産・ダットサントラック)などとそれほど大きさ変わらないコンパクトなピックアップトラックであったまた、これをベースにしたSUVブロンコII1984年モデル登場した

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初代(1936年–1940年)

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オペル・カデット」の記事における「初代(1936年1940年)」の解説

1930年代中期当時アドルフ・ヒトラー麾下ナチス政権支援によって、フェルディナント・ポルシェフォルクスワーゲン(後のタイプ1いわゆるビートル)を開発中であったアメリカゼネラルモーターズ傘下外資企業となっていたオペルは、近い将来国策発売されるこの新しライバル対抗できるモデルを必要としていた。 それまでオペルで最廉価大衆車「P4」は、前後輪とも固定軸の前時代的モデルで、ポルシェ開発する大衆車には到底対抗できないことから、P4の設計一新した後継車種として「カデット」が開発された。 1935年登場した上級モデル・オリンピアの延長線上に設計されており、ヘッドライト車体本体一体化しサイドステップ廃したモノコックボディデュボネ前輪独立サスペンションを持つ進歩的な設計であった在来流用水冷直列4気筒1,073ccエンジン旧式なサイドバルブ式で23馬力しかなかったが、757kgと軽量であったため最高速度は98km/hに達しフォルクスワーゲン市販されていなかったこの時点では相当に優秀な乗用車と言えた。 1938年には大規模なマイナーチェンジを受け、左右に緩い円弧描き上方がやや後退する流線型縦筋吸気孔を5段とるデザインであったフロントグリルは、当時オリンピア1937年後半マイナーチェンジ受けた「OL38」型)と同様な円弧の強い曲面垂直に立ち上がる横筋デザイン変更された。その他、側面通気孔にも改変見られる。そして、第二次世界大戦勃発後の1940年親会社GM意向押し切ってオペル工場ドイツ政府接収されカデット生産打ち切られた。 プレス型設計図などは保管されていたため、1945年ドイツ敗戦後生産設備ソ連運び去られ同国モスクヴィッチ・400/420として生産されることとなった戦後混乱期オペルカデット生産設備作り直すだけの余裕はなく、結局オペル戦後15年以上に渡って1,000ccクラスベーシックモデル持てないままに、1,500cc級のオリンピア(およびその後シリーズオリンピア・レコルト)を最廉価モデルとすることになる。 初期型 後期型

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初代 (2003-2015年)

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フォルクスワーゲン・トゥーラン」の記事における「初代 (2003-2015年)」の解説

5代目ゴルフプラットフォーム利用して2-3-2の7人乗りを可能とした小型ミニバンであり、2003年秋に発売された。欧州市場向けには当初、5人乗り仕様設定されていたが、現在では廃止されている。駆動方式FFのみで、ゴルフ一部グレードやパサート等に用意されている四輪駆動モデル(4MOTION)はない。 欧州ではタクシーとしても多く利用されており、ユーロNCAP5つ星安全評価得ている。欧州市場では、ルノー・グラン・セニック/セニック、プジョー・307SW/ブレーク、シトロエン・クサラピカソ、オペル・ザフィーラなどと競合する

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初代(1988年-1992年)

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UD・コンドル」の記事における「初代(1988年-1992年)」の解説

1988年 登場コンドル初のベッドレス車で、いすゞ・フォワードジャストン、三菱ふそうファイターミニヨン日野デーキャブレンジャーライバルとなる。

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初代(単車系:1994年-2015年、トラクタ:1995年-2016年 )

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:09 UTC 版)

いすゞ・ギガ」の記事における「初代(単車系:1994年-2015年トラクタ:1995年-2016年 )」の解説

1994年11月810シリーズ後継として登場単車型式KC-C##系、翌年登場するトラクタはKC-EX#系である。型式末尾にはモデルを表す数字が入る。(例:KC-CXZ81K1)。この数字1型であることを意味しダンプなどモデルによってはアルファベット数字の後に付く。このモデル初めてGVW22t&25t車が登場キャブカーゴ用のハイウェイキャブとダンプ用のオフロードキャブの2種類設定。ハイウェイキャブはヘッドライトバンパー側に付いている。まだキャブヘッドライト装備するスタイル多数派だった中、現在では当たり前になったバンパーヘッドライト装備するスタイルはこのギガ先駆けとも言える。キャブデザイン、ドアライト類なども同年2月登場した320フォワード共通している。ダブルキャブ車のリアドア810のものを使用低床4軸車はGVW25t車は国内大型トラック初総輪同型軸(22.5インチ265/60超扁平タイヤのちに19.5インチ変更)GVW22t;20t車は従来どおり。5種類グレード用意され、スペースクルーザー(ダンプはキングダンプ)、ハイカスタム、カスタム標準仕様リミテッド存在し最上級グレードのスペースクルーザーには電動カーテン木目調パネル合皮ステアリング&シフトノブなどが装備されたが、最下グレードリミテッド1人乗り仕様であった1995年セミトラクタ全輪駆動車を追加セミトラクタにはフロントパネル専用のメッキモールが装備されモールより内側部分ガンメタ塗装されている。 1997年マイナーチェンジ2型となる。型式末尾に2が入る(例:KC-EXR82D2)。セミトラクタおよびギガマックスフロントパネルグリル8つ分かれた形状となる。大型トラックとしては初めて、全車運転席SRSエアバッグ標準装備ディスチャージヘッドライト装着6×4セミトラクタ国内最高600PSのV型10気筒自然吸気エンジン10TD1を設定。オフロードキャブ・セミトラクタのフロントグリル3本スリットから6つの穴に別れたスタイル変更した。4バッグエアサス搭載ギガマックス発売直6エンジン車はハイキャブ化され、フェンダーゴムが太い形状になっている直6車はキャブ高くなり専用バンパー付き通常よりも高い位置ヘッドライト通常よりも低い位置ナンバープレート特徴である。このモデルより、4軸低床車のタイヤは総輪小径化されている。 2000年マイナーチェンジ中期型へ。平成11年排出ガス規制適合KL‐)。3型となる(例:KL-EXR52D3)。ハイウェイキャブのフロントパネルグリルが逆台形デザインになり、エンジンは、V型が12PE1から8TD1に変更し直66WA1から6WF16WG1変更した実質ほとんどのモデル直6エンジン移行したため、2型直6車に準じてハイキャブスタイルが標準化された(タンクローリーなど、特装車向けに低キャブ仕様もある)。また、直6エンジンのオフロードキャブ車はハイキャブとなるため、フロントバンパーがハイウェイキャブ用のエアダムなし仕様流用するようになったヘッドライト部分目潰ししてある)。直6エンジン車のシュノーケル細長い形状から平べったい形状変更2003年6月デザイン変更はないがマイナーチェンジ4型となる(例:KL-CYL23T4)。平成13年騒音規制適合セミトラクタ以外にもフルエアブレーキ標準化し自然吸気V型エンジンラインアップから外されインタークーラーターボエンジンにいち早く統一スムーサーG設定速度表示灯廃止されたが、ハイルーフ車にはまだ速度表示灯レンズ形状そのまま残っており、ボディカラー塗装されている。 2003年11月6WF1エンジン搭載車平成16年排出ガス規制(新短期排出ガス規制適合車を追加設定型式5型になっている(例:PJ-CYL51V5Z )。KL-車と外見差異はない。 2004年完成車「Gカーゴ」の設定2005年8月マイナーチェンジで6型となる(例:PJ-CYJ51W6)。外見ではフロントバンパー変更されている。1、2型の低キャブ車用のフロントバンパー再利用し、新規部品スペーサー上部装着している。灯火器の保安基準適合(オフロードキャブを廃止)。ヘッドライトより低い位置ナンバープレートがあるバンパー消滅全車フロントナンバープレートの位置ヘッドライトと同じ高さに統一した。フロントウインカーのレンズ2分割し、外側ウインカー、奥側をフォグランプとした。厳密にはこのコンビランプ自体2000年MCモデルスーパードルフィンプロフィアスペースレンジャー流用である(この2車のコンビランプはギガ用と外形同一で、灯室を二分割しフォグランプ足して設計変更したものであった)。これまでキャブブリスターフェンダー設置されたサイドウインカーにサイドリフレクターが内蔵されていたが、このリフレクターのみをバンパーコーナーに移動する変更が行われたため、サイドウインカーのリフレクタースペースはダミーになっている平成16年排出ガス規制(新短期排出ガス規制PJ‐)に完全対応させる。6SD1型エンジンを6UZ1型エンジン代替コスト削減のために全輪駆動車が提携関係ある日自動車プロフィアと同様、生産中止となった全輪駆動車が必要とされる除雪車や農畜車輌などの需要にはプロフィア同じくUDトラックス(旧:日産ディーゼル工業)からクオン全輪駆動車のOEM供給を受ける事で対応している2006年4月1日:6UZ1型エンジン搭載車平成17年排出ガス規制適合車を追加完成車「Gカーゴ」の装備拡充およびショートキャブ・ルーフベッド付きの「スーパーGカーゴ」の追加設定2007年3月:6UZ1型エンジン搭載車先行してマイナーチェンジ実質的に7型だが、型式はなぜか7を飛ばして8型となっている(例:PDG-CYL77V8)。フロントリッドのグリルデザインを“6キューブ”と呼ばれるものへ変更同時にそれまでフロントウインドウ直下存在していた黒帯なくなった大きな特徴である。「GIGAロゴ新デザインになり、フロントロゴ左側から右側移動しエルフフォワードイメージ共通化図られた。低キャブ仕様廃止全車型が新長期排出ガス規制適合主力車型平成27年度燃費基準達成車を設定するミリ波レーダー車間距離警報装置、同クルーズコントロールを「VAT」として新開発バンパー上部ガーニッシュブラックからガルグレー変更2007年6月6WG1エンジン搭載車遅れてマイナーチェンジトラクタには電子式車両姿勢制御システム(IESC)を新たに採用6WF1エンジン廃止2007年10月危険走行時に自動的に減速し衝突被害軽減する衝突被害軽減ブレーキ開発。IESCを単車にも展開。 2009年2月カーゴ車両用ミラー空力形状となり、ドアウインカーが法規対応(ECE/R48)のため小型化、クリアレンズ化された。また、VAT」に側方監視モニター追加した2010年5月17日:ビッグマイナーチェンジ。実質的な8型であるが、型式末尾についていた数字消滅(例:LKG-CYL77A)。末尾のAは初代ギガであることを意味し、ロングシャーシ以外のモデルではAの後ろシャーシ長さを表すアルファベット付いている。日野共同開発した尿素SCRシステムDPD組み合わせ平成21年排出ガス規制適合単車原則として6UZ1型エンジン統一ダンプCXZCYZ)には新たに副変速機付き16MT設定キャブフロントグリル面積拡大しエンジン冷却性能高めヘッドライトフォワードトン仕様車と同一の物に変更また、22.5インチホイールをJIS規格の8スタッドからISO規格10スタッド変更2014年10月28日一部改良VAT・IESC(電子式車両姿勢制御システム)を標準装備化。3軸車にショートキャブを設定。 セルフローダー PJ-CYH系 東京消防庁のスーパーアンビュランス PJ-CYZorCYY系 警視庁機動隊水難救助車 KC-CVR系 車内 機動隊仕様レッカー車 KC-CVR系 ミキサー車 KC-CXZ81K2型 オフロードキャブ

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初代(1948年~1952年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:11 UTC 版)

フォード・Fシリーズ」の記事における「初代(1948年1952年)」の解説

en:Ford F-Series (first generation)」も参照 F-1、F-2、F-3、F-4、F-5、F-6F-7F-8という8種類タイプがあった。

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初代(エミおねえさん)(演:長谷川恵美、2009年5月 - 2017年3月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 13:30 UTC 版)

チュバチュバワンダーランド」の記事における「初代(エミおねえさん)(演:長谷川恵美2009年5月 - 2017年3月)」の解説

SET所属ダンスや歌が得意。ダスターDイタズラ被害に遭うことが多いが、必殺技(?)の「おねえさんビーム」でキャプテン☆CダスターD圧倒することもある。

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初代(E20型 1973年-1980年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:55 UTC 版)

日産・キャラバン」の記事における「初代(E201973年-1980年)」の解説

スライドドアレールを隠すためのボディー一周するモール特徴ライバル2代目ハイエース比べホイールベースがやや長く、リアオーバーハングが短い設計トヨタニッサン、二社のこの思想違い次世代以降にも引き継がれることになる。 1973年2月 E20型を発表標準ボデーとロングボデーの2種類。3/6人乗りバン、9人乗りコーチ15乗りマイクロバス設定された。エンジンは1,500ccのJ15型と1,600ccのJ16型の2種類1976年1月 車名のみを変更した日産・プリンス店スカイライン販売会社日産プリンス沖縄販売ではキャラバン販売)向けのキャラバン姉妹車として「ホーミー」が発売。なお、ホーミーは旧プリンス時代1965年に初代が登場している。 バンコーチNAPSにより昭和50年排出ガス規制適合J16エンジン廃止J15エンジン搭載車79年まで継続)、H20型 2,000ccガソリンエンジン変更される1977年3月 一部改良コーチ昭和51年排出ガス規制(C-KPSE21型)に適合全車フロントシートベルト(中央席を除く)をELR装置付き変更電装系ではリアワイパー・パッシングライト装置新設し駐車灯を左右同時点灯方式変更1978年5月 初のマイナーチェンジ外観ではフロントグリル一新室内ではスピードメーター扇型から角型になり、同時にインパネデザイン変更される。SD22型 2,200ccディーゼルエンジンハイエース対抗したハイルーフバン追加同時にマイクロバスハイルーフ化。 1979年4月 バンはガソリン・ディーゼル共に昭和54年排出ガスならびに騒音規制(E21型)に適合するJ16ガソリンエンジンJ15代わるかたちで復活する同時にコーチガソリンエンジン搭載車昭和53年排ガス規制適合(E22型)のZ20型(105馬力シングルキャブレター仕様)に変更される

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初代(1963年10月から1974年12月まで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:29 UTC 版)

アップダウンクイズ」の記事における「初代(1963年10月から1974年12月まで)」の解説

前面解答者番号ランプと「横反転リーフ式(いわゆるソラリー式)賞金表示板」があった。金額表示5桁で、10正解時は9問正解時の金額そのまま表示された。表示する時「バシャバシャ…」という独特な音がした。また、解答者席後方画面右斜め上)には、ロート製薬主力製品名(パンシロン、Vロートなど)が掲出されていた。 問題分かった時に解答ボタンを押すと、白地に赤い丸(○)が書かれている弓矢の的のような丸い板(別名 ペコン板)が立ち上がる複数解答者押した場合、最も押すのが早かった解答者番号ランプ点灯し解答を得る。セット両端1枠の左隣と6の右隣)には、下から1~10数字並べられており、これが段階表示役割果たしていた。 解答ボタン丸型一個スイッチで、ゴンドラ左側解答者からは右側)に設けられていた。 不正解の時は、"×"(罰点カラー=白)を立体にした置き看板アシスタント持ってきて表示した放送開始当時ゴンドラ一式の製作に600万円掛かった。ゴンドラメーカーの関係者は、製作はもちろん放送局スポンサー説得するために苦労したそうである。 番組カラー放送移行時(推定)にゴンドラ一部変更が行われ、解答者席後方部分これまでの長四角から半円形になり、併せて段階表示なくなったゴンドラの色はパープル後方部分グレーで、ゴンドラレールも淡いパープル塗られていた。

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初代(開場~2004年シーズンまで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:23 UTC 版)

東京ドーム」の記事における「初代(開場2004年シーズンまで)」の解説

1988年昭和63年)の完成時スコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボードスコア表示のみ)だった。打順チーム名表示開場初年のみ「巨人」・「阪神」などの通称使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」・「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字どちらも明朝体)。2003年に、後述するスコアボード改修機に再び通称表示パ・リーグ場合は「大阪近鉄」・「福岡ダイエー」・「千葉ロッテ」等)に変更されたが、2004年ニックネーム戻された(2003年以降文字どちらもゴシック体)。 オーロラビジョン1990年平成2年)にハイビジョンサイズへ変更1999年平成11年)に全面改修された。2001年平成13年)にサブボード三菱電機製フルカラー表示全面オーロラビジョン全面改修された。 2003年平成15年)にスコアボード部が改修されホームラン時の映像パフォーマンスホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手打率AV)、ホームランHR表示打点RBI)が加わった球速表示単位が"km"から"km/h"に変更されスコア部分チーム名表示が普通のアルファベットから各球団帽子マーク変更された(2004年以降西武近鉄帽子マークイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体近鉄太字の「Bu」が使用された)。選手名使用されていた文字字体多少変更された。2004年平成16年)のシーズン途中からは、サブボード球速表示部分にも打席選手名打率AV)、ホームラン数(HR)が表示されるようになった球速表示はその下に表示される

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初代(民営化 - 2017年3月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:24 UTC 版)

九州旅客鉄道」の記事における「初代(民営化 - 2017年3月)」の解説

国鉄から民営化されてJR九州発足以来デザインにほとんど変更無く、駅社員乗務員運転士車掌)とも共通の制服である。冬服紺色スーツ型で襟元にはコーポレートカラー赤色ラインが入る。ネクタイは赤をベースに黒や白のライン入ったものとなっている。 駅長新幹線車掌在来線優等列車車掌など管理者クラス社員は濃い紺色ダブルタイプとなる。ネクタイは紅と金色のストライプでインナーシャツは個人のものを使用する制帽JR他社異なりヨーロピアン風の型状(ドゴール帽)で、正面には旧国鉄シンボルマーク動輪」にJRマーク入ったものに、赤色ライン入った帽子採用している。 なお、乗務員上着の左肩には月桂冠と列車をモチーフにしたエンブレム面ファスナー止め着用するエンブレムの上下の列車部分には「運転士/DRIVER」(白い刺繍)、「車掌/CONDUCTOR」(赤い刺繍)などと標記されている。このエンブレム在来線乗務員新幹線乗務員とでデザイン異なり新幹線乗務員エンブレム下部金色刺繍入っており「新幹線 運転士」「新幹線 車掌」と標記されている。このほか、指令員(青い刺繍)などがエンブレム佩用する女性用制服営業関係社員と運転関係社員とでは異なる。営業関係社員は左肩元に「KYUSYU RAILWAY COMPANY」のロゴ入った黒のスーツタイプ制服スカーフを巻く。制帽はない。この制服にはパンツタイプ、スカートタイプが存在する。運転関係社員は前述男性制服と同じ紺色制服着用する制帽に関しては、これまで男性社員同様ヨーロピアンタイプ帽子であったが、新幹線駅および博多駅小倉駅在来線輸送係を除き2010年6月ごろから変更されJR他社同様ハットタイプのものとなった一方夏服冬服よりは薄い紺色ズボン男性チェック柄の女性水色半袖ワイシャツ着用する上着省略する駅長車掌区長新幹線車掌在来線優等列車車掌など管理者クラス社員灰色襟元赤色ライン入ったダブルスーツタイプ制服着用する。勿論、制帽灰色ヨーロピアンタイプである。女性管理者クラス社員も同じものを着用する女性営業関係社員は上述の冬の制服の上着を省略し代わりにインナーベスト着用する客室乗務員制服存在しており、「ハイパーレディ」や「つばめレディ」用等が設定されていた。その後、つばめレディベースとした共通デザインのものが導入されたものの、「TSUBAMEロゴ入った「つばめレディ」用と混在した状態となっていた。 厳冬期に乗務員駅員着用するジャンパーは、国鉄踏襲するベージュ色の厚いガウンジャケット(肩にエンブレム取り付けられるほか、胸にはJRロゴエンブレム取り付けできる。)が使用されていたが、2011年から黒色で「AROUND THE KYUSHU」「KYUSHU RAILWAY COMPANYロゴ入りラインなど白い部分には反射材採用した水戸岡鋭治デザインによるスッキリとしたブルゾン更新された。

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初代(1992年-1999年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:21 UTC 版)

札幌ボデー・トライハート」の記事における「初代(1992年-1999年)」の解説

1992年平成4年11月札幌ボデー工業札幌市消防局共同開発発売した日本初4WD高規格救急自動車である。導入第1号車は札幌市消防局白石消防署配備された。(前期型) シャーシ三菱ふそう・キャンター5代目 FE4)、高床ワイドキャブでMT車のみの設定主な装備として4WDパートタイム式)なのはもちろん、ABS、二系統暖房装置自動収納装置防振架台、バックカメラ・モニター、 吹雪などの視界不良時視認性対策としてキャブ上部散光式警光灯加えバンパー上部散光式警光灯側面上部ハロゲンランプ赤色点滅灯(左右2個ずつ)、後部散光式警光灯(左右1個ずつ)を標準装備また、降雪後の凹凸路面やチェーン装着時の振動対策として後輪エアサスペンション標準装備している。 1994年平成6年)、前年フルモデルチェンジした三菱ふそう・キャンター6代目 FE5)のシャーシ合わせてボディ等もマイナーチェンジされた。(中期型) 1996年平成8年)、京都市消防局車体延長したタイプ大型救急車として導入された。 1997年平成9年11月人口30万人突破していた札幌市豊平区分区され清田区誕生清田消防署開設に伴い清田救急隊用として、 フロントバンパー側面ハロゲンランプ赤色点滅灯を増設しボディ側面上部ハロゲンランプ赤色点滅灯をLED式赤色点滅灯に変更した中期型最終モデル配備された。 1998年平成10年)、フロントバンパー側面びボディ側面上部ハロゲンランプ赤色点滅灯をLED式赤色点滅灯に変更し視認性を向上させた高床ベース最終モデル発売。(後期型) 初代前期型(札幌市消防局) 初代中期型札幌市消防局)

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初代(第1回放送- 1971年位まで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:30 UTC 版)

クイズタイムショック」の記事における「初代(第1回放送- 1971年位まで)」の解説

秒針白熱電球の上アクリル板かぶせたようなもので赤の正解ランプ一体型1 - 12ランプ秒針と一体して四角形だった(最初赤色秒針無かった)。この頃は、時計台中央のくるくる模様はなかった。6表示10万の位までの電光賞金表示もあった。

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初代(日本における販売)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:29 UTC 版)

マイバッハ」の記事における「初代(日本における販売)」の解説

初代・新マイバッハ販売については、東京都港区メルセデス・ベンツ日本直営六本木ショールーム新設され、そこで行われた(ただし、ブランド一時廃止伴って閉鎖されている)。訪問には事前予約が必要で、日本に3人のみのパーソナル リエゾン マネージャー (PLM) と呼ばれる専任販売員担当した通常商談原則1日1組であった車両本体以外に外板色や内装材の見本がすべて取り揃えられており、色の組み合わせ素材の手触り実際に確認してから注文することができた。セールス担当者顧客のもとで出張商談を行う際には、これらの素材コンパクトにまとめた営業ツール持参していたという。 2002年9月登場時の日本での販売価格は約4,100万円(消費税込)からとなり、最高級のオーダーメイドプランを組んだ場合1億円にもなるといわれた。装備価格例としては、サンルーフが約180万円電動パーティションが約400万円などで、パーティションセットでインターコム・システムが装備される各モデルとも約150万円追加により、右ハンドル仕様車も選択できた。その後数度価格改定経て2010年後半時点では、「57」の右ハンドルで約5,000万円消費税込)となっていた。なお、2010年7月22日日本市場追加された「マイバッハ・ランドレー」の価格1億4,200万円消費税込)からであった車両購入にあたっては、代金銀行振り込みとすること以外に特別な購入条件などはなかったという。ただし、任意保険加入条件保管場所要件世界最高級といわれる1台であり、盗難などの保安面のリスクが高い)を含めそれなりに厳しかった納車の際には、顧客指定した時間と場所まで、専用トランスポーター運ばれるアフターサービスについては、直営の「マイバッハSLRサービスセンター東京」(東京都目黒区碑文谷)が担当し、中・軽度整備および修理については全国4か所(札幌仙台大阪福岡)のメルセデス・ベンツ指定サービス工場内に設置した「マイバッハサポートセンター」が、ごく軽度なメンテナンスについては全国メルセデス・ベンツ指定サービス工場ネットワーク担当している。なお、マイバッハSLRサービスセンター東京2011年メルセデス・ベンツ品川委譲されているほか、新潟市ヤナセには57常時展示されていた。 初代モデル販売台数は、2010年半ばまでに「マイバッハ 57」と「マイバッハ 62」を合わせて全世界累計2,600台以上であり、日本においても150台以上が販売されたという。2006年の日本での年間販売台数は、18台(統計資料日本自動車販売協会連合会であった

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初代(Sir Topham Hatt I (1880-1956))

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:55 UTC 版)

トップハム・ハット卿」の記事における「初代(Sir Topham Hatt I (1880-1956))」の解説

1894年グレート・ウェスタン鉄道スウィンドン工場にて修行を受け、1901年ソドー島のティドマスの建設会社AW DryCo」に入社する技師としてティドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ軽便鉄道(Tidmouth, Knapford and Elsbridge Light Railway)等の建設携わり1914年ノースウェスタン鉄道建設手掛ける1923年にはゼネラルマネージャーとなり、1936年重役昇進した1948年鉄道国有化された際に局長となり、鉄道経営功績から準男爵位授与される製造建造に関する功績としては、1905年から1908年に4台の垂直型ボイラー機関車コーヒーポット設計・製造した他、1915年にビカーズタウンとグレートブリテン島を結ぶ跳ね橋設計・建設した。コーヒーポットテレビ版の長編第10作きかんしゃトーマス トーマスのはじめて物語』ではグリンという名前で登場し跳ね橋長編第8作きかんしゃトーマス キング・オブ・ザ・レイルウェイ トーマスと失われた王冠以降登場する

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