明治法律学校
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明治法律学校(めいじほうりつがっこう)は、1881年(明治14年)1月、岸本辰雄らによって東京府に設立された私立法律学校である。この項目では後身たる専門学校令準拠の明治大学についても扱う。
- ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、83-88頁
- ^ a b 発祥の地記念碑コラム① | 明治大学
- ^ 『朝野新聞』 1882年1月18日
- ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、693頁
- ^ 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、6頁
- ^ a b 校旗・校章 | 明治大学
- ^ 天知俊一ほか 『六大学野球部物語』 ベースボール・マガジン社、1956年、88-89頁
- ^ 紫紺の由来 | 明治大学
- ^ 明治大学校歌 | 明治大学
- ^ 『明治大学百年史』 第一巻 史料編Ⅰ、815-819頁
- ^ 『図録明治大学百年』 36-37頁
- ^ a b 『明治大学小史―人物編』 3頁
- ^ 『明治大学百年史』 第一巻 史料編Ⅰ、614-615頁
- ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、497-499頁
- ^ 明治大学文学部五十年史編纂委員会 『明治大学文学部五十年史』 1984年、8-13頁
- ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、500-501頁
- ^ 『明治大学百年史』 第一巻 史料編Ⅰ、87-88頁
- ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、88頁
- ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、206-217頁
- ^ 1916年に正式に売買契約を結んで明治大学の資産とした(『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、544頁)。
- ^ 明治大学広報部 『明治大学記念館 1928-1995』 1996年、127頁
明治法律学校
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1880年(明治13年)2月 - 岸本辰雄がフランスから帰国。 6月 - 宮城浩蔵がフランスから帰国。 12月 - 明治法律学校設立認可につき東京府に申請する。 1881年(明治14年)1月 - 明治法律学校開校(麹町区有楽町3丁目1番地・数寄屋橋内旧島原藩邸内、第1回入学生は44名)。 1882年(明治15年)2月 - 校友規則を制定。 10月 - 第1回卒業生(依田銈次郎・斎藤孝治など19名)を送り出す。修業年限を2年から3年に延長する。 飛鳥山で運動会を開催。 1883年(明治16年)9月 - 八王子横山町に八王子分校を開設(1885年閉校)。 1884年(明治17年)4月 - 別科と予備科を設ける。 9月 - 寄宿舎を兼ねた麹町分舎を開校(1885年閉校)。 1885年(明治18年)4月 - 『明法雑誌』創刊。 9月 - 明治法律学校規則を制定。 1886年(明治19年)1月 - 法律学部と行政学部の2部を設置。 12月3日 - 私立法律学校特別監督条規により帝国大学特別監督下に入る。 12月11日 - 神田区駿河台南甲賀町11に校舎を移転(現在の日大病院東側付近)。移転開校式に大木喬任・渡辺洪基・福澤諭吉・中江兆民などが出席。 1887年(明治20年)8月 - 帝国大学監督私立明治法律学校規則が出される。 9月 - 名誉校員制を制定(大木喬任・鶴田皓・箕作麟祥・名村泰蔵・ボアソナード等が就任)。講法会を設立(のちの校外生制度)。 12月 - 保安条例により明治法律学校関係者8名(そのうち学生5名) が東京から退去させられる。 1888年(明治21年)3月 - 五大法律学校連合大討論会に参加。 6月 - 明治法律学校雑誌局を設立。 7月 - 校長・教頭の制を置く(校長・岸本辰雄、教頭・宮城浩蔵)。 8月 - 特別認可学校規則により法律学部・政治学部の2学部が認可。 10月 - 東京法学校および東京仏学校との合併問題起こる。 1890年(明治23年)7月 - 第1回衆議院議員総選挙で宮城浩蔵・光妙寺三郎・井上正一・磯部四郎(講師)、美濃部貞亮・岩崎万次郎・榊喜洋芽(卒業生)が当選。 9月 - 矢代操が貴族院議事課長に就任。 11月 - 岸本辰雄が大審院判事に就任。 1891年(明治24年)3月 - 校友を中心に法治協会を結成。 4月 - 創立者矢代操逝去。 10月 - 校員会において関西法律学校との提携を承認。 1892年(明治25年)5月 - 岸本辰雄・宮城浩蔵・磯部四郎ら民・商法典実施断行論を発表。 12月 - 第3回帝国議会で民法・商法施行延期法案可決(仏法派に打撃)。 1893年(明治26年)2月 - 創立者宮城浩蔵逝去。 3月 - 岸本辰雄が大審院判事を辞任。 7月 - 政治学部廃止。 12月 - 司法省から判事検事登用試験の指定校となる。 1896年(明治29年)11月 - はじめて留学生が入学する。 1897年(明治30年)9月 - 高等研究科、出版部講法会、貸費生制度を設ける。 1898年(明治31年)8月 - 大阪青年倶楽部で関西校友大懇親会を開催。 1899年(明治32年)6月 - 徴兵猶予の特典を受ける。 7月 - 校友会を組織する。 1900年(明治33年)2月 - 卒業生に明法学士の称号が授与されるようになる。 10月 - 最初の卒業証書授与式を行う。 1901年(明治34年)5月 - 制服・制帽を定める。 10月 - 第一期擬国会を開催。
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