学校組織の整備と明治大学への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:41 UTC 版)
「明治法律学校」の記事における「学校組織の整備と明治大学への移行」の解説
組織面では、1886年には法律学部・行政学部の2学部を設置し、1887年には名誉校員制を設け(大木喬任・鶴田皓・箕作麟祥・名村泰蔵・ボアソナードが就任)、1888年の校長・教頭制度制定で岸本辰雄が初代校長に就任するなど整備が進み、1903年3月になって私立「明治大学」への改称が認可された。しかしこの時点では、制度上の大学(旧制大学)ではなく、専門学校令に基づく旧制専門学校となったにすぎず、名実ともに(大学令に準拠する)大学昇格を果たすのは1920年(大正9年)4月16日である。
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