秦氏とは? わかりやすく解説

はた【秦】


はたうじ 【秦氏】

秦は古くハダ秦の始皇帝の裔だとか辰韓国王の裔だとか諸説がある。応神天皇の時、一族の長だった弓月君一二七県の百姓連れて来朝し子孫織物生産を業としたという。賀茂松尾稲荷の神を崇め松尾稲荷両社神職に秦氏が多い。浄土宗開祖法然の母も秦氏の出だったという。

秦氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 04:57 UTC 版)

秦氏(はたうじ・はたし)は、「秦」をの名とする氏族東漢氏などと並び有力な帰化氏族である[1]


注釈

  1. ^ 秦得吉、秦安成、秦用成、秦時正、秦本弘、秦吉連、秦清本、秦元時、秦豊近、秦種謙
  2. ^ 上皇方に味方した(保元の乱または平治の乱)ために敗れ、土佐国に落ち延びた後に長宗我部家となったとされる。(但し、長宗我部家関連以外で信濃秦氏について言及した書物はない。)

出典

  1. ^ 新撰姓氏録
  2. ^ 西田長男『神道史の研究』雄山閣〈第2巻〉、1943年、86頁。doi:10.11501/1040103全国書誌番号:46002858https://dl.ndl.go.jp/pid/1040103/1/1 
  3. ^ 『日本書紀』応神14年条
  4. ^ 『新撰姓氏録』左京諸蕃。なお同書では弓月君を融通王とする
  5. ^ 『新撰姓氏録』左京諸蕃
  6. ^ 太田(1963).
  7. ^ 井上満郎「古代史のなかの朝鮮文化 : 東アジア世界と日本」『アジア太平洋研究』第43巻、成蹊大学アジア太平洋研究センター、2018年11月、67-79頁、doi:10.15018/00001160hdl:10928/1149ISSN 0913-8439 
  8. ^ http://www.kibinosato-hada.com/kibinosato-hada2.com/course2.html
  9. ^ https://kotobank.jp/word/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B-145197
  10. ^ 笠井倭人「朝鮮語より見た秦・漢両氏の始祖名」(小林行雄博士古稀記念論文集刊行委員会編『考古学論考』平凡社、1982年)
  11. ^ a b c 加藤謙吉『秦氏とその民』(白水社、1998年)
  12. ^ 稲荷神の由来となった秦伊侶具の出自について、『稲荷社神主家大西氏系図』に「秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子和銅4年2月壬午、稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年8月8日卒」とある。
  13. ^ 太田,丹羽(1974), p. 1016.
  14. ^ 太田,丹羽(1974), p. 1017.
  15. ^ a b c d 『秦氏とその民』.
  16. ^ 新撰姓氏録』左京諸蕃
  17. ^ 上田(1965), p. 71.
  18. ^ 上田(1965), p. 140.
  19. ^ 平野邦雄「秦氏の研究」(『史学雑誌』第70編第3・4号、1961年)
  20. ^ 直木[1988: 45,53]
  21. ^ 上田(1965), p. 71-72.
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  23. ^ 笠井倭人「朝鮮語より見た秦・漢両氏の始祖名」(『古代の日朝関係と日本書紀』吉川弘文館、2000年)
  24. ^ [佐伯:1994 369]
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  27. ^ 関[1966: 96-97]
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  29. ^ 佐伯好郎「太秦(禹豆麻佐)を論ず」(『地理歴史』百号、1908年)
  30. ^ 重要文化財|豊前国仲津郡丁里大宝二年戸籍断簡|奈良国立博物館”. www.narahaku.go.jp. 2020年5月2日閲覧。
  31. ^ a b c 承和二年(八三五)十月丁酉《廿六》 賜讃岐国人 従六位上 秦部福依 弟福益等三烟 秦公姓 【現代語訳:讃岐国人従六位上秦部福依 弟福益ら3戸,秦公の姓を与えられる】」(『続日本後紀』巻四)
  32. ^ a b c 「太政官符 / 図書寮造紙手. 少初位下秦公室成 / 右検案内. 太政官 去大同三年十二月十五日 / 下 式部省 符偁. 右大臣宣. 奉勅. 造紙長上一員. 宜従 停止者. 今被右大臣宣偁. 奉勅. 前長上 秦部乙足 死去之替補 室成. 自今以後. 依旧定二員.【要約:秦公室成が、図書寮造紙長上であった秦部乙足に替わって、図書寮造紙長上に任命される】」 (『類聚三代格』:享禄本. 巻第4)
  33. ^ 兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako- -赤穂城跡、赤穂の歴史民俗、文化財、観光、名所旧跡、遺跡、発掘調査、考古学などなど-「坂越の歴史[1]
  34. ^ 井上秀男「備前・播磨地域の渡来人「秦氏」と神社について (PDF) 」 日本先史古代研究会、発表年不明
  35. ^ 前田徹「播磨国赤穂郡久富保の基本史料について」『待兼山論叢. 史学篇』第30巻、大阪大学文学部、1996年12月、31-54頁、hdl:11094/48058ISSN 03874818NAID 120005463056 
  36. ^ 久能寺縁起
  37. ^ 上田(1965), p. 20-21.
  38. ^ kotobank,デジタル版 日本人名大辞典+Plus。大江[2007: 222]
  39. ^ 大江[2007: 271]
  40. ^ 正倉院文書データベース”. 正倉院文書データベース作成委員会. 2019年12月10日閲覧。
  41. ^ 宝物は語る(3)大量の墨書新発見……古櫃(こき)”. 讀賣新聞. 2019年12月10日閲覧。
  42. ^ a b c d e f g 豊田武『苗字の歴史』(中央公論社、1971年)34頁
  43. ^ 関晃[1966: 103]
  44. ^ 伊藤信博「桓武期の政策に関する一分析(1)」(『言語文化論集』26巻2号、2005年) 8頁
  45. ^ 古語拾遺』。関[1966: 105]
  46. ^ 寛政重修諸家譜(第18)新訂』 続群書類従完成会、1981年、150頁
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  48. ^ 太田 1963, p. 36.
  49. ^ 日前首相羽田?爱中山装”. 中国国際放送 (2007年11月20日). 2018年4月19日閲覧。



秦氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:03 UTC 版)

日ユ同祖論」の記事における「秦氏」の解説

秦氏は第15代応神天皇のときに、大陸から渡来して、この時10万19万ともいわれている・諸説あり)もの人々日本帰化した伝えられている。その一部大和葛城に、多く山城住んだのだが、雄略天皇5世紀半ば)の時に京都太秦ウズマサ)の地に定住するようになったという。 秦氏は非常に有力な一族で、794年平安京は秦氏の力によって事実上作られ仁徳天皇陵のような巨大古墳建築にも秦氏の力があった。 佐伯好郎1908年明治41年1月に『地理歴史 百号』(主宰 喜田貞吉論文太秦(禹豆麻佐)を論ず」で秦氏は景教キリスト教ネストリウス派)徒のユダヤ人であると考察したその内容は、「大闢大主」は、中国景教経典においてはダビデの意味であり、秦氏の建立した神社である大避神社大酒神社)と、また景教の寺は「大秦寺」で太秦と関係があるといったものである晩年佐伯歴史家服部之総対し、秦氏ユダヤ人キリスト教説を唱えた動機を、「ユダヤ人の大資本導入してやろう。それには、ユダヤ人注意日本向けさせる必要がある」「ユダヤ資本日本導入する志をたてて、そのために打った第一手が大秦氏=猶太人着想であった」と告白した。 秦氏の本拠地にある八坂神社祇園信仰にも、古代ヘブライ信仰類似している点がある。八坂神社伊勢神宮周辺などに、「蘇民将来」という伝承まつわる護符があるが、ここにもダビデ紋章出てくる。また、Yashashkar(ヤ シャッシュカル)とは10支族一つイッサカル族(Issacar,יִשָּׂשׁכָר)のアラム語における呼び名である。宮沢正典は著作増補ユダヤ人論考-日本における論議追跡』(新泉1982年64-65ページで「うづ・まさ」はアラム語セム語のイシュ・マシャであり、イエス・メシアを表す言葉であるとした。 太秦にある秦氏の神社であるの社には三位一体神を意味する三柱鳥居という変わった鳥居があり、アメノミナカヌシ神をその祭神としていたが、元伊勢である「眥(籠)神社」に伝わる海部氏勘注系図国宝によれば日本天地創造の三造化神の筆頭である天御中主神アメノミナカヌシ神)は、伊勢神宮外宮祭神豊受大神のことであると明記されている。ただし勘注系図そのもの偽作可能性もある。 秦氏は弓月の君(ゆづきのきみ・ゆみつきのきみ)と呼ばれていたとされる。弓とは英語でアーク、弓に矢を通した形状三日月似ている。月と関係している何かを持っていたのではないか弓矢などの武器扱っていたのではないか、と推測出来ないことも無い。

※この「秦氏」の解説は、「日ユ同祖論」の解説の一部です。
「秦氏」を含む「日ユ同祖論」の記事については、「日ユ同祖論」の概要を参照ください。

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