たんば‐の‐くに【丹波国】
読み方:たんばのくに
⇒丹波
丹波国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 14:46 UTC 版)
丹波国(たんばのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陰道に属する。
注釈
出典
- ^ a b 『角川日本地名大辞典26 京都府 上巻』角川書店、1982年、936頁頁。
- ^ 『古事記』の一部に記載(『世界大百科事典』(平凡社)丹波国項より)。
- ^ 『正倉院文書 』に記載(『京都府の地名』(平凡社)丹波国節より。)
- ^ 『大同類聚方』に記載『角川日本地名大辞典26 京都府 上巻』角川書店、1982年、936頁頁。
- ^ 『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年、368頁頁。
- ^ 『世界大百科事典』(平凡社)丹波国項。
- ^ 『京都府の地名』(平凡社)丹波国節。
- ^ 『世界大百科事典』(平凡社)丹波国項、『国史大辞典』(吉川弘文館)丹波国項でも「田庭」によるとする。
- ^ a b 『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年、370頁頁。
- ^ 両丹とは両丹日日新聞(2019年8月10日閲覧)。
- ^ a b c 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社)丹波国府跡項。
- ^ 『京都府の地名』亀岡市 案察使項。
- ^ 『神戸新聞』2003年7月17日付記事など。
- ^ 『京都新聞』2003年7月5日付記事など。
- ^ 【列島追跡】兵庫県篠山市、丹波篠山市へ/両隣に丹波、発信課題『日本経済新聞』朝刊2018年11月26日(地域総合面)2018年11月26日閲覧。
丹波国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 02:17 UTC 版)
兵庫県氷上郡春日町の山垣遺跡から出土した木簡に神人部加津良の名が見える。『和名類聚抄』には丹波国氷上郡美和郷が記載されている。
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丹波国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:28 UTC 版)
丹波国は、南東部の丹波亀山藩、南西部の篠山藩、北部の福知山藩などが比較的まとまった領地を持つほかは、小藩領、関東や東北の諸藩の飛地領、旗本領、幕府領などが錯綜する非領国地域であった。旗本札を発行した旗本の知行地の分布は、江戸期に存在した6郡のうち、桑田郡、何鹿郡、氷上郡のみに集中している。 京の町にほど近い口丹波地域には、山陰道の押さえとして丹波亀山藩が置かれ、丹波亀山城を居城としていた。この地域では、桑田郡馬路(現・京都府亀岡市馬路町)の杉浦氏及び桑田郡河原尻(現・京都府亀岡市河原林町河原尻)の武田氏が銀札を発行した。杉浦氏は、和田義盛の裔を称し、徳川家の譜代の臣として多くの旗本を輩出した一族である。馬路杉浦氏の所領は相模国及び丹波国に分散していたが、桑田郡馬路に陣屋を置き、蔵米などの産物の会計を担当する「掛屋」の銭屋覚兵衛による紙幣を発行した。河原尻武田氏は甲斐国の戦国大名武田氏の一族で、丹波国内に分散して所領を有していた。桑田郡河原尻には代官所を置き、蔵元の名で銀札を発行した。 丹波国の北寄りの奥丹波地域の何鹿郡は由良川水運が発達した地域であり、綾部藩、山家藩といった藩のほか、旗本領が散在していた。由良川支流の上林川流域の何鹿郡石橋(城下)(現・綾部市八津合町石橋)の城下藤懸氏は豊臣政権下では大名であったが、関ヶ原の戦いで西軍に付いたため減知され、旗本となった。城下藤懸氏は掛屋から銀札を発行した。城下から上林川のやや下流に陣屋を置いていた何鹿郡十倉(現・京都府綾部市十倉中町)の十倉谷氏と、十倉から北側の山地を超えた位置にある何鹿郡梅迫(現・京都府綾部市梅迫町)の梅迫谷氏は、山家藩谷氏の分家である。十倉谷氏は、掛屋により銀札を発行し、梅迫谷氏は、領内の黒谷が黒谷和紙の生産地であったため、紙会所などから銀札を発行した。 丹波国の西端にあたる氷上郡は、播磨国を経て瀬戸内海の播磨灘にそそぐ加古川(上流域は佐治川とも呼ばれる)の上流域にあたり、経済の中心地である大坂への物流の利便性の高さから、本郷や佐治など、加古川水運の船着場が発達し、郡の範囲を超える広い範囲の物流を担っていた。氷上郡は、柏原藩織田氏の陣屋が柏原(現・丹波市柏原町柏原)にあったが、小藩の上に藩領は丹波国内に散在しており、関東、東海及び近畿諸藩の飛地領や大小旗本領などが混在する非領国地域であった。 氷上郡佐治・小倉(現・丹波市青垣町佐治、青垣町小倉)の牧氏は織田信長や滝川一益の家臣などを経て、豊臣秀吉による小田原城攻めの際に徳川家康の旗本となった家である。氷上郡新郷(現・丹波市氷上町新郷)の安藤氏は、上野国高崎藩安藤氏の分家である。氷上郡本郷(現・丹波市氷上町本郷)の井上氏は、下総国高岡藩井上氏の分家で、遠江国に所領を有していたが、加増により丹波国氷上郡の所領を加えられた家である。氷上郡中山(現・丹波市春日町中山)の川勝氏は、丹波国の国人領主の裔である。これら佐治・小倉牧氏、新郷安藤氏、本郷井上氏、中山川勝氏の諸氏は、銀札あるいは米の代価として支払われることが明記された米代預り銀札を発行した。 氷上郡多田(現・丹波市柏原町南多田)の本多氏は陸奥国白河藩本多氏の分家で、三河国足助に陣屋を置き、一時期加増により1万石を超えたために足助藩を立藩していたことがある。本多氏は丹波国内の知行地支配のために多田村にも陣屋を置き、掛屋による銀札を発行した。 氷上郡大新屋(現・丹波市柏原町大新屋)の佐野氏は、鎌倉幕府御家人、室町幕府鎌倉公方の家臣、豊臣政権下の大名などを経て江戸幕府の大名となった名家であるが、江戸時代初期に改易され、旗本となり存続した家である。大新屋佐野氏は、銭札ながら金兌換を明記した紙幣を発行した。これは、多くの西日本諸藩などと同様に、明治新政府により銀貨幣の通用が停止されたのちに金・銭単位通貨として発行された紙幣と推測される。また、佐治・小倉牧氏発行の紙幣にも、上記の米代預り銀札以外にこの形式のものが認められる。
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丹波国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:39 UTC 版)
丹波国造族の後裔で度会氏の祖系。雄略朝に丹波国真井原の豊受大神を伊勢に遷座して奉斎した。
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丹波国
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