しょ‐だい【初代】
初代
代
初代(2005年-2010年)
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「シボレー・コバルト」の記事における「初代(2005年-2010年)」の解説
コバルトは北米市場において最も売れたGMのコンパクトカーであったキャバリエと、トヨタ・カローラをベースに開発されたプリズムの統合後継車種であり、2004年から2005年モデルとして販売が開始された。 SUVブームがやや下火になり始めてコンパクトカーの人気が再燃しつつあるという開発当時の状況を受けて、コンセプトを従来よりも若者を強く意識したものへと修正し、さらに日本製や韓国製の小型車などにも対抗できるように商品力の向上を図った。 前身のキャバリエは老朽化した「Jプラットフォーム」を採用していたが、コバルトでは新たに小型車向けのグローバルプラットフォームである「デルタプラットフォーム」が採用された。同プラットフォームは他にオペル・アストラ、サターン・アイオン、シボレー・HHRなどで採用されている。 ボディタイプはキャバリエに引き続きクーペとセダンの2種類がラインナップされた。グレードはLS、1LT、2LT、3LT、LTZ、SSが設定された。最上級グレードのLTZはクローム仕上げのグリルやモールをあしらっている。高性能グレードのSSについては後述。 エンジンは直4 DOHC 2.2Lが搭載され、2009年モデル以降はVVT付きのものに換装された。トランスミッションは5速MTまたは4速ATが用意された。 ロードホイールはLSと1LTが15インチスチールにフルカバー、2LTが16インチ、シルバーペイントスチールホイール、3LTとLTZは16インチアルミホイールが標準となる。オーディオも、LS以外はMP3に対応し、iPod用のジャックも装備される。 生産はアメリカ合衆国オハイオ州のローズタウン工場で行われた。コバルトは2010年をもってモデル打ち切りとなり、同車のポジションは世界戦略車であるクルーズへと引き継がれることとなった。 2014年2月、大規模なリコールを実施。重いキーホルダーを使用するとイグニッションのセンサーが動作不良を起こし、エアバッグが開かなくなる可能性があるというもの。所有者に対して、改修が終わるまで不必要な鍵や飾りは取り外すよう要請が出された。
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初代(1981年-1991年)
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「UD・コンドル」の記事における「初代(1981年-1991年)」の解説
1981年12月 バイソンの後継車種として日産・コンドル20/30を発売(H40型)。日産・アトラス200/300の兄弟車。 1982年12月 昭和57年排出ガス規制対応。 1983年1月 FD33Tエンジン搭載車及び保冷車新設。 1984年6月 一部改良。FD33エンジン及びエクストラパック新設。 1986年11月 マイナーチェンジ。フロントグリルの造形を変更。エンジンは、SD25からTD27に、FD33からFD35にそれぞれ変更。左右のドアに「UD」マークのエンブレムが付く。 1989年6月 日産ディーゼル・コンドル35(P-NK110型)追加。
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初代(1999年~2009年)
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「ヒュンダイ・エクウス」の記事における「初代(1999年~2009年)」の解説
1999年に日本の三菱自動車製「プラウディア」との共同開発によりエクウスの名称で発売された。他国(サウジアラビアなど)への輸出用モデルはセンテニアルの名称で販売されている。マイナーチェンジも行われ、2009年に自社独自開発とされる2代目モデルにフルモデルチェンジされた。 プラウディアとの相違点は、グリル、ボンネットマスコットが異なり、3.0Lエンジンの設定がある(2006年のマイナーチェンジで3.3Lエンジンに変更され、3.5Lエンジンも輸出用を除いて3.8Lエンジンに変更されている)ことである。 なお、プラットフォームは子会社の起亜自動車の高級車オピラス(輸出名「アマンティ」)にも流用されている。 後期 フロント 後期 リヤ
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初代(AG型、2014年-2018年)
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「ヒュンダイ・アスラン」の記事における「初代(AG型、2014年-2018年)」の解説
2014年10月30日、韓国国内にて発表。近年の韓国市場における輸入高級セダンの急増に対抗すべく開発された。仮想敵をレクサス・ES、アウディ・A6とし、発売当初より、韓国国内のみでの販売とされた。 5代目グレンジャーをベースに、ジェネシスに肉迫する高級感とサイズを持たせており、エクステリアは2代目ジェネシスから始まった新デザインアイコン「fluidic sculpture 2.0」(流体の彫刻 2.0)に則ってデザインされている。 内装やエンジンルームなど、各部分に音を吸収する特殊素材をグレンジャーよりも多く使用することで、騒音や振動を大幅に軽減させた。 また、運転席側フロントガラス部に車速や交通情報などを表示する「ヘッドアップディスプレイ」、事故が起こった際に歩行者の頭を保護する「アクティブフードシステム」(ボンネット)などを新たに追加することで安全性も向上している。 搭載されるエンジンは全車V6・直噴ラムダ。3.3Lと3.0Lの2種を用意し、いずれにも6ATを組み合わせている。グレンジャーに用意されるハイブリッドやディーゼルは設定がない。 2018年1月、大きな改良が施されることがないまま、わずか3年3カ月でモデル終了。ヒュンダイのラインナップでは珍しく、一切韓国国外へ輸出(販売)されなかった車種でもある。 間接的な後継車種はジェネシス・G70/G80。
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初代 (1997-2014年)
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「雙龍・チェアマン」の記事における「初代 (1997-2014年)」の解説
W124型メルセデス・ベンツEクラスのプラットフォームをベースに雙龍初の高級セダンとして登場。初代はまさにベンツそのものであっただけに「ベンツの血統」というキャッチコピーのCMまで存在した。Eクラスをベースとしているものの、外観はSクラス(W140型)を強く意識したものとなっていた。ラインナップはメルセデス・ベンツのライセンスを取得し、生産された3.2L・直列6気筒の「CM600」、2.8L・直列6気筒の「CM500」、2.3L・直列4気筒の「CM400」の計3種で、いずれも5G-TRONICと呼ばれる5速ATが組み合わされる。 1997年 - 発売。 1998年 - 雙龍自動車が大宇自動車(現在の韓国GM)に吸収され、「デーウ・チェアマン」として販売される。 2000年 - 雙龍ブランド復活とともに車名も「サンヨン・チェアマン」に戻る。 2001年 - ラジエーターグリルとアルミホイールの意匠を変更。 2003年 - 大掛かりなマイナーチェンジを実施、前後デザインを大幅に変更。 2006年 - 3.6Lエンジンを追加。 2008年 - 「チェアマンW」の投入に伴い、車名を「チェアマンH」に変更。グレードを3.2Lエンジンの「600S」と2.8Lエンジン搭載の「500S」に集約され、ノーマルボディのみとなるもののチェアマンW登場後も併売されている。 2011年 - マイナーチェンジ。フロントマスクを大幅に変更した。 2013年 - モデル廃止。
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初代(ビスカスカップリング式)
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「リアルタイム4WD」の記事における「初代(ビスカスカップリング式)」の解説
1986年(昭和61年)、それまで機械式パートタイム四輪駆動を採用していた初代シビックシャトルにリアルタイム4WDが搭載された。旧来はボタン操作でトランスファーを接続することによって前輪駆動と四輪駆動を切り替えていたものを、後輪へ駆動力を伝えるプロペラシャフトにビスカスカップリングを配すことにより、前後輪の「回転差」により、駆動力が後輪にも伝わるようにしたもの。前後輪の回転差が過大な時に発生するタイトコーナーブレーキング現象には、ビスカスカップリングがトルク差を発生させないため、基本的には発生しない。 1988年(昭和63年)に発表された初代コンチェルトには、新たにINTRACを搭載。後輪のディファレンシャルギアの代わりにビスカスカップリングを左右2個配し、前輪及び左右後輪の駆動力配分と差動制限とを行い、ビスカスカップリングとプロペラシャフトとの間にアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)と連動して作動するドグクラッチを配し、当時の技術では難しかったスタンバイ式4WDと4輪ABSとを両立した。
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初代(MS型、2000年-2005年)
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「キア・オプティマ」の記事における「初代(MS型、2000年-2005年)」の解説
初代オプティマ 2000年、マツダ・クロノスベースのクレドス/クラルスの後継車種として登場。欧州やカナダなどではマジェンティス(Magentis )の車名で販売された。起亜が経営破綻により現代自動車傘下となった関係でヒュンダイ・ソナタ(EF型)とプラットフォームを共有する。本来はヒュンダイ・ソナタ(EF型)のマイナーチェンジ版として開発が進められていたが、急遽旧態化していた「クレドスII」の後継車種となった。 初代オプティマリーガル 2002年、韓国ではアメリカと同じ「オプティマ」のネーミングで販売され、マイナーチェンジで上級版の「オプティマリーガル」が追加された。排気量は1.8/2.0の直4と2.5のV6仕様(オプティマリーガルの登場時に韓国国内でオプティマの2.5リッターV6エンジンモデルの生産は終了)。なお、オプティマリーガル登場に伴い、それまで生産していたポテンシャ(マツダ・ルーチェ(5代目)のライセンス生産)が廃止となった。一部改良で韓国車初のCVT搭載モデル(ランサー・セディアのCVTミッションを搭載)を設定、韓国国内ではSS-CVTという名称で呼ばれていた。(ちなみにSS-CVTとは「Steptronics Sports mode - Continuously Variable Transmission」の頭文字であるとされている)
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初代(1977年10月 - 1992年3月)
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「こちら海です」の記事における「初代(1977年10月 - 1992年3月)」の解説
「こちら海です」の下に波を現す形だった。海の部分が大きかった。
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初代(初回から2009年3月)
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「リンカーン (テレビ番組)」の記事における「初代(初回から2009年3月)」の解説
番組開始当初から2009年3月までのオープニングはフルアニメーションで制作されており、メンバーをデフォルメしたキャラクターが登場していた。監督・キャラクターデザインは中山大輔、制作はSTUDIO 4℃。 電影空間にあるとされる近未来都市「リンカーン」を舞台に、9人のスーパーヒーローたちが戦闘を繰り広げるという内容。最後は全員のシルエットをバックにタイトルロゴとタイトルコールが入る。
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初代 (1981-1993年)
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「フィアット・デュカート」の記事における「初代 (1981-1993年)」の解説
初代デュカートは1981年に導入され、1993年にフェイスリフトを施された。エンジンは2.0 Lの直列4気筒のガソリンエンジンと1.9 Lのディーゼルエンジン、グレードはベースのSとSXがあった。生産はイタリアのセヴェル南(Sevel Sud)工場で行われた。ほぼ同一の他ブランドの車としてアルファ・ロメオ AR6、プジョー・J5、シトロエン・C25、タルボ・エクスプレス(1986年 - 1992年)があった。デュカートの各モデルの名称はその積載量に応じて、デュカート 10(1.0トン)、デュカート 13(1.3トン)、デュカート 14(1.4トン)とデュカート マキシ18(1.8トン)であった。
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初代(V200型、1999 - 2006年)
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「シボレー・エピカ」の記事における「初代(V200型、1999 - 2006年)」の解説
1999年発表。韓国とベトナムでは大宇ブランドでマグナス(Magnus )、欧州では当初大宇ブランド後にシボレーブランドのエヴァンダ(Evanda )、それ以外の地域(南米、カナダ、中国など)ではエピカの名称で販売された。また、2003年に開催された第37回東京モーターショーで現行型オプトラとともに参考出品され、日本市場への投入が検討されていたが、実現しなかった。 また、北米ではスズキにもスズキ・ヴェローナの名称でOEM供給された。 台湾では、現地の自動車会社である台塑汽車で台塑(フォルモサ)・マグナスとして生産/販売された。 駆動方式は横置きFF。これにホールデン製の直列4気筒2,000cc、もしくはGM大宇製の直列6気筒2,500ccエンジンを搭載している(初期型にはSC-1と呼ばれる直4・2,000ccエンジンが搭載されていたほか、韓国国内には直6・2,000ccエンジンの設定もあった)。直列6気筒エンジンの横置きFFというレイアウトは、ボルボのS80やXC90等以外では同車のみが採用している方式である。また、デザインはイタルデザインが担当している。
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初代(1986年-1989年)
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「日産・ピンターラ」の記事における「初代(1986年-1989年)」の解説
R31型スカイラインの現地生産モデル。ボディタイプは4ドアセダンとステーションワゴンの2種類のラインアップがあり、搭載エンジンは現地製のCA20E型2000ccエンジンを搭載していた。尚、6気筒モデルはスカイラインとして発売されていた。これまで販売されてきたセドリック(230型から430型までのモデルを、DATSUN220C・DATSUN260C・DATSUN280Cの名で販売。)の輸入終了に伴う代替車種の一環で誕生したスカイラインTI3.0L(RB30E)は、日本国内には無い高級なデザインと走りこそが売りであった。日本のGT路線とは対照的で、装備などもローレルメダリストに近い。それより下のグレードにはGX、シルエットも用意されていた。1989年のセフィーロ出現に伴い、2代目以降6気筒モデルは終了した。
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初代(JW型、2021年 - )
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「ジェネシス・GV60」の記事における「初代(JW型、2021年 - )」の解説
2021年8月19日に概要が公開され、9月30日、韓国にて発表。 スタイリングは他ジェネシスの車種同様、2本のラインで構成される「クアッドランプ」と「クレストグリル」を採用し、ジェネシスファミリーの一員であることを強調している。但し、EVゆえにラジエーターグリルが不要のため、クレストグリルはバンパー中央部で形成されている(グリルは高電圧バッテリーの冷却効率を高めることが目的である)。 アウタードアハンドルは2代目G90やネクソ(ネッソ)同様の自動格納式、サイドミラーはレクサス・ESにも例があるデジタル式を採用している。インテリアに設置されたメーターはフルデジタル式で、シフトセレクターはダイアル式を採用。シフトセレクターは「クリスタルスフィア」と呼ばれ、停止中はアンビエントランプとして機能し、始動時に回転して現れる仕組みとなっている。 Bピラーに内蔵された小型の近赤外線カメラにより、ドライバーの顔を認識してドアを施錠/開錠し、車内に乗り込むとドライバーごとに設定されたシートやステアリング・ホイール位置に自動であわせる「フェイスコネクト」をジェネシスブランド車で初採用。所定の位置に指をかざすと起動出来る「指紋認証システム」も採用することで、キーを携帯することなく乗車が可能となる。 ベースとなったアイオニック5同様、EV専用のRRプラットフォーム「E-GMP(Electric-Global Modular Platform)」を採用し、AWDも用意される。パワーユニットであるモーターは2WDの場合、168kWの最高出力と350Nmの最大トルクを誇り、満充電時の航続可能距離は451kmを可能とする。モーターは2WDモデルが1基、AWDモデルが2基を搭載し、後者は2WDとAWDを自由に切り替えられる「ディスコネクターアクチュエータシステム(DAS)」を採用。バッテリー容量はいずも77.4kWhを誇る。
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初代(CK型、2017年- )
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「キア・スティンガー」の記事における「初代(CK型、2017年- )」の解説
2017年5月23日、韓国にて正式発表・発売開始。韓国国内仕様は内外装に起亜のCIマークを一切装着せず、代わりに「E」をモチーフにしたオリジナルエンブレムを装着する。手法はモハベに次いで2例目であり、セダン系においては初である。尚、海外向けについては「E」エンブレムに代わってCIマークが鎮座する。 シャシはジェネシス・G80のものをベースに、ショートホイールベース化。G80同様、FRに加え、起亜のセダン系では初となるAWDも設定される。 エンジンはG80からキャリーオーバーされたV6・直噴の3.3L・GDIツインターボに加え、K5に採用済の直4の2.0L・GDIターボ、カーニバルに採用済の直4の2.2L・VGTターボディーゼルが用意される。 トランスミッションはエンジン・駆動方式の種別に関わらず、全て8速ATを採用する。 数々の安全装備に加え、グレードにより、ブレンボ製ブレーキシステム、lexcon製サラウンドシステム、電動式パーキングブレーキ、電動オットマンなども備える。 尚、この基本メカニズムの大半は追って登場するジェネシス・G70で共用する。
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初代(1982-1987年)
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「シボレー・キャバリエ」の記事における「初代(1982-1987年)」の解説
キャバリエは1982年に販売を開始した。FFコンパクトカーというGMにとって未開拓の分野であったため、2ドアクーペ・3ドアハッチバック・4ドアセダン・ステーションワゴン・コンバーチブルと多岐にわたりラインナップされた。エンジンは4気筒OHVが中心で1.8リッターから2.8リッターまでが選択できた。 GMのコンパクトカーというだけでなくそのラインナップの豊富さから、発売直後から順調に販売台数を伸ばした。わずか3年後には販売台数が初年度の8倍弱にまで達し、1984年、1985年においては販売台数全米ナンバー1を記録し大ヒットモデルとなった。 1986年には2.8リッターV6エンジンを搭載したZ24というGM(シボレー)伝統のスポーツグレードを冠したモデルが発売された。
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初代(1954年-1963年)
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「トヨタ・DA型トラック」の記事における「初代(1954年-1963年)」の解説
1954年3月 それまでのBX型・FA型に代わってBA型・BC型・FA型(2代目)登場。エンジンは3900㏄のF型を搭載。 1954年6月 FC型登場。 1957年3月 新開発のD型搭載のDA60型登場。これを機にトヨタ3番目の販売チャネルのトヨタディーゼル店を新設し、大型車市場に本格参入する。なお、これ以降型式にDと付くものはD型エンジンを搭載し、Fと付くものはF型エンジンを搭載する。
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初代(1973-1977年)
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「ビュイック・リーガル」の記事における「初代(1973-1977年)」の解説
ビュイックは1963年のフルサイズのリヴィエラで高級パーソナルカー市場に参入した最初のGMディビジョンであったが、その一方で低価格の中型高級パーソナルカー市場の開拓への対応は鈍かった。これに対してポンティアックが1969年にグランプリを、シボレーは翌1970年にモンテカルロを作った。同年にオールズモビルはフォーマルなノッチバッククーペのカトラスシュープリームを中型車のラインアップに加え、同車は間もなくオールズの中型車のベストセラーとなった。 これらと市場で競合する車種が求められ、ビュイックは1973年にAボディの中型車、センチュリーの最上位車種として「センチュリーリーガル」を発表した。この年は1968年に登場したGMのAボディ中型車が最初のフルモデルチェンジを受けた年でもある。 初期のリーガルはフロントおよびリアスタイルが姉妹車のセンチュリーと概ね共通であったが、異なるグリルとテールライトレンズを与えて区別された。リーガルは姉妹車のグランプリ、モンテカルロ、カトラスシュープリーム、そしてより低価格のセンチュリーラグゼスクーペと、「コロネード」ピラーのハードトップルーフライン(サッシュレスのセンターピラー付きハードトップ)とグリーンハウス(ウインドウエリア)を共有し、新しいファッショナブルなオペラウインドウ(シートメタルに囲まれた小さな嵌め殺しのリアサイドウインドウ)を備えていた。 1973年当初はコロネードハードトップクーペのみが用意されていたが、1974年には4ドアコロネードセダン(6ライトグリーンハウスとサッシュレスドア)がデビューした。1975年、リーガルからセンチュリーの名称が落とされた。1976年にフェイスリフトが行われ、合法化された角形ヘッドライトがクーペでは横方向に、セダンでは縦方向に並べられた。 リーガルのインテリアは概してセンチュリーよりも豪華に仕立てられていた。ダッシュボードやドアパネルの木目調部材やセンターアームレスト付ノッチバックベンチシート(布地、ベロア、ビニール張り)を備え、60対40のアームレスト付分割ベンチシートがオプションで用意されていた。また、1976-77年型リーガルクーペにはコーデュロイ張りのリクライニングバケットシートを含むS/Rオプションが用意された。 エンジンは当初全車で5.7L V8が標準で搭載され、より大きい7.5L V8は1973-74年のみオプションで用意された。クーペは1975年から3.8L V6を標準とした。1975-76年の時点では、センチュリーとリーガルはアメリカでV6エンジンを用意する唯一の中型車であった。 ドラマ『刑事コジャック』でテリー・サバラス演じるコジャック警部補の愛車(覆面パトカー)となった。
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初代 (2008–2017年)
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「シボレー・トラバース」の記事における「初代 (2008–2017年)」の解説
2008年のシカゴオートショーで発表。同年秋から発売を開始。ミニバンのアップランダーおよびSUVのトレイルブレイザーの後継車種である。プラットフォームはビュイック・アンクレイブやGMC・アカディアと同じGMラムダプラットフォームを採用する。これらラムダプラットフォーム車の生産はランシングのランシング・デルタ・タウンシップ組立工場にて行われている。 エンジンは直噴 3.6L V6エンジンを搭載し、これに6速ATが組み合わせられる。駆動方式はFWDとAWDの2種類がラインナップされている。 2012年4月、ニューヨーク国際オートショーにてフェイスリフトを受けた2013年モデルが発表された。フロントマスクは従来の上下二分割のボウタイグリルを捨て、新たに三本線のアッパーグリルと二本線のロワーグリルの組み合わせが採用された。また、ヘッドライトやフォグランプのデザインも一新された。リアエンドはテールランプやバンパーが一新され、ライセンスプレートの位置がリフトゲートに移された。インテリアはインストゥルメンタルパネルなどが刷新され、センタースタックには6.5インチのカラータッチラジオとシボレーの新しいインフォテインメントシステムであるMyLinkが搭載された。また、ビュイック・アンクレイブと同様に世界初のフロントセンターエアバッグ標準装備車種となる。 なお、日本では三井物産オートモーティブによって2009年から輸入販売されていた(日本仕様は自動車法規に基づき、サイドアンダーミラーを採用していた)が、同社が2011年11月1日付でディストリビュータ契約をゼネラルモーターズ・ジャパンに譲渡した事に伴い、販売を終了した。
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初代(1964-1967年)
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「シボレー・マリブ」の記事における「初代(1964-1967年)」の解説
シボレーシェベルとして1964年に登場。セダン、ステーションワゴン、クーペ、コンバーチブルと幅広いバリエーションを展開するとともに、スタイリッシュかつ機能的なコンセプトが受け、爆発的に売れた。「マリブ」の名はクーペの高出力モデルの「マリブSS」として用意されたのが始まりである。以降、「マリブ」は上級グレードの名として3代目まで使用された。
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初代(Y型 2008年-2016年)
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「ルノー・コレオス」の記事における「初代(Y型 2008年-2016年)」の解説
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ルノーサムスン・QM5 > ルノー・コレオス 2016年4月、北京モーターショーにて世界初公開。2016年8月、先陣を切ってオーストラリアで販売を開始。その後、徐々に各市場での販売が開始された。先代に引き続いて全量がルノーサムスン釜山工場製となり、世界80か国以上に輸出される計画である。但し、中国向けに関しては東風汽車との合弁企業である東風雷諾(ドンフェンルノー)の最新工場「武漢工場」にてカジャーとともに生産される(コレオスの中国名表記は「科雷傲」)。尚、フランス市場においては、カジャーとエスパスの中間を埋めるポジションに位置する。 エクステリアはルノーのデザイン部であるローレンス・ヴァン・デン・アッカーの提唱する近年のデザインアイコン「サイクル・オブ・ライフ」に則り、両サイドのランプから中央に向かってラインが延びるデザインを採用するとともに、最新のデザインアイコンであるL字型のLEDをヘッドライト下に配置している。 エクステリアはカジャーとの競合を避けるため、全長は先代比で大幅に延ばされ(逆に先代比で全幅は-10㎜、全高は-15㎜)、Dセグメントに昇格している。 エンジンは先代からキャリーオーバーされるM9R型2.0Lコモンレールディーゼルと2TR型2.5Lガソリンエンジンのどちらか、もしくは両方を市場に応じて投入する。但し、中国向けのガソリンエンジンはルノーサムスン・QM6と同じ2.0LのM5Rとなる。 タリスマンで採用済のインフォテインメントシステム「R-Link」は「R-Link 2」に進化し、8.7インチタッチパネルディスプレイを介してオーディオ、ナビ、エアコン等を操作する。 ベースとなっているタリスマンとは異なり、右ハンドル車も生産されるため、オーストラリアやニュージーランド、イギリス等の右ハンドル市場でも販売される。 なお、ルノーサムスン版は2016年6月2日の釜山モーターショーのプレスデーで初披露され、新たにQM6を名乗ることになった。事実上、QM5の後継車種となる。
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初代(1898年)
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黒川真頼が作詞、上真行が作曲をそれぞれ手掛けた初代の京都市歌は京都市小学校長会が選定したもので、1898年(明治31年)1月29日に発表された。現存する最古の市歌とされる1909年(明治42年)制定の横浜市歌より11年早く発表されており「日本最古の市歌」とされるが、8年後には2代目の市歌が発表され短命に終わっている。 初代「京都市歌」は、歌詞・旋律とも著作権の保護期間を満了している(パブリックドメイン)。 一、ちとせの昔(むかし) さだめたる 平(たひら)のみやの みやどころ ちとせの後(のち)も たひらかに かくぞさかゆる 宮(みや)どころ 二、 山(やま)もうるはし 宮(みや)どころ 川(かは)もさやけし 宮(みや)どころ 花(はな)ももみぢも 山川(やまかは)の きよしうるはし 宮(みや)どころ 三、 こころの花(はな)を うるはしき てわざにみする みやこ人(びと) これぞ御国(みくに)の ひかりよと みてこそあふげ よものくに (原文は旧字体)
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初代 (2000-2004年)
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「ヒュンダイ・サンタフェ」の記事における「初代 (2000-2004年)」の解説
スタイリングはカリフォルニア州アーバインのヒュンダイ・カリフォルニア・デザインセンターが担当した。北米仕様車はソナタに続いてアラバマ州モンゴメリーのHMMA(ヒュンダイ・モーター・マニュファクチュアリング・アラバマ)にて生産が行われる第2の車種となった。しかし、2011年モデルからは起亜自動車がジョージア州ウェストポイントに建設したKMMG(キア・モーターズ・マニュファクチュアリング・ジョージア)に生産を移管することになった。2009年から稼働した同工場ではキア・ソレントの生産が行われている。 エンジンは、韓国仕様車は2.2リットルのディーゼルエンジン、北米仕様車はV型6気筒2.7リットル(デルタエンジン)、および3.3リットル(ラムダ(λ)エンジン)のガソリンエンジンが搭載される。 朝鮮日報で、フロントデザインがインフィニティFXに酷似していると指摘され()、中国の黄海汽車のSUV「チション」のフロントデザインがCM型サンタフェに酷似しているという報道もある。() 中央日報で、オーストラリアで幼児の運転手を前面に押し出したサンタフェのCMが問題となり、放送禁止処分を受けたと報じられた。 2005年11月 - 韓国で発売。NFソナタのプラットフォームを流用している。ボディサイズは先代よりも拡大している。北米では2006年1月のデトロイトモーターショーでデビューを果たした。
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初代(1970年-1977年)
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「ダイハツ・デルタ」の記事における「初代(1970年-1977年)」の解説
1970年10月、ベスタ → V100/V200の後継として、また、ダイナの兄弟車として発表。以降、第5世代まで発売される。シャシ設計はダイナと共通だが、当時ダイナには設定が無かった1.5t級があるうえ、トヨタ製エンジンに加えダイハツ製エンジンが搭載された。1.5t級のデルタ1500にはダイハツ FA 型ガソリンエンジンが、2.0t級のデルタ2000ではダイハツ FB 型ガソリンとダイハツDG 型ディーゼルエンジン、重積載車にはトヨタ・B 型ディーゼルエンジン(設計の一部と生産はダイハツが担当)が設定されている。マイナーチェンジでガソリンエンジンはトヨタ製に変更され、1500がトヨタ12R 型、2000はトヨタ5R型となる。
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初代(DH型、2016年-2020年)
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「ジェネシス・G80」の記事における「初代(DH型、2016年-2020年)」の解説
「ヒュンダイ・ジェネシス」も参照 2016年6月に開催された釜山モーターショーで初公開。2016年6月13日、予約受付開始。 2016年7月7日、韓国にて正式発表・発売開始。前身車種はジェネシスであり、G80は実質的に同車のフェイスリフト版である。 ジェネシスのデザインが好評であったため、エクステリアの変更は最小限にとどめられているが、ヘッドライトはHIDからアダプティブLEDに変更され、アルミホイールもデザインを変更している。 インテリアはセンタークラスタ、シフトノブ、スピーカーグリル、アナログ時計など一部のデザインが変更され、本木目やアルミニウムをより多く使用して品質を高めた。まった、電子式シフトレバーやスマートフォンの無線充電システムも装備され、AppleのCarPlayアプリを使用することも可能になった。 エンジンはジェネシスからキャリーオーバーされたV6・直噴の3.8Lと3.3Lの2種のラムダ(λ)エンジンに加え、電子制御式可変容量型ターボチャージャー(e-VGT)で過給する2.2Lのディーゼルエンジンも選択可能である。 トランスミッションはエンジン・駆動方式の種別に関わらず、全て8速ATとなり、ジェネシス同様、FRに加えて「HTRAC(エイチ・トラック)」と呼ばれるAWDも設定される。 安全性についても抜かりはなく、9つのエアバッグに加え、高速道路での部分的な自律走行が可能な高速道路走行支援システムや、ドライバーの集中力が低下した際にアラームで休憩を勧める不注意運転警報システム、衝突回避支援システムなどを統括した「Genesis Smart Sense(ジェネシス・スマート・センス)」が新たに装備された。また、車体と一般部品の保証期間が既存の3年6万kmから5年10万kmに延長された。なお、これは以前のジェネシス(DH型)にも適用される。 追って、2016年10月にはV6・3.3L・GDIターボエンジンを搭載した「G80 SPORT(スポーツ)」も発売された。レクサスの「F SPORT」やBMWの「M SPORT」などに似た、プレミアムスポーツ的な性格が与えられている。 2017年10月16日、スポーツデザインセレクションパッケージが追加されるなど、商品性が改善された2018年型が発売された。 2018年8月27日、ジェネシスアクティブセーフティコントロール(後側方衝突防止補助、後方交差衝突防止補助、高速道路走行補助、車線離脱防止補助、ドライバーへの注意警告、ハイビームアシスト、スマートクルーズコントロール)や、カカオの音声認識AIシステム、スマート姿勢制御システムなどが新たに搭載されたされた2019年型が発売された。
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初代(1971年-1979年)
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「ダイハツ・デルタ」の記事における「初代(1971年-1979年)」の解説
1971年3月、ニューラインキャブ、およびコンパーノトラックの後継として「デルタ750(セブンハーフ = 750kg積み)」が発売された。トヨタとの提携によりライトエーストラックのOEM車となるが、コンソルテや、前述のデルタ1500 / 2000とは異なり、ダイハツ製エンジンの搭載はなく、トヨタ製の3K型エンジンのみの設定であった。
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初代(1976年-1982年)
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「ダイハツ・デルタ」の記事における「初代(1976年-1982年)」の解説
1976年11月、タウンエースのOEM車種として「デルタワイドバン / デルタワイドワゴン」が発表される。
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初代(1988年4月 - 1990年3月)
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「nNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1990年3月)」の解説
前番組『NNNライブオンネットワーク』から継承、『プラス1』開始時と1990年頃に手直しして使用。キャスター席後ろの壁面に、縦2段の横並びでテレビモニターが複数埋め込まれている。キャスター席は左右にサブキャスターが着席し、中央で徳光が立って伝えていた。(土曜日・『日曜夕刊』と『きょうの出来事』では、中央にテーブルを取り付け左右と一体化させていた。)左奥には、編集機材やプロンプタに原稿を映すための機材などが置かれた小部屋があった。
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初代(1988年4月 - 1996年9月)
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「nNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1996年9月)」の解説
カラーリングは「NNN(赤) ニュース(青)(改行)プラス1(金色)」。又村統によるデザイン。「NNNニュース」が冠してある。 ロゴ全体が傾き気味であることと、「プラス1」の「1」の下線が「プ」の部分まで長く伸びているのが特徴。 1996.04から09までの半年間は週末版には「サタデー」・「サンデー」の文字も追加された 週末版のカラーリングは「NNN(赤) ニュース(白)(改行)プラス1(金色)(改行)サタデー/サンデー(紺色)」。
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初代(E-HB、EB、FB12型 1986年-1990年)
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「日産・サニーRZ-1」の記事における「初代(E-HB、EB、FB12型 1986年-1990年)」の解説
1986年2月 B12型サニー派生のクーペとして追加。 RZ-1の名称の由来は「Runabout Zenith No.1」の頭文字から創作された造語。アールズィーワンと読む。 基本シャシーはセダンおよび3ドアハッチバック、カリフォルニア(ステーションワゴン)と共通だが、外板の多くは専用設計されていた。セダンや3ドアハッチバック、カリフォルニアは角張ったスクエア基調のデザインをしていたが、それ以上にエッジを強調したシャープな外観を与えられている。強いスラント角を持ったフロントマスク、ブリスターフェンダー、ラップアラウンドウィンドウ処理されたガラスを持つリアハッチゲート・乗車定員4名など、セダンおよびハッチバックとは異なる個性を放っていた。 内装デザインは基本的にセダン・ハッチバックと共通。エンジンは当初、E15S型(1.5L 直4SOHC)およびE15ET型(1,500cc直4SOHCターボ)の2種類であったが、1986年8月にCA16DE型(1.6L 直4DOHC)が追加され、「TWINCAMシリーズ」を新たに追加。「"TWINCAM NISMO"」と呼ばれるグレードも設定され、これはサスペンションやエアロパーツ、内装の一部変更などを施したスポーツ仕様であり、パワーウィンドウも装備されないスパルタンなモデルであった。海外輸出は、ほとんどの地域で「セントラRZ-1」として輸出されたほか、欧州では「サニークーペ」として販売していた。内装も、メーター類が200km/h対応の他は日本仕様と同一であった。 1986年2月、サニーのクーペモデルとして販売開始。 1986年8月、マイナーチェンジ実施。CA16DEを搭載したツインカムシリーズを追加。 1987年11月、マイナーチェンジ実施。フロントグリルやテールレンズの意匠変更およびE15型エンジンを廃止しGA15S型、およびGA15E型エンジンを搭載。これによりターボモデルは廃止。 1988年6月、フロントビスカスLSDなどのオプション装備を追加。 1989年6月、装備を充実させたTYPE Jを追加。 1989年12月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1990年1月、事実上の後継車種となるNXクーペの登場に伴い、そのまま販売終了。
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初代(2019年-、QX0型)
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「ヒュンダイ・ヴェニュー」の記事における「初代(2019年-、QX0型)」の解説
2019年4月17日、ニューヨーク国際オートショーで発表された。北米仕様車には直列4気筒 1.6L Smartstream Gエンジンが搭載され、 これにIVT(ヒュンダイにおけるCVTの呼称)が組み合わせられる。当初は6速MTもラインナップにあったが販売不振でカタログから落とされた。 韓国市場や2019年9月から発売を開始したオーストラリア市場ではHC型アクセントの投入が見合わせられたため、これらの国々でのラインナップではヴェニューがヒュンダイのエントリーモデルとなる。
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初代(1993-1999年)
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「いすゞ・ジャーニー」の記事における「初代(1993-1999年)」の解説
1993年8月 モデルチェンジ発表。 1995年8月 マイナーチェンジ。平成6年排出ガス規制適合、フロントデザインを変更。エンジンはターボ付のTD42T型を追加した他、AT車も追加された。 初代ジャーニー・前期型 標準ボディ 初代ジャーニー・前期型 ロングボディ 初代ジャーニー・後期型 ロングボディ
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初代(1705年 - 1724年)
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「にんべん」の記事における「初代(1705年 - 1724年)」の解説
宝永2年(1705年):屋号を伊勢屋と定め、伊兵衛を名乗る。 伊勢屋仁兵衛に資金を貸与する代わりに加賀藩主前田綱紀の干肴御用を譲り受ける。 宝永5年(1708年):前田綱紀三女敬姫と池田吉泰の婚礼・前田吉徳と徳川綱吉養女松姫(因幡御前)の婚礼に際し、御用を与る。 享保3年(1718年):大坂の須磨屋三郎右衛門・岩田屋喜兵衛からの仕入ルートを開拓する。 享保5年(1720年)春:瀬戸物町(現在地)に出店、支配人に源兵衛を置く。 越後屋などと同様「現金掛け値なし」商法を取り入れる。 享保6年(1721年)12月10日:大火で類焼し、土蔵造りに建て替える。以降関東大震災まで焼失を免れる。 同業問屋4軒・仲買65名が結託して仕入の妨害を試みるが、予め大坂と熊野に在庫を取置き対抗する。 享保7年(1722年):瀬戸物町店を本店と定め、小舟町店は源兵衛に与える。 享保8年(1723年):前田吉徳の家督相続に際し、御用を与る。 前田綱紀養女長姫(神田御前)と酒井忠寄の婚礼に際し、御用を与る。 享保9年(1724年)5月9日:初代伊兵衛が前田綱紀葬儀のため前田家中屋敷(現・文京区本駒込)に向かう途中中風に倒れる。以降経営が傾き始める。
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初代(グランド・アベニュー・パーク)
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「スポーツマンズ・パーク」の記事における「初代(グランド・アベニュー・パーク)」の解説
1875年5月6日、セントルイスの一画にグランド・アベニュー・パーク(Grand Avenue Park)という野球場が開場。ナショナル・アソシエーション・リーグに1875年に誕生したセントルイス・ブラウンストッキングスの本拠地となった。ナショナル・アソシエーションがその年限りで消滅すると、このチームは翌1876年からナショナルリーグへ移籍した。このときに球場名がスポーツマンズ・パークへ変更された。ブラウンストッキングスは1877年シーズン終了後に球団解散した。 1882年、アメリカン・アソシエーション・リーグが発足。セントルイスには前述のチームと同じ名前のセントルイス・ブラウンストッキングス(現セントルイス・カージナルス)というチームが誕生した。ブラウンストッキングスはスポーツマンズ・パークを改修し、本拠地として使用した。ブラウンストッキングスは翌1883年にチーム名をセントルイス・ブラウンズに改め、1892年にはナショナルリーグへ移籍した。そしてこの年までは初代スポーツマンズ・パーク(グランド・アベニュー・パーク)を本拠地にしていた。
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初代(1983年 - 1996年)
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「雙龍・コランド」の記事における「初代(1983年 - 1996年)」の解説
1983年登場。当初は巨和時代から引き継いだ2ドアボディのみであったが、のちにいすゞ・ビッグホーンをベースとしたライセンス生産の派生車種「コランド・ファミリー」も追加された。エンジンは当初2.2Lディーゼルエンジンだったが、のちにメルセデス・ベンツ製の2.3Lに換装されている。また、コランドK9と呼ばれる9人乗り仕様もあった。
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初代(CV型、2021年 - )
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「キア・EV6」の記事における「初代(CV型、2021年 - )」の解説
2021年3月15日に一部概要が公開され、同年8月2日、韓国にて正式発表。 内外装は新しいデザインテーマである「Offerjit United」に沿ったものとしつつ、エクステリアは「Power to Progress」というテーマも与えられており、韓国、ドイツ、アメリカの各デザインスタジオが共同で手掛けている。 他KIAの車種同様、「タイガーノーズグリル」を昇華させて採用し、KIAファミリーの一員であることを強調している。 アウタードアハンドルはGV60同様の自動格納式を採用している。 ベースとなったアイオニック5同様、EV専用のRRプラットフォーム「E-GMP」を採用し、AWDも用意される。パワーユニットであるモーターは2WDの場合、168kWの最高出力と350Nmの最大トルクを誇り、満充電時の航続可能距離は451kmを可能とする。モーターは2WDモデルが1基、AWDモデルが2基を搭載し、後者は2WDとAWDを自由に切り替えられる「ディスコネクターアクチュエータシステム(DAS)」を採用。バッテリー容量はいずも77.4kWhを誇る。-
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初代(1994-1999年)
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「フェラーリ・F355」の記事における「初代(1994-1999年)」の解説
1994年5月、マラネッロのフェラーリ本社にて発表された。「F355」の名称は排気量約3,500cc、5バルブの搭載エンジンに由来する。 クーペ(ベルリネッタ)ボディのスタイリングは先代348シリーズに続き、イタリアのカロッツェリア「ピニンファリーナ」が手がけ、348のラインを受け継ぎながらも、フィンなどの突起を廃し、曲線的なデザインを採用している。なおクーペモデルのトンネルバックスタイルは本モデルを最後にデザイン変更された。 348シリーズで採用されたセミモノコックフレーム構造は継承され、より改良されたものが採用された。 縦置きに搭載されるエンジンは5バルブ化された新開発の90度 3,495cc V型8気筒DOHC「F129B」型で、ボッシュ社のモトロニック(前・中期型はM2.7、後期型はM5.2)で制御され、最大出力380PS/8,200rpm、最大トルク36.7kgf·m/5,800rpmを発生。ギアボックスはフェラーリ初の6速MT。高回転化に対応するべく、鍛造アルミ製ピストンやチタン製コンロッドなどの贅沢な材料が多く使用されていた。また、高回転化は数値だけでなく、フェラーリの持つ魅力のひとつである「音色」にも貢献し、348と比較して、より官能的なエキゾーストノートを奏でることが可能になった。 角型2灯式のリトラクタブル・ヘッドライト、テールエンドは空力を意識してダックテール状に処理されている。テールランプは348の四角異形タイプからフェラーリ伝統の丸型4灯に変更されている。 ボディタイプは当初、前述の「ベルリネッタ」、デタッチャブルトップ(タルガトップ)の「GTS」の2種類で、1年後の1995年4月に電動ソフトトップを持ったフルオープンボディの「Spider」が追加された。日本に輸入された車両の多くはベルリネッタボディだった。 横置きされるトランスミッションは当初リジッドロッド式の6速MTのみだったが、1997年にマニエッティ・マレリ社と共同開発したパドルタイプの2ペダル・セミオートマチックシステムである「F1マチック」搭載車が追加され、よりイージーにフェラーリのドライブが楽しめるようになった。 足回りは前後ともダブルウィッシュボーン式。電子制御式の可変ダンパーを装着しており、「スポーツ」と「コンフォート」の2種類のプログラムが選択できる。また、ホイール径も18インチにサイズアップが図られ、フロント225/40ZR18、リア265/40ZR18のピレリ製ハイグリップラジアルタイヤが設定された。 エクステリアやパワーユニットといったメカニズムに注目が集まるが、F355は内装も従来型に比べ改良され、F355でフェラーリ初採用となったレカロシートもあいまって、より近代的なドライビングポジションが取れるようになったシートポジションや運転席SRSエアバッグの標準装備化、前面が本革で覆われたダッシュボードなど、質実ともに向上した。また、パワーアシスト付きのステアリングが標準仕様になっていた(レスオプションも可能だった)。 日本には1994年に正式輸入が開始された。当時の販売価格はそれぞれベルリネッタが1,490万円、GTSが1,550万円、Spiderが1,625万円だった。 1997年、コーンズは、フェラーリのビジネスパートナーとなって20周年を迎えた記念として、フェラーリによって製作された20台のF355「コーンズ・スペシャル・エディション」を販売した。内訳は、ロッソコルサ/ネロ7台、ロッソフィオラノ/ネロ6台、ブルーツールドフランス/タン7台である。 1999年、後継車の360モデナを発表し、生産・販売を終了する。 2010年6月30日、燃料パイプの不具合による火災の恐れがあるということで、Ferrari Japanは国土交通省にリコール(回収・無償修理)を届け出た。
※この「初代(1994-1999年)」の解説は、「フェラーリ・F355」の解説の一部です。
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初代(スラット)
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「レオ・ザ・ライオン」の記事における「初代(スラット)」の解説
創業開始当初のロゴで、1924年 - 1928年まで使用された。設立当時は、サイレント映画が主流だった為、後述する他のライオンとは異なり、後述する静止画以外では唯一吠えないライオンのロゴである。
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初代(1993年 - 2002年)
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「光岡・ビュート」の記事における「初代(1993年 - 2002年)」の解説
ベースは2代目マーチ。「1000cc」と「1300cc」が設定され、内装はオプションで木目パネルによる加飾と革張りシートなどが用意されていた。駆動方式はFFのみ。 ボディタイプは4ドア / 2ドアセダン、3ドア / 5ドアハッチバック、2ドアコンバーチブル / ロードスターの6種類。グレードは最初期のベースグレード、ベーシック、デラックスの3種類。また、上記の独自オプション仕様のほか、長寿だったベース車両のマイナーチェンジに合わせて多くの仕様違い、カラーバリエーションが存在する。
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初代(1983年 - 1988年)
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「スズキ・カルタス」の記事における「初代(1983年 - 1988年)」の解説
詳細はスズキ・セレリオ#2代目(2014年-)を参照 2017年4月にパキスタンでセレリオの現地仕様車がカルタスの名称で発売。パキスタンでは2016年まで2代目カルタスが製造されており、その後継となる。
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初代(通称「白筺体」)
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「ミュージックガンガン!」の記事における「初代(通称「白筺体」)」の解説
画面サイズは32インチで、画面上部に2基のスピーカーを搭載している。
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初代(しょだい)
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心霊探偵部の霊感犬で2号の前代。額に×字型の傷がある。既に殉職しているため本編では2号の回想で登場したのみである。殉職原因は不明。
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初代(1965年 - 2012年)
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「大名古屋ビルヂング」の記事における「初代(1965年 - 2012年)」の解説
東海道新幹線開通後まもなく名古屋駅桜通口正面に竣工して以来、その存在感と特徴ある「大名古屋ビルヂング」の看板が掲げられているため、全国的に知名度の高い建物の一つとなっている。建物の形状よりも、名称が知名度アップに貢献している好例であるが、名古屋市民の間では有名であるものの、全国的に有名なビルであるという意識は低いといわれる。 古くは伊勢湾台風が起こった1959年に遡る。当時東京駅周辺のビル管理を手がけていた三菱地所は、かねてから地方進出の機会を伺っていた。そんな中、当時の三菱地所社長渡辺武次郎が被災直後の名古屋を訪れた際、その被害の惨たんたる状況から、地方進出の第一号として名古屋駅前に大型ビルを建設することを決めた。1965年5月の完工記念式典で配布されたパンフレットには、『伊勢湾台風災害の御見舞にまいりました時であります。名古屋駅に着く前、汽車の窓から見ますと、罹災後1ヶ月を経ているのに一面に海のようにまだ水が溜まっており、人々が戸板に乗って家から出入りしておりました。(中略)ひとつここに耐震不燃の高層ビルヂングを決意致したのであります』と、その経緯が記されている。 全体の完成は1965年であるが、1962年にビルの正面中央部分、1963年にビルの左側部分、1965年にビルの右側部分と、三段階に分けて完成させている。かつて屋上左側には象徴的な球形回転型ネオンサイン(広告主:森永製菓→コカコーラ)が備え付けられていたが、2007年秋頃に撤去され、2008年4月からは土岐プレミアムアウトレットの看板が設置されていた。屋上右側には六角形の広告(広告主:三菱電機)も取り付けられたがこちらは球形広告より先に撤去され、後に三陽商会の広告が設置された。 地下1階は飲食店等が入居し、「ダイナード」の愛称が付けられていた。ユニモールやメイチカなどとも繋がり、実質的に名駅地区の地下街の一部となっていた。屋上には、毎年5月 - 9月上旬の期間限定で営業されるビアガーデン「マイアミ」があり、夏になると賑わいを見せた。 2004年度都道府県地価調査では、大名古屋ビルヂングが9.9%上昇して商業地の上昇率において全国1位を記録した。 大名古屋ビルヂング(2005年)左上にコカコーラの球体広告が見える。
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初代(1980年-1995年 type 14)
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「フォルクスワーゲン・キャディ」の記事における「初代(1980年-1995年 type 14)」の解説
初代ゴルフをピックアップトラックに仕立てたもの。 北米へはラビット・ピックアップとして輸出された。ラビットは北米でのゴルフの名称。 トラックキャンパーを搭載したキャディ トラックキャンパーを搭載したキャディ ラビットピックアップ 北米仕様 ラビットピックアップ 北米仕様
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初代(1998年-2006年)
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「スズキ・XL7」の記事における「初代(1998年-2006年)」の解説
1998年に2代目エスクードをベースにホイールベースを延長し、H27A型V型6気筒2.7Lエンジンを搭載した3列シートSUVとして登場。日本ではグランドエスクードとして発売された。
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初代(1999年 - 2004年)
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「トヨタ・レジアスエース」の記事における「初代(1999年 - 2004年)」の解説
H100系 1999年7月5日登場。同年8月にハイエース・レジアスのマイナーチェンジで、レジアスとツーリングハイエースに分離されるのを前に、それまでトヨペット店とビスタ店(現ネッツ店・沖縄県は沖縄トヨペットの扱い)で併売されていたハイエースがトヨペット店の専売に切り替わり、当時ライトバンの扱いがなくなったビスタ店向けの姉妹車として投入された。機構的には4代目ハイエースと同じであるが、レジアスエースではバンのみの設定となっている。 2000年12月1日、一部改良。2.0Lガソリンエンジン車にCDルートバンと、スーパーロングバン及びコミューターに2.4Lガソリンエンジン・2RZ-E型を追加。従来の2Lガソリン車のラインアップを11タイプ拡大した。これにより、ガソリン車のラインアップを従来の18タイプから31タイプとした。 また、福祉車両にカラードバンパーやカラードラジエーターグリルを標準装着した上級タイプ車「タイプVII」を追加設定し、全車に後部ドアの開閉を補助する「バックドアイージークローザー」を標準装備したほか、車椅子用3点式シートベルトに調整可能アンカーを装備するなど機能性・安全性の向上を図った。 2001年8月3日、一部改良。スーパーGLのステアリングがワゴン用になり、スーパーGLより若干装備が落とされたスーパーGL-Eを追加。同グレードには5ドアも設定されていた。標準タイプスーパーGLに新車体色を設定するとともに、バックドアガーニッシュの採用やシート表皮を変更するなどして、質感を向上した。また、ハイルーフのみの設定であった日本RV協会 (JRVA) 加盟ビルダー向けの“キャンパーベース・スーパーロング”にロールーフが追加され、2004年まで発売された。 2002年8月、一部改良。3.0Lディーゼルエンジン搭載車にエンジンアンダーカバーや吸音材を追加、最新の車外騒音規制をクリアした。なお、全ディーゼル車は同年10月に施行された自動車NOx・PM法に適合しないため、特定地域内での購入ができなくなった。 装備ではスーパーGLには、アンサーバック機能を備えたワイヤレスドアロックリモートコントロールを採用して利便性の向上を図った。また、福祉車両のウェルキャブ車いす仕様車はデュアルエアコンを標準装備したほか、10人乗りのタイプVIIIを追加設定した。 2003年7月22日、一部改良。ガソリンエンジンを新開発の1TR-FEに変更し、出力性能を向上させるとともに環境性能を高め、平成13年規制に適合と同時に良-低排出ガス認定(☆)を受ける。また、自動変速装置に電子制御式(ECT)を採用、滑らかな変速感も実現した。 2004年4月、ネッツ店への統合により、ネッツ店で扱われる。(同店でのキャブオーバーワンボックスカーは1996年のライトエースのフルモデルチェンジ以来)同年8月にはフルモデルチェンジが行われたため、初代モデルのネッツ店での扱いは短期間であった。 2004年7月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 2004年8月、2代目と入れ替わる形で販売終了。
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初代(開始当初 - 1964年9月)
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「ナショナル劇場」の記事における「初代(開始当初 - 1964年9月)」の解説
この代のみモノクロ。切り絵アニメと思われるもので、ナショナル坊やが世界を回るという内容になっている。
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初代(GC系 1982年-1987年)
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「フォード・テルスター」の記事における「初代(GC系 1982年-1987年)」の解説
初代テルスター マツダの新しい販売網として設立されたオートラマ店専売車としてレーザーとともに販売開始。4代目カペラをベースとしたボディは4ドアセダンとTX5と呼ばれる5ドアハッチバックの2タイプが用意された。エンジンは1.6L&1.8L&2.0Lの直4ガソリンエンジンが設定。 1982年10月 - 新発売。この年カペラともども日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。 1983年11月 - TX5に2.0Lターボが、セダンに2.0Lディーゼルが追加。 1985年5月 - マイナーチェンジ。エンジン性能の向上。
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初代(2008年-2014年)
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「スズキ・セレリオ」の記事における「初代(2008年-2014年)」の解説
2008年のパリモーターショーにて発表された。同年12月、インドで発売開始。2009年4月から輸出が開始された。ヨーロッパなど大半の地域で「アルト」として、インドでは「Aスター」として発売され、フィリピン、南アメリカ、北アフリカなど一部地域で「セレリオ」の車名が使用された。 また、日産自動車にもヨーロッパ市場向けに日産・ピクソとしてOEM供給が行われた。ピクソはアルト/セレリオと異なるヘッドライトおよびフロントグリルが与えられている。 アルト/セレリオの外観は2008年1月のニューデリーオートエクスポに出展された「Aスターコンセプト」に基づいている。トヨタ・アイゴなどと同様にリアドアに嵌め殺し窓が採用されているが、一部モデルは三角窓が設けられてスライド可能になっている。 エンジンは1.0L 直列3気筒のK10B型エンジンが搭載され、5速MTおよび4速ATが組み合わせられた。 生産はマルチ・スズキ・インディアのマーネーサル工場に集約され、世界各国に輸出された。中国仕様車のみ重慶の長安スズキで生産されている。 日本国内でも、メーカーのテスト目的で至極少数が輸入・登録され、ディーラーに貸与された欧州仕様右ハンドル車が目撃されている。 Aスターコンセプト アルト欧州仕様(フロント) アルト欧州仕様(リア)
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初代(SC57)
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「ホンダ・CBR1000RR」の記事における「初代(SC57)」の解説
2004年仕様 - 3月31日にCBR954RRの後継モデルとして以下のカラーバリエーションで発売された。 ██ウイニングレッド ██フォースシルバーメタリック ███パールフェイドレスホワイト 2005年仕様 - マイナーモデルチェンジによりMotoGPワークスチーム、レプソルホンダのRC211Vと同一色が限定車として発売され、カラーバリエーションが以下のように改められた。ハザードランプを標準装備した。 ██CBR1000RR・Special Edition ██ウイニングレッド ███パールフェイドレスホワイト ██キャンディタヒチアンブルー
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初代(1999年-2011年)
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「日野・デュトロ」の記事における「初代(1999年-2011年)」の解説
1999年5月 製造開始。テレビCMにはともさかりえが出演。ダイナ/トヨエースとの違いは、1トン級の設定が無いこと、運転席エアバッグが標準装備となること(ダイナ/トヨエースは2004年に標準装備された)。ルートバンのBピラー以降はH100系ハイエースからの流用。 2002年6月 マイナーチェンジ。フロントデザインが変更され、ミラーステー下に配置されていたターンシグナルランプがヘッドランプ内に移設されるなどの変更を受けた。 2003年11月、2トン積トラック初のハイブリッド車として、日野HIMRシステムをベースとしたパラレルハイブリッド方式のデュトロ・ハイブリッドを追加。 2006年9月、マイナーチェンジの際、新長期排出ガス規制値比NOx・PM10 %低減、及びHINOブランド意匠のグリルに変更。 アイシン精機(現:アイシン)製のオートマチックトランスミッションが6速となり、トルクコンバーター式ステップAT(有段AT)を装備する2トン系小型トラックでは最多段数となる。 ギアポジションは、P、R、D、D4、321の5ポジションである(表示を変え、MC前のシフトレバー周りをそのまま使用)。オーバードライブボタンは「D5」表記となる。 エンジンは4.0 LのN04Cに統一、2WDフロント独立懸架車のサスペンションスプリングをトーションバーからコイルに変更。 海外では300シリーズの名前で販売されている地域もあるほか、国内向けとはフロントグリルが異なっている。インドネシアでは、マイクロバスモデルが販売されている。 運転席 ルートバン(中期型) ハイブリッド主要部 標準幅・LPG車(ヤマト運輸) デュトロ 110 バス(インドネシアで販売されているデュトロにバスボディを架装したマイクロバスモデル) 海外仕様の国内とのフロントグリル違いの一例(インドネシア仕様)
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初代 (1990-1992年)
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「インフィニティ・M」の記事における「初代 (1990-1992年)」の解説
インフィニティの最初の販売車としてQ45とともに販売が開始された、インフィニティ初の2ドアクーペである。レパード(F31)の姉妹車であり、VG30Eエンジンのみを搭載。1991年からASC社(American Specialty Cars)と共同で開発したコンバーチブルモデルも追加した。1992年に販売を終了し、同じくレパード(レパードJフェリー)と姉妹車のJ30が後継に当たる。ただしJ30はM30と異なり、セダンで、クーペやコンバーチブルモデルは設定されなかった。 M30は、レパードとは異なり、サンルーフが全車標準装備されるなど装備が充実していたためメーカーオプションが存在せず、また、スポーティーモデルの「M30s」や、コンバーチブルを含めてトランスミッションはRE4R01A型電子制御4速ATのみであったため、販売は不振に終わり、最も売れなかったインフィニティのモデルとされている。 また、当時マキシマに装備されていた、ソナーサスペンションIIも装備され、フロントバンパーに取り付けられたソナーモジュールによって路面をスキャンし、サスペンションが調節された。また、それによってスポーツモードとコンフォートモードが選択できた。 生産は日産自動車追浜工場。
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初代(1960-1961年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 06:49 UTC 版)
「ダッジ・ダート」の記事における「初代(1960-1961年)」の解説
ランサーの後継として登場。エンジンは3.7L・6気筒の「スラント6」ならびに5.2Lもしくは5.9LのV8エンジンが用意され、ボディバリエーションは4ドアセダン、ステーションワゴン、2ドアセダン、2ドアハードトップと実に幅広い設定であった。1961年に改良され、エクステリアはヴァージル・エクスナー(en:Virgill Exner)がデザインしたが、凹凸が特徴のグリルや視認性に劣るリヤコンビネーションレンズをはじめとして、非常に不評であり、結果として、1960モデルと比べて大幅に販売台数を落とすことになってしまった。
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初代 (2001-2017年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 15:55 UTC 版)
「雙龍・レクストン」の記事における「初代 (2001-2017年)」の解説
4WDシステムはトルク・オン・デマンド式を採用(かつていすゞのSUVに使われていたタイプとほぼ同等)。 2001年8月:販売開始、2900cc ディーゼルエンジン(120馬力)を搭載。 2001年11月:3200cc ガソリンエンジン(220馬力)搭載車を追加。 2003年7月:新グレード「XJ290」を追加。 2003年12月:一部改良、2700cc XDiエンジン(170馬力)を搭載。 2005年4月:一部改良、2700cc NEW XDiエンジン(176馬力)を搭載。 2006年3月:マイナーチェンジ、名称を「レクストン II」に改称。2700cc XDi XVTエンジン(191馬力)を搭載。 2007年10月:一部改良、名称を「レクストン II ユーロ」(スーパーレクストン)に改称。2700cc XDi XVTエンジン(CDPFシステム搭載、186馬力)を搭載。 2012年5月:ビッグマイナーチェンジ。新開発の2.0Lコモンレール式ディーゼルエンジン「e-XDi200 LET(Low End Torque)」+5ATを搭載し、名称を「レクストン W」に改称。尚、「W」は「Work of Art」の頭文字で、「新たに誕生したニュープレミアムSUV」を意味する。 2017年5月:後継車種「G4レクストン」の登場により在庫のみとなり、完売したため終了。
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初代(1988年-1993年 シリーズ通算7代目 S80/82W系)
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「ダイハツ・ハイゼットデッキバン」の記事における「初代(1988年-1993年 シリーズ通算7代目 S80/82W系)」の解説
初代ハイゼットデッキバン(1992年改良型) アトレーデッキ コスミックルーフ 1988年7代目ハイゼットバンの荷室部分を切り取り4人乗りのトラックとしたものである。 ハイゼット・デッキバンの派生としてアトレーデッキが限定車として登場した。ターボEXをベースとしガラスサンルーフや回転対座シートを備えている。 1990年4月のマイナーチェンジで(当時の)新規格に対応。全長が100mm延長され、エンジンが全車547ccのEB型から659ccのEF型に変更となる。
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初代(M100型/M150型、1998年-2005年)
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「GM大宇・マティス」の記事における「初代(M100型/M150型、1998年-2005年)」の解説
初代マティスは3代目スズキ・アルトをベースにしたティコの後継車として1998年にデビューした。ジウジアーロがデザインしたボディは元々はフィアット車向けにデザインされたといわれている。エンジンは3気筒800ccで、これはスズキ製のF8C型エンジンの改良型が搭載されている。ヨーロッパを中心に輸出され、140万台以上も売れた。 2002年にはマイナーチェンジが行われ(M150型)、外装が変更になった。韓国ではCVT仕様も追加されたが、日本ではトルクコンバーター式オートマチックのままであった。また、日本のチューナー、トミーカイラが、同車をベースにしたコンプリートカー、「トミーカイラm08」を発売したことがあった。 中国ではGMグループの上汽通用五菱汽車によって楽馳(Lechi)として現在も製造・販売が行われている。仕向地によっては、シボレーブランドからスパークの車名で販売されていた。
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初代(1997年-2003年)
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「ヒュンダイ・アトス」の記事における「初代(1997年-2003年)」の解説
欧州Aセグメントサイズのトールワゴンとして1997年に発売開始された。搭載されたエンジンは全て直列4気筒のイプシロンファミリーで、韓国仕様は当時のキョンチャ(韓国版の軽自動車)規格に収まるようにG4HA型0.8Lが搭載され、他のアジア諸国向けにもラインナップされたが、ヨーロッパなどにはG4HC型1.0LやG4HG型1.1Lがラインナップされた。 マレーシアでは政府から「国産車」メーカーの認定を受けたイノコムが自社ブランド車としてアトスの生産を行った。 1999年4月15日、韓国でキア・ヴィスト (Kia Visto) が発売開始された。アトスの全高を若干下げて5ドアハッチバックボディにした車種であるが、1998年に傘下に収めた起亜自動車のラインナップ拡充のためにヒュンダイブランドではなくキアにOEM供給で投入することになった。キョンチャとして販売されたヴィストには2000年に0.8Lターボが追加されている。また、ヴィストは韓国以外にインドネシアでも製造・販売が行われた。 このハッチバックは海外向けにはヒュンダイ・アトスプライム (Hyundai Atos Prime) として投入された。また、インドではサントロの名称で発売され、同国におけるヒュンダイの急速なシェア拡大に大きく寄与した。 トールワゴンのアトスは2002年12月に販売を終了し、2003年12月にはヴィストも販売を終了した。韓国国内におけるアトス/ヴィストの系譜は2004年デビューのヴィスト後継車種、モーニング(輸出名:ピカント)に受け継がれることとなる。その後キアでは日本でいうところのスーパーハイト軽であるレイも出していた一方で、ヒュンダイは2021年にCUVのキャスパーを投入するまでの実に19年間韓国のキョンチャ市場から撤退していた。 ヒュンダイ・アトス キア・ヴィスト
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初代(1997-2002年)
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「フォード・エクスペディション」の記事における「初代(1997-2002年)」の解説
1996年(97MY)にフォード・ブロンコの後継車として登場。4.6Lと5.4LのV8OHVエンジンを搭載した強靭なラダーフレームを持つフルサイズSUVである。2ドアモデルのみであったブロンコとは異なり、4ドアモデルのみが発売された。かつては近鉄モータースが正規輸入していたこともあった。
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初代(BH型、2008年-2013年)
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「ヒュンダイ・ジェネシス」の記事における「初代(BH型、2008年-2013年)」の解説
ヒュンダイが自社独自開発したとされるものとしては初となるFR乗用車であり、開発にあたっては他社の高級乗用車、特にレクサス・GS、インフィニティ・Mなどがベンチマーク(参考、目標)とされた。製造は、韓国の蔚山(ウルサン)工場内に新設された専用ラインで行われる。 ボディサイズは全長4975mm/全幅1890mm/全高1480mmで、素材に高張力鋼を使用し、接合には接着剤とスポット溶接との併用によってベンチマークとされる各車種よりもねじり剛性が12〜14%向上しているという。 エンジンは自社独自開発のV6・3.3L(262馬力・32.2kgm)と3.8L(290馬力・36.5kgm)のラムダ(λ)エンジン。更に北米仕様車は同じく独自のV8・4.6L(375馬力)タウ(TAU、τ)エンジンが加わる(韓国仕様車は3.3Lと3.8Lのみ)。 トランスミッションは、前期の場合3.3Lと3.8L車がアイシンAW製の6速、4.6L車はZF製6速のAT、後期型は両方ともヒュンダイ製8速AT。 その他スマート・クルーズ・コントロール(レーダークルーズコントロール。装備されないグレードもある)やアダプティブ・ヘッドランプ(AFS)やスマートエントリーやレキシコン製のオーディオなどといった装備も奢られている。 2009年の北米カー・オブ・ザ・イヤーの乗用車部門を韓国メーカー車として初めて受賞している。 ヒュンダイによる高級車としては、三菱自動車との提携によるエクウス初代モデル(輸出名センテニアル)(日本では「プラウディア」及び「ディグニティ」として2001年まで製造・販売されていた)がある(さらにその源流と言える車種として、デボネア2代目・3代目モデルがベースとなるグレンジャー初代・2代目モデルや、グレンジャー2代目モデルの上級グレード車として開発されたダイナスティがあった)。エクウスは主に韓国本国や中東諸国などで販売され、日本や欧米には輸出されていない。 また、エクウスの2代目モデルは本車をベースとし、欧米などへは「ジェネシスプレステージ」の名称で輸出される見通しであると報じられている。 アメリカでの販売については、そのリスクの大きさを危惧する意見がある。原油価格高騰やサブプライムローン問題などの影響で2008年度には乗用車市場の縮小が予想されていることに加え、トヨタ自動車のレクサスやホンダのアキュラのような独立した高級ブランドを展開することなく高級車販売を試みることの困難さが指摘されている。ヒュンダイはこれまで自社の製品を「日本車の安価な代用品」と位置付けていたため、ディーラー網は未整備であり、自前の単独販売店は数少ない。雑多な自動車展示場で2番手・3番手以下のブランドとして販売されている現状は、高級車のイメージとは相反するというわけである。 自動車評論家の国沢光宏は自身の公式ブログにおいて、2007年12月時点において日本市場へは投入されない模様であり、それを理由に日本の自動車評論家による試乗さえもシャットアウトされていると主張している。その一方で、福島県郡山市にあるヒュンダイディーラーの公式ブログでは検討中であるらしいとの記述があり(ヒュンダイ日本法人によってテスト用に日本に持ち込まれているとの記述もあった)、さらに韓国のニュースサイトが、次いで産経新聞が2009年に日本でも発売すると報じられたが、ヒュンダイの乗用車販売(大型商用バスのユニバースは販売を継続するという)の日本市場からの撤退により、正規輸入・発売の可能性は消滅している。但し、並行ながらも日本においてはクーペの項で記述されている「ジェネシス・ジャパン PROJECT」により、2012年4月より購入が可能となっている。 2011年3月7日、マイナーチェンジ。内外装をリフレッシュさせ商品力を向上させた。エクステリアについてはヘッドライト、リヤコンビレンズ、バンパーを変更。全長は10mm延びて4.985mmとなった。エンジンについてはV6・3.3Lと3.8Lという排気量はそのままに、GDiに換装することで出力と環境性能を向上。同時に、トランスミッションを自社開発の8速ATに切り替えた。 2011年5月17日、後述にもあるとおり2009年ソウルモーターショーに出品後、試験的に3台製作された「ジェネシス・プラダ」(GP(=Genesis PRADA)500)がマイナーチェンジ後のモデルをベースに限定発売された(2012モデル:2011年5月17日発表、2013モデル:2012年9月25日発表。各600台)。インテリアコーディネイトはプラダが担当し、シート素材に同社のバッグと同じサフィアーノを採用している。ボディカラーは3層コート処理された専用色の「ブラックネロ」「ブルーバルティコ」「ブラウンモロ」を用意(2013モデルでは「ブラウンモロ」は廃止されて2色)。エンジンはこのモデル専用に設定されるエクウスリムジン用V8・5.0Lτ(=タウ、430PS、52.0kg・m)を搭載するが、2013モデル版については、これに加えてV6・3.8LのGDi(GP380)も用意される。尚、プラダとのコラボレーションの証として、生産番号が記されたシリアルプレートがプラダ全車に備わる。 後期 フロント 後期 リヤ
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初代 (1993-2011年)
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「雙龍・ムッソー」の記事における「初代 (1993-2011年)」の解説
2018年に韓国でレクストン スポーツとして発表され、同年のジュネーヴ・モーターショーでデビューしたモデルにムッソーの名が復活。ロングホイルベース版は「ムッソー グランド」(韓国名:レクストンスポーツ カーン)を名乗る。
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初代(1999年-2007年モデル)
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「シボレー・シルバラード」の記事における「初代(1999年-2007年モデル)」の解説
C/Kシリーズの後継として登場。デザインはC/Kシリーズを強く受け継いだものだったが、ボディは丸みを帯びた。C/Kと同様に「CHEVROLET」と後ろに大きく書かれたデザインの仕様も多い。プラットフォームはGMT800系が採用されている。 2001年モデルで、フォードのスーパーデューティーに対抗するため、さらに大型化させたヘビーデューティーシリーズを導入。後輪が左右2輪ずつある3500シリーズや8.1Lエンジンを搭載したものもあった。2002年モデルでフェイスリフトし、シルバラードはより攻撃的なフロントマスクになった。そして2代目が導入された後も、「クラシックシリーズ」としてしばらく生産が継続された。 2002年モデルからクワドラステアがオプションで設定された。これはデルファイが開発した四輪操舵機構であり、トラックの回転半径を大幅に減らし、牽引時の車線変更を改善した。しかし、この高価なオプションの販売は低迷したため、GMは2005年以降クワドラステアを全ラインアップから落とした。 ちなみに、後期仕様はヘッドライトの形状からCat eye(キャットアイ、英語で猫の目という意味)と呼ばれることがある。 同時期に販売されたフォード・F-150 SVTライトニングやダッジ・ラム SRT-10に対抗するために、SSTコンセプトを発表した。6.6lエンジンをベースにチューニングを施したものが搭載され最高出力は487psを発揮。足回り、トランスミッションはコルベットのものが使われ、車高調整機能付きのエアサスを装着している。2003年にこれと同時期に発表したSSコンセプトを2003年モデルとして発売した(出力は345hpに抑えられている)。
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初代(1992-2007年)
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「ルノー・トゥインゴ」の記事における「初代(1992-2007年)」の解説
1992年9月のモンディアル・ド・ロトモビル(パリモーターショー)にて発表され、翌1993年より欧州内で販売開始された。当時ルノーの社内デザイナーで、後にデザイン担当役員を務めるパトリック・ル・ケモン(Patrick le Quement)による斬新なデザインを持つ小型車として登場したが、そのデザインは、初代のホンダ・トゥデイを元にしているといわれており、ルノーもこれを否定していない。プラットフォームは既存車種を流用しない専用設計で、4本のホイールを車体の隅に追いやることで車体の大きさに似合わない広い室内空間を確保し、後席のスライドや座面ごとの跳ね上げ、前席を倒してのフラット化など、多彩なシートアレンジを実現した。しかしスペース効率を徹底した弊害として右ハンドル仕様が用意されなかった。 駆動方式は前輪駆動のみ。短いノーズには当初はR8以来のC3G型OHVガソリンエンジン、通称クレオンユニットの1238cc仕様が横置きで搭載され、その後1997年に1148ccのD7F型OHCエンジンに置き換えられた他、2001年には16バルブで高出力なD4F型エンジンも加わった。変速機は当初、一般的な5段MTと2ペダルMTの「easy(イージー)」の2種類が用意された。このイージーは人為的な変速操作に対して自動でクラッチ操作が行われるもので日本ではAT限定免許での運転も可能だが、ATモードは無くMT同様に常に人間の手による操作と足によるアクセルの踏み加減の調整を必要としており、運転感覚もMTのそれに近い。またこのシステムはトラブルも多く、後年リコールの対象にもなっている。構造も3ペダルのMTと大差ないことから、クラッチペダルを後付けして完全なMTにしてしまう改造が行われた個体も多い。2001年からは「クイックシフト5」と呼ばれる新たなATモード付きシーケンシャル5MTが登場、ATモードに切り替えることでイージーの様な手動操作から開放された。他に本国ではトルクコンバータ式のATも用意されていたが日本へは正規輸入されていない。 生産期間は1993年から2007年までと非常に長いが、マイナーチェンジは6回に渡り行われ、登場時の仕様である1stコレクションから生産終了時の7thコレクションまでに分けられる。1998年の4thコレクションへの変更でカラードバンパーの採用やヘッドライト・テールライトの意匠小変更、ダッシュボードの形状変更と助手席エアバッグの採用などが行われており、これ以前を前期型、これ以降を後期型へと大別出来る。
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初代(1964年-1984年)
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「日野・レンジャー」の記事における「初代(1964年-1984年)」の解説
1964年(昭和39年)7月、KM300型として登場。発売当初は3.5t積であった。ハイ・ロー共用点灯式の2灯ヘッドランプを採用。 1964年(昭和39年)12月、ロングホイールベースのKM340系を追加。 1967年(昭和42年)11月、マイナーチェンジ。コーナーランプを移設し、フロントグリルのデザインを変更(コーナーランプ・ヘッドランプのベゼルと一体化)。 1968年(昭和43年)、キャブドアを後ろヒンジの前開きから、前ヒンジの後ろ開きに変更。 1969年(昭和44年)11月、ビッグマイナーチェンジ。フロントグリル・コーナーランプのデザインを変更。ヘッドランプが4灯化される。 1978年(昭和53年)11月、マイナーチェンジ。エンジンを110psのDQ100型に変更し、ハイバックシートやサイドミラーの大型化など安全性を高めた。 1980年(昭和55年)昭和54年排ガス規制に適合する形でK-KM系に変更。ネーミングがレンジャーKMからレンジャー3Mに変更される。これは同年の3代目レンジャー登場の際にレンジャーKLからレンジャー4Dに変更されたのに合わせたためである。 1982年(昭和57年)グリルにシルバーの縁取りとRANGER 3Mのエンブレムが取り付けられ、同時期の3代目レンジャーに似せたデザインになる。 3.5t積の初代レンジャーは2代目KL型の登場後も継続生産され、デーキャブレンジャー(後述)の登場まで20年にわたって生産された。
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初代(1918年~1945年)
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「福岡県立図書館」の記事における「初代(1918年~1945年)」の解説
1915年(大正4年)10月、福岡県議会では大正天皇御即位記念事業として福岡県立図書館を設立することが議決された。1918年(大正7年)3月には天神(現在の中央区天神5丁目)に福岡県立図書館が落成し、5月1日から無料閲覧を開始した。建物は木造2階建、延492坪、書庫は煉瓦造3階建、延120坪だった。開館時の蔵書数は和洋書25,000冊だった。 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)6月19日に起こった福岡大空襲では福岡県立図書館も焼失した。6月30日には福岡県中学修猷館に仮事務所を置いて業務を再開している。
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初代(X3型、1994年-1999年)
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「ヒュンダイ・アクセント」の記事における「初代(X3型、1994年-1999年)」の解説
1994年、エクセルの後継車種として登場。いくつかの地域ではエクセル(例:オーストラリア)またはポニーの名称で販売された。韓国国内ではボディタイプによって名称が違い、4ドアセダンは「アクセント」、5ドアハッチバックは「ユーロアクセント」、3ドアハッチバックは「プロアクセント」と言う名称で販売されていた。エンジンは1.3リッターSOHC12バルブ、1.5リッターDOHC16バルブ、1.6リッターDOHC16バルブのアルファエンジンであった。 中国では傘下の起亜自動車の現地合弁である東風悦達起亜汽車にて生産が行われ、「千里馬」(Qianlima)の名称でキア車として2003年から2006年まで販売が行われていた。
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初代(1996年-1999年)
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「光岡・レイ」の記事における「初代(1996年-1999年)」の解説
1996年登場。ボディは当時オートザムブランドで販売されていたマツダ・キャロルの3代目がベース。専用のフロントマスク、リアテールランプと木目調パネルが与えられた。また、前後バンパーにオーバーライダーをそれぞれ装着し、若干全長を伸ばした登録車(小型普通車)仕様も存在した。
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初代(官製煙草)
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「チェリー (たばこ)」の記事における「初代(官製煙草)」の解説
1904年6月29日、いわゆる「官製煙草」として大蔵省専売局が最初に発売した銘柄のひとつ。バージニア葉を使用した甘みと細巻きが特徴の両切たばこで、10本入りの通常パッケージの他、10本入り(太巻き)や50本入りの丸缶(細巻き・太巻き)も一時期存在した。戦時中は敵性語にあたるとして「櫻」に改称されている。 発売翌年の1905年に、斜め格子模様のピンク色の下地に桜の線画があしらわれたパッケージデザインに変更された。以降、細部の変更や櫻への改称はあったものの、基本的なデザインが変更されることはなかった。また、桜の線画は2代目に継承されている。 著名な愛煙者に池波正太郎、横光利一、山本五十六などがおり、池波は「チェリーのうまさは、ピースどころじゃない」と語ったという。フィクションの人物としては、『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎が吸っているタバコという設定である。
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初代(ローカル番組時代 - 1976年9月)
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「パンチDEデート」の記事における「初代(ローカル番組時代 - 1976年9月)」の解説
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初代(1960年~1966年)
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「シボレー・C/K」の記事における「初代(1960年~1966年)」の解説
丸みを帯びたボディが特徴。直列6気筒、V型6気筒、V型8気筒の3種のエンジンが搭載された。
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初代(1964年-1966年)
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「プリムス・バラクーダ」の記事における「初代(1964年-1966年)」の解説
最初のバラクーダは、ダッジ・ダートなどクライスラーが製造する多くの車種でも利用されたA-ボディと呼ばれるシャーシに基づいて開発された。 1964年モデルはヴァリアントの特別車として発売され、ヴァリアントのバッジも付いていた。バラクーダは、よりスポーツ性の高いスタイリングを示し、フォード・マスタングより2週間早く市場に出されたこともあって、最初のポニー・カー(1964年型フォード・マスタングに代表される手ごろな価格でコンパクトかつスポーツ走行が可能なスタイリッシュな車)であるとされている。プリムスの役員は当初、バラクーダを「パンダ」と名づける考えであったが、デザイナー達の反対にあって「バラクーダ」となった。第1世代のバラクーダは、当時としては最大のリア・ウィンドウ・ガラスで構成される大型のファストバックを特徴としていた。 1965年モデルには273立方インチ(4.5L)のコマンドー・エンジンと235馬力を発生するV8エンジンがラインナップされ、同時にサスペンション、タイヤなどにも改良が加えられた。 1966年モデルは、フロントライトとテールライトのデザインが一新され、先年のモデルからは明らかに違ったデザインを施された。ヴァリアントよりは上質のイメージを打ち出し、途中からはヴァリアントのエンブレムが廃されて、バラクーダ独自のエンブレムが付けられた。この年のモデルは、より掘りの深い輪郭のフェンダーと、その上部のターン・シグナルが鮫のエラ型とされた。また大型バンパーとチーズおろし器のようなパターンのアグレッシブなスタイリングのグリルへと変更された。
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初代(1922年 - 1927年)
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「グリコ (菓子)」の記事における「初代(1922年 - 1927年)」の解説
江崎グリコの創業者、江崎利一が「健康」をイメージしたマークを考案していたのだが、なかなかいい案が出なかった。そんななか、江崎は散歩中に神社の広場で遊んでいた子供がゴールインポーズをしているのを見て「これだ!」とひらめき、ゴールインマークを作成。これがゴールインマークの誕生である。ランナーのランニングシャツには「グリコ」の文字のほか上部分に英文表記の「GLYCO」が加えられている。ただ、初代は体格も痩せ型であったせいか、表情もどこか険しいものであった。そのため、このゴールインマークを見た女学生から「顔が怖い」との意見があり、2代目に変更することになる。
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初代(1993 - 2004年、NB-7型)
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「キア・スポーテージ」の記事における「初代(1993 - 2004年、NB-7型)」の解説
2015年9月15日、韓国にて発表。ネーミングは先代の「スポーテージR」から他国同様の「スポーテージ」に戻した。3代目(TL型)ツーソンとプラットフォームならびにパワートレインを共用し、ディーゼルエンジンは「ユーロ6」基準を満たした2.0Lに換装され、K5で先行搭載されたスマートフォン無線充電システムも採用するほか、スマートテールゲートシステムなどの便利機構も採用。高張力鋼の採用比率を先代の18%から51%に引き上げたことで、ねじれ剛性を向上させながら軽量化に成功している。
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初代(「テレビしまね」時代のみ)
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「山陰中央テレビジョン放送」の記事における「初代(「テレビしまね」時代のみ)」の解説
大文字。この頃のロゴはアナログ時代の松江本局(途中でロゴが3代目に変わっているが、当時のオープニング映像でも流された)や大田中継局(「テレビしまね」だけはアナログ終了まで残された)でも見られた。
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初代(J1型、1990年-1995年)
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「ヒュンダイ・エラントラ」の記事における「初代(J1型、1990年-1995年)」の解説
1990年、ステラの後継車種として登場。ただしこの車名に関して、ヨーロッパでは英ロータスから、オーストラリアでは三菱自動車の現地法人から、それぞれクレームがついたため、これらの地域では2代目まではラントラ(Lantra)の名称が使用された。 発売当時はそれほど人気モデルではなかったが、経済性や性能で次第に評判を得て、最後は国内・海外合わせて100万台以上の販売実績を誇るベストセラーとなった。また、このエラントラ並みの大きさや性能を持つ車を韓国では「準中型車 (준중형차) 」または「中小型車 (중소형차) 」と呼び始めたが、後にこれは韓国でCセグメント車を称する名称になった。韓国国内でのキャッチコピーは「"휴먼터치세단(ヒューマンタッチ・セダン)"」「"고성능 엘란트라(高性能エラントラ)"」「"고성능 신화(高性能神話)"」。
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初代(1996年~)
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「こどもちゃれんじ」の記事における「初代(1996年~)」の解説
当時製造技術が低かったため、しま模様の茶色が歴代しまじろうパペットのなかで一番薄い。服装は、緑色の服に青色のオーバーオールで靴は薄い青色となっている。また手を入れる部分は青色である。
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初代(LFD型、2016年- )
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「ルノーコリア・SM6」の記事における「初代(LFD型、2016年- )」の解説
2016年1月13日、韓国にて「SM6」の名で発表されると同時に、同年3月発売予定であることもアナウンスされた。尚、タリスマンに用意されるエステートはSM6においては未設定である。 2016年3月、販売開始。同じ中型車であるSM5はSM6登場後もグレードを縮小して併売される。 2016年8月1日、1.5Lディーゼルエンジン車を追加。 2017年1月、「2017-2018 韓国カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。ルノーサムスン車が同賞を獲得するのは2000年の「SM5」以来である。 2018年3月6日、タクシー仕様を追加。世界初となるルームミラー内蔵型4.3インチタッチスクリーン付のタクシーメーターを装備。 2018年10月、LPLi仕様をガソリンエンジン仕様にアレンジし直した「Prime」シリーズを追加。 2019年7月、「プリミエール」追加。 2019年12月、SM5の販売を終了したため、ルノーサムスンで唯一生産されるレシプロエンジン搭載のセダンとなった。 2020年7月15日、「THE NEW SM6」として約4年4カ月ぶりにマイナーチェンジ。エクステリアは前後意匠を手直しして新鮮さを主張するとともに、アルミホイールのデザインを一新。ハイランドシルバー、サンドグレー、ヴィンテージレッドなどの新色も追加。ヘッドライト下部のデイライトとリヤコンビネーションレンズにはシーケンシャル式ターンレンズを新たに採用した。安全装備については、アダプティブクルーズコントロール(ACC)とレーンキープアシスト(LCA)により更なるアシスト走行を可能とし、アクティブエマージェンシーブレーキシステム(AEBS)と車線逸脱防止装置(LKA)を追加した。また、ガソリンエンジンのパワーユニットがH5F型1.3L直噴ターボ(TCe260)とM5P型1.8L直噴ターボ(TCe300)に刷新され、改良前モデルから引き継ぐ2.0L・LPeと併せて計3種となった。尚、今回の改良を機に「PE」グレードが廃止されたため、全てが電動パーキングブレーキ(E-PKB)装着車両となっている。
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初代 (2004 - 2008年)
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「クライスラー・パシフィカ」の記事における「初代 (2004 - 2008年)」の解説
初代パシフィカは、中型クロスオーバー車として販売された。1998年にダイムラー・クライスラーが発足した時に初めて共同設計された車であった。クライスラーは30か月、10億ドル未満のコストで開発を行った。2002年のニューヨーク国際オートショーで初公開された。クライスラーはパシフィカを「スポーツ・ツアラー」として販売し、ウィンザー工場で2003年1月から2007年11月までロングホイールベースのミニバンとともに生産した。「パシフィカ」の名はクライスラー・レーザーが廃止された後の1987年から1988年までダッジ・デイトナのトリムパッケージ名として使われている。
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初代(1936年)
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ウィキソースに群馬県の歌 (1936年)の原文があります。 初代の「群馬県の歌」は、1936年(昭和11年)4月11日に「敬神知事」として知られる君島清吉知事の提唱で制定された。その背景には、1934年(昭和9年)に開催された陸軍大演習の際に桐生市で発生した昭和天皇誤導事件で群馬県警察部の失態が県内外の非難を浴び、金沢正雄知事が辞任に追い込まれる一因となったことが関係している。君島は就任早々から事件で失墜した県の汚名をそそぐべく「東日本御経営聖業奉賛会」の組織を提唱し、その一環として4月に一之宮貫前神社で開催する奉賛大祭に合わせて県民歌の制定が企画された。 歌詞は一般公募を実施したが入選作が無かったため作詞・作曲とも群馬県音楽協会(現在の群馬音楽協会とは別組織)が行っているが、文語体で難解な歌詞のため普及に至らなかった。戦後は国粋主義色が強いことを理由に演奏されなくなり、後述の2代目「群馬県の歌」制定に伴い廃止された。詞・曲とも団体名義のため1986年(昭和61年)12月31日に著作権の保護期間を満了し、パブリックドメインとなっている。
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初代 (1989.10.2 - 1991.9)
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「筑紫哲也 NEWS23」の記事における「初代 (1989.10.2 - 1991.9)」の解説
ドーナツ型のキャスターテーブル。
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初代(1889年~)
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現在の台北大橋の前身は清朝統治時代に遡り、1888年(光緒14年)に正式着工された。 1889年(光緒15年)8月、初代台湾巡撫の劉銘伝により建設に至り三重埔(中国語版)(現・三重区)と台北大稲埕埠頭が連結された。全長は1,498メートルだった。 日本の民俗学者伊能嘉矩の記述では元の設計は鉄橋だったが経費不足により木造橋へと改められた。橋上には鉄道軌道(台北 - 新竹を結ぶ全台鉄路商務総局鉄道。現在の縦貫線の前身)が敷設され、両側には馬車も通れる歩道があった。北岸は鉄製の旋開橋となっていて船舶通航時は開閉されていた。ただ木造であったため、河川の氾濫に弱かったばかりか、水に直接晒される橋脚の土台部分は劣化が速く、頻回に補修が必要だった。 1895年(明治28年)、清朝から日本に割譲されると淡水橋と呼ばれるようになった。また清朝軍の退却時に破壊された橋を修繕して鉄道の運行を再開した。 1897年(明治30年)8月に台風の襲来で淡水橋が不通になったことで、台湾総督府は鉄道の経路を新店渓を渡河し萬華、板橋と樹林を経由、再度大漢渓を渡河する現在のルートに変更することを決定した。 1899年(明治32年)、旧ルートの鉄道は撤去され新ルートの鉄道開通により、三重埔地区の鉄道の歴史は幕を閉じた。その後21世紀に台北捷運が開業する。 当時の淡水橋は大龍峒(中国語版)と大稲埕一帯の重要な交易拠点として機能し、これらの周辺の発展には欠かせないインフラだった。 木造の初代台北橋(1889年)。船舶通航時は写真右側の光線部分の橋桁が開閉されていた。
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初代(帯番組および日曜朝時代)
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「忍者ハットリくん」の記事における「初代(帯番組および日曜朝時代)」の解説
6種類のパターンがある。「シンゾウが巻物を開いてサブタイトルが表示されるもの」、「獅子丸が煙玉を投げてサブタイトルが表示されるもの」、「ハットリくんが畳返しをしてサブタイトルが表示されるもの」、「影千代が隠れ蓑を解いてサブタイトルが表示されるもの」、「シンゾウが暗闇をライトで照らしてサブタイトルが表示されるもの」、「シンゾウが壁を反転させるとハットリくんが登場してサブタイトルが表示されるもの」。
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初代(2002年 – 2010年)
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「フォルクスワーゲン・トゥアレグ」の記事における「初代(2002年 – 2010年)」の解説
2002年発表・発売開始。ディーゼルエンジンの2.5L/直列5気筒TDI、3.0L/V型6気筒TDI、5.0L/V型10気筒TDI、ガソリンエンジンの3.2L/V型6気筒、4.2L/V型8気筒、のラインナップがあり、日本にはガソリンエンジン仕様(3.2L/V型6気筒、4.2L/V型8気筒)のみが導入されている。2005年には世界限定500台(うち、日本への割り当ては100台)で、6.0L/W型12気筒(W12/WR12)搭載の「W12 SPORT」が発売された。なお、このW12スポーツは日本で販売されるフォルクスワーゲン車として初めて1,000万円を超えた。 2006年、フォルクスワーゲン傘下のアウディから姉妹車であるSUV、アウディ・Q7が発売された。 2007年にはマイナーチェンジが行われ、ガソリンエンジンは3.2L/V型6気筒が3.6L/V型6気筒FSI(直噴)に、4.2L/V型8気筒が4.2L/V型8気筒FSIに変更されたほか、ワッペングリルの採用に加え2,300点の部品が更新された。エンジンは、V型6気筒FSIの出力が向上した。日本国内に輸入・販売されるモデルにはサイドアンダーミラーが付着され、アウディ・Q7にみられるような保安基準に準拠するカメラやモニターは装備されなかった。MY08ではカメラ及びバックミラー内蔵式モニターが標準装備となった。 2009年、環境対応技術であるブルーモーションテクノロジーの下にプロトタイプの「トゥアレグV6TSIハイブリッド」を発表。アウディS4などに搭載されている3L、V6スーパーチャージャーのガソリン直噴エンジンと38kwの電気モーター、アイシンAW(現:アイシン)製8速ATで駆動する。バッテリーは三洋電機のニッケル・水素充電池を使用。ちなみにセンターデフは電子制御の湿式多板クラッチから機械式のトルセンへ変更されている。 後期型(フロント) 後期型(リア)
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初代(1964-1967年)
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「ポンティアック・GTO」の記事における「初代(1964-1967年)」の解説
前年度から再びル・マンのオプションパッケージとしての地位に戻ったGTOは、1973年にGM-Aボディの全面改定に伴い事実上の3代目モデルへと移行した。ボディの基礎デザインはル・マンと共用されたコロネード・ハードトップと称するものになった。これはハードトップとは称しているが、実際にはルーフの強度向上の為にサイドウインドウの後ろには頑丈なピラーが用意され、リアクォーターウインドウもはめ殺し窓となっており、純粋な意味でのハードトップの機能性は失われた。1973年式のボディラインナップはベース車両のル・マンに従い、クォーターウインドウを持つクーペと、クォーターウインドウ部分を同時期のグランダムでも用いられていたルーバーで覆うデザインとしたスポーツクーペの二種類が用意された。 また、1973年に改正された連邦法は、車体への損害なしで毎時8km/h(毎時5マイル/h)の速度での衝撃に耐えることができる、新しいフロントバンパーの装着を新型車両に要求した。これは俗に5マイルバンパーと呼ばれるもので、1974年からは全車義務付けとなるものであった。これによって、1973年式にはボディから大きく突出した重量の重いクロームバンパーを前後に装着する事となり、往年のエンデューラバンパーと独特の空力デザインは失われた。そして1973年式GTOを含む、1973年から1977年までのGM-Aボディによるポンティアック中級車(ル・マン、ラグジュアリー・ル・マン、グランダム)の全体的なスタイルは、一般の購買層には不評であった。 但し、コロネード・ハードトップデザインのポンティアック中級車がこの時期軒並み不調であった一方で、同時期にGM-Aボディから派生したポンティアック・グランプリやシボレー・モンテカルロ(en:Chevrolet Monte Carlo)は、スクエアオフスタイリングと呼ばれる全体的に角張ったボディデザイン、ドア後方で鋭角的に跳ね上げられるルーフラインやより斜めに寝かされたピラーなどのデザインが、購買層から高い支持を受けてもいた。また、このデザインはポンティアックの姉妹ブランドであるオールズモビルでも利用され、この時期のオールズモビル・カトラスも市場からは高い支持を受けていた。 1973年式GTOの内装オプションのラインナップは、基本的には前年度と同じくベース車のル・マンクーペやル・マンスポーツクーペと共用されるものであった。標準のル・マンクーペは布・ビニールの併用張り若しくはオールビニール製のベンチシートが特徴で、より豪華なル・マンスポーツクーペはオールビニール製の内装トリムに、ストラト・バケットシートか折り畳みアームレスト付きのノッチバック・ベンチシートが選択できた。 パワートレインは標準が400立方インチエンジンであったが、圧縮比は前年よりもさらに低圧縮の8.0:1となり、出力は230馬力/4400rpm、44.93kg-m 3200rpmとなった。400エンジンは変速機は標準が3速MT、オプションで4速MTとターボハイドラマチック3速ATの3種類が選択できた。基本はフロアシフトで、前年までの伝統的なオプションであった4速クロスレシオMTは搭載されなかったが、3速AT車には久々にコラムシフトの選択肢が復活した。オプションエンジンは455立方インチエンジンであったが、400エンジンと同じく圧縮比は8.0:1となり、出力は250馬力/4000rpm、51.15kg-m/2800rpmであった。455エンジンはターボハイドラマチック3速ATしか選択できず、前年までの455 HOエンジンも搭載されなかった。 なお、1973年式のモデルイヤー発表段階では、当時トランザムに搭載されていたネット310馬力のスーパーデューティ455エンジン(SD 455)の搭載もアナウンスされており、実際に開発時のテスト車両にはSD 455エンジンを搭載されたものも用いられていたが、結局市販車両に採用されることはなかった。GTOと同様にグランダムでもSD 455エンジンのテスト車両が8台制作されたが、これもGTOのテスト車両と同様に全て廃棄された。 1973年式の売り上げ台数は4,806台。全ての年式の中で最も少ない台数である。これは当時新型グランダムとの同ブランド内での競争や、それに伴いかつて程GTOに十分なプロモーションが行われなかった事も影響していた。そしてこの年度の後半で発生したオイルショックによって、マッスルカーは消費者に完全に見放される事になる。
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初代(1967年-1969年)
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「シボレー・カマロ」の記事における「初代(1967年-1969年)」の解説
初代カマロは1967年に発売された。GM Fボディ プラットフォームを用いられ、駆動は全てFR(フロントエンジン・リアドライブ)。エンジンは直列6気筒もしくはV型8気筒で、排気量は3.8Lから7.0Lであった。シートは全て2+2、ボディは2ドアハードトップとコンバーチブルが設定された。グレードはベーシックなグレード名がつかないもの(単にカマロ/カマロコンバーチブル)。ハイパフォーマンスV8エンジンを積んだSS(スーパー・スポーツ)。トランザムレース出場のためのレース用5,000ccエンジンを載せたZ28の3種類。また、オプションでラリーのための補助灯やライトカバーを備えたRS(ラリー・スポーツ)パッケージが選択できた。1967年に販売されたモデルのみ三角窓を装備し、1969年にはサイドのプレスラインやフェンダーアーチなどのボディパネルの変更、そしてレースを目的とした425PSハイパワーエンジンZL-1がこの年限りのオプションとして登場する。このエンジンを搭載したモデルは69台製作されたことが記録されているが、サーキットではフォード・マスタングと覇を争い、1969年のSCCA(Sports Car Club of America)トランスアメリカン・チャンピオンシップの2.5L以上クラスで優勝した。初代カマロは1969年に生産終了になった。わずか3年間のみの販売であった。日本でも10台ほど販売されている。 Z28
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初代(2017年 - )
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「フォルクスワーゲン・アルテオン」の記事における「初代(2017年 - )」の解説
CCの後継車種に当たり、かつフィデオンが存在する中国市場を除いた販売地域でフラッグシップモデルとなる車種である。サッシュレスドアを持つ、いわゆるピラードハードトップ車に類する。
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初代(JK1型、2020年 - )
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「ジェネシス・GV70」の記事における「初代(JK1型、2020年 - )」の解説
2020年10月29日、全世界に向けて内外装のデザインと一部概要が発表された。 2020年12月8日、韓国にて発表。 スタイリングは韓国、アメリカ、ドイツにあるジェネシスのデザインスタジオが共同で手掛けた。ジェネシスの最新デザイン言語「Athletic Elegance」に則り、クレストグリルやクアッドランプといったシグネチャーデザインが導入されている。 ベースとなったG70同様にRWDベースのプラットフォームを採用し、AWDも用意される。パワーユニットは直列4気筒・2.2L ディーゼルならびに直4・2.5LとV6・3.5Lの2種のターボチャージャー付きガソリンで構成される。
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初代(2009年-2014年)
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「ホンダ・スピリア」の記事における「初代(2009年-2014年)」の解説
詳細は「ホンダ・アコード#8代目_CU1/2型(2008-2013年)」を参照 2009年4月20日、東風ホンダは上海モーターショーにCU1/2型アコードをベースとするコンセプトカー「SR-9」を出展し、年内の新型車発売を予告した。SR-9の市販モデルは7月27日にスピリアとして発表された。スピリアは8月19日から生産が開始され、9月5日に発売開始された。 当初は直列4気筒2.4L(K24Y5型)のみのラインナップであったが、2012年11月22日から開催された第10回広州国際モーターショーでフェイスリフトモデルが発表され、2.0Lエンジン(R20A4型)搭載車も追加された。
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初代(1988年4月 - 1990年3月)
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「NNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1990年3月)」の解説
前番組『NNNライブオンネットワーク』から継承、『プラス1』開始時と1990年頃に手直しして使用。ワーキング・スタジオの形式を取り入れたセットで、キャスター席後ろの壁面に縦2段の横並びでテレビモニターが複数埋め込まれている。キャスター席は左右にサブキャスターが着席し、中央は徳光が立って伝えていた。(土曜・『日曜夕刊』と『きょうの出来事』では、中央にテーブルを取り付け左右と一体化させていた。)左奥には同時通訳の担当者が入る小部屋があった。
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初代(1988年4月 - 1996年9月)
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「NNNニュースプラス1」の記事における「初代(1988年4月 - 1996年9月)」の解説
カラーリングは「NNN(赤) ニュース(青)(改行)プラス1(金色)」。又村統によるデザイン。「NNNニュース」が冠してある。 ロゴ全体が傾き気味であることと、「プラス1」の「1」の下線が「プ」の部分まで長く伸びているのが特徴。 1996.04から09までの半年間は週末版には「サタデー」・「サンデー」の文字も追加された 週末版のカラーリングは「NNN(赤) ニュース(白)(改行)プラス1(金色)(改行)サタデー/サンデー(紺色)」。
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初代(前期PGC10型・後期KPGC10型)
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「日産・スカイラインGT-R」の記事における「初代(前期PGC10型・後期KPGC10型)」の解説
1969年5月 デビュー戦である1969年JAFグランプリレース大会のクラブマンレース特殊ツーリングカーの部は、大会規定により日産の全ワークス選手が参加資格を失ったため、やむなくニッサン・スポーツ・カー・クラブ (SCCN) やプリンスモータリストクラブ・スポーツ (PMC-S) のアマチュア選手5名でワークスチームを編成した。これに対し、ライバルとなるトヨタは高橋晴邦がワークス選手ではあるが参加資格があった。予選では藤田皓二が2分13秒42で1位、以下ロバートL.レイガン、長村瑞臣の順でGT-R勢が上位を占め、トヨタ・1600GTの高橋は藤田に約1.5秒遅れの4位、5位に高橋と同タイムの萩原裕、1600GTを2台挟んで8位に篠原孝道という結果であった。決勝で、1速を低速カーブに設定している日産勢は、1速がスタート専用ギアのトヨタ勢にスタートで一斉に遅れた。その後、順調に順位を上げた篠原が先頭の高橋に追いつき一騎打ちとなるが、高橋の巧みなブロックにより順位は変わらないままフィニッシュとなった。しかし高橋は速度で勝る篠原を直線でもブロックしており、これにコース監察の競技役員が走路妨害の疑いを報告し、競技委員会もこれを確認したため、高橋は罰則で1周減算され、総合成績は1位篠原、2位萩原、3位高橋 (クラス1位) となった。 1969年10月 「'69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1 - 3位を独占。 1970年5月 「'70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。 1970年6月 、「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、長谷見昌弘のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。 1971年5月 「'71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1 - 3位、5位を獲得する。 1972年3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、高橋国光が全車を周回遅れにして1位、通算50勝を達成する。 1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにて北野元が駆ったGT-Rが1位、久保田洋史が3位、正谷栄邦が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。そして最終的に通算57勝の成績を残した。 C10型の強さを語る上の代名詞として「49連勝」というフレーズが昨今において雑誌、広告、DVDなどのメディアにおいて広く使用され認知されている。ただし、この連勝数については諸説があり、例えばプリンスの丘公園におけるC10型の功績を称える碑には50連勝と書かれていることに対して、モータースポーツ専門誌の『Racing On』444号では、うち18がクラス優勝、また1971年7月25日に行われた富士1000kmレースにおいて総合6位(クラス2位)となっているため、連勝記録は46で止まっていると指摘している。なお、日産のモータースポーツ部門であるNISMOはHPにおいて「49勝し更に50勝目も挙げた」という表記を取っている。
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初代 (2011-2014年)
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「クライスラー・200」の記事における「初代 (2011-2014年)」の解説
2009年、デトロイトモーターショーにて公表された。 セブリングを再設計し、パワートレインの変更、LEDライトなどを装備した。 ダッジブランドで販売するアベンジャーは、主要コンポーネントを共有する兄弟車である。 また、イタリアをはじめとした欧州圏でランチアブランドの「フラヴィア」としても販売された。
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初代(第1シリーズ)
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「金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)」の記事における「初代(第1シリーズ)」の解説
※放送時に前編と後編に分かれていた話では、前編のエンディングと後編のオープニングがカットされている(メニューでは前編と後編が表示される)。
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初代(AM型、2008年-2013年)
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「キア・ソウル」の記事における「初代(AM型、2008年-2013年)」の解説
設計はカリフォルニア州のキアデザインセンターで行われた。 2006年 同年の北米国際オートショーでコンセプトモデルを発表。後に2009年モデルとして市販されることが発表された。 2008年10月 モンディアル・ド・ロトモビルにおいて1.6Lガソリンエンジンを搭載したソウル・ハイブリッドコンセプトを発表。 2008年11月 韓国 光州工場での生産を開始。 2009年 北米国際オートショーにコンセプトカー、「ソウルスター」(Soulster )を出展。ソウルをベースとしたオープントップのSUVで、デザインはキアモーターアメリカが担当した。 2009年2月 北米およびヨーロッパ各国で2010年モデルとして発売。 北米仕様車には直列4気筒の1.6Lエンジンおよび2LベータIIエンジンが用意され、