えど【江戸】
読み方:えど
現在の東京都千代田区を中心とする地域。古くは武蔵(むさし)国豊島郡の一部であったが、平安末期、秩父(ちちぶ)平氏の一族江戸氏が今の皇居の地に居館を造り、室町時代、上杉氏の将太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いてから城下町として発達、さらに天正18年(1590)徳川家康が入城して以来、幕府の所在地として繁栄した。18世紀ころの地域は、おおよそ東は亀戸(かめいど)、西は新宿、南は大崎・南品川、北は千住・尾久(おぐ)辺りの範囲内。幕末の総町数は2770余、推定人口100万に上った。慶応4年(1868)7月東京と改称、翌年には首都となった。
新吉原から見て、遊郭外の江戸市内、特に神田・日本橋辺りをさしていった語。
「—から京(=京町)まで残らず素見(すけん)なり」〈柳多留・一四〉
桜の一品種。サトザクラの仲間。八重咲きの大きな花で、花弁の紅色は外側のものの方が濃い。江戸桜。
江戸
江戸
江戸
江戸
江戸
江戸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 23:52 UTC 版)
江戸(えど、旧字体:江戶) [1]は、現在の東京の前身・原型に当たる都市を指し、その旧称である。現在の東京都区部の中央部に位置した。
- ^ 外国語では、Edo、Yedo、Yeddo、Yendo、Jedoなど諸表記あり
- ^ 『慶長記』
- ^ 石川英輔『大江戸リサイクル事情』 講談社 1997年
- ^ 日比谷入江は後の江戸城の間近まで入り込んでいた。
- ^ a b c d e 山田邦明「古代・中世の江戸」(初出:藤田覚・大岡聡 編『街道の日本史20 江戸』(吉川弘文館、2003年) ISBN 978-4-642-06220-6 P31-55./所収:山田『鎌倉府と地域社会』(同成社、2014年) ISBN 978-4-88621-681-6)
- ^ a b 岡野友彦『家康はなぜ江戸を選んだか』教育出版、1999年
- ^ 内藤昌『江戸の町』(上)p.6-7
- ^ 山田邦明「古代・中世の江戸」では、桜田は本来は江戸(平川流域地域)の一部ではなく、江戸氏の勢力拡大や太田道灌の江戸城築城に伴う「江戸」の拡大よって本来属していた荏原郡から切り離されて豊島郡江戸の一部になったとしている。また、山田は江戸氏の館も後の江戸城ではなく、平川流域の現在の水道橋付近にあったとする説を提示している。
- ^ 「深江文書」
- ^ 岡野友彦「「静勝軒寄題詩序」再考」江戸遺跡研究会編『江戸の開府と土木技術』吉川弘文館、2014年
- ^ 内藤昌『江戸の町(上)』p8-9。
- ^ a b 齋藤慎一『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年)第三章「南関東の都市と道」(2004年発表)/第一五章「中近世移行期の都市江戸」(新稿)
- ^ 佐藤博信「小弓公方足利氏の成立と展開」『中世東国政治史論』塙書房、2006年(1992年発表)
- ^ 平安時代後期に妙見信仰の中心的寺院として朝廷にも知られていた鎌倉の生源寺(現在の鶴岡八幡宮付近にあり、鎌倉幕府成立後は岩窟不動尊の東に移されて松源寺と改名され、廃仏毀釈で廃寺)の存在などを指摘して、頼朝以前の鎌倉を都市とまでは言えなくても東国の天台宗の重要な拠点であったとする福島金治の見解(福島金治「鶴岡八幡宮の成立と鎌倉生源寺・江ノ島」地方史研究協議会編『都市・近郊の信仰と遊山・観光 交流と引用』(雄山閣、1999年)ISBN 4-639-01640-9 P24-28・36.)。
- ^ 代表的なものとして、平野明夫「太田道灌と江戸城」東京都教育委員会『文化財の保護』21号、1989年、など
- ^ 柴裕之は小田原征伐中に豊臣秀吉が江戸城に御座所を設ける意向を表明しており(「富田文書」)、家康の移封後の本拠地の決定についても秀吉の意向が働いたとみている(柴裕之 『徳川家康 境界の領主から天下人へ』 平凡社〈中世から近世へ〉、2017年6月。ISBN 978-4-582-47731-3 P195.)
- ^ 松平家忠の『家忠日記』によれば7月18日とされる。なお、柴裕之は徳川氏の領国の最終確定が8月1日であったことから、江戸幕府の成立後に徳川氏の領国確定日と八朔の日が重ねるこの日を家康の入城の日と定めたとする(柴裕之 『徳川家康 境界の領主から天下人へ』 平凡社〈中世から近世へ〉、2017年6月。ISBN 978-4-582-47731-3 P193.)。
- ^ 竹内誠・古泉弘・池上裕子・加藤貴・藤野敦『東京都の歴史』山川出版 2003年 168-170頁
- ^ 江戸の範囲 (レファレンスの杜) 『東京都公文書館 研究紀要』(第4号)、p45-48、平成14年3月
- ^ 江戸の市街地の広がりと「大江戸」 (シリーズ・レファレンスの杜) 『東京都公文書館だより』 第6号、p6、東京都公文書館発行、平成17年3月
- ^ 内藤昌説
- ^ 柳営秘鑑
- ^ 江戸食文化紀行
- ^ 宮崎昭の『食卓を変えた肉食』で、(1)カレーの牛肉を豚肉に替える食文化が出来た。(2)カツレツを豚肉で作ると特においしい事が知られた。(3)牛肉は豚肉にとって替わられていった。と、変化の状況を説明。
- ^ 吉田忠の『牛肉と日本人』ISBN 978-4540911064で、(1)東京人は真っ先に豚肉によって食肉の消費が増加。 (2)豚カツをはじめ豚肉の消費が多様化。(3)牛肉料理を豚肉に変えたらどうかと工夫を重ねる。最初は江戸において変化が起こった。
- ^ 農林省畜産局の『本邦の養豚』、全国で(1)1916年 337,891頭。(2)1925年 672,583頭。と、9年倍増のデータで前述の変化を裏付
- ^ 鈴木理恵, "江戸時代における識字の多様性", 史学研究, 209号 (1995), pp. 23–40. 江戸時代の識字率は状況証拠(文書による支配の徹底、年貢村請制の実現、商品経済の浸透、寺子屋の隆盛、欧米人の旅行記の記載、出版業の隆盛、多量多彩な文書の蓄積)から推定されたものであり、批判も多い。また、ヨーロッパでの識字率の低さは、字が読めることが男らしくない、格好悪いとされた騎士道の時代の考え方の名残という文化的背景や、自分の名前がかける程度の者は非識字とカウントしている点なども考慮しなくてはならない
- ^ 朝日ジャーナル編、「大江戸曼荼羅」、p.211、朝日新聞社、1996年。
江戸
出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 12:28 UTC 版)
固有名詞
- 明治維新までの東京の呼び名。徳川家康によって幕府が開かれた。
- 江戸時代のこと(略語)。江戸期。
- 吉原遊廓から見て、遊廓外の江戸の市中を呼ぶ。特に、神田・日本橋あたりを指す。
- 吉原遊廓のなかの一区画。京町・江戸町などの遊廓内の町があり、江戸町を江戸と俗称した。
- (専門語)桜の品種のひとつ。染井吉野(ソメイヨシノ)の片親。早生種の江戸彼岸と、吉野桜の交配種が染井吉野。
- 和船の内、帆船(wp) の俗称。江戸の方言に由来。
発音(?)
- え↗ど
語源
翻訳
関連語
成句
江戶
「江戸」の例文・使い方・用例・文例
- 江戸時代を中心とする
- 特別展示では、江戸時代の生活様式と文化が特集されています。
- 江戸時代の人々はできるだけ物を長く使えるように努力した。
- 花火は江戸時代頃に人気を博した。
- それは江戸時代からの習慣です。
- これは、江戸時代に出版された本です。
- 江戸前寿司
- この門には江戸時代初期の建築技術が最大限に発揮されている。
- それは江戸時代中期から人気がありました。
- それらは江戸時代から使われているものです。
- こけしは江戸時代からある玩具です。
- これは江戸時代より前の文化です。
- 江戸時代には、観月の宴がとても人気だった。
- 江戸時代に、各藩の奨励策によって、全国各地に地場産業が興った。
- 昔は、人々は江戸から京都まで歩いた。
- 江戸時代、武士は刀を2本刺していた。
- この習慣は江戸時代に始まった。
- この習慣は江戸時代からのものだ。
- このテレビドラマを見れば江戸時代の庶民の暮らしぶりがよくわかります。
固有名詞の分類
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