するがだい 【駿河台】 
駿河台
駿河台
駿河台
地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。
〒273-0862 千葉県船橋市駿河台
〒410-0015 静岡県沼津市駿河台
〒426-0077 静岡県藤枝市駿河台
〒410-0015 静岡県沼津市駿河台
〒426-0077 静岡県藤枝市駿河台
駿河台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 00:49 UTC 版)
駿河台(するがだい)は、東京都千代田区の台地。秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置する[1]。
- ^ 隣接する神田小川町三丁目から三省堂書店神田本店にかけての界隈は、駿河台の高台から下ってきた所に当たるため「駿河台下」と呼ばれる。
- ^ 第五章 神田川山脈「御茶ノ水の茗渓」 (PDF) (川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 p.80-83)
- ^ 首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」(宮城県)
- ^ 地下鉄の駅名に見る江戸のなごり(その2) (PDF) (社団法人日本地下鉄協会「SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号」 2012年8月31日発行)p.48-50
- ^ J-BECレポート 2013 vol.8 (PDF) (一般財団法人橋梁調査会) p.33
- ^ 緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012 (PDF) (公益財団法人東京都公園協会)
- ^ 専修学校(専修大学の前身)は1880年に京橋で、明治法律学校(明治大学の前身)は1881年に有楽町で、英吉利法律学校(中央大学の前身)は1885年に神田錦町で、日本法律学校(日本大学の前身)は1889年に飯田町で開校した。
- ^ 東京高等商工学校は大学ではない。また、埼玉工業大学と駿河台との間に直接のつながりはない。
- ^ 1880年9月に駿河台北甲賀町で開校した東京法学社(法政大学の前身校のひとつ)は同年12月に神田錦町に移転した。
- ^ 日本法律学校が駿河台に校舎を構えたことはない。
- ^ 中央大学は1926年(大正15年)まで神田錦町にあった。
- ^ 駿河台に「明大通り」はあるが「中大通り」はない。
- ^ 明治法律学校(のちの明治大学)が駿河台に移転したのは1886年、ニコライ堂が完成したのは1891年、日本大学の駿河台校舎(歯科および高等工学校)が完成したのは1921年、中央大学が神田錦町から移転したのは1926年である。
- ^ 「明治大学(神田区駿河台) 白雲なびく駿河台は、神田学生街の中心である。」(今和次郎 『新版大東京案内』 中央公論社、1929年、332頁)
- ^ 「今、駿河台には日本大学の工学部も出来、中央大学も引越して来たけれど、そのかみは駿台といへばニコライと明治大学のみをすぐに思ひ浮べる程であつた。」(原田謙次 『校歌と校風』 北光書房、1943年、80頁)
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