細川氏とは? わかりやすく解説

細川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/15 05:45 UTC 版)

細川氏(ほそかわし)は、武家華族だった日本氏族清和源氏足利氏の支流。南北朝時代足利尊氏のもとで勢力を伸ばし、室町幕府管領家・有力守護大名となった嫡流は足利将軍家を傀儡化するまでの勢力となったが、内紛により戦国時代に没落[1]。一方佐々木源氏をルーツに持つ細川藤孝(幽斎)を祖とする傍流が織田氏豊臣氏徳川氏に仕えて大大名に出世し、江戸時代には肥後熊本藩54万石の藩主家となり、維新後には華族の侯爵家に列した[2][1]




「細川氏」の続きの解説一覧

細川氏(讃州家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 15:40 UTC 版)

相伴衆」の記事における「細川氏(讃州家)」の解説

阿波守護

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細川氏(京兆家・典厩家・野州家・和泉下守護家・淡路守護家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:50 UTC 版)

「細川氏」の記事における「細川氏(京兆家典厩家野州家和泉下守護家淡路守護家)」の解説

清和天皇6代略) 源義国新田氏新田義重足利氏足利義康 義清 義兼 義実 [矢田氏矢田義房 [仁木氏仁木実国 [細川氏]細川義季戸崎氏]戸崎義宗 義俊 義有 義久 俊氏 宗義 公頼 [奥州家]頼貞 [遠州家]頼種 顕氏 直俊 定禅海 和氏 頼春 [淡路守護家]師氏 清氏 頼和 将氏 家氏 業氏 氏春 信義和京兆家]頼之 [阿波守護家]詮春 [和泉上守護家]頼有 頼元備中守護家]満之 満春 仁木夏 正頼元和泉下守護家]基之 満俊 俊春 経氏 頼氏 満元 [野州家]満国 頼久 教久 持親 安氏 泰経 持元 持之 [典厩家]持賢 持春 持久 成春 仲泰 勝元 教春 賢春 勝信 尚春 成賢 政国 泰寛 政久 政元 勝之 政賢 勝之 政春 春倶 澄之 澄元 高国 澄賢 尹賢 高国 晴国 通政 尹賢 高基 晴元 晴賢 氏綱 通政 通薫 昭元 稙国 氏綱 元賢 通薫 元勝 頼国 [長府細川家]元通 [三春藩細川家義元 ^ 祖父細川義季養子。 ^ 曽祖父細川義季養子。 ^ 奥州家細川繁氏養子。 ^ 仁木頼章養子。 ^ 野州家細川教春の子。 ^ 関白九条政基の子。 ^ 阿波守護家細川義春の子。 ^ 野州家細川政春の子。 ^ 野州家細川春倶の子。 ^ 典厩家細川尹賢の子

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細川氏(上和泉家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/25 15:23 UTC 版)

国持衆」の記事における「細川氏(上和泉家)」の解説

和泉守護

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細川氏(下和泉家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/25 15:23 UTC 版)

国持衆」の記事における「細川氏(下和泉家)」の解説

和泉守護

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細川氏(奥州家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/25 15:23 UTC 版)

国持衆」の記事における「細川氏(奥州家)」の解説

細川顕氏系統

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細川氏(淡路家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/25 15:23 UTC 版)

国持衆」の記事における「細川氏(淡路家)」の解説

淡路守護

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細川氏(備中家)

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国持衆」の記事における「細川氏(備中家)」の解説

備中守護

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細川氏(典厩家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/25 15:23 UTC 版)

国持衆」の記事における「細川氏(典厩家)」の解説

摂津中島郡守護

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細川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:23 UTC 版)

門司の歴史」の記事における「細川氏」の解説

秀吉死後1600年慶長5年)の関ヶ原の戦い西軍就いた毛利勝信改易となり、豊前国細川忠興与えられた(現在の北九州市のうち、門司小倉は細川氏の小倉藩若松戸畑八幡黒田長政福岡藩属した)。忠興は、小倉城改修して居城とし、門司城には従兄弟長岡沼田延元置いた1612年慶長17年)、剣術家宮本武蔵が、関門海峡小島である舟島巌流島)で、岩流という兵術達人決闘したとされる門司城沼田延元の子孫がまとめた『沼田家記によれば宮本武蔵は、岩流(小次郎)の弟子追われ門司城でかくまわれた後、豊後国日出にいた養父新免無二のもとに送り届けられたという。 1615年慶長20年)、一国一城令が発せられると、門司城を含む領内端城破壊された。 2代藩主細川忠利は、ごとの戸数人口牛馬数、職業調べ1622年元和8年)に人畜改帳を完成させた。これによれば企救郡戸数は4426戸、人口1万0895人(武士を除く)であったまた、1626年寛永3年)には、実地調査に基づく検地帳改正が行われた。細川氏は、20ほどを集めて手永という行政区域作りそれぞれ1人惣庄屋置いた企救郡には、7人(後に6人)の惣庄屋置かれた。この制度小笠原氏時代にも継承され幕末時点で、企救郡には城野富野小森片野今村津田という6手永があり、門司富野手永属している。

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細川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 23:13 UTC 版)

花の乱」の記事における「細川氏」の解説

細川勝元(同「右京大夫」「管領」):野村萬斎持之の子管領として義政支え、義就を追放するなど苛烈手段用い切れ者将軍である義政代わり事実上幕政中心に君臨し何かと政に口を出す富子を疎ましく思いつつ牽制する義視後継者になった際には後見となり管領盟友であった政長に譲る。だが春王が生まれたことから舅である宗全と対立山名家討ち亡ぼす決意をし、養子迎えていた宗全の子である毘沙王丸を廃嫡した。しかし宗全に先手打たれ畠山家家督を義就が継いだことから起きた政長と義就の争い巻き込まれるが、政長には助勢せず沈黙貫いたその事で政長には恨まれ、一旦は幕府内における権勢失ってしまうが、宗全らが油断した隙をついて挙兵し花の御所包囲する。こうして勃発した応仁の乱東軍総大将として、宗全率い西軍と戦うことになる。当初優勢だった西軍に政弘が加わったことで戦況逆転花の御所の隣に位置する相国寺にて激戦繰り広げるその間義視による春王毒殺未遂事件など起き頭を痛めた。また対立する富子からも意地捨て宗全に降伏するよう諭されるが、命を捨て戦うのが武士の本分だと一歩譲らない姿勢見せる。和睦交渉決裂した後、継戦派から暗殺されそうになり、乱の最中失踪するも、日野勝光暗殺される成り行き炎上した花の御所見て発狂そのまま亡くなったまた、偶然出会った女に想い寄せており、戦の最中一休訪ねてきた時、勝光女の行方聞くが、彼女が既に殺されていたことを知り心中悼んだ実際生存していた)。ちなみに一休からは、富子と女の入れ替わりについて聞かされていた。 綾:鮎ゆうき勝元正室。宗全の娘。自分の弟であり養子であった沙王丸の廃嫡や政長を見殺しにしたことから勝元対し憎悪を抱く。 細川持之戸沢佑介 細川聡明丸→細川政元立川大和今井雅之勝元の子椿の庄を焦土とさせた張本人で、富子を政治の座から追放する細川勝久(同「備中守」):松原一馬東軍一派だが、政元とはあまり仲が良くない細川成之山崎りょう東軍一派上原賢家田中弘太郎政元の家臣

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