細川勝基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 12:36 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 九郎(通称) |
幕府 | 室町幕府 和泉下守護 |
主君 | 細川高国 |
氏族 | 和泉下守護家 |
父母 | 父:細川高基? |
子 | 弥九郎? |
細川 勝基(ほそかわ かつもと)は、戦国時代の武将。和泉下守護家当主。
概要
大永3年には父・細川高基が存命であったものの既に和泉守護に任じられている。ただし、勝基が和泉下守護として発給した文書は現存していない。家臣として確認できる人物には和泉国の塩穴右京進がおり、和泉国の守護として活動していたのは確実である。翌大永4年(1524年)に足利義晴が細川尹賢邸に御成した際には、細川高基、細川晴宣、細川宗寅、細川高久、細川誠久、細川晴広とともに太刀を献上している。享禄4年(1531年)6月4日の大物崩れで高国が死亡した後は、「行宗文書」の天文5年(1536年)閏10月27日付の文書から土佐国大忍荘にいたことがわかる[1][2]。また時期は不明だが鷹山弘頼に書状を送っている[3]。
脚注
参考文献
- 岡田謙一「細川高国派の和泉守護について」『ヒストリア』182号(2002年)
関連項目
- 細川勝基のページへのリンク