しん【×秦】
しん【秦】
読み方:しん
春秋戦国時代の国の一。戦国七雄の一。初め秦(甘粛)の地にいたが、前771年、周の諸侯に列せられて以後、渭水(いすい)に沿って東進。勢力を拡大して、前249年に周を滅ぼし、前221年政(始皇帝)の時には六国を滅ぼし天下を統一。都は咸陽。前207年、3代15年で漢の劉邦(りゅうほう)(高祖)に滅ぼされた。
はた【秦】
はた‐しん【秦】
秦 (しん)
秦
姓 | 読み方 |
---|---|
秦 | かな |
秦 | しん |
秦 | しんの |
秦 | じん |
秦 | そう |
秦 | ちん |
秦 | はた |
秦 | はだ |
秦 | ひろし |
秦 | みなと |
秦 | やすし |
秦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 06:26 UTC 版)
秦(しん、拼音: 、紀元前905年 - 紀元前206年)は、中国の王朝である。周代・春秋時代・戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に史上初めて中国全土を統一、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間を秦朝、秦代と呼ぶ。紀元前221年に中国史上初めて天下統一を果たした王の姓は
注釈
- ^ 前905年、周の孝王に仕えていた非子が馬の生産を行い、功績を挙げたので嬴の姓を賜り、秦の地に封ぜられた。
- ^ 前770年(平王元年)、襄公は伯爵となった。
- ^ 325年(顕王44年)、恵王は王となった。
- ^ 前288年(赧王27年)、昭王は西帝となった。
- ^ 前221年に始皇帝は中華を統一して大秦帝国を創立。
- ^ a b 皇帝ではなく秦王を称した。
- ^ この時代の中国では「姓」と「氏」は別である。秦の家系は遠祖「革」以来一貫して姓は「嬴姓」であり、氏は「趙氏」である。なお通常、男性は「氏」を、女性は「姓」を名乗ったので、始皇帝が「嬴政」と自称したり人から呼ばれたりしたことはありえない(正しくは「趙政」)。
女防生旁皋,旁皋生太幾,太幾生大駱,大駱生非子。以造父之寵,皆蒙趙城,姓趙氏。
秦之先為嬴姓。其後分封,以國為姓,有徐氏、郯氏、莒氏、終黎氏、運奄氏、菟裘氏、將梁氏、黄氏、江氏、修魚氏、白冥氏、蜚廉氏、秦氏。然秦以其先造父封趙城,為趙氏。(司馬遷『史記』秦本紀) - ^ 『史記』始皇本紀では衛となっている。
- ^ 鄴攻めではなく平陽の戦いを統一戦争の始まりとすることもある。
- ^ 代は燕と連携をとり秦に対抗する。王賁により代王嘉が捕虜になる紀元前222年まで命脈を保った(燕攻略も参照)。
- ^ この時点で趙の滅亡とすることもある。
- ^ 即位して3日後に死去した。
- ^ 中国統一後に皇帝を称した。
- ^ 在位46日。
参考文献
- ^ 鸟虫篆文体
- ^ 『史記 巻四 周本紀』:幽王以虢石父為卿,用事,国人皆怨。石父為人佞巧善諛好利,王用之。又廢申后,去太子也。申侯怒,與繒・西夷犬戎攻幽王。幽王挙烽火徴兵,兵莫至。遂殺幽王驪山下,虜褒姒,盡取周賂而去。於是諸侯乃即申侯而共立故幽王太子宜臼,是為平王,以奉周祀。
- ^ 『史記 巻四十二 鄭世家』:二歳,犬戎殺幽王於驪山下,並殺桓公。
- ^ 佐藤信弥 2016, pp. 209–210.
- ^ 島崎晋 2019, pp. 79–81.
- ^ 『史記 巻六 秦始皇本紀』:(始皇)六年,韓・魏・趙・衛・楚共撃秦,取寿陵。秦出兵,五国兵罷。
- ^ 『史記 巻四十三 趙世家』:(悼襄王)四年,龐煖将趙・楚・魏・燕之鋭師,攻秦(蕞),不抜;移攻斉,取饒安。
- ^ 『史記 巻四十 楚世家』:(考烈王)二十二年,與諸侯共伐秦,不利而去。
- ^ 『史記 巻七十八 春申君列伝』:攻秦至函谷関。
- ^ 島崎晋 2019, pp. 32–34.
- ^ (中国語) 秦滅趙之戦 [Qin's conquest of Zhao] (wiki), Hudong Baike
- ^ 『史記』秦始皇本紀「十三年,桓齮攻趙平陽,【正義】:括地志云:「平陽故城在相州臨漳県西二十五里。」又云:「平陽,戦国時属韓,後属趙。」殺趙将扈輒,【正義】:「扈音戸。輒,張猟反,趙之将軍。」斬首十万。王之河南。正月,彗星見東方。十月,桓齮攻趙。十四年,攻趙軍於平陽,取宜安,【正義】:括地志云:「宜安故城在常山城県西南二十五里也。」破之,殺其将軍。桓齮定平陽、武城。【正義】:「即貝州武城県外城是也。七国時趙邑。」」
- ^ 『史記』廉頗藺相如趙奢李牧列伝「七年,秦破殺趙将扈輒于武遂,斬首十万」
- ^ 『史記』趙世家「二年,秦攻武城,扈輒率師救之,軍敗,死焉。三年,秦攻赤麗、宜安...」
- ^ a b 巻二十一 趙策四
- ^ 『資治通鑑 巻六 秦紀一』:桓齮伐趙,敗趙將扈輒於平陽,斬首十萬,殺扈輒。 〔冬,十月,桓齮復伐趙〕桓齮伐趙,〔殺其趙將〕,取宜安、平陽、武城。〔趙王以李牧為大將軍,戰於宜安、肥下,秦師敗績,桓齮奔還。趙封李牧為武安君〕。
- ^ 『史記 巻六 秦始皇本紀 第六』:十三年,桓齮攻趙平陽,殺趙將扈輒,斬首十萬。王之河南。……十月,桓齮攻趙。十四年,攻趙軍於平陽,取宜安,破之,殺其將軍。桓齮定平陽、武城。
- ^ 『史記 巻八十一 廉頗藺相如列伝』:後七年,秦破殺趙將扈輒於武遂,斬首十萬。趙乃以李牧為大將軍,撃秦軍於宜安,大破秦軍,走秦將桓齮。封李牧為武安君。
- ^ 『史記 巻四十三 趙世家』:二年,秦攻武城,扈輒率師救之,軍敗,死焉。三年,秦攻 赤麗、宜安,李牧率師與戰肥下,卻之。封牧為武安君。
- ^ a b c “秦滅韓和破趙”. 中華文化信息网. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月3日閲覧。
- ^ a b Li & Zheng 2001, p. 184.
- ^ a b c d e f g 寺田隆信 1997, pp. 48–49.
- ^ 廉頗藺相如列傳第二十一
- ^ 趙世家第十三
- ^ Li & Zheng 2001, p. 187.
- ^ (中国語) 秦滅魏之戦 [Qin's conquest of Wei] (wiki), Hudong Baike
- ^ 『史記』楚世家
- ^ 秦滅楚 Archived 2015-09-23 at the Wayback Machine. 中華文化信息网
- ^ 馮夢竜『東周列国志』“王賁兵渡鴨緑江,圍平壌城,破之,虜燕王喜,送入咸陽,廢為庶人。”但純属小説家之言,不足為信。
- ^ a b 秦滅燕、趙和破斉 Archived 2015-09-23 at the Wayback Machine. 中華文化信息网
- ^ a b Duiker, William J. Spielvogel, Jackson J. Edition: 5, illustrated. (2006). World History: Volume I: To 1800. Thomson Higher Education publishing. ISBN 0495050539, 9780495050537. pg 78.
- ^ 柿沼2015
- ^ Ren, Changhong. Wu, Jingyu. (2000). Rise and Fall of the Qin Dynasty. Asiapac Books Pte Ltd. ISBN 9812291725, 9789812291721.
秦(しん)
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「キングダム (漫画)」の記事における「秦(しん)」の解説
中華西端の大国。首都は咸陽。昭王の代に六大将軍の働きによって大きくその勢力を伸ばした、七国中でも一、二を争う強国。その強大振りから、一時期は「西帝」とよばれた程である。作中でも天下統一を狙い活発な軍事活動を続けてはいるが、昭王時代よりも武威には陰りが見える。荘襄王の代に丞相となった呂不韋が国の実権を握っており、大王派との間で政争が続いていたが、嬴政の加冠の儀の際における政変により、大王派が実権を取り戻している。歩兵における什伍の制度に代表されるように、七国中最も論功行賞の制度が確立されている。 六大将軍(ろくだいしょうぐん) 昭王によって「戦争の自由」という権利を与えられた秦の6人の大将軍。彼らの存在によって、かつての秦は中華で最も危険な国とされていたが、昭王亡き後はその名を継ぐ者が現れず、その武の威光は失われている。呂不韋によると、六大将軍制は常に兵糧や兵士の補充を必要とし、国に著しい負担を与え、また独立色を強める制度のために謀反の恐れが常に付きまとうとされ、昭王と六将の間にあった鉄の忠誠心があってこそ成り立っていたという。構成員は白起を筆頭として王騎・摎・王齕・胡傷・司馬錯。唯一存命していた王騎も作中で没した。始皇十三年に、政により六代将軍制の復活を宣言。蒙武・騰・王翦・楊端和・桓騎の5人が任命されたが、6人目は他の5人と比肩する者がまだいなかったため空席となっている。 飛信隊(ひしんたい) 初陣での戦果で信が百人将となった時に発足した特殊部隊で、発足初戦の馬陽戦において王騎から「飛信隊」の名を授かる。 発足当初は一癖も二癖もある荒くれの百姓を中心とした特殊百人隊で、渕、羌瘣の2人を副長としていた。百姓ゆえに軍装も充分に整わぬばかりか、騎馬や弓に長けた配下など皆無に等しく、剣と槍に頼った白兵戦で戦っていた。馬陽後には三百人隊へと増員され、さらに山陽攻略戦では進軍中に特例として臨時千人隊へと増員、増員された隊員は元郭備隊の隊員であり、郭備隊副長の楚水を副長に加えた。本戦では輪虎を討ち取り、その功で正式に千人将として認可されるも羌瘣が一時離脱。そのため策略を練ることの出来る人物がいなくなり苦戦が続く状態であったが、後に河了貂が軍師として参入し改善した。 対合従軍戦では万極を討ち、麃公から兵千人を補給され実質二千人隊となった。対合従軍戦後の論功行賞によって三千人隊へと増員し、元麃公軍の岳雷率いる五百人を加える。彼らは後に乱戦特化兵「飛麃」と呼ばれるようになった。成蟜の反乱の頃には隊に復帰した信が四千人将、さらに羌瘣も千人将へと昇進し五千人隊となっている。著雍攻略戦では霊凰を討ち、本陣を落とした功により信が五千人将、羌瘣も三千人将へと昇進し八千人隊となった。黒羊戦後に元桓騎軍であった那貴とその一家が新しく飛信隊に加入し、さらに新たに募兵を行い選りすぐりの千人の新兵が加わる。 鄴攻略戦では岳嬰、趙峩龍さらには龐煖を討ち取り、信(李信)が将軍、羌瘣が五千人将に昇進し合わせて一万五千人の軍となり、その後羌礼が加入する。 三百人隊の時から前線ではその強さに恐れられている一方で、決して略奪を犯さないことでも有名。剛力(ごうりき) 羌瘣が考案した対騎馬戦法。伍二組で十人が固まって盾を構える陣形で、突撃して来る騎馬を一丸と壁になって防御する。上手く受ければ敵騎馬を弾いて落馬させることが出来るが、その分反動も大きく負傷者も出やすい。 玉鳳隊(ぎょくほうたい) 王賁の初陣と共に、百人隊として発足した特殊部隊で、番陽を副長としている。山陽攻略戦では三百人隊として臨み、進軍中に特例として臨時千人隊へと増員、戦後に正式に千人将として認可される。その後山陽平定の功で二千人将に昇進。合従軍戦で王賁は臨時で五千人の指揮を任され、戦後に三千人将に昇進する。著雍侵攻戦の頃には王賁は四千人将となっており、さらに関常率いる千人隊の増援を加え五千人隊となり著雍戦を臨む。そして紫伯を討ち取り、その功で王賁は五千人将に昇進する。鄴攻略戦では秦軍右翼で活躍しさらに尭雲を討ち取り将軍へと昇進、一万の軍となりさらに亜光軍から三千騎を率いて亜花錦が移籍したことで更なる活躍をする。龍指(りゅうし) 撓る様な軌道で槍を突く王賁の槍術の一つ。 龍巣(りゅうそう) 目に留まらない速さで突き続ける王賁の槍術の一つ。 楽華隊(がくかたい) 蒙恬率いる特殊部隊で胡漸、陸仙を副長としている。韓侵攻戦で蒙恬は千人将となったが祖父蒙驁により三百人隊に留め置かれる。山陽攻略戦では進軍中に特例として臨時千人隊へと増員、戦後に正式に千人隊として認可される。対合従軍戦で蒙恬は臨時で五千人の指揮を任され、戦後に二千人将に昇進、嬴政加冠編後の時点では四千人将となっている。鄴攻略戦の時点では五千人将となっており、開戦初日に秦軍左翼の危機を救ったことで臨時将軍に任命される。その後蒙恬の親代わりで副長の胡漸を失うが、戦後正式に将軍へと昇進、一万の軍となりさらに蒙武軍から剛将・愛閃が移籍したことで更なる活躍をする。 後宮(こうきゅう) 秦において三千人を超える宮女と宦官から成る城で、宮女のほとんどが名家の出であることから、それらを束ねたならば絶大な力を要するとされる。呂不韋でさえ手を出しあぐねる強大な勢力であり、政陣営と呂氏陣営の争いにも不干渉を貫いていた。しかし、実際は長の太后が呂不韋と手を結んでおり、裏から支援していた。 三大宮家(さんだいみやけ) 太后の下で後宮を仕切る三侍女の後ろ盾となっている実力者。氾家、介家、了家の三氏。 宦官(かんがん) 去勢した官吏。男子禁制の後宮で唯一出入りが認められている男性の官吏であり、一様に縦に開いた覆面を被っている。
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秦
秦 |
「秦」の例文・使い方・用例・文例
- 中国を統一して、万里の長城の多くを建設し、度量衡を標準化し、共通の通貨と法律制度を構築した秦の始皇帝(紀元前210年に死去)
- (中国で)秦の始皇帝が儒者を穴埋めにしたこと
- 秦野市という市
- 秦という,中国の王朝
- 秦漢時代という,中国の時代
- 秦始皇帝兵馬俑坑という,始皇帝陵の遺跡
- 古代中国の秦帝国と漢帝国
- 秦(しん)王(チェン・ダオミン)は中国全土を征服し,その最初の皇帝になろうと固く決意している。
- 例えば,その部分には秦(しん)代(前221年~前206年)や漢(かん)代(前202年~後220年)に建造されたものが含まれる。
- 戦国時代(紀元前403年~紀元前221年),秦(しん)や趙(ちょう),燕(えん)などの国が,自国の国境を守るために防壁を建設した。
- 紀元前221年,秦が中国全土を征服し,秦の始皇帝は北方からの侵入に抵抗するため,より強固な防壁を必要とした。
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