細川乗賢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 20:13 UTC 版)
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時代 | 江戸時代 |
生誕 | 慶長6年(1601年) |
死没 | 寛文12年(1672年)9月27日 |
別名 | 勘右衛門尉、宗徐(法号) |
戒名 | 大適十方院 |
墓所 | 養源寺(東京都文京区千駄木5-38-3) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 浅野長晟→生駒高俊→前田利常 |
氏族 | 細川典厩家 |
父母 | 父:細川元賢 |
兄弟 | 乗賢、重賢[1] |
細川 乗賢(ほそかわ のりかた)は江戸時代の武士。細川京兆家の庶流・典厩家出身[2][3]。
概要
父・細川元賢(三浦主水)が備前国の池田忠雄に仕えていた頃、乗賢は長子であるのにも関わらず四方を放浪していたため、弟の重賢が備前国にて元賢とともに暮らしていたという。乗賢が父の跡を継ぐと、芸陽を放浪した後に広島藩主・浅野長晟に仕えた。長晟の死語は高松藩主・生駒高俊に仕えたが、生駒騒動によって高松藩を離れ加賀藩主・前田利常に仕えた。寛文12年(1672年)9月27日 に71歳で死去し、遺体は江戸の養源寺(東京都文京区千駄木5-38-3) に葬られた[4][5]。
脚注
注釈
出典
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